「男は武器を持って集れッ!女たちは子供たちを連れて奥に!」
「川辺まで避難しろ!急げッ!」
村の入り口で発せられた洞窟オークの襲来を告げる警告の叫びが、鋭くエルフ娘の耳を突いた。
周囲で慌ただしく人が走り始めた。なにやら叫んでいる者もいる。恐慌を起こしている若い娘もいれば、歯を食い縛って家から棍棒を持ち出してきた農夫もいる。
急な襲来に戸惑っているエルフ娘が辺りを見回せば、同じように何事か理解できずに棒立ちしている旅人や村人も少なくなかった。
目の前で、恐怖に顔を引き攣らせた農婦が子供の腕を引っ張って走り始める。何処へ向かおうというのか、河原はそっちではない。止めようと手を伸ばしたエルフ娘は、背中から誰かに突き飛ばされた。
転んで地面に手をつき、冷たい土を触って漸く頭が回転し始めた。
洞窟オーク族が攻めてきた。村から逃げなければ……いや、その前に。
……荷物ッ!
脳裏に閃くと同時にエリスは立ち上がって、村長の家へと駆け出した。
食料などは鍵を掛けた旅籠の部屋に置いてきてあるが、嵩張る服や鉄鍋など幾らかの荷物が置きっぱなしである。
着物や下着、薬草などの入っている革鞄は、捨てるには余りに惜しかった。
貧しい旅人にとっては、命と同じくらい大切な価値が在る。
出来るなら、女剣士の荷物も回収しておきたい。
途中で棍棒や六尺棒、錆びた鎌や短剣、青銅の槍を手にした村人たちとすれ違った。
「細い道まで下がれ!下がれ!」
何かをエルフに言い放って、駆け去っていく。
人の流れに逆行して村の中央に在る小屋に駆け戻れば、辺りでは慌ただしく、人が駆け回っている。いや一方向に駆けていくようだ。
「数が多いぜ!糞ッ!」
「丘のところで食い止めるぞ!狭くなってるから防ぎ易い!」
村のもっと奥にある防ぎ易い位置まで下がって洞窟オークたちを迎え撃つのか。
「……急がないと」
村長の家に入るとエルフ娘は直ぐに自分の鞄を抱え、女剣士の荷物も背負って戸口へ振り返る。と、外を武器を手にした複数の小柄な影が駆けていった。
背筋に冷たい物が走ったのを自覚しながら、素早く隅に隠れる。
「エルフだ!エルフを探せ!」
「グ・ルンの仇だ!」
半エルフの顔から、今度こそ血の気が引いた。唇を噛んで首を振ると、じっと気配を殺して外の様子を窺う。一定数が通り過ぎて言った後は、やや静けさを取り戻していた。
今かな。
躊躇しつつも外に出ようとして、エルフ娘は何かを思いついたのか立ち止まった。
革鞄を急いで漁り、布を被って頭巾とする。此れで目立ち易い翠色の髪は隠せただろう。
一見、他の農婦と区別は付かなくなる筈。少なくとも遠目に直ぐには分かるまい。
緊張に乱れた呼吸を整えると、エルフの娘は村長の家を出ることにする。
まずは、落ちついて行動しないと。見つからないように逃げる事。
洞窟オークは余り足は早くないが見つかるのは上手くない。いざという時は荷物を捨てよう。
そんなことを考えながら戸口に振り返り、ギョッとして立ち竦んだ。
洞窟オークが一匹、戸口に佇んでエルフ娘を睨んでいる。
半エルフが腰の棍棒を構えた瞬間、小柄なオークは喚声を上げて思い切り体当たりしてきた。
好戦的な喚声を上げて三匹の洞窟オークが女剣士と白髭のドウォーフに吶喊してくる。
振り上げた灰色の腕には、粗末な手製の槍やら、ちゃちな棍棒、玩具のようなナイフが握られている。
洞窟オーク達は、その身に襤褸を纏っているだけで盾も鎧も冑もない。
皮肉な笑みを口元に浮かべながら女剣士は、パティスの刀工が鍛えた鋼の長剣を構えて洞窟オークたちを迎え撃った。
幼少から厳しい訓練を積んできた黒髪の娘は、若年にして既に手練の剣士である。人族の女性としては恵まれた体躯と膂力から繰り出される鋼の刃の一撃には、小柄な洞窟オークなど容易く絶命させる威力が宿っている。小柄で動きの鈍い洞窟オークたちにとって、長身の癖に恐ろしく俊敏で身動きの速い女剣士は相性が最悪に近い天敵であっただろう。
真正面から振り下ろした鋼の刃の一撃は、先頭の小柄な亜人の肩から腹部まで強かに切り裂いた。
絶叫する槍のオークを横に、跳ね上がった剣先はナイフのオークの手首を跳ね飛ばした。
