海上劇場艦『リオラ』
日の下で見ればその奇妙な形がよく判るだろう。
大きさの異なる八角柱を3つ縦に重ね合わせた階層構造の地上にあれば何かの祭壇かと思わせる海上艦としては異端な構造をしている。
小島ほどもあるその馬鹿げた巨大船の原型は、暗黒時代に対龍王戦用として設計された幻の浮島艦。
戦場の天を覆い尽くすほどの火矢を打ち下ろし、城塞都市をブレス1つで崩す火龍王への対抗策として考えられた物だ。
当時最高出力の転血炉を十二機から放出される大出力魔力を用いて、不沈にして絶対なる火力を持つ戦船を建造し海上決戦を挑むという思想の下に設計されている。
十五種の異なる属性の常時展開型防御魔術陣と、ドワーフの手による特殊鋼による堅固な船体を持って龍王の攻撃に耐え、一砲撃事に使い捨てとする代わりに極限まで威力を上昇させた砲撃魔法陣へ注いだ、島すらも粉砕する砲撃魔術をもって龍の群れを堕とす。
敵以上の防御力と火力を持って制すという単純明快な策。
この案が幻に終わったのは、船体建造だけで、当時のルクセライゼン国家予算数年分に匹敵する膨大な資金が必要なこと。
そして何よりも純粋にそれだけの超重量を乗せた船の浮力を保つ方法が無かったことに尽きる。
浮力を補助する為に、砂船などに用いられている大型浮遊魔法陣に魔力を注ぎ込めば、肝心の攻撃と防御が疎かになる。
かといってその重装甲を自然法則に任せてと維持する為に必要な船体の大きさは、当初案の十倍以上が必要。
そんな試算された段階で、現実的では無いと却下された有象無象の案の1つ。
馬鹿げた荒唐無稽な存在が今の世になって日の目を見たのは、陰口として囁かれる道楽貴族の名を、むしろ名誉として自称するメルアーネの意思に他ならない。
自分がこの世でもっとも敬愛し信奉する義姉の名を持つ船が、世界一で無いのは納得がいかない。
その比較対象が例え紙の上にしか存在しない幻の船であっても。
幻と呼ばれた巨大船を実際に作り上げるだけの資産と人脈を持つ大貴族でありながら、本来なら弟嫁であり義妹と呼ぶべきリオラを、弟の嫁である前に自分の姉だと頑なに主張し、リオラの性別さえ異なれば自分がリオラに嫁いでいたのにと、公言してはばからない変人侯爵なら、さもありなんと帝国民の誰もが呆れつつ納得している。
些か行き過ぎた偏愛の下にこの世に生み出された史上最大艦リオラは、同時に帝都中央劇場と同規模の舞台が五つも併設された世界最大の劇場でもあった。
伝説の女性剣戟師としていくつも逸話の残るリオラの残した剣譜。
帝国において有数の剣戟演出家としても知られるメルアーネを筆頭に、様々な独自色を持つ高名な演出家達。
そしてメルアーネが金に物をいわせてこのために呼び寄せた帝国中の人気剣戟師と、メルアーネ本人が手塩にかけ育てた若手剣戟師達の共演。
同じ題目でありながら、脚本、演出、出演者の違いによって、大きく色合いの異なる剣戟を魅せ、初心者が好む派手な殺陣から、玄人好みの緊張感を持つ静かな物まで。
剣戟劇の奥深さを骨の髄までずっぽりと楽しんでもらうというメルアーネの采配は、見事にはまった。
無料公演であることも相まって内部に併設された五つの舞台、計5万を超える観客席が今宵も全て埋め尽くされ、立ち見まで出るほどの大盛況、満員御礼振りだ・。
剣戟師達のみせる鋭い剣戟や、手に汗握る白熱した戦いに、どの舞台でも声援が飛び交い誰もが舞台に熱狂していた。
広い円形舞台全体を使った、躍動的な剣戟劇が繰り広げられる。
通常の演劇とは違い、剣戟劇には演者達の発する台詞は一言も無い。
場面場面に合わせた楽曲を奏でる楽団と、英雄達の活躍を謳う吟遊詩人の英雄譚に合わせ、演者達は剣を舞わせ、打ち合わせ、戦いを魅せる。
大胆な動きや冴え渡る剣技を魅せることで大勢の観客達を熱狂させる演者達の共演。
剣戟劇の盛んなルクセライゼン帝国においても、間違いなく一級品の舞台と呼べる物。
どこの末席からでも十分に満足して観劇を楽しめるほどだ。
ましてや正面上部に設けられた最上級貴賓室は、その名に恥じず舞台を見るには最高の席だというのに、ルクセライゼン皇帝フィリオネスの心中は穏やかではなかった。
