※今回の話には人体に関わる残酷な描写があります。ご注意ください。
だが運命はいつも悲劇的だ。誰かの命に関わることには特に。必要な物資や逃走ルートの確保を行う為にティガリウスが一旦ロードキアを離れたその日、帝国は彼を見送るようにしてロードキアに侵攻した。
「本当か!その話は」
「う、嘘じゃねぇ。帝国の奴らヤンバラの森を秘密裏に抜けてきたんだ。砦を素通りして大軍が攻めて来たらしい…」
「猛獣の森をかっ。くそっ」
ティガリウスがそれを知った時、ロードキア侵攻から二日が過ぎていた。彼はロードキア王国が少なくともあと一月はもつだろうと踏んでいたのだ。だからこそ与えた10日であったのに、完全に裏目に出た。帝国は完全なる奇襲に成功していた。王国はおそらく数日と持たないだろう。
「あの時、一緒に連れて出るのだった!くそ!間に合えよ!」
そう言って哀れな情報屋の男に金を握らせると、ティガリウスはイャルを走らせて王都に急いだ。
しかし彼が王城に辿りついた時には、月を背景に火矢が掛けられていた。
「ミュートス!」
ティガリウスは無我夢中で、まったくの無策のまま城を囲む帝国軍の中に突っ込んでいく。その数およそ一万五千。
だがティガリウスはこれと戦をするわけではない。
ただ、城に侵入できればいいのである。
だとしても一万五千。
しかし夜であることが幸いした。どさくさに紛れることも不可能では無いだろう。
「貴様、止まれ!」
「傭兵か!」
「おい、通すな!」
猛スピードでイャルを駆り兵士の只中に走るティガリウス。彼を止めるために無数の槍先が向けられた瞬間、ティガリウスはイャルの背を蹴って宙に躍り出た。
「なっ」
そのまま背の大剣に手を掛け、問答無用で振るう雷神。
「づああっ!!」
彼の着地点にいた哀れな兵士達が鎧ごと切断されて夜の闇に消えていく。
「し、侵入したぞ!」
「は、早く殺せ!」
「し、しかし闇に紛れて…」
ただただ王城を目指せばいいティガリウスは、大剣であらゆる障害を切り飛ばしながらひたすらに走る。
闇で視界が悪い帝国軍は、その獣の様な男に気付いた瞬簡には切り伏せられ、あろうことかたった一人の行進を許していた。
それもそのはず。
並みの刺客であれば、鎧を着た兵士一人を突破するのにもかなりの時間を要する。だがそこは雷神。
まるでイカヅチのようなスピードで、雑兵をすり抜け、あるいは叩き切りながら只進む。
そしてティガリウスは、城壁に掛けられ、今にも帝国兵が昇ろうとする長梯子に目を付けた。
「借りるぞ」
とてつもないスピードで駆けるティガリウス。止め様とした大柄な男が鉄槌を叩きつけようとしたが、すれ違いざまに丸太のように切り飛ばされる。
「悪いが、急いでいる」
ティガリウスは駆ける。梯子を上る帝国への背や頭を踏みつけながら走る。味方の兵がいる梯子に向けて帝国兵は矢を射掛けることも出来ず。ついにティガリウスは城壁を登りきった。
「少しでも時間を稼げればな」
そう言って、大力を持って鎧を着た数人が昇る梯子を押し返してしまうティガリウス。
「ひっ」
城壁の上の王国兵が槍を突き出してきたのを、片手で掴んでとめながらティガリウスは言った。
「傭兵ティガリウスが約束を果たしに来たと王に伝えろ!ミュートス王はどこにいる!」
「お、王」
「そ、それは・・・」
どうにも兵士達の様子がおかしい。これは、必死に城を防衛しようと言う者の顔ではない。これではまるで。
「貴様ら、戦を捨てたなっ。命汚く生きる道を選んだな。だとしたら、おい!ミュートスはどこだ!」
ティガリウスが槍を素手でへし折りながら兵士達に詰め寄る。
敵か味方かも判然としない男に対し、おろおろする兵士達。
「答えろ!切り飛ばされたいか!」
「ひっ。か、鏡の間です。謁見に使う。しかし――」
「それ以上はいい」
聞きたくない。聞く必要も無い。
そう言い捨てる時間すら惜しく、ティガリウスはただただ走りに走った。
混乱する城内を走ることはそれほど難儀な作業ではなかった。というより兵士達の多くに戦意を感じない。これは間違いない。戦場に身を置くティガリウスには良く分かる。これは降伏する者たちの態度である。
だが、帝国がただの講和を求めるはずが無い。
帝国は良くも悪くも周辺各国の王国への不満を纏め上げる形で決起したのである。
この戦を終わらせるには、明確な印が必要であるはずだった。
「ミュートス!」
鏡の間の扉を開ける。
そしてその先に広がる光景は、彼が予想した光景であり、それにも増して醜悪な光景だった。
「ひっ、貴様。何者だ!」
