「おい、後ろから見てる奴。妙な真似はするなよ?」
背後も見ずに言い放ったアリアの一言にぎくりと動きを止めたのは、彼女の死角から仲間を助けようと一歩を踏み出した大柄な青年だった。近づこうとした瞬間に牽制の言葉を浴びせられて、喉の奥で唸りながらその場に足を止める。
傍らで手斧を持つ屈強そうな青年と、二人の背後にへっぴり腰で簡素な槍を構えている身なりのいい青年も、瞳に幾ばくかの恐れと警戒の色を浮かべて女剣士の様子を窺っている。
「そっちも出て来たら?」
エリスが短槍を構えながら右手の木陰を凝視していると、蛙に似た顔をした中年の女と野良犬のように痩せた若い男が姿を現した。二人とも手にのし棒と殻竿を持ち、憎々しげに女剣士を見つめ、それからエルフ娘の顔を見て、目を見開いた。痩せた男は口を半開きにして顔を赤面させ、蛙似の中年女はますますにきつい目付きとなる。
一団は取りあえずは皆が暖かそうな衣服を纏い、敵意の有無は別にして顔には戸惑ったような色が見え隠れしていた。質素では在るが粗末ではない服装で、目の細かい厚手の布地を使っているのが見て取れる。
「……村人か?」
アリアは取り押さえている半裸の娘に囁くように問いかけた。
「……あのね、あたしは。周りに沢山オークがいてね。だからあんたたちも……」
「質問に答えろ」
腕を微妙な角度まで捩じ上げる。村人が徒手格闘術の関節技を知る訳もなく、娘は自分が何をされているかも良く分からない。ただ経験もない未知の痛みに混乱し、叫びそうになる。思わず声が上擦った。
「……いっ、痛い。折れるぅ!そうだよ。村人だよ!ずっと此処に住んでるんだ」
「……離してもいいが、妙な事は考えるなよ」
冷たい響きを含んだ警告の言葉には妙な迫力があって、娘はこくこくと頷いた。
女剣士が手を離して距離を取ると、赤毛の娘は立ち上がって涙目で腕を廻した。
「折れるかと思ったよ」
文句っぽく呟くが、アリアの冷たい瞳の色を見て減らず口を叩くのを止めておく。
「……貴女達は旅人だよね」
恐る恐るといった様子で訊ねてきた。
「旅人だよ」
「見て分からんか?」
エリスは穏やかな言い方で、アリアは辛辣な口調でぶっきら棒に答える。貴族風の娘は扱いづらいと感じたのか、赤毛の村娘は優しそうな翠髪のエルフ娘の方を向いた。
「……こんな時に訪れるなんて、ついてないね。普段なら歓迎するんだけど」
赤毛娘の言葉には、北部地方に似た訛りがあって少し聞き取りづらいが、云ってる内容が分からない程でもない。
「どうも余所者は歓迎して貰える空気でもないからね。南へ戻るところだよ」
「はっ、どうやって戻る心算だよ。門のある処は、全部オークたちが頑張ってるんだぜ」
周囲にいる誰かが吐き捨てるように言った。
「何とかするさ。なんとでもなる」
事も無げに断言する女剣士の方を、赤毛の村娘はじっと観察するように眺めた。
エルフの方は良く分からない。普通の娘にも見えるが、女剣士の方は強そうには見えた。
均整の取れたしなやかな体つき。手首を掴む力は万力とはいかないまでも力強かった。
何をされたかよく分からないうちに、地面に転がされて押さえつけられていた。
ただ単純に力が強いだけでなく、きっと戦士としてよく訓練されているのだろう。
「あ、う……えっと、他にも見つかってない村人がいるんだけど、会って貰えるかな?」
口ごもりながらの赤毛の村娘の言葉に二人の旅人は顔を見合わせてから、頷いた。
鬱蒼とした木々に囲まれた薄暗い空き地には、暗鬱な雰囲気が漂っている。
林の中。外縁から少し歩いた開けた場所に、逃げ延びた村人達が肩を寄せあっていた。
風も大きな広葉樹に阻まれて殆ど感じないが、初冬の冷たい大気までは防げない。
小さな焚き火の周囲に子供達が集まっていたが、夜には見つからぬように消すという。
女剣士は空き地に集まった村人達を素早く一瞥して、嘆息を洩らした。
それはまあ、此れだけ大きな村だから、全員が捕まる訳も無いだろうが、若い男女は数えるほどしかいない。殆どが女子供と僅かな老人たち。若い娘が数人。
