暖かな陽の光、柔らかな風、そして匂い立つ色とりどりの花達。 目を閉じればすぐにでも夢の世界へ旅立てそうな昼下がりに、僕を含む総勢十五人の人間がこの広場に集まっていた。 メンバーは僕を筆頭に、フェイ兄、レオさん、センドリックさんに初めて見る男の騎士さんが3人。 女性陣は僕付の侍女であるミーシャ、スヴィータ、アニスにライラの四人に、いつか見た侍女長のヴィヴィオさんと彼女が従える3人の政務館付の侍女達。 皆、動きやすい服装にエプロンやら手袋やら掃除道具を持っているが、顔つきは戦場に出る戦士のように引き締まっている。 やっぱりヴィヴィオさんとレオさんがいると、場の空気が締まるんだね。 フェイ兄ではなかなかこうは行かないに違いない。 11人がびしっと整列している前に、僕を始めフェイ兄、レオさん、そしてヴィヴィオさんが立っている。 そしてレオさんがゆっくりと前へと出て、11人の掃除人達に向かって説明を開始した。「本日、ただいまから北の塔舎にある不要になった調度品や衣類、家具などの搬出、処分、そしてその後の簡単な清掃を行う。主な指示は侍女長か私が出すので、不明な点等があれば逐次相談に来ること」「はいっ!」 歯切れのいい皆の返事が綺麗にハモって、なんか凄くカッコイイなぁ。 いつもの3割り増しでかっこよく見えるな。 特にアニスとか。……いや、別に普段がだらしないとかいう意味じゃないよ? しかし、今日の僕もいつもとは一味違うんだ。 見よ! この動きやすさを追求したブラウスを! さらにいつもはスカートを履いているのだが今日は掃除もあるからパンツを履いてみた。 もっとも、外の人はパンツルックが嫌いだったのかズボンが1枚も無いから、フェイ兄に頼んでズボンを1本頂いたのだけれども。 ちゃんと手袋とタオルも用意したし、三角巾も頭に装着している。 1分の隙もないこの僕を見て、何故か誰もコメントをくれないのは何故だろう?「それでは各自、割り当て場所へいって作業を開始してください」 レオさんの号令と共に、さっと散ってゆく11人。 僕もミーシャの後を追って塔舎に入ろうとしたら、後ろから肩を誰かに掴まれた。 何かなと思って振り返ると、フェイ兄が笑顔で立っている。「えと、フェイ兄様?」「うん、スワジクはこっちだよ」「なるほど、担当場所が違うのですね」 素直にフェイ兄の後ろについてゆくと、中庭の中ほどに設置されたテーブルの上にお茶や一口ケーキなんかが置かれている。 そこへフェイ兄が近寄って、椅子を引いて僕に座るよう促す。 っていうか、それじゃあ手伝えないのではないのだろうか。「あのフェイ兄様、皆の手伝いは……」「大丈夫だよ。みんながきちんと綺麗にしてくれるから。その間私たちはここでゆっくりと皆が終わるのを待っていればいい」「折角手伝うつもりで服装も整えましたのに」「僕達が出て行ったら、逆に皆が働きにくくなるんだよ。上に立つものが率先して何事もこなすのもいいんだけど、時と場合によりけりなんじゃないかな」「そうでしょうか……」「でも、そういう気持ちがあるっていうのはとてもいい事だと僕は思うよ」 そういって不満気にしている私の頭を撫でるフェイ兄。 とは言うものの、みんなが一生懸命働いているのに横で、それを見ているだけというのは結構落ち着かないものなんだけど。 そわそわしながら塔舎とテーブルの上を行き来する僕の視線を、フェイ兄は生暖かい目で見ている。 変な奴と思われているんだろうなと思いつつも、やっぱりなんか落ち着かない。 例えるなら、全校生徒が清掃時間に清掃しているのに僕だけが手伝わなくていいからと教室の自分の席に座っているような感じ、といえば伝わるかな?「変わったね」「何がです?」「君の物の考え方が、だよ」「そ、そうですね。やはり今までは問題が色々とあったと思いますし、私も変わるべきかなと思ったんです」 僕は用意していた答えをフェイ兄に言う。 ミーシャと二人で考えた無難な答えなのだが、果たしてこんな苦しい言い逃れで納得してもらえるかどうか。 だって平気で五千七百五十枚もの借金を作れる人だったんだからねぇ、外の人は。 といって僕が外の人みたいに振舞えるかといわれれば、間違いなく無理だし。「そうかい。何にせよ、変わるというのはいい事だと思うよ」「はい、有難うございます」 にっこりと笑顔で返事をすると、フェイ兄は慌てて咳払いをして塔舎へと視線を逸らす。 