王都の西の外れ、古びた教会に寄り添うように立てられたレンガ造りの寄宿舎がある。 王族の私財を持って運営されるその寄宿舎には、10名ほどの神父とシスター、50人程の孤児たちが生活していた。 彼らは生きていく上で必要な教育や技術をここで学び、ある者は王都のギルドへ、ある者は商家へ奉公にゆき、またある者は王宮の下働きとして召抱えられるのだ。 私は古臭い鉄格子の門扉を押し開けて、笑い声の響いている寄宿舎へと向かった。 玄関に辿り着く前に、数人の子供達が転がるようにして裏庭から現れる。「あれ? 何かご用事ですか?」 一番後ろから逃げる子供達を追っかけていた年かさの子が、息を弾ませながら傍に来た。 私は意識的に表情を作って笑いかける。「ええ、少しここのシスターさん達とお話がしたくて来たのだけれど、いらっしゃるかしら?」「あ、う、うん。ちょっと待っててください。今呼んできます!」「お兄ちゃ~ん、何してるんだよぉ! 早くしないと、皆逃げちゃうよぉ!」「馬鹿、お客さんだって。俺、先生呼んでくるから、お前みんなの面倒見ててくれよな」「えー!!」 仲間のブーイングを五月蝿げに振り払って、少年は寄宿舎へと掛けていった。 さっきまで楽しそうに遊んでいた子供達は、詰まらなさそうな顔で一塊になっている。 少し罪悪感を覚えた私は、いつもの侍女スマイルで彼らの方へと近づく。「ごめんね、皆。代わりといってはなんだけど、お姉さんが鬼になってあげようか?」「え? いいの?」「ええ、いいわよ! でもお姉ちゃん、ちょっと強いよぉ?」 子供達の相手を任された子が、目をキラキラさせて私を見ている。 多分、この子には私が救世主か何かのように見えているんだろう。 周りに居る子供達は、新しい遊び相手への期待で皆テンションが一気にハイになっている。「鬼は全員捕まえないと交代出来ないルールで、捕まった人はこの木の下で檻に入るの。捕まってない人が檻の中に入ったら、解放したことになって、皆逃げられるんだよ。本当は鬼も2、3人でやるんだけど、お姉ちゃんは大人だから、一人でいいよね?」「ええ、いいわよ」「範囲はこの寄宿舎の塀の中。建物の中は入っちゃだめなんだ。それじゃあ、ここで15数えてね!」 ざっとの説明を終えると、子供達は嬌声を上げながら思い思いの方向へと逃げ始めた。 私はわざとゆっくりと数えて逃げる時間を作ってあげる。 ま、敷地内だけなら楽勝でしょう。「……13! ……14! ……15!! それじゃあ、いっちゃうよぉ!」「きゃぁぁぁ!」「鬼が来るぞぉ! 逃げろぉ!」「あははは、怖いよー」 子供は全員で8人。 今見えるだけで4人、後の4人は建物の裏側に回ってここからでは見えない ま、とりあえずトタタと走っている4、5歳の子は後にして、目の前で余裕をかましているガキから〆るか。 私はゆっくりとイガクリ頭の子供に向かって歩き始める。 相手も自分が標的になった事を悟ったのか、にやりと笑みを浮かべていた。 ふむ、とりあえず半分くらいの力でいっか。 私は少しだけ足に力を溜めると、獲物に向かって駆け出す。 そのスピードにびっくりしたのか、イガグリ頭の子は私の腕の下を横っ飛びに避けた。「ほほう、今のを避けますか」「へへん、そう簡単に捕まってたまるかってーの」「なら、これでどうかな?」 スカートを翻しながら、さっきよりも鋭くイガグリ君に突撃する。 それを見て彼はニヤリと笑い、私に向かって同じように突っ込んできた。 私は衝突する前に少年を受け止めるべくスピードを一気に殺して、待ちの姿勢を取る。 彼はそれを見越していたようで、激しい砂埃を上げながらこちらへ向かってスライディング。 まんまと股の下を潜られて、背後からスカートを大きく捲られた。