闘技舞台は正方形状でおおよそ半径30ケーラ。
四方は階段状の観客席となっており、闘技舞台が最も低い。
舞台上を覆う石畳は、元は平坦で滑らかだったようだが、至る所で修復された跡が残り、傷や凹みが覆い。
舞台上に柱などの視線を遮る建造物の類いは無し。
客席を隔てる外壁の高さは3ケーラ。
煉瓦積みの壁に樹系モンスター由来の生体素材を表面に張り形成した木板に描かれた対物、対術防御陣がぐるっと一周している。
東西南の3方向が木造ベンチが並んだ一区画100名ほどの一般観客席となっている。
南側の席の一区画に今回の決闘を見物する者達がいるが、その数は少ない。
ファンリア商隊の者達は、そのほとんどが仕入れや商談など仕事が有るので顔を出しているのは、半隠居状態のファンリアや物好きなのみ。
あとは探索者であるボイド達や、この街で出会ったスオリーとウォーギンが、一カ所に固まっているだけで、後は空席となっている。
東西の席と、仕切りで区切られた北側は革張りのシートの上席となっているが、そちらはどこも無人。
北側の中心には、戦いと決闘を象徴する上級神フロクラムのシンボルである剣と天秤を由来とする印を描いた石碑が鎮座し、石碑の後ろには青々とした葉を繁らせた樹木が一本。
枝振りや葉の形から林檎の木だと推測。
木を取り囲む神殿風の印象建築を施した構造物から、神降ろしの儀で依り代となる聖木『ケイアネリス』と断定。
ぐるりと見渡して、闘技場内の各種配置、状態を確認し、頭の中に叩き込んだケイスは、最後に面当てに隠れた、その視線を前に向ける。
決闘の立会人である火神派神官ライを挟み、反対側の壁際に立つ対戦相手であるラクトがケイスを気合いの入った目で睨む。
その背後。壁の一角に設けられた見届け人席に腰掛けるラクトの父親であるクレンは、鎧姿の息子に気遣わしげな目を向けていた。
緊張した面持ちでラクトが構えるメイン武器は、魔具と兼用になった長さ2ケーラほどの長棍。
魔具ではあるがどちらかといえば武器としての使用がメインなのか、棍には魔術用の装飾や文様は少ない。
その代わりというわけではないが、指輪、腕輪等の装飾品やベルトにさした短杖は全部で14種類。
そのどれもが魔具だろうと、警戒をしながら当たりを付ける。
昔の魔力を有していた頃のケイスならば、この近距離ならば相手が身につけた魔具を解析し、あらかじめ対策や対抗結界を纏うことも出来たが、魔力を捨て去った今は到底無理な話。
発動の瞬間に浮かび上がる魔法陣から読み取るしか無いが、それはここ最近ではいつものこと。
慣れて来たから見てからでもすぐに対応できるだろうと気軽に考える。
次いでケイスは僅かに不機嫌そうに鼻を鳴らして、その視線をラクトの右腰に向けた。
賞品である羽の剣がラクトの腰にぶら下がっていた。
金属である癖に、柔らかく折りたためるという奇想天外で巫山戯た羽の剣は、まるで巻物のように丸めて折りたたまれた状態。
砂船に乗っている間は、ずっと杖術の練習をしていたラクトは、使う気が無いように見える。
だがあの剣が闘気を込めれば一瞬で牙を剥くのは、ケイスも体験済み。
油断をする気など毛頭無い。
むしろ、あの剣に宿る意思、己の粗たる龍王ラフォス・ルクセライゼンに自分を見せつけ、認めさせなければならないのだから、最大警戒すべき存在だ。
次いでラクトの防御へと、ケイスは目を向ける。
ラクトが身につけているのは金属板をいくつも繋げたラメラーアーマー。
フルプレートまではいかないが、金属を多く用いているので、それなりの重量がある。
軽量な自分相手に、ラクトがスピード勝負を挑むなど無謀も良い所。
足を止めての魔具使用による遠距離防御戦を基本戦闘距離に選択したとケイスは仮定する。
色々と観察し、考察する。
これから戦いを行う者にとって、周囲の状況を把握し相手を読むのは当たり前の事だろう。
