ギメド『竜と錬金』のギルドスペースは、常ならば活気に満ちた空間なのだが、やはり今日はギルドイベントがあった翌日ということもあってか、どこか閑散とした雰囲気である。
いつも、その無秩序な内装に負けないほどに賑やかな声が響いている『広場』にも人はまばらで、その人々も各々好きに寛いでいるせいで、ゆったりとした空気が流れていた。
大きなイベントが終わった所為か、どことなく気の抜けた様子のギルドメンバーに、小さく挨拶をしながら、スイは目的の人物を探して広場をうろついた。
大抵は『広場』の何処かで小難しい顔をして考え込むか、はたまた本を読んでいるか、のその人物は、今日は意外な事に談笑中だった。
話しかけていいものやら迷いつつ、スイは二人をしばらく見つめていた。
が、そのうちに二人ともがそんなスイの様子に気づいたらしく、小さく手を振って彼女を呼び寄せる。
「スイちゃん、どうしたのお?」
「何かあったか?」
談笑していたリュウザキさんとソーヤさんから、一転して真剣な眼差しで問い詰められた。
そんなに分かり易い顔をしていただろうか。
それとも、彼女達が特別に聡いのか。その両方、という可能性も捨てきれないが。
「あの……、ミルネリアさんのことで、少し」
小さく呟くように言った私の言葉に、二人の空気は一気に硬直した。
ソーヤさんの眉間の皺が普段の三割り増し深く刻まれ、リュウザキさんは困ったように眉を下げた。
折角楽しそうな雰囲気だったのに、本当にすいません。
そう思いながらも、やはり伝えるべきことは伝えなくてはいけない。私は重くなる口を無理にこじ開けつつ、二人にハリスさんの話と、私の考察を伝えた。
「それで、そのMPKしたっていうのが、多分ミルネリアさん達で……、その後にフォローしに行ったっていうのは、クロミネさんの事だと思うんです」
「……なるほど」
ものすごい低音で、ソーヤさんが応える。
また頭痛の種が増えてしまったようだ。つい昨日のイベントでの、楽しそうな彼女の姿を見ているだけに、胸が痛い。
「ていうか、ものすごく性質悪いわね」
「……ああ」
リュウザキさんは、ほとほと呆れ返った、とでも言う様に嘆息しつつ、きっぱりと言い切った。まだ確証のない話なのだが、日頃の行いの所為だろうか。
どうにもすんなりとミルネリアさん達の行為は「事実」として受け止められてしまったようだ。
「でも、あの……証拠はない話です。ただ、もしかしたら事実かも知れないので……」
「分かっている、大丈夫だ。この話を盾に退会を迫ったりはできないだろうしな」
私が付け足すと、ソーヤさんは小さく頷いて言った。
やっぱり退会させたいんですか、サブマスター的には。しかしそれもまた、むべなるかな。
次から次へと降って沸くミルネリアさん関連のゴタゴタに、ソーヤさんは相当気力を消費しているに違いないのだ。
「それに、実はこの手の話を聞くのは初めてではないんだ。以前にも、似たような噂が立った事がある」
「ああ、あったわねえ」
「その時にも、決定的な証拠が無かった所為で、注意する程度の事しか出来なかったが。しかし、こう何度もきな臭い噂が出るのは、やはり問題だな」
ソーヤさんは苦渋に満ちた顔で唸った。
全くもってお気の毒である。それにしても、ミルネリアさん達には随分と黒い噂が付いてまわっているようだ。
「そんなに、何度も騒ぎになったんですか?」
「騒ぎになった……というよりは、騒ぎになる前に巧妙にもみ消されていた、という方が正しいな。その所為で、当事者も曖昧でいまいち問い詰める事ができなかったんだ」
聞けば聞くほど、根が深そうな話である。
“混沌の迷宮”でソロ修行に明け暮れていた私は、ギルド事情にあまり明るくない。
初めて聞いた『竜と錬金』のギルドの内情は、思ったよりも暗雲が立ち込めているようだ。
自然と暗くなった場の雰囲気を打ち消すように、リュウザキさんが明るい声で問いかけた。
「ていうか! アタシ的には元ウチのギルドメンバーっていう情報提供者のほうが気になるわあ。一旦引退して、復帰したって事はもう名前も違うのかしらねえ?」
「あ、それは言ってました。あと、ソーヤさんにでも連絡とってみるって」
リュウザキさんは、どうやらハリスさんの事が気になるようである。
ハリスさんは、元々育てていたキャラクターを消して引退し、その後に作り直したキャラクターでプレイしているらしいので、恐らく名前も当時のものとは違うのだろう。
更に言うのならば、きっとジョブも違うはずだ。
前衛アタッカーのハリスさん、というのは想像しづらいが、頭脳系支援職であればどれも大体似合いそうな気がする。
