エーグフォラン地底王都グラウンドレイズ。
かつて地底黄龍王グラウンドレイズが住処にしていたという伝説が残る大洞穴こそが、ドワーフたちの国エーグフォランの王都になる。
島ほどの大きさの岩山で出来た甲羅を持つ巨大な陸亀だったと伝えられるグラウンドレイズは、ある時、暇を持てあます一柱の神の『世界は巨大な亀の甲羅の上』という人々の想像を事実にしようとする暇つぶしによって、不死存在とされその甲羅だけが無限に大きくなる呪いを掛けられたという。
ただでさえ巨大なグラウンドレイズだが、呪いによってみるみる甲羅が大きくなっていき、瞬く間にその大きさは巨大な山脈となり、自重によって押し潰され動けなくなってしまう。
動けず、押し潰される苦しみで藻掻きながらも死ねなくなってしまったグラウンドレイズを助けようとしたのが、龍王の友人であったエーグフォランの開祖であるドワーフたちであったという。
少しでもグラウンドレイズが楽になるようにと、その巨大な甲羅を掘り削り始めたのだ。
神の気まぐれに対抗するという無謀な挑戦を行おうとする小さき友人達の友情に感謝した龍王は、自らの魔術を用いその甲羅の中に途切れることの無い各種鉱石の鉱脈を生みだし、彼らの友情に報いたという。
これは伝説として語り継がれているが、全てがお伽噺という訳では無い。
掘っても掘ってもいつの間にやら古い坑道がふさがり、そこには新しい鉱脈が生まれる無限鉱脈が、実際にエーグフォランの周辺地下には広がっている。
その無限鉱脈は近年広がりを見せており、今では国外の一部地域にも無限鉱脈が出現し始めたという報告もある。
シャリアス大陸の中央山脈の大半はグラウンドレイズの甲羅になったという、まことしやかな噂もでており、将来の無限鉱脈化を見越し今までは不便すぎて見向きもされなかった僻地や、放棄された廃鉱地帯の領有権を主張しあう国々が増えていた。
その様にシャリアス大陸では新たなる戦乱の火種に事欠く事は無く、エーグフォランが有する国営傭兵団も時勢に合わせ拡大を続けた結果その数は一千を数え、その大半は国外で活発的に活動をしている。
戦乱参戦は無論のこと、開拓活動支援、僻地での築城任務等など、軍隊であり職人集団でもあるドワーフ傭兵団の活動は幅広い。
傭兵と言えば、所詮はよそ者武装集団。
正規兵になれない半端物、臑に傷を持つ者、食い詰めた素人の集まりや、金によって簡単に陣営を変えたり、略奪行為に出るという負のイメージがどうしても付きまとい、雇い主からも警戒される事も多々あるが、エーグフォラン本国から潤沢な活動資金を与えられる彼らはそれらイメージとは一線を画す。
優れた武具や技術を生み出すドワーフ鍛冶と商工ギルドが、取り扱う武具の宣伝や新規開発技術実戦テストをするために、傭兵団を結成したのが始まりとされ、その伝統を受け継ぐエーグフォラン傭兵団とは、すなわち国の広告塔。
高い練度と充実した装備。そして清廉な規律を兼ね備えたエーグフォラン傭兵団は世界各地でエーグフォランの武具や道具、技術を宣伝するため、日々活動を行っており、おおよそ半年から一年に一回程度の割合で本国に帰還して、人員の補充や装備の刷新、長期休暇を取る形になっている。
ミムが率いる金獅子兵団は、団長であるミムを頭に副団長夫妻の上級探索者3人が首脳陣を固め、各分隊長に中級探索者が配置され、分隊長下の一般団員もミムの選抜した精鋭で固められ、他国であれば正規騎士団と呼ばれてもおかしくない陣容を誇る。
