「”肉屋”ギルドから布告があった」
会議は殺伐とした雰囲気の中始まった。サルースから過去の話を聞いたガリュウにも、この空気の所以はわかる。
中央に座り、いつもなら一同を見渡して軽快にしゃべるユフィは、今は俯いたまま、いやテーブルの一点を凝視したまま淡々と言葉を話していた。
ともすれば漏れ出でてくる感情を、胃の腑の中で持て余している様な、そんな表情だった。
「【悪魔の草原】に、ウルガロンが現れたそうよ。ギルドに加盟するそこそこ名の知れた”肉屋”だった青牙団24名が壊滅。生き残りはたったの二人」
空気は重いまま、じっとりと会議室の床に沈みこむ。重力が何倍にもなったような重苦しさの中、ただ淡々とユフィは語る。
「皆も知っての通り、ウルガロンは本来北方の人類未踏地に棲息していると考えられてる。【悪魔の草原】に飛来するのは稀で、数年周期。すべて同一個体だとされてるわ。人間の血肉の味をしめた、文字通りの悪魔。だけど、幸運なこともある」
ガリュウはいぶかしげにユフィに視線を向ける。黙ってここまでを見てきた彼だが、何かがおかしい。彼が仮初とは言え雇い主と認めた少女の、何かがおかしい。
初めは、父親の仇討ちに気が立っているのかと思ったが。
「悪魔竜はいつまでも【悪魔の草原】にいつくわけじゃない。前回も・・・。一週間ほどでもとの生息地に帰って行った。ここに来るのはあくまで気まぐれ。そう、一週間もすればあの竜は去り、数年間は安心して狩りが出来る」
そこまで言ってユフィは顔を上げた。あ、とガリュウは思った。その目を見て、ユフィが何を考えているのかを悟ったのだ。
それは戦場では頻繁に見ることが出来る将の、兵を束ねるものの顔だった。
「砂楼団は、悪魔竜ウルガロンを討伐しない」
がたがた、と椅子を鳴らして一同がざわめく。ただガリュウだけが、首領の決断に静かに小さな溜息をついた。
「お嬢…」
「これから一週間、狩りは休みよ。女たちにもそう伝えて。会議は、これでお終い」
有無を言わさぬ閉会の声が、冷たく会議室に響いた。
「よかったのか?」
その日の夜、酒場で一人酒盃を重ねるユフィに、ガリュウが声を掛けた。もう夜も遅い。いつかの夜の様に、ゆらゆらと頼りない灯が室内を心細げに照らしている。
「何が?」
過分に棘を含んだユフィの返事に、ガリュウは苦笑しながら「座っても?」と雇い主に問うた。
「どーぞ」
ぞんざいな言い方にもう一度薄く笑ってから、ガリュウはユフィの向かいの席についた。
「・・・よかったのよ。よかったに決まってるでしょう?」
「そうか・・・」
ガリュウは己も杯に酒を注ぎながら、そう短く言った。ガリュウが見たユフィの目。あれは、苦渋の決断をする将の目だった。
特に、戦を諦めねばならない時の、内臓をかき回されでもしているかのような、臍を噛む思いを隠した目である。
「”肉屋”は獲物を狩るのが仕事じゃない。素材を市場に流し、食糧を街に供給するのが役目なのよ。私はその為に一番コストがかからず、リスクが少なく、リターンが大きい狩りを選んで実行していかなくちゃいけない。アカントやラースにも帰る家がある。ラースなんて子どもが生まれたばかりなのよ。皆、今守るものの為に戦ってくれてる。私だけ、過去を引き摺っても仕方ない」
「いや、君が割り切れるならいいんだ。俺が口を挟む問題じゃない。君がそう決めているのなら、俺に出来ることは酒に付き合うことくらいだろう」
「嫌な男ね。おしゃべりな誰かに聞いたんでしょう?親父を殺されたのよ、私は。誰より大好きな親父だった。一番尊敬する”肉屋”だった。割り切れるわけ、ないじゃない」
「そうか・・・」
「だから酒を飲んで飲み下すの。どうにもならない時、これまでもずっとそうして来た。たった一週間よ。その間だけ、私は臆病な”肉屋”になる」
「あぁ。臆病なのは悪いことじゃない。特に戦場ではな」
「うん・・・」
翌朝、空が白むまで、二人は言葉少なに杯を重ねていた。ユフィの決断をガリュウは尊重していたし、一団を預かる彼女にとっての最良の決断だと思った。
翌日、凶報が街を震撼させるまでは。
一対の悪魔竜が、スラーナの街の間近に巣を作り始めているというその報せを。
「番(つがい)だと!」
「えぇ・・・」
翌朝、砂楼団の会議が緊急に開かれた。昨日の会議とは打って変わった烈しさを持つ会議の雰囲気。事態は最悪だが、これこそが”肉屋”の空気ともいえる。
「スラーナの街からイャルで一時間ほど行くと、【悪魔の草原】を見張る物見櫓があるんだけど、そこが昨日悪魔竜に襲われた。こんなことは初めてよ。櫓ではいつも火が焚かれてるし、人が二人ばかりいるだけだから、モンスターがわざわざ襲ったりしない」
