コポコポと小さな音をたてながら沸くフラスコの液体の色を確認しながら、ルディアは細かくすりつぶしておいた薬石を、少しずつ、少しずつ混ぜていく。
薄い青みがかったサラサラとした液体が、薬石の粉が加わるごとにそれを核として、徐々に赤みを帯びながら結晶化していく。
本来ならばそこで火を止め、後は自然冷却し完全に固形化させるのだが、ルディアはあえて定石を外し、別に用意していた木炭と薬草を練り合わせた濁り水を、スポイトで吸い取ると、冷水に突っ込み温度を急速に下げながら一滴ずつ、慎重に加えていく。
ドロリとした粘度の高い状態になったところで引き上げ完成。
基本的な効果を得るだけならばレシピ通りに混ぜ、定石をはみ出す必要は無い。今回の処置は薬効は少し下がるが、吸収性あげて即効性を重視した派生レシピの1つだ。
「できたわよケイス。即効性の体力回復薬だから、大分マシになるわよ」
瓶に触れてみて、直接飲める程度まで温度が下がったのを確認したルディアは、疲れ果てて工房のテーブルへと突っ伏したケイスへと声をかける。
店主であるフォーリアが作った方が効果の高い薬ができるのだが、ケイスはルディアの友人であるし、派生レシピのいい練習にもなるからとルディアが任されていた。
「すまん。た、たすかる」
よたよたと痙攣を起こして震える手で身を起こしたケイスは、何とかフラスコを受け取る。
大怪我前は、並の成人男性を軽く凌駕する膂力を誇ったケイスも、闘気強化が使え無ければ、見た目通りの華奢な美少女。
それで自分が弱くなったからと自重すればまだ良いが、ケイスの本質は一切変化無し。
道ばたで行き倒れた見知らぬ旅人を、一人で店まで何とか引きずってきたはいいが、自分も体力を使い果たしてダウンする辺り、かなり厄介で物騒な性格のわりにお人好しなケイスらしいといえばらしい行動だ。
「…………に、苦いぞルディ」
中身を禄に確認もせず一気に飲み干したケイスだったが、あまりの苦さに涙目になって恨みがましい目をルディアへ向ける。
即効性は良いが、やたらと苦くなり、お世辞にも美味いといえる物では無くなるが、後先を考えない”馬鹿”にはそれこそ良い薬だ。
「あんたね。犬猫じゃないんだから、気軽にほいほい拾ってくんじゃないわよ。しかも厄介そうなのを」
ケイスの抗議の視線は無視し飲み干したフラスコを受け取りながら、行き倒れを拾ってくるにしても、もう少しマシなのにしておけと、あきれ顔でルディアは忠告する。
ただの行き倒れならまだ良いが、今回ケイスが連れてきた人物の第一印象は、怪しいのひと言だ。
本人は意識不明らしく、こちらからの呼びかけに返事は無し。
全身を覆った旅外套は四肢所か顔まで覆った特殊な物で、身元を確認出来るような持ち物は探れるところには見当たらず、その風体さえ確認出来ない。
倒れた原因が毒の類いかと疑い、解析魔法陣を使おうとするが、外套が魔具の一種、それも玄人のウォーギンからみても相当高度な品らしく、一種の結界となっており、内部への干渉ができず、逆に中の物も外に出さない特殊仕様。
その外套を脱がそうにも、魔術鍵が掛かっていて、普通に脱がすことは不可能な上に、見た目では判りづらいが一見厚手の布の内部には金属も織り込んであり、生半可な刃物を通さない防刃仕様。
そんな怪しいというしかない件の人物の外套を脱がそうと、隣室でウォーギンが解錠を行っており、もし着用者が毒だったり感染型の病気に感染していた場合に備えてサポートにフォーリアがついているが、自他共に認める天才であるウォーギンですら中々苦労しているようだ。
明らかに普通の旅人ではない装備と状況に、すでに厄介な予感がひしひしとするのだが、元凶のケイスといえば、
「何をいう。誰であろうと目の前で倒れている者を放っておけるか。それにルディだって、身元不詳であろうが、倒れている者を助けるであろう。何せ私を助けたくらいだからな」
怠そうな顔を上げながらも、助けるのは当然だといつも通りの反応だ。
怪しさでは自分も負けないという自覚はさすがにあるようだが、ケイスを助けはしたが、それはリトラセ砂漠でのことで、ケイス的には初めて出会ったのは、ロウガのはずではないのか。
「…………」
そんな突っ込みが心に浮かぶが、あえて無視する。
疲れて頭が動いていない所為もあるだろうが、それ以前にバカ正直というか、根が素直というか、兎にも角にもケイスは嘘をつくには致命的に向いていない。
