ドワーフ王国『エーグフォラン』
商才に優れた交易種族であり、冶金を得意とする技術種族であり、勇猛果敢で知られる傭兵種族。
数多の顔を持つ種族ドワーフにより統治運営される単一民族国家エーグフォランは、トランド大陸の東方に位置する火山大陸シャリアス中央の火山地帯に存在する。
小国家が群雄割拠し日々激しい戦乱が繰り広げられるシャリアスにおいて、国の興亡はよくある話として、よほどの大国でも無い限り、酒場での噂話すらもあがらない日常の事。
その様な戦乱の地においてエーグフォランは、暗黒時代以前より続く数少ない長寿国家の1つ。
彼の国が永き時に渡り、権勢を保てるのにはいくつかの理由が挙げられる。
険しい火山と毒の霧をはき出す谷に囲まれた地下大洞穴に存在するエーグフォランは、その領地から採れる豊富な鉱石は魅力なれど、攻めずらい天然地下要塞であること。
数十人から数百人単位で世界中散らばる戦闘経験豊富なドワーフ千傭兵軍団は、故国の危機とあれば、例えつい昨日まで敵対陣営で戦っていた兵団同士であろうとも、一斉に駆け付け肩を並べ共に戦うといわれる、種としての繋がりの深さ。
世界中の国家と取引することでため込まれている金銀財宝により、大国一つの全ての土地を即金で買い上げる事も可能だという資金力。
だが何よりもエーグフォランを不滅たらしめるのは、国王麾下7工房を筆頭に、国内に無数に存在する工房。
そこから生み出される生産能力と技術力は、エーグフォランの代名詞。
戦乱においてエーグフォランが味方した陣営は必ず勝利するというのは、嘘でも誇張された伝説でも無く、建国以来の純然たる事実として世界中で知れ渡っている。
敵に回すには恐ろしく、味方とすればこれ以上頼もしい存在は無い武闘派国というのが、周辺国家からみたエーグフォランだ。
しかしこれはあくまでも国としてみた場合。しかも外側から見た場合だ。
中に入ってみれば案外イメージと違うのは、世の常。
ドワーフが数多くの職業に優れた特性を発揮するのは間違いないが、それは種族としてであって個人ではない。
機知に富み交易が得意な者もいれば、優れた剣を生み出す頑固な鍛冶職人もいて、勇名を持つ無骨な武人もいる。
各々職が違い立場が違えば、意見も異なるわけで、外が思っているほどには、普段は内側ではまとまっていないそれがエーグフォランの実状だ。
古来より曰く、ドワーフが二人集るなら酒樽が空になる。
格言なんだか単なる事実なんだかどちらでもいいが、ドワーフによって運営されるエーグフォランの場合、会議という物はどれだけ重要な物であろうとも、大麦エール酒を片手にグビグビと傾けながら、金串にささった肉汁たっぷりな肉をぐいっとやる宴会と相場が決まっている。
そうなると自然と緊張感が皆無となるのはしかたないかもしれない。
エーグフォラン王城『金鉱の間』
国の重鎮が集まり、国の行方を左右する議題の時にだけ使われる幾重もの対魔術結界に覆われた金鉱の間で行われる会議においても、そのスタイルは変わらない。
室内は机など家具は一切無いがらんどうになっており、円形になった部屋の中央に山岳山羊の毛で織られた毛の深い絨毯が敷かれている。
その絨毯の上では8人のドワーフたちが、中央に盛られた大皿料理や無数の酒瓶を囲んで車座になって集まり、会議という名の宴会が繰り広げられていた。
その面子は見る者が見れば、国の一大事かと疑いたくなるほどの重鎮揃い。
エーグフォランの象徴ともいうべき7工房の工主が、激務の中を縫って一堂に会すという滅多に無い事が起きていた。
「まーまいったな。早くティルに来て貰わんと。とりあえずわっしゃの工房はしばらく止まんぞ。あいつの相槌で加工するつもりだった大物がおるんだわ。あればらして色々やる予定なんだわぁ」
現に今発言した王国麾下第2工房工主『黒金のライバン』は、その二つ名にふさわしい顎に蓄えた立派な黒髭に泡をたっぷりとつけながらほどよく酔いの回ったトロンとした目付きで宣うと、他の連中に取られないようにと、意地汚くも酒瓶を確保しようと手を伸ばした。
「てめぇライバン飲みきる前に手を出すな。こいつは儂のだ。それにティルもだ。前回はてめぇん所で使いやがっただろうが。次回はうちに回せ。久方ぶりに大型騎乗竜用の衝角魔具の鋳造依頼が来てんだ。あいつにうちの真髄を勉強させてやるんだよ」
ライバンのジョッキの底はまだ僅かだ酒が残っているのを目ざとく見つけた第4工房工主『赤銅のサーザン』は、そうはさせないと引ったくるように酒瓶を奪い取ると、赤髭を掻き分けてそのまま豪快に大瓶ごと飲み始める。
