「スイさん? 今大丈夫ですか?」
ぼんやりと宙を見つめながら思考の海に沈んでいた私を、現実に引き戻すかのように、懐かしい声が響いた。
「え……え? ハリスさん? お久しぶりです」
「お久しぶりです、なんだか”戦いの時代”にいらしているみたいですけど」
「あ、はい。今ギルドイベントが終わったとこです」
突然の囁きTELLの相手は、なんともお久しぶり、の元「文官」ハリスさんだった。
そういえば、彼は”戦いの時代”で参謀をしているらしい。
私が戦いの時代に来ていたことを知って、連絡をくれたのだろう。
「おや、ギルドに加入されたんですか? おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「久しぶりですし、折角だから何かご馳走しますよ」
ソロプレイ脱出のお祝いに、とハリスさんはからかうように言った。
微妙に腹だたしく、かといって怒るに怒れない言葉運びは、紛れも無く彼独自のものである。
「いいんですか?」
「ええ、このあとご予定がないのでしたら」
私がTELLを貰ったことが分かったのだろうか。
パーティーメンバーの皆さんが、どことなく心配そうにこちらを見ている。
とりあえず、害意のない相手からのTELLだと伝える為、にこにこと笑いながら言う。
「”戦いの時代”にいるフレンドから、お誘いがあったんですよー」
「スイちゃんが、まーた攻撃TELLにあってるのかと思って、心配しちゃったよ」
「ああ」
レイズさんがおどけたように笑うと、場の空気が一気に和やかになった。
ちょっぴり鬱陶しい人ではあるが、貴重なムードメーカーである。
「せっかくだから、行ってきたら?」
「気分を変えるのも、いいと思うぞ」
口々にそう言ってくれた皆さんのお言葉に甘えて、私はハリスさんのお誘いを有難く受けることにした。
手を振って皆さんとお別れをし(なんとパーティーメンバーとはフレンド登録をして頂いた!)、私は”フライト”でもってハリスさんとの待ち合わせ場所である、”戦いの時代”のゲートへ向かった。
「ハリスさん!」
「やあ、スイさん。ジーク・眼鏡!」
「……なんですか、それ」
久しぶりに会ったハリスさんは、相変わらず美青年だった。
トレードマークでもある眼鏡には、キラキラと輝くチェーンが下げられていて、なんだか一気に”参謀”の雰囲気が出ている。
装備も、以前のような中世貴族ルックから、軍服のようなスーツ(に近い形の、より複雑な構造の服)姿で、これまた女子受けの良さそうなスタイルである。
きっと戦場でもきゃーきゃー言われている事だろう。
「流行らせようと思って、私の部下には強制的に行わせている挨拶です」
「……やめてあげましょうよ」
……もしかしたら、あまりきゃーきゃー言われていないかもしれない。
ハリスさんは、相変わらずちょっと変な人だった。
折角美形なんだから、あまり奇矯な振る舞いに及ぶのは控えてもらいたい。
ハリスさんにときめいてしまった女子の、幻想を打ち砕かれた嘆きが聞こえてくるようである。
「まあ、それはともかく。……本当にお久しぶりですね、スイさん」
「はい。ハリスさんも”参謀”クラスは順調みたいですね、おめでとうございます」
部下を持っている、ということは、ハリスさんは既に一番下の”小隊参謀”からは抜け出したのだろう。
まあ、ハリスさんがいつまでもそんな所で燻っているとは想像していなかったが、それにしても凄い出世速度である。
「ありがとうございます。スイさんも、ギルド所属おめでとうございます」
「どうもです。ついにこのローブにも、ギルドマークが入ったんですよ!」
ハリスさんがにこにこと笑って私のギルド加入を祝ってくれたので、私も嬉しくなって、ローブの端をつまんでギルドマークを指し示す。
と、私のギルドマークを覗き込んで、ハリスさんは少し顔を曇らせた。
