「ふむ……頑丈そうだな」
見上げた門扉と石組みの塀を見つめながらケイスはつぶやく。
門や堀は高く、ケイスの全高の4、5倍はあるだろうか。
自然石をそのまま用いた塀には、足がかりとなる凹凸があるので昇るのは容易そうだが、逆にそれが怪しい。
おそらく石組み内部には魔術による攻勢結界が仕掛けられている。
どうすればここに侵入できる。ここから脱出が出来る。
これから世話になる場所であり、尊敬するフォールセンの住居であっても、ケイスは万が一を考えて、侵入経路や退路を見いだそうと観察していた。
越えるのが無理なら破壊できるか……
「この壁は元々は東方王国時代の砦跡のだって話だ。龍の攻撃にも耐えるほどに頑丈で、復興初期には管理協会ロウガ支部として使っていたから堅牢さは折り紙付きだな。そんな歴史遺物を切り崩そうとか思うなよ」
無意識に剣の柄に手をかけていたケイスが物騒な事を考えているのを察したのか、隣に立っていたガンズが釘を刺す。
「龍王でも壊せない壁か。ならば剣を叩き込む練習台に丁度いいな」
「お前な……レイネ。早く開けてやれ。これ以上、この馬鹿が不穏なこと考える前に」
「はいはい。練習はいいけど剣を振るのは怪我が治ってからね。ケイちゃんの事は伝えてあるからそのままお屋敷に連れてきてって事だからいきましょうか」
ケイスらしい発言にガンズは頭痛を覚えたようだが、レイネは慣れて来たのか軽く流した。
「勝手に入っていいのか?」
「元々ここの出身だし、子供達の健康診断や急病人が出た時に往診する必要が時々あるから、鍵を渡してもらっているの」
レイネはそう答えるとポケットから取りだした鍵を、正門横の通用門の鍵穴へと差し込み、軽く回した。
鍵を回しただけだというのに、金属が軋む重い音をたてて門扉が内側に自然と開きはじめる。
その瞬間、ケイスは違和感を感じた。
魔術を感知する術を持たないケイスには何が起きたかは判らないが、それでも空気が変わった事だけは、直感で判った。
頭上を見上げれば門柱の上に飾られていたお伽噺の怪鳥を模したとおぼしき雨樋の石像と目が合う。
じろりと見られている感じがしたのはその石像1つだけではない。
壁のあちらこちらから、のぞき込まれているような感覚を肌で感じる。
扉を開けたことで、侵入者を阻む防御結界から、侵入者を排除する攻性結界に切り替わり起動したのだろうか。
今の自分に攻撃の意思がないせいか、それとも今の実力では脅威ではないと判断されたのか。
どちらかは判らないが、攻性結界がそれ以上に活発化する様子は見て取れない。
「ふむ。ますますよい鍛錬相手になりそうだな」
全力で斬っても壊れない壁も良いが、反撃してくるならばなおのこと良い。
周囲に危険が埋まっていると感じ警戒感が増すが、基本的に戦闘狂なケイスにとってはそれが心地よく、ほどよい緊張感を感じながら通用門をくぐった。
門を抜けるとそこは広い前庭になっていた。
正門から続く舗装された道は正面にある屋敷へと真っ直ぐに伸びており、その左手に水量の多い池が広がっている。
右手は芝生が覆う平坦な広場となっていて、奥には今は使われていないであろう飼料小屋に、塀沿いには異なる季節毎に果実を実らせる樹木がずらりと植わっていた。
ケイスは周囲を見渡し、確かにここは砦だと判断する。
小規模だが、鍛錬所となる広場や水場や餌場など騎乗生物用の設備や、植えられた樹木も非常時に食料となる物が中心である事が何よりの証左だ。
「……あまり手入れが行き届いていないな。人手が足りないのか?」
屋敷に向かって歩きながらケイスは眉を顰める。
一見整った見た目をしているが手入れが甘い。
池に浮かぶ藻の匂いを、軍馬や軍竜は嫌がる。
樹木も葉が生い茂りすぎて重なり合った所為で、日光が遮られて生育に影響が出るだろう。
砦としても、そしてただの前庭としても手入れが行き届いていない感がある。
まだ早朝ということもあるだろうが、どうにも正面の屋敷からはあまり人気を感じ無い。
「私設孤児院じゃロウガでも一番大きいってのはあるが、維持管理費に結構掛かっているらしいが、ほとんどがフォールセン元支部長の私費だからな。屋敷の方にまで手が回ってないんだろうな」
「入居者はどのくらいいるんだ?」
「母屋の裏側に支部として使われていた頃の職員用宿舎があってそこが改装されているの。下は2才から、上は15才まで。私の時には200人くらいの子が住んでいたわね」
レイネが指さした方向をみれば、裏側へと続く小路が見える。
そちら側も鉄門で閉鎖されており出入りが管理されているようだ。
「ずいぶん多いな。それだけいればこの庭の手入れくらいは簡単ではないのか」
