村の中央に在るうらぶれた小屋が、二人の娘の案内された村長の住処であった。
他の民家と同様、今にも崩れそうな外見をした粗末な土造りの小屋で、中に入れば質素な椅子と皿や薬草などの置かれた棚、板状の石臼とのし棒、
煮炊き用の小さな石組みの囲炉裏と藁の寝床以外には特に何もない。
「どうだい?いい家だろう」
しかし、川辺の小村落の村長は我が家を誇っているらしい。
自慢げに振り返った年増女にエルフ娘は曖昧に微笑み、女剣士は眠たげに目を細めていた。
「そこら辺に適当に腰掛けておくれ」
年増女の言葉に促がされて踏み込むと、風を遮るからか、囲炉裏に火を焚いているからか。
確かに屋内は意外と快適な温度で、掃除を小まめにしているのか床の上には殆ど塵も落ちておらず、村道で感じられた埃っぽさもまるでない。
エルフ娘が何処に座るか室内を見回していると、女剣士が腕を引きながら藁の上に腰を降ろした。
そのままエルフ娘を強引に抱き寄せると、村長を眺めて単刀直入に用件に入る。
「で、私たちに聞きたいこととは?」
「えっと、ちょっと待っておくれよ。もう来ると思うけどね」
女剣士の問いかけに言葉を濁した年増女は「遅いねえ」などと呟いていたが、暫らくすると足音が近づいてきた。
「ああ、やっと来たよ」
年増女が言った途端に、小さい影が家に飛び込んでくる。
「おかあちゃん、腹減った!ご飯!」
鼻水を垂らした少女が年増女に抱きついた。
「メイ、ちょっと待ちな」
「これ、お土産!」
勢いよく母親に差し出された少女の掌には、団栗など灰汁抜きすれば食べられる木の実や鶏の餌になる草などが握られている。
「ああ、鶏にやっといで。それと……」
「うん!やってくる」
元気よく頷くと、後はもう母親の言葉など聞かず、鼻水を垂らしながら少女は風のように家を飛び出して行った。
落ち着きない娘の行状に渋い表情をした村長が待たせている客人の様子を窺うと、藁の床に腰掛けていた女剣士は眠気が押し寄せてきたのか、その友人に寄りかかって目を閉じていた。
肩に寄りかかられているエルフ娘は、別に不快なようには見えなかった。少し重そうにしながらも、しかし幸せそうに口元を緩めてる。首を振って年増女が外を見ると、再び近づいてきた足音が家の前で止まり、二人の村人に連れられた農婦の親子も姿を現した。
「ああ、やっと来た。待たせてすまなかったね」
村長に話しかけられたエルフ娘がそっと肩を揺らすと、女剣士が目を見開きながら生欠伸をした。
目を擦りながら戸口に立つ農婦親子を見やり、それから伸びをして身体の骨をポキポキと鳴らした。
小屋の間取りはさして広くはない。二人の娘が藁の寝床に座り、農婦と娘は囲炉裏の傍に、二人の村人も話を聞く為に壁際に腰を降ろすと、部屋はもう一杯になった。
相当に眠たいのか、女剣士は先ほどから幾度か、生欠伸を噛み殺している。
「そっちのお嬢さんは、何やらお疲れみたいだね」
皮肉っぽい口調で豊満な体つきの年増女が注意すると、女剣士はにやりと笑い、目の前で藁の寝床に横になった。
物臭な挙措でありながら、それとない上品さが漂っているのは不思議であった。傲岸不遜な態度ではあるが、相手は貴族なのであろう。僅かに苛立った様子を見せた年増女だが、諦めたように首を振ると、改めて質問をしてみた。
「で、一体、何があったんだい?」
女剣士は眠たそうな顔をしたまま、年増女を見上げて口を開いた。
「聞きたいのは此方のほうだ。いきなり襲われたでな。で、その前にお主は誰だ?」
年増女は首を傾げた。自己紹介してないことに気づいて頭を掻く。
「ああ、あたしはリネルさ。一応は、川辺の村の長だよ」
