その日、スイは「神々の時代」から初めて「暗闇の時代」に移動した。
移動に必要な魔法スキル「テレポート」はかなり初級の魔法だったので、とっくに覚えてはいたのだが、なんとなく居心地がよかったのと、ある種の意地で「神々の時代」に居座ってしまったのだ。
そのため、スイは「神々の時代」適正レベルであるレベル10代を大幅にオーバーしてしまっていた。「神々の時代」のチュートリアルクエスト(お約束のお使いイベントが主だ)も全てクリアしてしまっていたし、適正レベルをかなり追い越しているのでモンスターを倒して得られる経験値も微々たるものになってた。
「クロニクル・オンライン」では魔術師の魔法スキルは初級はすべて店売りで、そこから使い込んでレベルを上げることによって中級スキル・上級スキルへと成長していくシステムをとっている。
このスキルの成長具合で、上位職へのクラスチェンジの時に選択できる職の幅が決まる。
つまり、攻撃魔法ばかり使い込んでいると、必然的に黒魔術師への転向が余儀なくされたり、剣士職で初級魔法スキルをあげてしまうと「マジックブレイダー(魔法剣士)」の道しか残されていなくなったりしてしまうのだ。
スイがこのことを攻略サイトで知った時にはすでに手遅れで、好奇心でほいほい色々な魔法を使いまくっていたため「赤魔術師」の道を選ばざるを得なくなっていた。
オールラウンダーという名の器用貧乏なこの職は、「クロニクル・オンライン」の中でも少ない魔術師人口の中でもさらに少ない稀少な職だった。
大抵の魔術師は使いづらいなら使いづらいなりに、見返りが派手な「黒魔術師」、あるいは詠唱の手間が面倒ではあるがあぶれることはまずない「白魔術師」を選択していたからだ。
「赤魔術師」はものすごく中途半端だった。
レベル25で上位職に転向した時、つくづくと切なくなったものだ。
そんなわけで、拗ねたスイは上位クラスに転向した後も「神々の時代」に居座り、こつこつとソロプレイに励んでしまったため、「暗闇の時代」に足を踏み入れたのはレベル40手前の頃だった。
「我が前に闇へと至る道を示せ、”テレポート”」
覚えたはいいが全く使っていなかった魔法「テレポート」を使って「暗闇の時代」へ移動した。攻略サイトで「暗闇の時代」では「シンクロ」はパーティープレイの邪魔になるという情報を得ていたので、慣れた「シンクロ」モードを通常モードに切り替えた。
「ついに……引きこもりソロプレイからパーティープレイへの道が……!」
ここのところ、NPCもしくは初心者に道を聞かれる程度にしか人と関わっていなかったので妙に興奮してしまう。
魔法スキルも装備の買い替えも楽しいといえば楽しかったが、やはりMMORPGの醍醐味は人との関わりである。真っ白のフレンドリスト(仲良くなった人のリスト。プレイヤー同士の承認の元に登録すると、その相手にアイテムを送れたりする)を眺めてむなしい気分になっていた期間が長かったため、異様にテンションが上がってしまう。
ゲームの中とはいえ、人と全くと言っていいほど会話せずにぶつぶつと「詠唱」ばかり行ってきたので、自分でも分かるほどに人恋しくなっていた。
周囲が溶けてバターになっていくような映像のあと、急に膜が剥がれたように景色が変わった。転送が終わり、「暗闇の時代」についたようだ。
扉のような形をした通称「ゲート」を背にして、正面に「暗黒の時代」の城下都市「シュメール」が堂々とした威容を誇っている。
「テレポート」を実行したのは朝だったので、かなり遠くのエリアまで見渡せたが、シュメールは異様に大きな都市だった。
城下都市なだけあって、巨大な城を囲むようにして整った街並みが広がっている。
小高い丘の上にある「ゲート」から見ても城は高く、そして美しかった。
離れているにも関わらず、圧倒的な数のプレイヤーがシュメールのそこここでその楽しげなざわめきに参加しているのが遠めからでもよく分かる。
