「――――――!」
スイの耳元に、なんとも表現できない、悪口雑言が雨あられと降り注ぐ。
周囲をこっそりと見やると、敵意を持った眼差しの男性プレイヤー達がいつのまにかスイを取り囲むようにして佇んでいる。
恐らく、ミルネリアの取り巻き達なのだろう。
パーティーメンバー達も、その異様な雰囲気に気づいたらしく、無言のスイと微笑むミルネリアを気遣うように見つめている。
「ねね、スイちゃん、いいでしょ?」
「……でも、ほら、戦利品の分配はランダムって、ソーヤさんも言ってたし……」
なんとか、魔杖を渡さない方向に話を持っていこうと、スイはミルネリアの要求に反論を試みた。
が、その途端に囁きTELLの勢いは増し、それだけでスイの気力は見事に萎えかける。
パーティーメンバーだった、ソウタやカウス、そしてタカナシの面々は、どう口を挟んでいいのやら、といった様子で思案顔のまま成り行きを見守っている。
「うんうん、でもさ! スイちゃんが、ミルにプレゼントしてくれる分には、問題ないでしょっ!」
「…………そうだね」
どこまでもマイルール、なミルネリアの主張に重なるように、囁きTELLの内容も彼女に同意を示した。
彼女と彼らの言い分を直訳すると「お前が自分から渡す分には問題ねえんだから、とっととミル(ちゃん)に渡しやがれ」という事らしい。
しかし、スイとて、初めて納得のいく動きができたパーティープレイの、それも強敵を撃破して得た戦利品を、みすみすミルネリアに渡すのは嫌だった。
たとえ、自分も「売り飛ばして装備を整えよう」と考えていたとしても、である。
スイがどうしたものか、と考え込む間にも、囁きTELLは鳴り止むことなく続いた。
最初は単なる「僕らのミルちゃんが欲しがってるんだからさっさと渡せ」という内容だったTELLも、今では明確にスイ個人を攻撃する内容に変化している。
スイのジョブに対する批判や、容姿について、はては性格にいたるまで、どこにそんな気力があるのか、と驚くようなバリエーションで罵詈雑言を並べ立てていく。
「でも、ほら、確かにアイテムは分配って決まってたから、さ」
もはや、どうしたらいいのか分からず、パニック状態のスイを庇うように、ソウタがミルネリアにそう言った。
その言葉に、タカナシやカウスも、頷いて同意を示す。
「そうだな。……そんなにその魔杖が気に入ったのなら、スイさんから買い取ったらいいんじゃないか?」
「ああ」
タカナシの提案に、ミルネリアはあからさまに顔をしかめた。
それを見た周囲の彼女の取り巻き達は、今度はタカナシに攻撃対象を移したようだ。
スイの耳元近くでしつこく鳴り響いていた怒鳴り声は少し収まり、その代わりとでも言うように、タカナシが顔を歪める。
「……五月蝿い奴らだ」
自然に漏れた呟きのせいで、取り巻きたちのタカナシへの悪意を更に煽ってしまったらしい。
大きくため息をついた後、リングを操作して(おそらく彼らのTELLをシャットアウトする機能を使ったのだろう)、彼は小さく頭を振った。
「なになに? なんか揉め事? ていうかスイちゃん、俺の勇姿見てた?」
場の緊迫感を一気に削いで、レイズさんが颯爽と登場した。
ああ、普段ちょっと鬱陶しいとか思っててすいませんでした、レイズさん。
今の貴方は私にとって、かつて無いほどかっこよく見えます。
「揉めてないですよー」
「ああ、レイズ。スイさんと知り合いなんだっけ? ちょっと今、アイテムの分配で揉めててさー」
ミルネリアさんの発言を無視して、ソウタさんがレイズさんに話し掛けた。
美しい顔立ちを歪ませて、ミルネリアさんはソウタさんとレイズさんの両方を睨んだ。
非常に険悪な空気である。
「なんで? ランダムでしょ? 揉める要素なくない?」
「そうなんですけど……」
「うん、なんか、そのアイテム気に入ったから寄越せ、って言ってる人がいてさー」
カウスさんが控えめに、かつ穏便に事情を説明したかったであろう矢先、ソウタさんが割り込んで、どことなく棘のある状況説明を終えてしまった。
また、周囲の男性プレイヤーの一部から、背筋が寒くなるような殺気が飛ぶ。
と同時に、私に「お前が早くミルちゃんにアイテム渡さないからめんどくさい事になっただろ!」という趣旨のTELLがいくつか入る。
何故。理不尽である。
「それないわー。買取でもなく? いや、ないない」
「だよねー」
どんどん緊迫していく場の空気を感じ取っているのか、いないのか、レイズさんとソウタさんは和やかに笑いあった。