今度、引退前には何をやっていたのか聞いてみよう、と思いつつもソーヤさんを伺う。
「そうか。いや、ありがとう。知らせてくれて助かった」
ちっとも助かっていない表情で、ソーヤさんは私を労った。
どこか固い決意を覗かせる彼女の灰色の瞳が、鈍く光る。
正直な所、私はソーヤさんにこの話をするべきか、否かを今の今まで迷っていた。
何しろ、MPK騒ぎに、サブマスターの暗躍に、常から頭の痛いミルネリアさんまで関わって(むしろ彼女がメインのような気もするが)いるのである。
話がややこしくなる要素が揃いすぎていた。
「とりあえず、その元ギルドメンバーからの話も聞いてから、クロミネと話し合ってみよう」
「あら、大丈夫なの? あの子、ちょっと捻くれてるから、正攻法で言っても意地になっちゃうと思うわよ?」
「…………クロミネを、そんな風に表現するのはお前くらいだろうな」
リュウザキさんは、ソーヤさんの呆れたような眼差しにも全く動じずに「だって本当だもの」と澄まして言った。
どうやら、リュウザキさんはクロミネさんに、色々と含む所があるようである。
「とにかく、サブマスター同士がいがみ合っていても仕方ないからな。どういうつもりであの問題児と取り巻き連中を庇うのか、とことん聞いてみよう」
「……うーん」
ソーヤさんの前向きな提案にも、なんだかリュウザキさんは浮かない顔だ。
やはり、リュウザキさんだけが知っている何かがあるのだろうか。
俯きがちな彼女の薔薇色の頬に、桃色の髪が覆いかぶさって、まるで桜の花びらに溺れているかのようだ。
なんとはなしに切なげ、かつ苦しげな表情をしたリュウザキさんは、やがて搾り出すように言った。
「あのね……、ほら、リョウも言ってたでしょ? ”ゲームは楽しく”って。口癖みたいにいつも言ってたから、私たちにもいつのまにかうつっちゃったじゃない……」
「ああ」
ソーヤさんが、どこか懐かしむかのように宙を見やる。
現在はダイブしていないギルドマスターさんではあるが、やはりその影響力は根強いようだ。
初めて会った時にソーヤさんが私に言った言葉も、元は彼の口癖だったらしい。
どんな人だったのかなあ、と思いを馳せていると、リュウザキさんは囁くように続けた。
「そう、なんだけどさ。実際このゲームってゲームだけど、偶にリアルよりもいいなって思う時があるのよね。アタシだって、リアルじゃゴツい男の身体してるけど、ここじゃこんなにキュートでしょ?」
「……ああ」
リュウザキさんは茶化すようにウィンクしたが、それでも彼女の真剣な雰囲気は変わらない。
ソーヤさんも、どういった反応をしていいのか分からなかったらしく、ただ頷き、続きを目で促した。
「それでね、アタシ、前にちょっとだけ、クロミネにリアルの事、聞いたことがあるのよ。……あの子、なんていうのかしらね、リアルじゃ割とコンプレックスの塊みたいなのよね。
“人から頼りにされる自分”に、今もの凄く酔っちゃってるんだと思うの。ミルネリアがどうとかより、あの子の行動の指針はそこなんだと思うわ」
「だが、クロミネはサブマスターだろう? ギルドマスターがいない今、ギルドで頼りにされる存在の筈だ。が、奴は結局の所、あの問題児を選んだ。違うか?」
リュウザキさんは目を伏せて、一気に言い切ると、小さく息をついた。
彼女の言葉に、ソーヤさんは納得いかない、というように問い返す。
どちらも、どことなく苛立っていて、かつなんとはなしに寂しそうである。
「……ちょっと違うわね。いいかしら? もう一度言うけど、クロミネはね、コンプレックスの塊なのよ。あの子の中では、”サブマスターとして頼られている”のは、自分じゃなくソーヤなのよ。実際そうでしょ? ギルドメンバーは大抵ソーヤの所に問題持ち込むじゃない」
「だが……」
「そこ行くと、ミルネリアはクロミネを一番に頼るでしょ? 嬉しかったんでしょうね、あの子。随分いろいろと世話焼いてるみたいだもの。余計なお世話でもあるけど」
畳み掛けるように言ったリュウザキさんに、ソーヤさんの反論はかき消された。
まだ得心がいかないらしいソーヤさんは、小さくため息をついて首を振る。
……ソーヤさんには、確かに分からないかもしれない。
私は二人の言い合いを見ながら、心の中で呟いた。
ソーヤさんには分からないのだろう。誰かに頼られる、という甘い蜜の味は。
それは彼女の天分であり、人が望んでもなかなか得ることの出来ない美徳である。
しかし、世の中はそこまで出来た人間で構成されていないのだ。
