『背中正中線に牙を穿て!』
ラフォスの指示に、柄を握る力を強めることで無言で答えながら、弓を引き絞るイメージで力を一点に集中。
切り返しのたびに軋む身体の痛みを無視し奔る。
頭上を覆う影に気づいたケイスは咄嗟に横に撥ねた。
ケイスの体と変わらない大きさの石腕が、轟音を纏って振り下ろされる。
羽の剣への闘気量を調整し、重量を変化させ重心変化。
身体を捻り倒れ込む様にしながら細やかなステップを刻み、石腕の下をかいくぐる。
地面に突き降ろされた拳を覆う魔法陣が発光し沸き立ち、その腕から周囲に向かって無数の石矢がばらまかれた。
一足遅ければ足の一本も持って行かれただろうが、ケイスはゴーレムの背後へと回り込み、ゴーレム自身を盾とし難を逃れる。
無防備なその背中に向けて、右腕を引き絞りひねりを加えた突きを一閃。
巨石を穿つ澄み切った一音が甲高く響く。
破壊力を一点集中した突き技は、鉄の盾さえも貫く鋭き牙。
しかしゴーレムの表面を覆う魔法陣がまたも薄く点滅し、攻撃は表面で押しとどめられる。
一点集中攻撃に対して繰り出された反撃は、先ほどまでの石棘では無い。
ゴーレムの背中から突き出たのは、ケイスの腕ほどの長さ、太さの石槍。
ケイスが打ち込んだ突きと同速度の閃光となり一条が飛ぶ。
「ぐっ!」
羽の剣を軽量硬質化させ最大速度で剣を振り、槍の穂先へと打ち合わせた。
重い。
刃を交えた瞬間に伝わってくるのは、このまま押し潰されかねない重圧。
重量、性質部分変化。
瞬時の判断で羽の剣の性質と重量を変化させ、刀身の一部を軟質化させ、たゆませて槍を受け止めるのでは無く、受け流す。
進行方向を歪められた槍が、勢いのまま石畳に突き刺さり、その半分以上まで身を沈める。
何とか防いだケイスだが、槍の勢いを完全に押し殺せたわけでは無い。
打ち負けたケイスは、二歩、三歩と下がることになり蹈鞴を踏む羽目になった。
動き続けているからこそ、ゴーレムに対して軽量で非力なケイスは対抗できる。
だが足を止めてしまえば、力ではかなわない獲物でしか無い。
足を止めたケイスに向かって、ゴーレムがその左腕を地を這う低さの旋回式バックブローで撃ち放つ。
長大なリーチと生物であればあり得ない関節の可動域による攻撃は、壁が迫ってくる様な錯覚を覚える。
跳び上がるだけでも、下がっただけでも躱しきれない。
かといって防御すれば、針の餌食になるだけ。
「お爺様!」
『任された!』
羽の剣の腹を拳側に合わせ地面に突き立て、即時に硬化、高重量化させたケイスは、ラフォスを残し右後方へと飛び下がる。
ゴーレムの左腕と床に突き立てられた羽の剣がぶつかり合う。
石像の馬ほどの大きさを誇る腕から見れば、羽の剣は大きさだけ見れば小枝のような物。
しかしラフォスがケイスの闘気を受けて生み出したのは、石碗を遥かに凌ぐ質量。
羽の剣が天地を貫く柱となりて、振るわれし石碗を易々と防ぎ受け止めて見せる。
轟音が響き渡った次の瞬間には、衝撃の激しさを如実に語る隙間も無いほどに高密な弾幕が、接触面側へと扇状に拡散して発射された。
高密高速な針に触れれば、生物など一瞬で原形を留めないほどに破壊される威力を持つ。
だが硬質、高重量化した羽の剣は、石嵐の中にあっても不動にして不滅。
石巨人の豪腕に微動だにもせず、礫の嵐のただ中においても爪先ほどの欠片をこぼすことも無い。
一足早く回避行動に動いていたケイスは、扇の縁を掠めるように移動し攻撃を躱す。
攻撃が止むと同時に、右手でナイフを引き抜き投擲。
残したままの羽の剣の柄へと剣を絡め、巻き取りボタンを押してワイヤーを引き戻しつつ自らも駈けより近づき、ラフォスを受け止める。
『左肩! 爪だ!』
ラフォスを掴み即時に地を蹴り跳び上がったケイスは、真正面に見えるゴーレムの肩当てを見据え狙いをつけ今度は左腕を下方から振り上げる。
筋肉が皮を引っ張り、四肢に受けた傷口が開き、新たな鮮血が刀身にしたたる。
