近くのパン屋で焼かれる堅めの胚芽がたっぷりと含まれたパンを手に取り、ケイスは口に頬張る。茶色いパンは少しだけ甘みがあるが、甘党のケイス的には少し物足りない。
「ん……レイネ先生少しだけ甘みを足してもいいか?」
テーブルの対面へと座るレイネ・レイソンに伺いながら中央の木イチゴジャムやアザリア蜂蜜の瓶へとケイスは手を伸ばす。
「どちらもスプーン一杯までね。糖分が多くなりすぎると薬効効果が落ちるから」
本来ならジャムと蜂蜜をどっぷりとつけて食べたいところだが、ケイスの健康状態に目を光らせる主治医のレイネの指示では従うしかない。
ほんの少しだけ山盛りにするだけで我慢する。
「ケイス。パンばかりじゃなくて野菜とか肉も多めに食っとけ。闘気強化が無理となりゃ肉体を鍛えねぇと小刀1つ振り回せねえぞ」
ロウガ近郊の牧場で飼育されているウサギ肉の香草焼きを厚めに切り分けた、ガンズ・レイソンがケイスの小皿へと盛りつける。
ロウガ港に水揚げされる小魚を用いたスープにも、肉料理と同じく薬草や香草が多く使われている。
どちらも香りはいいが、苦味も強いので最初は苦手だったが、ここ数ヶ月でさすがに慣れて来た。今では拒否反応も無くパクパクと食べれる。
「うむ。筋力強化は急務だな。突き技主体にいくつもりだが、速さを出すためにも質の良い肉体が欲しいな。ガンズ先生くらいまではいかずとも、腕の筋力が倍は欲しい」
筋骨隆々といった鍛えられた肉体のガンズをみてから、自分の二の腕に目を向けたケイスはその細さと頼りなさに不満げに頬を膨らませる。
ケイスの目指すべきは最強の剣士。愛らしいや可愛らしいといった慣用句を纏うよりも、鋼のような肉体と例えられるほうに心引かれるのは仕方ない。
「俺から云わせりゃ、年齢やら体格を考えれば十分だがな。それに剛力派よりも技巧派向きだ。お前の場合は」
「技は鍛えるのは当然だ。だがそれでもやはり基礎となる肉体が強ければ強いほど良いではないか……なんで同じ食事を食べているのに先生の方が肉体強化が進むんだ。ずるいぞ」
「元が違うんだから仕方ないだろ。それよりこれもやるから、ささっと食っちまえ。お前も今日も仕事があるんだろ」
まだ幼いながらも数年後には絶世の美女となる確信を十人中十人が即断するほどの、美少女から向けられる嫉妬の目線にガンズは呆れて返しながら、仕方なく自分の皿からウサギ肉を一切れケイスの皿へと移してやる。
「うむ。フォールセン殿からの紹介だ。しっかりと働くのはもちろんだが、食費くらいはちゃんと収めれるように頑張るぞ」
不満げだったケイスは、増えた肉をみてすぐに満面の笑みに変わった。その笑みは誰もが振り返りそうになるまさしく天使の笑み。
「レイネ。ケイスが出るときは顔をしっかり隠させろよ。また人さらいでも招き寄せたら面倒だ」
ある程度動けるようになってから、ケイスが手伝いを望むので近くの市場へと買い出しに出して起きた初日の騒動を思い出しガンズはゲンナリとする。
見た目だけなら幼いが深窓の令嬢然とした美少女で注視を集める容貌。そしてその美少女の極上の笑顔がお駄賃に渡された林檎一個や、試食に食べさせてもらった肉一枚で出てくるのだ。
笑顔を安売りしすぎだと嘆くべきか、根が純真すぎると心配すべきか微妙なところ。
そんな一見騙しやすく連れ去りやすそうなケイスをみて、不届きなことを考える不貞の輩が出るのは仕方ないかも知れない。
もっとも力を失おうが、その中身は美少女風化け物。
「心配してくれるのは嬉しいが、ガンズ先生は心配症だな。無手と云えど私があの程度の者にどうこうされるわけがなかろう。あの手の輩は私の容姿で油断するから容易いぞ」
返り討ちどころか、むしろ不届き者に同情したくなるほどに一瞬で徹底的に叩きのめして、急所を潰し男に生まれてきたことを後悔させた化け物はあっけらかんと笑う。
「ケイちゃんが暴れると、治安警備隊の人もいろいろ大変だから変装はしっかりさせますね」
正当防衛とみるか過剰防衛とみるか。だがどちらにしろ悪意ある相手だったのは間違いないが、すぐに手が出るというのも生やさしい武断な論理感は異常のひと言だ。
だが少なくともケイスが無辜な相手には暴力的ではなく、むしろ友好的に接する人懐っこい性格だと、この数ヶ月共に暮らして理解したレイネは、なるべく騒ぎを招き寄せないようにするのがベストだと判断していた。
さわやかな朝食の場には多少ふさわしくない物騒な話を交えながらも、レイソン邸での朝の日常となった光景はいつも通りすぎていった。
