村の片隅にある今にも崩れそうな泥作りの小屋で、両親と娘の一家三人が藁を敷いた寝床で安らかにまどろんでいると、突然、扉が激しく叩かれた。
扉が壊れてしまうのではないか。否、壊す心算で叩いているのか?
そう思うほどに尋常ではない切羽詰った叩き方で、まどろんでいた父親も妻に躰を揺すられるまでもなく不快そうに目を覚ましていた。
「なんだ。扉が壊れるぞ」
ぶつぶつと文句を言いながら、欠伸をしながら父親はくたびれた上着を被って起き上がった。
扉が壊れてしまうというのは、冗談ごとでも何でもない。
蝶番も、錠前も、精巧な金属製品というのは押し並べて高価な辺境である。皮や布の垂れ幕を扉代わりとしている家も多かった。
歪な形をしている家の扉とて、玄関だけを木材で整えて祖父の代から使用している古い代物である。
錆びた蝶番は脂を塗ろうが常に軋んだ音を立てるし、木材も相当に老朽化している。
力加減を間違えれば、本当に壊れてしまうに違いない。
それでも祖父から受け継いだ自慢の扉である。壊されてはたまらないと扉を開けると、隣の家に住む男が外に立っていた。
父親は文句を云おうとして、いつもは穏やかな笑みを浮かべている小太りの隣人の衣服に血痕がべったりとついているのに気づいた。
怪我でもしたのか。切羽詰った顔で荒い呼吸を繰り返している隣人の様子は、誰がどう見ても尋常では無かった。手には、血に塗れた青銅製の手斧を握り締めている。
妻と娘を庇うように背中に隠しながら、隣人を怒鳴りつける。
「なんだ。何のようだ!」
血走った目で父親を睨みつけると、小太りの隣人が喚いた。
「何の用だと!あの音が聞こえんのか!」
切羽詰った隣人の指摘に騒音に気づいて、漸く父親の顔色が変わった。
村の西では喚声が鳴り響きながら、徐々に我が家に近づいてきている。
呆然としている父親に向かって、扉の前に崩れ落ちながらも、隣人は狂乱したように喚き続けている。
「穴オークだ!連中が……!」
「穴オーク?畑泥棒でも捕まえたのか?」
南の渓谷に棲まう洞窟オークや野良の洞窟オークたちは、時々、村に入っては盗みを行なう。
不器用なので大抵は捕まり、私刑で激しく鞭打たれる。そのまま死んでしまう者もいる。
「そんなんじゃない!襲って来ている。凄い数だ!」
隣人の怒鳴り声に息を飲む父親。
洞窟オークは臆病な種族である。数人の集団で盗みを行なうことはあっても、体躯の勝る人族を相手に正面切って攻めてくるとは思ってなかったが、切羽詰った隣人の様相を見れば嘘とも思えない。
「……何人だ?」
「分からん。二十か!その倍か!」
二十以上の数を、父親も隣人も知らない。
村の内では、二十が数え切れないを形容する最大限の数である。
それで兎に角、途方もない数だと理解して、顔色を変えながら父親は抱き合っている妻子を見つめた。
途方に暮れたような表情で口を半開きにしている父親に、娘はきゅっと強く母親に抱きついた。
「南の方から、もうゲールの家のところまで入り込んできている。
どこからか武器も持っていて……!」
なおも小太りの隣人が喚いている所に、家の横の路地を駆け抜けて小柄なオークが姿を現した。
咆哮しながら隣人に飛び掛ってくる洞窟オークを、小太りの男は拳を振り上げて迎え撃った。
父親は顔を振ると、家の奥へ行って穂先の錆びた粗末な槍を持ち出してきた。
普段は狩りに使っているその短槍は、どこぞの戦に行った祖父さんが持ち帰ったらしい形見の品であった。隣人と揉み合っている洞窟オークの横っ腹をいきなり突き刺してから、父親は恐怖に震えている妻子に振り返って、厳しい口調で言い渡した。
「お前……ニーナを連れて部屋の奥に行ってろ」
妻が頷くと、絶叫を上げている洞窟オークに止めを刺してから、死骸をどかして隣人を助けこす。
「直ぐに戻ってくる。隠れていろ」
小太りの隣人が棍棒を拾い上げると、男たちは頷きあって村の西へと駆け出した。