切っ先まで達した血をそのままに、ケイスは鋭い斬撃を放つ。
折れ曲がったバスタードソードの刃がゴーレムの肩当てに赤黒い血化粧を描くが、結果は先ほど打ち込んだ羽の剣と変わらない。
表面までは達するがそこから先は刃を止められてしまう。
打ち込んだ斬撃の衝撃に対し、装甲表面が沸き立つ。
「早いな! だが遅い!」
瞬時に打ち返された無数の針を、右手に持つラフォスの能力を持ってして身体を無理矢理に後方へと押し下げながら回転する。
打ち込んだ攻撃をはじき返してくるならば、タイミングは読める。
読めるならば自分に、自分達に躱せないわけが無い。
重い地響きと共にケイスは獣のごとき体勢で四肢をつけて地面に降り立つ。
「っぐ!」
一瞬とはいえ体重の数倍以上に増した質量を乗せた勢いを、両手両足で何とか受け止めるが、全身に奔る衝撃にケイスは苦悶の息を漏らす。
全身の傷口から血がこぼれ落ち、四肢の素肌に負った火傷によって皮膚が割け、生々しい肉を晒す。
この痛み、この怪我こそ、自らの弱さの証。
傷が軋むごとに、相対するゴーレムが今の自分より強いと声高に伝える。
屈辱を感じ、己の弱さに対し怒りを覚える。
自らの誇りを掛けた決闘を汚し、ラクトを傷つけたゴーレムを未だ屠れない不甲斐なさの証。
心身共に受ける痛みが、傷が、ケイスを猛らせる。
いくら傷つき消耗しようとも消え褪せることの無い闘争心を燃えたぎらせる。
「次!」
『右腕に爪だ!』
ラフォスの指示にケイスは四肢を使い右に跳ね体勢を立て直しつつ、ゴーレムの右側に廻ろうと行動を開始する。
ケイスが打ち込んだ突き、斬撃は既に二十を超えていた。
だがここまで有効打は1つも無し。
打ち込んだ剣戟が残した血痕だけが、攻撃の激しさ、そして無意味さを語る。
ゴーレムは髪の毛一本分の傷も負っていない。
しかしケイスは攻撃の手を休めること無く、剣を振るい続けていた。
勝利をもぎ取る為に。
紙一重の接近戦を続けるケイスの戦い方は、当たれば死ぬから、当たらなければ良いという物。
これが単なる演劇であれば楽しんで見ることも出来ようが、今ケイスが行っているのは紛れもない実戦。
生粋の化け物であるケイスを心配するのは無駄だと思いつつも、相手もまた紛れもない化け物カンナビスゴーレム。
しかも見た目だけなら深窓の令嬢然としたケイスと相対するのが、厳つく巨大なゴーレムなのだから心配するなというのが無茶な話だ。
その戦闘の余波は、結界外のセラ達には影響は無いが、結界内に残るルディア達には、流れ弾という形で何度も飛んできている。
幸いと言うべきか直撃コースを取る流れ弾の数は少ないのもあって、ウォーギンの指示で使用者制限解除をした魔具『矢除けの疾風』を使ってライが何とか防いでいるが、魔具に残る魔力がいつまで持つか時間の問題だ。
「あぁぁもう! 心臓に悪い! 兄貴とお姉ちゃんもなにやってんのよ!」
緊張感を通り越して吐き気さえ覚えてきたセラは苛立ちを声に出して、何とか最低限の冷静さを保とうとする。
救援を呼びに行ったはずの兄たちは未だに戻ってこない。
支部に向かったヴィオンはともかくとして、ボイド達は同じ鍛錬所内なのだから、5分と掛からず戻って来られるはずなのに、既に10分は過ぎている。
あまりに遅すぎた。
どうにも嫌な予感がする。
第一いちいち呼びに行かなくても、先ほどのケイスの攻撃で闘技場を揺るがす様な爆発が起きている。
何事かと確かめに来てもいいはずだ。
それなのに誰も来る様子は無い。
救援が来られない状況。
ひょっとした外では既に復活したゴーレムが荒れ狂っているのではないかと、最悪の予想が胸をよぎる。
「ウォーギンさんまだ!? ケイスの奴、動き鈍くなってきてる!」
セラの背後には自身が呼び出した無数の光球が集まり、馬車ほどもある球型状の固まりが浮かぶ。
光球が象るのは積層型魔法陣の形だけを表したモックアップ。
