新潟のとあるホテルのトイレ内。
現代日本では到底お目にかかれないようなボロボロの民族衣装のような物を纏った幼女がポツンと一人。
洗面所の前で無防備にも体を床に投げ出し、イビキを掻きながら大の字で寝ているではないか。
寒さの為か、先ほどまで涎を垂らしながら「モガ君・・・」と幸せそうな顔で寝言を呟いていた幼女は、顔を顰め身震いを一つすると半開きの眼を擦りながらムクリと起き上がった。
しばらくは心ここにあらずといった状態で、2.3分ほどぬぼーっとしていたのだが------。
トイレを照らす照明の明かりや、自分の変わり果てた姿を映す大きな鏡。
それらを見た幼女は寝ぼけていた意識が一気に覚醒し、目を大きく見開いて信じられないといった顔をしている鏡に映る自分。
目線を下に移すとそこには異世界で生活している時に、欲してやまなかった物が鎮座していた。
文明の利器、水道。
幼女は恐る恐る水道の取っ手に手を伸ばし、蛇口から溢れるように出てくる水を小さな手で掬い、顔に何度もパシャパシャとかけて一言呟いた。
「帰ってきたのか・・・」
- - -
帰ってきた!帰ってきたのだ!!!
今まで当たり前のように過ごしてきて、たいして有り難味を感じていなかった現代に。
今の俺なら判る。
これまでどれだけ恵まれた環境で過ごしてきたのかを。
俺はトイレから飛び出し、ここがどこなのか確認する為に人を探し始めた。
トイレの洗面所には日本語で[いつも綺麗にご使用いただき----]と書かれていたから、日本であることは間違いないと踏んでいる。
今の俺の格好はどこかの先住民族のような格好であるから、奇異の目で見られるかもしれないが、今はそんな些細なことはどうでもいい。
本人が気にしなければ良いのだから。
トイレから出ると長い廊下が姿を現し、壁の所々にプレートが貼り付けられた扉が点々と存在していた。
そのプレートをよく見ると○○○○号と番号が振ってある。
どうやらここは大きな建物の内部のようだ。
たぶん扉に貼り付けられているプレートの番号は部屋番号で、目の前にある扉の番号が0507号と書かれたプレートが貼り付けられていることから、かなりの部屋数があると推測できる。
シンと静まりかえった廊下をトコトコと歩いていると、後ろから「先輩っ!」と大きな声が上がり、その声に驚いて後ろを振り返るとそこには----。
走ってきたのか、汗で額を光らせて荒い息を吐き、疲れているのか膝に手をつけて、こちらを心配そうに見ている青年が立っていた。
「探しましたよ、フェリア先輩。もう宴会はお開きです。まったく今まで何してたんですか!」
「と、遠井!?」
青年は-----職場の後輩の遠井 道則(とおい みちのり)だった。
しかし、遠井よ。
フェリアって誰だ?
- - -
驚いたことにこの世界は俺のいた元の世界ではなかった。
ありえないと思う、思うのだが一度ありえない体験をしているだけに完全に否定できる要素が見当たらない。
ここは異世界では無いものの、俺がもし女に生まれていたら-----というパラレルワールド、所謂並行世界。
どうして判明したか、順を追って説明すると・・・。
あの後、青年-----もとい後輩の遠井に送っていくと言われ、0302号室・・・俺と同僚の泊まっている部屋に行く道すがら、後輩にトイレで寝ていたと説明し、寝ぼけた振りをして色々と探りを入れた結果、とんでもない事実が発覚したのだ。
その過程で後輩から生暖かい眼差しを送られたのは言うまでもない。
くそ、そんな目で見んな。
いいからその「ふふふ、先輩はいつまでたっても目が放せないんだから」って目をやめろよ。
目の玉くり抜くぞ!