「…………・」
素の感情を表に出さない様に微笑を浮かべて、舞台を楽しんでいる体を装ってはいるが、両手を落ち着きなく組み替える様は心ここにあらず。
「叔父上。劇場に足を運んでおいて舞台以外に心を向けるのは、この上ない無粋な行為ですよ」
フィリオネスが舞台に目を向けながら、その心は別の所にあると察し、メルアーネが不愉快そうに嫌味を口にしながら、その青目を鈍く光らせる。
「ましてや、声は外に漏れないとはいえ、姿を見られる恐れはあります。そう気もそぞろにされては、私が無理矢理お誘いしていると思う者も出かねません。それは極めて不本意です」
ルクセライゼンは元を正せば、暗黒時代に迷宮から無限にあふれ出すモンスター群への対策と、最強種たる龍の群れに対抗する為に、人種の力を1つにまとめようと作り上げられた国家。
統一から二百年以上が過ぎた今でも、旧国家間でのしこりや諍いなど、争いの種はあちらこちらに埋没している。
旧国家王家の血筋であり、その領土を管理する準皇族たる大公がおり、その上に君臨する皇帝という形が今のルクセライゼン統治体制。
フィリオネスの下まで上がってくる報告や確認事項は厳選しているとはいえ、極めて重要かつ多岐にわたり、日々多忙を極めている。
だというのにこう毎夜、毎夜、来場した上に心あらずに観劇されたのでは、叔父と姪という立場を利用して、自らの興業の評判をあげる為にメルアーネが皇帝を振り回していると思われかねない。
「それに、他家の叔父様方からの同席の申し出を断るのも些か億劫になって参りました。ここ数日はご公務に力が入っていないと聞いて、直接会って一言、二言、言いたいというお申し出を、観劇に集中したいというお望みですと断っているのですよ。せめて表情だけは、もう少し楽しんでいただけますでしょうか」
フィリオネスの生母の出身家であるメギウス家もまた旧国家の王家筋。
現在はメルアーネの亡くなった弟の一人息子である甥がメギウス家を統べる大公の地位にあるが、まだ成人していないことや病弱なこともあり、メルアーネが後見人として代役を務める形を取っている。
他家の大公には、先帝の血を引くフィリオネスの異母兄弟も多く、メルアーネよりも一世代、二世代前の格上準皇族も多い。
彼らからの頼みを断り続けて、無駄な敵意を買いたくは無いし、余計な詮索をされるのもなるべくなら避けたい所だ。
だというのに当のフィリオネスがこれでは、礼儀に則った直筆の断り状を毎日したためなければならないメルアーネも愚痴の1つや2つこぼしたくなるという物だ。
「苦労を掛ける……ゴーレムをみているとな」
メルアーネに謝辞と詫びを込めた言葉をこぼしたフィリオネスは舞台へと目を向ける。
舞台上では歴戦の勇者達が次々に倒れ、その骸が岩に包まれあらたなゴーレムとして、つい先ほどまで肩を並べ戦っていた同士達へと襲いかかる。
美麗な人気剣戟師達が次々に醜悪なゴーレムへと一瞬で早変わりする絶望的なシーンに、観劇している若い女性から悲鳴があがり、徐々に劣勢に追い込まれながらもかろうじて戦線を保つ主演パーティ達に声援が飛ぶ今宵の山場。
劇とは判っているとはいえ、カンナビスゴーレムと名を持つ存在の脅威を目の当たりにしては、どうしても違う事を考えてしまう。
「カヨウ、アレと戦ってケイネリアは勝てたのか」
対魔術対策済みの貴賓室で人払いを済ませてあるからこそ、ようやくフィリオネスは愛娘の名と話題に触れることが出来る。
復活させてしまい、そして戦い、倒した。
フィリオネスが現在受けている報告はそのおおざっぱな一文だけ。
彼の地に根を張る諜報網をまとめ上げるカヨウの指示で、ただ気を揉むしかできない日々をここしばらく送っていた。
もっともカヨウがそうやって生殺しめいた報告をあげてくるのには正当な理由がある。
娘に関しては冷静な判断が出来ない。
それは身近な者達の誰もが認める事であり、フィリオネス自身も認めざる得なかった。
歴代最長の在位と未だ公式には御子を設けていないフィリオネスそしてメギウス家には帝位を独占しようとしていると、疑いの目を向ける他の準皇族も多い。