ウォーギンの指示に従い、ケイスが相対するカンナビスゴーレムの起動魔法陣をセラが模した物だ。
こちらの準備が終わるまでゴーレムの注意を引きつける気なのか、それとも別の考えがあるのかセラには判らないが、ケイスは無駄な攻撃を続けている。
だがその動きは徐々に遅く、鈍くなって、回避に余裕が無くなってきているのが、観客席からでもあからさまに判る。
大食らいで効率の悪いケイスのことだ。
先ほどルディアから食べさせてもらった肉串で回復した分の体力も底をつきかけてしまったのだろうか。
「もうちょっとだ。もう少し待て。第二十三層からの導線がきて、十一層に来るだろ」
急かされるウォーギンは手書きの資料を自分の周囲に投げ散らかす様に広げながら、思考を駆け巡らせる。
先ほどケイスが投擲ナイフの爆発を持ってゴーレムを破壊したときに、露出した魔法陣をウォーギンも目撃し記憶していた。
無論見ただけなので、研究もせず全ての解析が出来る訳では無いが、それでも予測混じりで未完成だった欠損状態の起動魔法陣を補うには十分な情報量。
平面魔法陣を幾重にも組合わせて生み出される積層型魔法陣は、上下それぞれ複雑に絡み合った文様が干渉し合い効果を生み出す。
逆に言えば、構成が少しでも乱れればその効果は全く別物へと変化する。
「無茶なんだよ元々。あの馬鹿の案は。投擲ナイフの中の触媒核を取りだして使うっていっても入ってるのは3つだぞ。3つ」
ケイスの手持ちの魔力吸収触媒入りの投擲ナイフは残り一本。
先ほど複数のナイフを用いても消しきれなかった魔法陣を、残りのナイフが内蔵する触媒量では全てをかき消すことは出来無い可能性が高い。
そこでナイフの中に仕込まれた触媒の入った核を取りだし、ピンポイント使用して術式を削る事で、魔法陣が持つ魔力を暴走させ自己崩壊させるというのがケイスの案だ。
実際暴走や予定外の事態が起きた際の安全装置として、術者が命令を下すまでは不稼働状態の自己破壊式を組み込む魔法陣も珍しくは無い。
理屈の上では、ケイスの策が有効である事はウォーギンも認める事は認める。
だが言うは易く行うは難しにもほどがある。
「ったく、自己再生、自己改変型魔法陣に対してこっちの消しゴムは3つだけか。ナイフの時もそうだが簡単に言ってくれる……こっちのライン経由じゃ遅い。だめか」
今思いついた案では、ケイスの要求を満たすのは無理だと判断し、ウォーギンは捨て去り、再度思考をまわす。
ナイフ内の触媒を納めたインディア砂鉄製の核は3つ。
対してゴーレムの起動魔法陣は先ほどの再生機能や、新たに体中に石矢の盾を張り巡らせた事から、自己再生、自己改変が可能な事は確実。
せっかく術式を消しても、すぐに再生されたり、改変されて無効化されたのでは意味が無い。
だから勝負は一瞬。精々一秒程度が最低ラインとウォーギンは見繕う。
3カ所のみ消しただけで、即座に暴走、消滅まで持っていく必要がある。
時間も設備も無く試行は出来ず、頭の中で考えるだけの思考錯誤を繰り替えして答えを見つけ出すのは、高難度パズルの山積みになったピースの中から、あるかどうかも判らない正解を探す様な行為。
しかし……だからこそ面白い。
無理を言われれば、出来無いと拒絶するのでは無く、諦めるのでは無くどうにかしてやろうと思ってこそ生粋の技術者。
口では文句をこぼしつつも、その口元には笑みが浮かんでいた。
それに中枢部を壊す手が出来たとしても、ゴーレムの全身は物理無効外装が覆う。
ルディアにも色々と指示を出していたようだが、ケイスがどうやって外装を取り払うつもりなのか、魔導技術の天才だと認められるウォーギンにすら判らない。
しかし面白そうな物が見られるだろうという予感だけは確実。
ウォーギンはケイスが何をやらかすのかと不謹慎にも待ち望んでいた。
一方でルディアもまた忙しく手を動かしていた。
触媒液に浸した剣指を伸ばし自分の周囲に魔法陣を描いていく。
