ここ数日、フェイ兄やレオ達の動きが妙に怪しい。 事ある毎に僕のすることに干渉してくるというか、タイミングよく邪魔しに来るんだ。 特にボーマンたちに会いに行こうと思ったりあてもなく城の庭を散歩していたりすると、必ずと言って良いほど誰かが妙な用事を引っさげて現れる。 嫌がらせをされるような事に思い当たる節があるわけでもなく、今までは見ない振りをしてそのままにしていたんだけど……。「やあ、僕の可愛いお姫様。今日はいい天気だねぇ」「……」 性懲りもなく現れたフェイ兄。 こうも行く先々に待ち伏せされていたら、僕じゃなくても機嫌が悪くなるはず。 口にバラでも咥えて現れたなら、間違いなく幻の右が火を噴いていたと思うんだ。 引き攣る頬をそれでもなんとか理性で押さえ込んで、平静を装って微笑んでみせる。 僕の静かな怒りを感じたのか、フェイ兄の顔も若干引き攣っていた。「こ、これからどこへ行くんだい?」「……」 笑顔のままフェイ兄の前を素通りして、僕は一路目的地へと真っ直ぐに進んでゆく。 無視されて流石に居心地が悪くなったのか、冷や汗を流しながら僕の後を付いてくる。 これはあれかな? 監視されているんだねぇ。 だとしても僕の何をフェイ兄達は警戒しているのかなぁ? そんな変なことしていないと思うんだけど。 自分の過去の行動を振り返って見るも、やっぱり心当たりには辿りつかない。 色々と考えながら歩いていたら、あっという間に目的地へと着いてしまった。 扉の前で、僕は肩越しにちらりとフェイ兄を振り返って見る。 うん、あの顔はここが何処か分かっていないね。 仕方が無い、ちょっと懲らしめてやろうか。「フェイ兄様もここに御用があるのですか?」「あ、ああ、そうだね。私も調度ここに用事があったんだよ」 その科白に同行していたアニスが声なき悲鳴を上げて、フェイ兄から慌てて距離をとる。 相変わらず気がついていないフェイ兄に、僕は満面の笑みを浮かべて振り返った。「ご一緒に入られますか?」「ああ、そうだな……」 ようやくフェイ兄が僕の背中にある扉へと目を向けた。 フェイ兄はその場所の意味を知ると、面白いくらい劇的に顔が青ざめてゆく。 何を考えながら後ろを付いてきたのか知らないけれど、深く考えずに生返事をするからそのようなのっぴきならない事態に陥るんだよ。 「わかりました。フェイ兄様がそう仰るなら、恥ずかしいですが一緒に入っても私はかまいません」「いやいやいやいや、ち、違うんだ、スワジク! ここ、これは間違いというか、勘違いなんだ!」「最近ずっと私の後を追いかけておられたのは、この為だったんですね。大好きなお兄様のお願いですから、私死ぬほど恥ずかしいけど我慢できます」 調子に乗って、目尻に涙を溜めて見せつつフェイ兄の手をしっかりと握り込む。 この変態ロリスキーめ、社会的に死ぬがいいわ! 手を握られたフェイ兄といえば、まるで熱湯に手を突っ込んだような勢いで腕を引く。 目が凄い勢いで泳いでいて、なおかつ顔が真っ赤だ。 止めの一撃を食らわせてやろう。「フェイ兄様、優しくしてくださいね?」「すまん、スワジク! 急用を思い出した。失礼する!!」「あ、フェイ兄様!」 僕の縋る手を振り払う勢いで、フェイ兄が足早にその場を去ってゆく。 ちなみに横に控えていたアニスは考えることを放棄したのか、ただ呆然と立ち尽くしていた。 うまく追い払えたのは良いけど、逆にこれを契機に積極的になられたらどうしよう。 一瞬の嫌な未来図を、頭を振って追い出す。 とりあえずはここへ来た本来の目的を遂行せねば。 そういって僕はトイレのドアを開けて中に入った。 窓から麗らかな陽光が差し込む昼下がり。 僕は一人、自分の部屋でう~っと唸りながら日記帳を凝視していた。 何をそんなに唸っているかというと、色々と行き詰っているからだ。 最初は割りと順調に行けてたと思ったんだけどなぁ。 