「北停泊地の47番は、と…………あっちか。それにしても、やっぱり朝方っていっても内門を出ると熱いわね」
道路の端に立てられた標識を見上げたルディア・タートキャスは自分の目的地を探し当て、左肩の荷物を担ぎ直すと熱さに辟易しながら歩き出す。
二日前にひょんなことで知り合った交易商隊のファンリアという老人から渡されたメモがその右手には握られていた。
メモに書かれているのは停泊場所と船名や出航時間だけでなく、極寒の砂漠越えに必要になるであろう雑貨品や薬師であるルディアにとって必要な材料を扱っている店までが記載されていた。
実際に入り用な物も会ったのでメモに書かれていた店をいくつか周り、其処の店主などから得た情報で老人の人柄や率いる商隊の評価を知る事はできた。
ファンリアという老人は結構な食わせ物であるが、商売相手としては信頼は出来る。要するにイイ性格をしていると。
「知り合いって事で多少はおまけしてもらった上にファンリア商隊についても聞けた。これは名刺代わりで不信感を払拭させるには十分……何であの手の抜かりない年寄りばかりに縁があるんだろう。あたし」
抜け目の無い知恵者でどうにも勝てないタイプは、故郷の師と同様であり、少しばかり苦手だ。
だが他にこの街から早めに出る手段が無い以上は、好意に甘えるのが無難。
軽い溜息をついてメモをポケットに仕舞うと、ルディアは騒がしくなり始めてきた周囲へと目をやる。
砂を高圧縮して作ったブロック状の人工石で作られた高い外壁が街への砂の流入を防ぎ、同じ人工石を使っているが鮮やかな染色と細かな装飾が施された内壁が殺風景な砂漠を超えて飽き飽きしていた旅人達の目を楽しませ、同時に高い技術力と資金力を示している。
ルディアの歩く道からは、本来の地面より高くなった脇道が桟橋状となり何十本も伸びており、桟橋には砂漠を行き来する大小様々な砂船が停泊していた。
物資を満載した木箱の積み卸しや乗客達の誘導をする船員や作業員達の声がひっきりなしに響き渡る。
ここには水で出来た海はなく、一面の砂地が広がるがその雑多な雰囲気は貿易港その物。
その光景にルディアは故郷の港町を思いだしていた。
「ん!? おぉ! 赤毛の姉ちゃんじゃないか。道に迷ったのか」
微かな感傷に浸りかけた矢先に、ルディアの背後から大声が響き渡る。
聞き覚えのありすぎるその声だけでその主が誰かは判っていたが、ルディアは無視するわけにもいかず渋々ながら振りかえる。
ルディアの後ろには、二日前に散々愚痴をこぼしてきた日焼けした浅黒い肌の巨漢武器商人が立っており、その横では荷運び用に時間貸しされている貸しラクダが中型の荷車を引いていた。
「……どうも」
「今日は素面だから警戒すんなって。どうにも酒癖が悪くてな。絡んじまった詫びと姉ちゃんの薬のおかげで二日酔いにならなかった礼を言わなきゃならねぇと思ってた所に丁度見かけたって訳だ。すまねぇな姉ちゃん。んであんがとよ」
勝手に薬を飲まされて眠らされたことは微塵も気にしていない様子の男は、多少引き気味のルディアの態度に対して申し訳なさそうに頭を下げる。
「と、そうだ……こいつは感謝の気持ちだ。冷えてて旨いぜ。ガキ共に頼まれた物だが大目に買ってあるから気にせず飲んでくれ」
荷馬車に手を伸ばした男は一番上に積まれた袋の中から掌大の物を一つ掴むとルディアに向かってふんわりと放り渡してくる。
それはラズファンの広場などでよく売られている水と果実の絞り汁を混ぜ合わせ甘味付けして凍らせたジュースの入った革袋であった。
買ってきたばかりなのか受け取ったルディアの手に、心地良い冷たい感触が伝わってくる。
「ご馳走になります……薬師のルディア・タートキャスです。貴方のおかげで砂漠を越える足が出来たから、あたしからもお礼を言うべきでしょうか?」
