「あいつらの狙いは、私達の予想通りこの依頼書とあんたみたいね?」
ルディアの指すテーブルの上には、青い血で染まった探索者向けの依頼書。
居間の壁際には、昏睡魔術を仕掛けた上に厳重に縛り付けられた侵入者達とケイスが首を折って殺した死体がある。
強力な力を持つ探索者絡みの事件は、ロウガでは管理協会に対処がゆだねられており、先ほどの侵入者達も探索者の証である指輪を持っていたため、ロウガ支部に連絡済みで、その到着をまっていた。
「助けてもらったこと、治療をしてもらった事に感謝している。だから迷惑を掛けたくないから話す気は無いぞ」
治療も終わり痛み止めが効いてきたのか、先ほどよりは意識がはっきりしてきたケイスがソファーに身を横たえたまま固い表情で答える。
あれらは自分の敵だ。それを誰かに押しつける気は無く、ましてや命を助けてもらった恩人達を危険にさらすなどできないの一点張りだ。
ベットに運ぼうとしても次の襲撃があるかも知れないからと嫌がる始末で、仕方なく妥協して居間のソファーで処置をしたくらいだ。
「こうやって襲撃を受けてる段階で、既に迷惑かかってるわね。身を守るにしても関わらないにして、何の情報もない方が危ないでしょ。どうせあんたの事だから、なんか事情があって無茶苦茶な事しても、人に誇れないようなことじゃないんでしょ」
腕組みをしてケイスを睨み付けるルディアは、言葉の端々に苛立ちを覗かせているがそれでも勤めて冷静な声で説得をする。
大きな被害が予想される市街地での放火は重罪、大半の国で死罪となる。
そんな乱暴な手を使おうとした連中が、ただの物取りや強盗な訳も無い。
色々と厄介な事情が透けて見えて、関わらない方が良いというのも理解は出来るが、現に襲撃を受けているのだから、せめて最低限の情報は寄越すのが筋という物だろうという理屈をルディアは繰り出す。
「むぅ……人違いだといっているだろうが。私はお前達とは初対面だ。私の行動を勝手に決めつけるな」
常識知らずで、自己中心的で傲岸不遜。
だが妙なところで義理堅く、幼稚ながら正義感も持つ異常者。
ケイスの思考や好みをルディアは知っているから、容易いとまでもいかずとも、常人とは違うケイスをそれなりに説得しやすいのもあるのだろう。
ケイスがばつが悪そうに顔を反らして、露骨に話題をそらした。
「じゃあこの剣はあんたの物じゃ無いっていうの?」
頑なに初対面だと言い張るケイスに、ルディアが持ち上げて見せたのは、力なくだらりと折れ曲がるという大剣にあるまじき形状を晒す奇剣『羽の剣』
こんな奇抜な剣と、常識外な少女の組み合わせがこの世に2例も存在してたまるか。
「返せ。私の剣だ」
愛剣に手を伸ばそうとしたケイスだが、それよりも早くルディアの手がもちあがり、ケイスの手は空を切る。
「あんたね。あたしが知ってるケイスなら、あたし程度から剣を奪うなんて造作もないし、さっきの戦闘だって最初の一瞬で決めてたでしょ……怪我もそうだけど、あんた今やたらと弱体化してるでしょ。まぁそれがあんたの実力って言うなら、確かにあたしの知ってるのとは別人ね」
ケイスが持つ剣への執着や、化け物である戦闘力を知るルディアは、ケイスの傷を指さし、絶不調である事を指摘する。
多少の怪我、それどころか全身に傷を負っていようが、その強靱な精神力で肉体をねじ伏せ戦う。
それがルディアの知るケイスだ。
だが先ほどの戦闘ではそれが出来ていない。
ケイスは返事に窮したのか、ルディアを睨むしかできない。
不意を突いて先手を取ったのに一人しか仕留め切れずに、手も足も出なかった先ほどまでの醜態を実際に目撃しているのだ。
ケイスは変なところで真面目で、傲慢なまでに自己に対する誇りをもつ。
怪我や不調による戦闘力低下は否定はしないだろうし、もし否定したら自分の実力はあの程度だと認める事になるからそれも嫌がるだろう。
ここまで指摘すれば認めるしか無いだろうと予想したルディアの読みは、完全に外れる。
「ふん。それだけ強い者がいるなら連れてこい。斬ってやる」
「まだ否定するか……」
ダメだ埒があかない。
こうまで頑なに初対面だと、あり得ない事を言い張るには何らかの理由があるのだろう。
よくよく考えてみれば、伝説のゴーレムが復活したというあれだけの大事件が起きたのに、簡単な事情聴取だけですんだのがおかしい。
たまたま巻き込まれた自分はおろか、直接の関係者だったウォーギン達、開発関係者さえも、純粋な事故だったとして、事実の厳重な口止めと研究停止だけで、無罪放免されている。
普通ならあり得ない軽すぎる処分だろう。
ケイスと名乗るこの少女が何者かは未だルディアには知る由もないが、その力のみならず生まれもただ者では無いのは、ケイス本人がいくら隠そうとしても、嘘が下手なバカ正直な性格の所為で何となく判ってしまう。
何をしたかは判らないが、ケイスが何かをしたのだろう。
自分を死んだことにして、なにか取引でもしたのだろうか?