「……私には、理解できないな。自分を信頼しているギルトメンバーを裏切ってまで、あの問題児の尻拭いをすることを選ぶなど。考えもつかん」
「ソーヤは、それでいいのよ。多分ね」
きっとクロミネさんも、ギルドのサブマスターとして頑張っていたのだろう。
だが、サブマスターとして頼られているのは、私も知っている通りソーヤさんである。
色々と鬱屈がたまってしまう気持ちは、分からないでもない。
嫉妬や妬み、という感情は抑えようとして抑えられるものではないのだ。
元より”コンプレックスの塊”だったというクロミネさんなら、それは尚更だろう。
だからと言って、ミルネリアさんを甘やかす、というのは少し違う気もするが。
「ともかく、一度情報を確認して、クロミネと膝を詰めて話してみよう。スイ、ありがとう。迷惑を掛けてすまなかったな。昨日のイベントでも彼らと揉めたと聞いた」
「そね、レイズがなんとか言ってたわ」
白い髪を神経質に整えたソーヤさんが何かを断ち切るように、そう言った。
灰色の瞳を伏せ、小さく頭を下げた彼女は、やはりどこまでもサブマスターである。
「気にしないでください。……その、厄介事持ち込んじゃってすいません」
私も、ソーヤさんに合わせるように頭を下げる。
大きなイベントがようやく片付いたというのに、またもや頭の痛い問題を彼女に押し付けてしまったのだ。ものすごく申し訳ない。
彼女自身にも”このゲームを楽しんで”もらいたい、等と思っているのに、私ときたら結局ソーヤさん頼りのソーヤさん任せである。
「いや、構わない。気にするな、スイ」
少しだけ緩めた声色で囁くと、ソーヤさんは立ち上がり、広場を去っていった。
「スーイちゃん」
「……っ! な、なんですか、リュウザキさん」
足早に去る彼女を見送りつつ考え込んでいると、いつのまにかリュウザキさんのアップが迫っていた。
いくら可愛らしくとも、こうも間近で見ると中々に心臓に悪い。
「何考えてたのお?」
「ええっと……ソーヤさんとクロミネさんのことです」
なんだか誤魔化す気も起きず、素直にそう告げると、リュウザキさんは小さく笑った。
「……あの二人、性格は正反対だけど、その分バランス良かったのにね。なんでこんなになっちゃったのかしら」
「…………」
どこか自嘲気味にそう言ったリュウザキさんは、今までで一番寂しそうだ。
つい最近加入した私には知りえない、彼らの歴史に、私までなんだか切なくなってしまう。
今は袂をわかってしまったらしい二人だが、それまでは一緒にこのゲームを楽しんでいたのだろう。
「正直アタシ、クロミネの気持ちも分からないでもないのよ。リアルじゃ無理ならせめてゲームの中でくらい、って気持ち。リアルのアタシじゃ、いくら可愛い服着ても可愛くならないんだもの」
クロミネだって、ゲームの中でくらい、自分を一番に頼ってくれる人が欲しかったんでしょうね。
リュウザキさんの呟きは、かつて無いほど弱弱しく、切なげに響いた。
「でも……だからって、やっちゃいけない事って、あると思います」
「うん、そうよね」
クロミネさんのリアルは知らないが、例えリアルでどれだけ不遇であったとしても、ゲームの中で好き勝手していい訳はない。実際は、好き勝手しているのはミルネリアさんの方だが、それを助長している彼もまた、ある意味同罪である。
そう考えていた私の気持ちは、リュウザキさんの寂しげな横顔だけで、潰れてしまいそうになるが、なんとか堪えて、言葉を紡ぐことに成功した。
「クロミネさんが、リアルで酷い目にあっていたとしても、それを関係ないゲームに持ち込むのは、違うと思うんです。
……リュウザキさんだって、もっと可愛い外装にできたかもしれないのに、違法パッチとかは使わなかったじゃないですか」
「そうねえ。……でも、それってちょっと酷いわよ、スイちゃん。アタシは今でも十分可愛いわ! それに、もしかしたらもう使ってるかもよ?」
リュウザキさんは少し怒ったように、しかしどこか悪戯な微笑みを貼り付けて言った。
どうやら、少し気分は浮上したみたいだ。
「リュウザキさんは、そんなことしませんよ」
「スイちゃんに分からないだけで、してるかもよ?」
言い切った私に、彼女はどこかからかうように、口元を吊り上げてこちらを見つめる。
どこか挑戦的なリュウザキさんに、私は内心戸惑いつつ、けれど本心をそのまま口にした。
「リュウザキさんはそんな事しないし、もしそんな事してたら全力で止めます。違法パッチ使用でアカウント停止された、なんて理由で大事な友達を失くすのは嫌なので」