ここ数日で僕がした事って、結局政務館に行って外の人が言ったとんでも命令を撤回しただけ。 官僚の人達の反応が最初訪問した時より随分とマシになったのが、現状での唯一の成果だろう。 それ以外の状況改善策は割りと黒星続きである。 義理の父親へのアプローチは失敗したし、ボーマンやニーナとも結局会えずじまい。 ミーシャとはずいぶんと仲良くなれたけど、逆にアニスが微妙に僕との距離を置き始めたように感じる。 アニスはミーシャっ子だったから、取られたと思って嫉妬していたりして。 スヴィータやライラは変わらずクールな反応のままだし、レオに至っては訪ねて来ることすら珍しい。 唯一、フェイ兄が最初から今までスタンスを崩すことなく接してくれている唯一の存在ではあるのだが……。「シスコンロリ変態でなければ、あるいは力強い味方と思って頼れたのかもしれないのになぁ。フェイ兄って本気で残念さんだよ」 現状を整理しつつ、自分の置かれている状況に僕は深いため息をつく。 一体何をどうしたら、環境の改善に繋がるんだろう。 こっちがいくら歩み寄っても、相手は離れていく一方の様な気がする。 明確な悪意が見えない分、逆切れする切欠すらも掴めない。 まあ切れる予定はないんだけどね。 ああ、ボーマンやニーナのあの初々しさが懐かしい。 会いたいなぁ、会って弄って遊んだら癒されるのになぁ。「はぁぁ、ボーマンどうしてるのかなぁ……」 僕は椅子をくるりと回して後ろを向き、そこから見える外の町並みをぼんやり眺めて午後を過ごした。 扉越しに深いため息が聞こえ、その後に続いた言葉に驚愕する。 私はノックしようとした姿勢のまま、じっと中の様子を伺う。 だがそれ以上の変化はなく、ただ静寂が時と共に流れてゆく。(なんだ今の科白は。もしかしてスワジクはボーマンとかいうあの騎士見習いに惚れているのか?) 正直に白状すると結構ショックを受けている。 以前からスワジクが私に好意を持っている事には気付いていたので、彼女が私以外の者に気を許すところなど想像もしていなかった。 それだけに今のスワジクの独り言は、私のプライドをいたく傷つける。 今まであった絶対的な自信が、まったくの根拠の無いものだったという衝撃の事実を突きつけられたのだから。 自分でも訳の分からない感情に振り回されつつ、そっとその場を離れる。 さっきのトイレの件は、また日を改めて謝るとしよう。 少し昔話をしよう。 あれはまだ私が7歳になったばかりの春。 桜の花が舞い落ちる王宮の庭園で、私とスワジクは初めて出会った昔話を。 その当時、上の二人の兄は成人の儀を終え、長兄は前線近くの領地の管理者として、次兄は王国の精鋭騎士団の団長として前線へ行ったばかり。 いままで仲良く遊んでいた兄弟が突然居なくなり、私は退屈な毎日をどう過ごしていいか分からぬまま日がな一日ぶらぶらと城内を彷徨っていた。 次兄と水切りをして楽しんだ庭園にある池のほとり、長兄と追いかけっこをして遊んだ薔薇園の中。 過ぎ去った楽しげな日々の残滓を、無意識に私は辿り続けていたのだと思う。「ん? なんだろう、あれは」 桜林の一角に、人目を忍ぶように置かれているガラクタ。 古びたバケツや城壁の欠片、錆びた蝶番などで作られた意味不明のオブジェがあり、そのすぐ脇にはなにやら猫が横になれるほどの穴が掘られていた。 ここは私たち兄弟のお気に入りの遊び場だったので、何かひどく思い出を穢された気がしてムカムカしたのを覚えている。「誰だよ、こんなところにゴミを捨てたのは」 ちょっとイラッとして置いてあったバケツを蹴り上げる。 もともと軽い木で出来ているものだから、子供の蹴りでも数mほど先まで飛んでいって桜の幹に辺り砕け散った。 思い出を穢す悪党をやっつけた気分になって、ちょっとスカッとして久しぶりに笑みがこぼれる。 うん、残りのガラクタも壊してしまおう。 そう思って奇怪なオブジェを踏みつけた。 何度も、何度も。 多分、私は楽しくて声を上げて笑っていたと思う。 