終わりが見えた気がした……ので多分続かない一話だけの短編集より分離です。
プロローグ
巨大な宇宙船の中。二人の科学者が話していた。その周りでは、多くのロボットが働いている。
「私の手がけたレスキューロボがデザイン部門で一位になった? あの、システム含め全て日本制にしろだの、車から変形させろだの、忍びの服を着せろだの、さんざん手こずらされた案件か。まあ、研究用に惑星一つ貰ったのだから報酬は十分だったが」
初老の科学者が、若い女性の科学者に、眉を寄せて問い返す。
「それを本当にやり遂げてしまうのがドクターですよね。お陰で純日本制の、日本らしいレスキューロボが出来たと大変な喜びようでした。アニメ化も決まったとかで……写真見ますか?」
若い科学者が写真を差し出す。
「見せてみろ。……どこの国の科学者も、苦労しているな」
そこにあったのはロボットのコスプレだった。ヒーローの格好をしたアメリカのレスキューロボ、ドクターの格好をしたドイツのレスキューロボ。その横に、ずらりと機能一覧が並んでいる。無駄に高性能だった。
「安心して下さい。レスキューロボに服を着せたのはその三国だけです」
「そう願う。まあ、気分転換にはなったな。残りの案件を片付けてしまうぞ」
研究所を無人惑星に移した際、様々な事が許可された。まず、居住惑星では決して許されない危険な研究が七割、違法研究が五割も許可される。そして、守秘義務を守る事と引き換えに、各種企業の商品の製法の六割が開示・使用の許可を受けられる。
地球と遠く離れ、なおかつ地球と同じような生活をする為だ。
日本政府が、その研究所に大きな信頼を与えている証拠であり、研究所に全てを自分で何とかしろと言っている証拠でもあった。
その為研究員達は、その知識や技術を覚えるのに躍起になっていた。
ちなみに、この宇宙船では、その居住惑星では決して許されない危険な物質を乗せているので、万一があった時の為に乗員はその科学者二人だけだった。
「ドクター。その『研究者の食事』って商品、確か一年三六五日、一日五食、計一八二五食ありますよね。製法を全部覚える気ですか?」
「当たり前だろう。『研究者の食事』なくしてワシは生きていけんぞ。積み荷分の三年以内に完成させなくては。最優先事項だ」
「老体にはそろそろきついですよ。半分劇薬じゃないですか。私の手料理じゃ駄目なんですか」
「そこが良いんだ。君の料理はうまいのだがね。人間たまにはジャンクフードを食べたくなるものなのだよ」
三六五日、五食はちっとも「たまに」ではない。この老科学者は、間食する事はあっても、一食たりとも「科学者の食事」を食べ逃す事は無かった。若い科学者はため息をついて、農作物の作り方に目を落とした。
トップである老科学者が我が道を行く以上、補佐の自分が率先して生活できるようにしていかねばならない。健全な食生活に導いて見せると決意して。
若い女性科学者は、年の離れたその科学者が好きだった。
今も、女性の担当する危険な物質を運ぶのに同行してくれている。最高責任者として当然の事だと老科学者は言うが、とても出来る事ではない。
せっかく二人きりなのだし、思い切って告白してしまおうか。
若い女性科学者が口を開いたその瞬間、光が宇宙船を覆う。
二人の科学者は、光を認識したその瞬間に命を失った。
受付で、若い女性が困ったように眉を顰める。その向かいには、精一杯背を伸ばした男の子が大きな紙束を抱えていた。
「ぼく、えーと……何て読むのかな? あ、その紙は貰うね」
女性が、大きな紙束を受け取った。男の子はほっとした様子で答える。
「かぐら、まお」
「神楽、真老くんね」
受付の若い女性が、書類を確認する。全て、整っている。
「真老くん、特許の申請はともかく、審査にはお金がいっぱいかかるんだけど、大丈夫?」
「なんとか足りたので心配はいらない。母にも話してある。国際出願でお願いする」
そう言った真老に、受付の女性は困ったように頷いた。子供が特許申請する事は、稀にある。しかし、この内容は些か難しすぎやしないか。この内容は本当なのか?
