大陸の東域と中央域を隔てる鳴省大山脈。
迷宮より這い出た高レベルモンスターが時折徘徊し、手つかずの自然が色濃く残る深山幽谷。
その奥深く、道無き道のそのまた先。外界から隔離された地。白き毛で覆われた体躯を持ち、魔を祓い統べる力を持つ聖獸白虎と呼ばれる獣人一族の里が……
「ん。白虎という名称で探し出せたのはこの伝承の一文だけだ。当時とは地名や地形などは変わっているが、記述から推測するに位置的にはおそらくこの辺りであろう」
調べてきた伝承についてケイスは語りながら、テーブル中央に広げたトランド大陸東域地図の左隅。主な街道からも離れた辺境域を指し示す。
活発な活動を続ける火山帯で、低木が群生しているが、とても深山幽谷と呼べる地域ではない。
だが暗黒時代に荒れ狂った龍や迷宮モンスター達と探索者達の激戦によって、トランド大陸では過去の地図に存在した山脈や湖が消え、気候や環境が激変している事も珍しい話ではない。
「この一帯は有力な獣人氏族複数の勢力地で、よそ者をあまり寄せ付けないという。ウィーのような珍しい毛色の獣人の噂が表に出ずとも不思議では無いからな。ウィーお前ここの出身だな?」
ケイスが推測した周辺地域には、主だっただけでも7つの有力な獣人氏族の勢力が存在し、日頃から武力を持ってぶつかり合う小競り合いが繰り広げられている。
稀少鉱石が採れる以外は、火山帯に上位迷宮が点在するくらいで、あまりよそ者が好んで寄りつかず、情報の集まるロウガでも伝聞程度の噂話しかない地域だ。
「正解。ただ寄せ付けないっていうか、何にも無い田舎な上に、道も悪いから、馴染みの行商人以外はなかなか来ないだけなんだけど」
訳ありだと自称したくせにウィーと名乗った女性獣人は、ケイスの予測をあっさり肯定し、のんびりとした声で答える。
「どこの部族の誰が一番強いかで揉めたり、腕試しが多くて、しょっちゅう街道やら山道が崩れたりボクみたいに、のんびり穏便に生きたい人にはいい迷惑だよ……それにしてもこのパンは美味しいねぇ。もう一個もらっていい?」
ケイスが持ってきたクロワッサンをかじりながら、ウィーはリラックスモードでのんびりと尻尾を揺らしている。
どうやら相当お腹が空いているらしく、既に五個目だがその食欲は衰える兆しは見えない。
「ん。好きにしろ。獣人族との戦いが多い土地か。私には合いそうな地だな」
「つまりはケイスの集団が暮らしてるって感じか……最悪」
嬉しそうに頷くケイスとの隣で、ルディアはそこら中でケイスが決闘を行っている様を想像して、すぐにその嫌すぎる妄想を振り払った。
「あーまてまて。ケイス。今、魔を祓うつったか?」
ケイスが発した言葉の中に気になる単語が混ざっていたのか、ウィーの魔具に使われている魔法陣の一部を書き出したメモの一部をウォーギンは取り出す。
「ん。そういう風に書いてあった部分だけ読めた。しかし、その後の文は専門的な古語ばかりで解読できていないぞ。その書物の全文は覚えてあるが書き出すか?」
「辞書を丸暗記できるお前が読めない古語を、俺が読めるわけねえだろうが。ちょっと気になる箇所がいくつかあったんだが、あんたひょっとして魔力拡散能力持ちか?」
「あーと……うん。そうだけど。君たち。ほんと普通じゃ無いねぇ。よくすぐ見抜けるよねぇ」
その事を隠したかったのか、それとも呆れていたのか、しばらく返答に時間をおいてうなづき、感嘆の声をあげる。
「お願いだからその中にあたしは入れないで。ウォーギン。字面で何となく判るけど魔力拡散能力ってのは?」
「天然の魔術無効化能力だ。かなりレアな特性で、俺も話で聞いたことがあるくらいで実物は初めて見る。ガチガチの解呪対策を内側に施してあったから何かと思ったがそういう事か」
「ん。普通のディスペルとは違うのか?」
「術を無効化するのは同じだが厳密には違う。魔力を打ち消すんじゃ無くて、魔力を拡散させて無属性化する事が出来るって話だ」
白紙のメモを二枚手に取ったウォーギンは、その紙に光球という文字を書き込み、すぐにそのうち一枚に書かれた文字の上にべったりと墨を塗り覆い隠す。
「普通のディスペルが、紙に書いた文字の上から、塗りつぶして意味を無効化するようなもんだろ、だが拡散能力ってのは、書いた文字をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、意味を無くす」