村長が自己紹介すると、女剣士は自分は名乗りもせずに考え込むように目を伏せた。
「ふむ、よかろう。しかし、リネルとやら。
我らもその親子が亜人どもに襲われているところに出くわしただけでな。
よく分からん亜人に襲われた。見たこともない連中であったな」
同意を求めるように旅の連れを見上げると、エルフ娘も難しい顔で頷いた。
「オークでもないし、ゴブリンでもない。
みすぼらしい姿をした子供よりやや大きな背丈の亜人で、数は二十から三十もいた」
エルフの言葉に頷いて、女剣士は肩を竦める。
「一応、助ける形にはなったものの、詳しい事柄は何も知らぬのだ」
言うと、村長と二人の村人、二人の娘の視線が農婦に集中した。
視線を集中的に浴びた農婦が口篭って何か言い掛けると、小屋に村長の娘が飛び込んできた。
「母ちゃん!鶏に飯やった!今度はあたいの飯を頂戴!」
駆け込んできた少女は、部屋に大勢の人間がいるのを見て立ち止まり、女剣士とエルフ娘、そして農婦の親子を順に見回した。
「母ちゃん、なんか知らない人達がいるね!誰!?」
「メイ……えっと、今、大人の大切な話をしてるんだ。暫らく外でこの子と遊んでやっておくれな」
年増女が苦く微笑んで、肩に包帯を巻いている少女をそっと押しやる。
「いいだろう?」
言ってから、了解を求められた農婦も頷いた。
「……お母ちゃん。だけど、あたし」
心細そうに母親の袖を引っ張る農婦の娘だが、村長の娘は無頓着に、年上であろう農婦の娘に話しかけた。
「あたい、メイ!あんたは!」
新しい友だちに目はキラキラと輝いている。
救いを求めるように母親を見るが、言ってきなと言われると、頷いて一緒に外に出て行く。
「……あたしはニ、ニーナ」
「行こう!ニーナ!」
子供たちの背中に年増女が気楽な口調で声を掛けた。
「大丈夫だよ。いい子だから」
「さて、で、何があったか聞かせてもらえるかい?村の傍のことだからね」
改めて村長が農婦へと向き直って、強い口調で問いかける。
「巻き込まれたものとしても、何があったかは気になるな」
やや眠たげな黒髪の娘も、鋭い眼差しで農婦を見つめた。
「……分からないんです。突然、洞窟オークが襲って来て……」
両の掌で双眸を覆った農婦は、啜り泣きながら掠れ声で答えて首を振った。
「……あいつらは洞窟オークであったか」
黒髪の娘の呟きに、エルフ娘は顔を覗き込んだ。
「知ってるの?アリア」
「穴オーク。オーク小人とも云う。怠惰な種族でな。非力で鈍い。聞いたとおりであった。大した敵ではないよ」
くつくつと笑ってから、エルフの顔を見上げて言葉を続ける。
「ゴブリンなどと違って鍛錬を詰む者も滅多にいないから、手練の戦士ならまずは負けない。
だが、あいつらは怠惰で……臆病だったと思ったが……」
話しているうちに眠気が押し寄せてきているのか。
瞳を眠たげに細めて、手を伸ばして藁の寝床を探るが、枕がない。
女剣士はエルフをじっと見てから、その膝に頭を横たえた。
エルフ娘は少しびっくりしたものの、そのままにさせておく。
「あれほどの数の穴オークに追われるとは尋常ではないな。奴らの巣にでも火をつけたか?」
膝枕で欠伸をしながら、涙目の女剣士が農婦に訊ねかけた。
エルフ娘は話を聞いているのか、いないのか、女剣士の額を掌で撫でている。
「実は村が洞窟オークたちに襲われまして……」
壁際でそれまで黙って話を聞いていた二人の村人が、顔色を青ざめさせて顔を見合わせた。
「あらあら、まあまあ、大変だったねえ」
村長の顔も強張ったが、口に出しては呑気そうにそう云っただけだった。
