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No.25115の一覧
[0] ラピスの心臓     【立身出世ファンタジー】[おぽっさむ](2013/07/07 23:09)
[1] 『ラピスの心臓 プロローグ』[おぽっさむ](2012/02/17 17:38)
[2] 『ラピスの心臓 無名編 第一話 ムラクモ王国』[おぽっさむ](2012/02/17 17:38)
[3] 『ラピスの心臓 無名編 第二話 氷姫』[おぽっさむ](2012/02/17 17:39)
[4] 『ラピスの心臓 無名編 第三話 ふぞろいな仲間達』[おぽっさむ](2012/02/17 17:40)
[5] 『ラピスの心臓 無名編 第四話 狂いの森』[おぽっさむ](2012/02/17 17:40)
[6] 『ラピスの心臓 無名編 第五話 握髪吐哺』[おぽっさむ](2014/05/13 20:20)
[7] 『ラピスの心臓 息抜き編 第××話 プレゼント』[おぽっさむ](2014/05/13 20:19)
[8] 『ラピスの心臓 従士編 第一話 シワス砦』[おぽっさむ](2011/10/02 18:21)
[9] 『ラピスの心臓 従士編 第二話 アベンチュリンの驕慢な女王』[おぽっさむ](2014/05/13 20:32)
[10] 『ラピスの心臓 従士編 第三話 残酷な手法』 [おぽっさむ](2013/10/04 19:33)
[11] 『ラピスの心臓 息抜き編 第××話 蜘蛛の巣』[おぽっさむ](2012/02/12 08:12)
[12] 『ラピスの心臓 謹慎編 第一話 アデュレリア』[おぽっさむ](2014/05/13 20:21)
[13] 『ラピスの心臓 謹慎編 第二話 深紅の狂鬼』[おぽっさむ](2013/08/09 23:49)
[14] 『ラピスの心臓 謹慎編 第三話 逃避の果て.1』[おぽっさむ](2014/05/13 20:30)
[15] 『ラピスの心臓 謹慎編 第四話 逃避の果て.2』[おぽっさむ](2014/05/13 20:30)
[16] 『ラピスの心臓 謹慎編 第五話 逃避の果て.3』[おぽっさむ](2013/08/02 22:01)
[17] 『ラピスの心臓 謹慎編 第六話 春』[おぽっさむ](2013/08/09 23:50)
[18] 『ラピスの心臓 息抜き編 第××話 ジェダの土産』[おぽっさむ](2014/05/13 20:31)
[19] 『ラピスの心臓 初陣編 第一、二、三話』[おぽっさむ](2013/09/05 20:22)
[20] 『ラピスの心臓 初陣編 第四話』[おぽっさむ](2013/10/04 20:52)
[21] 『ラピスの心臓 初陣編 第五話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:22)
[22] 『ラピスの心臓 初陣編 第六話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:23)
[23] 『ラピスの心臓 初陣編 第七話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:24)
[24] 『ラピスの心臓 初陣編 第八話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:25)
[25] 『ラピスの心臓 初陣編 第九話』[おぽっさむ](2014/05/29 16:54)
[26] 『ラピスの心臓 初陣編 第十話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:25)
[27] 『ラピスの心臓 初陣編 第十一話』[おぽっさむ](2013/12/07 10:43)
[28] 『ラピスの心臓 初陣編 第十二話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:27)
[29] 『ラピスの心臓 小休止編 第一話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:33)
[30] 『ラピスの心臓 小休止編 第二話』[おぽっさむ](2014/05/13 20:33)
[31] 『ラピスの心臓 小休止編 第三話』[おぽっさむ](2014/06/12 20:34)
[32] 『ラピスの心臓 小休止編 第四話』[おぽっさむ](2014/06/12 20:35)
[33] 『ラピスの心臓 小休止編 第五話』[おぽっさむ](2014/06/12 21:28)
[34] 『ラピスの心臓 小休止編 第六話』[おぽっさむ](2014/06/26 22:11)
[35] 『ラピスの心臓 小休止編 第七話』[おぽっさむ](2015/02/16 21:09)
[36] 『ラピスの心臓 小休止編 第八話』[おぽっさむ](2015/02/16 21:09)
[37] 『ラピスの心臓 小休止編 第九話』[おぽっさむ](2015/02/16 21:08)
[38] 『ラピスの心臓 小休止編 第十話』[おぽっさむ](2015/02/16 21:08)
[39] 『ラピスの心臓 外交編 第一話』[おぽっさむ](2015/02/27 20:31)
[40] 『ラピスの心臓 外交編 第二話』[おぽっさむ](2015/03/06 19:20)
[41] 『ラピスの心臓 外交編 第三話』[おぽっさむ](2015/03/13 18:04)
[42] 『ラピスの心臓 外交編 第四話』[おぽっさむ](2015/03/13 18:00)
[43] 『ラピスの心臓 外交編 第五話』[おぽっさむ](2015/04/03 18:48)
[44] 『ラピスの心臓 外交編 第六話』[おぽっさむ](2015/04/03 18:49)
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[25115] 『ラピスの心臓 謹慎編 第六話 春』
Name: おぽっさむ◆96f21d48 ID:7beec06a 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/08/09 23:50
     Ⅳ 春










 シシジシ・アマイは思いがけず舞い込んだ幸運を前に、当初の予想よりも遙かに大きな覚悟を必要としていた。
 国境を面する北方の国へ使者としての任務に向かう途中、ムラクモの王女を預かる事となったアデュレリア公爵に土産を用意し、その対価として王女と一対一の会見の場を求めてから、すでに一月を越える時間が流れている。

 出世の足がかりにと、アデュレリア公爵に言った言葉に偽りはない。自分としては王女の機嫌をとり、親衛隊の末席にでも取り立てて貰えれば御の字だと思い、そのための種をまいたつもりでいた。

 だがしかし、自身が北方に赴き要人との会談に臨んでいる間に、王女は未開の山中にその身を投じ、狂鬼の襲撃にあって命からがら救出されるという前代未聞の事件が起こり、そしてその事をアマイが知る頃には、すでに事態は王女の無事な生還という形で無事に片が付いた後だった。

 他に変わる者のいない王位継承者が無事に戻った事も重要だが、この場合、アマイにとって同じくらい重要だったのが、親衛隊を率いていた若き指揮官の死であった。
 知らぬ相手ではない、カナリア・フェースという人間の死を悲しんでいないわけではないが、アマイの関心は、かつての教え子の死よりも、空席となった輝かしい名誉をちりばめた椅子に注がれていたのだ。



