あれから丸1日後、僕を載せた檻車はようやく王都に到着した。 格子窓から見える街の風景に、僕はようやく帰ってきたんだと実感する。 一ヶ月も滞在していなかった街なのに、確かに僕の心は温かい何かで満たされる気がしたのだ。「あ、あれは鳥の冠亭だ! 皆元気かな……」 豪快な大将に気風のいい女将さん、そしていつも飲んだくれて騒ぐだけの冒険者や旅の人達。 彼等の顔が無性に見たかったけれども、囚われの身の今はそれも叶わない。 もっともフェイ兄に何か作戦があるみたいだし、きっとこの茶番が終わればまた皆にあえると信じよう。 程なくして跳ね橋を渡って王城へと入ったようだ。 短い間ではあったが慣れ親しんだ音が周りに溢れかえる。 近衛兵の歩く長靴の音や時折聞える早馬の嘶き。 侍女達の姦しい笑い声も聞えれば、政務官たちがなにやら議論を交わしながら傍を通り過ぎてゆく。 懐かしさに浸るまもなく、段々そういった日常の騒音が遠のいていったかと思うとようやく止まった。「着いたぞ」 クラウがそういって檻車のドアを開けて入ってくる。 手には二つの穴が開いた、例えるなら映画で使うカチンコのようなものを持っていた。 道中に拘束することは無かったので、これはあくまで集まってくる観衆用のパフォーマンスみたいなもんだろう。 彼は僕の前にそれを突き出すと、申し訳なさそうに手を前に出すように僕に促す。「すまねぇな。部屋に戻るまでは我慢してくれ」「うん、分かってるよ」 クラウは手際よく僕の手に枷を嵌めると、さらに後ろに回って猿轡を噛まされる。 何もそこまでしなくてもって思ったが、この世界の罪人への扱いを知らない以上文句も言えない。 支度が出来たので、クラウが手枷に繋がれた太い紐を軽く引っ張る。 降りろという事だろう。 部屋に入るまでと言っていたし、せいぜい回りに罪人ぽく見えるよう大人しくついていく事にした。 馬車を降りるとそこは北の塔のまん前で、部屋というのはどうやら以前から僕が寝起きしていたあの部屋のようだ。 地下牢にでも放り込まれるのかと思っていたけどちょっと一安心。 辺りを見回すと、窓やドア、建物の影からこちらを覗き見る視線とかち合った。 目が合うと一様に勝ち誇ったかのように見下してくる侍女達。 あまり親しくしてない王宮側の一般侍女さん達だから、仕方ない反応なんだろうけど。 対して騎士や衛士、あるいは政務官の男性人はというと、つばを地面に吐き捨てたり、あるいは好色な視線を寄こして来たりとこれもなんだかなぁって反応だった。 あ、でも時たま他人に見えないように、手を振ってくれたり頑張れよと声に出さずに口だけで応援してくれる顔見知りの政務官さんもいたのは嬉しかったかな。 兎に角、そんな衆人環視のなか、僕は晒し者にされるようにゆっくりと建物へと連行されていく。 建物の中に入るとクラウや周りに居た衛士の人たちが一斉に大きなため息を付いたのには、思わず笑ってしまったのは余談である。「いいか、決してこの部屋から出ようとか考えるんじゃねぇぞ? ここを一歩出りゃ、お前を拉致したいってやつがごろごろしてる」 部屋に到着すると。僕の猿轡をはずしながらクラウが釘を刺してくる。 僕は引っ張られて痛み出していた頬肉と口角の辺りをマッサージしながら質問を返す。「あの、それってやっぱり復讐とかそんな感じの人達がいたりするのかな?」「それもあるだろうが、今はお前が魔法を使える血統だと周囲にばれてしまっているから、そっち狙いだろうな」「……えっ、でもボク魔法使い出したのってごくごく最近だし、そんなにすぐ広まるものなの?」 僕が再度疑問を投げかけると、クラウはあからさまに顔を顰めて肩をすくめて見せる。「貴族様お得意の情報戦ってやつなんじゃねぇか? もっともお前さんの情報を鐘や太鼓を叩いて周りに知らせているのは他でもないフェイタールの奴だけどな」「!? 