何処かの村が襲われたのだとしたら、旅人としては避ける意味合いでも知っておきたいので、エルフ娘は記憶を呼び覚まそうとした。
「確か、ティティリスだったかな」
農婦はムッとしたように、村名を間違えたエルフ娘を睨んだ。
「トリスです」
女同士でやたらにべたべたしている旅人たちの姿は、平凡な農婦には忌避感を誘うものがあったのかも知れない。
やや嫌悪の感情を露わにして眺めていたが、二人の娘はまるで気にする様子もなかった。
「妙だな。だが、奴ら、確か臆病な種族だ。村を襲うなぞ……」
どうもしっくり来ない女剣士が、違和感を口にする。
「辺境の征服で手始めとか……頭目格が、確かそんなことをほざいていた」
半エルフは気にした様子もなく、女剣士に笑いかける。
「誇大妄想じゃない?よくオーク族も世界征服とか口にしているし」
女剣士は片目を瞑って、己が何に違和感を覚えているのか、再確認していく。
頭目格は、意志の宿った強い瞳をしていた。奴は自裁した。誇大妄想は大抵、肥大した自我を伴う。
何らかの理想、或いは計画に殉じるように自裁した姿と、どうも一致しない。
或いは何者かに唆されたか、或いは他のオーク族の動きと連動しているのか。
とはいえ、他者の心理を完璧に推測するなど不可能なので、曖昧な顔で首を振った。
洞窟オーク達は彼女の敵ではないし、辺境の村々は彼女の領地でもない。
「まあ、よい」
小さく呟いて考えるのを止めた黒髪の女剣士は、強い眠気に襲われて欠伸をした。
「そう、臆病な種族だからね。人を襲うのは少し信じがたい」
口にして村人たちや旅人たちを見廻した村長も、洞窟オークの性質は幾らか知っているらしい。
「雑木林の奥に死体があります。何か手がかりがあるかも」
云ったエルフ娘の膝の上で相当に疲れていたらしい。女剣士が寝息を立て始めていた。
エルフ娘が起こそうとするのを、年増女が手を振って止めた。
「ああ、休んでておくれな。本当に疲れているみたいだし、礼もあるしね。出来れば、昼飯も用意するよ」
にこやかに笑っている年増女をしばし見て、エルフ娘は礼を受け取る意味で頭を下げた。
「……感謝します、ではお言葉に甘えて」
農婦は村人の一人に連れられて、村長の家から出て行った。
村長と残った村人も、家の外で何やら話し合っている。
「……無用心だな」
村長の家を見廻しながら呟いたエルフ娘だが、多分、裕福そうな此方の身なりに対する信用なども含めて、盗まれるような物もないと判断したのだろうと考えた。
寝ている想い人の体温を感じながら、エルフ娘は、しばし女剣士の黒髪を指先で弄んでいた。
昼ごはんも用意してくれるというのなら、今はやるべき事もない。
壁に寄り掛かったまま、さしてくる日差しを浴びてぼんやりしているうちに、穏やかな陽気に誘われたのか、己も頭をうとうとと揺らし始めるうちに藁の寝床に倒れこんで抱き合って眠りに落ちていった。
昼前には、現場を見に行った二人の冒険者たちが戻ってきた。
態々、同行してきた村のお調子者が『山ほど沢山のオークの死骸』があると青い顔をして戻ってきた事から、農婦の話は真実なのだろう。
村長の家の入り口で、村長と二人組の若い冒険者は藁の寝床に寝ている女剣士に視線を向けた。
「そんなにかい?」
年増女が尋ねると、少年と青年の狭間にいるような茶髪の若い男が強張った顔で頷いている。
「沢山の小さな足跡が残っていたよ。凄い数だった。
森の奥には二十近い洞窟オークの死骸がごろごろと転がっていた」
やや年嵩の赤味掛かった茶髪の女も、低い声で呻くように告げた。
「……あんな光景は見たことない。怒らせないほうがいいと思う。姐さん」