もう一枚のほうは字を中心に四等分に切り裂き、上下左右を入り変えて並べ直して、文字を崩してみせる。
どちらも意味を無くすという結果は変わらないが、その過程は全く別物の力だ。
「しかも不安定な残存魔力が残るディスペルと違って、術者の制御から外れ意味を無くすから魔力は、大気に拡散してすぐ消えるって寸法だ」
ディスペルを表した紙はテーブルに残したまま、拡散を現した方の紙をウォーギンはばらばらに千切ってから屑籠に捨てる。
魔術とはこの世界の理から外れた、理外を統べる力。外れた力は術者によって、一時的にこの世で存在しているにすぎない。
だがディスペルもまた術者によって制御された術。ディスペルによる残存魔力はしばらくだがその空間に残る。
大規模戦闘において、互いの術を打ち消し合い続けることによって不安定な残存魔力が生まれ、術者の思惑を外れ規模や効果が大きく変化する事も珍しい話では無い。
「ふむ。戦いにおいて不確定要素になる残存魔力を残さないのは大きいな。しかも通常のディスペルでは、術のレベルと規模に比例して、かき消すための消費魔力が膨大になるが、こっちの方が少なくてすみそうだな」
「いや、少ないどころの話じゃ無くて、こいつは特性。魔力は一切いらねぇって話だ」
「魔術師の天敵みたいな能力ね。にわかには信じがたいんですけど、ウィーさんほんとですか?」
「んー……」
ルディアに尋ねられたウィーは新しいパンを口に加え、しばらく三人の顔を見回す。
その眼には先ほどまでの愛嬌のいいのんびりとした色が消え、野生の虎が獲物を値踏みするかのような鋭さが顔を覗かせる。
思わず腰が引けそうになる二人と、その目の色に戦闘意欲が刺激され腰のナイフに手を伸ばす戦闘馬鹿一人。
緊迫した空気が生まれそうになるが、
「病み上がりだからやらないって、とくに君。君とはじゃれ合うだけでも命がけになりそうだから面倒だしねぇ」
ふにゃっと力を抜いたウィーは、テーブルに身体を預けた非警戒態勢をみせる。生殺与奪好きにしてくれと言わんばかりだ。
「なんだつまらん。では何故先ほどあのような態度を見せた。ぬか喜びをさせるな」
無抵抗の相手を斬っても面白くも何ともない。
新しいオモチャを目の前で取り上げられた子供のように、ふて腐れたケイスが頬を膨らませる。
態度だけ見れば子供その物だが、今にも斬りかかってきそうな物騒な気配を醸し出している。
「んとね、ボクの場合は、技師さんの話のもう一つ先があるんだよ。見せた方が早いかな。薬師さん。ルディさんだっけ。火球を作ってもらえるかな?」
ケイスの殺気を面倒そうに受け流してテーブルに身を預けだらっとした体勢のまま、ウィーは右手の人差し指だけ伸ばして振ってみせる。
どうやら指先に火球を乗せてくれと要望しているようだ。
獣人族は闘気生成、操作に長けた種族で、逆に魔力生成や魔術を先天的に不得意とする。
しかし火球のような基本低位魔術程度なら、消費魔力も操作難度も種族特性を無視出来るレベルの簡単な物。
火球を生み出せないのは、それこそケイスのように魔力その物を生み出せない変換障害者くらいだ。
「ルディアよ。ケイスが勝手に一文字だけ略してるだけだから。はいこれで良い?」
いくつかの疑問は浮かんだが、それを確かめるよりも実際に見た方が早い。
薬師らしい合理的な思考にしたがい、ルディアは簡易詠唱を唱えながら印を作り、林檎ほどの火球を生み出す。
「ほいっと。では種も仕掛けもございませんと」
渡された火球を人差し指の先端で受け取ったウィーはクルクルと回し始める。
回転に合わせてほんのりと熱い熱を放っていた火球は、徐々に小さくしぼんでいく。
米粒ほどの大きさになって消え去ると思った瞬間、一気に膨張して大きくなっていく。だがウィーの指先に生まれたのは土の塊。
それは火球と同じく初級魔術に属する土球だ。
「はっ!? おい属性変化か!? 魔力無しでだと!? ルディア何か仕掛けたか!?」
「普通に作っただけよ。なにこれ……」
魔導技師の常識としてあり得ない現象に、ウォーギンは驚きの声をあげ、光球を作ったルディアは唖然とする。
既に作られた術の属性を、後から変化させるにしても、先に仕込んでおくにしても、高度な技術と手間が掛かると相場が決まっている。