本国に急変があった場合に備えて、数日から最長でも1週間以内に帰還が可能な近隣国、地域に主に派遣される事が多い為に、激戦地で戦う兵団と比べて目立った功績は少ないが、その実力はドワーフ傭兵団でも随一というのがもっぱらの評判だ。
王都グラウンドレイズには帰還する傭兵団員が休暇中に寝泊まりするための無料宿舎がいくつも用意されている。
今朝方に帰還した金獅子兵団も王宮近くの宿舎をあてがわれて、宿舎に入った時点で報告処理がある幹部を除いて一般団員は休暇となるのが慣例だったのだが、今回はまだ休暇とはならず団長命令で待機状態に据え置かれていた。
その宿舎の1階。会議室としても使われる多目的ホールに兵団員達の姿がちらほらとみえる。
待機中は外出禁止となっているため、部屋で眠っている者以外は、何となくホールに集まって少額の賭けカードをしたり、任務に支障が出ない程度に酒を飲み交わしたりと、思い思いに時間を潰している。
そんなホールの中。テーブルの一つで駄々をこねる子鬼の姿があった。
低身長ですらっとした体つきのおかっぱ頭の黒髪。
童女と見間違えられそうな女性の額からは短剣ほどの真っ白な角が飛び出ている。
「ひまやー。ひまー」
テーブルにだらっと身を預けながら、クレハ・出雲はたまっていた不満を吐きだす。
外見の所為か、それともこの性格と口調の所為か?
10代半ばの年若い少女に間違えられがちだが、魔族の一種族である長命種鬼人族と、短命種である人間族のハーフとして生まれた為、純粋な人間種とくらべ成長の緩やかなクレハは、これでも実年齢は25才になる立派な大人(本人談)だ。
昨年に中級探索者になったばかりの若手探索者であり、同時に金獅子兵団の新入り団員として初の任務を終えたばかりの新米傭兵である彼女は暇を持てあまし、その角を手持ち無沙汰に弄っていると、
「クレハ。待機中だ。我慢しろ」
クレハの隣で、本を読んでいた女性神官騎士ノルン・ヒーズライトはぱらぱらと速読して板本から目を上げると、女性にしては低い声で冷静に諫める。
声の所為や、その口調もあるかもしれないが、女性にしては高身長で肩幅が広く、その茶色の髪も短めにまとめているためか、男と間違えられる事が多く、クレハとは別の意味で、年相応の女性として見られないことも多い。
ノルンはクレハが探索者となった始まりの宮からの付き合いで、二人ともほぼ同時期に中級探索者となった親友であり相棒関係だ。
永宮未完に属する数多の迷宮は、多少の程度の差はあれ、下級から中級、中級から上級に上がる度に難度が激変し、今まで下級迷宮で使っていた装備のほとんどが、中級迷宮では全く役に立たない状態になってしまう。
だから大抵の探索者は昇級と同時に、装備の一新を行い、さらに上の迷宮へと挑んでいく。
クレハ達も、名目上は中級探索者ではあるが、まだ中級迷宮には潜ったことが無いなんちゃって中級探索者。
二人して探索者としての活動を一時休業して傭兵となったのも、中級迷宮で通用する装備を一緒に揃えようとクレハがノルンを誘ったからだ。
エーグフォラン傭兵となったのも、クレハの伝手がある事もあったが、なにより傭兵団員であればエーグフォラン産高性能武具が格安、もしくは功績があれば無料で譲渡してもらえる特典に引かれたからだ。
クレハ達のように特典に引かれて、エーグフォラン傭兵に一時的になる探索者は思いのほか多く、装備一新する際によく知られている手の一つとなっている。
そんなエーグフォラン国営ドワーフ傭兵団は、部隊員の構成種族は名前の通り大半がドワーフではあるが、他種族も多く参加している。
「そうはゆうても暇やもん。おとーちゃん。なんでうち達は待機よ。待っとけゆうた団長さんは戻ってこんし」