「そんな心算は最初からないよ。だけど、偉そうなのは態度だけじゃなかったんだねえ」
頭を掻いた年増女は、首を振りながら藁の寝床に眠る二人の娘を眺めて溜息を洩らした。
「で……オーク連中の狙いとか、手掛かりになりそうな何かあったかね?」
「いんや、それらしいのは全然。
ただ、追手にあれだけの数を割けるなら、洞窟オークは相当な数じゃないかな」
冒険者の若い娘の方が首を振りながら、考えを述べる。
「頭目らしいでかい奴も、何も持っていなかったよ」
難しい表情の青年が視線を向けると、村長は深々と溜息を洩らした。
「トリスの事といい、頭が痛いねえ」
「でも、二十も頭数を失ったんだ。
連中、何を企んででいるとしても少しはおとなしくなるんじゃないかな」
若い男が元気づけるように言ってから、真剣な表情で藁の寝床を覗き込んだ。
「にしても、信じられないな。あんな綺麗な人が……抱き合って……眠ってる?」
若い娘が言いにくそうに呟いてから、視線を逸らした。
「……エルフとかにはよくあることらしいよ。その……同性で」
「勿体無いな。二人ともあんな美人なのに」
ぼやくように青年が肩をすくめた。
腹が空いた。そう感じて女剣士は起き上がった。
太陽の位置からして、時刻は昼頃。傍らでエルフも寝ていた。
手持ちの荷物も剣も全て揃っている。
周囲を見回してみるが、エルフ娘と村長の家に二人きりである。
「無用心なことだ」
首を振って呟いてから、女剣士は長剣を手にとって引き抜いた。
細かい刃毀れが幾つか生じていた。
水筒の水を使い研ぎ石を当ててみるが、苛立ち、舌打ちして直ぐにしまい込んだ。
「近いうちに研ぎに出さねばならぬな」
不機嫌そうに呟いてから、村人の押し寄せてきた河原での光景を思い起こし、立ち上がった。
「そういえば、ドウォーフがいたな……槌を持っていた」
頤に指を当てて考え込み、それから友人を起こそうとする。
「エリス。起きろ。エリス」
「……うぅん」
肩を揺するが、中々、目を醒まさない。
寝ているエルフ娘を一人にして大丈夫だろうか。
少し悩んだが、村人に害されたり、何かを盗まれるとは余り考えがたい。
多分だが、大丈夫だろう。
そう結論付けて、エルフ娘の尖った耳元で
「私は少し出かけてくる。戻るまで此処で待っていてくれ」
「……うん」
眠気交じりに肯いたエルフ娘を少し疑わしげに見つめてから、女剣士は剣を片手に家を出た。
村の道をぶらついていると、程なくして目当てのドウォーフの姿も見つかった。
草叢に座り込んで、何をするでもなく青空をのんびりと眺めている。
横には革製の大きな背嚢が置いてある。
がっしりとした筋肉質の短躯に太い腕、腰には鉄の槌を二つ括り付け、編みこんだ見事な白髭を膝まで垂らしている。
革服から飛び出した赤銅色の逞しい太腕には、火傷の痕跡が幾つも残っている。
これは十中八九、鍛冶師に違いあるまいと思いながら、女剣士は声を掛けた。
「御主、鍛冶師か?」
女剣士を見上げると、ドウォーフは無言で肯いた。
「製品を見せてくれぬか?」
腕を知りたいのだなと目星をつけて、当たり障りのない鎌やナイフなどを広げた。
「求めているものがあったかな、お嬢さん」
女剣士は、暫らく商品を真剣な目で見つめていたが、やがて己の長剣を取り出した。
「研げるか?」
鞘から引きぬき、白髭のドウォーフは低い鼻の曲がりそうな血臭の凄まじさに顔を歪める。
「……おぬし。これは……」
何人斬ったらこうなるのか。
「……今朝、洞窟オークに襲われた。半月前には訪ねたモアレがオークに占領されていたし、
その前の日には盗賊のフィトーに襲われた」
小さな眼をぐりぐり動かして、ドウォーフは黒髪の女剣士を見上げる。