直ぐに戻ると言い残して駆けていった父親は、四半刻もしないうちに本当に直ぐに戻ってきた。
「……と、父さん?」
恐い表情をした父に脅えた声で呼びかけながら、娘がきょろきょろと周囲を見回すが隣人の姿は見えない。
父親の手にした槍は半ばからへし折れ、ただの棒切れとなっていた。額から血を流し、服は引き裂かれ、引き攣った強張った表情で夫は妻子を眺めている。
「……あんた?どうなってるの?」
妻の言葉には応えずに、父親は妻子を引っ張って表へと出る。それから振り向いて
「……ニーナ、お母さんと一緒に村の外へ逃げなさい」
「……ねえ、あんたったら!」
叫んだ妻の声に呼応したかのように、道の正面に数匹のオークが現れた。父親は、狂ったように棒切れとかした獲物を振り回しながら、突っ込んでいく。
「早くしろ!早く!」
これほど大きな声で父親に怒鳴られた事はかつて無かった。立ち竦む娘の手を引っ張って、飛び上がった妻は我武者羅に走り出した。こけつまろびつ走り去る娘が後ろを見ると、倒れた父親に、石をどかした影の蟲みたいに小柄な穴オークたちがうじゃうじゃと群がっていた。
「いっ、いひっぃぁああ!」
外れた声で恐怖に腰が抜けたようにへたり込む娘を叱咤し、無理矢理に立ち上がらせて母親は走り続けた。村の何処を見ても、何処からこれほどと思うほど夥しいオークが駆け回っている
僅かな村人が逃げ惑っている最中、捕まった女が服を引き毟られている横を駆け抜けて村の外を目指した。
余りに強く引っ張られて、腕が抜けてしまうのではないか。そう思うほどの苦痛に娘は甲高い悲鳴を上げていたが、母は一切構わなかった。兎に角、オーク達の大勢いるのとは反対方向にひたすら逃げる。
一度、途中で襲われたが、村の猟師が割って入って助けてくれた。
「行け!早く行け!」
オークを突き飛ばして叫んだ猟師の口の端には、血の泡が吹き出ていた。震える手で腕を押さえていた母親が立ち上がると、礼も云わずに再び逃げ始めるが、洞窟オーク達は一人も村人を逃がす心算がないのか。
背後から、オーク達の喚き声が何処までも母娘を追いかけてきた。
のんびりとした歩調で、二人の娘たちは丘陵地帯に伸びる街道を進んでいた。
空は蒼く、何処までも広い。原野の彼方には一筋の白い雲が浮かんでいる。
早朝の太陽は、春の日差しにも似た穏やかな恵みを大地に投げかけており、時折、そよ風が潅木の枝や足元の枯れ草を揺らしながら街道を吹き抜けていった。
小春日和のようにも感じられる穏やかな気候を全身で楽しみながら、二人の娘は良い気分で街道を進んでいる。
澱んだ小池を望む小高い路に差し掛かった時であった。
過ごし易い天候に時折、立ち止まっては野の草花を摘んだり、鼻歌を唄ったりとのんびりとしていた二人の前方で、葦の繁みを掻き分けながら子供連れの女が街道によろよろと進み出てきた。
服装から見たところ、平凡な農村の貧しい農婦であろうか。
子供と共に二、三歩をよろめき歩いてから、其処で気力が途切れたのか。女はがっくりと道の中央で崩れ落ちて動かなくなった。
「……行き倒れかな」
首を傾げるエルフ娘に、女剣士は前髪を弄りながら呟いた。
「今のご時勢、そう珍しいことでもあるまい」
どちらからともなく視線を合わせてから、歩み寄ってくる二人の娘を目にして、精根尽き果てた様子で喘いでいた農婦が目を見開いた。
子供も真っ青な顔で喘ぎつつ、地面に倒れこんでいた。
水筒を取り出して渡してやると、貪るように飲んでから咳き込んで口を開いた。
「……逃げ……逃げないと……来る……」
「……来る?何が来るというのだ?」
いぶかしむように女剣士が眉を顰めた直後である、彼女たちを追いかけるように数匹の小柄な亜人が喚きながら繁みから姿を現した。
十匹か。十五匹か。相当な数である。
亜人たちは周囲を見回し、疲れて倒れ伏している農婦と子供、そして二人の娘を見咎めた途端に吼え声を上げた。
「いたぞ!猿共だ!」