ルディアが描く魔法陣は複雑な物だが、その中枢は周りに比べて簡素な物。
描く魔法陣は水を召喚するだけの簡易初歩魔術『コーリングウォーター』の術式だ。
昨日、今日魔術を使い始めた素人ならともかく、薬師が本業とはいえ魔術師でもあるルディアにとっては、陣を描かずとも詠唱と、触媒だけあれば十分に発動可能だが、陣を描くルディアの顔は真剣その物だ。
基本術式の外側には、ラクトが使用していた魔具を解体して取りだした魔法陣が刻み込まれた宝石や、固定化された触媒類を用いた、補強魔法陣が幾重にも取り囲む。
補強魔法陣に込められたのは、魔力増幅を行う記述式のみで、ただひたすらに限界まで高められた魔力を含んだ水を召喚するだけしかできない、手間の割に意味があるとは思えない術式。
しかしそれがケイスの頼み。
ウォーギン達に伝えろというの伝言と共に、ルディアが頼まれたのは二つだけだ。
ラクトの魔具を使い増幅させた高魔力を含んだ水を大量に用意してくれ。
そして何が起きようとも、自分の合図に合わせ術を使ってくれ。
その二つ。たった二つだけだ。
それで自分は、自分達は勝てると。
ケイスが水を何に用いる気なのか、ルディアには判らない。
重要な事を聞き出す時間さえ無く、再稼働を始めたゴーレムを見て、ケイスは戦いの舞台へと舞い戻っていた
信頼する事にはしたが、それでケイスの考え全てが理解ができる訳ではない。
しかしだからこそケイスを信じる。
ルディアから見ればもはや打つ手も無く負けが確定したような状況。
だが何をしでかすか判らないケイスなら、常識の通用しないケイスなら何とかしてみせるはずだと、信じている。
「っ! ライ! 正面当たるわよ!」
闘技場内の戦いを見守っているセラの鋭い警戒の声が上がる。
ケイスが回避した流れ弾の一部が床にしゃがみ込んだルディアに向かう。
しかしルディアは逃げようとはしない。
自分の瞬発力では今更逃げようとしても時間の無駄だ。
それに時間がもったい無い。
ウォーギンが即興で書いて観客席に貼り付けている魔具を用いた魔法陣図形は、まだ外周部の補強陣がまだ少し残っている。
少しでも早く完成させれて、ケイスを楽にさせようと、ルディアもまた覚悟を決めていた。
「またか! いい加減きついぞ!」
右手で結界を司る印を維持したまま、ルディアの横に立っていたライがセラの声に応えた。
ラクトの指から抜いた指輪型魔具を使って風を巻き起こし、迫っていた棘状の石つぶてを左手を振るいその軌道をねじ曲げる。
轟々と音をたてて渦巻く風が礫を防いではいるが、酷使を続ける指輪に嵌められた宝石に宿る魔力光が光を弱め、蓄積された魔力の残りが少ない事を示す。
先ほどまでならこちらに攻撃が来ないようにと動いていたケイスの足が鈍ってきているのか、流れ弾が飛んでくる頻度は多くなっていた。
身の丈に合わない高度な結界を維持するだけでも集中力が必要なのに、何時飛んでくるか判らない流れ弾に気を張り神経が削られる。
魔具の魔力が無くなれば、後は手持ちの杖で打ち落とすしか無いが、高速で飛来する礫を自分の腕で全て防ぎきれる自身はライには無い。
じりじりと追い込まれ破綻が見え始めている。
ルディアやウォーギン達の作業が終わるまで持つかどうか……
「……こ、攻撃を防げば良いのか? 俺に任せろ。身体の頑丈さなら少しは自信があるからよ」
焦りが顔に出始めていたライの背後で声が響き影が掛かる。
声の主は、息子が負った重傷で我を忘れ取り乱していたクレンだ。
ルディアが施した眠りの魔術の効果が切れたのか、いつの間にか意識を取り戻していた様だ。
「助かる! だけど大丈夫なのか親父さん?」
護り手が増えるのはありがたいが、先ほどまでのクレンの状態を見れば、攻撃を防ぐだけとはいえ戦いに参加させるには不安がよぎる。
「あぁ。悪いな。兄ちゃんにルディアも醜態をみせて。ルディアを守れば良いんだな」