不安そうに隅で手を取り合っている若い男と女は夫婦だろうか、恋人だろうか。
男の方は大柄な青年と顔がよく似ており、彼が歩み寄ると顔を綻ばせた。
遠巻きにして周囲から見ている子供たちは、顔や身体に土埃や塵がついて、いずれも目に疲れきった虚ろな色を浮かべていた。不似合いに大きな長槍を手にした白髪の老人が、奥で切り株に腰を降ろしており、村人に連れられてきた旅人たちを見て僅かに瞠目する。
空き地を隅から隅まで見回してから、半エルフの娘は溜息を洩らした。
「四、五十人もいて反攻の策でも練ってるのかと思ったら、本当に僅かな生き残りだったか」
生き残り云々が気に障ったのか、屈強な若者が翠髪のエルフ娘をじっと見つめてきた。
「……いあ、私が勝手に勘違いしただけ」
「他にも隠れている人はいると思うんだがな」
若者はそれだけ告げると奥へさっさと歩いていった。
地べたに座り込んだ恰幅のいい中年男が苛立たしげに口を開いた。他の村人達に比べて一際、仕立てのよい服装も今は煤と土ぼこりに汚れ、汗でよれよれになっていた。薄い毛髪が額にべったりと張り付き、目はどこか血走っている。
「誰だ。そいつらは?」
「旅人です。ドレルさん」
身なりのいい青年がのんびりとした口調で告げる。
「こんな時に足手纏いの旅人なんか連れてきやがって」
苛立たしげな中年男はどうやら村の顔役らしく、場を仕切っているように見えた。
「……あのね、相談事があるんだけど」
半裸の娘はおずおずと微笑を浮かべて、女剣士に用件を切り出した。
「その前に何か食べ物をくれ。腹が減った」
「……え?食べ物?食べ物ね、うん」
面食らった赤毛の娘だが、頷きながら繁みの奥へと駆け込んでいった。
暫らくして革袋を持ってくると、中から乳酪や黒パン、豆、木の実などを取り出す。
「あの……食べながらでもいいんだけど、聞いてくれる?」
「云ってみるがいい」
アリアは遠慮無しに手を伸ばして食べ始めた。冷えていて美味くもないが粗末な食事だが、この際、贅沢は言わない。エリスも黒パンを手に取った。しげしげと眺める。違和感はない。
一口千切って口に含んでも変な味も感じない。ゆっくりと食べ始める。
「おい、残り少ない食べ物を遠慮無しに喰ってくれるな」
殻竿を手にした痩せた男が文句をつけるが、半裸の娘は立ち上がって抗議した。
「あたしの食べ物をあたしが如何しようが勝手でしょう?」
痩せた男は好色そうな下卑た視線を娘の胸に注いでニヤニヤ笑いながら、鼻を鳴らした。
怯むでもなく赤毛の娘は、痩せた男を睨みつけていた。微かに困惑したエリスがアリアに視線を送ると、さして興味も無さそうに食べながら眺めている。
中年女が汚いものを見るような嘲りを孕んだ目で、半裸の赤毛娘を眺めているのを見れば、生き残った村人は全員が仲が良い訳でもなさそうだと推測する。
それとも追い詰められて、不和が表面に出てきたのだろうか。
中年男はまだ、ぶつぶつとケチをつけていた。
「やつ等がいなくなるまで、此処に隠れていりゃいいんだよ。
人数が増えれば、見つかり易くなるだろうが……!」
エリスは在る程度食べて手を休めると、後はアリアの食べっぷりを惚れ惚れと見つめる。
「よく食べるねえ」
「空腹では戦う事も出来ぬ。君は小食だな」
女剣士は半エルフの三倍程度の食事を短時間で平らげると、ハンケチで口を拭った。
「……あ」
客が予想以上に食べたからだろう。
睨み合いが終わって、此方に向き直った赤毛の娘の顔が微妙に引き攣っていた。
「で、話とはなんだ?」
それでもまだ腹六分目で、動作の鈍らない程度の食事量に収めていたアリアが、朗らかに話を切り出した。
質は兎も角、それなりの量の食事を取ったことで機嫌はよさそうだった。
微笑すら浮かべている。
気を取り直す為に咳払いしつつ、赤毛の娘は視線を宙に彷徨わせていた。
どうやって話を切り出したものか、迷っているように見えた。
「頼みがあるんだけど……あんたが強い剣士だってのは、私にも分かる」