「うひょー、このお姉ちゃん、黒いパンツはいてるぜー!」「なっ!!」「トマト君最低―!」「良くやったぞ、トマトぉぉぉ!」「み、見えんかった。も、もう一回やるんだ、トマト!」「トマト、マジきもいー」 校舎裏に隠れていたはずの悪餓鬼共がイガグリ君に声援を送り、私たちの周りにいた女の子達が罵声を送る。 誇らしげに両手を挙げて自分をアピールするイガグリ君よ、慢心したな。 私はくるりと踵を返すと、そのまま右手を前へと突き出す。 私の動きに気付いたイガグリ君は、そのまま私に後ろを見せて駆け出そうとしたが、音速を超える私の右手に敵うはずも無い。「ひぎぃぃぃぃぃ!」「ふっ、油断大敵というんだ、覚えておくといい」 がっしりと後頭部を鷲掴みにし、逃げられないように片手で宙にぶら下げる。 伊達に体を鍛えているわけではないんだからな、ふっふっふっふ。「このババァ、子供相手に何マジになってやがんだよー」「残念だったな、小僧。今の私は泣く子も黙るブラッディオーク。貴様の血を見るまでは、この怒りの炎は消せはせぬ」「ぎゃぁぁぁ、悪魔だぁ! 鬼だぁぁ!」「わははは、もとより私は鬼だろうが」「うわーーん、殺されるぅぅぅ」 そんな楽しい鬼ごっこが小1時間ほど続いたころ、ようやく敷地の裏口からシスターの一人が小走りに駆けてくる。 息を弾ませてやってきたのは、この間厨房にも着ていたアンジェラというシスターだ。「あ、あの、遅く……、なりまして、大変申し……訳あり、ません」「いえいえ、別にいいですよ。久しぶりに童心に返って遊ばせて貰いましたし」「そうですか、そういって頂けると助かります。あ、立ち話もなんですから、中へどうぞ」「はい、すいません。それじゃあ、皆また今度あそぼうね?」「もう来んな、ブラッディ・オークめ!」「おねぇちゃん、また遊んでね♪」「わはは、トマト涙目ェ、ザマぁ」 概ね好意的な反応に満足しつつ、シスターの後を追う。 また遊びに来てもいいかなと、ノスタルジックな気分でそんなことを考えていた。 寄宿舎の中に入って直ぐにある応接室に通され、私はシスターアンジェラが用意してくれたお茶で喉を潤す。 追いかけっこで乾いた喉に丁度良い温度。 なかなか気のつくシスターだなと思う。 こんな気が利く人が、果たして姫様のクッキーをぞんざいに扱うのだろうか? そう思いながら目の前でニコニコとお茶を飲んでいるシスターを盗み見る。「ところで今日はどのような御用事でしたでしょうか? えっと……」「ミーシャです。姫殿下の傍仕えをいたしております」「有難うございます、ミーシャさん。先日も美味しいクッキーを沢山頂きありがとうございました」「いえ、お礼は私にではなくて姫殿下にお願いいたします。クッキーは足りましたでしょうか?」「はい、それはもう、食べきれずに知り合いにお裾分けいたしたくらいですから。わざわざお気遣い頂き、有難うございます」 爽やかな笑顔での切り返しに何か裏がないかと勘ぐって見るが、見れば見るほど表裏の無い良い笑顔だ。 王宮の中に長く居たせいで、自分の感性は段々とひねくれていってるんだろう。 こんな綺麗な笑顔の裏を探ってしまった自分に、少し、いやかなり嫌悪感を感じて落ち込む。「ご近所にお配りに?」「いえ、この孤児院出身で、この近くの盛り場で働いている娘に上げたのです。なんでも彼女のお友達がお姫様のクッキーだと聞いたら、余っている分全部くれって」「……それは、またなんとも」「でもあのクッキー、割と足が速かったので、あの娘達ちゃんと食べ切れたのかしらと不安になっていたりするのですけど」 なるほど、恐らくあの大量の廃棄クッキーは、その知り合いが食べきれずに腐らせて捨てたのだろう。 