一度意識が途切れたことで落ち着きを取り戻したのか、クレンの声は冷静で、周囲を見渡して、ルディアとライの立ち位置から最低限とはいえ状況を確認した様だ。
「いえ、こちらこそすみません! いきなり眠らせてしまって! 状況は」
「詳しい話は後で聞く。ケイスの奴が何とかしようとしてんだろ……」
状況を説明しようとするルディアの声を手で遮って、クレンは気を失い呻き声を上げ苦しむ様子を見せるラクトを気遣わしげに見た後に、闘技場の中央で戦いを繰り広げるケイスへと目を向けた。
クレンが気を失う前は無傷だったはずのケイスが、今は全身に傷は負い傷ついている。
それでも戦い続けている。
我を忘れ眠らされていた間も、ケイスが死闘を続けていた証。
ケイスがラクトの足を斬った理由は今のクレンには理解出来ず、正直に言えば怒りも覚える。
だがそれでも、ケイスが今なんの為に戦っているか判る。
判ってしまう。
だから心のそこからは怒ることが出来無い。
ケイスが今浮かべる怒りの形相は、武器屋である自分が何度も見てきた顔。
そんな表情を浮かべる者達に武器を提供してきた。
何かを守ろうと戦いを決意した剣士の顔だと判ってしまった。
「ケイス! こっちは心配するな! うちの息子の足をぶった切った文句は後でたっぷりさせてもらうぞ!」
クレンの激励に対して、ケイスが一瞬だけ剣を振って答える。
命のやり取りを繰り返すの状況下でも、周囲をしっかりと見ているようだあの化け物は。
ケイスの返答を受け取ったクレンは、ラクトが身につけていたラメラアーマーの小手部分を手に取り両拳にまき付ける。
手持ちの防具は即興のナックルガードだが、無いよりはマシだ。
「兄ちゃん! 単発なら俺が打ち落とす! 数が多かったら頼むぞ!」
いざとなればその身を盾にしようと決意したクレンはライの横に立ちルディアの前に立つ壁となった。
求める。
それは求める。
血を求める。
目の前を飛び交う龍にながれる血を求める。
それの芯に宿るのは、単純な命令。
強力な生命体を喰らい、己を増殖させろと言う単純かつ簡素な命令。
ゴーレムに心など無い。
ただ、ただ、与えられた命令をこなすのみ。
だから何も考えず、状況に合わせ反応し動く。
脅威があれば対処し、己を改変し、ただ喰らうのみ。
だからゴーレムは気づかない。
龍が何をしようとしているのかを。
龍が何故一見無駄とも思える牙を振るい、爪を突き立てているのかを。
その真意を知ろうともせず、ダメージは皆無と無視し、捉え喰らおうとする龍に対して手を伸ばし続けていた。
「来たか!」
ゴーレムの攻撃を除け再度突撃を駈けるケイスの背後で、闘技場を染め上げる光の発光と点滅が始まった事に気づきケイスは喜色の声をあげる。
それはセラが用意した光球の群れ。
ケイスが喰らうべき相手の心臓を表す、攻撃すべき順序を示す導きの光。
全ての準備が終わったと知らせる
急遽コースを変え左に撥ねたケイスは、ゴーレムを回り込む様に見据えながら、光球を確認する。
数百以上の光球をもって作られた群れが光の増減で点滅を繰り返す中で、変わらず輝き続ける光球は三つ。
ケイスが捉え切り殺すべき点が示されている。
『あちらも終わった様だな。だがどうする娘よ? いくら増幅をしたところで人の魔力では術の発動までは些か時間を取るぞ。あの術は固定式。狙いをどうする気だ。』
ケイスの心に、疑問の色を残したラフォスの声が響く。
既にラフォスがすべき準備を終えている。
後は罠を発動させるだけだが、ゴーレムは鈍重とはいえ動き続けている。
反撃の起点となるルディアの術が発動するまで、1カ所に足止めをしなければ術が逸れてしまう。
「それは私の役目だ。皆が、クマまで何とかしてくれたのだ。ゴーレムくらい足止めをしてみせる……ちょっと痛いし、危ないからあまり好まないが奥の手を使う」
『娘。お前の口から痛いやら危ないだとは普通の言葉が出ると、不安しか生まないのだが』