……レイズさんはもしかしたら天然なのかもしれないが、ソウタさんは、確実に分かっていてやっている気がする。
ともかくも、ミルネリアさんは黙り込むわ、TELLはますます勢いを増すわで、私はどうしていいのか分からない。
「そういう訳だからさ、ミルネリアさん。スイさんの魔杖が気に入ったなら、ちゃんと交渉して買い取るか、自力でドロップするまで頑張るかした方がいいよ」
ソウタさんは、そう言って、細い目を更に細めて笑った。
ほんわかとした空気をあくまでも崩さずに、ミルネリアさんに向かって確認するように小首をかしげる。
「……分かりましたあ」
私はおろおろとしているばかりで何も出来なかったが、どうやら話は着いたようである。
不機嫌さを隠しもせずに憤然とした様子でミルネリアさんは歩きさり、彼女の取り巻き達もそれに従って、何処かへと消えていく。
ようやくTELLも落ち着いてきて(それでもまだ二三件ある)、私はほっと一息つく事ができた。
「すいません、ありがとうございました」
「いやいや、スイさんが謝ることじゃないよー」
「実に災難だったな。いや、あれは酷かった」
パーティーメンバーに迷惑を掛けてしまった事を詫びつつ、お礼を言うと、彼らは一様に同情の眼差しを向けてきた。
元々、私がミルネリアさんのターゲットを上手く回避できていたなら、彼らを巻き込まずとも済んだのに、と落ち込んでしまう。
魔杖の確認は、ミルネリアさんが居なくなってからにするとか。
或いは、使わず売り飛ばすつもりであっても、装備する、と明言してしまうとか。
いくらでも遣りようはあったのに。
「やっぱりミルちゃんに絡まれたかー、スイちゃん、大変だったねえ」
「……大変っていうより、吃驚しちゃって。皆さんにもご迷惑をお掛けして、ほんとにすいませんでした」
レイズさんの、どこか人事な調子に、こっそり腹を立てつつも、もう一度パーティーメンバーに詫びる。
私も冷静さを欠いていたとはいえ、無関係な人たちを巻き込んでしまったのだ。
本当に申し訳ないなあ、と思いながら頭を下げる。
「いやいや、もうちょっと早く間に入ってあげられたら良かったんだけどねー。
スイさん、いきなり黙り込んじゃうから、心配だったよ。やっぱTELL凄かった?」
「口を挟んだだけの、こちらにも相当来ていたからな。当事者のスイさんが一番大変だっただろう」
ソウタさんとタカナシさんが、気遣うようにそう言うと、カウスさんも同意するように頷いた。
「うはー、やっぱすごいね、取り巻きのTELL攻撃。俺も一度やられたけど」
「レイズのは自業自得だよ。ミルネリアさんにナンパなんかするからだって」
どうやら、ミルネリアさんの取り巻きが攻撃的なTELLを送るのは、今に始まった事ではないらしい。聞いているだけでHPを消費してしまいそうなあのTELLは、ミルネリアさんに敵対行為をしたプレイヤーには必ず送られているのだろうか。
そうだとしたら、すごい気力である。
「ままま、後味悪くなっちゃったけど、お疲れ様」
「お疲れさまです」
ちょっと呆然としながら、考えていると、ソウタさんがにっこりと笑ってパーティーの面々に語りかけた。
全員でお疲れ様、を言い合い、にこにこと微笑みあう。
確かに、後味はちょっと(かなり)悪くなってしまったが、全体的に見れば、楽しいパーティーだった。
自分がほんの少し”赤魔術師”として成長の兆しを見せはじめていることも実感できた事だし。
パーティーメンバー+レイズさんで、ほのぼのと談笑していると、一人の男性プレイヤーが近づいてきた。
どうやら騎士クラスらしいそのプレイヤーは、甲冑の胸元あたりに『竜と錬金』のギルドマークを入れている。腰に差した精霊剣を見るに、恐らくは精霊騎士だろう。
長めの黒髪とマントをそよがせつつ歩いてくる彼は、きつめの目元が特徴的な凛々しい青年である。
「スイさん、か?」
「あ、はい」
パーティーでの動き方なんかを、タカナシさんやソウタさんに教わっていると、近づいてきた(多分)精霊騎士さんが、言葉少なに問いかけてきた。
なんだろう。
「先ほど貴方が手に入れたという、魔杖を売ってもらいたい。構わないだろうか?」
「なんだよ、クロミネ。ミルちゃんにでも頼まれたのか?」
「レイズ、お前には聞いていない」
精霊騎士さん改めクロミネさんは、ミルネリアさんに魔杖の入手を頼まれた取り巻きさんらしい。
…………”精霊騎士”の”クロミネ”さん?
