ヒュンッ……と風を切る音がしました。
咄嗟の事にまともに動くことができなかったボク、されども辛うじて一歩後ずさり、なんとか右手を上げ、顔を庇う事ができました。
「痛ぁ……」
見れば手のひらを斜めに走る赤い線、幸いそれほど深い傷ではなかったものの、手のひらに溜まる赤い血は直ぐに止まりそうにもありません。
「い、いきなりなんなの……」
そう言いつつ目線を向けると、カチカチと鳴るカッターナイフを右手に持った人物が一人、薄暗がりの帰り道で出会った通り魔、その人はボクのよく知ったクラスメイトでした。
「なんなのって、なにが?」
そんなボクの問いかけに、不思議そうな顔で前髪だけやたら短いおかっぱを揺らし、その人物は小首をかしげる、出席番号2番女子、閂一(かんぬきはじめ)という知り合いの中では珍しく、ボクよりも少し小柄なかわいらしい印象を持った少女でした。
「えっとぉ……ボクって閂にそんなに恨まれてるんだっけ?」
「んにゃ、全然、なにいってるのよ、閂さん達友達じゃない」
「そっか、そりゃあ光栄だね」
斬りつけられた手をプラプラさせながらそう嘯くボク。
しかし、友達って何でしょう、最近僕と周りとの認識にズレがあるように感じるのですが、気のせいでしょうか。
「じゃあ、何でボクっていきなりこんな目、というかこんな手になってるのかな?」
斬られた手のひらを晒しながら、ボクは真摯な気持ちで聞いてみることにします、学校からの帰り道、いきなり友達からカッターで切りつけられる理由はボクには解りかねますので。
「何でって、ただの占いよ、血液占いってやつ、アンタ知らないの?」
「血液型なら聞いたことあるんだけどね」
まるで何でもない事の様に、普段どおりに話す閂、やってる事はただの通り魔なのに、不思議とその様子は悪意を感じさせませんでした。
「ちょ、ちょっと、なんて事してるんだい君はっ!」
そんなことを話していると、いつの間に隣にいたのでしょうか、仄村が、珍しく慌てた様子でボクの手をとりました。
「ちょ、っ手ェ、いたぁっ!」
仄村はざっくりと切れている手を、気にせずとるのでした。
「あぁ、なんて痛々しいんだ、せっかくの君の可愛い手が……そ、そうだ、すぐに消毒しないと…………じゅるり」
「ちょっと待って仄村、落ち着いて、超落ち着いて……」
興奮し、まだ新しいボクの傷口に躊躇無く顔を近づけ、傷口にむしゃぶりつこうとする仄村をひとまずいさめる事にします。
「というか仄村、いつから見てたの」
先ほど、せっかくだから一緒に帰ろうと誘ったのを断られたので、てっきり何か用事があると思ったのですが。
「ふむ、いつから見てたと聞かれてもな、私は教室を出てから君を視界から外していないぞ」
なぜか微妙に自慢げな仄村、なぜか気温が下がったように感じました。
「もう少し言うとだ、朝会ってから……」
「うん、ありがとう仄村、大丈夫よくわかったよ」
ええ、よくわかりましたとも、主にやばさが、肌をとおして心にまで伝わってくるようです。
「でも、それなら一緒に帰ればよかったのに、何でわざわざ」
少なくともその方がボクとしては安心できますし、仄村からしても良いのではないでしょうか。
「確かに魅力的な提案ではあったけどね、さすがの私もそこまで図々しくなれないさ」
「んっと……どういうこと?」
せっかく友達?になったというのです、一緒に帰るくらい当たり前の事におもえますが。
「いやさ、君の気持ちはうれしいけれどね、いきなり自宅までおじゃまは出来ないよ、聞いた話によれば君は一人暮らしだそうじゃないか、二人きりになんてなって私の理性が持たなかったら……うん、きっと君を引かせてしまうだろうしね」
「それはそれは……」
そんな心配をしていたとは思いませんでした、というか、気を使うべきところを完全に間違えていると思うのですが。
「ねぇねぇ、ちょっとぉ、アンタ達ってば閂さんの事忘れてない?」
そんな風に突然現れた仄村を相手していると、少々ふてくされた様子の閂がボク足を踏みつけながら声をかけてきました。