「フィトーを討ったのはあんたか、いや、待て、モアレが襲われたって?!」
「うむ。オークに占領されて、村人は散り散りだろう。知らなかったのか」
「本当か?」
ドウォーフが疑い深そうに訊ねてくるのを、女剣士は肩を竦めて如何でも良さそうに答える。
「此の目でみた。それより研ぎを頼めるか?」
長剣を手に取ったドウォーフは、首を傾げてじっと刀身を眺めて吟味していた。
「……ちょっと預かるぜ」
「うむ」
肯いた女剣士を連れて河原に向かうと、ドウォーフは荷物を広げる。
「……あれ、アリア?何処いったんだろ」
エルフ娘が目を醒ますと、相棒の女剣士の姿が見当たらない。
寝起きが悪いのか。
眼を擦りながら周囲を見回していると、小腹が空いたのが腹が鳴った。
「昼ご飯を馳走してくれるといったけれども……」
外は晴天の空が広がっている。
旅をしていれば、太陽の位置から時刻は正確に測れるようになる。
正午の少し前くらい。ふらふらと外に出る。
昼飯の前に、軽くでも何か食べるものでもないかと、村を歩き始めた。
ゴブリン爺さんの露店に通り掛かる。相変わらず、木の実や干した魚やらが並んでいた。
エルフ娘をみとめた老ゴブリンが嫌そうな顔をしたので、愛想笑いを浮かべて近づくが、威嚇するように歯を剥き出されて慌てて逃げ出した。
「お腹空いた……朝は軽く済ませたのにいきなり走り回ったから」
ゴブリンに食べ物を売って貰えなかったので、腹の音を響かせながら翠髪のエルフ娘は村の反対側へと向かうと、ちょっとした空き地に子供同士で遊んでいる姿が目に入った。
農婦とその娘もいたので近寄ってみる。
「やあ」
「……あ、朝のエルフさん」
農婦の娘に話しかけると、まだ少しぎこちないながらも大分、険の取れた顔で挨拶してきた。
「エリスだよ」
「あたし、ニーナです」
会話を交わしていると、農婦が立ちはだかるように間に立った。
びっくりして農婦を見ると、胡散臭そうにエルフ娘を眺めている。
「うちの娘になんぞ用?」
「気になったから、来ただけだが……」
嫌悪感を剥き出しにして農婦はエルフに言い放った。
「……女同士で手を握ったりして。あんまり娘に近づかないで欲しいんだけどね」
「……失礼な人だね、貴女は。
私たちが洞窟オークを蹴散らさなければ、死んでいたに違いあるまい。
仮にも恩人に向かってそれはないのではないだろう」
窘めるようにぴしゃりとエルフ娘に言われて、農婦は鼻白んだ様子だった。
性情は陰険ではないのか。強気に出られると弱くなるのか。
云われてみればその通りであると反省した。
「すんません。助けていただいたのに……」
急に弱気になった農婦にエルフ娘は眉を顰めていたが、無礼は水に流す事にしたのか。
咳払いして改めて問いかけた。
「……で、此れからどうするんだね?村は襲われてしまったそうだけど」
聞いてくるエルフの娘に好奇心の色は見えない。声音からは労わりが聞き取れた。
性的嗜好は兎も角として、どうやら親切な性質らしいと思い、農婦が頷きながら
「一応、畑の手伝いで、春までは居ていいそうで。それから大きな村か町へ向かってみようかと……」
農婦が其処まで云ったところで、急にエルフが明後日の方向へと向き直った。
「なんだろ?村の入り口の方」
呟いているエルフに戸惑い、口篭っている農婦の耳にも、やがて喚声が響いてきてその顔が恐怖に激しく強張った。
「こ、これは……あいつらだよ。洞窟オークが来たんだぁ!」
聞き覚えのある甲高い叫び声が、生々しい恐怖の記憶を呼び覚ます。
恐怖に絶叫している農婦の目の前で、幼い少女が顔面を蒼白にして立ち竦んでいた。