 「……それで、だれなの」
 東地を統べるムラクモの次なる王、サーサリア・ムラクモは低頭する目の前の男にそう聞いた。
 「王轄府所属、硬輝士、シシジシ・アマイと申します。サーサリア王女殿下に拝謁致します」
 メガネをかけた痩身の男、シシジシ・アマイは深々と頭を下げて、簡易に自己紹介を述べた。

 アデュレリア公爵邸の午後。別邸に宛がわれたサーサリアの仮住まいの小部屋には、温かい日差しが窓辺から差し込み、心地良いそよ風がレースのカーテンを揺らしていた。
 非公式な会談ということもあり、サーサリアは寝台に腰を降ろした緩やかな姿勢でこの場に臨んでいる。

 「アデュレリアの当主直々の申し出だったから仕方なく許した。けれど、見知らぬ相手と二人きりの会談は、あまり気分のよいものではない。用件があるのなら早くするがよい」

 きつく睨まれ、アマイは固唾を飲み込む。サーサリアには王位継承権を持って生まれた者にある、独特な気品と威圧感があった。高位にある者達との謁見には場慣れしていたつもりだったが、その経験が役に立つ相手ではないということを今更に認識させられる。

 「それでは、面倒をはぶいてはっきりと申しあげます。私を殿下のお側にお取り立てください」
 サーサリアの表情に険しさが増す。
 「ここのところ、体調があまりよくないの。言いたいことがそれだけなら、これ以上の我慢を期待するな」

 寝台から立ち上がり、部屋を出て行こうとしたサーサリアの前に、アマイは咄嗟に平伏して道を塞いだ。
 「お待ちください!」
 激高したサーサリアは声を荒げた。
 「アデュレリアにどんな縁故があってこの場を設けたのか追求はせぬッ。私は未熟な人間だけど、頭を下げられただけで地位を約束するほどの愚か者ではないぞ!」

 アマイは口元を引き締め、覚悟を決めた。
 「いいえ、殿下は無類の愚か者です」
 分を越えたその言葉に、サーサリアはたじろいだ。
 「な……に」

 「王家が政務の中枢より遠ざかって後、あまりにも長い時が過ぎました。本来、早々に王座についておらねばならなかった殿下は不義の薬に心を奪われ、その間に国家の政のほとんどはグエン・ヴラドウとあの男を信奉する者達に掌握されてしまいました」

 サーサリアはゆっくりと後ずさり、元いた寝台の上に再び腰を落とした。アマイは平伏したまま続ける。

 「殿下を愚か者と申しましたが、私はそれを責めているのではありません。一度として失敗をしない人間等、どこにもいないのです。しかし、お心を惑わし、間違った方向へ堕落した主君に、誰も手を差し伸べなかった事には、強い憤りを感じております」
 アマイは言って、大袈裟に床に額をこすりつけた。本来であれば、ここまでの言葉だけでも命を失う覚悟が必要になる。

 しかし、返ってきたサーサリアの言葉は穏やかだった。
 「顔を、あげなさい」
 サーサリアの表情は苦かった。
 ――変わられた。

 その成長と共に、離れた所から時折見るサーサリアは、いつも無表情で生気を感じなかったが、今目の前にいる王女の顔には、悔恨や悲哀の色がありありと浮かんでいる。
 サーサリアの心境にここまで激変をもたらした切っ掛けは、恐らく狂鬼に襲われたという、山の中で経験した遭難が大きく影響を与えたのだろう。

 サーサリアは左手の甲にある輝石をさすりながら視線を落とした。
 「時間に人、思い出の世界に逃げ込んで、なまけている間に、私は多くのものを失った。これまで自分の足で赴いて、私のせいで亡くなった者達の家に謝罪をしてきたけれど、誰一人責める者はいなかった。きっとみんな、私が憎かったはずなのに」

 それは当然の事といえる。サーサリアは唯一の王族。自然次の王になる事が決められた人物であり、臣下はその未来を思い描いて、彼女の前ではただ怯えて縮こまるか、可能なかぎり機嫌をとろうとするだけだ。

 「アマイ、といったな」
 「はい」
 「お前のように私の前で本音を語る者はあまりいない。そんな人間が私の側に居たいという。その言葉の正直な目的を言って」

 恐らく、これはサーサリアの最後通告だ。ここで若き王女の心を掴めぬのなら、アマイのもくろみは、泡沫の夢として消えゆくだろう。

 「私を親衛隊にお取り立てください。その目的は一つ、王家の再興に尽力するためにございます」
 「私は口先だけで多くの輝士達を無意味に死なせた。心を腐らせる薬に溺れて、それを断ってもなお、長い間花に蝕まれていた体が悲鳴をあげている。八つ当たりで女官達の息を止めて、苦しむ姿を見て、それを楽しんで眺めていた事も一度や二度ではないわ。そんな人間のために、側に仕えられるの」

 諭すように言うサーサリアに、アマイは話す言葉に熱を入れた。

 「我らアマイ一族は、古くは宰相を勤めたリリクを輩出し、王轄府とその下の各室に多くの官吏を生んだ、王家に忠誠を誓う東地土着の名家でした。しかし、いつの頃からかアマイの名は国家の中枢から遠ざけられ、領地はとうの昔に失い、異邦出身の有力貴族に奪われました。王家の再興を夢見る言葉に偽りはありません。ですが、叶うならばその功績を持って、私は再びアマイの名を世に知らしめたいのです」

 アマイは頭を落とし、瞬きもせずに地面を凝視した。
 「わかった……打算のある人間なら、私も少し気が楽になる」

 アマイは拳を強く握りしめ、顔をあげた。
 「ありがとうございます!」
 「けど、カナリアのいた席を望んでいるのなら、それは無理よ。そこにはもう座ってもらいたいと思っている人がいる」

 つまり隊長の座ということである。それはアマイが最も望んでいた役職であった。

 「それは、シュオウ、という名の平民の事でしょうか」
 おおよその予測をぶつけると、サーサリアは少し驚いた様子を見せる。
 「知っているの?」

 「なにかと噂を耳にする人物であり、私も少し前に直接話をする機会を得ましたが、とても能のある若者であると思いました」
 シュオウを褒めて言うと、サーサリアは誇らしげに微笑みを浮かべた。
 「そう、そうでしょう」

 「しかしおそれながら、あの若者を親衛隊の隊長に推すという事であれば、私は反対致します」
 微笑みが一変し、サーサリアの顔から色が消える。背筋が凍るような寒気が背中に走った。
 「一応……理由は聞く」