今思えば何がそんなに楽しかったのかとも思うが、それは多分自分ではどうにもなら無い事や寂しさへの憂さ晴らしだったのかも知れない。「あははは、こんなゴミなんかっ!」 ガラクタの上で飛び跳ねていたら、突然後ろで何かが落ちて水の零れる音が聞こえた。 なんだろうと思って振り返ると、そこには銀色の髪と赤い目をした妖精が居た。 真っ白なドレスは、だけどもドロであちこち汚れて、スカートの一部は水でぼとぼとに濡れている。 足元に転がる木のバケツと零れた水、愕然とこっちを見るその少女の目に浮かぶ涙を見て、彼女がこのガラクタのオブジェを作った張本人だと悟った。 どう言葉を掛けていいのかとっさに思いつかず、私はただ彼女が作ったであろうオブジェの上で立ち尽くす。 その少女はただ無言で私の元までやってくると、力一杯私を突き飛ばした。 私の突き飛ばされた先は運悪くというか、落とし穴のように掘られた猫の大きさほどの穴が待ち受けている。 私は穴に足を取られて、受身もろくに取れず仰向けにひっくり返ってしまった。 後頭部に走る衝撃に鼻の奥に広がる硫黄臭。 その痛みに悶えていると、さらに少女が私の上に飛びかかってきて髪を引っ張ってきた。 私は少女の追撃にパニックになり、掴みかかってくる手を払いのけて突き飛ばし返す。 思ったより軽かった少女は、私の力に抗することが出来ずガラクタの中にひっくり返った。 でも彼女はすぐに起き上がって泣きながら殴りかかってくる。 私もまだ子供だとはいえ、日々剣の稽古をしている身。 冷静になれば少女の出鱈目な攻撃を捌くことなど朝飯前だ。「おい、いい加減やめろ」 何度あしらわれても挑んでくる少女に、辟易しながらも止めるよう訴えてみる。 だが頭に血の上ったままの彼女にそんな言葉など届くはずも無く、何度倒されようとも何度殴られようとも向かってくるのだ。 彼女のその行動には子供心ながらに薄ら寒いものを覚える。 そうこうしていると、その喧嘩を見た近衛がやってきて少女を無言で取り押さえた。「放せ! 放さぬかっ! たかがゴーディン家のものがヴォルフ家に楯突いてただで済むと思うのかっ!」 彼女の科白で、ようやく私はこの少女が父上の正妻の子であることに気がついた。 確か名前はスワジクとかいったか。 ゴーディン家の血を一滴たりとも流さぬ赤の他人で、義理の妹。 父上や父上の側近達が毛嫌いしている女の娘。「お、お嬢様っ!!」 突然現れた同い年くらいの侍女が、組み伏せられている少女をみて血相を変えて走って来る。 彼女は躊躇いもせず私の前に跪くと、地面に額を付ける勢いで平伏した。「殿下、申し訳ありません。何卒、何卒姫様のご無礼をお許しくださいませ」「レイチェルっ! 何故そんな奴に頭を下げるのだ! 悪いのはそいつなんだぞ! あうぅ、痛っ」「……」 スワジクの私に対する暴言を封じるためだろう、衛士は少女の背中に載せた膝へ体重を乗せる。 土と砂と血と涙に汚れた顔を、苦痛で歪める妖精の顔。 声を震わせて平伏する侍女。 スワジクに言われるまでも無く、誰が一番悪いのかなど理解できる。私の胸の中は罪悪感で一杯だった。「放してやれ」「はっ」 衛士は少し迷いながらもスワジクの拘束を解く。 直ぐにでも私に向かってくるかと思ったが、彼女はただ悔し涙を流しながら蹲っているだけ。 スワジク付きの侍女だろう黒髪の少女が、そっと彼女に寄り添い助け起こす。 取り出したハンカチで顔の汚れを拭い、口の端から流れる血を拭う。 私は震える膝を必死で隠しつつ、二人に向かって声を掛けた。「……すまなかった」 その言葉にスワジクは欠片も反応を示さず、付き添っている侍女はただ黙って頭を垂れる。 暫くじっとしていた二人だが無言で起き上がると、何も言わずにこの場を去り始めたる 侍女の肩を借りながら、ヒョコンヒョコンと片足を引き摺りながら去っていく少女を見て、私は死ぬほどの後悔に苛まれたのだった。