「艀は出ないよ」
船着場の小屋に住んでる老婆は、ぶっきらぼうな声で告げた。
太陽が中天に差し掛かる頃、雨はやや小降りになっていた。
当面の目的地が同じティレーの町なので、半エルフの娘と女剣士は連れ立って宿を出た。
河辺にある船着場に着くと、確かに対岸までの川幅は広くて流れもかなり早い。
ゴート川は轟々と音を立て、水流が絶え間なく岩に衝突しては水面を白く泡立たせている。
此れでは艀は出せまい。泳ぐのも、歩いて渡るのも無謀だ。
「出るのが何時になるか分かるかね?婆さん」
女剣士が訊ねるも、鶏がらのように痩せた老婆は曖昧な答えしか返さなかった。
「さてねぇ。明日、明後日になれば出ると思うよ」
「婆さん、あんた昨日もそう云っていたではないか?」
埒の明かない返答に苛立たしげに舌打ちするも、鈍いのか肝が据わっているのか、老婆は動じた様子を見せない。
雨が降っているのが婆さんの責でもなければ、婆さんを責めても状況が変わる訳でもない。
女剣士が老婆と問答しているその傍らで、エルフ娘は未練たらしく川の対岸を眺めていたが、それで流れが穏やかになる訳でもない。
やがて首を振ると、川沿いの集落とその近辺をプラプラと散策し始めた。
足止めされているらしい旅人たちが、所在無げに集落に屯っていた。
旅人や行商人の他、薄汚れた三人組の男女やホビット娘、ドウォーフの男など、昨日、安宿で見た顔もちらほらと見かけられた。
家とも云えない小屋が三、四軒建っているだけのささやかな集落。
一応、旅人が泊まる為の小屋も一軒あったが、五人も泊まればもう余裕はない。
既に足止めされている旅人や放浪者で一杯だった。
一リーグも戻れば、昨晩泊まった安宿もあるし、街道の途中には朽ちかけた廃屋も時折見かけた。
潜りこむ所には不自由しない。問題は食べ物だ。
本格的な冬が訪れるにつれ、野山で獲れる野草や木の実、小動物が加速度的に減っていく。
急ぐ旅ではないが、出来るだけ早く町へと入りたかった。
城市なら風雨を凌ぐ場所には困らないし、えり好みしなければ口を糊するだけの仕事も見つかるであろうから。
旅人の小屋で無聊を囲っていた行商人たちの会話を小耳に挟んだ所では、
上流では一週間ほど前から長雨が続いており、ゴート川も数日前から増水しているのだという。
北の山の峠にはトロル鬼が出没するだの、何処其処の街道にオークが出没しただの、王都では税が上がっただの。
話好きなのだろう。年配の行商人が、取りとめもなく埒のない噂を延々と喋り続けていた。
すぐに聞き飽きて、今度は小雨の降る中を河沿いの道を歩いてみる。
河辺に生えてる草木に食べられそうな木の実や葉、薬になりそうな草や苔などを探してみるが、やはり初冬に早々は見つからない。
漸く見つけた冬蔓も、さして腹の足しになる訳でもない。
とは云え、此れは此れで貴重な甘味である。そして女性の大半は甘味が嫌いではない。
幾つかは売る為に袋に入れたものの、残りは味わいながら歩いていると、釣り人が川魚を獲っていた。
甘蔓を噛みながら、土手に立ち止まって観察する。
粗末な服装からして近隣に住む村人だろう。
中々の腕前とみえて、魚籠には数匹の川魚が入っている。
魚。そういえば暫らく魚を食べてない。
眺めているうちに無性に魚が食べたくなり、財布の中身を確かめてから話しかけてみた。
釣れますか、上手ですね。そろそろ夕飯ですね。お腹が空いてきました。出来たら売っていただけないですか?
釣り人と話してると、ドウォーフの男が近づいてきた。
エルフ娘が段階を経ながら交渉しているのを横合いで黙って聞いている。
鮎を三匹。小銭で譲ってもらえそうになった所で、いきなり横車を出してきた。
曰く、倍を出す。
こっちが先約だと抗議するも、錫や鉛の小銭では真鍮銭には歯が立たないのが世の道理である。
おまけに相手は屈強なドウォーフで、喧嘩を吹っかけようにも体格でも歯が立ちそうにない。
「悪く思わんでくれよ、お嬢ちゃん。はっはー」
悪く思わない筈がない。
恨みがましく睨みつけるが、ドウォーフ族にとってはエルフ族の怨みなど蛙の面に小便のようなもの。
満面の笑みで買い取った鮎を懐に抱えると、ドウォーフは小走りで集落へと戻っていった。
小銭と引き換えに小屋で火を借りると、やがて香ばしい匂いが辺りに漂い始めた。