「……っつ、う、は、はっ、はっ、はっ……!」
「……良く、耐えたね。さっちん」
「……昨日、姉さんの、『それ』、を、見て、いるから、ね」
「あー、モエさんのを見たんだ。いやー、でも、私の天鎧とモエさんの天鎧では毛色が違うからねー。……膝、笑ってるよ?」
「……笑ってるんじゃないわよ」
「?」
「これは、大爆笑、っていうの、よ……」
そう言って、サクラはへたりとその場に座り込んだ。
――なんだ、これは。
鼓動が鳴り止まない。変な汗が出る。声も、震える。膝どころか身体全部が大爆笑した様に痙攣中だ。
横を見ると、うつ伏せに倒れる二人が視界に入った。
無理もないか、とサクラは思う。
サクラは、昨日姉から『天鎧』の存在を聞かされているし、また、見ていてもいる。
そんな予備知識があった彼女でも、この様なのだ。
全く何も知らない二人が意識を飛ばしても、仕方ないことである。
正直、サクラ自身も危ないところだった。
そこで、ユリは天鎧を引っ込めた。
屋上は、何事もなかった様に、緩い風が流れている。
「在り来たりな台詞だけど、さ」
ユリが言う。
「私、まだ本気じゃないからね。……本気で怖がらそうと思ったら、おしっこちびっちゃうよ?」
「……マジ?」
「マジ」
それは御免被りたいサクラだった。
女として、人として、それだけは避けたかった。
余談だが、ユリの本気とは、天鎧を全力で放出し、仁王立ちして、両手を広げ、のけぞりながら『ああああああああああああああ!』と叫んで、腹部からニュクスをドン! と出すことである。これでビビらなかった人間は今までいない。
『キロウ』の子供たちを叱るときに、よくその親が『いい子にしていないと、勇者が来るわよ!』と言うのは、正しくこの『本気』の所為である。
(はっ、はぁ……)
やっと落ち着いてきた鼓動を確かめるように、己の胸に手を当てるサクラ。未だ体の震えが止まらない。
ここまで。ここまでの『恐怖』を、この目の前の小柄な少女が放てるとは思えなかった。
そう言えば、とサクラは思い出す。
――あの子は『終わっている』
モエの言葉だが、これは果たしてどういう意味なのだろうか。
サクラはその真意を聞けなかったし、モエもそれは濁していた。
『狂っている』、『壊れている』、ならなんとなく解かるが、『終わっている』、とは。
胡乱気な思考を重ねていると、ユリが座り込んでいる自分を見下ろしていることに気づいた。
――ゾっとするような、冷たい目で。
「……さっちん、さ。もう、私と関わらない方がいいよ」
そして、その声も冷たいものだった。
先ほどまでの、自分の胸を揉んだり、土下座したり、その様な間抜けさとは無縁の、どこまでも冷たい姿勢。
「な、なに、言ってんの……!? あ、あんたが勝手に屋上に連れて来たんじゃ……!」
「うん。そうだね。でもそれは、なんと言うか予防線みたいなもんなんだよ。……さっちん、昨日モエさんになんか言われたでしょ」
「それは……」
「多分、『あの子と仲良くして』とか、そんなこと」
正しくその通りだった。
――ねぇ、サクラ。あの子と、ユリと、友達になって欲しいの。
――はぁ!? な、なんで!? ね、姉さんが居るじゃん!
――アタシは、あの子と近すぎる。だから、あの子はアタシに、アタシ達に見せないものが、一杯あるんだ。
――な、んで、あたしが……! 関係、ないじゃん!
