昼休憩に入ったフォーリア工房。
扉に休憩中の札が掲げた店内では、店主のフォーリアとアルバイトのルディア。
そしてただ飯目当て、もとい、あまり聞きたくない情報をもって来たウォーギンが卓を囲んで食後の茶を飲んでいた。
「いくら何でもこの値上げは横暴すぎない?」
テーブルの上の紙に書かれた、何度見ても変わらない数字にルディアは腹立たしさを覚えながらぼやく。
その書類に書かれていたのは、年に一回で更新される工房街上下水道共益費値上げの通達。
元々製造過程で水を多く使うこともあるが、有毒な動植物を用いる薬師工房では廃水処理はそれ以上に厳重におこなわなければならない。
普通の街では、工房それぞれで処理施設を設けるのが当たり前だが、徹底的に壊滅したことにより、一から計画的に再建された街であるロウガでは、それぞれの業種ごとに集まった工房街が形成されて、廃水や廃棄物をまとめて処理される大規模施設が整備されている。
その気になれば入居した初日からすぐに工房で作業が行えるほどに、環境が整っており、自前で処理施設を用意するよりも、金も手間もかからずすむので大きなメリットだが、その代償として安くない共益費がかかるのは致し方ない話。
しかしその工房街共益費が、年明けの更新時よりも約五倍に上がっているとなれば話は別だ。
その対象は薬師工房だけで無く、全ての工房街で同様の値上げがおこなわれる事になっている。
これが嫌がらせやデマの類いの情報ならまだ救いがあるが、管理協会ロウガ支部、ロウガ上下水道管理局、さらにはロウガのギルドの寄り合い機関である広域ギルド連合の印がしっかりと捺印されている正式書類。
そして書類末尾には今回の値上げに対して、期日までに未払い、もしくは支払い拒否した場合は、来期以降の工房設営認可が取り消しとなる旨まで書かれている。
「中央広場の騒ぎで地下水道に多数の瓦礫が流れ込んで、新市街地浄化施設中枢が大きく損傷。その復旧費用と、その間の仮処理にバカ高い金がかかってるって話だ。この値上げも修理が終わるまでの間だけって話で、ちゃんとした名目ありじゃ、しょうが無いだろ」
ロウガ育ちで、支部内にもいろいろ伝手があり、正式伝達前に聞き及んだ情報を持ってきたウォーギンは、薬茶で喉を潤しながら、皮肉気な顔でどうしようもないと答える。
「だけどこれ新市街だけじゃなくて、旧市街も含まれてるわよ。あっちの工房やらギルドが納得するわけないでしょ」
「旧市街のほうは旧市街のほうで問題ありだ。あそこの地下水道にやばい数いたはずの怨霊が何故か一柱も残らず消え去った。それはいいが怨霊が消えた影響で、今まで憑き殺されていた小型モンスターが異常増殖して、その駆除やら対策で若手探索者を大幅増員中。こっちの方はいつ総数が減少するか不明だから、下手すりゃ沈静化まで新市街より長引くそうだ。だから俺が借りていた工房も次の契約更新は無理だな」
伝手があり格安だからこそ金欠の自分でも借りていられたが、この金額では無理だとウォーギンは両手を挙げて降参してみせる。
元々魔導技師ギルドの一部から目をつけられているので、まともに仕事などなく、ほぼ自己満足な研究をしていただけのウォーギンはさばさばとした態度だ。
「なんでそんな厄介ごとが立て続けに起きてるのよ。まさかそっちもケイス絡みじゃないでしょうね?」
中央広場のほうの騒ぎの元凶は公式には未だ不明だが、思い当たる節がありすぎるのでルディアはあまり考えないようにしている。
しかし旧市街のほうは初耳。だが生粋のトラブルメーカな化け物娘の事。どこで関わっているか判らない。
「さあな? で、リズン婆ちゃんはどうするよ? さすがに今の営業状態じゃこの値上げはきついだろ」
「そうさね。私はとっくに引退してもいい歳だったから、長年のお得意さんには悪いけど、これを機会に次の更新はしないで店をたたむしかないかもね」
九十過ぎてもなお現役。薬師工房街で一番の古株である店主フォーリア・リズンは、目を細めながら値上がり金額から営業益を軽く計算し、すぐに無理が出ると判断したのか残念そうに息を吐いた。
評判は良くとも歳の所為もあって細々と続けているリズン工房では、値上げに対応するほどの増産は難しく、かといって安易に値上げできる訳も無い。
ロウガは探索者の街であると同時に国際貿易港。
もしこの街の工房が一斉に値上げしたとしても、売れるのは最初だけだ。すぐに目端の利く商人が、別の街から安価な同商品を大量に仕入れてくるに決まっている。