「スイさん、……いえ、食事にしましょうか」
何か言いかけたハリスさんは、そのまま言葉を飲み込み、私を促した。
何がなんだか分からないが、ともかくも、彼に促されるまま、私達はゲートから移動を始めた。
“戦いの時代”においての戦争とは、二つの軍が一つの土地を奪い合う為に行う争いの事である。
時間や参加人数、プレイヤーのレベルやスキル等、様々に制限された「戦場」において、より多くのプレイヤーを倒し、敵の拠点にダメージを与えた方が勝利し、その土地を得る。
他の時代ではできないPK(プレイヤーキルの略で、プレイヤー同士の殺し合いの事)ができるため、対人戦が好きなプレイヤー達がシノギを削る時代だ。
また、単純な力押しや個々人の技量の他に、陣の形や人員の配置も要になるため、頭脳戦が好きなプレイヤー達も数多くひしめいていた。
その分クエスト等の要素が薄いが、やはり人と人とのぶつかり合う「戦いの時代」は活気に満ちて、かつどこか危険な空気を漂わせている。
スイ達は、中立地帯の都市の喫茶店で食事を取ることになった。
ハリスは既に軍に所属していた為、その軍の占領地域、もしくは本国にしか移動することができず、かといって軍に所属していないスイは、軍の拠点になるような場所には移動できなかった為だ。
"戦いの時代"の地理やシステムに疎いスイは、ハリスのその説明をいまいち理解し切れなかったが、とりあえず彼の案内に従ってその喫茶店に向かう事になった。
喫茶店「プリンセス」よりは格段に喫茶店らしい、その店は、しかしこちらも喫茶店と言い切るには難しかった。
どちらかといえば、古きよき酒場のような雰囲気のある、年季の入った佇まいである。
キイキイと鳴る、厚い木製の扉を開けると、飴色のテーブルと、椅子の代わりに置かれた樽が所狭しと並んでいた。
時間帯を外しているらしく、店内には人影もまばらである。
バーカウンターで不機嫌そうにグラスを磨いていたバーテンは、低い声で呟くようにいらっしゃい、と囁いた。
まるで古い西部劇のワンシーンのようだ。
「さて、何にしましょうか」
「……ハリスさん、手馴れてますね」
「ここには良く来ますから」
どことなく柄の悪い空気にも、全く臆することなく、ハリスさんは言い切った。
喫茶店「プリンセス」といい、つくづく謎の多い人である。
「おすすめは、本日のパスタですね」
「ああ、じゃあ、私はそれで」
にこにこと微笑んだまま、ハリスさんはメニューを覗くともなく、さらりと言った。
どうやら、本当に通いなれているらしい。
「プリンセス」も、内装はともあれお味は非常によろしいお店だったので、ハリスさんが言うのなら間違いないだろう。
素直におすすめを選ぶと、ハリスさんは嬉しそうに笑った。
「じゃ、本日のパスタ二人前で」
「お願いします」
やたらと露出度の高いウェイトレスのお姉さんは、どこか気だるげに注文をとると、厨房の奥に引っ込んでいった。
樽型の椅子、というか樽は、最初のインパクトとは裏腹に、ごく普通に椅子としての機能を保っていた。すわり心地は正直良いとはいえないが、少なくとも、座っていられない、という程でもない。
薄暗い店内に、ぼんやりと瞬く照明は淡いオレンジ色をしている。
夜目遠目傘の内、では美しさが増す、と言うが、淡い光に照らされたハリスさんは、普段の三割り増しほど男前である。
憂いがちに考え込んでいるのが、尚更ポイントが高い。
「スイさん」
「…………は、はい」
考え込んでいたハリスさんが、ふいに私に呼びかけた。
うっかり美形に見惚れていたため、ちょっと反応が遅れてしまう。
「先ほどの……ギルドマークの件なんですが」
「あ、はい」
「スイさんは、初めて”暗闇の時代”にいらした時に、絡まれた四人パーティの事を覚えていますか?」
…………?