こんな指で回した程度で簡単に変わるなら、魔導技師は全員職を失ってしまうほどの異常。だがウィーが見せる変化はこれに留まらない。
さらに指で回していくと土球が割れ、その中から尖った金属片がいくつか姿を現す。
中途半端な作りかけのような形。ケイスはそれがなにか気づき、そしてこの術が何かを察する。
「ん。武具生成のなり損ないか。となると次は水球で、最後に樹木生成か?」
剣士であり、元魔術師であるからこそケイスは、ウィーの行った事が何か察していた。
ケイスが予言したとおり、金属が溶けて水に変わり、飴玉ほどの小さな水球が指先に生まれ変わる。
だが変化はそこまでで、すぐに蒸発するように水は消失していった。
「いあ、さすがに完走は無理か。でもほんと君ってすごいね。少しはこっちの二人みたいに驚こうよ」
「驚いているぞ。五行いや八卦か? 少なくとも今の術式にそった物では無い。古い術様式だな。変換の度に術が小さくなっていたのは、魔力を失っているからか?」
「そーだね。ボクはどうすればなるかは判るけど、詳しく知らないから、これ以上上手くやるのはむずかしいけどね」
「ふむ。変換時に無駄が多いのかもしれんな。もっと基本的なことを学べば、変換効率を跳ね上げられるやもしれん。ん~少し時間ができたら私が教えてやろう」
「ケイス。こっちを放置して一人で納得してるな。っていうか教えるってお前」
放っておくと勝手に話を進めてしまうケイスに対して、ウォーギンがさすがに止めに入り、詳しい説明を求めた。
「変換原理は私もよく判らん。判ったのは変換の理屈だけだぞ。東方王国時代の魔術思想の1つで五行という物だ。簡単に言えば火が灰となり……」
火は灰を生み、灰が土となる。
土は、金(金属)を生みだす。
金は、結露し水を産み出す。
水は、木を育て成長させる。
木は、火を産み出す。
「ん。巡り巡って何かを産み出す。これが五行相生という理屈だ。他にも打ち消す相克やら、重ねる比和やら、逆転する相侮、過ぎる相乗という理屈があると言っていたな。ウィーのやって見せたのは五行相生に基づいた魔術変化理論の一種であろう」
紙に書いたそれぞれの文字を矢印で結びながら、ケイスは相関関係を書き記していく。
火>土>金>水>木>火。ケイスの書き記した文字の並びは、途中までではあるが確かにウィーが見せたものと同じ並びとなっている。
「お前これの知識はどこで手に入れた。東方時代の魔術理論書はそこまで残ってないのに、言っていたって誰がだ」
「ん。ちょっと前に知り合った東方王国時代の霊魂に教えてもらった」
自分の言っている事がどれだけ異常なのか判っているとは思えないケイスに、ルディアは自作頭痛薬をとりだし口の中に放り込む。
薬効を高め苦くなりすぎてとても売り物にはならないが、これになれてしまったルディアはボリボリとかみ砕き、水も無しで飲み込む。
「ケイス……あんたの事だから嘘は言ってないと思うけど、どういう状況でどうしてそうなるのよ。ほんと」
「たまたまだな。見せてもらった剣技などは私の糧となるが、魔術知識はどうしようかと思っていたところだった。今の魔術理論と違いすぎて、ルディやウォーギンに教えても扱いにくそうだったので丁度いいな」
「いやー君たちボクの正体を気にするより、この子のほうを気にした方が良くない?」
「諦めたわよ」「気にするだけ無駄だ」
ウィーのもっともな提案に対して、同意はするが、とっくにその段階は過ぎた二人はそれぞれの言葉で返した。
ケイスに関しては、過去も存在も、さらにはその思考回路も含めて謎が多すぎるのでまともに相手にしても疲れるだけ。
ケイスのやることなすことは、ある意味の自然現象だと思ってしまった方が、まだ楽だ。
「ふん。人の事が言えるか。魔術の苦手な獣人がこれだけのことをやれる。しかも伝承にも謳われ、特性だとウォーギンが言っていたな。お前の父母も使えたのではないか。つまりはお前の子にも継がせられる可能性があるのではないか」
魔術は獣人族にとって弱点。それは紛れも無い事実であり、そしてよく知られた特性。
だがウィーの持つ力は、それを軽々と覆す。むしろ知識次第では魔術を得意とする事も難しくない。
目立つ毛色に、それ以上に有名となりそうな種族特性。なのに白虎と呼ばれる種族の名は、調べなければ出てこない。