クレハはつれない親友から、テーブルの対面へと標的を移し、実の父であり金獅子兵団副長でもあるホウセンに目を向けた。
様々な任務、状況に合わせ多様な適正を得るために、有力な部隊であればあるほど他種族の割合が増える傾向があり、最精鋭である金獅子兵団の場合は、半数がドワーフ、残り半分を人間、エルフ、魔族、竜人など多様な種族で構成した混成傭兵団になる。
現に2人いる副長の1人であるクレハの父の上級探索者ホウセン・出雲は、ルクセライゼン大陸出身の人間族。
もう一人の副長であり同じくクレハの母である上級探索者。煌・出雲は、お隣トランド大陸生まれの純血鬼人族だ。
出雲夫妻は、団長であるミムが現役探索者時代に組んだ最終パーティメンバーであり、ミムが金獅子兵団を継ぐことが決まった時に、団員としてスカウトされ、その後金獅子兵団の一員として何度も激戦をくぐり抜けて、今では副長の地位に就き夫婦揃ってミムを支えていた。
「クレハ。待機といえど任務中であることに変わりないのだから、もう少しちゃんとしなさい」
ホウセンが上級探索者となったのは50を超えてからだった為に、不老長寿の上級探索者といえど、見た目は白髪交じりの中年戦士だ。
上級探索者となったのは遅咲きであるが、むしろ貫禄が出てきた歳になってから不老になってよかったが本人の弁。
何せ部下の中には人間種であるホウセンよりも、遥かに長命な種族も数多く、下手すれば数倍以上年上という事もあるからだ。
「任務ゆうても、金獅子は精鋭で、しかもきな臭い国境地帯ゆうから張り切ってたのに、やったことは古くさい鉱山の設備修理や途中の街道整備なんて土木工事だけやし、戦いなんぞなーんもあらへん」
しかし強面で知られる副長も、娘にかかっては所詮は父親でしかない。
頬を膨らませたクレハはたらたらと文句をこぼす。
今回の任務でやったことといえば、国境地帯にあたる人里離れた山奥の廃炭鉱までの古い街道を再整備するために、崩れていた岩をどけて、崖を魔術補強して、橋を架け直してと土木作業ばかり。
鬼人族の血を引くクレハは見た目に反して馬鹿力の近接系パワーファイター。
大型モンスターも殴り倒せる自慢の拳も、今回は行く手を塞ぐ倒木や岩を砕くハンマーとして以外の出番は無かった。
「ノルンのように兵法書や魔術書を読むなりと、時間を潰す方法はいくらでもあるのに、いい歳をした娘がダラダラと駄々をこねない。みっともない。せめて礼儀作法だけでも見習いなさい」
恨めしげな目を向けてくる娘に、ホウセンは更なる説教で返す。
ノルンが読んでいる本は、以前に宿舎に泊まっていた兵団の誰かが寄贈したり、忘れていった書物を引っ張り出してきた物で、古典的な軍学や兵法に関した物から、シャリアス各地の風土記、はたまた専門的な広域魔術研究書など、傭兵家業を続けるなら知っておいて損が無い物ばかりだ。
「子供の頃からの習慣なだけですから、褒められるほどの物ではありませんがありがとうございます。それに私なんかを見習わずとも、クレハもちゃんと努力しています。初級探索者の頃から、毎晩の実戦訓練は欠かしてませんし、なにより才能がありますから、ご心配なさらずとも大丈夫です」
ホウセンの褒め言葉に、ノルンは目を落としていた本から顔を上げて、律儀に丁寧な礼を返してから、クレハのフォローをいれた。
「全く同い年だというのにどうしてこうも違うんだ……クレハはどうにも子供っぽいから心配だったんだが、君のような真面目な子が一緒のパーティで本当に安心できたよ」