「人とエルフだ。征服の前祝いに血祭りにしてやれ!」
「殺せ!猿共を殺せ!」
四人を見咎めた途端に、憎々しげに叫んでいきなり襲ってきたのは全く突然の出来事であった。
油断していたと言うのは、やや酷に過ぎるかも知れない。
オークによく似た、だが幾分か小柄な亜人たちに不意打ちされた時、歴戦の女剣士にしてからが何とか鋼の剣を引き抜いて戦う姿勢を整えるのがやっとであったから、エルフの娘の脳裏が真っ白になって立ち竦んでしまったとしても無理は在るまい。
「……オーク?」
「違う……いや、分からん!!」
棒立ちになってるエルフ娘を庇うように、小さな青銅のナイフで斬りかかった小柄な亜人を切り裂いて女剣士が叫んだ。
「兎に角、逃げろ!エリス!走れ!」
「でっ……でも!」
「手に負える数ではない!行け!」
躊躇うエルフ娘に切羽詰った激しい口調で命じながら、女剣士は長剣を振り回し、棍棒や短剣、石斧に先を尖らせた木製の槍を振りかざして襲ってくる小柄なオークたちを必死に牽制する。
逃走を指示されたエルフの娘はなおも僅かに躊躇を見せていたが、戦う力を持たない彼女が残っても足手纏いにしかならないと悟る。
小柄な亜人が迫ってくると友人を心配しつつも未練を振り切り、丘陵の麓に広がる林へと向かって走り出した。女剣士も、敵の動きを牽制しながら後を追って離脱を図る。
親子であろうか。視界の隅で、子供連れの農婦が追い掛け回されている姿が映るが、友人を逃がすのと、己が身を守るのだけで精一杯である。此処で戦い続ければ、数の不利から何時かは引き摺り倒されてしまうだろう。二、三匹の亜人が吼え声を上げながら、エルフの背中を追いかけようとするのを剣を振るって牽制してから、女剣士も素早く身を翻すと逃走へと移った。
突然に襲ってきた上、果たして何匹いるかも分からぬ正体不明な小柄な亜人たちではあるが、幸い、好戦的な割には、女剣士から見てそれほど大した腕前は持ていなかった。
エルフを逃がした代わりに踏みとどまっていた女剣士を取り囲んで、七、八匹の小柄な亜人が威嚇するように喚き散らしているが、足取りは重く、動きは鈍重で動揺しなければ何とか対処しきれそうだった。真正面に立った小柄な亜人を、振り下ろした渾身の一撃で切り倒すとそのまま包囲を切り抜けて、友人の逃げたと思しき雑木林の方向へと走り出した。
潅木の狭間を飛ぶように駆けながら、エルフ娘は逃げ続けていた。追っ手の小柄なオークたちの足は遅い。蟹股で身体を揺らすようにして走る。健脚のエルフ娘なら、さほど苦労せずに振り切れるのだろう。雑木林へと逃げ込んでいったエルフ娘を木立の狭間に見失った小柄な亜人たちは、舌打ちながら慌てて辺りを見回した。
鬱蒼とした雑木林の中は、僅かな木漏れ日が刺してるものの、奥に行けば薄暗くて酷く見通しが悪い。穴居種族である亜人たちはそれなりに夜目が効いたが、見知らぬ森に踏み込むのは流石にためらいを覚えた。
三匹の亜人たちは、小声でぼそぼそ囁きあって相談する。
仲間の下へ戻ろうか、そう結論を出しかけた時、近くの木立から音がした。
木々の影からエルフ娘が、顔だけ出して此方を覗き込んでいた。
「……きゃうっ!」
見つかったというように表情を驚愕に染めると、小さく悲鳴を上げて慌てて背を翻して駆け去っていく。
「こっ……来ないでよ!」
無様に転んだエルフ娘が慌てながら立ち上がって走り出すのを見て、小柄な亜人たちは誘い込まれるように再び追跡を開始した。
小柄な亜人たちの一匹一匹は大した使い手ではなかったが、兎に角、数が多かった。
まともに戦っては手に負えないと見るや、女剣士はひたすら逃げの一手に徹している。
雑木林の木立は乱雑で地面の起伏も大きく、女剣士が逃げ惑いながらも時折、立ち止まっては戦い、また戦いながら逃げ惑っているうちに亜人の幾人かは振り切れたらしい。
諦めたのか、此方の姿を見失ったのか。明白に追いかけてくる数が減っている。いまや亜人たちは隊列も乱れ、纏りを失って二、三匹ごとの小集団でバラバラに追いかけてきている。