白髭のドウォーフは太く短い腕に長剣をかざすと、惚れぼれと眺めていた。
「良い鉄を使っているな」
対面の石に腰掛ける女剣士が肯いた。
「パティスの刀工による逸品だ」
「なるほど、パティスか」
納得言ったようにドウォーフも、また肯いた。
パティスは流れの鍛冶集団の一つで、値は張るが中々に良い武具を造ることで知られていた。
大きな砥石を全体的に水で塗らし、長剣の刃を磨くように滑らして研いでいく。
女剣士も研ぐ為の一応の技能は習得しているが、本職の仕事には及ばない。
邪魔をするわけではなく、ただ楽しげに職人の仕事ぶりを見ている女剣士に、仕事も終わりに差し掛かった頃、ドウォーフが何気なく訊ねかけた。
「……何人斬りなさったね?」
女剣士は微かに目を細めた。質問に不快を覚えた訳ではないが、微かに心の奥底に漣が広がった。
「さて、覚えてないな。此の半月では三十か四十ほどだと思う」
ドウォーフは絶句して、首を振る。
「お前さま、辺境(メレヴ)の人口を半減させる心算かね?」
面白い冗談を耳にしたかのように、女剣士はくつくつと笑った。
それから苦い微笑を口元に浮かべて、白髭のドウォーフをじっと見つめた。
「大半は、生きていても仕方のない屑だったよ。幾人かは善良な人間もいたかも知れぬ」
鍛冶職人は背筋を震わせてから、長々と溜息を洩らした。
「……若い娘がなぁ」
「わたしもそう思う。だが、今さら他の生き方は出来ない。
それに戦うのも嫌いではないしな」
ドウォーフの低い呟きに、女剣士は淡々とした口調で応じた。
「戦うことは生きること。生きることは戦うことだろう」
言い切る様でもなく、自然とその言葉を口にしてから女剣士は黙ってドウォーフの仕事を眺めていた。
「出来たよ。だが、もう少し優しく扱ったほうがいいな」
差し出された長剣を日にかざし、ためつすがめつしてから女剣士は嬉しそうに破顔一笑する。
「ん、見事だ。で、幾ら払えばいい?」
「そうさな……フェレ銅貨五枚」
女剣士の裕福そうな身なりを見てから、白髭のドウォーフが値を告げた。
「少し吹っかけ過ぎだな」
女剣士はくつくつと笑っている。
ドウォーフは自分でもそう思っているので、何がおかしいのか自分でも良く分からぬままかっかっと笑った。
「だが、お主はいい仕事をしてくれた」
立ち上がった女剣士は巾着を取り出すと、フェレ銅貨を七枚を手に取ってドウォーフに払い、それから短剣を手渡した。
「此方の短剣も頼めるか?」
受け取ったドウォーフは、短剣を値踏みするように眺めてから眉を顰める。
「こっちは……余り良い品でもないな」
「うん。だが、悪くもない」
ドウォーフは女剣士をじろりと睨むと、しかし肩を竦めて研ぎに掛け始めた。
女剣士は腕組みしながらドウォーフの仕事を楽しそうに眺めていたが、雷に打たれでもしたかのように急に背後を振り返った。
村の入り口の方角、土埃が上がっているのが見える。
「……ふむ。済まぬが、短剣を此方に返してくれ」
「……おい、まだ仕事の最中だぞ」
眉を顰めて不機嫌そうな声で文句をつけたドウォーフが腰を浮かした瞬間、繁みが揺れて、河原に三匹の小柄な亜人が飛び出してきた。
「こいつらは……オーク共か!」
「ドウォーフ!ちびの屑野郎!」
叫びながら飛び上がったドウォーフに亜人たちが向き直り、憎々しげな喚き声を上げて突進してくる。
「こやつらは洞窟オークだ!恐らくはトリスを襲った連中と同じであろうな!」
愛剣を引き抜いた女剣士が白髭のドウォーフを庇うようにその傍らに立った。
ドウォーフが腰から鉄の槌を取り出すのと同時に、長剣を煌めかせて女剣士は駆け出した。