ギルドマークと、四人パーティの話がどう繋がるのか分からず、首を傾げる。
インパクトだけは強かった、あの弓使いさん達のことは、勿論覚えていた。
たまに街で見かける度に、気まずくなって避けていたので、余計に印象深いのだ。
「あの初心者パーティが、悪質なMPKにあって命からがら逃げ出したところだった、というのは?」
「覚えてます」
「実は、その時MPKを仕掛けたプレイヤー達は、スイさんと同じギルドマークをつけていたようです」
嘘だ。
と、一瞬否定したものの、ハリスさんが嘘を言っているようには見えない。
それに……心当りも、なくはない。
というか、十中八九、ミルネリアさんと彼女の取り巻きさん達の仕業だろう。
「ギルドマークは……、同じものは存在しません」
「はい」
「見間違いだったという可能性もあるにはありますが、ね」
ハリスさんはそう言うが、見間違う可能性は実質殆ど無いと言っていいだろう。
何しろ、『竜と錬金』のギルドマークは単純明快な図案なのだ。
大きく翼を広げた竜、それに賢者の石、どちらにしても見間違う、という事はありえないほど特徴的かつ分かり易い図柄である。
「彼らは、狩場がかち合ったという理由で、しつこく退去を要求されていたらしいのですが、それを無視して隅でこっそり狩っていたらしいんですね」
「…………」
「そうこうしているうちに、いきなりMPKにあった、という事らしいんですが」
その退去を要求したプレイヤー達のギルドマークが、スイさんのものとどうやら同じ物のようです。
ハリスさんは、どことなく怒ったように淡々と続けた。
私は、何と言っていいのか分からなかった。
ハリスさんの話によると、彼らの間では「ミル」「ミルちゃん」と言った名前が飛び交っていたらしい。
もう、間違いなくミルネリアさん達の仕業である。
その事実に、私は正直な所、驚きを隠せなかった。
確かに彼女とその取り巻きさん達ならそれ位はやりかねないだろう。
しかし、まさか本当にそんな行為に及んでいたとは思っても見なかった。
私はてっきり、ミルネリアさんがワガママや悪意をぶつけるのは、ギルド内に限ってのことだ、と思い込んでいた。
言い方は悪いが、ギルドメンバーはある意味「身内」だ。
ある程度気安くなるし、ワガママも多少は許される間柄だ(限度はあるが)。
しかし、全く関係のないプレイヤーにまで迷惑を掛けているとなれば、話は別だ。
言いたくはないが、酷く悪質な行為である。
「……スイさん?」
ハリスさんに、気遣わしげに覗きこまれても、私は答えることが出来なかった。
先ほどまで、「仕方ないな、可哀想な人なのかもしれないな」と思っていたミルネリアさんに、今は明確な嫌悪感を抱いてしまう。
「酷いですね、それ……」
「そうですね。四人パーティーの方には、後日お詫びがあったらしいですが」
クロミネさんだ。
何の確証もないというのに、私は勝手に決め付けてしまう。
だが、先ほどの私とのやり取りで見せた彼のお手並みからして、間違いないだろう。
ミルネリアさんに対するフォローが、妙に手馴れていた。手馴れすぎていた。
クロミネさんは、経験値の補填だろうが、賠償金だろうが、レアアイテムだろうが、どうにかする事は容易いレベルのプレイヤーである。
「お詫び」と称してそれらを行えば、初心者パーティーも、強くでる事はできなかったに違いない。かといって、それで全てが終わる訳ではないのだ。
弓使いさん達が、理不尽な理由でMPKにあった事も、ミルネリアさん達がそれを行ったことも、全部無かった事になる訳では、当然ない。
あの四人パーティーは、これからも狩場がかち合う度に、MPKの恐怖を思い出すだろう。
ミルネリアさん達だって、表立っては騒ぎにならなかったのだから、そうした行為をやめたりはしないだろう。やめるという発想すら浮かばないかもしれない。
何か底知れない、ふつふつとした怒りにも似た感情が沸いてくる。
上手く言葉にできないが、それは、やっちゃ駄目だろう。
例え、クロミネさんが本心からミルネリアさんを思ってした行動であろうとも、それはいけない。
本当に彼女の事が大事なら、もっと違うやり方があるはずだ。
本格的に黙り込む私を、ハリスさんは心配そうに見ている。
それに、大丈夫、とも気にしないでください、とも言えず、私はただ俯いた。
「これは……、言おうか迷っていたんですけど」