龍王たるラフォスを持ってしても、狂っているという言葉でしか表現できない末娘から出た真っ当な発言。
常識外れな事をしでかしそうだという確かな予感、未来予知をラフォスは抱いていた。
「むぅ、失礼だぞ。お爺様」
不機嫌に唸って返したケイスは、大きく数歩下がり、ゴーレムと正面に相対する位置まで移動する。
息吹を深く深く。
肺の奥まで満たし、呼気を全身に送りながら丹田と心臓へと意識を集中。
身体強化に使っていたのは丹田から発生した闘気のみだったので、余裕は無かったがそれでも何とか回避は出来た。
機動性を犠牲に心臓へとため込んだ闘気は十分満ちている。
自らが強いと認めた相手のみに使う、ケイスの奥の手を発動させる準備は整う。
「いくぞ!」
裂帛の気合いと共にケイスは真正面から突き進む。
裂くも無く真正面から飛び込んで来たケイスに対しゴーレムが、両腕を突き出し二つの拳を繰り出す。
最低限の軌道変更で左右同時に飛んでき石の拳で頬を掠めて新たな傷を作りながらも躱しきった、ケイスはその腕の中へと飛び込んでみせた。
そこは既にケイスの剣の領域。
ケイスの世界。
ならば自分が負けるはずは無いと、ケイスは確信する。
「はぁぁっ!」
右腕を引き絞り最大限まで威力を高め収束した突きが、電光石火の速さで撃ち放たれる。
ケイスの意思を受け羽の剣が硬質化し重量を増した一撃が、見事にゴーレムの腹部に突き当たる。
しかし刺さらない。
そこから先へと一歩も進まない。
ケイスの攻撃を無効化し、打ち返そうと魔法陣が発光をし、ゴーレムの表面が沸き立つ。
生み出されたのは一本の槍。
さらには先ほど躱した両拳が広がり、ケイスの退路を断とうと立ちふさがる。
前後左右全てを石に囲まれたケイスに向かい、先ほどの一撃を再現したかの様な鋭く細い電光石火の石槍が伸びる。
打ち込んだケイスの刺突の強さと、研ぎ澄まされた収束を物語るようにい石槍は細くそして長い。
未だその端をみせずゴーレムから伸びたまま突き進む石槍が目指すのはケイスの胸元、激しく躍動を続ける心臓。
「っぁぁぁぁっぁぁぁ!」
ケイスの胸元を覆う革の鎧を石槍の先端が易々と突き破り、次いで肉を抉り、血管を噛みちぎる。
強く噛みしめたケイスの口から痛みと苦悶と恐怖の混じる声が上がる。
自分の命を刈り取る一撃に総毛立つ。
負の感情を全てケイスは受け止め、喰らい尽くす。
全てを力に、全てを怒りに。
龍の怒りを解き放つ為に。
肉を抉り切った石槍の先端がついに心臓へと到達した。
ほんの一刺し、一進みで心臓は貫かれ、流れる血潮がケイスに致命的な一撃を与えるはず……だった。
あとほんの少し、僅かな差。
だが石槍は進まない。ケイスの命に届かない。
ケイスの心臓は魔力では無く、闘気を生み出す。
心臓から生まれ留めた闘気は激しく、力強い。
闘気による肉体強化の力をもって、ケイスは最小まで収縮させた心臓を強化、鋼へと換え、死をもたらすはずの死神を受け止める。
この世で唯一、心臓から魔力では無く闘気を生み出せるケイスだからこそ行える絶対無二の奥の手。
だがそれでは終わらない。
ただ受け止め、防ぐのはケイスの流儀ではない。
刃を受け止めたからには、反撃へと出なくてはケイスではない。
心臓へ、逆鱗へと触れた者を許す龍など存在しない。
心臓が膨れあがる。
全身に血流を、滾らせた闘気を送ろうと躍動する。
その心音こそが龍の息吹。
この世の絶対捕食者にして最強たる龍の遠吠え。
「ぁぁっぁっ! 鼓動返し!!!」
小さなケイスのさらに小さな心臓の僅か1鼓動が、万物を萎縮し留める咆哮を上げて吠え立てる。
心臓が生み出す無限の怒りをもって石で組み上げられたゴーレムの巨体を心臓に打ち込まれた槍諸共にはじき返し、数歩下がらせる。
咆哮に乗せられたのは、心臓から生み出された闘気の渦。
全てを飲み込み尽くす闘気は心臓を刺し穿とうとした槍を伝い、ゴーレムの動きを止める。