「人を好んで食す、悪魔竜ならではということか」
「それでも、こんなことは今まで無かったじゃないか!」
ガリュウが呟くと、血気盛んな若い槍使い、アカントが叫ぶようにそう言ってテーブルを叩いた。その膝が僅か震えているのをガリュウは目ざとく見つける。武者震いか、それとも。
「・・・どうする?お嬢?」
悪魔竜との戦いを避けることは昨日決めたばかりである。だが状況が変わった。高い柵で囲まれ、武器を持つ多くの狩人がいるスラーナの街は、【悪魔の草原】に近いと言えどこれまで一度もモンスターに襲われたことなど無かった。
普通のモンスターにとって、人間など襲う価値も無いちっぽけな存在に過ぎないのだ。手に入るわずかばかりの肉に対して、人間の持つ武具は凶悪に過ぎる。
だが、悪魔竜にとっては事情が違った。
「番というのが気になる。伴侶を見つけ、お気に入りの狩場に連れて来て、美味い飯でも食わせるくらいのつもりなのかもな」
「・・・冗談じゃないわ」
軽率ともいえるガリュウの物言いに、ユフィが口を開いた。その目には昨日の面影は少しも無い。その目はガリュウがここに来るまで知らなかった目だ。
巨大生物を獲物と定める”肉屋”の目であった。
臆病な”肉屋”はかけらも見当たらなかった。
「やるわよ。悪いけど事情が変わった。悪魔竜の目的は間違いなくこのスラーナの街。私たちはこの街なくして砂楼団を続けていくことは出来ない」
ユフィの力強い言葉が一同に響き渡る。
「この街から、私たちは多くをもらってきた。親父も、その親父も、ここで狩りを続けてきた。見捨てるなんて選択肢はないわ。ギルドが何と言おうと、悪魔竜は私たちが狩る」
「決まったな」
ユフィの決断を受けて、サルースが立ち上がった。
「砂楼団は悪魔竜を仕留める。それで、いいんだな?」
サルースはユフィの目を見つめる。強い目だった。外見の美しさは、儚げだった母に良く似ていたが、その強さは紛れも無く父であるラーハルトから受け継いだものだ。
「次の獲物は悪魔竜、二体!砂楼団の総力を挙げてこれを狩り取る!皆!忙しくなるわよ!」
ユフィの声が会議室に響き渡る。
男たちが雄雄しく吼えながら立ち上がる。
アカントの膝の震えも、その時にはもう止まっていた。
ガリュウはにやりと口の端を曲げて笑うのだった。
「私たちの他に三組の”肉屋”が今回の討伐に参加するわ」
その日の午後、ギルドに討伐の申請をしたユフィはガリュウとサルースとともに作戦を立てるべく昼食を摂りながら話し込んでいた。
「実力は?使えるのか?」
ガリュウがそう言うと、ユフィは「う~ん」と唸った。
「断王団は先代のベルフト退治で有名だけど、今の首領になってからはいまいち。でも規模はうちくらいはあるわ。鬼刃団は規模は小さいけど、首領の剣舞使い、ナタールが有名。剣士としての実力だけ言えばスラーナで最強ね」
「ほう」
「言っとくけど、あんたは別格だからね。ナタールだって一人でルーディオロスの首は落せないわ」
「むぅ」
「あと一つ、黒鷹団が一番安定的ね。規模はうちの倍近いし、堅実な狩りで知られてる。でも、突出した所はないから悪魔竜とどこまで戦えるかは未知数だけど」
「何にしてもだ。悪魔竜は二体いるんだから、2団づつで一体に当たるのが順当だろう。ギルドはなんと?」
「ギルドは初めから今回の狩りに乗り気じゃないわ。まぁ奴らの大半は中央からの出向だからね。さっさと逃げ出したいのが正直な所でしょうよ」
「今日中にでも、4者会談が必要だな。悪魔竜の巣作りはいつ終わるんだ?」
「わかんないわよ。誰も倒したことがない竜なのよ?生態だって全然わかってない。一月後かもしれないし、今日いますぐかもしれない」
「そりゃそうか」
「とりあえず私はもう一回ギルドに行って、さっさと召集をかけるように言うわ」
「その必要はありません」
三人が突然の声に振り返ると、昼食取っている酒場の入り口に、一人の女性が立っていた。長い金糸のような髪を下ろした線の細い美しい女性。一見すると深窓の令嬢のようにも見える。しかし、ガリュウはその立ち居振る舞いから、彼女が一級の武芸者であると見切って目を見張った。
「我が主ナタールが他の二つの団にお声かけしておりまして、一時間後に黒鷹団様のアジトで会談を行う予定です。私は砂楼団の皆様に伝令をお伝えに上がりました。鬼刃団のアリシアと申します」
「了解したわ。ナタールって意外と手回しが早いのね」
「恐縮でございます」
「なぁ、君」
「はい」
ガリュウが楽しそうに女に声を掛ける。
「君も戦場に出るのか?」
ガリュウがそう言うと女は瞬間目を瞠り、そしてこちらも楽しそうに笑った。