聞きしに勝る、とはこのことだと思いながら、浮き立つ気持ちを抑えきれずに小走りに城下都市へと駆け出していったスイを誰が責められようか。
「神々の時代」の白を基調とした晴れやかな、悪く言えば単調な都市と違ってシュメールは華やかな色合いの雑多な都市だった。NPCの店もあるにはあるが、それ以上に「店」を構えたプレイヤーが多く、さらに青空市場が盛んな所為もあるのだろうか。
「神々の時代」は基本的に低レベルが「通り過ぎる」時代であるために、全時代の中でもっともエリアが狭く(時代の変遷によって各地域が開発/発見されていったというストーリーらしい)、また店を構えるプレイヤーは一部の変わり者くらいである。
そして、「暗闇の時代」は各時代の中でもっともフィールドが広く、店を構えるプレイヤーももっとも多かった。
なかなか近づかない都市にいらつきながらも、なんとか門までたどり着いた。
ここのところ「フライト(魔術師特有の移動手段。移動場所を一度訪れることが条件で発動できる)」に頼りきっていたせいで、バーチャルと分かっていても歩いて移動するのがしんどくなっていたのだ。
なんとか門に施された精緻な細工が見えてくる距離まで近づくと、都市の活気が一気に身近になる。
行きかう人、人、人!
その人々の多くが楽しげに連れ立って歩いているのを見て、私のボルテージは一気に上がった。
さっきまで燻っていた徒歩移動への不満などあっさり解消されてしまう。
(おおおおおお)
こっそり心の中で呟きながら見上げるほど大きな門に小走りに近づくと、そこには二人の人影が立っていた。
「こんにちは、シュメールへようこそ!」
「こんにちはー」
中世そのままの甲冑を身につけ、片手に槍をささげ持ってる門番さんと、何かの記録をとるようにメモを構えているお洒落なメガネのお兄さんの二人組みがにこやかに笑っていた。
二人ともとても男前である。ちょっとときめいてしまった。
オンラインゲームなんだから美形なんざ山ほどいるだろーがバーカ、と言われるだろうが、ところがどっこい。
「クロニクル・オンライン」ではプレイヤー自身のリアルデータが採用されて、少しの修正はともかく大幅な改正はできない。
もちろん違法パッチなんかは多数出回っていて、似非美少女も似非美形も山ほどいたりはするのだが、大多数はゲーム規約に沿って「プレイヤー自身とキャラクターを重ねあわせる」楽しみ方をしている。
「クロニクル・オンライン」側も多少のお目こぼしと個人情報保護法に配慮して、大抵のキャラクターはデフォルメされて可愛くなるようにできていたので、個人が特定されることも、極端な不細工キャラになることもなかったのがその理由だろう。
というわけで、「クロニクル・オンライン」ではそれなりに稀少な男前二人ににっこり笑って出迎えられた私はうっかり浮かれてしまった。
最初はNPCかと思ったが、彼ら特有の頭上の青いクリスタルは見当たらなかったので安心して微笑み返した。
流石にNPC相手ににこにこするのは気がひける。
「こんにちは」
「暗闇の時代は初めてですね?質問があれば受け付けてます」
黒髪メガネのお兄さんは近くで見ても美形だった。中世貴族ルックを地味にしたようななんとも女子受けのよさそうな服装で営業スマイルとともに羽ペンを構えている。
「初めてです。お願いします」
「了解しました。私はシュメール城に勤めているハリスです。こちらは門番のキール」
黒髪メガネ属性のお兄さん改めハリスさんはハキハキした口調でさくっと自己紹介を終え、門番のキールさんははにかんだ様に微笑んで会釈をした。
キールさんは頭まで甲冑に覆われている所為で顔くらいしか肌が見えていないが、その所為で顔が整っていることがはっきりと見てとれる。