言い難そうに、しかし言葉に必死の響きが込められていた。
「あのさ……守ってくれないかな」
「守る?」
怪訝そうに呟くアリアに、縋りつくような光を瞳に浮かべて娘は懇願した。
「そう、此処は女子供や老人しかいないだろう?だから……」
「何時まで守る心算だ?」
「やつ等がいなくなるまで」
赤毛の村娘の返答に黒髪の女剣士は鼻で笑った。
「無理だな。あいつら、此の侭村に居座る心算だからな」
「うッ、嘘だ!」
娘の憤慨したような叫びを冷たい響きの言葉で跳ね返す。
「そう思うのなら、思っておけ」
エリスが言いにくそうに頭をかいて口を挟んだ。
「その……奴らは門を修理していたよ。意味は分かるだろう?」
「それにオークだって馬鹿ではないぞ。
いずれ人数が生き残っていると気づけば、林や丘を虱潰しに探し始める。何人生き残れるかな」
村人達がざわつき、不安そうに顔を見合わせ始めた。啜り泣き出す少女もいた。若い夫婦だか恋人だかは、不安そうに肩を寄せ合った。
エリスは理不尽だと思ったが、村人のうちの幾人かは悪い知らせはもたらした旅人の責任だとでも言いたげに、顔が真っ赤にしたり、険悪な雰囲気で睨みつけてくる。アリアは険悪な空気を感じてないのか、或いは村人が激発しても問題ないと思っているかのように平然としている。
「逃げられるうちにとっとと脱出するべきだな」
「此の村で生まれて、育って、七十年も過ごして、こんな日がこようとはの」
奥にいた老人が立ち上がった。
周囲ですすり泣く子供や悔し涙を浮かべる大人を見回してから、黒髪の女剣士に話しかける。
「何とかならんか?旅のお人」
「女子供を?全員、逃がす?無理だな」
数名の子持ちの村人は絶望に目が眩みそうになるが、アリアは言葉を続けた。
「それよりは余力のあるうちに、近くの村なり町なりに応援を求めた方がよかろう。
今なら、まだオーク達も守りを固めていない」
重い絶望に耐えながら、白髪の老人は女剣士をじっと見つめた。
「町の執政官なり、豪族も、前哨を作られることをみすみす見逃しはしないと思う」
「援軍を出してくれるかのう?」
「多分な。するかも知れんし、しないかも知れん」
肩を竦めている旅人にとっては、村の破滅も所詮は他人事なのだ。
責任もとれないし、きっとどちらでもいいのだろう。
「だが、そうなれば、此処にいる者も助かる」
「貴様はなんと言う名前だったかな?」
頬杖をついたアリアは、地面を俯いて顔を歪めている半裸の娘に話しかけた。
「……ジナです」
「一緒に来るかね?食べ物の礼だ。付いてくるなら、お前一人は守ろう」
身なりの良い青年がおっとりした口調で疑問を呈した。
「……どうやって?村の出入り口は何処もオークが見張ってる」
「先刻の場所から柵を越える。
中央の小山から見たとき、一番、此処が脱出し易そうに見えた」
太陽は見えないが、空が赤く染まり始めている。夕刻が近づいてきたのだろう。
黒髪の女剣士は冷然とした態度で村人たちを見回した。
「御主達もこんな場所に留まっているのだから、似たような事は考えていたのだろう?」
途方に暮れている村人たちの間からは嘆くような声と不満げな呟きが上がった。
「……無理だ。逃げられっこないぜ」
「それに村を捨てることはできない。俺たちの村だ」
「どの道、我らは逃げる心算だ。付いてくるなら早く決めろ」
「待て、お前らが飛び出せば、此処を怪しむだろう。行かせる訳にはいかんぞ」
険悪な表情になった中年男に、翠髪のエルフの娘が口を開いた。
「つまらないケチをつけてないで、それなら何か良い手を考えなよ」
「なんだと」
村では地位や権力があるのかもしれないが、旅のエルフ娘には関係ないし、巻き込まれて出発を邪魔されても困る。
敢えて論点をずらして言い返すと、わざらしい冷笑を浮かべて馬鹿にした様子で肩を竦めた。
「お、おまえ」
顔を真っ赤にした村の顔役が一歩進み出ると、アリアがエリスを庇う位置に立った。
野生の狼にも似た冷たい黄玉の瞳でじっと見つめる。
恰幅の良い中年男は冷水でも浴びせられたかのように背筋に悪寒を覚えて、思わず立ち止まった。