「大先生の方針よ。屋敷内のことをやらせる使用人として保護したわけではないのだから、自分達の生活空間を整える以外は勉学や鍛錬に集中させろって。それにこちらの母屋側には色々と仕掛けもあるから下手に弄ると危ないからって、出入りできる場所も決められているのよ」
「外に自由に出来ることも出来無いのか?」
「治安が悪化するこの時期だけはね。普段は日没まで自由に外出が可能で、年齢が上の子は街の工房とか商店にアルバイトに出ている子もいるわよ。一人で暮らせるだけの経済力や生活力を身につける為に、お屋敷伝手で紹介してもらったりもできるから」
「生活環境を提供するだけではなく、将来的なこともか……しかも私費で。国や管理協会からの補助は出ていないのか?」
「多少はあるんだが、あんまり金額がでかいと影響がな。昔もフォールセン・シュバイツアーの名を利用しようとする輩が出たりして、それ以来、少額の寄付だけに頼っているのが現状だ。俺やレイネなんかも細々と寄付してるんだが、所詮雇われだからな俺らも」
大英雄フォールセン・シュバイツアー。
その名が持つ意味が大きすぎるのはケイスにも理解出来る。
だからこそ常に中立を保つために、特定人物や勢力からの多大な寄付を受け入れるわけにもいかず、あくまでも個人的なささやか寄付のみを受け入れている。
「それは判るのだが、ならば何故、国や管理協会が主で動かない」
フォールセンが受け入れた孤児には、ウォーギンやレイネのように親である探索者を失った身寄りの無い者も多いと聞く。
ならば管理協会が、彼らを受け入れるのは義務ではないのか?
ケイスは憤りを覚えるが、
「ロウガじゃ国王ってのはあくまでも象徴で、権利も最低限しか持っていないから国庫に余裕がない。管理協会も元々は探索者の為の互助組織だ。だからって探索者の遺児だけを受け入れるってのは世間の目もある。際限なく保護してそっちに費用が掛かりすぎて、現役探索者へのサポートが疎かになるかもしれないって、色々な理由があるからな」
「出来無い理由などいくらでもひねり出せるということか……ロウガ支部職員の先生達には悪いが、私はますますロウガ支部の上層部が嫌いになってきたぞ」
様々な理由やしがらみがあるからかも知れないが、純粋かつ単純な思考しか持たないケイスにはそれが怠慢にしか見えずにいた。
ましてやそれが権力闘争に明け暮れ、持つ者としての義務を放棄し、ただ平穏に生きていた者達を踏み台にするなどと。
「ふん……そういう輩に目に物を見せるためにも、フォールセン殿の師事を受けて早急に強くならねばならんな」
屋敷の玄関前に立ったケイスは大きく息を吸う。
まともに剣を振れない我が身を恥、その屈辱と怒りと共に、憧れの大英雄に面会できるという待ちきれない希望を現すかのように、ケイスの心臓が鼓動を1つ強く打っていた。
「…………」
フォールセン・シュバイツアーは新たに開いた封書におざなりに目を通すと、ペンに手を伸ばし、返答を書き始める。
執務机の上に広がる封書の束はどれも似たような内容ばかりだ。
ギルドの名誉顧問に迎えたい。
武具製造に知恵を貸してほしい。
新設騎士団へ剣術を指導して欲しい
半世紀近く前に一線を退いた年寄りを今さら担ぎ出さずとも良かろうと、同じような誘い文句ばかりで飽きを覚えていたが、フォールセンの元まで届いたという事は、その差出人や紹介者はそれなりの地位に就く者ばかり。
それ故に無視するわけにもいかず、丁寧な断りをしたためるのが日々の日課となっている。
少し変わったところでは自叙伝を出版しないかという提案もあるが、自分の物語を今更に聞いてどうすると、呆れるしか無い。
広く知られるどころか、脚色され、自身すら身に覚えが無い物語が世にはあふれかえっているというのに。
数百年を生きたフォールセンにとって、人生はもはや終末でしかない。
目的という目的もなく、ただ残された日々を過ごすだけ。
上級探索者として得た不老長寿の力も、迷宮に挑まなくなってすでに半世紀が過ぎ、ほぼその身からは失われ、他の一般人と変わらずに自然の摂理に任せて年老いていくだけだ。
同じ時間に起き、手紙に目を通し、断りを入れ、過ぎ去った過去に思いを馳せ、まどろみ日々を終える。
もし明日死ぬ運命だと知ったとしても、フォールセンの過ごし方は変わらない。
ただ死を受け入れるだけだ。
むしろそれを、自身が終わりを望んでいることに、フォールセンはとうの昔に気づいている。
その二つ名の由来であった双剣の片方を失った時に、既に自分の役割は終わったのだと、悟ってしまっていたからだ。
しかし世間はそれを許してくれない。
大英雄。
双剣の勇者。
老いた身に今も寄せられる賞賛と名声、期待が、呪いのように、今もフォールセンを生かしていた。