「またノンちゃんばっか、えぇかっこする。ノンちゃんだって初任務なの拍子抜けやて思っとたやろ」
厳格な修道院で育てられ幼い頃から厳しく礼法を仕込まれていたので当たり前の事だという顔をするノルンの横で、クレハは不満顔のままだ。
「今回の任務地は、無限鉱脈に変化した可能性が高いと狙っている国が多い。金獅子が重しになって、他国が動かなかっただけの事で、一歩間違えればあの周囲が最前線になる可能性も十分に考えられていた。今回は運が良かっただけだ。君も理解していただろ」
「そらぁわかっとるけど、一度もちょっかいが無かったんの、逆にけったくそ悪くていやや。うちらがいなくなるの待っとったとか。兵隊のおっちゃんら大丈夫かなって心配なるわ。こんなあ暇すんなら、もうちっとあそこおうても良かったやん」
鉱山周辺の整備工事中も国境警備巡回を、依頼国の国境兵と合同で何度も行っていたが、隣国が越境どころか偵察隊を派遣してくる事すらも無く静かな物だった。それがクレハにはどうにも気がかりだった。
依頼国の国境警備兵は大半が家族を残して赴任している者ばかり。
外見が子供に見えるクレハに地元に残した子供の姿を重ねたのか、親しみを込めて何かとからかわれたり可愛がられて、すっかり仲が良くなっていた所為もあって、クレハは彼らの安否が気にかかっていた。
「交代兵団ものうて、うちらが帰還してよかったん? 作業が終わって契約終了してもうたちゅうのはわかっとるけど、試掘された岩が王都地下鉱山と似とるって、十中八九無限鉱脈化しとるって隊のドワーフのおっちゃんら全員が口揃えてゆうとったで」
ドワーフ達の石を見る目に間違いは無い。
皆が口を揃えてそう判断するのだから、間違いなくあの廃鉱山には、無限に採れる鉱脈が出来ているはずだ。
その戦略価値がどれほど高いかは、考えるまでも無く明らか。
何時領地を奪い取ろうと隣国が攻め入ってくるか判らないというのに、金獅子が帰還する日まで国境警備が増強される様子は無かった。
「さいぜんさかい聞いとったら、ほんまにいちゃもんんおーい子ね。すんまへん。ちょい中断します。旦那さんと交代です」
「おういってきてくれ。こっちはホウセン副長の方がまだ勝ち目ができるからありがてぇ」
クレハ達の近くのテーブルで盤を睨んで将棋をしていた煌・出雲は、娘の愚痴が気になったのか対戦相手の老ドワーフに一言断って煩わしそうに立ち上がった。
老ドワーフの方は、懐まで攻め入れられていたので、逆に助かったという顔で快諾を返した。
この辺りでは見ない真っ白な古式浄衣を身に纏い妖艶な色気を醸し出す煌は、母子だけあってクレハと顔立ちはよく似ているが、純血種の鬼人族のため額から伸びた角はクレハよりも大分大きい。
さらに背や胸に至っては子供体型のクレハは比べてやるのが可哀想なくらいで、大人の色気に溢れていた。
「旦那さん後はたのんまっせ。勝ったら秘蔵んお神酒がもらえるさかい二人で今晩ゆっくり飲みまひょ」
ホウセンの横に腰掛けた煌は肩を寄せて、その大きな胸を腕に絡めて甘えた声をあげる。
結婚してすでに30年近くになるのに、未だに煌はホウセンにベタ惚れで、娘のクレハの前でも、クレハが恥ずかしくなるほどにあけすけなくべたべたとする。
「あまり期待しないでくれよ」
腕を取られたホウセンの方は言っても無駄だと諦めているので、煌のなすがまま送り出された。
「さてあんさんみたいなまぬけが気づいてる事なんて、みんな織り込み済みどす。たいがいしなはれ。かあちゃんがちゃんと説明しはるさかい」
クレハに目を向けた煌はそう告げると、次いで本を読んでいるノルンに軽く頭を下げて謝る。