 「あの若者が殿下の命を救ったという、英雄的な活躍をしたことは承知しております。が、だからといって一介の従士を、親衛隊の隊長という立場に抜擢するには、あまりに急すぎます。なにより平民に名誉ある役職を与えれば、それに疑問を抱いた者らの不満の矛先は、すべて彼に向かうでしょう。恩人が心を病んでしまうような立場に置かれるのを、殿下は承知なさいますか?」

 サーサリアの気勢はみるみると落ちていった。
 「……でも、私はあの人に、そばにいてほしい」
 言いつつ人差し指で寝台のシーツに何か文字のようなものをなぞっている。サーサリアの表情は、どこか熱を帯びている。

 そうしているのを見ると、幾分年齢が若返ってしまったかのようにも見える。
 王女という鎧を脱いだ、一人の若い女としての姿がそこにはあった。

 答えはわかっていても、件の若者が殿下の思い人なのですか、とは聞けなかった。是と言われれば、それは王家の復興を強く願うアマイにとって、最悪の事態である。

 サーサリアはもじもじとシーツをいじりながら、言う。
 「あの人はとても有能で、高潔な人。私を命がけで守ってくれた。それに相応しい待遇で迎えたい。せめて副長というのは――」

 熱に浮かされた様子で話すサーサリアに、アマイは冷ややかな調子で水を差した。

 「ありていに申します。たとえ与える役職が親衛隊の末席であったとしても、周囲の風当たりはなんら変わりはしません」
 サーサリアから発せられる熱が、一段落ちたような気がした。
 「一度も使った事はないけど、親衛隊の人事権はすべて私にあるはず」
 アマイは声の調子を上げた。

 「殿下、私は無理なことは無理であるとはっきり申し上げます。ですが、お望みをよりよい形で叶えるための努力は怠りません。あのシュオウという若者の実力はアデュレリア公爵も認めるところ。なら、その才をいかんなく発揮できる場をお与えください。実力をもって親衛隊に相応しい階級と実績を得れば、いずれ華々しい待遇でお側に招き入れる理由付けにもなりましょう。彼が殿下の命を救ったという英雄譚を適度に喧伝しておけば、出世の後押しにもなります」

 サーサリアは唇を噛み、諦めきれぬ様子である。

 「だけど、それには時間がかかる。私はもっとあの人の側にいたい。あの人が褒めてくれるような王になりたい。がんばっている姿を目の前で見ていて欲しい。認めてもらいたい……」
 サーサリアは薄く涙を溜めながら、縋るような視線を寄越す。こちらを見ているようで、その先にいる想像の中の男しか見ていないような気がした。

 ――危うい。

 無事に生還してから後、サーサリアはあれほど依存していた花を欲しがらない、とアデュレリア公爵から聞いていた。命がけの体験をしたことで悪癖を克服する事ができたのではないかと公爵は言っていたが、本当のところは、寄りかかるモノが入れ替わっただけなのではないだろうか。

 いずれにしても、シュオウという一人の男の存在が、王女の精神状態にとって非常に重要な存在となっている事は把握できた。これに上手く対処しなければ、取り返しのつかない事態を招きかねない。

 「ご心配なく。私に相応の力をお与え頂ければ、彼とは定期的に会う事ができるよう上手く手配を致します」
 「本当に?」
 アマイは慎重に頷いた。

 「ですが、注意が必要です。あの若者はムラクモという国家に執着がありません。私が把握するところ、金や物に転ぶような人間でもなく、機嫌を損ねればあっさりと軍を辞して国外に出て行ってしまうかもしれない。実際、世界中を旅してまわるという願望があるようですから」

 サーサリアの表情が不安と恐怖に崩れた。

 「もちろん王家の権力を使って無理を通す事もできますが、それをするには彼の実質的な後ろ盾となっている人物の存在を無視できません。その力はあまりに大きすぎます」

 シュオウの存在が、王女の心の拠り所となってしまっている事実は手に余るが、これをうまく利用すれば、サーサリアの信頼を得る近道ともなる。アマイはここぞとばかりにたたみかける。

 「ですが、私ならそうした状況を俯瞰し、上手く殿下のお望みを叶える自信があります。平民の若者との逢瀬を手伝う等と、他の誰が申せましょうか。殿下、どうか私をお使いください。約束を違えたときは、一族もろともに、生きたまま左腕を切り落とします」

 サーサリアは不意に立ち上がった。

 「アマイ。お前に親衛隊の長としての椅子を与える。今言った事を守ると、ここで誓って」
 「ありがたく拝命し、そして誓います」
 サーサリアは膝を折り、アマイの顔を必死な形相で睨みつけた。
 「絶対にあの人を手に入れて」
 「かならず…………」

 思い通りの結果になった、と手放しに喜ぶ事などできはしない。現実とはいつも思い描いた通りには進まないものだ。
 名誉ある親衛隊の隊長という座に抜擢されるという大出世を遂げながらも、王室の抱える問題はあまりにも大きい。なによりも弱体化してしまった血筋を広げるためにも、より多くの世継ぎが必要なこの状況にあって、王女が選んだ思い人は、彩石を持たない平民の若者だったのだから。





          *





 からりとした空気が湿気を帯びはじめ、溶けた雪の下から活力に溢れた植物たちが顔を出す。温かな日差しの下、小鳥たちは忙しなく語り合い、天高く爽快に広がる青空を、純白の雲が泳いでいく。

 春が訪れ、アデュレリアは王都へ戻るムラクモの王女サーサリアを送り出す日を迎えていた。
 しかし、旅立ちを見送る一団の中に、アデュレリアの主の姿はなかった。

 「見送りに参加しなくてよかったんですか」
 シュオウは邸の二階にある窓際に立ち、シシジシ・アマイを伴って馬車へ向かうサーサリアを見下ろしながら聞いた。

 「自分にその資格はないからと言われてな。別にたいした労力も使わんが、王女の気持ちを汲む事にした」
 アデュレリアの領主、アミュはシュオウの隣に立ち、同様に窓からサーサリアを見つめつつそう呟いた。

 「そなたの方こそ。あの一件以来王女には随分と気に入られておったろうに」
 「体調を整えている間、さんざん付きまとわれましたから。もう十分です」

 疲れた調子で言うシュオウに対し、アミュがカッカと笑う。

 「ムラクモの王女に懇意にされて邪魔に思うとは、なんとも豪快なものじゃ。カザヒナから聞いたが、あの娘はそなたを親衛隊に引きずり込もうと画策しておったそうな。もし誘われたら、そなたはどうする?」

 問われるも、シュオウは返事に窮した。
 見下ろす視界の先には、今まさにサーサリアが馬車に乗り込もうとしている真っ最中である。その時、ふと彼女がこちらを見上げた。視線が重なると、嬉しそうに破顔して軽く手を振ってくる。

