ワンランク上の闘技場は全てが違った。
まず観客の層が違う。以前の闘技場では労働に奉仕する信者達が中心だったが、この第2地区の闘技場の客席には、一目で戦士とわかる者、神殿関係者、黒魔術師らしきローブを纏った者などがいる。
ライバルの戦いを研究しに来ているのだろう。頬に傷のある屈強な男が腕を組み、油断のない目で試合を見つめている。
このランクまでたどり着いたものに、もはや弱者はいない。仮に他の国なら引く手あまたの戦士というところだろう。しかし、猛者たちもこの都市では富も名声も得られない。強さはただ、至高神のためだけにあるのだ。
闘技場は、毎日大量の死者を生み出し、一握りの強者を生み出す。強者はさらに上のランクを目指し、そこでもまた果てしない戦いを繰り広げる。
こうした闘技場で生き残るためには、己の技を磨くだけではなく、対戦する相手のことを知り尽くさなくてはならない。それゆえ強い戦士の出る試合ほど、多くの観衆が席を埋める。
ピザリの試合は常に満席だった。
古代の劇場と同じく、遅れた客は最も前で試合を観ることになる。リング近くにある立見席、ギトはそこに、小さい体をなんとか割り込ませていた。
ピザリの相手は、身長180センチほどの肌が黒い男だ。典型的な戦士の体格からするとやや太りすぎだが、丸太のような腕の持ち主で、血に錆びた大きな斧を持っている。
対してピザリが持っているのもこれまた大きな剣だ。本当は標準より少しばかり大きなバスターソードなのだが、小柄な彼女が持つとまるで巨大な代物に見える。
始まりの合図の鐘がなる。
一瞬であった。
ギトの太ももの倍はあろうかという男の腕は、斧を手に持ったまま、地面に落ちた。
両腕を失った男は、なにが起きたかわからないといった顔で自分の腕を見つめる。
瞬間、その首も飛んだ。
この都市において、腕のない男の末路はろくなものじゃないだろう。
飛んでくる血しぶきを避け、ギトは思う。
あるいは情けかもしれない。だが、ピザリの黒い目は何も映さない。
次の相手は技巧派の片手剣使い。なかなか端正な顔立ちの男だったが、その顔は頭から真っ二つに分かれた。
男は片手剣を巧みに操り、ピザリの大剣を受け流そうとして、武器ごと斬られた。
生半可な技と武器の持ち主では、ピザリの剣を受け止めることはできない。
ギトは闘いを冷静に見ていた。
そしてため息を吐きつつ思う。
ピザリには穴(弱点)がない。
早さはギトと互角、力はクナッハと並ぶ。
自分と同じくらいの身長は、ときに利点とはなれ、決して弱点とはならないだろう。
かつて、幼いときに腕を合わせたこともあったが、いつの間にこんなに引き離されたのだろう。
今のまま闘ったのでは確実に敗北するのは、自分である。
その後、ピザリ以外の試合も全て真剣に観たが、その日は他に収穫がなかった。
ギトは鍛冶屋に向かい、新しい武器を新調してもらうことにした。
前に使っていたナイフのうち、二本はクナッハに折られ、予備の一本も血に錆びて使いものにならなくなっていた。
ハイエルダークには通貨という概念はない。全ての物資は都市に管理されており、各々必要に応じて受け取ることになっている。
そういう仕組みでなくては、人間の欲望は限りなく膨らみ、手に負えない堕落をとげるのだ、と以前ボルクから習った。
この都市の鍛冶屋では、各々の実力に応じた武器をただでもらうことができる。
ひさしぶりに来た鍛冶屋には以前と変わらぬ熱気があった。魔術師によって高温に調節された青白い炎は、休むことなく鉄を溶かす。溶かした鉄から不純物をとり除き、さらに鍛えたもののみ、この都市では武器として使われる。
鍛冶師は休むことなく働き続け、その体は全身筋肉の塊だ。腰から上の裸身を覆う分厚い前掛けは、地下に住む火を吹くトカゲのような黒い魔獣の皮で作ったモノで、決して燃えない。
ギトは新しい武器を探そうと、奥の武器庫を眺めた。そこにはクナッハが使っていたような鋼鉄の棍棒や、大剣、ハンマー、長槍から鎖付き分銅まであった。
暗黒都市の闘技場には武器に関する規定はない。各々が最も得意とするエモノを使えば、有利不利は存在しない、というのだ。己に合った武器を選ぶ才覚、また対戦相手に応じた武器を選ぶ戦略も優れた戦士の資質とされている。
ギトは大剣やハンマーの置いてある棚には目もくれず、いままで使っていたものに近い片手剣などを手にとってみる。
少し振ってみた。しかし手に馴染まない振り心地だ。
片手剣をもとの棚に戻すと、また別の、より小さくて軽そうなものを手にとってみる。このようなことを数回繰り返したあと、結局手ぶらで武器庫を後にした。
ギトは、いままでどおりのナイフを注文することにした。