例え心なくとも、命無くとも、この世に存在する限り全ては自分の餌、獲物だと言わんばかりにケイスの闘気が怒りに、心を持たないゴーレムさえも恐怖を覚えその動きを止めた。
「ルディ! 術を!」
ぼたぼたと胸元から流血をこぼしながらも、動かなくなったゴーレムの腕の下をかいくぐって抜け出し後方へと下がりながらケイスは後方を振り返えり合図を送る。
ケイスが何をやったのかは遠目では正確に見えていないだろうが、それでも無茶すぎる行動をしたのだけは判ったのだろう。
驚愕の色に顔を染めていたルディアだったが、ケイスの声に我を取り戻す。
「り、了解! 地に眠りし水よ。我が元へ!」
ルディアが詠唱を唱え指を打ち鳴らすと共に、その足元に描かれた魔法陣が光り輝き、噴水の様に大量の水が勢いよくあふれ吹き上がり始める。
あふれ出した水は天井に当たり跳ね返ると豪雨となって瞬く間に闘技場の床を覆い尽くしていく。
「いくぞお爺様!」
ケイスは羽の剣を返し、その切っ先を水面へと、深海青龍が本来住まう世界へと突き入れる。
『無茶をしおってこの馬鹿娘が……よかろう!』
まさか心臓を使って咆哮をやってみせるとは。
末娘の恐ろしさというか、常識を無視した馬鹿さ加減に呆れて良いのやら感心して良いのやら判らずラフォスは答えつつも、魔力で満たされた水に心地よさを感じているかのように、刀身を揺らせて波紋をうみだした。
深海青龍とは水を司る絶対種にして王。
水を自在に操り、己の牙にも、鱗にも化す。
僅かなりとも血を引くケイスが自分の身体を流れる血流をある程度は操れる様に、剣へと身を変えようとも龍の長たる龍王であるラフォスもまた水を操れる。
ラフォスの意思を受け、生み出された波紋が動かなくなったゴーレムの足元へと集まり、大波となってその身体を何度も覆いながら魔法陣を描き出し始める。
魔法陣の起点となるのはケイスが散々に打ち込み、ゴーレムに施した己の血を使った血化粧。
龍はその牙と爪を持って、戦いの中で敵に己の証を刻むという。
始母たるウェルカより受け継ぎし龍魔術の技法と、ラフォスの指示の元で行ったケイスの攻撃は無駄などでは無い。
この世において最高の魔術触媒にして膨大な増幅効果を持つケイスの血を持って、ルディアが高め与えてくれた魔力をさらに増幅し、属性を変化させるという物。
人の魔力では発動しない魔術を、龍の魔術を発動させる為に。
ラフォスが描く魔法陣はケイスにも見覚えがある物。
それはケイスがラフォスと初めての体面を果たした夢現の世界で見て、その身に受けた攻撃魔術を行う陣だった。
『龍魔術! 水檄龍額!』
ゴーレムの表面を覆い尽くした水の魔法陣がラフォスの咆哮を受け大きく揺らめき、次いでその周囲の空間に自身を転写し始める。
ゴーレムを囲む魔法陣はあの世界で見たよりも格段に少ない。
いくら増幅しようとも、さすがに完全再現には至らない様だ。
だがそれでも龍の中の龍。龍王の術。
周囲の魔法陣から生み出された水の茨がゴーレムへと絡みつき、その頑強な石で出来た外装を飴細工でも砕くかの様に、削り、抉り、たたき割っていく。
ラフォスが使う魔法陣を残し、その巨体が削られ、ついに内部に隠されたもう一つの魔法陣が姿を現し始めた。
敵は見えた。
ならば後は自分の出番。
左手に握っていたバスタードソードを降ろすと、代わりに投擲ナイフの目釘を外して中から虹色に輝く小さな玉を取りだして握る。
あと少し。もう少し露出すれば切る。切り込むそれだけだ。
胸から流れ出す血流に力を奪われ、息を荒げながらも、ケイスは最後の力を振り絞る。
これが最後の行動。もう後など無い。
だからこそ心を滾らせる。
己の全霊を持って、一降りを決めると決意する。
『よいのか? 狙いは三つ。諸手の剣を用いずとも届くのか』
ケイスの行動にラフォスは疑問を訂す。
ケイスの本来の剣技は、一刀を用いる邑源流とは別に、二刀を用いたレディアス二刀流もある。
