扉の前に立つのはトスカーナ侯爵。 薄ら笑みを浮かべながら僕を見下ろしている。 実際侯爵様から見たら僕は小娘でしかないんだろう。 ま、実際そうだし。 でも子を産む覚悟とか言われても……。「あの……確認なんですけど……」「なんだ、言ってみろ」「こ、子供ってキャベツ派ですか? コウノトリ派ですか?」 ん? なんか膝枕していたボーマンの身体が反応したような? 視線を下げようと思ったら、侯爵様が突然大笑いし始めた。 いや、うん、笑われるだろうなとは思ったけど。 僕的には割りと切実だったりするんだよ。 大体子供を生むって事は、この目の前の人とその……致さなきゃいけない訳で。 それは心が男とか別にして、生理的に無理な相談なわけで。 生理的にOKだったら良いのかと言う問いは、出来れば聞かない方向でお願いします。「くはははっ、子供の作り方すら知らぬのか。他人を地獄に落とす術は知っているのに子作りの仕方すら知らぬとは。なんとも偏りのある小娘だ」「地獄にってそんな人聞きの悪い……」「んぁ? あぁ、相手が勝手に自滅しているだけだと言いたいのか?」 トスカーナ侯爵は大股で僕が腰掛けているベッドに近づくと、無理やり顎を掴んで上を向かせた。 怯える僕の顔を見て何やら笑みを深める侯爵に、どうしようもない嫌悪を感じてしまう。 いわゆるこれが身の危険を感じるってやつですか?「確かに貴様のいう通りだ。馬鹿な男共が貴様の地位と権力と身寄りの無さに惑わされて自滅しただけだ」「……」「だがもはや地位も後ろ盾もない、貴様だけの浅知恵でこの状況は覆せまい? お前はもはや寄る辺を持たぬただの小娘だ」 荒々しく顎を突き放されたせいで、思わずベッドの上に倒れこみそうになる。 侮蔑の篭った視線で僕を見下ろす侯爵。 悪意とか欲望とかそういったものではなくて、何か薄ら寒い悪意のようなものを感じる。 怯える僕の表情を見て彼はフンと鼻を鳴らす。「怖いか? この私が」 僕はその問いに素直に返事する事も頷く事も出来ず、ただ涙目になった瞳で睨み返す。 理不尽な怒りをぶつけられているんだから、これくらいの反抗は折込済みなはず。 「貴様には分かるまい。たかが小娘一人に国政を蔑ろにされる気持ちというものを」「……んくぅっ!」 侯爵の大きな手が僕の細い首を鷲掴みにする。 慌ててその手を引き離そうとするけど、万力に挟まれたみたいでビクともしない。 徐々に苦しくなってゆく息と締め付けられる苦痛で涙がぼろぼろと流れる。 次第に切羽詰まってきて僕は力の限り侯爵の腕やら胸やら顔を殴りまくった。 でも非力な僕のパンチはまるで効いていないみたいで、平然とした表情でさらに縊り殺そうと力を篭めてくる。「かはっ……」「このまま始末出来ればどれほど爽快なことか。中途半端に魔力になど目覚めおって」「くぅ……あぅ……くはっ……」「しかし魔導師をこの国でも抱えることが出来るというメリットは確かに捨てがたい。まったく何処までも悪運の強い小娘よ」 不意に首に掛けられていた手を外される。 僕は欠乏していた酸素を貪るように肺に取り入れ、酷く咽せてしまう。「とはいえ貴様の後ろ盾を潰すのに時間や金や人脈と色々と浪費してしまった事もある。その穴埋めと思えば腹も治まるか」 トスカーナ侯爵はくるりと踵を返すと、ゆっくりとした歩調で部屋を出てゆく。 僕はそんな彼を横目に乱れた呼吸を治めることに必死だ。 本当に死ぬ一歩手前まで行ったと思うし、今も死にそうに苦しい。「あぁ、それと女の膝の上で寝た振りをしている鼠は傷も癒えたようだな。約束どおり明日の朝には屋敷から開放してやろう」 嫌な音を立てて部屋の扉が閉められ、そして静寂が訪れる。 僕はゆっくりと視線を膝の上に落とす。 脂汗をだらだらと流しながら必死に寝た振りを続けるボーマンがいる。 ボーマン、目が覚めてたのなら覚めてたって言ってよ。 