街の中をまるで当ても無いかのように無秩序に歩く黒髪の少女。 付いて来いと言われてから、彼女の後を追いかけて既に30分以上は歩き回っている。 同じ道を行ったり来たりしていたり、行き止まりにぶち当たって引き返したり。 流石にこれはおかしいと思って、前を歩く少女に声を掛けた。「あのー、もしかして迷ってません?」「……」 僕の問いかけに一旦は立ち止まる黒髪の少女だが、また無言で歩き始める。 うん、ばつが悪いからって無視はよくないと思うんだ。 僕は彼女の肩に手をやって振り向かせようとした瞬間、彼女は急に立ち止まってぱんと両手を叩いた。 その音にちょっとびっくりした僕は、ひゃうという声を思わず漏らしてしまう。 僕の情けない声を聞いた少女は、にやりと笑ってこちらを振り向く。「ふふふふ……」「な、なに? どうしたのかな?」「まんまと引っかかりましたわ」「な……に?」 少しうつむき加減でふふふと嗤う少女は、一歩右へ移動すると背後にあるドアを指差した。 もしかして僕、騙されたのか? 最悪の想像が僕の頭の中を過ぎる。 彼女は僕の顔を見て、にやりと笑った。「到着ですわ」「おかしいよね? ただ到着したにしては、嗤い方とか邪悪っぽいよね? それに到着って、ここさっきから10回以上は通ったんだけど!?」「あらあら、興奮しすぎると体に毒ですわよ?」 暖簾に腕押し、ぬかに釘とはこのことか! 疲れ果てた僕は文句をいう気力も無くなって、がっくりと肩を落とす。 彼女といるだけですっごい疲れるんですけど……。「さあ、こちらです」 そういって先に立って古ぼけた教会の中へ入ってゆく少女。 僕は足を引き摺るような格好でその後を追う。 教会の中は古ぼけた外観にしては綺麗な方で、多分今でも町の人が集会とかで使っているんだろうなと思わせる。 正面の教壇の後ろにあるステンドグラスがとても印象的だ。 黒髪の少女は、教壇の右手方向にあるドアを開けてずんずんと奥へと入ってゆく。 僕もステンドグラスに目を奪われながらも、慌てて彼女につづいた。 廊下を行き、キッチンらしき場所を越えて中庭に出ると、奥に平屋建ての宿舎っぽいものがある。 どうやらそこが目的地のようだ。 少女は中庭を突っ切って、宿舎の一番右端の部屋の扉を押し開ける。 中は昼だというのに少し薄暗く、少しカビ臭かった。「ここは?」「この教会の物置ですわ」「へぇ、なんか色々置いてるね。これは、鎧? これは錆びた剣に折れた剣。穴の開いた鍋に、これは……、かかし?」 僕は乱雑に積み上げられた荷物を興味深げに眺めている間に、彼女は奥にあった暖炉脇にある壁の出っ張りに手を掛けた。 その出っ張りを力一杯壁に押し込むと、暖炉の左側の本棚がゆっくりとスライドして行き、隠し階段が現われた。 どうやら地下へと続いており、奥のほうからカビ臭い空気が吹き上げてくる。「すごいね」「んー、でもこの道、姫殿下がお作りになられたそうですけど、覚えてらっしゃらないのですか?」「え゛?」「なんでも王宮は息がつまるとか言って、ここから街に遊びに出ていらしたと姉はいっておりましたけども?」「あ、ああ! そ、そんなこともあったかなぁ? さ、最近使ってなかったから忘れてたよー、あはは」「あらあら、忘れんぼさんでしたか」「あ、あははは。忘れんぼさんでしたよー」 乾いた笑い声を上げながら、無理やり誤魔化す。 こんなんで誤魔化せるのかな? 激しく不安だ。 少女は暖炉の上においてあったランタンに火を灯すと、僕のほうへと差し出す。 まあ地下は真っ暗だから、これがないと怖くて進めないよね。 僕はそれを受け取ると、一歩だけ地下への階段に足を踏み入れた。「私はここまでで失礼しますけれども、この先は一本道になっているはずでございます。迷うこともないと思うのですよ」「あ、うん。