「サーザンよぉ。瓶ごとってそおらないでしょ。わっしゃが目をつけとった瓶だでそら」
「はっ。お前がとろいからだ。酒なんぞすぐ無くなるのが世の常。早いもん勝ちだ」
目の前で目当ての酒瓶をかっさらわれたライバンが恨めしげな声をあげるが、サーザンは見せつける様にグイグイとさらに瓶を傾けている。
二人が取り合っているのは別に高級酒というわけでも無ければ、珍しい酒というわけでも無い。
街の酒場に行けばありふれた大衆酒だ。
ただ一瓶の量は他に比べて多い。
とにかく飲めればよいという酒飲み思考で気の合う2人は、こういう場で目当ての酒がよく被る。
「そらそうだわな。ライバン。おまぁさんは仕事もゆったりだが、酒もおそいじゃあかんだろ。温くなる」
第1工房工主『鋼玉のクモン』はサーザンの言葉を肯定すると、まるで流し込むように次々にジョッキを空けていく。
ドワーフが酒に強い種族とはいえ、一切顔に出てもおらず、ちゃんと味わっているのかどうかも怪しい勢いだ。
「うむ。一理ある。しかしサーザンの瓶ごとというのも感心せんぞ。酒はジョッキに移して色合いを楽しむのも乙だろう」
そんな台詞をいいつつ、安酒には目もくれず、一瓶の量は少なくとも高めの稀少酒を目ざとく自分の周りに集めていた第6工房工主『白鉛のオルザイン』が、杯に入れた蒸留酒の色合いの変化を楽しんでいると、
「まった! そこは時間をおいて香りを楽しむのも付け加えましょう! ライバンさんのゆっくり飲むのもあちき的にはあり! というわけで味方をしたんだからティル君の次の優先権は是非あちきらに! 宝飾品の飾り技術も習いたいって本人いってますんで!」
7工主最年少であり第3工房女性工主の『褐錫のキロム』が異議を唱える。
ウワバミも裸足で逃げ出す年輩組みに比べるとさすがに量は飲めないが、それでもドワーフ。
その周囲にはいくつも空き瓶が転がり既に出来上がっているようで、テンション高くライバンを擁護するが、その目的は味方というよりは、味方する代わりの人員確保の意味合いが強いようだ。
「あんたら男衆は飲めれば良いでしょうが。何を格好つけて飲み方談義だい。キロもどさくさ紛れにずるしなさんな。ドワーフといえどあたしら女人にして一流の職人ってのは、酒は静かに傾けるもんさね。だろうレグルス翁……火龍酒の一人占めは感心しないね」
子供めいた争いをしている同僚達を見渡すと、女性ながらも長く綺麗に整えられた白髪交じりのあごひげを伸ばす第5工房当主『水銀のアマル』はゆったりと杯をあけ、隣へと空杯を差し出し、その酒を寄越せと催促する。
「これは儂の持ち込みだぞアマル……そのうち返せ。他の者も飲みたければ杯を出せ」
アマルの差し出した杯に火龍の血から作られた幻の名酒『火龍酒』を注ぐ老人は、火龍酒と聞いて目の色を変えた他工主を見て諦めの息を吐く。
身体の隅々まで焼けるように熱くなり、とろりと染みてい極上名酒と聞いては、ドワーフの血が騒ぐのだろう。
誰も目線を合わせてもいないというのに、見事なまでに一斉に杯をぐいっと空けて、突き出した。
それぞれの杯に酒を注ぐのは第7工房工主『白銀のレグルス』
難攻不落の砦を築く築城専門集団長『第1工房工主クモン』
最先端の技巧を施した様々な鎧を作り出す名工『第2工房工主ライバン』
可憐なる宝飾品にして優れた暗器を生み出す各国王家御用達彫金師『第3工房工主キロム』
使役獣への特殊装備魔具開発の世界最高峰技師『第4工房工主サーザン』
大地母神神官にして回復神具開発の母と謳われる『第5工房工主アマル』
大型兵器や防御兵器開発によってドワーフ傭兵団を支える『第6工房工主オルザイン』
刀剣を専門としながらも、望まれればあらゆる物を作り出す天才にして異才『第7工房工主レグルス』
それぞれ専門とする分野は違えど物作りの最高峰を自負する彼らこそが、エーグフォランが誇る7つの工房を率いる工主にして、紛れもない国の重鎮……のはずだ。
一人いればその国の行く末を変えるほどの技術を持つ名工達であり、名誉もあり金にも困らないはずなのに、意地汚い酒飲みそのままの安酒の取り合いをするわ、緊張感の欠片の無い会話をするわと、どうにも威厳に欠けるのは気のせいではないだろう。
元々ドワーフ職人連中とは、負けず嫌いの上に、作りたい物を作るという自分勝手な者が多い。
ましてや名工と呼ばれる者であればあるほど、その傾向は顕著。
エーグフォラン最高の7工主とは同時に、最高の変わり者といってもいいのかも知れない。
そんな7人を前に、ただ一人黙っているドワーフが一人。
最後の一人は雰囲気が違う。
短身であるが鍛え抜かれた体躯を持つ女性だ。