 シュオウは窓際からさっと離れ、サーサリアとの間に線を引くようにカーテンを流した。

 「興味はありません。俺にとっては、あまりに世界が違いすぎる。それに――」
 親衛隊という存在を思い描いたとき、頭にある人物が浮かんだ。
 「――カナリアさんのような死に方は、したくないですから」

 アミュは口元に力を入れて、難しい表情で遠くを見つめた。
 「カナリア・フェースか。あれは惜しい人間じゃった。目の前で看取ったそなたも、辛い思いをしたであろう」

 同情するような眼差しを受け流し、シュオウは鼻先をかいた。

 カナリアの死は、知り合って短期間だったとはいえ、すでにある程度の人となりを知っていたシュオウにとって、心に棘を残したのは間違いない。しかし悲しいと思う事以上に、シュオウは彼女の死を、心のどこかで軽蔑していた。

 王女という存在を前にただ命令に従い、鍛えた技を発揮する間もなく、高所から落ちて死んだ。そんな結末を迎えた彼女の人生は、いったいなんだったのだろうか。

 「俺にはわからないんです。親衛隊だとか、輝士だとか。軍という群れの中での立場や階級にどれほどの意味があるのか」

 アミュは窓から距離を置き、椅子に腰かけて「そうか」と呟いた。そして、さて――と前置きして一枚の書簡を卓に置く。

 「これは?」
 「今の話をした後に出すのもなんではあるが、そなたが所属している第一軍からの配属指令書になっておる。任地は国境を面する南方との最前線。規模は小さいが、領土を巡って日夜争いが繰り返されている純然たる戦地じゃ。命令としての正式な形はとられているが、この話、我の一存で反故にする事も出来るが、どうじゃ」

 アミュの聞いた事は、つまりこのままアデュレリアに残らないかという誘いなのだろう。
 シュオウは卓の上にある薄っぺらい紙を眺めて、深く息を吐いた。

 「その命令を受けます」
 その答えを聞き、アミュは表情を暗くして食い下がる。

 「アデュレリア麾下の左硬軍であれば、そなたを相応の立場として迎え入れる事ができる。たとえ軍属という立場が嫌だとしても、食客としてそなたを高給で雇いたいとも思っていた。やっかみや嫉妬も買うであろうが、それらの雑音はすべてこちらが引き受けよう」

 シュオウは即座に首を振ってそれを拒否する。

 「ここは、俺にとって居心地が良すぎるんですよ。皆が優しくて、食べ物も美味しくて、自分だけの良い部屋があって、カザヒナさんが何かと気にかけてくれる。けど、何もかもが手に入ったようでいて、何一つ自分の物だと思えないんです。俺は、欲しい物は自分で手に入れたい。今の自分はこの国の雇われ者で、雇い主がそこに行けと言うのなら、もらう給料の分は働いて返します」

 アミュはねっとりとまとわりつくような溜息をこぼした。
 「これ以上の引き留めは……野暮であろうな」

 そう言って、さらにもう一枚の書簡を取り出す。さきほどよりも一目でわかるほど高価な紙が使われていた。

 「これは王轄府からの昇進を言い渡す証書じゃ。さきほどの配属命令を受け入れるのと同時に、そなたは正式に従曹の階級に置かれる事になる」

 「昇進……? 謹慎処分中だった俺が、ですか」

 「これは王女を無事に連れ戻した功績に対する褒賞として受け取るがよい。謹慎中であるということを考慮しても、そなたがした事に対する見返りとしては、あまりにケチがすぎるのじゃがな」

 アミュは二枚の紙をまとめ、こちらに差し出した。シュオウはそれを粛々と受け取る。
 「たしかに、受け取りました」

 アミュの表情は曇ったままだ。

 「階級が上がったことで、職業軍人としての給料はそれなりに増えるであろう。並の暮らしをするには十分すぎるほどにな。戦地へ赴けば、そなたは少人数の部隊をまかせられる事になるはずじゃ。現地の司令官アル・バーデン准将は特別優秀というわけでもないようじゃが、特段に悪い噂は聞いたことがない。じゃがもし、そなたが彼の者を上官としてふさわしくないと思ったのなら、いつでもよい、ここへ戻れ」

 まるでひな鳥の旅立ちを見つめる親のように、アミュは心底こちらを案ずるような視線を向けてくる。その顔が旅立ちの意思を告げた日に見た、師匠のアマネと重なった。
 「ありがとう、ございます」
 丁寧に腰を折って一礼する。ただ一言の、心からの感謝の言葉だった。

 「うむ…………。ああ、それとな、まだいくつか話が残っておる」
 アミュは卓から離れ、部屋の隅に置いてあった大きな木箱へ歩み寄った。
 「これはフェース侯爵からそなたへの謝礼だそうじゃ」

 突然に湧いて出たカナリアの父の名を聞き、シュオウは首を捻った。
 「俺に?」

 手招きされて木箱に近づき、中を覗き込むと、その中にさらに小さめの箱がいくつも積み重ねて入れられていた。木箱の蓋を一つ開けてみると、そこにはぎっしりと輝く銀貨が整然と詰め込まれていた。

 「これって……」
 「これだけで一財産になる。富豪であるフェースならではの礼の仕方ではあるが、本当の所は侯爵への謝罪に赴いたサーサリア王女が、そなたの活躍を存分に話して聞かせたのが原因であろう。娘を看取ったとはいえ、見知らぬ平民の事など、実際には歯牙にも掛けておらんはずじゃが、そなたが姫の気に入りであると気づき、こうして機嫌を取るような真似をしたのじゃろう。というわけでこれを受け取るに、一切の遠慮は無用じゃ」

 木箱の大きさは、大人でも運ぶのに四人は必要であろうかというほどである。これだけの金に見合うほどの事を自分がしたとは到底思えなかったが、金は人の世でもわかりやすい力の一つだ。持っていて損をするという事はない。

 「じゃあ、手持ちで運べるだけを」
 「そうじゃな。残りはこちらで責任をもって保管しておく。必要になればいつでも連絡を寄越すがよい」

 シュオウは頷いて、いくつかの小さな袋の中に入るだけの銀貨を詰め込んだ。新たな任地へ向かう今、正直に言って懐が温かくなるのは心強い。

 アミュは、再び窓際に立って外の景色に目をやった。
 「王女が出発するようじゃ」

 誘われるように、シュオウも外を見る。品の良い馬車が中庭を通り、多くの者達に見送られて門に向かって進んでいた。

 「来たときと帰るときとでは、まるで別人であったな。今朝は早くから、邸で働く者達に礼を言って廻ったそうじゃ」

 「らしいですね」
 「素っ気ないものじゃな? あの娘はなにかする度にそなたの居場所を知りたがったそうな。恐らく褒めて欲しかったのではないか」

 シュオウは口元を苦く歪めた。
 「俺には……関係ないです」

 サーサリアと無事に生還してから、彼女は公務として今回の一件で命を落とした輝士達の家に、直接説明と謝罪をして廻った。それ以外ではアデュレリアの邸に滞在していたのだが、その間中シュオウは彼女に追い回され、遭難していた時と同じように共に食事をとりたがったり、一緒に寝たがったりと、まるで刷り込みをした雛鳥のように付いて歩いてきたのだ。