甘い物はそんなに好きではないが、熱さに辟易していた所に冷たい飲み物は正直いえばありがたい。
封を切って一口飲んで冷たいジュースで喉を潤してからルディアは名乗る。
ファンリア老人には名乗ってはいたが、その時は男は横で高いびきをかいていたので改めて自己紹介をすると共に、長時間絡まれたことに対する軽い意趣返しも籠めた意地の悪い言葉をつづける。
「勘弁してくれ。礼はいらねぇっての。クレン・マークス。通称クマ武器商人だ。親方から聞いてる。後ろに荷物をのせな。砂船の所まで距離が結構あるから運ぶぜ」
冗談半分なルディアの問いかけに対し、獰猛な笑顔で答えたマークスは荷車の後ろを指さした。
「へぇ。姉ちゃんは冬大陸の出で工房を開く場所を探してるのかい。そんじゃあここらの熱さは堪えるだろ。慣れてる俺等でも真っ昼間はきついほどだからよ」
彼等が借り受けた砂船へと向かう道すがらラクダの手綱を引くマークスは厳つい外見に反して話し好きなのかいろいろと尋ねてきて、その横を歩きながらルディアは質問に答える形で雑談に興じていた。
ルディアの出身地はトランドよりもさらに北の一年中雪が降る極寒の大陸。別名冬大陸と呼ばれる地だ。
「そうですね。この熱さの中で仕事なんてあたしには無理だって判りました。水が合わないってのもありますけど、住むのはちょっと遠慮したいです」
オアシスからの豊富な水があり、一年中ほぼ変わらない気候で安定していて薬が作りやすい。
迷宮に隣接した都市であり、協会直下であるために税金の類が安く迷宮素材がそれなりに手に入る。
事前に聞いてた情報からラズファンを訪れたルディアだったが、砂漠の乾燥高温気候は冬大陸生まれにはきつすぎると、見切りをつけるには一日あれば十分であった。
もっとも工房を開く条件が何かと聞かれてもこれという答えがなく、何となく理由をつけて先延ばしして気儘な旅を楽しんでいるだけだと言われれば否定はできないが。
「ここらの連中も日が一番高い時は、昼寝やら酒盛りする習慣があって仕事は休むくらいだからな。まぁ、そうなると姉ちゃん的にはこれから入る北リトラセ砂漠の方がまだ過ごしやすい気候なのかもしれねぇな、あそこは骨まで凍えるほど寒いぜ。寒冷地用の衣服がここらでもよく売れる理由だな」
「……別名『常夜の砂漠』でしたっけ。子供のころから迷宮にまつわる御伽噺はいくつも聞いていたんですけど、旅をしているとトランド大陸は無茶苦茶だって改めて思います。普通じゃ有り得ない地形や気候が多すぎて」
先ほどもらった革袋のジュースで喉を潤しながら、ルディアはここまで旅してきた地方を思いだしつつ呆れ顔を浮かべる。
巨大な岩山のど真ん中を反対側まである探索者が剣の一突きで掘り抜いたというドラゴンも通り抜けれそうな巨大で真っ直ぐなトンネル。
凍りついた湖の湖底に存在する水棲種族の幻想的な都市。
まるで雨のように四六時中落雷が降り注ぐ山岳地帯や、一日ごとに場所を変えていく森。
勿論普通の地方もあるのだが、変わった場所の印象が強すぎてそればかりのような錯覚を抱かせるには十分であった。
「迷宮大陸トランドだからな。摩訶不思議な光景ってのは珍しくないさ。それでも俺ら一般庶民が見れるのはその極一部。特別区って表層的な部分でその奥に広がる迷宮本体はもっと無茶苦茶らしい。武器商人って商売柄探索者の知り合いも多いが、話半分で聞いても法螺話としか思えないのが多いからな」
「そうらしいですね。上級探索者の英雄譚に出てくる溶岩内での戦闘やら、巨大船も引き裂かれる大渦の探索とかまで来ると想像がつかないんですけど」
初級、下級、中級探索者辺りならばルディアも幾人かは話した事もあるが、最上位の上級探索者ともなるとそのほとんどは伝説やら御伽噺の登場人物と変わらない。