……それも、調査すればわかる事だ。とにかく、受付の女性はルール通りにその書類を受け付けた。
大手製薬会社が真老にコンタクトを取って来たのは、その二年後だった。
恰幅のいい礼儀正しそうな男が、大きな書類カバンを持って真老の家を訪ねてきたのだ。
「真老くんはいますか?」
いかにもどこにでもいる感じの女性……真老の母が、怪訝そうに答えた。
「もうすぐ学校から帰ってきますが……」
そこへ、ランドセルを背負った真老が学校から帰って来て、恰幅のいい男性を見上げた。
「ああ、ようやく来たか。契約金は一億千二百六十万だ」
その言葉に、二人は目を丸くした。
「一億はちょっと多すぎないかな、真老くん」
「ちょ、ちょっと、どういう事なのかしら?」
恰幅のいい男が宥めるように言い、母は真老を問い詰めた。
真老は全く動じない。靴を脱ぎながら、何事も無いように言った。
「特許申請が五百六十二件あるからな。パソコンも一台欲しい。それと、出願手続きが終わったら、作ってもらいたい物がある。ただし、この契約に限っては売上からのマージンには目を瞑ろう」
「五百六十二! あ、あれと同じようなものが後五百六十二件と言う事かい?」
「母よ、お茶を出してくれたまえ。さあ、上がりたまえ。話をしよう」
スタスタと中に入る真老。それを、真老の母は慌てて追いかけた。
ほどなく、お茶の用意は整った。
「私は、『科学者の食事』と言う商品の開発を目指していてね。それは一日五食、三六五日、計一五七五食分となるのだよ。それに使われる特許が計五六三件と言うわけだ。しかし、この国の特許システムは面倒だね。特許を申請するとインターネットで公開されるから、特許を気にしない者達には盗まれ放題。特許を申請しないでいると、他の者が開発した時に権利を奪い取られてしまう。それどころか、既存の技術でも特許申請するとその者に独占されてしまうのだからね。でも、私はどうしても『科学者の食事』を、完全な形で食べたい。だから、苦労をして資料を調べ、洗い出したよ。その数が五六二と言うわけだ」
ずず、とお茶を飲み、落ち着いた様子で真老は説明した。
「まさか、これを君が考えたのかい? その『科学者の食事』、見せてもらえるかな?」
「冗談だろう。まだ特許出願もしていない物の資料をどうして人に見せられると言うんだね。それを見せるのは、特許出願の手続きを終えてからだ。それで、契約するのかね。しないのかね」
恰幅のいい男は、頭に計算を張り巡らせた。
「一つ聞くけど、契約を結べばその後の特許の契約も結んでもらえるのかな?」
「その後の契約金は売上から貰おうではないか。初期投資が特許料だけなのだから、安い投資だと思わんかね」
「わかった。今、契約書を書こう」
男は鞄を開け、サラサラと契約書を書く。
「ひ、い、一億……」
「母よ、話を聞いていたか。使い道が全て決まっているお金だ。無いのと同じだ」
真老は湯呑を置いて言い聞かせる。
「でも、真老ちゃん、一億、一億よ!?」
「母よ。それは私のお金だ。貴方のお金ではない」
言い含めると、母はおろおろとする。
「君、母がお金を使いこみそうなので、その契約金に経費と但し書きをつけてくれないかね」
「いいのかい?」
「無論だ。家にお金を入れる気はないではないが、最低限の研究費は確保しなくては話にならん。特許料とパソコンは必要だからね」
「わかったよ。パソコンの領収書は我が社に送ってくれれば、代金を口座に払うから。特許審査料については、出願が終わったら連絡してくれれば我が社が払おう」
「うむ。明日には連絡できると思う。日曜に技術者を連れて来てくれんかね。技術的な相談がしたい」
