「ルナ……」 レイチェルが緑の髪をした姫様を庇うように一歩前へ出る。 うつろな瞳のままのルナは鮮血を滴らせたレイピアをゆっくりと構えた。「あなたが本当のスワジク姫だというのなら……答えられるのでしょう?」「……そうだ、ルナ。お前の悲しみが私の死と引き換えに癒されるのなら、お前こそが私を殺すべき人間だと思ったのだ」「そう……そうね、貴女の言うとおり。姉さんを私から奪ったあなたは死んで当然なの。殺したらきっと何かが変わると思ったのに……」 ルナが一歩前に出る。 それに合わせるかのように姫様がレイチェルを押しのけて前に出た。 私はどっちを止めるべきかと悩んで、おろおろと二人の横顔を見比べるしか出来ない。 それでもどっちにも傷ついて欲しくなくて、私は震える足を引きずるように二人の間に飛び込もうとした。 が、それはいつの間にか私の横に来ていたミーシャちゃんによって止められる。「駄目だよ、アニス。ここは私達が踏み込んでいい場面じゃない」「ミーシャちゃん、でもっ」「いらぬ世話だ、アニス。これはルナと私の問題じゃ。口出し無用、手出し無用」 そういってもう一歩前にでる姫様。 喉元には既に血濡れのレイピアが突きつけられている。「また私に殺されてくれるのですか? 姫様」「お主がそう望むのであれば壊されても良い。だがそれで何も変わらなかったのであろう?」「まさか今更私にお説教か何かですか? 復讐は良くないとか、殺しても何も変わらないとか?」「いや……私がお主に言えることなど何一つありはしない。ましてや人形と成り果てた物に何かを言う事など許されまい……」「だったら何で私の前に現れたの!? 私の目の届かないどこかへ消えてくれていればよかったのに!!」 怒鳴ると同時に姫様に踊りかかるルナ。 その場にいた誰もが凍りついたように彼女の行動を見つめるだけ。 私自身姫様を助けに行こうと思ったのだけれど、ルナの張り裂けるような怒号に立ちすくむ。「私は貴女を殺してっ! あの女を貴族に差し出してっ! 私を殺しに来た奴らを返り討ちにしてっ!」「ガハッ……グッ……ゴッ」 静かな空間に響き渡る骨を打つ音。 姫様の顔が赤く血に染まってゆく。「どうしてっ! 私が何をしたっていうの! 全て貴女のせいでっ! 姉さんをっ! 私の幸せを返せっ!!」 泣き叫びながら姫様の記憶を持った人形を殴り続けるルナに、私達はかける言葉も無くただ成り行きを見守るしかない。 ただその中で一人だけ、その氷のような空気の中動けるものが居た。「もうその位にしておきなさい、ルナ」「!?」 レイチェルの声に我を取り戻したのか、ルナが驚いた顔をして頭を上げる。 馬乗りになって振り上げていたルナの拳を、そっと両手で包み込みレイチェルは続けた。「こんなになって……痛いでしょうに」「あ……あ……。さ、触らないで……姉さんのような顔をして、私に触れないで……」「ルナ……」 怯えるように後ずさるルナを悲しげな瞳で見つめながら、レイチェルはポケットからハンカチを取り出す。 まるで怯える小動物を手懐けるように、ゆっくりとルナの手を取る。 今度はされるがままになるルナ。「アニス、姫様をお願い」「は、はいっ! 畏まりましたっ」 まるで昔を彷彿とさせるレイチェルの声色に思わず仕事口調で返事をしてしまう。 けれどその場に居た誰も私の事など気にもせず、二人の成り行きをじっと見守っている。 内心、ほっとしつつ床に伸びている姫様を抱き起こす。「だ、大丈夫ですか?」「……頼む、少し物陰に連れて行ってくれ……」 案外しっかりとした姫様の返答に驚きつつ、ルナから死角になる場所へと姫様を運ぶ。 ミーシャちゃんが手伝ってくれたから出来たことだけどね。「アニス、何か拭くものを」「あ、はい、どうぞ」「すまんな」 ポケットから出したハンカチで無造作に顔を拭き上げる姫様。 その顔を見て私は唖然とするしかない。「ひ、姫様……その顔って……」「ん? あぁ、元が人形だからな。あれくらいでは壊れるようには出来ておらん。ルナが一方的に怪我をしただけじゃ」「……」 もう何を言っていいのか分からずに私はこめかみを押さえつつ後ろの2人を振り返った。 大人しくレイチェルの手当てを受けているルナを見ると、少し興奮状態が落ち着いた様子。 これで落ち着いて話し合いが出来ればいいんだけれど……でも話し合ったところで解決するのかなとも思う。「……どうして? 貴女は姉さんの魂を持った人形なんでしょう? どうして姫様と一緒にいられるの?」「そうね。話せば長くなるから今は詳しくは言わないけど、私が刑に服したのは仕方が無かったの」「仕方が無かった?」「そう。姫様と何度も何度も話し合って、でも他に抜け道が見いだせなくて、ね」「どう言う事?」 自嘲気味にため息をつきながら、レイチェルは昔語りを続ける。 ルナはそんなレイチェルを血の気を失った顔で見つめる。 私は、私も多分今のルナと同じ様な顔をしているに違いない。「名前は忘れてしまったのだけれど、どこかの男爵が姫様に邪な想いをもって近づいてきていたの」「確かドヌマンだかドルマンだったか、そんな名ではなかったか?」「いやらしい小柄な男だったのは覚えているのですが……」 物陰からレイチェルの話に言葉を添える姫様。 