と、男前二人に目の保養を堪能したところで、あっさりと私が初☆「暗闇の時代」であることを見破られたのが不思議だったので質問してみる。
何しろ伊達にレベル40手前まで「神々の時代」に居座っていたわけではない。装備は「神々の時代」で手に入る限り最高装備できたのだ。レベル15から行き来できる「暗闇の時代」でもそこそこいい装備のはずである。
少なくとも全くの初心者には見えなかったはずだ。
「えーっと、どうして私が初めてだと分かったんでしょうか?」
「それはですね、暗闇の時代では都市に入る時にはこのように……」
ハリスさんは滑らかに羽ペンとメモ帳をイベントリ(アイテムを入れておくところ。レベルやジョブによって上限が異なる)に突っ込み、自分の袖をまくって金色の腕輪を見せた。
「これを門番に見せる必要があるんです」
「なるほど」
ハリスさんが見せたのはプレイヤー全員の初期装備かつ必須装備「リング」である。
これは操作端末のようなもので、先ほど持ち歩いているお金やアイテムの取り出し、自分のスキルレベル、ジョブレベルの確認やフレンドリスト(上限500まで。私は現在0/500)の確認、パーティー登録なギルド登録、クエスト申請等等に使う。
はっきりいって万能アイテムだ。
ちなみに、装飾はジョブごとに異なっている。
ハリスさんの「シュメール城の紋章に羽ペン」の装飾を見るに、恐らくシュメール城に勤める文官の類、と推測できたりするわけだ。
ちなみにこの「文官」というジョブは学者系列の上位ジョブにあたり、「戦いの時代」で「軍師」「参謀」になるために誰もが通る道らしい。
「ハリスさんは軍師志望なんですか?」
「はい、あと五レベルでようやく参謀ですよー」
「頑張ってください」
ありがとうございます、とちょっと嬉しそうにハリスさんが答え、キールさんがそれをうらやましそうに眺めていた。門番になったからには目指すは「騎士」職であろうキールさんにはまだまだ遠い道のりである。
「えーと、では「リング」の確認をさせて頂いてもかまいませんか?」
「どーぞー」
ずるずるとした長いローブを捲り上げてリングをみせる。
ちなみにこのローブは裾も長いのだが、擦り切れたり汚れたりすることがないのが「クロニクル・オンライン」の嬉しいところである。
体験型MMORPGの中には服が汚れたり、切られたりするものもあるのだ。
「はい、スイさん…レベル37…赤魔術師、と」
ハリスさんが恐らく「文官」スキルらしきものを発動させて、プレイヤーデータを先ほどのメモ帳に刻んでいく。恐らく登録手続きのようなものなのだろう。
「ていうか、赤魔37で「暗黒の時代」初めてって相当すごいですよね?」
「みたいですねー」
キールさんがハリスさんが読み上げた私のデータを聞いて驚いたように眼を見開いた。
「神々の時代」でうっかり魔法で遊びすぎてレベル30を向かえ、上位職チェンジの時になって「赤魔術師」以外の選択肢が消えていたのに絶望してレベル上げに励んでしまったのだ。
自分でもちょっと最後の方はムキになっていたのは認める。
「魔法を欲張ってスキル上げすぎちゃって…気がついたら赤魔しかとれなくなってたんですよー」
「うわあ……大変ですねえ」
本気で気の毒だ、というようにキールさんは眉を下げた。先ほどからなんとなく分かってはいたが、ものすごくいい人だ。
「”詠唱”抜きに中級いけるのは重宝するんですけどねえ」
「それはすごい!」
本気で羨ましそうにキールさんが目を輝かせている。
ああ……今赤魔術師になって一番嬉しいかもしれない。
魔術師が中級以上のスキルを放つには”詠唱”は必須だが、赤魔術師は中級スキルを”詠唱”ナシに発動できる。もちろん、詠唱を行う黒/白魔術師に比べて攻撃力や効果は落ちるが、溜めなしで発動できる利点はそれなりに大きい……はずだ、多分。
「キールさんは騎士志望なんですか?」
「そうです!……道は遠いですけどねー」