金属製の腕輪と言わずとも、せめて布でも巻いておけば幾らか刃の鋭さを防げたものの、粗末な衣服に急所を素肌のままにさらしている洞窟オークたちでは、威力と速度を兼ね備えた鋼の斬撃に抗する術もない。
左足を軸に回転しながら、女剣士が一気に剣を突き出すと、最後のオークは喉笛を切り裂かれて派手に血を撒き散らして河原へと崩れ落ちる。
呼吸を止めていた女剣士は、小さくヒュッと息を吐きながら剣を引き抜いて振り返ると、手首を失って地面にへたり込んでいたオークに止めを刺した。
洞窟オーク三匹を相手にしながら、殆ど何もさせずに一方的に殺戮した女剣士の手際を目の当たりにして、白髭の職人ドウォーフが愉快そうに笑い声を上げる。
「やるのう。だが、手並みが鮮やか過ぎてわしの出番が無かったぞ」
長剣を宙に薙いで血糊を払った女剣士だが、背後の繁みに気配を感じて険しい表情で振り返った。
「賞賛するほどの相手でもあるまい。それに……それっ!新手がまだ来るぞ!」
同時に二人の目の前で葦の繁みを掻き分け、さらに数匹の洞窟オークが姿を現した。
仲間たちが倒れているのを見つけると、怒りの声を上げながら二人に襲い掛かってくる。
エルフ娘の振り下ろした棍棒が肩を痛打するが、洞窟オークは怯みを見せなかった。
そのまま突っ込んできた小柄な亜人は細身のエルフ娘を壁まで叩きつける。
「グ・ルンの仇よ!」
鈍く輝く青銅製のナイフを振り上げて迫ってくる洞窟オークに、肺の空気を洩らして呻いていたエルフ娘が逆襲に転じた。
女剣士を真似して思い切り手首に棍棒を叩き付ける。
「……ぎゃッ!」
痛烈な一撃を手首に喰らって洞窟オークがナイフを取り落とすと、
好機に乗じたエルフ娘は今度は鎖骨を狙って棍棒を叩きつけた。
小柄な亜人は身を捩って腕で棍棒を受けると、苦痛に唸り声を上げながら猛烈な勢いで遮二無二突っ込んできた。
エルフ娘の懐に飛び込むや、口をかっと開いて小さな牙で喉笛に喰らいつこうとする。
小さく悲鳴を上げたエルフ娘だが至近で揉み在っていては棍棒は使えないし、かといって素手で洞窟オークを押しのけられるほどの膂力も持たない。
「こ、この……」
ガチガチとなる歯を手で必死に抑えながら、叫んで左拳で洞窟オークを何度も殴打するが、効いた様子もない。
苛立ったのか、エルフの急所に噛み付こうとしていた洞窟オークが首を諦めて肩へと喰らいついた。
肩に小さな牙が食い込んでくる。エルフ娘が甲高い悲痛な叫び声を上げた。
服の布地が食い破られたのか、洞窟オーク牙はますますエルフの柔肉に食い込んだ。
洞窟オークの荒い鼻息を耳に入れて、エルフ娘の顔から貧血のように血の気が引いた。
肩に痺れが走り、激痛に動きが鈍ったエルフ娘が、震える左腕で洞窟オークの顔をがつがつと叩くが、鼻血が散るも大して効いた様子はない。
牙で噛まれているところから熱さが広がっていく。
小さな牙に皮膚を食い破られた。ぶちっと云う音を尖った耳が聞いたような気がした。
肉と骨が軋んだ音を立てた。鮮血が服に滲む。
エルフ娘は絶叫しながら、爪で洞窟オークの顔を掻き毟った。眼球を掻き毟られるのを恐れた洞窟オークが仰け反って離れると、エルフ娘は床に崩れ落ちて呻いている。
棍棒を拾おうとするが、痛みに腕が麻痺して上手く動かない。
凶暴な呻き声を上げた洞窟オークがナイフを拾い上げた。
エルフ娘は、息を整えながらよろよろと立ち上がってオークを睨みつけた。
肩が酷く痛んだ。
女剣士に短剣を渡されていた事を思い出して、背中から引き抜いてぎこちなく構える。
突っ込んできた洞窟オークを何とか躱して、短剣で切りつけた。
脇腹を斬られた洞窟オークが、怒りの叫び声を上げて飛び掛ってくる。
「……痛ッ」
腕を斬られたエルフは、呻きを洩らしながら再び突いたが跳び退って躱された。
再びオークが切りかかってくる。
「うあ」
今度は辛うじて避けるが、休まず斬り付けた洞窟オークのナイフが二の腕に当たり、服を切り裂いた。
浅手にも拘らず、灼熱感が走り抜けた。
距離を取って乱れる呼吸を整えながら睨み合うエルフ娘の脳裏に、女剣士の呟きが蘇った。
……大した相手ではないよ。
大した相手ではない?