数多の政敵により自分の足元が盤石ではないと知るからこそ、己の最大の弱点である娘のことを身内のみの場でも軽々しく口にする事が出来ずにいた。
「報告書はまとめている最中だそうですので、今は劇をお楽しみください」
それらは後でと伝えながら、カヨウは過去を懐かしむ目で、また一人ゴーレムへと姿を変える演者を見つめた。
フィリオネスやメルアーネから見れば舞台上で繰り広げられるのは、英雄達の苦難と勝利の伝説。
しかし当事者であるカヨウから見れば、それは過去に起きたことに他ならない。
「レディメギウス。あの役者は気持ちのこもった良い剣を振りますね」
カヨウが舞台の中央で剣を振る一人の演者を指さす。
指さす先を見たフィリオネスの目は、その演者へと自然と釘付けになる。
古式甲冑に身を包み、身の丈を遥かに超える長大な長巻を自由自在に振り回し、傷ついた味方を一人でも多く逃がそうと殿を勤め奮戦する。
燃えるような緋色の柄が舞台上では色鮮やかに栄えていた。
あの役者が演じる英雄に名はない。
ただこう呼ばれる『双剣』その一人と。
「当然です。どちらの『双剣』もリオラ姉様の十八番。生半可の役者にはやらせるわけにはいきません。今演じているのも、名はまだあまり知られていませんが若手ではトップクラスの技量を持つ演者です」
自らが見いだした演者がカヨウの目に適ったのが嬉しかったのか、メルアーネが我が事のように胸を張って答える。
「荒々しさは姉の特徴をよく捉えています。この時も私やご主人様を先に下がらせて、死地に飛び込んでしまいましたから」
徐々に役者が舞台外にはけていくなか、単騎残った武者が身の丈を超えるゴーレムを引きずり倒し、打ち砕く獅子奮迅の戦いにカヨウが懐かしげに微笑んだ。
双剣と呼ばれた英雄は全部で3人いる。
カヨウが今も主人と仰ぐ双剣の使い手。フォールセン・シュバイツァー。
そしてそのフォールセンに仕えた揃いの鎧と鬼面にその氏素性を隠した2人の剣鬼を指した名称『双剣』
深紅の長巻『紅十尺』を構え荒々しく敵陣を切り裂く双剣が隠した名は『邑源雪』
漆黒の直槍『黒金十尺』をもって縦横無尽に敵陣を突き抜けていくカヨウの当時の名は『邑源華陽』
双剣と呼ばれた3人の探索者が、暗黒機の最初期から最後までを戦い抜いた英雄として知られてはいる。
だが最初から名が知れていたフォールセンや、フィリオネスがまだ殿下と呼ばれていた皇子時代に帝位継承の冒険に同行したことで後に知られたカヨウと違い、邑源雪の名を知る者は少ない。
「叔母様のお姉様とおっしゃるともう1人の双剣でしたわね。叔母様よりも強かったと噂話程度には聞いているのですが」
「えぇ。私が知る限りでもっともお強い方でした。剣も心も……紅十尺がもう少し長ければ、舞台と正にうり二つの戦いを見せていました」
「はて。あの長さは東方王国の単位で忠実に再現させたはずですが違いましたか? 直さなくてはいけませんか」
「メル。本来の紅十尺の十尺とは刀身のみの長さを表す。あの巨大な長巻を縦横無尽に操れるのはユキくらいだった。止めておけ。演者が可哀想だ」
いつの間にやらフィリオネスが舞台へと目を向け、荒れ狂う演者にその意識を奪われていた。
先ほどまで落ち着きなく動かしていた腕を膝に置き、色々な感情を押し殺すように深いい気を吐きだした。
「カヨウ……すまんな。落ち着いた。急いて弱みにつけ込まれてしまえば後で後悔すると判っているのだがな」
「お気持ちは存じ上げております。お気になさらず」
「ユキが聞けば説教されそうな事ばかり繰り替えしているな私は」
「姉さんのお説教好きは愛情の裏返しです。ご承知では」
「そう……だったな」
フィリオネスとカヨウは舞台上の演者を見つめながら、今では知る者も少ない懐かしい思い出をゆったりと交わす。
フィリオネスが皇帝を続ける理由は、邑源雪がいたからだ。
復讐を遂げる為に選んだ道。
最愛の女性を失い、本人が望まぬと知りながらも歩き続ける道。
その人とうり二つで生まれた娘は、今やフィリオネスにとって最大の弱点となっていた。