これらを加味して考えれば、知られていないのでは無く、意図的に隠されていると考えた方が自然だ。そして隠していたのは……
「そう考える人が多いんだよね。でも技師さんもいったけど珍しすぎて、ほとんど生まれないんだけどね。ボクが20年ぶりくらいに生まれた白虎だったし」
「……ウィーさんの出身地を領土とする有力獣人種族が、痩せた土地だというのに離れないのはその力の為ですか?」
自分達が力を独占するために、ウィー達一族を閉じ込めているのではないか。そんな嫌な想像が過ぎり、ルディアは多少遠回しに確認する。
もしそうであれば、あのような魔具でウィーが正体を隠そうとしていた理由も納得できるものだ。
「あー心配してくれてありがと。でもちょっと違うかな。ボクのご先祖様が暗黒時代初期に、いくつかの獣人種族を保護してたからその頃からのお付き合いだよ」
ウィーの説明では当時はまだ数のいた白虎族は龍の魔術攻撃さえも何度も退け、里やその周辺を死守し、逃げ込んできた周囲の種族も同胞として受け入れていたらしい。
だが度重なる激戦で純血の白虎族は数を減らし、それを補うために逃げ込んでいた他族との混血も進んだが、世代を重ねるごとに白虎として生まれる子は激減していったらしい。
だからあの地域では白い子が生まれると、神子扱いでそれはそれは丁寧に育てられるとの事だ。
「ご先祖に種族を助けられたからって、今も律儀に残って良くしてくれてるんだよね。どちらかって言うと、世話焼きな過保護な親戚のお爺ちゃん、お婆ちゃんて感じ……各種族が」
嫌っているわけではなさそうだが、少しウンザリしているのか、ウィーが苦笑いを浮かべる。
「隠そうとするのも当然だ。これだけのレア特性で、しかも変換まで可能。倫理観無視で技術者的に発想するなら、人体実験をやらかそうが、どれだけ不利益をこうむろうが、再現ができたら釣りが来る」
「そんなにか?」
「おう。だからこそこりゃ下手に残せねぇな。ルディア、後で燃やしといてくれるか」
頭を掻きながらウォーギンは自分が書いていたメモを、全てゴミ箱に捨てていく。
魔具を見て自分が推測ができたのだ。ウィーの魔具について書いたメモを見て、他の誰かがウィーの存在や能力に気づかないという保証は無い。
「はいはい。ケイスあんたも人前で喋らないようにね。ウィーさんにも私達にも迷惑が掛かるから」
「うむ。わかっている」
ルディアが口蓋禁止を促すと、ケイスは即断で頷く。
「……自分でいうのもアレだけど、ボクの情報ってお金になるでしょ。売るつもりは無いの?」
口外する気は無いというケイス達を見ながら、ウィーは尋ねた。
「真っ当な魔導技師としての道に外れたら、死んだ師匠に会わせる顔がねえからな」
「お金より平穏だって、ケイスで厭になるほど判っているからです」
「私達を信頼して、属性変化まで話したのであろう。ならばその信頼に応えるのは当然だ」
三人を見回したウィーは心底のんびりとした表情を浮かべる。
これがうわべだけなのか、それとも本心なのかは、その目を見れば判る。
「君たち本当に変わってるね……だからこそ話したんだけどね。ちょっと協力して貰いたい事があったから」
「協力? ふむ。私はウィーが気に入った。私達が出来る事なら手伝ってやろう。だから後で手合わせしろ」
「あんた勝手に約束しないでよ……もう巻き込まれているから、犯罪行為でなければ協力はするけど」
「交換条件で魔具の修理をやらせてくれるならな。ありゃ古さもあるが、あんた拡散特性の所為だろ。過剰なほどに解呪対策してあったが、一部が劣化してシーリングが切れてた。その部分の魔力導線が解除されたのが原因だろうな。いろいろいじくる余地があって面白そうだ」
ケイスは手合わせを望み、ルディアは面倒見の良さ故、そしてウォーギンは魔具をいじれるなら何でも。
三者三様の答えは、纏まりの無さを如実に現しているが、まだ中身を聞いていないのに、既に頼みを聞くつもりなのは変わらないようだ。
「ありがと……あーボクね、ちょっと訳あって探索者になるつもりなんだ。ただこの見た目でしょ。何とか目立たないように協力してもらいたいんだよね」
尻尾をゆっくりと揺らしながら、ウィーは髪型を変えるのを手伝ってくれないかとでもいう軽いトーンで、依頼を口にした。