その老齢も考えれば、店主のフォーリアが店を閉めるという選択を選ぶのも無理が無いと判ってしまうルディア達も、簡単に引き留める事も出来無い。
「この街のお偉方はなに考えてるのよ。ロウガの工房街が壊滅したら元も子も無いでしょ」
「壊滅まで行かなくとも多少は潰すのが狙いかもしれんってのが、この情報を回してきたツレの話だ。ご多分に漏れず派閥争いが原因だな。ロウガの工房街は主流派が幅を利かせているが、この間の事件で要のシドウにケチがついただろ。それで勢いづいてる新興勢力にとっちゃ今回の件はそう悪い話じゃない」
取水制限や処理機能の限界もあり、それぞれの工房街で開業できる数は一定数で決まっており、今ある工房が廃業でもしない限りはそう易々と新しい営業権は取得が出来無い。
しかし空きを作るには、些か乱暴すぎる話だ。
「二枚目を見てみろ。特別免責条項ってのが設けられるみたいだ」
一枚目のインパクトが強すぎてそこで止まっていたルディアが、ウォーギンに促され捲ってみると、始まりの宮を踏破し探索者となった三期までの若手探索者が、新規で開業する場合に限り、若手育生のため管理協会から補助金が支給され、実質そのままの料金で利用可能と表記されていた。
若手育生のためと云えば聞こえはいいが、探索者となったばかりの若者が工房を開こうにも、実家が資産家などの一部の例外を除き初期資金が心許ない。
既存の工房も一時的に運転資金枯渇する可能性も考えられるので、ギルドや金貸しから借りるということになるだろう。
借り手と貸し手という。強固な繋がりというか縛りが生まれて来るのは自然の理だ。
そしてその縛りこそが、ロウガの街に楔を打ち込みたい新興勢力の狙いだと、ウォーギンの呆れ気味の目は言外に語っていた。
「……これって勢力争いが加熱しない? よく主流派がこれを許したわね」
「それだけの弱みなんだろ。この間の件が。もちろん主流派だって負けちゃ無い。自分の所の手飼いが探索者になればいいんだから、見所のあるやつを見繕って送り込むだろうよ。前期はあの事件でケチがついて辞退者が出ている分、今期にその分も回るって予想もあるから、探索者志望が相当に増えそうだって話だ」
「今期の志望者に2つの派閥が生まれるってことでしょ。それ……あぁもうただでさえいろいろと厄介なのがいるのに、どうなるのよ今期は。あの馬鹿は今の力でも突っ込む気満々だってのに」
ロウガ王女サナ・ロウガと、本人は知らずとも前期の騒ぎの中心にいたセイジ・シドウ。
この二人がパーティを組み今期の始まりの宮に挑むのは既に既定路線として大衆にも知られており、始まりの宮をもっとも短時間で踏破する最優秀パーティ候補筆頭として本命視されている。
この二人が主流派の本命となるのは容易く予想できる。新興勢力側も対抗する為に優れた人材を送り込んでくるのは自明の理。
下手すれば始まりの宮内で、両勢力がぶつかり合う可能性だって否定しきれない。
火種となりかねないそこに、一部の人間しかまだ存在は知らないが、いくら力を失おうが根っこは変わらないケイスが絡むのだ。どのような予想外の事態が引き起こされるか……
「なんで薬師のあたしが、自分の為に毎日胃薬を調合する羽目になってるのよ」
積み重なる心労に比例して消費が増えて、胃薬作りが最近のルディアの日課になっている。
闘気変換が出来無くなり、化け物じみた力も回復能力も失っているのだから自重し、復調するまでは療養に専念しろとは思うが、ケイスがそんな提案を受け入れるわけが無い。
言うだけ、心配するだけ無駄だとも判ってはいるのだが、そう単純に割り切れないのがルディアの人の良さ、もしくは苦労性というべき美点であり欠点だろう。
「でもこの条件なら、いっその事ルディアちゃんが探索者になってあたしの店を継がないかい? ルディアちゃんが引き継いでくれるなら、私も安心して引退できるんだがね」
「無茶言わないでください。一応護身程度に魔術は使えますけど、モンスター相手の戦闘なんてからっきしです」
フォーリアのいきなりの提案に、ルディアは首を横に振って即否定する。
野草を摘みに野山に踏みいることもあるので野生動物対策で、多少の攻撃魔術も使えるが、ルディアの本分はあくまで薬師。
本格的なモンスター相手となれば逃げるだけで精一杯だ。