だから、こうまであり得ない否定の仕方をしているのでは。
「判ったわよ。あんたとあたしは初対面。それで良いわよ」
強情なケイス相手に意地の張り合いをしていても千日手になる。
自分が折れ無ければ話が進まないと諦めたルディアは、仕方ないと話を進めることにする。
ルディアの目的は、ケイスにカンナビスで出会った事を認めさせるのではない。
第一優先すべきは貸し主本人は何とも思っていないだろうが、ケイスへの借りを返す事。
まさか再会そうそう知らない振りをされるとは考えてもいなかったが。
「うむ。そうだ。私とルディは今日会ったばかりだ。だからよく知らないのに迷惑をかけるわけにはいかん」
まだ名前を名乗っていないのに、自分の名前を、しかもケイスしか使わない愛称で呼んでくるあたり、隠す気があるのだろうかと疑問にも思うが、ケイス相手に真面目に考えるのは馬鹿らしくなるのであえて無視する。
こうなれば本題にずっばっと切り込んだ方が早いだろう。
「あんたをさっき助けた男の人。今外で警戒しているあの人はガンズさんっていって、ウォーギンの知り合いなんだけど、管理協会ロウガ支部職員で現役の中級探索者でもあるんだけど、ガンズさんが言うにはこのロウガ支部発行の依頼書はよく出来た偽物って話だけど」
「だからなにも答えないと言っているだろう」
手に取った依頼書をヒラヒラと掲げて見せると、ケイスは露骨に目をそらした。
その態度はこの依頼書が偽物だと知っていると、口に出さずとも、雄弁に語っている。
「正確に言えば、本物の書類と本物の印を使い、本当の魔術偽造防止処理を施した、依頼内容だけが正式に協会には登録されていない偽物だって。ガンズさんが懇意にしている職員さんに、登録内容を裏取りしてもらったから間違いないわね」
書かれた依頼内容は一見なんの変哲も無い物。
旧街道から少し外れた牧場の水質調査。
井戸の水量が激減した原因を調べて欲しいというものだ。
依頼金額は対した物では無く、推奨される能力も、簡易な探知魔術を使えればいいという街のちょっとした困りごと。
それこそありふれた依頼内容だ。
だがどんな内容であろうと、ロウガ管理協会支部では全ての依頼を管理、終了後も一定期間保存する体制が出来ている。
だからこの依頼書の内容が、全くの偽物だとすぐには判明した。
だがガンズはこの件を固く口止めして、今のところ報告は入れていない。
本物の用紙、印を使い、処理までした偽物の依頼書。
どう考えても協会支部の一部が関与しているのは明白。
下手に突いて藪から蛇を出すようなマネを避けたが、こんな内容を偽造した意味が何かは、現時点では判らない。
「しかもウォーギンが調べたら、この依頼書には追跡魔術の仕掛けが巧妙に施されていて、あんたがさっき戦闘した連中はその魔力波動を探知できる専用魔具を所持していたわよ」
「……そういうことか」
ケイスが忌々しげにつぶやくと、小さく舌を打つ。
この反応から見て、ケイスもそれに気づいておらず、不覚と恥じたようだ。
自他共に認める天才魔導技師であるウォーギンだから気づけた追跡の仕掛けは、普通の魔術探知では見逃してしまうような物だ。
ましてや魔力を持たないケイスでは致し方ないのだろう。
そのウォーギンも今は屋外で何か変な仕掛けが施されていないかを調査中で、屋内にはいない。
先ほどまでケイスを治療していたレイネは、医療道具を片付けに私室へと戻っていた。
「さて、ここまであたし達には判ってるけど……あんたはどうしてこいつを手に入れて、あいつらに襲われたのよ?」
「答える気は無い。そこまで判っているなら関わるな。相手は殺すつもりできてるから危険だぞ」
「危険っていったらあんたはどうなるのよ? そんな大怪我して、しかも戦えないみたいじゃない」
「……私が負けるか」
「負けてたじゃ無い。ガンズさんが割り込まなかったらどうにもならない詰みの状況でしょ」
「私があんな非道な連中に負けっ! ぐっ………っぅ……く」
ルディアの指摘に図星を付かれたケイスは、起き上がって反論しようしかけたが、腹部を押さえてソファーの上に倒れ込む。
青ざめた顔でダラダラと冷や汗をかきだし、痛みを堪えようと身を丸めている。
尋常ではなく痛がっているケイスの様子にルディアは慌てる。
先ほどまで何度も足蹴にされていたのだ。
折れた骨が内臓にでも刺さったのか?