「…………」
下を向いている所為で、ハリスさんの表情は分からない。
分からないが、それでも声だけで、彼が本当に迷っていることが分かった。
彼が真面目に話す時の癖である、テーブルをこつこつと指で叩く仕草を、見るともなしに見つめる。
「実は私は、元『竜と錬金』のギルドメンバーだったんですよ」
「ええっ!?」
思いも寄らない告白に、俯いていた顔を上げると、ハリスさんは困ったような顔で笑っていた。
少しだけ伏せられた目はどこか寂しげで、嘘をついているようにも、冗談をいっているようにも見えない。
それに、彼は元々この手の冗談を言う性質の人ではない。
「一旦引退して、また復帰した訳なんですけどね」
「そうだったんですか……」
なんとも不思議な繋がりである。
暗闇の時代で私が一番初めに出会ったハリスさんは、実は『竜と錬金』の元ギルドメンバーで、私は『竜と錬金』の現ギルドメンバー、という事だ。
「私が居た頃の『竜と錬金』では不可抗力はともかく、故意のMPK騒ぎなんて絶対にありませんでした」
一体、今はどうなっているんでしょう、とハリスさんはどこか寂しそうに続けた。
きっとハリスさんが所属していた頃には、ミルネリアさんは居なかったか、もしくは今ほど花開いてはいなかったのだろう。
答えることが出来ずに、再度俯く私を、ハリスさんは責めなかった。
「そういえば、ソーヤは元気ですか?」
「……ふぁい」
黙り込んだ私たちの席に、先ほどの無愛想なウェイトレスさんが大盛りのパスタを運んできた為、一旦食事を取る事になった。
山盛りのパスタは大変美味だったが、何しろ量が多かったので、黙々と減らしていく。
キノコを飲み込みながら、ハリスさんの問いかけに応えると、おかしな発音になってしまった。
「彼女、まだサブマスターですか?」
「ですねー」
「リョウはダイブを休止してしまっているし……、やはり、彼女に話を通しておくべきでしょうね。それと、クロミネにも」
リョウ、というのは、ダイブを休止しているギルドマスターさんの名前である。
どこか懐かしそうにその名前を発音したハリスさんは、一転して気難しげに眉を寄せながら呟いた。
……クロミネさんともお知り合いなんですか、ハリスさん。
なんとなく、ついさっき知ったばかりの彼の情報をそのまま伝えるのは憚られて、私はパスタを飲み込むことで、喉元までせりあがっていた言葉を誤魔化した。
実はクロミネさんも、MPKの一件に関わっているかもしれません、なんて、珍しく気弱に見えるハリスさんに言えるわけがない。
「そうですね……、また、何かあった時の為にも」
「ええ、後で連絡をとってみましょう」
「私も、その、お話しておきます」
全く無関係、かつ罪の無いプレイヤーに(罪があればいいとう訳でもないが)、MPKを仕掛けてしまうような集団である。
そんな彼らに、ギルドの評判を落とされてはかなわないし、何よりも人のゲームを妨害するのはあってはならない事だ。
『竜と錬金』のギルドスペースでソーヤさんに言われた「我々と一緒にゲームを楽しんで欲しい」という言葉に少なからず感動した私にとって、そんな事態は非常に不愉快である。
無言でパスタを頬張りながら、私は密かに、初めてミルネリアさんとその取り巻きに敵意を燃やした。
「では、スイさん、お気をつけて」
「ご馳走様でした」
「いえいえ」
なんだかんだと、それなりに楽しく会食は終わり、ハリスさんと別れることになった。
前半は真面目かつ重い話題に終始してしまったが、やはり、久しぶりに会うフレンド、自分達の近況や噂話で思いの他盛り上がった。
特に、キールさんの騎士昇格で盛り上がったのは言うまでも無い。
「また遊びにきてください」
「はい」
ハリスさんはにこにこと微笑みつつ、手を振った。
私もそれにならって手を振り返す。
すっかり和やかな雰囲気ではあるが、私にはこの後、ちょっと憂鬱な仕事も待っている。
ソーヤさんに、ハリスさんから聞いた話を伝えなくてはならないのだ。
気苦労の多い彼女に、更に気苦労の種を持ち込むのは気が引けるが、致し方ない。
「じゃ、ハリスさん、ありがとうございました」
「いえいえ」
“テレポート”を発動させている途中で、ハリスさんの口が「ジーク・眼鏡」という形をとっていたのは、私の気のせいだろう。
いや、気のせいに違いない。つくづく色々と勿体無い人である。