「ん。ごちそうさまだレイネ先生」
闘気による胃腸機能の強化が使えず、食べれる量は以前の1/10もいかないので、感情的には少しばかり物足りなさを覚えるが、肉体的には腹八分目と判断したケイスはスプーンを置くと、食事を作ってくれたレイネへと頭を下げる。
「はい。お粗末様でした。ケイちゃんすぐに出る?」
血流促進を意識した薬膳料理の効果で、全身がぽかぽかと暖かい。
普通だったらこのまま腹ごなしに鍛錬といきたいところだが、今の自分は好意に甘えている居候だと、さすがに傍若無人なケイスといえど理解している。
だからせめて自分の食い扶持くらいは稼ぐのは当然の事。
だが鍛錬を兼ねるなら山にでもいって獣を狩ってくればいいのだが、あいにくロウガ周辺の野山は狩猟許可制で、いくらかの登録料がいる上に、取れる量も決められている。
金に困った貧乏若手探索者が、最低限度とはいえ装備が必要になって危険度の高い迷宮での魔獣狩りはなく、安物の矢で十分な安全性の高い迷宮外で獲物を乱獲した事が過去に何度もあって、動物が激減したのが原因だそうだ。
地元猟師からの要望もあって、取り締まりが厳しくなって、巡回兵も回っている状況では、さすがにケイスも思う存分狩りというわけにはいかないし、レイネにばれたときが恐ろしい。
だからこの選択は無し。
だが鍛錬はしたい。
そして何より斬りたい。
自他共に認める剣士にして刃物狂いのケイスにとって、何かを斬るのは趣味や義務という類いですらなく、生態と言えるもの。
斬らないと落ち着かないし、しばらく斬らずにいると、どうにも調子が狂う。
かといって見た目も中身も子供のケイスでは、その才能がいくらあろうとも、斬る事に特化したアルバイトなどそうありつける訳も無い。
求人の張り出しがあった街の食堂などでも、その容姿故に接客ならという返答があっても、裏方の厨房では勿体ないといわれる始末だ。
斬れないストレスをためているケイスに、最適な仕事を紹介してくれたのは、他ならぬフォールセンだ。
「うむ。早めにいこうと思う。昨日に大規模な探索者連合パーティが帰還したそうで、モンスターの処理がたくさんで、今日は斬り放題だそうだ」
「……どんだけ斬りたいんだよお前は」
まるで城の舞踏会に招待され楽しみにするかのような笑顔のケイスに、ガンズはこいつ大丈夫かと今更ながらの不安を抱くしかない。
フォールセンがケイスに紹介した仕事。それは迷宮から狩られてきたモンスターを解体処理する屠殺ギルド連合共同工房での解体業務だった。
ロウガ新市街。商店が建ち並び人の通りで賑わう表通りから、荷馬車が行き交う工房区に入って、しばらく進んだ場所にその大きな工房はある。
高い塀に囲まれた広大な敷地。中にはいくつもの棟が立つが、その建物は全て二重扉と二重窓に塞がれ、出入り口には警備ギルド所属の探索者が常駐している。
厳重な警備は高価な資源であるレアモンスターも取り扱っている事もあるが、匂いの流出を防ぐためや、体内に毒を含むモンスター処理のための安全対策としての意味もある。
門には屠殺ギルドを象徴する狩りの女神アズライアの印が施され、その下にはいくつもの他業種のギルド印が刻み込まれている。
モンスターの血から人工転血石を生成する事を生業とする転血石ギルド。
そのままでは岩のように固かったり、微量の毒を含む肉などを食用可能処理する精肉ギルド。
モンスターの牙や鱗、骨などを取り出し加工、魔術触媒を作成する魔術触媒ギルド。
さらには武具、家具、宝飾等各種ギルド印が、ずらりと並ぶ。
この複数の印が示す取り屠殺連合ギルドは、いくつものギルドが集まり共同出資して作られた商工組合であり、共同工房となっている。
迷宮隣接都市であり、近隣迷宮群の中に探索者となるための最初の試練『始まりの宮』を持つロウガが急発展を遂げ、拡大し続けて行く中で、問題となったのは狩られたモンスターの処理だった。
探索者に成り立ての若手達にとって、もっとも手っ取り早い金策は、原始的な狩猟採取。言葉の通り、迷宮に潜りモンスターを狩り、植物や採石を採集することだ。
その中でも価値を見分けるために特別な知識が必要となる植物や鉱石と違い、モンスター狩りは、ほとんどの獲物が自らこっちに襲いかかってきてくれる上に、血や肉体に魔力を持つ迷宮モンスターは、少なくとも確実に金になるからだ。