ワンランク上に昇格したことを伝えると、鍛冶師は無言でうなずき、奥の仕事場へ消えた。
表のベンチに腰をかけ、仕上がりを待つ間、ギトは錆びたナイフを弄んでいた。
彼はピザリの戦いを観ているとき考えていた自分の戦闘スタイルについて、再び考えた。
ギトのスタイルは早さが命だ。それはクナッハ戦でも痛感した。戦いのさなかに足が止まったとき、おそらく自分は死ぬのだ。
自分にはクナッハのような恵まれた体格もない。
あるいは、ミストラルティンから教わった魔法をつかえば、生き残れるかもしれない。しかし、闘技場で魔法を使った瞬間、すべてを白状しなくてはいけないだろう。
それはもしかすると、死ぬより過酷な状況を招くかもしれない。
魔法は使えない。使えるのは己で鍛え上げた技のみ。ただ、自分が信じてきたスタイルでいくしかない。
そう決意すると、ギトは今日の次なる行き先を訓練所に決めた。
訓練所はランクごとに分かれている。
利用者同士で訓練することも認められているからだ。違うランクの者同士が闘った場合、実力差がありすぎて訓練にならないことが多い。
しかし、多くの戦士はライバルに手のうちをさらすことを嫌い、木偶に技をかけるか、訓練所に用意してある魔物を用いて訓練することが多い。
対人より対人外に慣れている。それは、暗黒都市の戦士の特徴といえるかもしれない。
ギトは木偶に技をかける段階は済んでいると思っているので、魔物を相手に訓練することを選んだ。
対戦相手には武器も扱え、体格も近いということで亜人が人気だった。
亜人ということは、人に近い、もしかするとそれ以上の知性をもつという意味だが、訓練に使われる亜人は捕らえられた後、薬によって理性を失い、言葉すら話せない状態にされる。
ギトは訓練所のマスター、ヒゲ面のしぶい中年男に声をかけると、自分の要望を告げる。
いままでのランクではコボルトやオークが主な相手だったが、このランクではリザードマンとトロルが選べる。
リザードマンはトカゲのような顔と尻尾を持つ亜人。トロルとは人間より大きいやたら筋肉質の魔物である。
しかしギトは、リストの隅に小さな紙で上から張ったドワーフという文字を発見した。
親父に質問をすると、
「つい最近捕まえたヤツだ。この辺に生息してない種族だから、貴重な経験をつめるだろうな。」と言う。
ギトはこの亜人、ドワーフを対戦相手に選ぶことにした。
◆
青い炎がゆらめき、真っ黒い壁に反映している。ここはミトラの神殿である。
世界でも類を見ないほど大きなこの神殿には100を越える部屋がある。
どの部屋も天上が高く、高級で、冷たい印象を与える。
ダリウスは、彼の上に立つ者により召喚されていた。
暗黒卿グリマンド。
全身を覆う黒いローブからのぞく顔と手は雪のように白い。酷く痩せていて、頭には一本の毛すらない。まるで着物を纏った骸骨のような姿だ。しかしその顔に皺はおどろくほど少ない。動きは力強く、見かけ通りではない強靭なパワーを感じる。手には黒魔術師の象徴である銀色のワンドを握り、上品かつシンプルなデザインの黒椅子に座っている。
彼は聖都でいう枢機卿のような立場にある暗黒卿。神殿の幹部にして、ミトラのお気に入り、最も忠実にして有用な道具のひとつであった。
老人の口から、地を這う蛇の舌からもれるような声が出た。
「ダリウス。お前は忠実にして有能だ。」
「恐悦至極にございます。」
巨躯の男が、己の三分の二ほどの男に頭を下げる。
「だが、塔の管理者としてはどうかな。」
「は、」
「あれはミトラ様の大事な塔。生贄の苦しみと共に、異教徒から力を奪う、大切な大切なところ。」
「はい。」
「お前を管理者としたのも、信頼の証・・・・何ゆえ、管理を怠った?」
「・・・・。」
「聞けば、ここ一年ばかり視察をしていなかったそうではないか? 何ゆえ?」
「……私の思慮の至らなさゆえ、塔の力に胡坐をかき、己の本分を尽くすことを怠ってしまいました。」
「くだらん。見かけ以上に思慮深い男よ。・・・・塔の異教徒の姿から目をそらすか? 愚か者め。」
あたりに沈黙が漂う。どちらも無表情なままだ。
「ミトラ様は寛大な御心の持ち主だ。過ちも一度は許そう。視察を怠るな。月に一度は塔に向かえ。その手を汚せ、異教徒どもを蹂躙しろ。」
ダリウスはよどみなく答える。
「はっ、御意に。」
黒服の老僧は椅子の背もたれに深く身を任すと、まるでそこから世界中の物が見えるかのように目を閉じた。
「・・・・近ごろ聖都が騒がしい、やつらは王都にまで、その穢れた手を伸ばしよるわ。・・・・闘いが近い。そなたにはその時、大いに役立ってもらわねば、のう?」