 深界を共に歩いた後のアイセやシトリのように、自分に異性としての好意を抱いてくれたというのはわかっていても、サーサリアはどうにも貴族の娘達ともまた違った想いを持って寄ってきているような気がしてならなかった。

 ――あの感覚は。

 それは、溺れた人間が無我夢中で伸ばす手のようなもの。そこには一切の余裕がなく、助けようとして手を差し伸べたら最後、先の見えない激流の中に引き込まれてしまいそうな気がする。

 サーサリアの馬車は、正門を出て街中を通らない、目立たない裏道へと入って行った。ここからではもうその姿を追う事はできない。
 生まれ落ちた瞬間に王になる運命にあった姫と、親の顔も知らずにただ生きる事にのみ必死だった自分。交わる事のなかった運命は、偶然にほんの一瞬重なったにすぎない。

 ぼうっと外を眺めていると、横に立つアミュがじっとこちらに視線を送っていた。

 「あの?」
 「いやな、そなたにはやはり人の心を動かす力があると考えておったのじゃ。あの貴族の娘らといい、姫といい。人の傍らにあるだけで、その相手の運命を大きく変えてしまうような力がな。そなたを見つけたこの目に、やはり狂いはなかった」

 シュオウはそれを聞いて苦笑いを浮かべた。

 「ありません、そんなもの。自分の人生ですらいつも行き当たりばったりなのに」
 「そうかのう。ちなみに話しておらなんだが、アウレールとモートレッドの馬鹿娘達から、そなた当てに贈り物がひっきりなしに届いて迷惑しておる。そなたが反応を返さねばそのうち止むと思い黙っていたが、今では小さな物置部屋が一部屋埋まる勢いじゃ」

 シュオウは後ろ首を掻いた。

 「それは……すいません。必要ないからと手紙を出したんですけど」
 「もはや贈り物というより貢ぎ物の域じゃな。一度すべてを送り返してみてはどうじゃ。それでわからぬようなら、その程度の頭しかないのだと思って関係を断ってしまえばよい」

 険しい顔で言うアミュに、シュオウは首肯した。
 「そうしてみます」
 「うむ――――しかし、カザヒナのやつ遅いな」
 「なにか、あるんですか?」

 「ちとな。頼んでいた事がある。カザヒナといえば、あやつもそなたに影響を受けた者の一人であったな。我が知る限り、今までろくに男に興味を見せなかったというのに、妙にそなたの事は意識している。ひょっとして、おかしな香水でもつけているのではなかろうな」

 幼子に見えるアミュは、言ってそそそと歩み寄り、シュオウの腹のあたりに顔を近づけて臭いを嗅いだ。
 「ちょッ――」
 突然の事にシュオウが慌ててのけぞると、部屋の入口からガシャンと大きな音が鳴った。
 見れば、カザヒナが蒼白な様子で立ち尽くし、手にしていたと思しき細長い木箱を床に落として、口元に手を当てながらこちらを凝視していた。

 「アミュ様もそうだったのですね……。言ってくだされば、私のとっておきをこっそりお貸し出来たのにッ」

 シュオウの服を掴んで顔を寄せていたアミュは、途端に顔を紅くして怒鳴りだした。

 「あ、阿呆が! お前がシュオウの臭いとやらに執着しておったから、少し試し嗅ぎをしていただけじゃ!」

 アミュは俊足をもってシュオウから離れ、よじ登るように大きな椅子に腰かけて、とりつくろうように小さな咳払いを連続で吐き出した。

 カザヒナは落とした箱を拾い、意地の悪そうな顔でアミュを追い詰める。
 「で、どうでした?」
 「ふんッ、汗臭い普通の男の臭いじゃった!」

 カザヒナは満足気におほほと笑っているが、勝手に嗅がれて汗臭いと評価を頂いた自分としては、なんとも所在ない心地がする。
 ――出るまえに風呂を借りよう。
 服を摘んでワキのあたりの臭いを嗅ぎながら、そんな事を考えた。

 「くだらんことは置いておく。それよりも、例の物の出来はどうであった」

 カザヒナは手に持っていた木箱を卓の上に置いて、満足そうに強く頷いた。

 「素晴らしいですよ。ガライ師匠もご当主様直々の注文ということもあって、相当に気合いを入れたとか。私から見ても名を付けるのに値する逸品です」

 無邪気に笑むカザヒナが箱から取り出したのは、一対の剣だった。黒い鞘に収まる刃は、短刃の剣よりも若干長く造られている。柄の部分は握りやすいように蛇腹模様に溝が刻まれていて、刃との境目には、銀で装飾されたアデュレリア一族が掲げる氷狼の家紋がある。

 カザヒナから剣を一本受け取ったシュオウは、さっそく鞘から抜いてみた。
 剣身は上質な合金で構成され、両刃で刃渡りは短め。ほどよい重さで手にもよく馴染む。
 手にした剣に見惚れるシュオウに、アミュは満足気に声をかけた。

 「そなたは重い得物は好まぬと聞いていたゆえ、特別に一から造らせた。カザヒナの助言を元にして大きさから重さまで細心の注意を払わせたが、気に入ったか?」

 シュオウは視線を剣に釘付けたまま、頷く。
 「はい。でもこんな高そうなもの、受け取れません……」
 躊躇うシュオウに、カザヒナがそっと微笑んだ。

 「相手の懐近くに入り込むのを好む、あなたの型に合わせた造りになっているんです。受け取ってもらえないのなら、飾り物として埃をかぶるだけですよ」

 すぐさま、それにアミュも同調する。

 「いっぱしの軍人であれば、腰に剣でも差しておかねば格好がつかん。それなら少しでも使い道のある物のほうがよかろう」

 頷いて、シュオウは許可を得て二本の剣を抜き、構えを取った。頑強そうな見た目にそぐわない軽さと、腕の延長として使えるほどよい長さ。馬上から突き殺す事に特化した輝士の長剣とは違い、この二剣は地上を駆け回りながら自在に振るうのに適しているような気がした。