製薬会社の男は足早に出ていき、母はそれをおろおろと見送った。
真老は、早速立ちあがり、父のパソコンを立ち上げた。
「真老ちゃん? 何を申請したか、見せてくれない?」
「後にしてくれたまえ」
母は一所懸命に後ろから伺うが、息子の添付するファイル名だけでも既に難しそうだった。
真老はその日いっぱいかかって、全てのデータを送信。
スキャナでデータをプリントアウトし始めた。
無論、真老の母にはそのデータの意味はわからない。ただ、何かレシピのような物が混じっているのは理解できた。
土曜日、真老はパソコンを買いに行って、父のパソコンから全てのデータを移動した。
日曜。真老の両親は、揃って製薬会社の技術者を待った。
「ごめんください、栄登誓約のものです」
「ごめんくださーい」
小さくはないが、決して大きくもない真老の座敷は、五人ものお客で一杯になった。
「私、栄登誓約の開発研究チーム主任の木田と申します。これ、名刺です」
「は、はぁ……」
両親は名刺をしげしげと眺める。
「早速話を始めよう。諸君には、『科学者の食事』一日五食を三六五日分毎年私の家に届けて欲しい。これがそのレシピだ。市販する者は調合を変えてもいいが、私の食事だけはそのレシピ通りにしろ。特許出願は既に終えてある。こちらの書類が出願した特許だ。よければ諸君も、特許の取りこぼしがないか確認して欲しい。それで得た利益は6%ほどくれればそれでいい。1%が父の口座、5%が私の口座だ」
木田は書類を手に取り、驚きながらもそれを辿っていった。
「これは……子供が、こんな事を思いつけるはずがない……」
「そ、そんなに凄いんですか」
父が恐る恐る問いかける。
「全く新しい調合ですよ!」
「ああ、夢で見たのだ。夢で見たもので儲けるのは申し訳ないが、それでも私は『科学者の食事』を食べたくてね。研究費も欲しいし」
真老はにっこりと笑う。そう、前世という泡沫の夢で。真老は生まれ変わった事を理解していた。あの船で運んでいた危険物質が爆発してしまったのだろう。生まれ変わった先が遥か古代の地球だと言う事にも驚いた。しかし、すぐにそれはどうでも良くなっていた。
「科学者の食事」。それを食べなければ、真老の一日は始まらず、終わらない。
これが無ければ研究も手に着かない。まずは、「科学者の食事」を用意する。その為に歴史が変わろうが、構うものか。そしてそれで資金を稼ぎ、研究環境を整えるのだ。
真老は、そう決めていた。
真老が考え込んでいると、その思考が木田の声で中断される。
「夢? まさか……。いや、どこかで見たとしても、その時は審査に引っ掛かるか。しかし、これは子供には刺激が強すぎるんじゃないかな? 我が社で売ってる栄養ドリンクに匹敵……いや。その上を行くかも……」
「構わない」
「真老ちゃん、一日五食って、ご飯はどーするの?」
「わからんかね?」
それを聞き、母は口を尖らせた。
「駄目よ、真老ちゃん!」
「お上品な食事など、もう真っ平なのだよ! 私は今すぐにでも『科学者の食事』に切り替えたいぐらいなのだ。食事ぐらい好きにさせてくれたまえ」
真老が生まれて初めて荒げた声に、母は目を丸くする。
「わかった。とにかく契約は契約だからね。この通り作ってみよう。ただし、販売は早くて一年後だよ? 国の安全審査も受けないといけない物があるしね。最悪三年掛かるかも」
「私の所に届くのは」
「半年後には、用意しよう。じゃあ、契約成立だね」
そして木田は真老と握手し、父と母への説明に移った。
木田の部下が真老に説明するので、答える。
半年後、真老の元にようやく科学者の食事が届くようになり、真老は大いに安堵するのだった。