「は、ミトラ様のお心のままに。」
「ミトラ様は、寛大だが残酷でもある。まさに神よ。」
老人は目を細めながらはじめて笑った。しかしその笑いは決して相手に安心を与えるようなものではなく、歴戦のダリウスをしても背筋に氷嚢を詰められるかのような恐怖を伴った笑いであった。
「その偉大さ、恐ろしさは、そなたもよく知っておる通り、のう? ダリウス。」
◆
初めて見たドワーフは、予想外に人と似た形だった。
髭もじゃの赤ら顔。耳は丸く、目は大きい。しかし、あくまで人間に似た顔立ち。
違うところといえば、その身長。どうみても子供にはみえないが、身長はギト同じぐらいか少し低いぐらい、140センチほどしかない。
しかし胴回りは普通の大人の1.5倍はあり、腕はこの前ピザリと闘った戦士ぐらい太い。
似合わない鉄兜をかぶり、鍛冶屋のようなハンマーを握っている。
こんな場でなければ、かなり愛敬のある姿と言えたかもしれない。
しかし薬によって、その目はうつろだった。
「そいつは捕まえた時のまんまの武装だ、こう見えてかなりやるぞ。捕まえるときも散々抵抗したらしい、一匹でな。なにやら外壁を削っていて、貴重な鉱物だと……、」
訓練所の親父は、ここでは戒律に触れるほど喋り好きなようだったが、もうギトの耳にその言葉は入っていなかった。
ギトとドワーフが今いるのは、訓練所内の小さな闘技場だ。
客席はないが、闘技場を囲んで数人の男がちらほらと立っている。
これから始まる戦いを見て、新人のライバルのデータを拾得するのが目的だろう。
ギトはそのギャラリ-も無視した。
油断すれば殺られる。
ドワーフは見かけによらない素早い動きで攻めて来た。
ギトはよけたが、ハンマーは当たった地面を削り、土砂をまく。
まさに人外の膂力だった。
早さでは自分が勝っている。そう思ったギトは、不思議なことに気がついた。
(怪我をした前より調子がいい?)
ギトは自分が、魔法を使っているときのように、戦闘に集中していることに気がついた。
魔法とは集中してイメージすることから始まる。使いたい力を強く想像し、力を司る神の姿を想像するのだ。
神の姿を心に描き、神の名を呼び、力の性質や方向性を明確にイメージしていく。そして奇跡を起こすのだ。
もともと集中力のないほうではなかったが、今ははっきりとドワーフの動きに集中できる。
そしてもうひとつ。
曲がりなりにも治癒魔法を覚えたことによって、自分の体にあふれるエネルギーというものの存在にも気がついたギトは、そのノウハウが戦闘にも役立つことに直感的に気づいた。
エネルギーを集めれば、傷を治すことすらできるのなら、エネルギーを他のところに集めれば・・・・。
彼の動きは更に早くなった。もはや影を残して消えるようだ。
ガギン。
鈍い音が響く。
ギトのナイフがドワーフのハンマーに当たって止められた音だ。すぐに岩のような拳が飛んでくる。ギトは慌てて距離を開けた。
重心が低いので、上下の動きで、翻弄するのが難しい。
そしてこのドワーフという亜人は、非常に闘い慣れている感じがする。
全身のエネルギーを爆発させたようなギトの動きは、見えなかったはず。おそらくカンのようなものが、命を救ったのに違いない。
ドワーフは姿勢を低くし、実に見事な構えをとっている。
いかに早くとも、不用意に近づけば、確実にハンマーの餌食となるだろう。
これが理性を失ったものの闘い方だろうか?
ふと疑問を持ち、相手の目を見るとドワーフの瞳には、ほのかな理性が戻ってきているかのように見えた。
その瞳はどこかクナッハに似ている、少なくとも、この都市の人間よりはずっと人間らしいのかもしれない。ギトは一瞬そんなことを考えた。
張りつめていた緊張と集中が切れた瞬間。
戦場ではそれが命取りとなる。
気がついたら、ハンマーが目の前にあった。
ギトは、自分の頭がぐしゃりと潰れるところを想像した。
次の瞬間、
ドワーフの右手は宙を舞い。そのハンマーごと遠くへ飛んでいった。
「いま躊躇っただろ、なぜだ?」
いつのまにか、ギトに闘いに集まっていたギャラリーの中から、一人の女が飛び出し。彼とドワーフの間にいた。
ドワーフの目には完全に理性の光が戻っていた。
女はギトに振り向くと、口の端を歪め、猫のような顔でニヤーっと笑った。
「なかなか面白い闘い方をするじゃないかボウズ。……ナイフで二刀か。」
女はギトから見ると、とんでもなく背が高かった。手には2本のレイピア、黒いロングコートからは白い生足がはみ出している。かなりの美人だ。
ギトは女の格好も表情も言動も、まったくこの暗黒都市にふさわしくないと思った。
「んー、いい暇つぶしになるかも。」
猫みたいな女だと思った。