さらに心理的障壁が下がる親しい友人のルディア相手となればなおさらだ。
墓穴を掘っている自覚もない上に、やたら厄介事に首を突っ込む危なっかしい性格には危惧さえ覚えるが、言ったところで筋金入りの頑固さを持つケイスが鑑みるわけもない。
「ん……よし。少しは動けるようになった。倒れた者が心配だ見に行くぞ」
「はいはい。付き合うわよ」
ケイスと友人付き合いを続ける以上、多かれ少なかれ巻き込まれるのは必至。面倒事を避けるなら、縁を切るという選択もあるが、それができない段階で自分の負けだ。
心の中で白旗を揚げたルディアは、まだ足元がおぼつかないケイスの腕を支えて、隣室へとつきそう。
隣室は、薬を扱う薬師工房の常として、様々な症例にすぐに対応ができるように簡易的な治療も可能な診察室になっており、ベットが2床設置されている。
窓際のベットには外套の不審人物が寝かされ、その横でウォーギンが外套へとペンを使い魔法陣を書き記している。
一方で店主のフォーリアは万が一に備えてか、ベットを取り囲むように設置された隔離用結界を展開する準備をしているところだった。
「おんや、ケイスお嬢ちゃんもう大丈夫なのかい?」
ついさっきまで疲労困憊でまともに動けもしなかったケイスが、ルディアの手を借りているとはいえもう動けている事に、フォーリアは少し驚いているが、
「うむ。フォーリア殿のレシピと、ルディの腕がよいからな。だいぶ楽になったぞ。礼を言う。ありがとうだ」
「あんたの場合、すぐに動ける理由は主に気力でしょうが……ウォーギンどう調子は?」
怪我をしてようが、我慢して気合いで動くタイプなのを熟知しているルディアが、無意味な無理をさせないようにケイスを部屋の椅子に座らせてから、楽しげな表情を浮かべるウォーギンに進捗具合を尋ねる。
「中々難物だが見えてきたな。着用者の気配や魔力を外に逃がさないことに特化したワンオフ品ぽいぞ。要は着る気配遮断結界だな。相当古い代物だが、効果は相当だ」
「誰かに無理矢理に着せられたとかはないのか。人さらいが喜びそうな機能だな」
「いやそりゃ無いだろ。こいつは着用者の意思次第で着脱可能な構造をしてる。どうやら内部の術式一部が何らかの原因で破損して、こいつを脱げなくなってるだけっぽいな」
懸念を浮かべるケイスの問いかけに、ウォーギンは手を休めることなく首を振る事で答える。
外からの魔力探査を弾く魔具外套に対して、どうやってそこまで調べたのかはわからないが、自分が信頼する、魔導技師の判断だ。ならばケイス的には信頼し受け入れるだけだ。
「うむ。脱がしてやれそうか? この暑さの中で、その分厚く重い外套では私でもまいるぞ」
背負ってというか、背負いきれずに足を引きずるようにここまでこの人物を担いできたが、かなり重くさらに背中越しに焼けるように熱くなっていたのを思い出したのか、ケイスが懸念の表情を浮かべる。
「もうちょっと待ってろ。かなり複雑だから無理矢理に解くと余計に取れなくなる可能性もあるから、元々の解錠効果のほうを一時的に使えるように陣を再構築してる。繋がればすぐに解ける」
魔具のことは魔具のプロに任せておけば問題無い。なら次はルディア達の出番だ。
「暑気あたりって可能性がありそうね。フォーリアさん。薬はどうしますか?」
外の状況や外套越しに触っても判る熱さから、一番可能性が高そうな症例に当たりをつけたルディアは、フォーリアの判断を仰ぐ。
熱でやられたと軽く見ることは出来無い。場合によっては、障害が残ったり、命に関わるからだ。
診断は後でするとしても、準備だけはするべきだろうかと問うルディアに、遮断結界を稼働させたフォーリアは、寝かされた旅人の全身をゆっくりと見てから、
「そうさね。ギン坊が脱がしてから判断だね。この恰好じゃ旅人さんの性別はおろか種族さえ判らんからね。一応氷とよく冷えた飲み物だけは用意しておこうかね」
徹底的に着用者の身元を隠す仕様にでもなっているのか、織り込まれた金属が一定の形を常に維持しているので、外套越しからはその身長以外の体格さえも察することが出来無い。
トランド大陸には、人種、獣人種、鳥人種、魔族種など様々な種族がすむ。中でもとりわけ国際交易都市であるロウガには様々な人種、種族が訪れる。