あくまでアリアから見ればの話だろう。
手練の剣士や、よく訓練された兵士ならば、引けは取らないというのも分かる。
だけど、一般人のエルフ娘にとって洞窟オークは洒落にならない相手であった。
こうして対峙しているだけで活力が磨り減るようだ。
しかも、戸口の前に立ち塞がっているから、逃げることも間々ならない。
突然、目の前の洞窟オークが目を見開いて大きく痙攣した。
その下腹からは大きく槍の穂先が飛び出してる。
洞窟オークの背後から年増女が青銅製の槍を突き刺していた。
槍を引き抜くと、洞窟オークがぎこちない動きで振り返った。
再び突き刺された槍を胸に受けると、小柄な亜人は床に崩れ落ちて動かなくなる。
年増女が顔の血を拭うとエルフ娘を眺めた。
「こいつら、あんたを探していたみたいね」
「……朝にやっつけた中に、地位の高いオークがいたみたい」
オークは頭目を殺した者をつけ狙う習性を持つ。
「……力の掟かい」
苦い表情で頷いた年増女の眼差しはやや非友好的で、或いは村が襲われたのはエルフ娘の責もあると思っているのかも知れない。
その背後には、武装した村人たちや二人組の冒険者の姿が見える。
年増女は村人たちに指示を出し始める。
「男は纏って防ぐよ。女たちは奥に行きな。
あんたたちは、女子供を捜して奥へと避難させておくれな」
年増女の言葉に若い冒険者たちが頷いた。
「あんたも逃げな」
エルフを一瞥してから言い捨てると、年増女たちは足早に小屋を出て行った。
臆病な野生の兎のように尖った耳を動かし、エルフ娘は周囲を窺いながら洞窟オークを避けて田舎道を歩き出した。
村の南側にある河原の草や石は、洞窟オーク達の鮮血で赤く染まっていた。
「おい、村の近くじゃぞ!」
白髭のドウォーフが喚きながら、飛びかかってきた洞窟オークの一匹へと槌で殴りかかった。
洞窟オークが悲鳴を上げつつもナイフでドウォーフに切りかかったが、金属板を仕込んだ革の上着に青銅の刃は滑って服を切り裂いただけで終わった。
「襲撃なのだろうよ!」
叫んだ女剣士が、洞窟オークの腹部に横合いから長剣の一撃を叩き込んだ。
乱戦での戦闘は女剣士の得意とするところで、新たに現れた五匹の洞窟オークのうち既に二匹が地に伏して息絶えていた。
ドウォーフが怒りの叫び声と共に一匹の頭を叩き潰すのと、女剣士が三匹目を突き倒すのは殆ど同時で、最後に残った洞窟オークは悲鳴を上げて逃げ出した。
白髭のドウォーフが雄叫びを上げてオークを追いかけようとするのを、女剣士が押し止める。
「なぜ止める!逃がせばまた人を襲うぞ!」
顔を真っ赤にして猛っているドウォーフを宥めながら、女剣士は村を指差して説得する。
逃げたオークも、仲間たちと合流したら気力と活力を回復させてまた手強くなる。
だが、女剣士は逃げ惑う一匹を追い掛け回して時間を取られるよりは、村人を助けに向かうべきだと訴えた。
その方が、結局はより大勢の村人を助けられるに違いない。
「逃げる者を追い掛け回して無駄な体力を使うよりは、村人を助けに行こうはないか!