」「お陰でお前目当ての貴族達が目の色を変えて、輸送中やここの警備の隙を探りまわっている次第だ。余計な仕事が増えてこっちも四苦八苦してるんだ」「質問! 何で魔法が使えるってだけでそこまで血眼になるの?」「魔法が使える人間は限られている。特にゴーディン王国には片手で数えるほどしか居ない。だから下級貴族といえど、魔力が扱えるのであれば簡単に上級貴族の仲間入りが出来る可能性が出てくるからな」「なるほど。希少価値があるから、憎いけど生かしておいたほうが良いって思う人が増えるってことなんだね?」 クラウは僕の手枷を外しながら、嫌そうな顔をして僕の答えに無言で頷く。 手枷の感触の残る手首を摩りながら、もし裁判で不利な判決なんかでたらどうなるんだろうかと想像してしまう。 もちろん行き着く先は、あの晩、僕に子供を産めと行ってきたトスカーナ侯爵に行き着くわけだけど。 その行為や出産なんかを想像してしまうと、ぞわぞわっと背中が粟立つ。 男に襲われるのも、子供を産むのも勘弁してほしい。 一応、心は未だに男性のつもりだしね。 クラウは荷物を片付けると、部屋を出て行こうと扉を開ける。 そのまま出て行くのかと思いきや、肩越しに僕に視線をよこす。「……その、なんだ。今は不安かもしれねぇが、フェイタールがきっとお前を守ってくれるさ」「うん、分かってる。……ありがとう、意外に紳士でびっくりしたよ」「一言余計だ、馬鹿。じゃあな」 軽く手を振って今度こそ部屋から出てゆくクラウだった。 僕は彼を見送ったあと、綺麗にシーツ交換されたベッドに身を投げ出す。 懐かしい感触と匂いに、ちょっとだけうるっとしてしまった。 フェイ兄がどんなシナリオを用意しているのかは分からないけれど、今の僕には出来る事は何も無い。 いや、フェイ兄に相談無しに動いてしまうと、逆に足を引っ張ってしまう可能性もあるよね。 そう考えたらじっとしているのが一番なんだろうけど、どうにも落ち着かない。 「うぅぅぅ、自分のことじゃないはずなのに自分が責任を取らされそうでござる。デュフフー」 変にふざけて見ても、もちろん状況も感情も改善するはずも無く。 うわぁぁってなってベッドの上から転げ落ち、床に敷かれている絨毯の上でさらに転げまわる。 一頻り悶え苦しんだ後床でうつ伏せに寝そべっていると、机の引出しと床の隙間に何かが落ちているのを見つけた。 僕はむくりと起き上がると、さまざまな日用品を駆使して机の下からその物体を取り出すことに成功した。「あ、これって……」 出て来たのは浅葱色のうすっぺらい封筒。 僕が大掃除の時に見つけた、外の人から王様やフェイ兄に宛てた手紙だ。 思えばこれを見つけてから、僕は積極的に蛮行姫の噂を打ち消そうといろいろと努力したんだっけ。 仰向けに寝転がり、両手で手紙を天井へと掲げる。「こんなのを見つけなければ、ミーシャやアニスだって面倒事に巻き込まれなかったかもしれないんだよなぁ。その場合、僕ってどうなってたんだろうねぇ?」 徐に封筒を開け、中の手紙を取り出して読み始める。 ―― 親愛なる兄様と、一度も愛してくれなかった義父様へ ―― 親愛なるお兄様、いつも私のことを気にかけ、色々と先回りして用意周到にご機嫌を取ってくださって有難うございます。その物腰や甘ったるい言い回し、上辺だけの笑みに心のこもらない賛辞。毎日毎日飽きることも無く私の機嫌を損ねないように心を砕かれていた事に対して、本当に頭の下がる思いでした。でもそこまでの努力をされていたにも係わらず、義兄上は私が本当に欲しかったものを只の一度も貢いではくださいませんでした。 義父上も私の無理難題に、ため息を付きつつもよく応じてくださいました。私だけのお城。帝国貴族に相応しい家具調度や衣類。下女ではなく、身分の確かな侍女達。気に入らない商人は城から追い出し、私に楯突く政務官を罷免したりもしてくださいました。