「婿はん。五月蠅くなるやけどかんにんえ」
勉強家で生真面目なノルンも煌のお気に入りで、女性でも良いからクレハの婿に来ないかとよく口説いていて、婿さん呼びが今では定着していた。
「いえ、煌副長の講義であれば本を読むよりも勉強になります。私も拝聴させていただいてよろしいでしょうか?」
「誰がすぼけよ。それに誰が誰の婿や。ノンちゃんも面倒でも毎回ちゃんと突っ込まな。おかーちゃん本気にするで」
「私達は同性なんだから冗談に決まっているじゃ無いか。男扱いには慣れているから気にはしないよ」
ノルンは冗談とまともに受け止めていないが、クレハはどうにも母の目を見ると半分くらいは本気に思えてならない。
真面目なノルンに変なことをしたりからかうなとクレハは警告の意味で睨み付けるが、
「そないそない。てんごなんにかなんどすなぁ。ほな始めまっしゃろからちゃんと聞いておくれやす」
娘から発せられる抗議の視線は無視して、煌は胸元に手を突っ込み数枚の札を取りだし、テーブルの上に並べ始める。
紙と墨で作られた手作りの護符には複雑な紋様がいくつも描かれておりその数は全部で5枚だ。
「おいでやす」
煌が簡易詠唱を唱えると、札はたちまち手乗り人形サイズの小さな鬼達に変化する。
それぞれが特徴的な物を手に持っているので見分けはつけやすい。
軍師でもある煌はこのような式神を用いてよく戦術説明をするが、そのゆったりとした古風な口調の所為か、軍師というよりもどうにも子供に勉強を教えている教師のような感じとなる。
落ち着きがなく座学が苦手なクレハは嫌そうな顔を浮かべ、一方でノルンは読みかけの本にしおりを挟んでテーブルに置いてから真剣な目を向けてと、真反対の反応を示した。
「こん子達がこん辺んそれぞれん主な国どす。まず鶴嘴を持ったこん子がエーグフォランどす。ほして金貨袋が依頼国。隣国が杖、水瓶、剣でそれぞれ、い・ろ・はとします。クレハ。それぞれんお国ん配置と事情くらいは知ってますね」
「それくらいはわかっとるわ。こうやろ」
クレハは手乗り鬼を取るとエーグフォランが一番手前。
その後ろに依頼国。
そして依頼国を囲むようにいろはの順でそれぞれを置くと、次いで一つ一つの国の事情をあげていく。
依頼国はエーグフォランとは今は友好的な関係を結んでいるが、元々は領土野心旺盛な侵略国家。
今回問題となっている鉱山地域では魔力を含む良質な鉱石が多様に採れていたので、それを元手に得た資金で軍事力を高め周辺の小国家を武力併合。
この地域の盟主の座を巡ってエーグフォランとも何度も小競り合いを起こしていたが、止まらない軍拡路線のつけと、鉱山が枯れ初めたことで、国民生活は徐々に困窮。
それでもエーグフォランの無限鉱脈を狙い侵略戦争を主張する主戦派と、侵略地域の開放を含む周辺国家との和睦を計る穏健派にわかれて政争を繰り広げ、最終的に数代前の王の時代に、エーグフォランの援助を受けた穏健派の王弟が国王を含む主戦派を駆逐、僻地追放して今に至っている。
国土が激減した現在は、盛況を誇った歓楽街での質の高い接客スキルに目をつけたサービス業パッケージ化と人材育成。
交易の盛んなエーグフォランの隣国である事を生かし、取引相手としては魅力的だが、地下生活な上に無骨で実利一辺倒なエーグフォラン文化になじめない他種族へ、高付加サービスを提供するリゾート国家として、何とか生き残っている。
一方で、金銭的な問題と、過去の反省から軍備に関しては最低限程度となり、周辺国家の中では最弱となっている。