有難う」「出口の開け閉めは、壁のこの窪みに手を突っ込んで取っ手を引くだけです」「ほうほう、なるほど」「それでは、お気をつけてお帰りくださいね。私はこの界隈でよく迷っていますので、見かけたら声を掛けていただけると嬉しいのですよ」「あ、う、うん。分かった。あの、色々とありがとう」「いえいえ、貴女様のお力になれたのなら姉も喜んでくださると思うのです」「そか」 僕と少女は笑顔で頷きあい、軽い別れの挨拶を交わした。 結局僕は最後まで彼女の名前を聞かなかったし、彼女も自分の名前を語ろうともしなかった。 でもそれでいいのだ。 僕は取っ手を引いて、秘密の通路の扉を閉める。 ゆっくりと閉じてゆく入り口の向こうで黒髪の少女は、何故か出会った時に見せた暗く寂しい表情でこちらを見ている。 閉じる瞬間彼女が何かを呟いた気がしたのだが、扉の閉まる音でよく聞こえなかった。 気になりはしたものの、わざわざ開けて聞きなおす事も躊躇われたので、僕はそのまま隠し通路を進んでゆくことにした。“やはり、私の事は覚えていらっしゃらないのですね、姫様……” たら、ればの話だが、この時の彼女の呟きを僕が聞き逃していなかったら、あるいはボーマンは事件に巻き込まれずに済んだのだろうか…… 俺は自分の荒ぶる感情を上手くコントロール出来ないまま、古ぼけた館の扉を思いっきり殴るようにして押し開く。 丁度ロビーの掃除をしていたガーゴイルの1体(プラチナブロンドで褐色の肌をした健康そうな奴)が、その音にびっくりしてバケツを床に落として慌てていた。「ドクターは何処にいる?」「あ、あう、リビングでお茶してるけど……」 それだけ聞くと俺はガーゴイルが指を差した先にあるリビングに向かった。「お、お前! 片付け手伝えよなぁ!!」 ガーゴイルの怒鳴り声が聞こえたけれど、今はそんな事にかかずりあっている暇は無い。 ずんずんと奥に進んで、リビングのドアも荒々しく開け放つ。 ガラス張りのテラスっぽいところでジュークと二人お茶をしているドクターを発見すると、俺は大股でそちらへと詰め寄った。 良く見れば机の上にへんてこな人形が置かれていたが、とりあえず今は関係ない。「ドクター!」「なんだ騒々しい。来訪のマナーすら守れんのか、ひよっこは」「姫様と会った」 あざける様な表情だったドクターが、俺の一言で真顔になった。 持っていたカップをソーサーに戻すと、体ごと俺に向き直る。 俺は机の上にさっき姫様から貰った指輪のケースを置く。「ミーシャさんに伝言だ」「聞かずともこれを見れば予想はつくが、一応聞こうか」「これを売って王都から離れろと。あと自分には二度と関わらない方が良いとも」「……そうか。その道を行くか」 何やらしたり顔で頷くドクターに、俺は我慢できずにテーブルに力一杯両手を叩きつけた。 テーブルの上においてあったカップやら人形やらが飛び跳ね、中身が零れてクロスを汚す。 ジュークがこっちを無言で睨んでいるが、そんなことは毛筋の先ほども気にならない。「納得出来ねぇよ!」「何がだ?」「姫様のやりようも、それを止められない俺にも!」「……」「何よりそんな風に姫様を追い込んだ奴らを、俺は許せねぇ!」 もう一度、力一杯テーブルに八つ当たりする。 今度はドクターもジュークもさっとカップに手をやって、中身がこれ以上零れるのを防いだのだが、まあ今の俺にはどうでもいい。 ドクターを睨みつけ、俺は言う。「教えてくれ! 姫様を守るために、俺はどう剣を振るったらいいんだ?」「キャハッ、それドクターに物を頼む姿勢じゃないよね? これだから騎士とか衛士とかいうヤツらは馬鹿だというんだ」「じゃあ、どうすればいいんだよ!」「自分で考えられないなら、土下座でもしてみればぁ?」 