私の一言で大の大人が右往左往する様は本当に胸が空く想いでした。下野していく彼らを見送る義父上の憂いを帯びた瞳の色を、私は思い出せないことに最近気が付きました。きっとお母様も私と一緒だったのかなと可笑しく思います。 でも、もうこんな茶番のような生活も終わりにいたします。恐らくこの手紙が見つかって読まれているということは、私はもうこの世には居ないことと思います。お母様が亡くなって以来、お母様の名誉を守り生きていく事だけを考えていました。お母様の名誉や帝国貴族の誇りを傷つける者には容赦なく報いを与えてきました。今思えば、そこまでする必要など無かったのに、何をそんなに意固地になっていたのかと今になって思います。 先日、私の唯一の理解者であるレイチェルを失い、頼れるものが誰も居なくなってしまいました。あの卑怯者のカヌプルト・ドルマン男爵の奸計に陥った義兄上を助けるには、それ以外方法は無かったから。レイチェルは義兄上の名誉を守るため、聖なる試練に挑み火に掛けられました。先日、その恨みも彼奴を刑死させたことで晴らせたので、最後にけじめを付けようと思います。ルナは問答無用で大好きな姉を奪われた可哀想な娘。私の死が彼女の心を少しでも癒せるなら、私は嬉々としてこの身を差し出そうと思う。どういう死因になるかは分からないけれども、ルナに一切の責任は無く、また彼女を責める事のないよう義父上と義兄上にお願い申し上げます。最後の私の我侭ですが、何卒お聞き届けくださいますようお願い申し上げます。 最後にもう少しだけ。私は貴方達が大嫌いです。お母様を孤独にさせた貴方達が大嫌いです。お城もドレスも豪華な家具も欲しくなかった。どうして誰もお母様を助けてくれなかったんですか。どうして誰も私を見てくれなかったのですか。どうして私達親娘を受け入れてくれなかったのですか。どうしてちゃんと目を見て話をしてくれなかったのですか。どうして、どうして……。 手紙はここで切れていた。 最後の字は涙で滲み、最後の部分の紙の皺も酷い。 何度読んでも後味の悪い手紙。 これを読んだから、僕は彼女の悲しみを否定しようと躍起になったんだっけ。 むくりと起き上がり目じりに滲んだ涙を拭き取りながら、その手紙を綺麗に折りたたんで机の引出しの中へ仕舞い込む。「うん。大丈夫。どんな風になったとしても、ボクはやっぱり諦めないよ。ここまで来ちゃったからには、最後まで駆け抜けてみせるよ、外の人」 むんと気合を入れなおし、僕はじっとその時が来るのを待ち続けた。 ――王定裁判。 国内貴族を裁く剣戟を伴わない唯一の場である。 王の宣下の下に、領地を持つ貴族が集まって問題の貴族の罪を質し科刑を決める。 もちろん王族の罪も問われる場合も稀なケースとしてあった。 スワジク・ヴォルフ・ゴーディン。 現在は廃姫され、さらに実家であるヴォルフ家が取り潰しになったため、ただのスワジクである。 平民と同列として扱われる存在でありながら、王定裁判で争われるのは単に彼女の特殊性からであった。 続々と王都へと集まってくる領地持ちの貴族達。 ある貴族はスワジクの魔力の血統を手に入れることを夢見て。 またある貴族は、彼女の希少性をなんとか今までの損失に当てれないかと策を練り。 あるいは、下卑た笑みを浮かべながら、自分の腕の中でよがり狂う少女の姿を妄想する者やら。 そんな貴族達を窓から見下ろすフェイタールの表情は、いつになく厳しいものであった。 「私は守れるのだろうか……」「やり抜くしかありませんよ」 フェイタールの横でそう呟くレオ。 その二人の影を城壁側にある官舎から眺める影が一つ。「老獪な貴族連中を相手に、たかが駆け出しの第3王子がどこまで歯向かえるのか。見せてもらうぞ?」 グラスに入った酒を揺らしながら、暗い笑みを浮かべるトスカーナ卿。 さまざまな思惑が入り乱れる王城の中、ついに運命の裁判が開かれる――。