杖を持った手乗り鬼が現す『い』は軍事宗教国家。
武神を信奉する厳格な教義に縛られた神秘主義が幅を利かせており、主神への信仰を示すために正義の戦いで勝利を捧げるという国是を掲げているが、その実体は元々の依頼国と変わらない侵略国家。
確実な勝利とそれに見合った利益が見込める場合は大義名分をこじつけ躊躇なく戦争を起こす、近隣では最武闘派の国家になる。
水瓶を持った『ろ』は農業、林業国家。
国境線を大森林地帯で囲まれた天然要塞国家は、少数の職業軍人がいるだけで平時の軍事力は低いが、戦争時は国民の大半が半農半兵の民兵と早変わりする。
国民にはエルフや獣人が多く森林地帯でのゲリラ戦を仕掛け、地の利を生かした長期戦に持ち込み敵を疲弊撤退させる防衛線を主な戦略としている。
国の基本である農業、林業に欠かせない中央を流れる大河の源流が、鉱山地帯にある為、過去にはその源流を人質に取られ、依頼国の軍旗の下に屈した事もある旧支配地域。
作物の良顧客であるエーグフォランや、支配地域を開放した王弟派とは友好関係を持っているが、国家戦略上の拠点である鉱山地帯を常に注視している。
最後に剣を持つ『は』は、依頼国の元主流派である主戦派の流れを引く新興国家。
放逐された兄王の血脈を称する男が、僻地を開拓し、周辺部落を制した事で再興を果たしている。
現在はまだまだ小規模な勢力といって良いが、依頼国を偽王一派と断じて領土返還を求めているので、逆襲の機会を虎視眈々と狙っているのは間違いない。
これら主な三カ国に加え、国とはいえないまでも、それなりの力を持つ集落や城塞都市が入り乱れているのが今の周辺事情だ。
「あんの廃坑周辺は山道ばかりで大軍が動かしにくうて、守るんは容易いけど、攻め入るのは難儀や。依頼国に通じる道やけど、こっすい『い』が、戦して無理してまで落とす価値はあらへん。何せその後はエーグフォランや。勝てるわけ無い。だから今まで放置されとった。『ろ』やて、変なことされなんなら、慣れない攻め戦をせんと仲良おしといた方が安上がりや。だから攻めてくるのは、『は』の逆恨みしとるアホな連中ばっかやった」
クレハの説明に合わせ手乗り鬼達が動きだす。
依頼国に対して、『い』は明後日の方向を向き『ろ』はじっとみつめ、『は』がちょっかいをかけて依頼国とやりあっている。
エーグフォランは待機の姿勢だ。
「でも今は事情が変わってもうた。無限鉱脈やってばれたらしまいや」
廃坑が鉱石を採掘し続ける事が出来る無限鉱脈に変わった事で、あの土地の戦略的価値は格段に跳ね上がった。
『い』が無理をしてでも攻め落とす価値が生まれ、さらに源流を押さえれば『は』への布石にもなる。
『ろ』としても領土的野心の強い『い』や、旧支配者である『は』にあの土地を押さえられるのは非常に困る。
そして『は』からすれば、往時の姿を取り戻す起爆剤として是非にも欲しい場所。
「『は』のあほだっけやったら依頼国だけでもなんとかなるけど、『い』が出てきたら最初の防衛は出来ても、兵隊さんがたらんから長続きはせえへん。たらへんなら、うち達みたいな傭兵部隊をやとうのも手やけど、あの国にはずっと雇ってられるお金があらへんからや。これであっとるやろ。おかーちゃん?」
「そうどす。基本は一応は判ってますね」
「あたりまえや。紙の資料だけやのうて、国境兵のおっちゃんからも、ちゃんと聞いとったいきとる情報や」
「さてなら問題や。すぼけなあんたやて、詰むとわかる状況や。なんに隠そへんともせいで、わてらに鉱山ん再開発を依頼どした理由はなんやと思う? あへんなに堂々とやればバカやて判るやろ無限鉱脈化したかて」