だがレイネは打撲程度という診断していたはずだ。
血の気の引いたケイスの目尻には、激痛のせいか涙すら浮かんでいる。
全身に大怪我と火傷を負っても、敵を前に不敵に笑うケイスがだ。
「ち、ちょっとケイス!? 大丈夫!? レイネさん! すみません急に容態が変わって!」
「はいはい。ちょっと待っててね。たぶん大丈夫だから」
ルディアの声に小走りで戻ってきたレイネがケイスに近づくと右手で印を作り、ケイスが押さえている腹部に手を当てる。
医療神術による鎮静効果かすぐに荒れていたケイスの息はゆっくりとなり、顔色もすこしだけマシになる。
「あんまり興奮しちゃダメよ。しばらくは大人しくね」
ケイスの苦痛が和らいだのを確認したレイネが用意していた濡れタオルでケイスの顔を優しい手つきで拭う。
「なん……とか……ならんのか。この痛みは……腹痛が酷くて闘気が練れない……肉体強化さえ出来れば……あの程度の奴らに遅れは……」
喋ると痛むのか途切れ途切れながらもケイスは何とかしてくれと懇願する。
戦えない事がよほど嫌なのか、その言葉は必死だ。
「どうにかっていってもねぇ。しばらく安静にしてるしか無いわね。3、4日もすれば収まるでしょ」
「レイネさん。ケイスの症状って……ひょっとして生理痛ですか?」
あまり焦っていない様子が見て取れるレイネの言葉。
ケイスの不調の理由にルディアは何となく気が抜けながらも確認する。
「えぇ。まだ始まってないけど、ずいぶん重いみたい。女性探索者だとたまにいるのよね。ほら闘気変換をする人って丹田。女性だと子宮の位置なんだけど、そこを意識するから感覚が鋭くなりすぎて痛みが酷いのよ。ルディアちゃんの話じゃケイちゃんって闘気変換を普段から多用してたんでしょ。その所為ね」
「そ、そうですか……もっと重い病気か怪我かと思ってました」
あのケイスが戦えない程に弱体化しているのだから、何があったかと思えば生理痛とは。
ケイスの様子から見て相当酷い様子。
自分はそんなにきつくないほうだがそれでも何となく怠くてやる気が無くなるというのに、そんな状況で良く戦おうと思う物だとルディアは呆れつつも安堵の息を吐いていた。
だがその横でケイスは妙な反応を見せていた。
セイリツウ?