それぞれの種族に適した薬効や必要量があるのだから、今の時点でもっとも確実なのは身体を冷やして、水分をとらせることだ。
「飲料用に使える氷も作ってくるから、ルディアちゃんこっちは頼むよ」
「はい。お願いします。すみません。今度氷の作り方を覚えておきます」
一年中氷点下を下回る最北の極寒の大陸出身のルディアからすれば、熱中症など別世界の話。
さらに雪や氷はそこらに無数にあるので、魔術でわざわざ作る物でないという意識があってか、正規な術は未だに習得しておらず、ただ水を凍らせるだけならともかく、衛生的に合格点な医療用の氷となると話は別だ。
しかし薬師との兼業とはいえ一応魔術師でもあるので、今更基本中の基本を誰かに習うのが少し気恥ずかしいというのも、ここまで習得していない理由の1つではある。
「なんだ氷生成程度なら私が術式や印を教えてやるぞ。天才の私が教えてやるのだ、ルディならすぐにできるであろう」
「……だからあんたはなんで魔力が使えないのに、そう魔術に詳しいのよほんと」
「当然だ。どのように些細なことでも、使えない知識であろうとも、知っているのと、知らずでは、戦闘の際に差が出る。氷系の魔術を知らずに氷盾で塞がれたら、斬るのに苦労するであろう」
魔力変換障害で魔術を一切使えないというわりに、そこらの魔術師よりも深く広い魔術知識を持つことも、ケイスの怪しさを深める要因の1つだが、天才を自称するケイスは胸を張って、斬るためだという、いつも通りの答えを返すだけだ。
一事が万事、斬る事に特化した物騒な戦闘狂がそう言う上に、これ以上追求してもどうせ下手にはぐらかして誤魔化すだけ。
ケイスが知る魔術知識は、自分よりも深くさらに広いとルディアは確信していた。
「あんたの時間がある時でね。お茶でもしながら教えてもらうわよ」
怪しい事この上ないが、ケイスの真意を疑うレベルはとうの昔に飛び越している。
本当に親切心で教えようとしているだけだと判っている。
それにケイスが一度教えると言った以上、絶対に、無理矢理にでもレクチャーしてくるのは目に見えている。逆らうだけ無駄。なら素直に教わるべきだとルディアは諦めた。
「っと、こんなもんだろ。動かしゃすぐ解けるぞ」
黙々と手を動かしていたウォーギンが満足げに息を吐くと共に、作業を終える。
外套の固く絞められた腰ベルトのバックルには、ほのかに光を放つ極小で精巧な魔法陣が描き出されていた。
この短時間で描いたとは思えないほど細かい物だが、そこは魔導技術に関してはケイスの剣技と同レベルの天才の技巧の仕事だ。
フォーリアはまだ戻っていないが、外部と隔離する遮断結界はちゃんと稼働している。先に開放してやった方が良いだろう。
「了解。遮断結界外に一応離れておいて。ケイス開けていいわね?」
ウォーギンがベットの横に下がったのを見てから、ルディアはケイスに確認する。わざわざケイスに確認しなくてもいい気はするが、拾ってきたのは、この生粋のトラブルメーカーだ。
「ふむ。良いぞ。ウォーギン開けてくれ」
偉そうに頷き返したケイスは椅子から立ち上がると、ほぼ無意識だろうがルディアの前に立った。
何かあったときにルディアを守ろうとする意識の表れだろうか。
それとも腰のナイフに手をかけているので、何かあったときには斬るためだろうか。
どちらかは判らないが、最低限の警戒態勢に入ったケイスや、あきらめ顔のルディアを確認したウォーギンが小さく詠唱を唱えて、待機状態だった魔法陣を稼働させる。
バックルの上に描かれた魔法陣の光が強まり、中に描かれた紋様や数字がぐにゃりと曲がり点になったかと思うと、さらに無数の線となって、外套全体へと広がっていく。損傷し解錠不可能になった内部の魔法陣の上に魔力の流れを導き、内部の欠損部分を外部から補う動作をさせているようだ。
数秒ほどで全身を覆った魔法陣だがすぐに光が消失すると、先ほどまでつなぎ目さえなかった外套のあちらこちらに線が走り、その形を変えていく。
まるで拘束着のように動きにくそうにみえた外套だった物は、その一瞬で四肢や胸部をガードする動きやすそうな軽鎧へと変貌を遂げていた。
だがそれ以上に驚くべきは、その着用者だ。
「……ん。女性の獣人か。珍しいな純粋な白毛だぞ」
大抵の事には何時も超然としているケイスが珍しく驚きを含んだ声を上げる。
外套の下から姿を現したのは、真っ白な体毛で全身を覆われた虎の女性獣人だった。