後退った自分に気づいて不機嫌そうに舌打ちするとそのまま踵を返したが、まだ微かに体を震わせている。
眉を顰めて今のやり取りを見ていた老人が、溜息を洩らしてから女剣士に視線を向けた。
「相談する時間をもらえんかの?」
「やるなら早い方がいいがな。好きにしろ。だが、そうそう長くは待たんぞ」
村人達が顔を寄せ合ってボソボソと話し始めるのを横目で見ながら、エリスはアリアに耳打ちする。
「纏りそうかな」
「その方が望みがあるが、私の考えも間違えかも知れん」
「え?」
翠髪のエルフ娘はまじまじと女剣士の顔を見つめる。
「どうなるかはやってみるまで分からんよ。だが、連中に責任を負わされても面白くない。向こうで待とう」
云ったアリアが歩き始めると、エリスも立ち上がった。
「ま、待て!まだ話し合いは終わってないぞ」
中年男が慌てて後をついてきた。
ごちゃごちゃ威圧的な声で喚き立てるが、剣が恐いのか。手は出してこない。
「何とかしろ!」
屈強な若者に怒鳴りつけるが、彼は肩を竦めただけだった。
林の外縁部まで来て、二人で身を潜めながら待っていると暫らくして赤毛の娘と若夫婦。
他に数人の村の若者や大人が、ぞろぞろと近づいてきた。
「話は決まったか?」
「あの、ね」
黒髪の女剣士に赤毛のジナが何か言いかけた時だった。
「わしが待てっていってただろう!どうして言うことを聞かんのだ!」
場を弁えずに癇癪を起こして喚いた中年男の声を聞き咎めたのか。
柵の立っている土手の手前。斜面にいた数匹のオークが訝しげに、何事か呟きながら動き出したので、「黙れ」と睨みつける。
確信はないようで、じろじろと見ている。
見過ごしてくれればいいと思うものの、そう都合よくいかない。
頭らしいオークが此方を指差して何か云うと、革鎧を着た一匹が武器を構えて近寄ってくる。
「不味いな。気づかれた」
咄と舌打ちしたアリアは、優美な動作でそっと鋼の長剣を引き抜いた。
「……如何する?」
半エルフが短槍を強く握り締めながら、女剣士の横顔を見る。
「応援を呼ばれる前に片づけるしか在るまい」
古木の幹の影に隠れて様子を窺いながら、突撃の時期を見計らう。
気付かれたと思った瞬間には、既に今すぐ脱出すると即断即決している。
「もう駄目だ。わしらは殺されちまう。馬鹿な旅人の責だ。畜生」
中年男が傍目も気にせず嘆いていた。
「人数は四匹」
「……行くなら今のうち?」
「よし、私が足止めする。エリス。君は先に行け」
「そんな事云って俺たちを囮にする心算だろ!」
旅の連れに話しかけたのに、痩せた男の口を挟んでくる意味が分からない。
阿呆な事を喚いている痩せた男を貴種らしい冷然とした態度で無視して、時期を計る。
「黙ってて、ユード」
赤毛のジナが痩せた男を叱り付けてから、若い夫婦を側に呼んだ。
「あ、あの……この二人も一緒に連れて行ってくれませんか?」
女剣士はもう聞いてないようで石像のように動かずに、短槍を構えて少しずつ近づいてくるオークのみをじっと凝視している。
翠髪のエルフ娘は小首を傾げて、赤毛の村娘に訊ねた。
「貴女はどうするの?」
「私は村に残……」
「よし!エリス。ついて来い!」
飛び出す機を窺っていたアリアが、一気に木陰から飛び出した。
田舎道を横切って丘陵を昇って行けば、当然ながらオーク達の目を惹きつける。
一斉に叫びながら、武器を構えて動き始めた。
林に近づいていたオークも女剣士を認めて走り出す。
吼えながら突き出された槍を掻い潜ると、アリアは低い姿勢から跳ね上がるように深々と敵の腹部を薙いだ。
「あいつ死んだな。たった一人でよ」
痩せた男は馬鹿にしたように呟き、
「あんたは、俺が守ってやろうか。エ、エリスさん」
上擦った声を美貌の半エルフは聞き流していた。
蛙に似た顔つきの中年の女が憎悪に近い眼差しで睨みつけるのにも気づかずに、
「行こう!話は後で!」
話を打ち切ると、なにやら躊躇している赤毛の娘の手を強引に引っ張って、エルフ娘は走り出した。