戦闘終了まで五分と掛からなかった。
それだけで、あれだけ苦戦を強いられていた敵の首と四肢が飛んだ。剣の鋼と魔法の風の刃があっさりと骨肉を断ち、青黒い体液をまき散らさせながら、巨人を無様に地に伏せさせた。
あまりにも呆気ない決着を、救われた少女は混乱しながらも憧憬の色を乗せた瞳で、敗北した青年は嫉妬と憎悪を抱きながら見つめた。
戦いの終わった翌日、その夜、ギルド施設内にある酒場では馬鹿騒ぎが起こっていた。
血の滲む包帯やらガーゼやらを体に張り付けながらも、冒険者たちの表情は皆明るい。赤ら顔で今日の戦果について口にし、自慢し、生き残れた幸運を祝いながら酒を浴びるように飲む。中には物理的に浴びて店員に殴られている者もいるが、それもまた笑いを買って場を盛り上げる要因となっていた。
下手な歌を歌う酔っ払いに罵声が飛ぶやら、魔法を使った大道芸を失敗して全身火だるまになる馬鹿が居るやら、もはや何でもありなその光景を俺は部屋の隅で苦笑しながら見ていた。
未成年なので――といってもこの世界では成人とされる年齢も、飲酒に関する法律も異なるのだが――酒の代わりに注いでもらったホットミルクを啜りつつ呟く。
「作戦成功、街の危機は去った……か」
最悪、モンスターが引くまで、何日間にも渡って続けられる可能性もあった大規模討伐は、何とたった一日で終了した。本件の原因と思われるイレギュラー、黒色の巨人を《英雄ウェスリー・クレイグが一名の尊い犠牲を出しながらも討伐した》からである。
警戒態勢は未だ取られているものの、巨人の死亡とほぼ同時にモンスの活動は沈静化し、森へと引き返していったそうだ。ただ力に優れているだけでなく高い隠蔽能力まで持っていたという新種の敵に対する恐怖はあるものの、一先ず解決には至ったということで皆そろって安堵の息を吐いている。
今後の対応についてなどの難しい話はお偉方に任せておいて、一般市民が今注目しているのは新たな調査隊の派遣などではなく、ウェスリーと巨人、その激戦の一部始終である。
次々と仲間が倒れていく中、自らの命を顧みない特攻によって見事巨人を討った――パーティー内で唯一最後まで意識の残っていたフィオナによって証言されたその様は、すでに街中に広まっている。
犠牲者は出たものの、こう言っては何だが特に目立たない有象無象の一人。
薄情だとも思うが、この世界では日本と比べ死が日常と近い。もっと多数の犠牲が出ると誰もが考えていたため、黙祷を捧げた後はすぐにこの騒ぎへと繋がった。
おそらく会館に入りきらなかった冒険者や市民は別の酒場で同じようなことをしているだろうから、今日は街中が祭りのようになっているはずだ。
主役であるウェスリーこそ戦闘による負傷を理由に不在だが、勢いは止まらない。同じグループにいたということで話を聞かせろと寄ってくる人々へ適当に物語じみたことを言ったこともあり、今や彼の評価は性格の悪さを差し引いてもこれ以上ないほど上がっている。
目論見通り、皆の注意は俺とクロノから逸れてくれている。
「なんとか誤魔化せた、のかな」
勝手に囮とさせてもらったウェスリーには悪いが、これまで奴のせいで被った迷惑への慰謝料代わりとでも思ってもらう他にない。まあ、聞くところによると捨て身の突進技を放った直後に気を失ったそうなので、上手くいけば自分が止めを刺したのだと勘違いしてくれるだろう。
「一応はね。フィオナさんには思いっきり見られてたけど、口止めは出来たし。何とかなったんじゃないかい」
隣に立つクロノが溜息を吐きながら言う。
疲れ切ったその様子に、俺は気まずい思いをしながら尋ねた。
「……怒ってるか?」
フィオナを、助けてしまったことを。
力を見せてしまったことを。
見捨てるべきだったとは今でも思わないが、ひょっとするともっといい手があったのではないかという後悔はある。
例えばヴァイスの死体を二人そろって見に行かなければ、どちらかがあそこに残っていれば、もう少し状況はよくなっていただろう。クロノが以前言っていたように、気づかれない範囲での援護ができたはずだ。そうすれば死者も出ず、このような面倒を背負うこともなかったかもしれない。その辺りについての相方の考えが気になった。
しかし、意外にも返ってきたのは軽い声だった。
「んー、別に」
表情には、微かに笑みすら浮かべながら。
「なんか、フィオナさんに必死になって口止めしてるユトが可笑しくて、どうでもよくなってきた」
「…………えー」
そういう理由か。