 「なんて言ったらいいのか、言葉が出てきません。ただ、ありがたいです」
 自然と下がった頭で、熱くこみ上げてきたものを隠した。なんの縁もなかった自分に、これほどの事をしてくれる人が、他にいるだろうか。
 顔をあげると、アミュとカザヒナは互いに顔を合わせ、嬉しそうに微笑みを交わしていた。



 再三礼を言って雑談を交わした後、退出する間際にシュオウはずっと気にしていたある事を思いだして尋ねた。

 「そうだ。サブリさんとハリオさん、あの二人の事なんですけど」
 何を言い出すのかとアミュは不思議そうに首を傾げた。

 「あやつらがどうした」
 シュオウはさきほど、フェース侯爵から贈られた、銀貨がたっぷりと入った木箱を見ながら言った。

 「あの二人が飲んでしまったという酒代を、あのお金から支払う事はできませんか」
 アミュは怪訝そうに眉を歪める。
 「そなたが代わりに支払うというのか?」

 「あの二人には助けてもらった恩があります。今回だって、借りた外套の中に食べ物が入っていなければ、王女を無事に連れて戻れたかわからない」

 「しかしな、あの馬鹿共が空けた酒は名だたる名酒、古酒ばかり。フェース侯爵からの金でも、かなり減らす事になるぞ」

 シュオウは即答する。

 「かまいません。だけど、この事は二人には黙っていてください。恩を着せるような事はしたくないですから」



          *



 シュオウが退出した後、アミュは副官の前で溜息をついた。
 「欲のない……」
 「そういう人ですよ」
 カザヒナの表情はどこか誇らしげであった。

 「あの二人の処遇はどういたしますか?」
 「申し出通り、借金についてはチャラにしよう。軍へ戻すついでに南方に配属されるよう手配し、その後はシュオウの動向を伝えさせる。ただ飲みを許す代わりだと言えば断れはすまい」

 カザヒナは懸念を伝える。

 「間諜として用いるには、不的確な人材と思います」
 サブリとハリオという二人の元従士。サブリは怠惰で大食漢。ハリオはひがみっぽく、欲に流されやすい。おおよそ繊細な任務に向いている人物とはいえなかった。

 「大袈裟な事はさせん。ただ見て聞いた事を密かに報告させるだけじゃ」
 「まだシュオウ君を諦めきれませんか?」

 アミュは窓の外を見やり、口元を引き締めた。

 「この手の内で保護する事を本人が望んではおらんが、それ以外に関わる方法がないわけではない。なによりあの者は王女の強い信を得た。この先、王の身近に我らに恩を感じる者があるというのも悪くはない。アマイの入れ知恵で、姫もなにかを画策しておるようじゃからな。南の最前線へ配属が決まったのも、おそらくはあの男が裏で手をまわしたのであろう」

 アマイがあっさりとカナリアの後釜に座った事には、正直にいって拍子抜けだった。多少改心したとはいえ、サーサリアは非常に難しい性格を抱える人物だ。最も身近に控える相手として、ろくに知りもしない相手を抜擢したのには、なんらかの思惑が一致してのことなのだろう。

 アミュは視線を落として腕を組んだ。

 「じゃが、いずれにせよしばしこの手は届かなくなる。無事でいてくれれば、いずれかまた、まみえることもあるじゃろう。そなたもせっかくの弟子を早々に手放す事になって寂しいのではないか」

 カザヒナは照れを含んだ少し寂しそうな顔を見せる。

 「それはもちろん。でも、私もまた会える気がしているんです。それに寂しさを紛らわせるための品はしっかりと溜め込んでおきましたから」

 くっくと不敵に笑う副官を見て、アミュは心底頭をかかえた。

 「これからの事じゃが――」
 事が仕事に関する話に移った途端、カザヒナは姿勢を正して屹立した。

 「しばらくの間、体調不良を理由にして中央からは遠ざかる」
 「それは――」

 「どうにもきな臭い。王女の復権により、現体制がどのような反応をするか不透明である事と、王女が選んだ新たな親衛隊の長があの男だという事も気になる。おそらくグエン殿の頭越しで決めたことであろう」

 「あのお方と衝突する、とお考えですか」
 アミュは首肯する。

 「顔見知りを良い事にこちらを頼られても面倒じゃ。しばらくは内に籠もって様子を伺う。王女の遭難の責に苛まれ、気を落としているという形を取れば、周囲の納得も得られるであろ。そこでな、左硬軍司令の代役として適任者を送ろうと考えているが、そなたはどうじゃ」

 問われたカザヒナは、しかし躊躇いがちに首を横に振った。

 「お許しをいただけるなら、しばらくはユウヒナについていたいと思います。あの子が宝玉院に戻れるようになるまでの間だけでも」

 「そう言うことなら、それでかまわん。王都には誰か適当な者を行かせよう。それと今回の反省も踏まえて、領内地形の正確な現状を把握するための調査団を組織しようと思っておる。立場を問わず山に詳しい者らを集めて詳細な情報を集めるつもりじゃ。幸いあの薬師も協力を申し出ておるしな。ユウヒナの件が片付いた後でかまわぬゆえ、そなたも参加するがよい」

 カザヒナは鷹揚に頷いた。
 「そうさせていただきます」

 改善しなければならない事は多々ある。王女の無謀な行動から始まった今回の一件は、アデュレリアの名に大きな傷をつけたのは間違いない。当分の間、宮中や各地方で、暇を持て余した貴人達の興味を満たす噂話として、氷狼の名は存分に語り尽くされる事だろう。

 長きを生きる氷長石の主に強く反省を残した一連の出来事は、才気にあふれる若者の助けもあって無事に終息したが、しかし突如として人の世界に現れ、執拗に王女をつけ回した件の狂鬼については、謎が残った。

 あえて命を取らなかった最後の生き残りである狂鬼が、傷を負いながら向かった方角が、今も頭にこびりついている。

 ――まさか、な。

 突拍子もない考えを早々に振り払い、アミュはアデュレリアの今後と、自身の思う人々へ意識を傾けた。





          *





 時はしばし遡る。
 王都に置かれた王轄府に、サーサリア王女がアデュレリアの山中で遭難した後、無事に救出されたという報が届いて間もなく。

 起こった事の重大さに、情報がもたらされてから城内は大いに色めき立ったが、すでに王女が無事なまま戻ってきた後だった事と、その責がサーサリア自身にあったという事実確認がとれたことから、事態は思いの外、淡々と日常を取り戻していった。

 近衛軍所属の重輝士イザヤは、失われてしまった親衛隊の代わりに、新たに近衛から中規模の部隊をアデュレリアに派遣しようとしたが、補充要員の残り僅かな親衛隊のみで、それ以上は必要なしという王女直筆の書簡により、これを拒否されてしまった。