ちょっとした空き地を見つけた女剣士は立ち止まり、呼吸を整えながら地面に鋭い視線を走らせては起伏の有無や根っ子の位置をそれとなく頭に入れていく。此処なら長剣を振り回し、四方八方に飛び回っても思い切り戦える。
己の有利な戦場で待ち受けている女剣士の前に、やがて二匹の小柄な亜人が姿を見せた。
「ベレルに掛けて!」
逃げるのを止めた獲物を見て、戸惑うように顔を見合わせてからじりじりと近づいてくる亜人たちに向かって、女剣士は長剣を振りかざすと猛然と突撃を掛けた。
小柄な亜人たちがきょろきょろと視線を走らせて何かを探している姿を、樹上から枝に寄りかかってエルフの娘は眺めていた。どうやら、彼らは木に昇るという発想自体に疎いらしい。
目の前の樹木の陰で消えたエルフ娘が、頭上の枝葉に隠れているとは全く気づかずに、不思議そうに首を捻っている。亜人たちの足は遅いから、逃げようと思えば逃げ切れなくもないだろうと踏んでいるが、走れるだけ走って試すよりは、出来れば諦めてくれる方がありがたい。
此の侭、居なくなってくれるといいのだけれど。枝の上に座りながら呑気に構えているエルフの真下で、亜人たちはやたらとしつこく粘ってくれている。鼻を鳴らして地面を嗅ぎまわり、途切れた足跡の先を執拗に探し廻り、周囲を歩き回っては戻ってきて不思議そうに首を捻っている。
どうやら相当に執念深い性質らしい。或いは、離れない心算だろうか。
……何者なんだろう。アリアは無事かしらん。
考えているエルフの耳元に、木立の彼方から剣戟を交わすような物音が響いてきた。
ハッとして顔を向けると、唸り声や悲鳴、断末魔の叫びまでもが聞こえてくる。
亜人たちに追い詰められたのか、エルフを探しにやってきたのか。友人が一戦し始めたらしい。
眼下の小柄な亜人たちは不明瞭な唸り声を二、三交わすと頷きあった。どうやら応援に向かうらしい。
こんな動きの鈍い連中に友人が負けるとは思わないものの、負担を増やすのは良くないだろう。
「……よっと」
エルフは、小柄の亜人たちの目の鼻の先に飛び降りた。
顔を合わせていた亜人たちが、ギョッとして振り返る。
こいつ、何処から現れた!?とでも言いたげに驚愕に表情を固めた亜人たちに手を振りかけると、エルフ娘は再び逃げ出した。
腹を切り裂かれた六匹目の亜人が、臓腑を撒き散らしつつ絶叫した。目の前の亜人を蹴り飛ばして横転させると、横合いからナイフを振りかざして飛び込んできた別の亜人に横薙ぎに振るった一閃をぶち当てて顔面を破砕、仰け反ったところに狙い済ました一撃で頚動脈を切り裂き、吹き出した鮮血を浴びながら呟いた。
「……七匹」
女剣士の息はやや乱れている。八匹目の小柄な亜人が憎々しげに此方を睨みつけている。
思い切り踏み込んで棍棒を振り下ろすよりも早く腕に一撃を加え、悲鳴を上げた所を横隔膜の辺りに剣先を叩き込んだ。地面に倒れてのた打ち回る亜人を足で抑えると、喉元を切り裂いて止めを刺す。
「九……いや、八か」
ちょっと疲れている。鉄錆に似た鮮血の匂いが女剣士の鼻腔を刺激していた。
病み上がりの身体に加えて、亜人たちは当初、女剣士が想定していたよりもずっと執拗な相手だった。
目の前で少なくない仲間が倒されたというのに、後から後から湧いてきては襲い掛かってくる。まるで、此方が親の仇ででもあるかのような士気の高さである。
お蔭で休む間もない。
額の汗と返り血を拭っている女剣士の目前で、再び、木立から二匹の亜人が姿を現した。女剣士は呼吸を整えて、再び長剣を正眼に構える。
薄暗い森に聳え立つ大木の根元で、槍を片手に小柄な亜人は不可解だと首を捻った。
物音のした方向に近寄ってみれば、仲間たちが血を流して倒れていた。
しゃがみ込んで触ってみると、二人とも確実に死んでいるのが一目で理解できた。目と鼻から血を吹き出し、片一方など鈍器か何かの衝撃で目玉が飛び出ている。