点滅した光球の位置から見て、一降りで狙えるのは一度に2カ所のみ。
どうしても残り一つは、剣を返さなければならないが、二刀ならばまだ容易いはず。
なのにわざわざ一刀に拘る意味を尋ねた。
「さすがに技は使え無い。それに切れぬ物を切ってこそ剣士だ……水に浮かぶ月だろうがなんであろうともな」
血を流しすぎたせいか朦朧としかけたケイスの目には、ゴーレムの中心で輝く魔法陣が月に見えた。
その光景に何時か祖母に聞いた昔話をケイスは思い出す。
水に浮かぶ幻の月が切れないのなら、本当の月を壊そうという勇者達の話。
ケイスはその英雄譚は好きではあるが、自分ならば違う道を行くと祖母に返していたことを思い出す。
自分ならば…………
『よかろう。ならばみせてみろ……我が剣士よ!』
ゴーレムを象った石は一欠片も残さず、全てが破壊し尽くされ光り輝く魔法陣だけが露出したのを見て、ラフォスが声をあげる。
これが最後の機会。絶対無二の剣戟をみせる場。
剣士にとって生きる世界。
ラフォスの檄を受けケイスは左手を鋭く振る。
その手から虹色に輝く玉が三つ飛び、激しい水しぶきを立てながらケイスもその後を追う。
鍛え上げている途中とはいえ高い精度を誇る投擲術によって、三つの玉が一直線に己が目指すべき位置へ向かって飛翔する中、ケイスは両腕を持ってラフォスを握り肩に担ぐ様に構える。
ラフォスに強気で答えはしたが、ケイスは自分の剣だけでは届かない事は気づいていた。
今の技量では、振り下ろしの一撃で堅いインディア砂鉄製の核を斬る事は出来ても、威力に劣る返しでは切るには至らず弾いてしまう。
切れない物を切る。
無理難題。
だがケイスは剣士。
無理であろうとも切るだけの事。
水柱をあげて突き進むケイスが呼気を発し、その技を、自らを証明する為の新たなる名を唱える。
「参る! 邑源一刀流新技! 水面刃月!」
己の最大技量を発揮する最適の硬度、重量へと調整した一撃は、神速の一降り。
水面に浮かぶ月すらも、波紋一つ残さず両断してのけるだろう澄み切った一撃はケイスが持つ剣技において最速かつ、最大の切れ味を発揮してみせる。
宙を飛ぶ虹色の玉をその切っ先が捉え、音も無く両断し、さらにその直下に存在したもう一つも霞を切り分ける様にあっさりと両断してみせた。
しかしあと1つは振り下ろした剣の右上。
手を伸ばせば届く近さでありながら、幻である様に遠い。
やはり返しても切れない。切るだけの威力を出せない。
なら刃を生み出すのみ。
両手に持つラフォスへと最後の闘気を注ぎ込み持ちきれないほどの重さへと一気に重量化。
剣の重さに負けたケイスは前のめりに倒れながら、その眼で最後の核を捉え、その口蓋を大きく開く。
核と交差した瞬間に歯を打ち鳴らしながら、犬歯に捉えた。
歯は刃。
生物が持つ原初の刃にして、最後の剣。
骨すらかみ砕いて獲物を飲み下す己の”刃”が金属ごときに屈するはずは無い。
ケイスが渾身の力を込めてかみ切った瞬間、核の中に内包されていた魔力吸収触媒が拡散。
周囲の魔力をたちまちに飲み尽くし、術式の一部を消し去る。
消されたのはたった3カ所。
だが魔導技術の天才により計算され尽くしたその位置は魔法陣最大の弱点を間違いなく指摘し、剣の天才によって寸分の狂いもなく敢行されたのだから十分だ。
内蔵した魔力が膨大であったはずの起動魔法陣が、ケイスがアギトを閉じた瞬間に、一欠片の痕跡も残さず霧散、幻の様にこの世から消失した。
「むぅ、まずいな」
ケイスは呻き声を上げ前のめりに倒れ込みながら、息を漏らす。
肉体の限界に達した故か、それとも生命力を限界まで使い切って薄れゆく意識のことか、はたまた口の中に残る金属の味か。
自分自身でも判らない台詞と共に、ケイスの意識はそのまま深い闇の中に沈んでいった。
その様は端から見れば、光り輝く月が一匹の獣に喰われ、消え去ったかのようだ。