まぁ、いい。
とりあえず現状を把握することができたのだ。
中山 フェリア 30歳独身 (株)桃色製菓 営業企画部所属。
うん、名前と性別以外はあまり変わっていなかった。
っと思っていたのだが、ここから先を聞かされた時は鼻水が少し出てしまった。
なんと俺は桃色製菓のエースとして活躍し、取引先を増やす新規契約の確保、所謂外回りの営業さんで、どんどん契約を取り付けて桃色製菓を上場企業に伸し上げてしまった大物なんだとか。
聞いていて鼻水を噴出してしまったのも仕方がないことだろう。
中山 浩、男だった時の俺はたいした成果をあげられず、部長の小言やヒステリックを起こしたお局様にイビられ胃を痛くする毎日だったのだ。
「あはは、先輩。風邪でも引いたんですか?」
鼻水を噴出した俺を微笑ましいもの見たという顔をして、そっとハンカチを差し出してくる後輩。
俺はハンカチを引ったくり鼻水をハンカチにチーンと放出して後輩のスーツのポケットにねじ込んでやった。
すると後輩は軽薄そうな笑みが若干引き攣りつつも、まるで気にしていないように振舞っている。
こいつはいつもこうなのだ。
俺が男の時から、いつも人を食ったような笑みで近づき、俺をからかって満足するとどこかへ去っていく。
だから時たまこうやって意趣返しをしてやっているのだが・・・。
「先輩が・・・僕にご褒美を・・・」
「えっ?」
「なんでもないです」
後輩が小さな声で何か言っていたような気がしたが気のせいらしい。
うん気のせいだ、きっと。
そう誤魔化す後輩に、それ以上追求することはできなかった。
ゴホンと咳払いを一つして話を元に戻したのだが、後輩の口から出てくる言葉は信じられないものだった。
近隣の店から市内や県内、果ては他県にまで足を運んだと言うのだ、この俺(フェリア)が。
スーパーやコンビニ、デパートなどはもちろんのこと、シェアの拡大のために社長に許可をもらい、開発部と合同で企画を立ち上げ、新商品を作り上げ売り込んだりもしているみたいだ。
今では大手のスーパーやコンビニには、必ずといっていいほど桃色製菓のお菓子が並び、若い世代を中心とした消費者が大量に購入していっているとの事。
そのおかげで会社は急速に大きくなり、オンボロだった事務所と工場はでかくて最新の設備に変わり、従業員も15人から関連会社も含めて1200人になったとか。
どんなサクセスストーリーだよと突っ込みを入れたくなる。
カルべーや森乃中、ロッデといった大企業と肩を並べている桃色製菓・・・。
いかん、想像できないわ。
そんな大成功の一躍を担った俺は、社内で``ロリコン・ブレイカー``なる渾名で呼ばれているらしいのだが、どうしてそう呼ばれるようになったのか理由を後輩に尋ねてみたのだが黙して語らず。
どうしても気になってしつこく聞いてみたのだが、顔を青くして首を横に振るばかり。
少し気まずい空気が流れる中、それを払拭するために話題を変えて、どうして俺が宴会場にいなかったのか、なんでもないように尋ねてみる。
「そうだ、先輩なんてことしてくれたんですか!ニコニコ運送の黒川専務が顔を赤くして怒ってましたよ。明日の朝一番に謝りに行ってくださいね!!!」
「え、えっと、覚えがないんだけどなんでその専務さんに謝りに行かないと駄目なんだ?」
珍しく早口で捲くし立ててくる後輩に驚きつつも、どうして謝りに行かなければならないのか聞いてみる。
こっちの俺が何をしたかは知らないが、理由を知らなければ謝りに行けないし、行きたくもない。
何故相手が怒っているか知りもしないでなんとなくで謝ると、後に大きな火種として自分に返ってくることがあるからだ。
「はー、いいですか」
後輩は呆れた顔でため息をつき、前置きを置いて話し始めた。
「宴会中に先輩が飲めもしない酒を勧められて、一杯で済ませておけばいいものを、調子に乗って2杯目を口に含んだ瞬間に豹変。その後、酒を浴びるように飲んでベロンベロンに酔っ払って『うぃー、このポマード豚野郎!俺の尻を触りやがったな』と言いながら黒川専務のカツラをヅリ下げ、爆笑しながらトイレに走っていったのはどこの誰ですか!」
ちょ、こっちの俺なんて恐ろしいことをしてくれたんだ・・・。
次の日の朝、とあるホテルのとある一室で土下座をして謝る幼女が目撃される。