釣られて僕も塔舎を見たら、3階の窓からレオさんがこっちに向かって手を振っているのが見えた。 僕達に上がって来いということみたいだ。 どうやら僕にも出来ることがあるみたいだと思ったら、なんとなく嬉しくなる。 苦笑するフェイ兄の背中を押しながら、僕達はレオさんの待つ3階へと向かった。「なるほど、私の私室のものだから触れなかったという訳ですね」「はい。申し訳ありませんが、要る物と要らない物の指示だけ頂けたら、搬出はこちらでいたします」「しかし、久しく入った事が無かったが、……凄いな」「ははは、本当に」 頬を引き攣らせながら、フェイ兄の呆れ顔のコメントに同意する。 目の前の部屋は30畳はあろうかという位の広さがある筈なのに、所狭しと置かれた置物や家具などで床が見えないくらいに占領されていた。 なんていうか、雑な古物商屋さんの倉庫みたいな感じ。 こんな所で日々の作業やなんやと外の人がしていたのかと思うと、呆れを通り越して尊敬の念が沸く。 僕なら5分と居たくない部屋だよ、これは。「どうしますか、姫殿下」「とりあえず手前のものから全部外に出していきましょう」 そういって手近にあった額を手に廊下へ出ると、外で待機していた人たちが順番に中へと入っていく。 レオさんに促されて僕はもう一度部屋の中に入り、荷物の運び出していいかどうかの判断をしてゆく。 段々と部屋が空いてくるにつれて自由に動けるようになったので、皆の作業の邪魔にならないように家具や調度品の水拭きなんかを始める。 最初こそ皆僕に気を使っていたようだけど、鼻歌まじりに掃除をしている姿を見て何も言わなくなった。 やっぱり何か作業をしているっていうのは良い事だねぇ。「ん? なんだろう、この引出し」 窓際にあった多分自分の執務用の机を整理していたら、鍵が掛かっている引出しがあった。 そういえば、さっき上の段の引出しの中にこれの鍵っぽいのがあったな。 すぐ上の引出しを引き出して真鍮製の鍵を取り出す。 鍵穴にぴったりとはまるので、恐らくこの引出しの鍵なんだろう。 鍵を回すとかすかな抵抗の後、かちりと音がして鍵が開いた。 何故かドキドキしながら引出しを引くと、中には豪華なカバーの本が1冊入っている。「へぇ、綺麗な本? いや、中が白紙だからノートのようなもんか。何が書いてあるんだろう」「姫殿下、こちらの箱の中身はいかがいたしましょう?」「あ、はい。少し待ってください、ヴィヴィオさん」 慌てて引出しを閉めて、僕はヴィヴィオさん達が囲んでいる大きな葛篭っぽい箱へと向かった。 ここはどうせ自分の私室なのだから、あのノートみたいなやつは時間のあるときにまた来て読めばいいよね? その日の夜。 僕は一人、スワジク姫の部屋へと来ていた。 昼間見た本が凄く気になっていたし、もしかしてあれが日記とかだったらもっと外の人のことが分かるかもしれないと思ったから。 蒼い月夜に照らされた部屋は思ったよりも明るく、特に窓を背にした机は火を灯さずとも文字が読めるほどだった。 昼間開けた引出しをそっと開け、中にあったノートを取り出す。 表紙を捲ると最初の書き出しに、「愛しの娘へ」と綴ってあった。 次を捲ると日付らしきものが書いてあり、綺麗で几帳面な字が整然と綴られている。 ウルガの年、ミレニアの月、赤の7 今日、お母様は旅立ってしまわれた……。 私は正真正銘、この世で一人ぼっちになってしまった。 その日記の書き出しは、とても冷たくて悲しそうに僕には見えた。 何か他人の秘密を覗き込んでいるようで居た堪れない気持ちになったけど、多分これは僕が読み進めていかなきゃいけないものだと思う。 ゴーディン家の奴らは、お母様の葬儀で皆ほっとした表情で笑いあっていた。 もちろん私の目の前でそんな事を露骨にはしなかったが、誰も悲しんでなど居ないことくらい12歳の私でも分かる。 でも私は泣きません。 ちゃんとお母様の言いつけを守って、一人でも強く生きてゆくと誓ったのだから。 それに私にはあの子がいるから大丈夫。 あの子だけはお母様のことを本気で悲しんでくれた、たった一人の親友だもの。 僕はゆっくりと次のページを捲ろうとして、その手を止めた。 日記の間に何かが挟まっているみたいだ。 なんだろうと思って引き出してみると、赤い封蝋をした真っ白な封筒で表に宛名が書かれていた。 「親愛なる兄様と、一度も愛してくれなかった義父様へ」 僕はゆっくりと封を破ると手紙を取り出して、月明かりの下でゆっくりと読み始めた。