「そういう手もありか。いっその事そんだけ心配するならケイスと組んで、始まりの宮に挑んじまえ。あいつなら何があろうとも絶対にルディアを守ろうとすんだろ」
「ウォーギン……面白がらないでよ。あたしじゃあの子の足手まといになるだけよ。あの馬鹿は自分が大怪我してでも、あたし達を守ろうとするのは知ってるでしょ」
「やることなすこと無茶苦茶なくせに、義理堅いつーか、妙なところで真面目すぎるからなケイスの奴。力のある自分が弱い誰かを守るのは当然だ云々って」
「ケイスのは時代錯誤とかヒロイズムに走りすぎっていうのよ。あのこの前で変なこと言い出さないでよ。本気にするんだから」
「あいよ。義理堅いで思い出したが、そういや薬代代わりだつって、今日もバイト先でもらった材料を持ってくるんだろリズン婆ちゃん?」
「お代はフォールセン様に頂いているけど、お嬢ちゃんはそれは自分の物じゃないから、感謝の気持ちが込められないっていっとるねぇ」
大怪我だけでなく気血榮衛の経絡が著しく損傷したケイスの治療には、フォーリア特製の薬が用いられていた。
その薬代はケイスの後見人となったフォールセンが既に支払っているのだが、それに納得しないのが他ならないケイスだ。
フォールセンにいつかは返金するのはもちろんのこととして、それとは別口で自分の感謝の気持ちを示そうと、アルバイト先である屠畜工房から、正規品としては使えない材料をもらい、フォーリアの工房に持ち込むのが日課になっていた。
「気を使うのいいけど、規格外だから、大きさにばらつきがあって、癖があったりして処理に余計な一手間かかるって理解してくれれば助かるけどね」
「そこら辺の気づかいをケイスに求めるだけ無駄だな。あいつ自己中心で基本的に人に気を使うってのが出来無い自己満足で、こっちがいくら心配しようとも、まず自分の考え最優先だろ」
「あたし達、よくそれで友達づきあい続けてるわね……そろそろケイスが来る時間ね。ともかくしばらくこの情報は隠しといて。それこそあの子がこれ見たらどう判断するか読めないんだから」
「隠すつってもな。先に情報を回して貰いはしたが、どうせ今日の昼すぎには正式発表されるって話なんだがな」
「それでもよ。心労が1分でも減る方がありがたいんだから。それに少なくとも今年中は営業できるんだから、そのうちにいい解決策ができるかも知れないでしょ」
嵐が来る事にはもう諦めがついているが、それならばせめて到来するまでの、短い平穏を祈るしかルディアには出来る事は無かった。
「ん……」
フォーリア工房へと向かう道の途上も、またケイスにとっては良い鍛錬になる。
ロウガ市内を行き交う大勢の人。ケイスは周囲へと常に意識を向けながら雑踏の中をゆったりとした足取りで進んでいく。
何十、何百も重なる足音や話し声。
すれ違う民衆の中には数多くの探索者達がおり、血気盛んな気配を隠そうともしない若手探索者や、人混みに紛れているが、その足運びからただ者ではないと窺わせる強者等、強さも様々だ。
交差する路地や、路地裏に積まれた木箱。庇を支える柱や、切り崩しやすそうな古い石壁、今のケイスにとってはそれもまた意識を向ける対象の1つ。
道の両脇店舗に目を向けてみれば、軒先でくだらない雑談を交わす者達や、オープンカフェで今話題の迷宮について情報を交わすパーティなど多種多様な、情報が行き交う。
ケイスは自分が知覚、視覚出来るその雑多な情報を全て自分の中に取り込み、思考へと組み込もうとする。
はっきり言ってしまえば、その行為は無駄も良いところだ。
これほどの人数の中で、顔を隠し奇行も見せないケイスに注視する者などほぼ皆無。
帽子を被りその隙間から包帯をちらりと覗かせるケイスを、すれ違うときに一瞬見るだけだが、すぐに興味を無くしていくのが精々。
道は変わらずとも、商店脇に置かれた木箱などは、その日のうちにどこかにやられて、覚えていた配置とすぐ変わってしまう。
周囲で交わされる会話も、今のケイスでは聞き取れるのは、大声で話している者達の、デリカシーと機密性が皆無な会話くらいだ。
無駄に気を張り、無駄な情報をただ集めるだけの愚行を、ただケイスは地味に、地道に積み上げていく。
例え愚かと笑われようが、全ては自己強化のため。だがこれは常に周囲に気を張り、異常や、自分への注視を感じ取るという事ではない。
今この一瞬。この場にいる何かが、もしくは全てが敵に回った時、自分はどうするか?