触ってみると、凄い力で叩き潰されたかのように頭蓋が割られていた。
あのエルフ娘はそんな凄まじい膂力の持ち主には到底、見えなかった。
或いは、探索の最中に運悪く腹を空かせたオグル鬼とでも遭遇したのだろうか。だとしたら、何故死体を持っていかないのか。
立ち上がった亜人が少し脅えて辺りの木立に視線を走らせていると、木漏れ日を受けて地面に何かが輝いた。歩み寄って拾い上げてみると、輝く色の銅貨だった。驚き、溜息を洩らしている小柄な亜人の頭上でかさりと小さな葉擦れの音がした。
「……ゃ!」
何気なく顔を上げた小柄な亜人の視界に一杯に、鬼気迫る表情で棍棒を手に落下してくるエルフ娘の姿が広がった。
十二匹目の小柄な亜人を切り倒してから、女剣士は後退しつつ大きく喘いだ。
雑木林の小さな空き地は、流れ出た亜人たちの血と臓物と亡骸で足の踏み場もなく舗装されている。距離を取っている亜人たちは、漸くに怯みを見せていた。
後続が現れる気配も途絶えている。残りは五匹。
他にもいるかも知れないが、近くにはいないのだろう。
戦うでもなく、逃げるでもなく、躊躇いがちに睨みながらも歯噛みしている亜人たち。
やや背丈の高い大柄な亜人、一番後ろで偉そうに控えていた奴が険しい瞳で女剣士を睨みながら、怨嗟の入り混じった呪詛を洩らした。
「辺境征服の為の大切な兵を……よくも、ぎざま……」
憎々しげな呟きは、およそ聞き捨てならない内容であった。
誇大妄想狂の気でもあるのか。にしては異様に真の籠った口調に聞こえていた。
「辺境の征服……お前、何者だ?何を企んでいる?」
黒髪の女剣士の問いかけに答えるでもなく、じりじりと後退った頭目格の亜人が口を開いた。
「……退くぞ。ごふっ」
「……あ」
横合いの繁みから飛び出したエルフ娘が、木の槍を頭目格の横っ腹に突き刺していた。他の亜人たちも驚愕に固まっている。エルフは槍を引き抜くと、身を翻して素早く再び繁みの奥に逃げ出していった。
亜人たちが露骨に動揺しているので、此の機に乗じて女剣士が咆哮を上げながら吶喊した。棒立ちの一匹を切り倒すと、残った三匹は武器を捨てて逃げ出した。背中を見せたところを女剣士がさらに一匹突き倒し、再びエルフが繁みから飛び出してきて槍を突き出して一匹の太股を突き刺した。走り去る最後の一匹に、太股を刺された奴が悲鳴を上げて助けを求めていたが、エルフ娘の振り下ろした棍棒で甲高い鳴き声も途絶えた。
雑木林の広場に再び静寂が舞い戻ってきた。
「役に立った?」
褒めて欲しそうにエルフ娘が得意げな顔をしている。
「よい不意打ちだったよ。私も想像していなかった」
一瞬だけ苦い表情を浮かべたが、争い事を苦手とする筈のエルフ娘が、態々助太刀しに戻ってきてくれたのである。
微笑んでからエルフに首肯すると、女剣士は膝を付いている頭目格の元へと歩み寄った。
いい所を突き刺したらしい。腹を押さえている小柄な亜人は、虚ろな目をして空を見上げ、ひゅーひゅおと苦しげな呼吸を繰り返している。
「血止めをしてやる故、武器を捨てろ」
見上げた小柄な亜人は、憎々しげに表情を歪めながら血の混じった唾を吐いた。
「……なんのつもりだ」
「二、三聞きたいことがある故にな……お前の口にしていた辺境征服とか。
どうもただの戯言にも思えぬ」
「……云うと思うかよ」
苦しげに咳きこんだ小柄な亜人が、嘲りの言葉と共に獰猛な笑みを浮かべた。
次の瞬間、手元のナイフを振りかざすと、己の喉元に一気に突き立てた。息を呑んで駆け寄った女剣士だが、倒れた亜人は小刻みに痙攣しながら急速に死へと向かっていった。
「何とかならぬか?」
戸惑っているエルフ娘に呼び掛けるが、一目見て黄泉路に旅立ちつつある亜人を呼び留める手段がない事を悟り、首を横に振った。
「……これは無理だよ」
理由は分からずに、だが肩を竦めたエルフ娘の言葉に、女剣士は音高く舌打ちした。