そう問題はそこだ。
無限鉱脈を一番知るのはドワーフ国家エーグフォラン。
そこの傭兵部隊が鉱山の再開発をしたとなれば昨今拡大化している無限鉱脈にあの廃坑一帯が変化したとばれてしまう。
クレハ達ずっと常駐しているならばいくらでも守ってみせるが、今あの地に残っているのは元からいた警備兵だけだ。
守るには人が足りない。
傭兵を雇うお金も無い。
鉱山を再開発したからといってすぐに利益が出るわけでも無い。
「……おかーちゃんいけずや。それがわからんから悩んでるんに」
恨めしげな目で母親を睨むクレハの横で、机の上をじっと見ていたノルンが『ろ』の子鬼に手を伸ばす
「敵対可能性が低い『ろ』に援助を要請。同盟を組むとかはどうでしょうか? この地を取られたくないというのは一致します」
「それも有りせやかて今回はちゃうよ婿はん。そないやったらどないやってもあいや元を見られてしようし、『ろ』が常駐しはるお金を出さなければ筋が通らんね。依頼国は強かで損をなるべく少なくしいや実を取っとる」
「取ってる? 過去形ですか……もう手はすべて終わっているって事ですか」
ノルンは違和感を覚える。
その言い方ではこれから対策を施すのではなく、既に事が全て終わっている用に聞こえる。
「へー。なんもせな、ようちびっとは誤魔化せてもらいろうやけど。それも時間ん問題どす。それにせっかくん鉱山もつかえへんで塩漬けになるやけどす。鉱山を生かし、利益に繋げる方法とはなんでっしゃろ?」
「終わっとるってゆうても、防衛力たらへんやん。そないな。あげるだけちゃうの?」
クレハはますます頭を悩ませてしまう。
もう既に終わってるといわれても、自分達はいって直して、帰ってきただけだ。
どう考えても防御は出来ず、近いうちにあの土地はどこかの国の物となってしまうだろう。
「あげる…………まさかこうですか?」
クレハが何気なくいった言葉にノルンが反応して、二つの手乗り鬼を掴み場所を入れ替えた。
それは依頼国。そしてエーグフォランだ。
「ノンちゃん。それ無理ない? 余所の国に全部丸投げって」
懐疑的な目を浮かべた娘とはちがい、煌は面白げに目を細めた。
「婿はん。そん心は?」
「周囲一帯を譲渡して鉱山採掘と国境線の防衛をすべてエーグフォランに任せてしまう。ただし無償譲渡では国民が納得しないので金銭か、もしくは土地の交換。今現在防衛線を通常兵のみにしているのは誘い。実際に攻められれば防衛が無理なのは明白。何も出来ずにただ敵国に奪われるよりは、確実な利益が出ると判れば、国内に反対派がいたとしても押し通すことが出来るはずです」
静かに説明したノルンが煌の顔を覗くと、破顔した煌はぽんと手を一つ打ち合わせた。
「よお出来たんや。さすが婿はん。うちが惚れてしまいそうどす。ほぼ正解やね。結局石は掘ってもエーグフォランに売る事になる。ならおさきに鉱山ぐち売ってしまおうちゅう事どす」
鉱山を再開発したら、他国から守れない。
だが何もしなければ何の利益も生み出さない。
死んでいる資産を動かすために選択したのは、土地を売りさらに生かすという発想の転換だ。
エーグフォランに金銭と引き替えに領地を譲渡。
しかもその目的はその一度だけ入る金では無い。
周辺国に睨みを利かせてもらいつつ、熟練鉱山夫であるドワーフ達に鉱山を拡大してもらう。
鉱山が発展すれば人が集まる。人が集まれば消費と流通が発生し、商売チャンスはいくらでも生まれる。
土地を売った金で周辺のインフラや商業を整え、鉱山夫や取引商人達に、今の国が得意とする質の高いサービスや娯楽を提供し、金銭を落としていってもらう。