現役であれば大陸中心部の上級迷宮が近隣に数多くある迷宮内部地下都市に大半が常駐し、引退した者や休止中の者はトランド大陸に限らず世界中の王宮や貴族、大商人等に仕え文字通り住む世界が違う。
派手に脚色された英雄譚や数多くの眉唾な噂は世間によく広まっているが、その計り知れない実力や実態等を実際に知る者は一般人には少ない。
それが世界中に数十万人いるとも言われる探索者の中でも、4桁にも満たない上級探索者達である。
「俺もさすがに上級の知り合いはいないから、ミノトスの神官らの叙事詩で聞いたくらいだな。本物を遠目に見たことくらいならあるけどよ。有名ところじゃ管理協会現理事長の『樹王』ミウロ・イアラス、ロウガの『双剣』フォールセン・シュバイツアーやら『鬼翼』ソウセツ・オウゲン、あとは芸術家としても有名な『黒彫』レコール・イノバンとかだな」
指折りながら数えるマークスがあげた名は、別大陸出身者であるルディアでもその功績をよく知るほどの名を馳せた上級探索者達であり、同時に比較的世間一般にその姿を知られている者達であった。
「イノバンって300年近く一人で山奥で岩山を削って石像を掘ってる人ですよね。本来の寿命だと満足な作品が作れないから不老長寿の上級探索者になった変わり者って」
「おうそれだ。400年以上は生きてる変人で暗黒時代も我は関せずってばかりに岩山を掘ってたらしい。管理協会本部に顔を出したのも数回だけらしいんだが、たまたまその時に見たんだよ。ぱっと見は20中盤の優男なんだが、遠目でも何つーか雰囲気はあったな。嘘みたい話だがありえるんじゃないかって思わされた」
「……何かますます現実感が薄くなってきました。もっとも工房も持ってないしがない薬師のあたしには、上級探索者なんて一生縁はないでしょうけど」
「いやいやわからねぇぞ姉ちゃん。世の中ってのは何があるか判らないからな。ひょんな事から知り合ったり、ひょっとしたら姉ちゃん自身が上級探索者になったりするかもしれんぞ」
「そりゃどうも。でもあいにくなことに上級どころか、今のところは探索者になろうって気は皆目ありませんよ。工房を開く開店資金が不足なら考えなくもないですけど、そこら辺は薬師ギルドの低金利で借りた方が安全でしょ。探索者みたいにハイリスク、ハイリターンなのはちょっと」
笑うマークスに対して、ルディアは興味がないと肩を竦めて答える。
自身の本分は薬師であり、魔術はあくまでも薬剤調合補助と精々材料採取時や旅の途中で身を守る為の護身技能程度。
魔術師としては平凡な才能しかない。要領だけはそこそこ良いのである程度まではいけるだろうが、壁にぶつかればそこで止まってしまう。それがルディアの自身に対する分析であった。
「堅実だな姉ちゃん……俺の所のバカ息子も見習ってほしいくらいだ」
ルディアの回答を聞いたマークスが微かに眉をしかめて羨ましげな目を浮かべて、悩みを聞いてほしいそうな表情を浮かべる。
その様子からまたも愚痴が始まりそうなことをルディアは敏感に察していた。
「息子さん……ですか?」
だが話の発端を開くよりも聞き役に回り情報を集める癖や、基本的に面倒見のよい性格が災いし、その話題に触れないようにしようとする理性よりも先に口が開き続きを促していた。
「おうよ。今年でもう13になるんでそろそろ商売について覚えさせようって今回の商隊に見習いとして参加させたんだが、武器商人をやるよりも武器を振ってる方、探索者になりたいとかぬかしやがってんだよ。だから剣術道場に通わせろって最近五月蠅くてな」
マークスが溜息と共に吐き出したのは世によくある親の嘆きだ。
若年。特に男子となると華々しい探索者の英雄譚に心を引かれ憧れから探索者となる者は数多い。