「あ、ごめんごめん、忘れてたわけじゃないんだけど」
「…………」
悪意があったわけではないにしろ、ないがしろにしていたのは事実、円滑な人間関係のためボクは素直に謝罪、そして一方の空気を読まない仄村の対応はガン無視、まるで聞こえていないかのようにボクの傷の手当をしていました。
「ふぅん、まぁいいけどねそれよりも、話の続き続き」
仄村の態度を気にした風でもなく、気を取り直して、といった感じにあっけらかんと笑いながらそう言う閂、細かいことは気にしない正確なのでしょうか。
「話……えっと、閂の被虐趣味の話だっけ」
「違うわよ、なにいってんのアンタ、血液占いの話だったでしょう」
「……あぁ、そういえばそんな物騒な占いの話をしてたんだっけ、ボクはてっきり通り魔にでも目覚めたのかと思ったけど」
いきなり切りつけて血液採取とか、どう考えても危ない趣味の人としか思えないのですけれど、せめて本人の了承を取りましょう。
「それを含めて占いなのよ、傷の深さとか色々あるのよ」
「ふむふむ、そうね、どうやらアンタは怪我はしやすいみたいだけど、不慮の事故で死に難かったりするみたい、よかったわね」
……それは本当に占いなのでしょうか。
「ちなみにさ、その占いって、どこの国のどんな黒魔術の本から見つけてきたの?」
「どこのって、この国に決まってるじゃない、ちなみに黒魔術とか胡散臭いモノじゃないわ、閂さん発祥なのよ、この占い流行ってくれるといいんだけど」
「それを流行らせたらたいしたものだと思うよ、テレビに出れるくらい」
ニュースとか……もちろん悪い意味でですけど。
「でも、自分でそんなもの作るのってどうなのかな?」
「……女の子はお呪いの類が大好きだからね、自作したくなる気持ちもわからなくはないさ」
と、しばらく黙々と手当てに集中していた仄村がそう口にしました、なるほど、ボクには理解できませんが彼女も女子、きっとそういった気持ちも解るのでしょう。
あえて見なかったことにしてますが、ボクの血液が大量に含まれたハンカチをさり気無く、かつ大事そうにポケットに仕舞っているのも、きっと似たようなお呪いに使うのです、大目に見ることにするべきでしょう。
「そうそう、そうなのよ、分かってるじゃないそっちの子、さすが女の子、アンタみたいな偽者とは違うわね」
「はぁ……まあ、確かにボクにはお呪いの類の事は解らないけどね」
しかし……何でしょうか、この二人を見ていると呪いという言葉が不吉なものに思えてしまいます、まじないとのろい、どちらも似たようなものといえばそれまででしょうけど、どちらかといえば後者なイメージを感じさせます。
「それで、結局その占いとやらで何かわかったの?」
とりあえず、さすがに通り魔に出会っても助かるということが分かっただけでは割に合いません、そう思ったボクはどうでもいいと思いつつも、せっかくなのでそう口にすることにしました。
「あぁ、そうねぇ……ちょっと待ってくれる」
ボクがそう聞いてみると、閂はそう言って、カッターに付着したボクの血を自分の舌で拭うと、カチカチと刃をしまい、腕を組んでしばし黙考しはじめるのでした。
血液占い、おそらく対象の血を舐め、何かしらの判断で占うのだと推察します、確かにトランプを数枚選んだりするだけの物よりは、個人的に効果がありそうに思えなくもありませんが。
正直いってその様は、とても正気とは思えず、閂の希望通り流行に乗ることは無いと確信するには十分でした。
「これからもこれまでも、あんまりよくないことが起こりそうね、それも大体異性が原因で、しかも性質の悪いことにあんたがどれだけ努力しても逃れられない運命みたいね、どう?思い当たることとかあったりしない?」
数分後、閂がようやく口にした答えを聞いたボクは、改めて目の前の二人の友人を眺めます。
「あぁ、なるほど……」
占いなんて信じていませんでしたが、それを聞いてボクは、どうやら彼女たちとの付き合いは当分の間続くのだと確認させられた様な気がするのでした。