馬鹿にするようにそう言い放つジュークにむかっ腹を立てるが、でもそんなことくらいで道が開けるなら安いもんだ。 俺は腰に下げていた木刀を外して片膝をつき、剣をもった手を目の前について頭を垂れる。「俺は政治とか貴族のしがらみとか苦手でよく分からない。恥を忍んでお願いします。姫様の敵を、知っているなら教えてください」「物事は、そんな簡単に割り切れるものではない」「だけど、ミーシャさんを襲った奴らさえいなけりゃ」「そんな奴らは唯の三下だ。トカゲの尻尾と一緒で、切れてもまた生えてくるものだ。それをいちいち潰したところで、姫様の状況は何一つ変わらんだろうて」「なら、元凶を見つけ出して」「例えば国内にいるその元凶とやらを潰したとしても、姫様を利用しようとする輩や害そうとする輩など後からいくらでも沸いてくる」「ならそれも皆潰してやる!」 そう意気込んで啖呵を切る俺を、何故か物凄い憐れみを持って見下された。 え? 俺のその考えは駄目なのか? ジュークも呆れ返った顔でため息なんかついている。「ドクター、やっぱりこの馬鹿には難しすぎて分からないんだよ」「小僧、お前のその木刀を寄越せ」「?」 訳が分からないまま、手にした木刀を渡す。 ドクターはそれを手にすると、俺の目の前にかざした。「この木刀はお前だ」「はい」「そしてお前を姫様だと仮定する」「は、はあ?」 そしてドクターが手にしていた木刀を脇に放り出し、彼の懐に差してあった細い棒を俺の首筋に当てる。 意味が分からずぼんやりと棒を眺めていたら、それで思いっきり頭を殴られた。「いてぇ! 何すんだよ!」「これが姫様の現状だ」「はあ?」「さて、この状況でどうやってあの木刀は主であるお前を守ることが出来る?」 簡単じゃないか、木刀を手に取れば良いだけだ。 そう思って立ち上がり木刀を取りに行こうとしたら、また思いっきり殴られた。「いてぇよ! 何するんだよ!」「姫様から木刀を取りにいってどうする? 姫様は木刀が傷つくのを恐れて遠くにやろうとしているのだぞ?」「いや、でも木刀が無かったら守れないぞ?」「当たり前のことを言うな」「????」 意味が分からず頭を捻っていると、ドクターが呆れ顔で呟いた。「姫様から木刀に近づかないのであれば、木刀から姫様に近づけばいいのではないか」「何いってるんだ、木刀に足が生えているわけがない」 といったところで、思いっきり俺の足を棒で殴りつけるドクター。 くそっ、こいつ何気に力がありやがる。 太ももを擦りながら、俺はドクターを睨み付けた。「お前のそれは飾りか?」「飾りのわけが無い!」「なら行動しろ。木刀は敵を探さないし考えない。ただ主の為にのみ、その敵を討つものだ」 慌しく館を去ってゆく若い騎士の背を見送りながら、ドクター・グェロはテラスの窓辺に佇む。 その背に、テーブルから声が掛けられた。「ドクター、お願いがあります」「……なんだね?」「体を作っていただきたいのです」「……だが、彼女はそれを望みはしないぞ? 残りの余生、静かな田舎町で過ごすのもよいものだ」「剣はその主の敵をただ討つもの、とおっしゃられましたね。では侍女である私は、ただ主のために尽くすのみです」「本体の処置はどうする?」「お任せします。煮るなり焼くなり好きなように。動かない体に、用などありませんから」 ドクター・グェロは徐に振り返ってテーブルの上にある人形を見つめた。 傍に控えていたジュークに視線を移す。「直ぐに使える戦闘タイプが1つあります」「永くは持たんぞ? 最悪魔力が尽きれば、戦闘体は泡となって消えてしまうわけだが……」「それで構いません。よろしくお願いします」 ドクター・グェロは深いため息を漏らすと、ジュークに指示を出した。「術式の用意を。まったく老体をこき使うとは、とんでもない侍女だな」「ありがとうございます、ドクター」