だがその大半は早々と諦めるか、運が悪ければ心なし半ばで命を断たれる事になるだろう。
類い希なる才能と時流に乗る強運。
探索者に限らず世に名を馳せる者達とはこの二つを持ち合わせている。
どちらか片方を持つだけでもまれなのに、その両者を持ち合わせる者など本当に一握りの特別な者。
しかし自分がそんな特別な者だと思う若者は数多い。
こればかりは親や周りが口で言っても、挫折するまでは自らは認めようとはしないだろう。
「よくある話っていえばそれまでだけどよ。男親としちゃ、てめぇの商売を継いでほしいってのもあるんだが女房が心配性でな。俺が砂漠越えの商隊に参加してるだけでも結構気苦労をかけてる所に、これでバカ息子が探索者になったら心労で倒れちまうんじゃないかってな」
「ホントよくある話ですね。でも13なんですよね。そのくらいの年齢の男の子じゃ麻疹みたいな物だと思えば。もうちょっと大きくなれば現実が見えるんじゃないですか。それに不謹慎な話かも知れませんけど『始まりの宮』が終わったばかりで、これから怪我人や死亡者も増え照るみたいですし、目の当たりにすれば気持ちが変わるかも知れませんよ」
探索者となるには半年に1回大陸中に出現する特別な迷宮。別名『始まりの宮』と呼ばれる迷宮を踏破しなければならない。
そして今期の始まりの宮が終わってまだ十日ほどしか経っていない。
だが既に誰それが大怪我しただの、どこぞの新米パーティが壊滅しただの噂話をルディアは耳にしていた。
迷宮群に隣接し始まりの宮が近隣に出現する為新人探索者が多くいるラズファンにとって、新人探索者の怪我人や死亡者の増加は半年ごとに起きる性質の悪い風物詩といえるのかもしれない。
「そうだといいけどな。失敗した奴等の話よりも、成功した奴らの話に食いつきそうなガキだから。んなもん少数の稀有な例だってのに」
赤の他人であるルディアに話した所で、悩みが解決するわけではない。
だが愚痴とは基本的に誰かに吐き出して気分を紛らわせる物。
その事を判っている両者はあまり突っ込んだ話をせずに、ありきたりな話にありきたりな言葉を交わす。
「商売の楽しさってのを理解するにはまだガキでな。今日も俺が貸倉庫から運んでる間、商品積み込みの確認をやらせてるんだが真面目にやってると…………すまねぇ姉ちゃん。ちょっとこいつの手綱を頼めるか」
愚痴をこぼしていたマークスが急に黙り込んだかと思うと、いきなりルディアにラクダの手綱を押しつけてきた。
突然の事にルディアは声をかける間もなく、だだっと走っていたマークスを目で追いかけると、彼は少し先の桟橋へと飛びこんでいく。
その桟橋には些か古い様式だが、頑丈な砂船が停泊しており、他と同様に木箱や荷車を使って荷物の積み卸しをしている。
その隅っこの方で剣を振り回していた少年へと駆け寄ったマークスがいきなりその頭に拳骨を落とした。
「てめぇ! 商売物を勝手に振り回すんじゃねぇって何時もいってんだろうが!」
ルディアの所にまで聞こえるほどの大きなマークスの怒声が辺りに響き渡る。殴られた少年の方はよほど痛かったのか頭を抑えてしゃがみ込んでいたが、すぐに立ち上がり何か反論をし始めていた。
「あれが件の息子さんであっちがこれから乗る船って訳ね。賑やかな船旅になりそうね……ところでさぁ、あんたから動いてくれない。馬ならともかくラクダの手綱なんて引いたことないっての」
マークスの怒声で驚いたのかピタと動きを止めたラクダに対して、ルディアは声をかけるがラクダは歩き出す様子はない。下手に手綱を引いて暴走されても事だ。
結局マークスが息子との親子喧嘩を終えるまでの10分間、ルディアはそこで待ちぼうけを食らわされる羽目となった。