意気込んで答えたあと、キールさんは眉を寄せてちょっとため息まじりに呟いた。
「でも「門番」まできたらあとは一本道じゃないですか」
「あは、ありがとうございます」
うっかり赤魔術師になってしまった私から見れば羨ましいかぎりである。
そういって励ますと、キールさんはちょっと嬉しそうに笑った。
「文官」のスキルはどうやらデータ読み込み中に誰かと話すとやり直しになるらしい。
たまにミスるとにこにこしながらイラつくんで怖いんです、とキールさんはハリスさんが反論できないのをいいことに笑いながら言った。
ハリスさんのスキルがまだ発動中なのを見て、暇になってしまった私とキールさんはだらだらと雑談することになった。
「”門番”って確かモンスター討伐でもレベル上げできるんですよね?」
「というよりそっちが主流なんですが、いかんせん弱くて…」
キールさんによると、「門番」は文字通り門を番することでレベルが上がるのだが、一日拘束されるわりに入る経験値はすずめの涙なのだそうである。
「門番」の仕事は週に二回の拘束が義務になっているが、他は休日扱いされているらしい。
そのため、騎士ルート(門番→兵士→衛兵→騎士)を辿るためにてっとりばやくモンスター討伐で「名声」と「経験値」を上げるのが主流なのだそうだ。
しかしいかんせん、騎士は大器晩成型の成長過程をとるため、「門番」の基本スキルは悲しいほど弱い。
そのため、大抵の人間は魔法剣、特殊効果防具などで全体を底上げしてモンスター討伐に望むのが主流とされている(一人で討伐しないと「名声」があがらず、イベントが発生しないため騎士ルートが進まないから)。
「でも金がないもんで……毎日門番の仕事出て給金溜めてるんですよー」
「じゃー私エンチャントしましょーか?」
ちなみに「エンチャント」とは赤魔術師の特殊スキルで、武器や防具に属性を与えて強化することができるものだ。
通常、武器や防具には属性は存在しないが鍛冶師が様々な属性を付与して「魔法剣」「神聖鎧」などなどが生まれる。
エンチャントとはその「属性」を与えるスキルで、「魔法剣」「魔法防具」の性能には適わないが、通常武器・防具に付与すると飛躍的に性能が上がる。
似たようなスキルに僧侶の「祝福」があるが、これは神聖属性オンリーである。
「えっ!?いやいや、俺金ないんですって」
「別にいらないですよ?私もスキルあげたいし。効果微妙かもしれないですけどよければ」
キールさんが私の提案に嬉しそうに顔をほころばせ、いそいそと槍を差し出そうとしたあたりで、ハリスさんがさらりと会話に入ってきた。
「はい、スイさん、データの登録が終了しました。次回からは都市に入る前にリングの提示をお願いします」
いつのまにやらデータ登録が完了したらしい。ハリスさんは私のリングと羽ペンを接触させてスキルを発動させるとにこやかに微笑んだ。
「あー、と……キールさん」
「はい!」
会話を打ち切られてしまったので、キールさんに話しかけると、彼は若干不安げに応える。
もしかして、プレイヤーと盛り上がったはいいけど約束はスルーされることが多かったのだろうか。
なんだか諦めたかのような顔である。
「門番さんって交代あります?」
「これからです!」
暗い顔になっていたキールさんは、私の問いかけに嬉しそうに顔を綻ばせた。
ハリスさんはその様子を苦笑しながら眺めつつ手持ち無沙汰に羽ペンをいじっている。
「じゃー交代までここで待ってていいですか?」
「ありがとうございます!」
流石に任務中の人の槍にエンチャントはちょっとアレだよなあ…と思い悩んだ私は、キールさんの交代が来るまで待つことにした。
にまにまと顔を緩めるキールさんは男前が三割減だが中々可愛らしい。
是非私のフレンド第一号になってもらいたいものだ、と思いながら私は賑やかな街を門の外からぼんやりと眺めていた。