はふぅと大きなため息をつくと、慌ててボーマンが言い訳を並べ始めた。「いや、あの目が覚めたのはですね、あの侯爵が入ってきてからで、起きるに起きれないっていうか、身体がまだ思うように動かないって言うか……」「ボクが首を絞められてても助けてくれなかった」「い、いや、相手の目的を考えたら殺しはしないと思ったので、寝たふりをしている方がいいかなと……」「結局見破られてるじゃない」「……す、すいません」 僕の膝の上でしゅんとなるボーマン。 しかしあくまで膝枕の体勢は崩さないのな、このむっつりは。 そんな事を頭の片隅で考えつつも、したいようにさせようと思う。 だってあんな大怪我までして僕のために何かしようとしてくれたんだ。 これ位の役得があったっていいんじゃないかな。「もう、どこも痛くない?」「そうですね。少し違和感がありますが概ね大丈夫かと」「よかった。本当によかったよ。一時は死んじゃうんじゃないかって怖かったんだから」「ご心配をお掛けして申し訳ありません、姫様」 ようやく身体を起こしてベッドに並んで腰を掛けるボーマン。 すまなさそうに頭を垂れるその様は、どこか叱られてしゅんとしている犬みたいだ。 それにボーマンが僕に謝ることなど一つもない。「心配はしたよ、いっぱい。ミーシャにもボーマンにも死ぬほどの怪我を負わせてしまって……。謝りたいのはボクの方だよ」「姫様……」「ボクなんかと関わらなければボーマンだってこんな怪我しなくて済んだんだ。それにこれから先あの侯爵みたいな偉い人に睨まれずにも……。ボクさえんっ!?」 ボーマンの固い手が僕の口を塞いでいる。 何をと思ってボーマンを見ると、凄い怖い顔で睨まれてた。 睨まれている理由が分からず混乱していると、ボーマンが静かに語りだす。「俺は自分の意思でここに居るんです。それについては例え姫様であっても文句は言わせません」 僕が大人しくなったのを見て、ボーマンはゆっくりと手を下ろす。「それに侯爵も言っていたじゃないですか。姫様に不幸にされたという奴らは自業自得だと。なら姫様がそれについて気に病む必要なんてないんです。それに国政をうんぬんっていう話だって姫様だけが悪いわけじゃないじゃないですか」「そ、それはそうだよ。ボクだってそこは気にしてないよ。でも僕の周りに居てとばっちりを受けた人達がいるんだよ。それにはやっぱり責任を感じてしまうよ」「俺はとばっちりだなんて思ってません。多分ニーナも説明したら分かってくれます。ミーシャさんは分からないけど、姫様が信頼している程の人なら俺らと同じ考えだと思います」 力強く言い切るボーマンにたじたじになる。 確かにボーマンの言う通りだ。 一人の少女に翻弄される程度の国政っていう方が問題だし。 それに暴走するお姫様一人どうにか出来ないのって国として問題だよね。 あぁ、そう考えると少し気が楽になるかな。「でもさ、現実として色んな所で迷惑は掛けてる。もちろんボーマン達がそうは思わないって言ってくれるのは凄く嬉しいけど。でもやっぱりボクとしては非常に辛いよ」 そういってボーマンに自嘲気味に笑いかける。 するとボーマンはあぁと唸りだして頭を掻き毟り始めた。 突然の奇行に驚いて呆然としていると、ボーマンはすくっと立ち上がってベッドに座る僕の両肩を鷲掴みにする。 っていうか何かこういう体勢になる事が多いな、今日は。「だからそれは気にしなくていいです」「いや、無理だから。だって実際そうじゃない。ボクに関わらなければ皆普通に暮らせたんだよ?」「それじゃあ姫様だけが損するじゃないですか! それはおかしくないですか?」「そ、それは記憶を失う前の行いのせいだから……仕方ない……のかな……」「それじゃなんですか? 姫様が一方的に他の人を蹂躙して虐げてきたんですか? 関わってきた奴らに一分の落ち度もない?」