わたしの友人もまだ村にいると思う。手を貸してくれ」
「うむう。友人ってのはあのエルフか」
伝統的にエルフ嫌いではあるドウォーフ族ではあるものの、オーク族に対しては嫌いを通り越して怨敵に近い関係である。
女剣士の投げかけた言葉に冷静に立ち返って考え込んでいる白髭のドウォーフは、
幸いにして好悪の念で動く人物ではないようだ。
しばしの逡巡の後、提案にも一理あると肯くと二人で喧騒渦巻いている村へと向かって走り出した。
川辺の村からの脱出を試みたエルフ娘だが、目に付く田舎道には幾人もの洞窟オークが蟹股で走り回っている。
目の前を小柄な影が横切り、慌ててエルフ娘は傍らの茂みに身を隠した。
気付いた様子もなく、足音は目の前を駆け抜けていった。
木立や大きな岩、盛り上がった土など、幸い隠れられる場所には不自由しない。
洞窟オークの牙に噛まれた肩が、まだジンジンと熱を発して痛んでいた。
布地は破れていないが、皮膚が裂けたのか、微かに血が滲んでいる。
非力なエルフの娘にとっては、洞窟オークは例え一匹でも充分に危険な相手だった。
背の高い繁みなどに身を伏せつつ道が無いかと窺ってみるが、小柄なオークたちの数は余りに多く、迂闊な動きをすれば直ぐに見つかって捕まってしまうと思われた。
少し数が減るまでは、身動きも取れないや。
離脱を断念せざるを得ないエルフは、取りあえずは次善の策として喧騒から少しでも遠ざかっておこうと判断する。
細い道を目立たぬように歩いていると、納屋に差し掛かったところで曲がり角の向こう側から複数の甲高い叫び声が聞こえてきた。
破裂音を多く含む威圧的な発音は、意味は分からずともオーク語とは直ぐに分かる。
やばい。
後退って別の道を行こうとするが、背後からも幾つもの駆け足と争うような物音が近づいてくる。
慌てて田舎道を見回すが、間の悪いことにちょっとした空き地となっている。
空き地を横切ろうなどとせずに、ゆっくりとでもいいから焦らずに、遮蔽物のある地形だけを選んで進めばよかった。
今さら悔いても仕方のない考えが、エルフの頭の中でぐるぐると廻っていた。
物音と叫び声は、どんどんと近づいてくる。
納屋の傍に在る壊れた壷や木箱に隠れる?
駄目。蓋もなく、隠れても直ぐに見つかってしまう。
空き地を横切って、繁みに隠れる?
周囲を囲まれた状況でちらとで見られたら、完全に詰む。それに連中、結構、繁みを探している。
切羽詰った表情で必死に視線を配っているエルフ娘だが、足音は着実に近づいてくる。
やがて、灰色の肌をした洞窟オークたちが曲がり角からひょいと顔を出してきた。
三匹の洞窟オークが村道で悲鳴を上げて逃げ惑う女子供を追い掛け回していた。
「たす……おたすけ……!」
喘いでいる子供に手が届きかけた洞窟オークが、横合いからの凄まじい一太刀で首を跳ね飛ばされる。
驚き慌てふためいた別の洞窟オークが、強烈な槌の一撃を叩きつけられて地面に伸びてしまう。
「ペイガンの灼熱のハンマーに掛けて、くたばれ!」
悲鳴を上げて命乞いする洞窟オークに、ドウォーフが馬乗りになって槌を振りかざした。
白髭のドウォーフが倒れた洞窟オークに止めを刺した時には、最後の洞窟オークも女剣士によって倒されていた。
礼を言う女子供にさっさと逃げろと手を振って合図すると、女剣士は息を整えながらドウォーフに黄玉色の瞳を向けた。
「……意外とやるではないか」
「御主には負ける」
一瞬だけ笑ってから、女剣士はドウォーフに対して名乗ることにした。
「アリアテート・トゥル・カスケード。東国はシレディアの民、カスケード家の嫡子」
「ボルンの子、グルンソム。モスカーンのゴラン氏族」
互いに名乗りを上げつつも、二人は緊張を緩めてはいない。
周囲の小屋や田舎道を見回した女剣士だが、憂鬱そうな表情で愚痴るように呟いた。
「……数が多いな」
女剣士と白髭のドウォーフの通り過ぎた村道には、洞窟オークの亡骸が死屍累々と残されている。
女剣士はよく訓練された手練の剣士であったが、白髭のドウォーフも相当な腕の持ち主であった。
鈍重な体躯ではあるが強靭な膂力と意外に巧みな技で、出会った洞窟オークを次々と屠っているし、二人ともいまだに無傷でもある。
村に入ってから二人は既に十匹以上の洞窟オークを倒していたが、しかし、それでも侵入者は一向に減る気配を見せず、田舎道や小屋、納屋、穴倉などを盛んに出入りして村中を跳梁跋扈していた。
村を進む二人を見かけるや間断なく襲ってくるか、興味を持たずに戦利品を漁り続けている。