まあ確かに、割とプライドを捨てて縋り付いたりしていたのだが。そもそもの原因が俺だとはいえ、事を大きくしないようにと努力したことくらいは評価してくれてもいいのではないだろうか。
「それにまあ、ほら、君が馬鹿なのはいつものことだしさ。慣れた」
「……いくら何でも酷くないか? そりゃあ確かに、こっち来てからは色々余計なことしてる自覚はあるが……」
あまりの言い草に不満を口にすると、ごめんごめんと全く心のこもっていない謝罪が返ってきた。どうやら俺という人間像に対しての見解が妙なところで異なっているらしい。その内腹を割って話し合う必要がありそうだ。
「じゃあ言い方を変えて、熱血漢?」
「そんな柄でもないと思うけどな」
自分が少年漫画の主人公のごとく熱いセリフを言っている姿など、想像しただけでも恥ずかしい。
ただ同時に、考えるよりも先に体が動く性質など、否定できない部分があることにも気が付いた。となると目の前のこの友人はそんな俺を冷静に諭し引き止める参謀役だろうか。眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、キランッと光らせるクロノ。やたらとしっくりきた。
そのポジション分けから連想されるものとして、脳筋、と。
何だか頭に浮かぶ単語があったが、それについては意図的に忘れることにする。
「まあ、例え君が暴走したとしても僕がちゃんと手綱を握っていればいいだけの話だからね。あんまり気にしなくてもいいよ」
「おいおい……」
手綱とはまた、馬を扱うような風に言ってくれる。
さすがに聞き捨てならず何だそれはと食って掛かるも、胡散臭い笑みと卓越した話題逸らしの技術でのらりくらりと躱される。相変わらずというか何というか、こいつと口で争って勝てる気がしない。
そうして十分程、喧嘩やら雑談やらをして時間を潰していると、クロノは「ギリアムさんと今後について話してくる」と言い出した。
「ったく、とっとと行け。それでもう戻ってくんな」
すっかりやり込められてしまった腹いせにそんなことを言いつつ、手で払うような仕草をする。
正直、ただ話しているだけでも時折グサリと胸に刺さる言葉を放ってくるので、これ以上の会話はごめんだった。
そんな子供じみた反応に、クロノは同じく大袈裟に両手を上げた。
そして、おそらくギリアムのいるであろう事務所の奥へと向かおうとする。
「あ、そうそう」
が、数歩で立ち止まってこちらに振り返ると、笑いをこらるようにして言った。
「彼女への事情説明、よろしく。ここまで来るといっそ全部明かして協力を求めてしまうのも手かもしれないねえ。まあ、その辺りの加減も全部君に任せる。頑張ってくれ」
「は? あ、てめっ、おいこら待て!」
最初はその意図を理解できなかったが、入れ替わりのようにこちらへ歩いてくるフィオナの姿を見て、俺はクロノが逃げたのだということを悟った。焦って呼び止めるも、奴の背中はすぐに人混みの中に消えてしまう。
――――後処理くらいは自分でしろってか。
喉の奥から声を出して唸りながら、頭を掻き毟る。事情説明――そう、彼女にはまだ諸々のことについて話していないのだ。隠していた力の事だとか、駆け出しと偽って居候していた訳だとか、何一つ説明せずにただ「自分たちについて誰にも何も話さないでおいてくれ」と、強引に頼み込んだだけなのである。
昨日はまだ事があった直後で、彼女の混乱を利用して上手く丸め込むことができたものの、一夜明ければ完全に冷静になっているだろう。これから追及を躱す苦労を思うと……自然と頬が引きつる。
「人が悪いわね」
開口一番、フィオナはソプラノの声でそう口にした。
「本当は全部あなたたちがやった癖に」
戦いで疲労しているにもかかわらず報告のためギルドに引っ張られ、そこからさらに話をせがむ冒険者たちに宴会の場まで連れてこられた彼女はいかにも不機嫌そうだった。
「本当にイレギュラーを倒したのは、あなたたち。しかもあの一体だけじゃなくて、私たちを助けに来る前にも複数と遭遇していた……事実をありのまま話すだけでも苦労するのに、挙句、妙な注文をつけられて、整合性を取るのにどれだけ頭を悩ませたことか……」
「うん、まあ、悪かった」
苦笑を浮かべる。笑い事じゃないと、肩を叩かれた。
痛みのない軽い攻撃。自分は怒っていますと示すためのポーズ。その意図に気が付き笑う、また叩かれる、笑う、しばらくそんなことを続けて最後にはフィオナが溜息を吐いて拳を引いた。