しかし年々増加する初級、下級探索者と比例して増大する持ち込み量に対して、従来のそれぞれの工房やギルドごとの屠畜処理では追いつかず、処理でき無いまま品がだぶつき、値崩れや買い叩きが横行。
それら諸問題に対して当時の管理協会ロウガ支部長だったフォールセンが音頭をとり、それぞれ複雑な利害関係を持っていたギルド間の調整をし、合同屠畜処理ギルドが結成され、新たに設けられた工房区画中央に、巨大な共同工房が築かれていた。
真冬のような寒さに保たれた工房の中、分厚い木の板でできた作業台の上では、無数の小型モンスターが次々にばらされていく。
既に最初の処理として血抜きは終わっているので、生々しさはそれほどでもないが、そこらに腹や頭部を開かれた死骸があるのだ、一般人がみてあまり喜色の良いものでは無いだろう。
だが斬る事に特化した既知外にはそこはまさに博物館であり図書館であり、恰好の娯楽施設。
酷い傷があるという理由で包帯をぐるぐる巻きにして顔を隠すケイスは、両側の作業台にのせられたモンスターをみながらウズウズしていた。
並の刃では刃が通らないほどに固い外骨格を持つスロリア大鋏甲虫。
強酸性の消化液を内包した袋をいくつも不透明の体内に抱えるメルサスライム。
金属に触れると発火する赤色鱗粉を持つ巨大蛾真朱グラセイ。
この区画で処理されるのは些か処理しづらい、つまりは危険度が高かったり、時間がかかる物ばかり。
厄介な分、割高の手当は出るが、基本的にこの工房では処理数=賃金となり、その上処理を失敗し使えなくなった場合は減給の対象となるでの、よほどの熟練者でなければ嫌がる区画だ。
みればそれぞれの作業台の前で黙々と手を動かす職人もほとんどが年季の入った風貌の者ばかり。ケイスのような小娘は異物もいいところ。
普通なら邪魔だとすぐに追い出される事になり、実際この区画にケイスが回された初日にはガキなんて回すなと罵声も飛んでいた。
だがこの自他共に認める天才は、そんな声を己の才と誰が相手でも変わらぬ態度で一蹴していた。
「来たかケイス。フローティア蝙蝠だがやってみるか?」
一番気むずかしげな偏屈そうな顔をしていた職人がケイスをみて、初孫が遊びに来たような年寄りのようにその厳つい相貌を崩し、自分の横の作業台を叩き置かれていた箱を指さす
木箱の中には真っ白な毛で覆われた綿毛のように小さな蝙蝠が、宝石を治めるように区切りをいれた箱の中に一段ごとに並べられている。
北方のツンドラ森林地帯で群生している蝙蝠で、霜柱のように脆い身体を持つことで知られるフローティア蝙蝠は、下手に刃を入れれば、その衝撃だけで全身が崩れてしまう。
凍結魔術で凍らせれば捕獲だけならば容易いが、処理をするとなると難しい職人泣かせとして知られたモンスターだ。
「うむ。任せろ。飛膜を綺麗に剥がして、骨と内臓を分別すれば良いのだな」
そんな難敵に対して、老職人が切り出した部位をみてケイスはむしろ望むところと目を輝かせる。
フローティア蝙蝠の解体に求められるのは、正確な剣筋と、適量の力配分。
剛力を失った今のケイスに残り、そして手っ取り早く鍛え上げられるのは正確性と力配分。
そして何より様々なモンスターの肉体構造を実際に見て、体験できるのは、剣士として生き、これからも剣士であろうとするケイスにとって値千金の知識と経験にほかならない。
「あぁ。よく見ておけ。こいつの内臓は部位ごとで効能が違うから混ざると使い物にならなくなる。飛膜も少しでも欠損すると著しく効果が落ちる天然魔法陣だから気をつけろ」
「ん。良いお手本とさせてもらうぞ」
偉そうに頷きながら駆け寄ってきたケイスは、老職人が振るう一振り一振りをつぶさに観察し、その手順や、力加減を学んでいく。
屠畜という生きものを捌くという行為に未だに偏見の目を向ける者は一部ではあるが、確実にいる。
そうで無くとも年若い少女となれば、生きものが捌かれる凄惨な光景に目を背けたり嫌ったりする者が多い。
だがケイスは違う。
初見ではかなり小生意気な言動をみせる生意気な小娘だが、その言動にふさわしい実力と才能、そしてそんな言動に反して、卓越した技術を持つ職人達への、確かな敬意を向ける真っ直ぐな瞳。
誇るべき自分達の技術をしっかり評価し、さらに学ぼうとする少女が同じ場で働くことに、異議を唱える者はこの中には既にいなかった。
昼を少し過ぎるまで、思う存分に刃物を振るい、新しい技術と知識を水を吸う砂のように吸収したケイスは、お土産代わりにもらった様々な鱗や骨を手に、次の日課であるルディアが働いている薬屋へと向かっていった。