今も小屋から大量の布を抱えて飛び出してきた洞窟オークが、二人の目の前で道を駆け去っていった。
「……どうやら血を見たくて襲ってきた連中と、戦利品目当ての連中がいるようだな」
乱れた呼吸に胸を上下させつつ女剣士が小屋を覗き込むと、散らばった野菜を床にへたり込んで齧っていた洞窟オークが敵に気づいて咆哮を上げ、ナイフを振り上げ飛び掛ってきた。
舌打ちして剣を振るうと、間合いの長い長剣の強烈な一撃に洞窟オークはあっさり打ち倒された。
横合いから襲ってきた洞窟オークも、白髭ドウォーフの槌を喰らって地面へ倒れこみ、動かなくなる。
「これは限がないぞ……戦うだけ戦った後はとんずらしたほうがよさそうじゃ」
溜息を洩らして視線を向けてきたドウォーフに、黒髪の女剣士も舌打ちしつつ同意した。
「……或いは、敵の親玉でも見つけるかだな」
早朝にも雑木林で駆け回って乱戦を行なった女剣士であったが、短時間の休息でかなりの活力を回復させていた。
盗賊やオークたちに比べれば洞窟オークは余りにも歯応えのない相手であり、まるで体力を消耗していない。
ろくな防具を纏わず、小柄で動きも鈍い洞窟オークは、殆どが一太刀か二太刀で切り倒され、女剣士を相手に三合と持ち堪えた者は一匹もいなかった。
しかし、それでも数の差というものは大変なもので、圧倒的に多数の敵が彷徨う村の中をたった二人で突き進むという気持ち的に気圧される状況では、百戦錬磨の剣士と古強者の戦士であっても神経を削られるのは避けられない。
「エリス……何処にいるんだい?」
それなりに機転が効く性格の友人である。
上手く逃れているとは思いたいものの、女剣士も一抹の不安は隠せない。
額に汗で張り付いた前髪をかき上げながら村を見廻すと、女剣士は気がかりな様相で呟きを洩らした。
洞窟オークは六、七匹もいた。見つかったら、一巻の終わりだ。
エルフ娘は恐怖を含んだ瞳ですぐ目の前にある細道をなにやら喚きながら駆けていく洞窟オークの集団を見下ろし、緊張に唇を舐めてからゆっくりと息を洩らした。
恐怖も緊張も、今のところ集中力を高めてくれる程度に抑制できている。
今隠れているのは、納屋の屋根の上である。
木箱に木箱を積み上げて踏み台にし、エルフ娘は飛び上がるようにして屋根に身を隠していた。
殆ど間一髪だった。
藁ぶきの屋根の上で寝転びながら、激しく強張った表情を解きほぐして村を見廻してみる。
安全な方角は何処だろう。
アリアは無事だろうか。兎に角、友人と合流したかった。
アリアなら例え五匹や六匹の洞窟オークに襲われても、易々と負けはしないだろうが……
洞窟オークの数は余りにも多い。
まるで地の底から湧いてでもいるかのように、時間と共にますます増えてきている。
屋根の上だって安全とは言いきれない。
一匹でも見上げれば、危ない。遠目から見れば、ばれるかも知れない。
隠れていても、いずれは見つかりそうだ。
やはり、早めに捨てて脱出した方がいいかもしれない。
いや、夜まで隠れていれば……
待て、夜目が効くとか云ってなかったかな?
違うか。あれは洞窟ゴブリンだ。
でも、洞窟オークって言うのなら、夜目は効くのか?
納屋の目の前にある空き地では、洞窟オークに挟み撃ちされた傭兵風の装いをした旅人と農夫が洞窟オークに囲まれて追い詰められていた。
旅人も農夫も屈強そうな男性だったが、多勢に無勢な上に周囲を囲まれてはどうしようもない。
棒切れや中剣を振り回して二、三匹の洞窟オークに手傷を負わせていたが、やがて隙を疲れて背中から飛びかかられると、あっという間に群がられ、地面に引き摺り倒されてしまう。
屋根から覗いたエルフ娘は、血塗れの傭兵と目が合ってしまい、直ぐに目を背ける。
死ぬ間際の傭兵は何かを言いたげに口を開き、助けを求めるように手を伸ばしていたが、直ぐに無数のナイフや石の槍、石斧、棍棒が振り下ろされて断末魔の悲鳴を上げる。
田舎道に残されたのはズタズタに切り裂かれた血肉だけで、服の残骸で傷に包帯を巻いたり、戦利品を漁った洞窟オーク達は、勝ち鬨を上げると再び駆け去っていった。
人気がなくなったのを見計らうと、エルフ娘は猫のように音も無く屋根から下りる。
村の入り口からは、今も大勢の洞窟オークがなだれ込んできていた。
取りあえずは、反対側にいくしかなさそうだね。
女剣士と合流するか、逃げ道を見つけよう。
唇を舐めたエルフ娘は、細心の注意を払いながら素早く空き地を横切って村の奥へと進んでいった。