老婆との不毛な会話を打ち切って船着場のあばら家を出ると、その頃には外の風も大分、冷たくなっていた。
初冬の夕暮れは早い。あと二刻も経てば、周囲に薄闇が広がり始めるだろう。
灰色の空を見上げると、分厚い暗雲は未だ地平の彼方まで垂れ込めていた。
とは言え、高い空では風の流れも幾分か強いのだろう。
雨雲が所々烈風に切り刻まれて、切れ切れとなった雲の隙間には冬本来の無色の空が顔を覗かせていた。
恐らく夜半には雨も収まるに違いない。
降り続ける小雨に黒狼の毛皮のマントを濡らしながら、額に張り付いた前髪を右手でかき上げた。
上流の天候も、早く収まるといいのだが……さて、此れから如何しようか。
予定といえば、旅籠に戻って寝るくらいしかないが、そこで供される夕餉の質を考えると憂鬱にならざるを得なかった。
「夕食もあの粥か。気が進まぬ」
泥に塗れた黒い子犬と追いかける半裸の子供達が、苦々しく呟いた女剣士の横を駆け抜けていった。
跳ね飛ばされた泥に白い洋袴(ズボン)のすそを汚されて小さく舌打ちすると、鼻水を垂らした少女が立ち止まって不思議そうに女剣士を見上げた。
「……きれいなおべべ」
無邪気に笑みを浮かべた少女を怒鳴りつけるほど横暴ではなく、若干、不機嫌になりつつも眉を顰めて歩き始める。
河沿いの小村落に、多少でも気の効いた食事を出す店などないのは一目で分かった。
船着場の老婆に拠れば、近隣の村や旅籠も似たようなものだそうで、しばらくまともな食事にありつくのは望み薄そうだ。
寝る場所が酷いのは耐えられても、食事が不味いのには我慢ならなかった。
牛や豚のローストにワイン、ブイヨンの効いたポタージュとは云わないが、
出来うるなら、鳥の炙り肉と小麦パンくらいは食べたい。
最悪、温めた麦酒の中に焼いた屑肉と野菜を入れたスープと黒パンでもよかった。
酷い食事ではあるが、しっかり躰を温めてくれる分、今朝の粥よりは幾らか上等であろう。
小雨に泥濘んだ小道を、西の地平から雨雲を追い払った夕日が赤く照りつける。
村の何処からか、焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきて食欲を刺激してくれた。
如何やら、村落の奥にある旅人の小屋から漂ってきているようであった。
そう云えば先程、船着場から河原にいた釣り人の姿が見えたな。
何か見繕えないかと村落を歩いてみるが、やはり碌なものはなかった。
しばらくして、見知ったばかりの半エルフの娘が村の小道を歩いているのに気づいた。
昨晩知り合ったばかりの浅い知己だが、悄然と肩を落としているのが妙に気に掛かったので話しかけてみる。
「やあ、元気がないな。如何したのだ?」
「ああ、剣士さまか。……実は魚を買おうと思ったのだけど、値が折り合わなくてね」
緑髪の娘のほろ苦さを湛えた表情に、先刻目にしていた河原での光景を併せて女剣士は事情を察した。
「ははん。さてはドウォーフに競り負けたのだね?」
エルフ娘が悔しそうな、恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「見てたのか」罰が悪そうに呟いたので、
「見えたのだ」くつくつと笑い、訂正する。
「意地の悪いお人だな。からかうお心算か?」
蒼い瞳にやや剣呑な光が走ったのを見て、手を上げて怒れるエルフ娘を宥める。
「そう怒るな。私も魚を食べたいと思って村を廻ったが、ろくな物がなかったよ」
見かけたのは燕麦の粥と小魚の干物。後は精々、黒パンくらいか……」
整った顔立ちで他意はないと微笑みかける。
胡散臭げな、だが何処か憎めない笑顔。
数瞬を如何しようか迷ってから半エルフは溜息をついて怒りを治めた。
「それでも宿の親父ご自慢の粥よりは、幾らか上等なのだろうけれど……」
「ふふ、御主も夕餉があの粥かと思うとうんざりするようだな。
一応云っておくが、主のくれた香草は悪くなかったぞ」
その一言で緑髪の娘の強張っていた表情も幾分和らいだが、からかい過ぎたのか。
エルフ娘の視線にはまだ微かに不信と警戒が感じられて、女剣士は苦笑いを浮かべた。
「いずれにしても、ティレーに入るまでは碌な食事を期待できそうにない。
川を渡れば、まっとうな食事を供する旅籠も在るかも知れぬが……」
勢いよく流れるゴートの灰色に濁った川面をじっと見つめて、女剣士は気だるげに呟いた。