 どうにも、アデュレリアに赴いてからの王女の様子がおかしい、という噂は、近衛軍や王轄府の高位の者達の間で広まりつつあった。
 これまで公務になどまるで興味を示さなかった王女が、突然護衛部隊の派遣に口を出したり、一連の出来事の中で亡くなってしまった輝士の家に、謝罪と報告のための訪問を調整するよう指示を出したのだ。

 それに加え、イザヤには一つ心配事があった。
 
 父とも呼べる存在である、グエンの様子がどこかおかしいのだ。普段めったに感情を表に出す人物ではないが、幼い頃から身近にその姿を見てきた自分だからこそ気づける僅かな違和感があった。

 おそらく、最近のグエンはひどく機嫌が悪い。

 春を間近に控えたその日、グエンは早朝の会議を終えると早々に部屋から姿を消してしまった。
 まずこれがおかしい。
 いつもなら話し合いを終えた後でも各人に詳細に指示を伝えるのだが、今日にかぎってはそれらをすべてイザヤにまかせて、行き先も告げずにどこかへ消えてしまったのだ。

 太陽が高く昇る頃になっても、グエンの所在はわからず、時間が過ぎていく事にイザヤの不安は膨らんでいった。

 イザヤはグエンに対し、人並みならぬ思いを抱いていた。それは父への情愛であり、また異性の男に対する尊敬と憧れ、それ以上の感情も合わせてだ。

 戦地で拾われて後、イザヤは謎多き養父の事を常に知りたがった。だが、一度グエンに出生について聞いたとき、怒りを買って半年近くにわたって口をきいてもらえなかった事がある。それ以来直接その生い立ちや人生について聞く事ができなくなってしまったのだ。
 イザヤはそうした経験をふまえても、しかし諦めてはいなかった。

 それは幼い頃からの悪癖だった。
 養父の後をつけてその行き先を突き止める。幼稚で意味のない遊びだったが、おかげでムラクモの父とも称される偉大な人物が、日々こなしている無数の仕事を把握でき、自分が輝士として国家の中枢に関わる頃には、誰よりもグエンの補佐を上手くこなす事ができて鼻が高かった。

 イザヤは、昔を思い出してグエンの訪れそうな場所を探して歩いた。だが見つからない。城内はもとより、郊外にある兵舎や、念のため宝玉院にまで問い合わせをしたが、その姿はどこにもなかった。

 最後に、イザヤは城の中庭にある小さな塔の中を探した。ここはグエンが時折使っていた休憩所のような場所で、大きな決定事をする際には籠もって出てこなかった事が何度かあった。
 イザヤから見れば、ここは重大な責務を負う養父の避難所のような場所、という認識だった。だが最近はここへ立ち寄る姿をほとんど見かけなかったので、最後の最後まで候補地から抜け落ちてしまっていたのだ。

 塔の外壁は薄暗い色の苔でびっしりと覆われている。扉を軽く押してみると鍵はかかっておらず、ぎぃと引き攣るような音をあげてあっさりと開いた。

 一階部分は窓がなくて薄暗かった。簡素な家具がちらほらと置かれているのみで生活感などまるでない。二階には古ぼけた寝台があるだけで、天井には汚れて曇った天窓があり、そこから零れる鈍い陽光が、舞った埃を照らしていた。

 ここもはずれかと落胆したイザヤが、急な階段を下りて一階へ戻ると、ふと頬に触る風の流れに誘われた。
 ひゅるりと吹き抜ける冷たい風は、塔の入口から部屋の奥にある暖炉のほうへと流れている。

 注意深く探ってみると、暖炉に隠された地下へと続く入口があった。入口には重そうな金属の蓋が置かれているが、それがずれて隙間を生じている。
 金属製のはしごが奥深く続いているが、よく見るとはしごにたまった埃が、人の手の形を残していた。

 予感というものがある。この場合、未知の暗がりへ入って行く事への恐怖がそれだったが、イザヤの中ではたいして考える間もなく、好奇心と養父への想いが勝ってしまった。

 下へ行くほど暗くなっていく縦穴を下りる。
 足を降ろした先に広がるのは、長く伸びる排水のための細穴だった。中庭まで抜ける排水口を通す穴が、天井に一定間隔で開いていて、そのおかげでかろうじて視界を得られている。

 足元にはくっきりと靴跡が残されていた。形と大きさから見てグエンに間違いない。
 イザヤはその足跡を追跡する事にした。

 下水道は細長く、左右あちこちに伸びて入り組んでいる。しかし足跡は一定の間隔で一つの方向を目指していた。
 イザヤはかなりの時間を足跡の追跡に費やした。自身の感覚に頼るのなら、すでに現在地は城の外。下水道の中は進むほどに古くなり、もはや今居る場所などはあちこち壁が崩れ落ちてしまっていて、その役割を果たしている様子はない。

 時刻は夕暮れを迎え、すでに外から届く陽の光は頼りない。
 戻る事も検討し始めた頃、唐突に前方から人の話し声が聞こえてきた。渋みと厚みのあるグエンの声だ。
 心細さを感じ始めていたイザヤは咄嗟に叫んでグエンを呼ぼうとした、が……どうにも様子がおかしい。

 本能が鳴らした警鐘に従い、イザヤは近くの脇道の中にさっと体を隠した。影から覗く先、グエンがいるほうから赤い光がぼうっと漂っている。その赤い光に照らされて見えたモノの姿を見て、イザヤは息を飲んだ。

 真紅の外殻を身に纏った一匹の虫。その大きさは巨大で、背には大きな紅い色の輝石を背負っている。一目でわかるその姿。
 ――狂鬼!?
 ほとんどの足を失った姿で、紅の狂鬼は酷く弱っているように見えた。


 グエンは左手を狂鬼の背にある輝石に乗せ、虚空を見つめていた。その目は赤くぼんやりとした光を放っている。
 グエンの重たい声が響いた。

 「成虫を三匹使って仕損じるとは」

 グエンの輝石と狂鬼の輝石が、共鳴するかのように同色の輝きを放つと、狂鬼は苦しそうな悲鳴をあげた。

 「休め、お前の役目は終わった」

 グエンは指先を剣先のように伸ばし、おもむろに狂鬼の身体を貫いた。狂鬼はびくりと痙攣した後に絶命する。同時に輝石が放つ赤い光も消えた。

 狂鬼の身体からは真紅の体液が溢れ出ている。そこに出来た血溜まりの上を、どこからともなく現れた小虫達が飛び交っていた。目で追う事が困難なほどの速度で飛び交う虫、ムラクモの王都でのみ存在が確認されている、コキュと呼ばれる吸血習性を持つ虫だ。