「我が刃が、かの竜に届きますれば」
「よく来てくれた」
皺だらけの相貌はしかし尚射抜くような眼光を備える。その構成員数約100名!スラーナ最大の”肉屋”黒鷹団を治める男ローハンは、集まった一堂を見渡してそう言った。
錚々たる面子であった。
まずはこの場所の主、”鉄塊”ローハン。半世紀もの間現役の”肉屋”であり続けるこの老人は、今尚武器を取って戦場に出るという。傍らでは後継である彼の孫スレイドが直立不動で立っている。上背だけならガリュウにも迫る黒髪を長髪にした若い男だったが、油断無く一同を見る目は、確かに老人の血を継ぐことを見るものに否応なく理解させた。
「まぁ、来ないわけにも行きませんからね」
溜息とともにそう言ったのは、断王団の首領セイだった。両側を屈強な岩の様な男たちに守らせながら、落ち着き無く身を捩っている。
「本当ならすぐにでも逃げ出したい所ですよ」
その采配も、個人的な武勇もぱっとしない風采の上がらない壮年の男に、ローハンは鋭い視線を向けたが、あまりに小物である為か、彼はそれにすら気付かないようだった。
「本当に”雷神”を手に入れたんだー。うっらやましいねぇ」
そう言ってユフィの隣に立つガリュウを値踏みするように見るのは、鬼刃団のナタールであった。その側に控えるアリシアがすらっとした美しい女性だとすると、ナタールは肉感的な美女であった。水着の様な衣装からは豊満な胸の谷間や瑞々しい太ももが完全に露出しているが本人は気にした風も無い。健康的に日焼けした、しかしどこか黒豹を思わせる女だった。
「夜の方もさぞかし激しいんじゃないのー?」
「悪いけど、そっちの方は圏外なのよ」
「余計な事は言わんでいい」
ともかく普段ならば絶対に顔を合わせることが無いと断言できる実力者たちがこうして顔をつき合わせ、そして時を惜しむように議論は始まった。
「とりあえず団の編成を決めたい。二つの団が一体の悪魔とやり合う。とりあえずこれに異論は無いか?」
サルースがそう話を切り出すと、黒鷹団の若きスレイドが「否」といきなり提案を否定してきた。
「我が団はもっとも構成員の数が多い。一団で一体と当たる力が十分にあると考える。他の団と事に当たれば、本来の力を発揮できないこともあるだろう」
身も蓋も無い協力の否定。そもそも一団で二体の悪魔であっても狩れるつもりだ、と、その若者の目は暗に語っていた。
「悪いが、スレイド?だっけ?あんた悪魔竜舐めすぎ」
「ん?ユフィーリア、だったか?やはり親の仇は恐ろしいか?」
ざわ・・・とユフィが殺気を身にまとう。それに呼応するようにガリュウがその身から覇気を滲み出した。
「なるほど。流石よな、”雷神”」
その覇気を好ましく受け入れて、ローハン老が口を挟んだ。
「孫の非礼は詫びよう。なにぶんにも気が盛んでな」
「ボス。しかし――」
「黙れ、スレイド。貴様の父親もその気の逸りで死んだことを忘れるな」
ぐ、とスレイドが歯をかみ合わせて押し黙る。
「で、おじーさんはどう考えるわけ?」
怒りのおさまらないユフィはぞんざいな口調でローハンにそう尋ねる。歴戦の勇士でもある老人はふむ、と顎を摩った。
「二団で一体と当たる。これは良策に見えるが乱暴すぎるわい。この戦、互いの長所を活かす事が重要だ。黒竜を引き摺り下ろすには相当の数の弓兵が必要だろう。強力な石弓もだ。それはワシと、断王の子倅のところで引き受けよう」
「えぇ、俺のとこですかい?」
「貴様も偉大な親父の血を引いているのだ。少しはしゃんとした所を見せろ」
ローハン老は、どうやら断王団の手綱を取るつもりであるようだ。ユフィとナタールは、老人の意見に同意を返した。
「地上に降りた黒竜を仕留める近接戦闘。これは”雷神”と”舞姫”を中心に行えばいい。音に聞こえた砂楼団の騎乗槍も見せてみろ。どうだ、異論があれば聞くが?」
「いいんじゃね?オレも、是非とも見てみたいねぇ、”雷神”の剣技」
「ふむ。じゃあ、決まりでいいな」
ナタールのからかうような視線を受けながら、ガリュウが主とするユフィに同意を求める。
最大規模の黒鷹団が後方に回り、規模で劣る砂楼団や鬼刃団に前衛を譲るというのだ。これを受けねば”肉屋”ではない。
「いいわよ。ここは老い先短いじーさんの意見を尊重してあげるわ」
「決まったな」
ローハン老は、腹の底から響く声で、一同に向けて声を張り上げた。
「では各々支度を抜かるな。決行は明後日とする」
ここにスラーナの街の”肉屋”ギルド始まって以来の”肉屋”連合の結成がなったのであった。
すみません。絶対次では終わらないorz
どうしてこうなった・・・