ここは戦場であると想定し、ありとあらゆる状況を常に考え、さらにそこに自分の行動を仮定として加えて、状況を作り上げる。
どういう経路を取り、何を斬り、何を味方とするか、戦う為に必要なこと、逃亡するために必要なことを全て手に入れようと、貪欲に周囲の情報を喰らい、この場を全て自分の支配下に置く。
戦場支配。それこそがフォールセン流の真髄と、ケイスは解釈し、その道を進むために鍛錬を続けていた。
万物を己の意の元にひれ伏せさせ、唯一無二の一である自分の剣を、刹那の間であろうとも世界最強の座へと君臨させる。
傲慢不遜にして、傍若無人な、ケイスらしい解釈をしながら、すれ違う人々や、建物を用いて、仮想戦場を組み立て、どうやって斬ろうかと楽しんでいた。
無論、無辜の民衆を斬る趣味はケイスには無いし、むしろ絶対にやりたくない行為。
だがそれは周りが、ケイスにとって無害だからだ。
もし今この瞬間、自分に危害を加えようとする者があれば、もしくはケイスが見逃せない、気にくわない行いがあれば、ケイスは頭の中の行動のままにそれを斬る。
斬ってはならない物から、斬るべき物へ。
その切り替えをケイスは、躊躇も迷いもしない。
斬らねばと思った瞬間には斬っている。
友と思っていた存在が、自分に牙を向ける。
古の迷宮『龍冠』で、数え切れないほどの幼少時の体験故に、条件反射的に染みついた癖や、根源的思考は、ケイスの異常性を跳ね上げる要因となっていた。
殺さなければ殺される。だから殺す。
やがて世界の全てを敵とし荒ぶる龍王となるために生まれてきた故の、異常性と原体験から来る性格形成。
だがケイスの異常性は、そんな神の思惑さえも越える。
ケイスは唯々強さを望む。単純に明快に1つの理論を持って。
殺さなければ殺されるのは、自分が弱いからだ。
ならば相手に殺されないほどに、自分が強くなれば良い。
相手が自分を殺そうとしても、自分が殺さないほどに無力化できるほどの実力を持てば良い。
そうすれば自分が好きな者や、好きな物を斬らなくても、殺さなくてすむ。
例え相手が自分を殺したいほどに憎悪していようが、それはケイスには関係ない。
ケイスが、自分が好きなのだ。だから相手の感情や事情など、この最悪の龍王は一切気にしない。
自分が好きな物を、ただ愛でるだけだ。
そしてケイスが何かを好きになる垣根は恐ろしく低い。
純粋というか単純と言うべきだろうか。
頼ってくれた。
自分に親切にしてくれた。
自分を助けてくれた。
それがどれだけ些細なことであろうとも、自分の琴線に触れただけで、ケイスはその者が好きになり、その為に自分の命を張って守ろうとする。
自分が好きな者を、自分が殺さなくてもすむように強くなる。
誰よりも、何よりも、この世の全てを圧倒的に凌駕するほどに強くなる。
だからケイスは強くなる事を望み、自分が好きな者が自分より強いならば越えてやろうと常に滾っている。
傍若無人で傲岸不遜な性格であり、世界を敵に回すはずの存在でありながら、博愛主義的な一面を持つのは、皇族の血を引く故か、それとも生まれ持った力故の余裕か。
それはケイス本人にも判らない。
ただケイスはそれも気にしない。
自分が好きだ。それだけで良い。
一方的で過剰な愛情というべきこの厄介すぎる難儀な性質。
それに合わせ、ケイスの根源である自分の人並み外れた力は、誰かのためにあるという、母から授けられた思考が、さらにケイスの運命を複雑化させる。
大勢の人達ですれ違う雑踏の中。フラフラと頼りない足取りで歩く人物をケイスの感覚が捉える。
真夏も近く、晴天の空の元、強烈な日差しが降り注いでいるというのに、その気になった人物は、かなり薄汚れた厚めの旅外套で全身を覆い隠した怪しげな風体をしていた。
普通の人ならば避けて通るような風体。だがケイスは気にしない。
フラフラとした力ない足取りながらも、人や障害物を巧みに避けるその歩法に、強く興味を引かれていた。
かなり調子が悪そうだが、あれは強者の雰囲気がする。
調子が悪く、さらに強者かも知れない。
「……調子が悪そうだな? 大丈夫か」
お人好しな戦闘狂であるケイスが、鍛錬を打ち切りその怪しげな人物に声をかけるには、それだけの理由で十分だった。