どこかで聞いたことがあるキーワードである。
なんだったっけ、と内心首を傾げつつ、じゃれつくレイズさんを邪険に追い払ったクロミネさんと見詰め合う。
「ええっと……元々売るつもりなので、それは構いませんけど」
「ああ。このくらいでいいだろうか?」
そう言って、クロミネさんが提示した金額は、予想していた金額をかなり上回っていた。
これなら、新しいローブに、サークレットまで新調できるかもしれない。
なんとも有難いお話である。
ミルネリアさんの手に渡ってしまう、という事実に対して自分の中で燻る感情に目を瞑れば、これ以上はないくらいの取引だ。
「はい、よろしくお願いします」
「有難う」
……結局、現金の誘惑に負けた私は、クロミネさんのお話に有難く乗っかることにした。
どうせ、取り巻きさんたちのあの勢いからすれば、この魔杖だって遅かれ早かれ彼女の手に入ってしまうのだ。
それなら、せめて高く売れるうちに売り払ってしまった方が利口である。
「では、迷惑をかけてすまなかった」
取引を終えると、クロミネさんは悠然と歩きさっていった。
実に真っ直ぐ伸びた背筋が、見ているだけでも気持ちのいい、完璧なウォーキングである。
「……クロミネもなあ……」
「サブマスが女に狂っちゃ、ギルドの秩序も保てる訳ないよね」
――――思い出した!
精霊騎士の、クロミネさんといえば、ギルド『竜と錬金』のもう一人のサブマスターだ。
ソウタさんがどこかシニカルな微笑みを浮かべて言った言葉に、先ほどから引っかかっていた事がようやく思い出せた。
と、同時に、なんとなく遣る瀬無くなってしまった。
ソーヤさんが”除名”しようにも出来ない、と言っていた言葉の意味が分かった。
ギルドマスターならば己の判断一つで、”除名”を実行することができるが、サブマスターは「二人以上の」同意がなくては”除名”の実行はできない。
ギルド『竜と錬金』の現在のサブマスターは、ソーヤさんとクロミネさんの二人である。
先ほどの様子からして、クロミネさんがミルネリアさんの”除名”に同意するとは思えない。
取り巻きの面々は、「ミルネリアさんの為」に動いているのだから、彼女を”除名”すれば、ギルドの揉め事は一気に減るというのにも関わらず、”除名”することはできない。
彼女自身が脱退を希望しないかぎり、彼女がギルドから去ることはないのだ。
きっとミルネリアさんは今までにも、さっきのようなゴタゴタを巻き起こして来たのだろう。
そしてその度に、クロミネさんが密かに動いて、事態の沈静化を計っていたのだろう。
「サブマスター」の後ろ盾があるのなら、取り巻きさん達も図に乗るはずだ。
ソーヤさんが苦虫を噛み潰したような顔で「いっそのこと除名できれば」と言っていた気持ちが、分かるような気がする。
「俺らも最初はね、ミルちゃんなんとかしようって頑張ってはみたんだけどね」
「レイズは何もしてないよ。頑張ってたのは僕ら」
「……まあ、でも、やっぱり甘やかして大事にしてくれる方が居心地よかったんだろうね。
結局、取り巻き連中にちやほやされるのに慣れきっちゃってね」
しみじみと、ソーヤさんの苦労に思いを馳せていると、レイズさんとソウタさんが、漫才のようなやり取りながらも、真剣にミルネリアさんについて話し合っている。
「パーティー組んでつくづく分かったよ。全然成長してないね。色々アドバイスとかもしてたんだけど、やっぱり無駄だったかも」
「お疲れさーん」
「レイズはいいよね、気楽にソロ狩りして、賞金まで貰えたんだからさ」
ソウタさんはそう言って、アサシンマスターの装備である暗器でもってレイズさんをつついた。
半端じゃなく痛そうな、それでいて激怒するまでには至らない、陰湿な攻撃である。
案の定、レイズさんは恨みがましくソウタさんを見つめつつ、ぶつぶつと呟いた。
「……酷くね?……八つ当たりじゃん」
レイズさんの恨み言は、ソウタさんに引き取られること無く、ミネルバ・エリアに流れていった。
そんな彼らのやり取りを見守りつつ、ついついミルネリアさんの事を考えてしまう。
ミルネリアさんだって、最初から今の「お姫様」ではなかったのだろう。
自分を大事に大事に甘やかして、望めば何事も叶えてくれるような、そんな取り巻きの彼らと出会わなければ、或いは。
彼女はもっと純粋にこのゲームを楽しんでいたかもしれない。
勿論、今のままでも「楽しい」だろうが、それはきっと自由のない楽しさだろう。
それに私だって、もしもリュウザキさんやソーヤさんと出会う前に、彼女の取り巻きのように甘やかしくれる人に会っていたら、もしかしたら第二のミルネリアさんになっていたかもしれないのだ。
甘やかされてちやほやされて、それが当然になったら、その誘惑に抗いきれる人間がどれだけいるだろうか。
誰だって、厳しく耳に痛い言葉が、自分の為になることは知っている。
けれど、甘く快い言葉は、その何倍も中毒性が高いのだ。
先ほどの、勝手な言い分と行動には、ほとほとあきれ返ったものの、ミルネリアさんにも同情できる点はある。
ムカムカする気持ちは、やっぱりあるが、なんだか可哀想な人にも思えてしまう。
だからといって、私に何が出来るという訳でもないのだが。