――……そーね。まぁ、考えるだけ、考えといて。
これが、昨日の顛末。
「……モエさんは、優しいからね。そう言うことは、予想つくよ」
ユリは、自分が異常なのを知っている。
そして、サクラが勿論『普通』なのも知っている。
彼女がヤナギに『鍛えてあげる』と言ったのは、言ってしまえば気まぐれでしかない。
だが、この場にサクラを呼んだのは、実は「なんとなく」ではない、きちんとした理由がある。
――予防線。
ユリは、彼女の姉から自分に関わるように言われているであろうサクラに、自分の異常さをはっきり見せ付けたかったのである。
そうすれば、彼女は自分には関わらない。いくら、姉に頼まれようとも。
そう、自分は異常で、人間以上であるいは人間以下の存在。
別に一切合切何もかも切り捨てて、誰とも関わらない、とはユリも考えていない。
仲良くしたくないわけではない。『友達』が要らないわけではない。
だけど、無理強いで、『姉に頼まれたから』と言う理由で自分に関わるのは、やめて欲しかった。
だって、惨めじゃないか。そんなことでしか、友情を構築できないなんて。
だからこその、ユリの言葉。
ちなみに、隣席の少年を連れてきたのは、本当に意味がない。
強いて言えば、『サクラを屋上に連れきた本心』を悟られない為のスケープゴート、であろうか。
この場で一番理不尽な目にあっているのは、間違いなく彼だった。
それはともかく。
ユリは言う。断ち切る為に。切り捨てるために。
「モエさんから聞いたと思うけど、もう大体解かったと思うけど、私とさっちんじゃあ、色々と違うんだよ。色々、さ」
だけどそれは、もしかしたら、本心では何かを求めている、自分自身の『弱さ』を。
「ね? だから、もう帰っていいよ」
そう言ったユリの表情は、どこまでも冷たくて、だけど、どうしようもない寂しさが、どことなく滲んでいた。
それを受けて、サクラは。
(……なによ、それ)
イラッとした。ムカッとした。
意味なく歯を食いしばってみたりもした。
体の震えが止まる。
恐怖に染まっていた感情が、塗りつぶされる。
――理不尽に対しての、怒りに。
――基本的に、だ。
ユリは、どこか抜けているところがある。
彼女に誤算があったとすれば、と言う表現は、適切ではない。
彼女は常に誤算ばかりなのである。
――そんなユリの、今回の誤算は。
(……ふざけ、ないでよ)
――ユリの、そのどこか見下した様な、自分を侮っている様な言葉に、サクラがカチン、と来たことだ。
元より、サクラはユリと関わる気なんて、まるでなかったのだ。
関わる義理もなければ、姉の言うことを聞く義務もない。
自分を強姦一歩手前までした少女と、何を好んで『友達』になれと言うのだろうか。
だから、サクラは、姉の言うことなど無視する気だったのだ。
しかし。
それは幼稚な対抗心だった。
くだらない、ちっぽけなプライドだった。
ユリがどれだけ異常で危険な存在なのかは、身を持って知っていた。
だけど、ここまで。
ここまで下に見られて。
はい、そうですか、とあっさり帰るほど、彼女は大人ではない。
年頃特有の青い感情を、彼女はきちんと秘めているのだ。
無謀。
決して褒められない、稚拙な感情。
死を意識しない、出来ない世界に生まれ育ったから故の、軽率な考え。
だけど。
それが人を前に動かすことだって、きっとある。
――そして、ユリのもう一つの誤算。
それは、内にある、己の半身。
その『彼女』が。
『いい』
『この』『おんな』『いい』
『ここ』『まで』『きょうふ』『を』『うけて』『なお』『ひかない』『か』
『わたし』『の』『えいきょう』『がいか』『で』『これほど』『とは』
『いい』
『みせろ』『みせろ』『みせて』『みろ』『!』
『おまえ』『の』『きょうき』『を』『みせて』『みろ』『!』
――蛮勇とも言える、そのサクラの感情を、えらく気に入ってしまったことである。
『ぴんぽいと』『きょうき』『はどう』『れべる』『に』『!』
そしてそれが、サクラの頭を素敵にぷつんと逝かせてしまった。
訳解らない話を聞かされ、見せられた鬱憤。
小柄な少女に見下されるフラストレーション。
溜まりに溜まったそれ、プラス、ニュクスの狂気が、『この少女に適う筈がない』と警鐘を鳴らす理性を粉々に粉砕してしまったのである。
ゆらり、とサクラがまるで幽鬼の様に立ち上がり、そしてユリに近づいていく。
「……さっちん?」
顔を俯かせて自分に近づくサクラに、ユリは眉を潜めた。
先程まで妙に『内』にあるニュクスが楽しそうだったのが気になったが、それよりも、一歩一歩ふらふらと接近するサクラの方が気掛かりだった。
「なにを……」
するの、と言うユリの言葉は、だけど最後まで言えなかった。
がしっと。
サクラが両手でユリの頬を鷲づかみにしたのだから。
「ふへっ!?」