鏡の間。かつてティガリウスが王と謁見したその部屋では数人の男女がこちらを見ていた。
突然の来訪者に驚く彼ら。
しかし、室内にいながらティガリウスに視線を寄越さない者もいる。
一人は床に倒れる女性だった。
その胸深々と剣が突き立っている。
ミュートスの妻の遺体であった。
もう一人は、地面にうずくまり、必死に何かを守っている男。
その背は剣に切られてぐずぐずとなり、脊柱すら見えている。
それでも男はそこを動かず、周囲にいる獣染みた目のばか者どもがいらだたしげに蹴った後もある。
「なんだ、貴様は…」
「ミュートス…」
床にうずくまる男は、この国の王たる者だった。
「なんだと聞いて―――」
詰問のつもりで叫ぶ男の口から上が吹っ飛ぶ。ティガリウスが音も無く剛剣を振るってきり飛ばしたのだ。
「ひっ、ひぃっ」
「き、貴様、これなるは王家に連なる――」
「うるさい」
ティガリウスはただただ無言で、男も女も切り裂いた。彼らが降伏の為に王の首を求めるミュートスの弟妹であり、引いては自分の異母弟妹であることも分かっていたが、切り裂いた。
そんなことはここでは問題ではない。
彼はただ、約束を果たしにきたのである。
「ミュートス…」
動くものが誰もいなくなると、ティガリウスはうずくまるミュートスの前に跪いた。
「てぃ、ティガリウス…」
「しゃべらなくていい」
「この子を…頼む・・・すまん・・・もう自分では動けもしないのだ・・・」
「わかった」
ティガリウスはそう言うと、極力優しくミュートスを抱き起こしてやる。だが、背中を八つ裂きにされた彼をどう扱っても激痛が苛むことだろう。
あるいはもう何も感じていないか。
「サラフィーナ」
そこには震えながら、泣き声を精一杯にこらえている幼い少女の姿があった。敵から発見されることを恐れ、誰かが泣いてはならないと言い含めたのだろう。
「サラは・・・無事かな・・・?」
「お前、目が・・・」
「父さま・・・」
サラフィーナがすでに骸の様になっている父に縋りつく。そして、堪えていたものが噴出すように泣き出した。
「約束を、果たしてくれるか・・・。もう、私が支払えるものはなにもないが・・・」
「そんなものはいい。任せておけ」
「そうか・・・。すまんな・・・。頼むよ、兄上・・・。サラぁ、すまないな。俺は一緒にいってやれない」
「とうさまぁぁぁぁ」
「どうか、しあわせに・・・」
そしてロードキアの最後の王は目を閉じた。そしてもう、二度とその目を開くことは無いのだ。
泣き縋るサラフィーナ。
子どもにここが戦場だと話しても意味が無い。
自分の命の為に泣き止めと言っても意味が無い。
ティガリウスは泣きつかれたサラフィーナが眠るまで、ただただ扉の前に群がる敵兵を葬り続けたのだった。
ゆらゆらと蝋燭の灯が揺れる。その長さは残り少ない。ガリュウは己が語った物語がいささか長すぎたようだと苦笑した。
「つまらん話につき合わせたな」
「ううん」
ユフィもまた彼の目を見て微笑んだ。
「サラはあんたにとって姪っ子ってわけね。でも、よく帝国の包囲を破って脱出できたわね」
「なに、来た道を帰っただけだ。鎧を少し緩めて、胸にサラを縛り付けてな。眠ってくれていて助かったよ」
「剣戟の中であんたの胸に縛り付けられてたわけ!うげ。ぞっとしないわね」
「お陰で丸一日ふらふらしてたなぁ」
言いながら、ガリュウはグラスを傾ける。
「感謝している。こうしてあの子に束の間の平穏を与えられた」
「今の話を聞いたからじゃないけど、何でも言ってよ?あんたはそれだけの働きをしている」
「がりゅう・・・」
突然の呼びかけに振り返ると、そこにはサラの姿があった。
「サラ、ひとりでここまで歩いてきたのか?」
「部屋にガリュウがいないから」
目を擦りながら、サラがとてとてと歩いてきた。
「ん?」とユフィが眉をしかめる。
「『部屋にガリュウがいないから?』あんたら、べつべつの部屋を与えてたよな」
「・・・聞くな」
サラはそのままひしっとガリュウに膝にしがみつき、そのまますやすやと寝てしまう。
「まさか。毎晩、添い寝してんの?」
「聞くなと言った!・・・毎晩じゃない。一日おきくらいだ」
「いやいや。それほとんど変わらないから」
「うるさいな」
ガリュウはサラを抱き上げながらさっと立ち上がった。
「今日はお開きだ」
「楽しかったよ、珍しい話を聞いた。・・・可愛いからって姪っ子に手を出すなよ?」
「誰が出すか!」
そう言ってガリュウは酒場の扉を出て行く。
「ガリュウが、王子さまねぇ・・・」
ティガリウスにまつわる話を思い出し、ユフィは一人くすりと笑った。