「……」
返答を書き終え、次の封書に手を伸ばそうとしたフォールセンは、ふと感じた感覚に日が差し込み始めた窓へ目を向けた。
皺が多くなった手で疲れていた目をゆっくりともみほぐし、最近ではめっきり衰えた感覚を研ぎ澄ませる。
赤龍王を討伐して以降、力を使おうとする度に身体に奔る痛みに眉根を顰めながらも、最低限度の活性化をさせる。
受け継いだ青龍王の血。
討伐した赤龍王の血。
異なる龍王の力は、大英雄と呼ばれるフォールセンを持ってしても完全に御しきれる物ではない。
ロウガ復興に注力していた事もあるが、フォールセンが迷宮に挑まなくなった、挑めなくなった理由は龍血が深く関係していた。
力の解放に制約を受ける下位の迷宮ならばともかく、最高峰の上位迷宮に挑めば、開放された力に引きずられ2つの血が暴走し、その身を焼き尽くしてしまう事は自明の理だ。
逆に言えば、大英雄とまで呼ばれたフォールセンだからこそ、暴走させる事も無くその異なる龍血を宿しながらも日々を過ごせたといえる。
その龍の血が、感覚がざわめく。
この感覚には懐かしい覚えがある。
かつてルクセライゼンの皇族であった頃にはなじみ深い物。
同じ血を引く者が、同族が近くにいるのだと知らせている。
しかしその感覚が、フォールセンの覚えている物とは微妙に異なる。
青い龍の血を引く者が近くにいるのならば、涼やかな寒さを背中に感じる。
赤い龍の血を持つ者が近くにいるのならば、温かな熱を心臓に感じる。
2つの龍の血を宿すフォールセンだからこそ持つ超感覚が訴える。
赤と青。2つの龍血を持つ者が近くにいる。
人の理を外れ永い時を生きるフォールセンをして、初めて感じる感覚。
自分の感覚が鈍ったとは疑わない。
無言で立ち上がったフォールセンは、脇に立てかけてあった愛剣に手を伸ばす。
それは剣士として最低限の、そして当然の警戒。
龍が近くにいるというのに、呆けている探索者などいない。
往年の目付きを、最強の探索者と呼ばれた鋭い眼を浮かべたフォールセンが小さく息を吐いた時、執務室に近づいてくる足音が響き、次いで扉がノックされた。
その気配は長年フォールセンに仕えている老家令の物だ。
しかし普段よりも歩幅とノックの音が、若干早い。
少しだけ慌てている様子が感じられる、
「入れ」
「お仕事中に失礼いたします旦那様。レイソン夫妻がお見えになりました」
普段は落ち着いた表情を貼り付けている家令のメイソンは、僅かではあるが珍しく顔に驚愕の色を乗せたまま一礼して入室すると、若干うわずった声で報告を入れてくる。
「レイネ達が着いたか。事件に巻き込まれた子供を保護して欲しいとのことだったな。何かその子の体調に問題でも起きたのか?」
昨夜遅くに連絡だけは受けていた内容をフォールセンは思い出す。
ロウガ支部のいざこざに巻き込まれ大怪我をした少女を保護して欲しいと頼んで来たのは、フォールセンが経営する孤児院出身の女医レイネであり、夫のガンズもフォールセンが個人的に信頼している支部職員だ。
あの二人は昔から知っているのでよく判っている。
なら先ほどから感じている違和感を持つ気配の主はその怪我を負った少女の方か?
しかしフォールセンは気配で違和感に気づいたが、なぜメイソンまでがこうも狼狽しているのかは判らないでいた。
「いえ、確かに大怪我をなされておられますが、ケイスと名乗られるお嬢様はお元気その物です」
メイソンの言葉使いにフォールセンは違和感を覚える。
老家令の言葉は、まるでつかえる主の体調を気遣うかのように丁寧すぎるのだ。
「なんと申しますか……その単刀直入に申し上げますとケイスお嬢様のお顔が、カヨウさん……いえユキさんに瓜二つでございます。他人のそら似などではなく、まるで生き写しのようにです」
困惑した声のままメイソンが告げた名前は、フォールセンがこの世でもっとも信頼する者の……そして信頼し、フォールセンが英雄で有り続けるための原点であった者の名であった。
「…………メイソン。すぐにカヨウに連絡を……いや待て。あの子が連絡を寄越さないわけがない。出来無い。もしくはするわけにいかない理由があるのか」
驚愕を押し殺しながらもその正体を知るであろうカヨウに連絡を取ろうとしたフォールセンはすぐに思いとどまる。
カヨウの血を引く者であるならば、火龍の血を感じるのは判る。
だがならば何故青龍の血も感じ取った。
ルクセライゼン皇族に伝わるはずの血を。
「私が話を聞く。ユキやカヨウを知る古い使用人達には、事情が判明するまで余計な詮索をしないように伝えなさい」
絞り出すように声を出しながらも、今も癒やされない傷がうずく感覚をフォールセンは明確に感じていた。