珍妙な奇声を上げてしまうユリ。
それはそうだろう。
自分に怯えていた筈の、ちっぽけなレベルの少女が、全世界最高レベルの自分のほっぺを掴んでいるのだから。
ユリはサクラを見た。
笑っていた。冷笑していた。
目線を外さないまま、サクラは言う。
「キモい」
「へっ?」
「キモい。変態。おっぱいを揉むとか意味解んない。頭おかしいんじゃないの? ……ああ、おかしいのか」
絶句。
ユリは余りの暴言に絶句した。
確かに、彼女は罵詈雑言の類には、慣れている。
サクラの言葉は、昨日彼女自身が言った言葉を、また同じように繰り返しているだけだ。
だが。
気迫が違う。
今まで、ユリに投げかけられた言葉は、言ってしまえば苦し紛れの戯言に過ぎなかった。
だが、今の彼女はどうだ。
堂々と。まるで、自分と同じ舞台に立っているかのごとく、真っ直ぐに自分の目を見ている。
「姉さんの話も、あんたの話も、全部全部全部、何もかも意味解らない。なんなの? なんなの? このほっぺの柔らかさはなんだああああああああああああああああああ!」
「ふへぇへぇえへぇぇっ!」
むにむにむにむにむにむにむにむにむに。
まるで粘土のごとく、自在に形を変えるユリの頬。
そのマシュマロの様な柔らかさに、サクラのギアがまた一段階上がった模様。
ちなみに、今頃ニュクスは大爆笑中である。
そこで、一旦、サクラが離れた。
距離を取って、じっとユリを見る。
ユリは、やっと開放された頬を手で押さえた。
痛みは、ない。
レベル285の身にその様な行為は、まるで通用しない。
だけど。
その頬は異様に熱を持っていて、そしてそれが、妙に心地良かった。
そこで、今度は顔付きを獣の様に獰猛なそれにして、サクラが吼える。
「聞けっ、ペチャパイ!」
「ぺ、ぺチャっ!?」
ゆり の せいしん に 100 の ダメージ !
サクラは上を向いた。空は変わらず青くて。風は変わらず流れている。
世界は今も変わらない。
だけど、なんだろうか。この感覚は。この、体に溢れる力は。
『魂のランクが一つ上がった様な、不思議な高揚感』
強烈な全能感。
今なら言える。
内に秘めるありったけの、感情を。
「……あたしはっ!」
サクラが言う。
否。
叫ぶ。
想いを乗せて。風に乗せて。
「どんなにあんたが強くて、異常でもっ! あんたの思い通りになんて、なんにもならないっ! なってやらない!」
それが、サクラの答え。
「だからっ!」
それが、彼女の流儀。
「あんたと関わってやるっ! あんたがあたしと関わりたくないって言うんなら、全力で関わってやるっ! 解ったかこのペチャパいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
咆哮炸裂。
屋上は、またも奇妙な沈黙に包まれた。
はぁはぁ、とサクラの荒い息遣いだけが、響く。
(言ってやった……!)
通常、サクラは感情を前面に出すタイプの人間ではない。
だけど、『何か見えない力』に後押しされたように放った咆哮は、とても気持ちが良かった。
(あいつは……)
ふと、ユリの反応が気になって、正面を改めて見ると――――
そこには何もいなかった。
「……それは、同意と言うことでよろしいですね?」
「……へ?」
ユリは、いつの間にかサクラの目の前に居た。
サクラより頭一つ低い身長のユリが、自分の胸を、がっちりと掴んでいた。
「げへへへへ。このおっぱいが私のものかぁ……いいねっ!」
「はぁあああああああああああ!?」
「やべ、これやべぇ、これ、将来的にはモエさんを超えるんじゃあ……? いいものを手に入れたっ!」
サクラの渾身の咆哮が響いても、それでもユリは一心不乱に胸を揉んでいた。
先程までの冷たい顔はどこへ行ったのか。今の彼女はどこに出しても恥ずかしい、ただのゲスである。
「ちょ、はぁ、ん……誰が、あんた、んぅ……の、もの、かぁっ!」
「えっ、違うの? そういう話じゃないの?」
「一ミリもあってないわあああああああああああああああああ! こ、このぉっ!」
「ふへふふえへへふへふへっ」
負けじとユリのほっぺをむにむにするサクラ。
変わらずサクラのおっぱいをむにむにするユリ。
サクラは必死な形相だった。
ユリは笑っていた。
この上なく、楽しそうに。
風が吹く。屋上に風が吹く。
新たな『芽生え』を祝福する様に。
「……目が覚めたら湯久世と佐倉が百合ってる件について」
「流石は師匠……! 己の名に順ずるとは……!」
「ああ、ユリってそういうことなのか……」
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学生・サクラ
種族:人間
性別:女
年齢:14
レベル:5→15
通称:『さっちん』
備考:世界最高峰の『恐怖』に立ち向かったことで、本来の限界を突破。レベル+10