「……スイちゃんって、たまーにもんの凄く可愛い事言うわよねえ」
私の言葉に、リュウザキさんは驚いたように目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
やっぱり彼女には、この底抜けに陽気な笑顔が良く似合う。
照れ隠しらしい頭突きは少し痛かったが、なんとも幸せな気分で、私も笑った。
にこにこと笑い合っていると、音も無く忍び寄った誰かに、いきなり抱きすくめられた。
「――――っ!」
「スイちゃん、何してんの?」
「……アタシと楽しくお話してる以外にどう見えたのか教えて貰いたいもんだわ」
案の定、私に抱きついてきたのはレイズさんだったらしい。
相も変わらずスキンシップの激しい人である。腕の中でもがいていると、ますます強くホールドされる。
「ジタバタされると、ますますやりたくなるよね、こういうのって」
「……知りませんよ、そんなの。いいから離して下さい!」
「あーもう、いいから離してあげなさいよ、レイズ」
必死の攻防と、リュウザキさんの援護のおかげで、私はようやくレイズさんの腕の中から抜け出した。
下手な戦闘より体力を使った気分である。
「んで? 二人して何の内緒話? スイちゃん、俺の情報収集なら、俺に聞いてくれればいいのに。大丈夫、スイちゃんのお誘いなら断ったりしないよー」
「馬鹿なこといってんじゃないわよ、アンタの話なんかする訳ないでしょ」
そんなに照れずに、もっと素直になって欲しいな。
レイズさんは、リュウザキさんのキツい眼差しにもめげずに、私の手を握って囁いた。
相も変わらず、なんというか、調子のいい人である。
そう思いつつも耳元で囁かれた言葉に、なんだか動揺してしまう。
変なフェロモンを持ったレイズさんに言われると、たかがゲームの「お誘い」であるにも関わらず、妙に生々しいのだ。
「……えっと、クロミネさんの事を話してたんですよ」
「えええ、何それ、浮気? 俺ショックで泣きそうだわー」
よよ、と泣き崩れるふりをするレイズさんは、今日もちょっとだけ鬱陶しい人である。
「まあ、それは冗談にしてもさ。クロミネって、今はあんなんだけど、頼りになる奴だったんだよなあ」
「そうね。ソーヤとかリュウとかは二人とも一般人とはちょっとズレてたから、クロミネがいい緩和剤だったわ」
「いいトリオだったよなあ。バランス良くてさ。リュウが居なくなってからも、ミルちゃん来るまでは上手くやってた筈なんだけど」
リュウザキさんとレイズさんが語る、私の知らないクロミネさんは、なんだかとてもいい人のようだ。
昨日のやり取りでもちらりと伺わせたが、やはりクロミネさんは元々は常識的なプレイヤーさんだったらしい。
「ソーヤは、自分が出来るプレイヤーだから、出来ない人間に対してちょっと冷たいのよね。まあ、どっちかっていうと、どうして出来ないのか理解できない、って方が正しいんでしょうけど」
「ああ、あるある。ソーヤはなんかちょっと神経質で完璧主義のとこあるもんな」
「それは……ソーヤさんのいいとこだと思いますけど」
私が口を挟むと、二人は揃ってやれやれ、とでもいうように首を振った。
なんだか馬鹿にされているような気がして、ちょっと腹が立ってしまう。
「ま、ね。ソーヤのいいとこでもあるし悪いとこでもあるのよ。そのへん」
「実際ついていけないってメンバーも結構いたしな。その辺は、クロミネが上手く調整して、フォローしてたからなんとかなってたんだけど」
……そう言われると、なんだか納得してしまう。
ソーヤさん自体が化け物じみたプレイヤーであるが故に、他人に求めるハードルも高くなってしまうのだろう。実際、私に出された課題も中々に無茶な内容だった。
それについていけない、というギルドメンバーだって、きっといたのだろう。
「ほんとに、わりと理想のコンビだったわよね。クロミネ自身は、リュウやソーヤほど強くなかったけど、その分ちゃんと周りが見えてたから、フォローも上手かったし」
「……だよなあ。ほんとに、今は周り見えてないもんな、あいつ」
しみじみと語り合う二人を見ていると、なんだか私も切なくなってしまう。
今はちょっと揉めているサブマスター達の、在りし日の光景を私は知らないが、話を聞く限り確かに良いバランスを保っていたのだろう。
それが、どうして、こんな風になってしまったのか。
願わくば、もう一度二人のサブマスターとギルドマスターが率いる『竜と錬金』を見てみたいものだ。
そんな風に考えながら、私は今回の話し合いによってソーヤさんとクロミネさんのわだかまりが無くなることを祈った。