ドワーフとしてはまだ若い部類に入るのか髭は無く、身につけるのは見事な装飾が施された重厚な金色甲冑。
一見儀礼用にも見える派手な金色の鎧だが、よく見れば無数の傷が刻まれ、激しい実戦をくぐり抜けて来た事を如実に物語る。
その肩に刻まれた隊章は猛る一角獅子のレリーフ。
ドワーフ傭兵千団の中でも最勇猛として知られる金獅子兵団の部隊章であり、そらにその上に施されたエーグフォランの国章『燃ゆる槌』がこの女性が、荒くれ者を率いる傭兵団長である事を示す。
彼女の名はミム・エーグフォラン。
その名が示すとおりこのエーグフォランを治める王家『黄金のエーグフォラン』の第1王女であると同時に、上級探索者として『金獅子』の二つ名を持つエーグフォラン最高戦力の一人。
不老長寿の上級探索者となり成長が止まっているため若く見えるが、これでも40に手が届くベテラン戦士だ。
そのミムは憤懣やるかたない顔で、自分のジョッキを形ばかりとはいえ握っていた。
よく見れば金属製のはずのジョッキが指の形で歪んでいる。
その怒りの強さがよく判るという物だろう。
鎧姿のなのは、つい数時間前にミムは派遣されていた戦地から帰還したばかりだからだ。
そしてその僅か数時間後に、こうして緊急会議を招集することになっていた。
「…………爺、婆共。そろそろ本題に入って良いか」
ドワーフ故に最初は宴会気分は仕方ない。
どれだけ重要であろうとも酒が無ければ話にならないから仕方ない。
しかも相手は、たかだか姫で傭兵団長にしかすぎない自分よりも、大切な国の重鎮達。
胸の内を渦巻く怒りをそう思って何とか飲み込みながらも、その言葉の端端からは怨嗟の感情の欠片がちろちろと顔を覗かせていた。
「おー姫さん。どうした。飲んでねぇな。ほれ若いんだから飲め飲め」
そんなミムの様子に酒が足らないとでも思ったのかサーザンが暢気なことをいった瞬間、ミムの寛容という感情の糸は切れた。
それは物のみごとにブチッと切れた。
ミムは怒りのままに立ち上がると全員に指を突きつけ、
「今の気分で飲めるかっ!!! あんたら今日の緊急招集の議題がなにか覚えてんだろうな!?」
「オッケーオッケー忘れてない! つまりはティル君の利用順についてだぁ!」
ほどよい感じに出来上がっていたキロムが、ミムに合わせ立ち上がるとケラケラと笑いながら言うと、
「おーそうだったそうだった。俺の所が最初だったな」
「てめぇオルザイン!どさくさ紛れに優先権取るな! うちだつってんだろうが!」
「おまえさんもだ。だからわしゃっの所がまずだってぇの」
「あーうるさいねぇ。丁度酒もあるしどうせなら早酒飲み対決で決めな。無論あたしも参戦するよ」
「いや待て待て。アマル婆。それじゃあんたの一人勝ちだ」
「ならくじ引き! あちきがつくるよ!」
「てめぇだけは却下だ! サマする気だろうが!」
他の面々もそれぞれほどよい感じに酔っ払っていたのか、第1から第6工主達はあーだーこーだと自分勝手なことを話し始める。
その様にミムの怒りは再度爆発した。
「誰が使うとかそれ以前の問題だ爺共! 使ったら帰せ! そこらの木箱で寝かせるな! 街中に出すな! 飯は食べさせろ! あたし遠征前に何度も何度も言ったよな!? あの馬鹿だけは絶対に放置するなって! 良い剣とか見たらフラフラ後に着いてく考え無しの糸無し凧だって! どーすんだよあの歩く機密情報が行方不明って大事だろうが!? つーかあたしの弟を帰せ! あんたらが連れてくと困るつーから、不安なのを我慢して置いていったのに! なんで物の見事に無くしてくれてんの!? レグルス爺ちゃん! 酒飲んでないで爺ちゃんからもなんか言えよ!?」
正直言えばこのような事態は想像していた。
ティルは、弟は、どうしようも無いほどに剣のことしか頭にない馬鹿だと知っているからだ。
そこらの幼児の方がまだ一般生活が出来ると断言できるほどに、どうしょうもないと。
ティルの祖父であり師匠でもある第7工主ゴルディアス・レグルスもそこら辺は判っているだろうと食ってかかるが、
「そう心配する必要な無かろう姫。うちの孫のことだ。そこらの工房で拾われてるだろうよ」
ゴルディアスは暢気に返しつつ、分けて残り少なくなった酒を惜しむようにちびちびと舐めながら答えるのみだ。
本日の緊急会議の議題。
それは、ミムが弟のように可愛がっているというか、世話をしているというか、調教しているというか、とにかく何かと目に掛けている一人の見習い鍛冶師。
『ティレント・レグルス』ことティルが”約半年前”から行方不明になっていたと、つい数時間前、ミムが帰還して初めて判明したことについてだった。