そして沈黙。互いに手に持ったグラスを傾けながら、騒ぎを黙って眺めていた。てっきり事情を話せと詰め寄られ、胸倉を掴まれるくらいは覚悟していたのでこれは意外だった。
もっとも、それが良かったか悪かったかと言えば、悪かった。根掘り葉掘り聞かれるのは困るが、かといって何のリアクションもないのも妙に居心地の悪さを覚える。
十分ほど経って――体感時間ではもっと長かったが、ウィンドウの時刻表示によるとその程度だった――ついに居心地の悪さが我慢できなくなって、俺の方から話しかけた。
「聞かないのか?」
「何を?」
「何をって……分かってて言ってるだろ」
憮然として言うと、フィオナは微かにだが今日初めての笑顔を浮かべた。
「まあね。でも、聞いてほしいの?」
いたずらっぽく目を細めて、そう返される。
「冒険者は色々と事情を抱えた人が多いから、隠していることをわざわざ追及したりはしないわ。ましてや命の恩人に対してそんな無礼な真似できる訳ないでしょ」
「フィオナ……」
その心遣いに俺は感謝の言葉を口にしようとした、が、
「まあ、それは理由の半分だけなんだけどね。ギルドの方から聞き出すことを禁じられてるのよ。父さんと、普段は顔も見せないようなギルド長の署名付きで書状が来たときは驚いたわ。ずいぶんと裏では激しく動いてたみたいね」
「……フィオナ」
感動して損した気分になった。
俺が口下手なのか、それとも周りの人間が上手いのか、今日はどうもやり込められている感が否めない。肩を落とした姿がよほど情けなく見えたのか、フィオナは目を逸らし顔を赤くして笑いを堪えていた。
「クロノといいフィオナといい、なにか今日は俺の扱いが酷いような気がするんだが」
「あははっ、ごめんごめん。反応が面白くて。ほんと、よく表情が変わるわね。君、腹芸とかできないタイプでしょ」
「…………」
「ほらまた、そうやって顔を顰める」
分かりやすいなー、と。
悔しいが、全く反論は出来なかった。
「誘導尋問とかすぐに引っかかりそうね」
「……それは困った。じゃあ、フィオナにそれをやられないよう早めに退散しておくとするか」
これ以上からかわれるのが嫌だったのが半分、熱気のこもった室内から出たかったのが半分。俺は彼女の言葉に乗っかってそう言った。グラスを空にし、店員を呼び止めて返す。未だ冷めやらぬ酒盛りの光景を尻目に外へと出る。
夏とはいえ、夜になると肌寒い。顔を撫でる風に震えながらウィンドウを呼び出し、仕舞っておいたいつものコートを実体化させる。まだ水洗いで表面の汚れしか取っていないそれは少々臭うが、他に上着となる物を持っていないので仕方がない。
「それで、なんでついてくる」
同じくアイテムボックスから上着を取り出し、羽織っているフィオナをじとっと見つめる。理由の半分は彼女から離れるためだったのに、なぜ当然のように後を追ってきているのだろう。
「ん? それはほら、まだ言ってない事があるから」
まだ何かあるのか、とうんざりする。溜息を吐き、俺はいかにも気乗りしないといった風に先を促した。
「ありがとう」
「……は?」
考えてもいなかった言葉に驚き、顔を上げる。視線の先にはフィオナが、いつになく真剣な表情で俺を見ていた。
「助けてもらった、お礼。あの時は言いそびれてたから」
「あ、ああ……」
そういえば自分はそういう立場だったのか、と今更ながら思い出す。
「一歩、いや二歩も三歩も遅かったけどな……。もっと早く駆けつけてれば、それ以前に俺とクロノのどちらかを置いておけば死者は出なかったはずだ」
「それは言っても仕方のない事でしょう。もし、何ていう、あったかもしれない未来を想像していたらキリがないわ。ただ一つの事実として、私はあなたたちに助けられた。それだけよ」
俺の後悔の言葉を、フィオナはそう言って斬り捨てた。その眼に嘘の色はない。同情や、庇うなどの意味はなく、本気でそう考えていることが伺えた。
世界観の違い、そして冒険者業という刹那的な生き方故か、いつまでも想いを引きずる俺と違って切り替えが早い。彼女の言い様に少しだけ救われた気がして、小さく謝辞を口にする。
「……ありがとう」
「どういたしまして。何でお礼を返されてるのかよく分からないけど」
気にするなと言って、俺は空を見上げた。日本の都心では絶対に見られないような満天の星空がそこにはあった。
「ねえ」
「ん?」
星の並びも元の世界とは違うのだろうかと曖昧な記憶を元に星座を探していると、またフィオナが声を掛けてきた。