「わ、分かんないよ、そんなの。記憶が無いんだし」「ならそこは悩まなくていいじゃないですか」「いや、悩もうよ!? 」 なんか段々ボーマンがヒートアップしてきてる。 もともとあんまり色々考えるの苦手そうな感じだし、会話が平行線になってきてるからイライラし始めてるんだろう。 でも僕としても周りに迷惑は掛けれないという気持ちは譲れないんだ。 お互いの主張が交わり合わなくなって睨みあう僕とボーマン。 ボーマンが一度俯いて肩を震わせる。 ようやく僕の譲れない一線を理解してくれたかと思ったら、さらに勢いよく噛み付いてきた。「あぁ、もう! 理屈とか小難しい事とか他の奴らの事なんてどうでもいい! 俺はあんたを守りたいんだ、姫様っ!」「ふぇ!?」 あまりの言葉遣いの変化についていけない。 というかこっちがボーマンの素なのは分かるので、別に違和感はないんだけど。 ただ切れ気味なボーマンにびっくりしているだけ。「あんたが悲しい顔をしているのが辛い。あんたが辛い状況にいるのが堪えられない。姫様のような優しい人が不幸になるのは見過ごせないんだ!」「ちょ、ボーマン! 言葉遣いが変わってるって! お、落ち着いて! ね? 落ち着こう?」「落ち着いてるさ! っていうか俺の話を黙って聞けっ!!」「ひゃいっ!!」 なんか理不尽に怒られた。「マクレイニー家の剣は忠義一徹の剣。代々この国の王に忠誠を誓ってきた由緒ある騎士の家なんだ。だから俺もって思ってた。でも姫様のような、か、か、可憐な人を蔑ろにするような王様に俺は自分の剣を捧げたくない」「う、うん……」 顔を真っ赤にして捲くし立てるボーマン。 ところどころの発言で顔を赤くしたりどもったりするけれど、真剣な眼差しに茶々を入れれる雰囲気にもない。 「噂なんてどうでもいい。過去にあった事も気にしない。地位も名誉もいらない。俺はあんたを守る一本の剣になりたいんだ」 ……な、なんか物凄いことを言われたような気がする。 いや気のせいでもないんだけれども。 ど、ど、ど、どうしたらいいのかな? どう返答したらいいんだろう、誰か助けて!「あんたの目の前に現れる全ての敵を俺が倒してやる! だから俺を信じてくれ!!」 痛いくらいに肩を掴む手に力が入ってる。 それにボーマンの手が微かに震えているのが分かった。 多分死ぬほど緊張しているに違いない。 それはそうだよな、こんな告白めいた台詞をいったんだから。 というかそれに答えなきゃいけない僕はどうしたらいいんだよ!「……嫌か? 嫌なら嫌とはっきり言ってくれ。それなら俺は自分の剣を捨てる覚悟だって出来てるんだ」「あぅ……」 ボーマン、それだんだん脅迫めいてきてるから。 とはいうものの一途なボーマンの思いというか気持ちが、素直に嬉しい。 不覚にも胸の奥がきゅんとなってしまった。 これは自分が女になってしまった弊害だと思いたい。 ぜひにそういう事にして欲しい。「姫……」「そ、そんな風に言われたら断れないじゃないか。卑怯だよ、ボーマン」「そうまで言わないと頷いてくれないあんたが悪い」「だって仕方ないじゃないか……ボクには解決する力がないんだもの」「なら俺がその解決する力だ」「力押ししか出来そうにない力だけど」「細かいことはきっと他のやつらが考えるさ」「他の奴らって?」「姫様を大好きな奴らって事」「そんなんでいいのかな? 周りに迷惑ばっかり掛けることになっちゃう」「心配すんな。俺が傍に居る」「何の解決にもなってないし」 いつの間にか力強く抱きしめられている。 それが心地よくて、安心できて、凄く嬉しい。 あぁ、ボーマンの顔ってカッコいいよなぁ。 睫毛も長いしもうちょっと大人になったら絶対美形になるんだろうな。 「姫様、あんたは俺がずっと守ってやる」 甘く囁くような言葉に、僕とボーマンの距離がいつの間にか無くなっていた。