エーグフォランとしても、質の高い魔力含みの鉱石が採れる鉱山はいくら有っても困らない。
いくら無限鉱脈といっても、年々採掘できる量に限りがあるし質の問題もある。
さらに言えば自分達には出来無い細やかなサービスを味わえる酒場が増えるのを、嫌がるドワーフは皆無だということもある。
「そない両国ん思惑が噛み合ったんが今回ん話どす。団長はんのミムはんはあれでこん国ん第1王女。領土交渉役としいや十分な資格を持っています。開発を隠れ蓑に条約ん調印済み。後は敵国が攻めてきたら、国内世論をまとめ発表しはるやけどす」
「……うちが暢気にしとった裏でそんな事なってんの」
「私も全然気づいていませんでした。勉強不足です」
暇だ暇だと思っていた平凡な任務の裏で、そんな大きな謀があったとは夢にも考えていなかったクレハはあ然としていて、ノルンも正解を導き出しはしたが気づきもしなかったと反省の弁をのべる。
「ひょっとして団長はんが今どこかいっとるんも、なんか大きな事なん?」
「いかいって言うたらいかいし、ちっさいと言うたらちっさい事どす。国ん大事となるか、家族ん問題となるか。どっちゃやろうね。なんせ相手が相手やさかい。かなボンはよういわんさかいんに」
普通なら休暇に入るはずなのに異例の待機状態。
気を引き締めた方が良いのかと聞くクレハに対し、何時も飄々としている煌にしては珍しく何とも曖昧な言葉で返していると、正面玄関が荒々しく開かれた音が響いた。
「どないやら戻ったようどす。聞おいやした方が早おす」
クレハ達がその音に驚きながらもホールの出入り口へと目を向けると、怒りの形相を隠そうともせずたたき壊すような勢いで扉を開けて、団長のミムが入室してくる。
その背中には大きな革袋が担がれていた。
「金獅子! 全員ホール集結! 一分以内! 捜索隊準備。あの馬鹿の首根っこ捕まえて引き連れてこい! 見つけた奴には報酬として7工房の最新武具一式! これが代金!」
全身の骨に響くほどの咆哮を上げたミムが床にたたきつけるように革袋を投げ落とす。
叩きつけたの勢いで開いた口からは、じゃらじゃらと満杯に詰まった金貨があふれ出した。
あの大袋は少なくとも一万以上の金貨が入るサイズのはずだ。
これが金貨10枚、20枚という金額なら小躍りもできるが、さすがに高額すぎて事情が今ひとつ飲み込めないクレハやノルンは思わず引いてしまう。
「またか……今回何やったんだあいつ?」
「なんかやらかしたか。やるかどっちにしろ。あそこまで団長を怒らせてるのは久しぶりだな」
「とりあえず俺、廃倉庫を当たってくるわ」
「儂はそこらの工房巡りだな」
「前回はどこで見つかった?」
「あーたしか冷凍大倉庫。海竜の胃の中。表皮じゃなくて内臓の皮で防具ができるかとかうんぬん」
「それ前々回だろ。この間は非合法の地下剣闘場の武器庫で首狩り刀を研いでた。見つけたの俺だ。あの後しばらく肉が食えなくなった」
「……ティルの研いだ刀じゃすっぱり死ねるから楽そうだな」
「いや、やり過ぎて客も含めて壊滅してたぞ。俺らが行った時にばらばら死体の山だった。俺は今でも内臓系がダメになった」
だが他の先輩団員は落ち着き払った物で、またかという顔を浮かべてなにやら不穏な台詞を交わしていた。
「……おかーちゃん。うちら何を狩らされるん?」
「化け物やね。かな子に飲み込まれへんように気をつけよし。下手すれば狂うさかい」
青ざめた顔をのクレハに母から帰って来たのは余計不安を煽る言葉だった。