「質問、してもいいかしら。答えたくないなら黙ってくれていいから」
唐突な、けれどどこかで予想していた言葉だった。
俺が頷くと、彼女は二、三秒ほど間を置いてから掠れた声で聞いてきた。
「どうしてあなたたちは、あんなにも強いの? どんな経験をすればその高みにまで到達できるの?」
視線をフィオナの方に向ける。
目が、合った。
揺れる青い瞳の中にあるのは憧れと、微かな嫉妬。グループを全滅寸前にまで追い込んだ敵、それを容易く葬り去った自分と歳の近い冒険者。興味を持って当たり前だ。
しかしそれは直接ではなくとも、半ば、俺たちの隠したい事情に触れた質問だ。答えなくてもいいと予防線を張っているのは彼女自身も、聞き出すなという命令に反しかねないと理解しているからだろう。
「強い、か」
拒絶することは簡単だが、しかしその問いは俺の引け目――ゲームで培った能力を引き継ぎ手に入れた力――を突くものだったため、思わず深く考え込んでしまった。
「強いのかな、俺」
空虚さを感じながら呟くと、フィオナがはっきりと気分を害された様子でこちらを睨んできた。
「それは嫌味なのかしら。あれだけの力を持つあなたが強くないなら、私たちは一体何って話になるわよ」
そういう意図での言葉ではなかったのだが、確かに事情を知らない彼女にとってはそれ以外に受け取り様がない。
素直に謝罪しつつ、どう説明すればいいのかと頭を悩ませる。まさか馬鹿正直に全てを語るわけにもいくまい。先程クロノはそれでもいいようなことを言っていたが、さすがにそんな冗談を真に受けるほど俺も馬鹿ではない。
結局口から出たのは、嘘ではなく、けれど真実からも微妙に遠い回答だった。
「環境が良かったから、かな」
夢のない、あまりにも現実的な答え。けれど仕方がない、それ以外に言い様がないのだから。
才能は、ゲーム攻略の才ならともかく実際の戦闘に関しては分からない。努力をしたとは、彼ら彼女ら冒険者の体に残る生傷を見ていると、とてもではないが恥ずかしくて口にできない。
「環境?」
その言葉が意外だったのか、フィオナはきょとんとした表情を見せた後、顎に手を添え少し考えるような風にして言った。
「それは、あなたの故郷の近くに経験値の多いモンスターが生息していただとか、私の父みたいに訓練に付き合ってくれる戦闘経験者がいただとか、そういうこと?」
「…………まあ、そうだな。そんな感じだ」
本当は、その程度で収まるような差ではないが。
一定以上の痛みを感じず、死んだとしても簡単に蘇生できる。本来の戦闘において背負うべきリスクの一切がない。そんな状況だったからこそ俺たちは一人モンスターの群れの中に突貫できたし、腕を引き千切られながら敵に剣を突き立てることも可能だった。デスペナルティはかなり重く設定されていたが、それは所詮、遊戯に少しばかりのスリルを加える程度の効力しか持っていない。
疲れを感じないのをいいことにダンジョンの最奥で延々と剣を振り続けるなど、無茶無謀とされる行動を続けることで、俺たちはこちらの世界の常識的にはあり得ないペースでレベルを上げていったのだ。
成長率、速度など比べるべくもない理不尽な差。
彼女が真実を知ったとしたら、果たしてどのように思うだろうか。
「詳しくは言えないけど、色々あった。ただ一つ確かなのは、俺は、冒険小説の主人公みたいに死に物狂いの努力なんかはしちゃいないってことだよ」
奇跡の上に奇跡を重ねて手に入れた力。
必要以上に自分を卑下するつもりはないが、しかしあまり誇れないものであるのは事実だろう。隠し事をしてるのは目立つのが面倒な以外にも、そのことに関する引け目もある。
仮想世界での《ごっこ遊び》がどういう理屈か現実になり、一般人から剣士にクラスチェンジした俺と、実際に命を賭けて今まで戦い抜いてきたフィオナたち。
どちらが強さを手にするに相応しいかなど、考えるまでもない。
そうやって改めて、自分がゲームの能力以外に頼れるものがないと自覚すると、急にすべてを告白して楽になりたいという衝動が生まれた。俺は勢いのままにそれを口にした。
いつの間にか、問う側と問われる側の立ち位置は逆転していた。
「なあフィオナ、もし、もしもの話だ。ここに飲むだけで何十もレベルが上がる、それでいて副作用も全くないなんて馬鹿みたいな薬があったとして――」
何の努力もせずに、
何の苦労もせずに、
何の対価も支払わずに、
「――それで得た力に、価値はあるのかな」