二人のおぼろげな記憶は、ルナの一言で焦点を結ぶ。「……カヌプルト・ドルマン男爵」「おお、そうじゃ、その名じゃな」「スワジク姫が襲われたと訴え不敬罪で打ち首になった貴族です。未成熟な少女に性的な興奮を覚える変態というレッテルを貼られたとか」「あやつはな、ヴォルフ家の後盾と私の身体が欲しかったのじゃ」「最初の頃は侍女の私でもなんとか撃退できる程度のアプローチだったんだけれども、靡かないと分かるや色々と政治的な手を使ってきて大変だったの」「そこで目を付けられたのが、フェイ兄様なんじゃ……」 忌々しげに言葉を吐き捨てる姫様。 レイチェルの表情も姫様と同じような悔しそうな顔だ。 まるで自分達が被害者であるかのような、大きな力に抗えず歯噛みするようなそんな顔。 今まで私達がスワジク姫の乱行に接するたびにしてきた顔とそっくりで……。 「レイチェルとフェイ兄様が肉体関係を持っている、そうまことしやかに噂を流し始めたんじゃ」「それは姫様を嫌う宮廷女中達には格好の噂話でね、私はその渦中の人となってしまったの」「その時あの男爵は私に噂を消して欲しければ膝を屈しろと迫ってきた。あの当時フェイ兄様に縁談の話もあったから尚のこと、そういったスキャンダルはフェイ兄様にとって致命的な瑕疵になる」「あの男爵は姫様がフェイタール殿下に恋心を持っていることも把握していて、姫様のその弱みに付け込んできたのよ」 ミーシャちゃんもニーナも、もちろん私も開いた口が塞がらない。 それでは被害者は姫様になっちゃう。 ルナもそう思ったのか焦った口調で姫様に問いかける。「だったら王様でも誰でも話をして助けを請えば良かったじゃない! 何も姉さんを犠牲にしなくても、他に色々方法はあったんじゃないの!?」「……お主の言うとおりだと思う。今をして思えば誰かに助けてと声を上げれば良かったのじゃろうな……」「でもね、ルナ。あの当時誰が姫様の声をちゃんと聴いてくれたと思う? あの王宮で一人ぼっちの姫様に味方なんて私以外居ないじゃない?」「でも、だからってなんで姉さんが死ななくちゃならないの?」「そうね……死ぬ必要は無かったのかもしれない。でもその時はその方法しか思い至らなかったの」「そんなの……それじゃあ……私が今までしてきた事って……姫様を恨んできたことって……」 聞かされた事実に愕然となるルナに、物陰から姫様が言葉を書ける。 その声色は今まで聞いたどの姫様の言葉より優しく暖かく、そして悲しく聞こえた。「私を殺していいのは後にも先にもお主だけじゃ。レイチェルを死に追いやったスワジク・ヴォルフ・ゴーディンは、正しくお主の仇敵なのだから」 床から寒さが上がってくる部屋の中、僕はともすれば冷たくなるボーマンの身体に身を重ねながら一生懸命治療を続ける。 時折まぶたの向うの眼球が激しく動いているのを見て、きっと夢をみているに違いないと思う。 傷口は塞がり以前よりも顔色も良くなっているし、もうすぐ目を覚ますに違いない。「一時はどうなることかと思ったけれど、なんとか無事に回復しそうでよかった。ま、本当に目を覚ますまで分からないけどね」 僕はそういいつつボーマンの腕を枕に天井を見上げる。 そうすると目を覚ましてからの日々が頭の中を駆け巡った。 はは、まるで走馬灯みたいだな。 ミーシャと初めて出会ってキスされそうになって、ベランダでアニスを驚かせて……。 最初はほんと何をどう考えていいのか分からずに途方にくれてたっけ。 で、なんだかんだで外の人の日記を手に入れて……その書かれている内容にびっくりしたんだっけ。 書いてあることの殆どが恨み辛みで、この世を悲しんで呪って、それで死を選んだんだって書いてあって。「そんな事はないって証明してあげたかったんだけどなぁ……。きっと人はそんなに悪い人ばかりじゃないって……」 フェイ兄や政務館の人たち、ミーシャやアニス、ニーナに街の人たち。 こっちがちゃんと気持ちを込めて接したら、きちんと正しく気持ちを返してくれた人たちだ。 でもそんな人ばかりじゃないってのも思い知らされた。 王様やあの名無しって呼ばれていた人、宮廷の大半の人たちはきっと外の人を心底嫌っている。 それは部外者である僕がどうにかできるレベルじゃないのかもしれない。「で、結局がこの座敷牢かぁ。悔しいけどボクが甘かったんだろうなぁ……」 僕は手を月明かりに翳す。 この白く美しい手に掴めるものは本当に何もないのか? そんな自分勝手な僕の想いで、これ以上ミーシャやボーマンのような人を作っちゃいけない。 周りが敵だらけで、味方が居ても多大な迷惑を掛けるだけ。「死ぬか従属か……。こんなの子供が一人で抱えていい問題じゃないよね……。なのになんでどうにも出来ないんだろ?」 溢れ出しそうになる涙を堪えながら、僕はじっと月明かりを反射する自分の手を睨む。 程なくして部屋の鍵ががちゃりと不気味な音を立てた。 軋む蝶番の音をBGMに、その男は部屋に入ってくる。 トスカーナ侯爵。ゴーディン王家において、王家に次ぐ実力を持つ大貴族。 そして今、僕とボーマンの命の鍵を握る男だ。「そろそろ私の子を生む覚悟は決まったか、小娘?」