 グエンが左手をかかげると、血溜まりにたかっていたコキュ達が、整然とグエンの手の平の上を飛び回った。それは完璧に統制された動きだった。

 グエンの輝石が赤黒い光を放つ。
 「……つけられたか」
 そう呟いたグエンは、唐突に振り返った。
 影から顔を覗かせて固まっていたイザヤと、視線が重なる。

 イザヤが引き攣った悲鳴をあげると同時に、グエンの姿が消えた。次の瞬間、何者かの分厚い手が、自身の細い首を締め上げた。

 苦しさで藻掻くイザヤの瞳の中には、グエンの姿があった。瞳は赤い光を帯びて、異常なほど伸びた犬歯で威嚇するように歯を剥き出し、鬼の形相でこちらを睨みつけるその顔。

 人のモノではない。

 「愚かな、跡をつけたのか! お前のような人間は飽きるほど目にしてきた。好奇心で余計な詮索をしなければ、皆寿命を全うできただろうが、欲に突き動かされる者は、いつかかならず大きな失敗をする。私もまた、突然に転がり込んだ幸運に手を出したがために、貴重な手札を無駄にした。忌むべき最後の血統を根絶させ、その責をすべて氷狼族になすりつけようなど、あまりに都合の良い話だったのだ」

 首にからみついたグエンの手がさらに力を増す。華奢なイザヤの身体は壁に押しつけられながら、徐々に上へと持ち上げられていった。
 足が完全に地面から離され、無我夢中で足をばたつかせた。

 「だず……げ……」
 「人の身を捨て膨大な年月を生きて尚、私は心を惑わせ、未だに失敗を繰り返す。気まぐれに側に置いたお前もその一つだ!」

 グエンが開いた大きな口、その喉奥から這い出てきたのは、紅い色の虫だった。前足が鎌のように鋭く目のない頭には細かな歯がびっしりと生えた口があるのみ。皮膚は芋虫のように柔軟で、表面はヌメっていて黒い染みのような斑点が浮かぶ。
 その赤黒い不気味な虫は、一瞬の動作でイザヤの口内に頭を突っ込んで、そのまま喉の奥まで進入して気道を塞いだ。
 うめき声すら出せなくなったイザヤは、そのまま白眼を剥いて失神した。



 現との境を失ったイザヤの頭に、とある光景が映し出された。

 雲のような美しい寝台の上で寝そべる痩せ衰えた老女。左手にある輝石は、見るからに特別な輝きを放っている。記憶の隅に残っていたその姿は、間違いなく先代ムラクモ女王のものだった。

 女王は激しく咳き込みながら、傍らに控えているグエンに手を差し伸べた。

 『この身に残された時は少ない。グエン、私の死後、速やかにサーサリアへ天青石の継承を。なにもしてやれなかったが、せめてこの一族の石が、あの子の支えになってくれればよいのだが……』

 グエンは女王の皺だらけの手をそっと握った。
 『陛下……後のことは全ておまかせを』
 女王は瞳に涙を溜める。
 『感謝の念に堪えぬ。そなたがいれば、サーサリアはかならずまた立ち上がる事ができよう。どうか、どうかあの子を支えてやってほしい』

 終わりの時を悟り、悲しみに頬を濡らす女王の前にあって、しかしグエンの表情は冷め切っていた。女王の手を握りしめたまま、腰にさしていた短剣を手にとると、そのまま女王の左手首を斬り落とした。

 壮麗な王家の寝間に、老女の悲鳴が木霊した。

 『好きなだけ叫ぶがいい。人払いはすませてある』
 血が溢れる女王の手首を、グエンは強く握りしめ、目一杯高くへ持ち上げた。

 『グエン! なんで?! どうして!』
 グエンの形相が醜く歪む。

 『貴様が忌むべき血を受け継ぐ者だからだ。くだらん情念で一国を滅ぼし、すべての人々を根絶やしにして、紡がれてきた文化や歴史を蹂躙して神の名まで消し去った。あげく西の異民族を受け入れて東地に蔓延らせた事、忘れたとは言わせんぞ。この名を口にするのもおぞましい、汚らわしいムラクモが!』

 女王はわけもわからず、狂ったように首を振った。
 『わからぬ、わからぬ! お前がなにを言っているのか!』

 『知る知らずに及ばず。これはすべてを奪われ、生き地獄を這いずった男の復讐にすぎんのだ。ただの失血で死ねると思うな。石を失い、生きながらに光砂として肉体が崩れていく苦しみを骨の髄まで味わうがいい』

 『こんな、こんな事が見過ごされるはずがないぞ!』
 蒼白の女王の最後の抵抗を、グエンは高笑いでかき消した。

 『お前がそうであったように、私は多くの者達の信を得ている。言葉一つで王と二人きりになれるほどにな。ここまでの途方もない道程は楽ではなかったが、ようやく……ようやく薄汚い毒蛇の石を手に入れたッ。残るは幼い小娘ただ一人』

 歯を剥き出しにしてグエンは笑む。

 『まさか、息子も――』
 問われた事を嬉しそうに、グエンは声を張り上げる。

 『王子を屠るのにはそれなりに骨を折った。しかしその分、虫の腹の中に収まって死ぬというのは、なかなかに劇的な最後であったな』

 『おのれ、逆賊がッ!』
 女王は憤怒に顔を歪め、腕を掴まれたままに力を振り絞って、右手だけでグエンに掴みかかった。グエンはそれを軽くいなし、女王の首を掴んで寝台に押しつける。

 『これから始まる苦痛に気が狂う前に、一つだけ良い事を教えよう。サーサリアはすぐには殺さない。残された最後の王族の死には、それに相応しい理由が必要になるだろう。下手な状況を招けば諸侯らの反乱は必至だが、東地の民はもとより我が主の物、争乱に巻き込むような事はしたくない。そうだな、あの娘には心を惑わす花を与えよう。自ずから身を滅ぼしたとなれば、穏便にムラクモの血にトドメを刺す事できる』

 老いた女王はグエンを呪う言葉を吐き続けた。品位を尊び、麗しく威厳があったその面影は、すでにない。

 間もなくして足のつま先からゆっくりと身体の光砂化が始まると、女王はこの世で人の味わう最悪の痛みに襲われ、時を経て正気を失って没した。

 『玉座は炎鳥の王に、東地の民はアマテアの大地に……あと少し……あと一人だ』

 すべての肉体が消失し、衣服のみが残された寝台をじっと見つめるグエンの背中。イザヤの見る夢幻の如き視界からは、その表情を伺い知る事はできなかった。


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