大怪我を負ったことは数え切れないほどあるが、病弱な兄とは違い、今まで病気らしい病気など風邪すら引いたことないケイスが初めて耳にする病名。
「……その病気は……治るのか? 闘気変換を……使えなくなるのか?」
レイネの言葉にショックを受けたケイスはおそるおそるその問いを口にする。
「え、えーとケイちゃん」
「たのむ教えてくれ。どうすれば治る? どうやれば闘気を生み出せる!?」
先ほど大人しくしていろといわれた言葉を忘れるほどに焦ったケイスは、身を何とか起こしてレイネにすがりつく。
年齢離れした、人間離れしたケイスの戦闘力を支えるのは闘気を用いた肉体強化。
闘気変換を奪われたらケイスの力は一気に激減する。
そうすれば自分の大願に支障が生じるのは火を見るより明らかだ。
自分が生きるのは家族の為。
自分の力は家族の為。
その為に心臓の魔力変換を捨て去り、闘気に特化したというのに。
「薬か!? ルディ!? セイリツウという病に効く薬はあるか!?」
「お、落ち着きなさいって。痛みを和らげる薬はあるけど、根本的な解決には……」
先ほどまで他人の振りをする演技など頭の中からすっぽりと抜け落ちたケイスが狼狽して見せる鬼気迫る様子に、ルディアがたじろぎつつ答えるが、痛み止め程度しか無いという言葉だけでその後がケイスの耳には入ってこない。
まともに闘気を生み出せなくなる。
……ならやることは1つだけだ。
ケイスは覚悟を決めるとソファから立ち上がり、ルディアが持つ羽の剣へと手を伸ばそうとする。
全身に痛みがはしるが、今はそんな物を気にしている暇など無い。
「ち、ちょっと馬鹿。まだ動くな」
「ぐっ! 大人しく寝ている暇などあるか! っぅ、闘気が使えなくなったなら! 頼らない戦い方を見つけるだけだ! その鍛錬をしなっぅ……ければ!」
慌てて抑えてくるルディアに抗いながら、ケイスは痛みを堪えて吠える。
しかしいかに威勢良く声を出そうとも、その身体には力が入っておらず、長身のルディアには簡単に押さえ込まれてしまう。
押さえ込まれたケイスは、反射的に抗うために闘気を生みだそうと丹田へと力を入れてしまう。
無理に無理を重ねてきたケイスの肉体には今その意思に答える力は無い。
むしろその刺激が引き金となる。
「っが! っぅ…………っうぁ」
最大級の痛みと共に腰が抜け、足腰に力が入らなくなったケイスはぺたんとへたれ込む。
そしてその太ももにドロリとした生暖かい感触が伝っていく。
自分の足元を見下ろしたケイスが目にしたのは、太ももをこぼれ落ちる固形物の混じった濁った血。
明らかに怪我や切断などの通常とは違う出血。
血に混じる肉の欠片は内臓をやられたのか?
そういう病気なのか?
「ルディ。セ、セイリツウとは……内臓が腐り落ちる病気なのか? わ、私は死ぬのか?」
「…………どうしましょうかこれ。確実に初めてみたいですけど」
この世の終わりが来たかのような絶望的な表情を浮かべるケイスの、何とも珍妙な問いかけにルディアが頭を抑えながらレイネへと尋ねる。
ケイスは見た目通り子供とは思っていたが、まさか初潮すら迎えていないほどに幼かったとは。
しかもケイスの反応から見るに、一切の知識を持っていない。
世間知らずにもほどがあるとおもうが、相手がケイスでは仕方ないとはいえ、そんな子供がモンスターを蹂躙し、さらには現役探索者を不意を突いたとはいえあっさり殺害してみせる。
何の冗談だ。
「お風呂は……この怪我じゃまずいわね。汚れを拭くついでに、病気じゃ無いって簡単に説明してみるわね。小さい子の面倒は昔よく見てたから慣れてるからまかせて。ルディアちゃんは殿方にしばらく室内には入室禁止って伝えておいて」
茫然自失なケイスの脇を抱えて立ち上がらせたレイネが困り顔ながらも微笑んで見せる。
言葉通りにこういう状況になれているのか、手慣れた指示だ。
「判りました。後始末はしておきます」
ケイスを連れて奥へと向かったレイネを見送ったルディアは、一度室内を見渡して大きく息を吐く。
怪しげな偽の依頼書。
襲撃してきた探索者。
初潮を迎えたばかりの幼い少女が、その探索者の一人を殺害。
良くも悪くも加速度的に状況は変化していく。
トラブルメーカーなケイスと関わるとはこういうことだった。
「おい。あのガキの怒鳴り声が聞こえて来たが何かあったのか。警備隊の連中も到着したぞ」
「あーと。まぁいろいろと。ちょっと入るの待ってください。片付けますから……」
1年前に抱いた感想を改めて思い起こしたルディアは、騒ぎを聞きつけたのか戻ってきたガンズに返事を返す。
ケイスに人並みの羞恥心があるのか非常に微妙だが、自分の径血を他人、しかも男性に見られるのはさすがに嫌だろう。
「雑巾ってどこですか?」
借りた借りを返そうとは思っていたが、まさかその最初がこういう形になろうとは。
この先が厄介なこと目白押しだろうと思いつつ、ルディアは床に残った血の跡をかたづける準備を始めた。