まったくなんていう業突張りな知り合いだろう。 お陰で私の姫様に要らぬ心労を掛けたじゃないか。 もしその知り合いとやらに出会う機会があったら、心行くまでお・は・な・ししなければ駄目だな。 そう堅く心に誓って、私はその孤児院を後にした。「少し長居し過ぎた……」 薄暗くなった王都の夜道を、私は一人寂しく街へと向かって歩いていた。 道すがら姫様へのお土産に買ったブレスレットを懐へ大事に入れ、夕方に荷物を預けた馬車置き場を目指す。 寄り道をしなければ明るいうちにここまで帰ってこれたのだが、まあ姫様へのいい買い物をしたのでよしとする。 鼻歌交じりに道を急いでいると、なにやら嫌な足音が聞こえてくる。 私の歩幅を真似て、付かず離れず追いかけてくる2つの足音。 レギンスの靴紐を結ぶ振りをして、それとなく背後を見てみた。ごろつき風の男が二人。 嫌な笑みを浮かべてこちらを覗き込んでいる。「さてさて、どうしたものでしょうか」 ごろつき二人程度であれば、常日頃の鍛錬で培った武術で対応出来る範囲。 これ以上相手が居ないことと、プロでないことを祈りつつ、なるべく人通りの多そうな道を選んで歩く。 だが私のささやかな希望は叶えられず、後ろからだけでなく前からも似たような風貌の男達が、人通りが無くなった頃を見計らって集まってきた。「くっ、囲まれる前に……」 私は横道に逸れようと、狭い路地に向かって駆け出した。 慌てて追いかけてこようとする男達を肩越しに確認しながら、細い路地を駆け抜ける。 「くそっ、逃げたぞ、追え!」「お前らはあっちから回り込め。たかが女狐一匹、逃がすんじゃねぇぞ」「くっ、あははは。ノロマな亀になんか捕まってやるものか」 私は昼間の鬼ごっこを思い出しながら、高まる興奮に身を任せる。 狭い通路に所狭しと置かれた木箱やゴミの山。 ある時はそれらを足場に空を駆け、またある時はそれを撒き散らして相手への妨害とする。 私は一匹の獣になったような気持ちになって、ただ闇夜に浮かぶ月を頼りに路地を駆け抜けた。「ちくしょう! 早く捕まえろ、クズ共がぁ!」「うっせぇ、こう足場が悪くちゃ走れるかってんだ」「礫を射掛けろ!」 耳元を風を切って飛んでゆく石礫が、私の金髪を数本毟り取ってゆく。 直線的な疾走から、右へ左へと不規則なターンを繰り返す走り方に変える。 男達の放つ礫は一つとして私を捉えることは出来ず、聞こえてくるのは罵声ばかり。 そうこうしているうちにその罵声すら聞こえなくなり、ようやく正体不明の追っ手から逃れることが出来た。「はっ、はっ、はっ。ま、日頃の鍛錬の賜物だな」 軽く上がった息を整えながら、私は人通りのある道へ出ようと歩き出した。 その時、懐から何かが落ちそうになるのを感じる。 何かと思って見てみれば、先ほど買った姫様へのプレゼントが落ちかけていた。「危ない、危ない。折角のお土産を失くしてしまったら、正直立ち直れなくなるところだった」 苦笑いをしながら、落ちかけているブレスレッドをポケットに入れ直そうとした時、前から路地に入って来た人とぶつかってしまう。「ああ、すいませんね、お嬢さん」「いえ、こちらこそ不注意でした。申し訳ありません」「いえいえ。それでは、私は先を急ぎますので。よい旅路を」「?」 その男の去り際の言葉に違和感を感じて、振り返ろうと体をよじったら……。「あ……」 下腹部に焼きゴテを突っ込まれたような激しい痛みに、私は立っていられなくなって膝を突く。 何事かと思い下を向くと、足元に見える真っ赤な血溜りと自分の体からにょきりとはみ出ている何か。 鉄錆びの匂いが口に充満して、私は吐血した。「ひ、姫さ、ま……」 その言葉を最後に、私の意識は深い闇へと引きずり込まれた。