だがこの化け物にとって、それらは余興にすぎない。
戦闘開始の合図が掛かるまでの、ただの暇つぶしであり、高揚する気分を彩る為の付け合わせ。
なぜならどれだけ考えたところでケイスの結論は何時も変わらないからだ。
やれること。
やれないこと。
やらないことは変わらない。
魔力を捨て数多くの手札を放棄した代わりに、手札に残った、たった1枚の切り札に一点全賭け。
如何に相手の攻撃をかいくぐり、懐に踏み込み、自分の距離たる絶対間合いに持ち込むか。
肌と肌が触れあい、互いの息づかいが感じ取れるほどの超接近戦闘。
己の刃が届く距離、近接戦闘距離へ。
たった1つの戦闘方針をいつも通り胸にいだきケイスは、左肩にバスタードソードを乗せている以外は、リラックスした自然体で合図が下されるのを待っていた。
その一方で常日頃から修羅場に身を置く化け物とは違い、これが初の決闘なるラクトはただただ緊張していた。
早鐘のように打つ心臓。立ち止まっているのに額から滑り落ちる汗。
落ち着かせようとしても息づかいは僅かに乱れ、両腕で構えた棍が棍術戦闘の練習をし始めたばかりの頃のように、やたらと重く感じる。
昨日ボイド達に相手してもらった実戦戦闘訓練や、砂船で戦ったモンスター相手の戦闘訓練でもやはり気を張り詰め緊張はしていたが、それらとはレベルが違う。
ケイスが何かをしたわけでは無い。
むしろきょろきょろと辺りを見渡したかと思えば、こちらをじっと見つめ、頷いたり、首をかしげたりと、その鎧姿は別としても、行動だけ見ればそこらにいる落ち着きの無い子供と変わらない。
ライが宣言をすればすぐにも決闘開始だというのに、無造作に剣を肩に乗せ構えを見せようともせず、自然体でただ棒立ちをしているように見える。
だがラクトにはその自然体が恐ろしい。
緊張する原因は何か?
ラクトは今ならはっきりと判る。
こうして初めて武器を手に構え対戦相手として対峙して心底理解した。
目の前にいるのは見た目だけなら年下美少女であるが、その本質が紛れもない化け物なのだと。
「ちっ!」
自分がケイスに気圧されていると自覚し、ラクトは軽く舌打ちをして、何とか心を奮い立たせる。
出会いや誤解などケイスに苛立つ理由はいろいろありすぎて、ラクトにも、もはや何がケイスが気に食わない主要因なのか判らない。
だが心に浮かぶ色々な感情に共通する物が1つある。
ケイスに負けるのだけは認められないという強い思いが、何故かラクトの中にはあった。
「剣と天秤の定めに従い勝敗を下すべく………………」
神に祈る気持ちで左手を見れば、同情したくなるほどに緊張した面持ちの少年。
目をそらしたい右手をおそるおそる見れば、見た目は可憐な美少女だが化け物以外の何物でも無い気配を放つ怪物。
その両者に挟まれ立会人たるライは、本当に決闘を開始して良いのかと未だ迷いの中にありながらも、杖を片手に火神派の神々捧ぐ祝詞を唱えていた。
ライが唱えるのは決闘を行う両者への祝福と加護の祈りであると同時に、背後の聖木『ケイアネリス』に火神派に属する眷属神を降ろす儀式。
降りた神の力を借り、外部からの介入を防ぎ、決闘者の身を守る戦闘結界神術の発動が、決闘開始の合図となる。
人の身には余るほどの強大な力を神々から借り受けて行う神術は、人の身で行う魔術よりも効果、威力、効果範囲等、全ての面において強大。
上級探索者が放った全力攻撃魔術が、探索者になったばかりの新米神官が唱えた防御神術によって防がれた例なども、歴史を紐解けばいくらでもあるほどだ。
だが初歩であれば慣れと僅かな才があれば子供でも短期間で使える魔術と違い、神術の習得には、どの神派においても一番簡単な術でも数年の修行が必要とされている。
「いかなる介入も許さず、戦いが終演するその刻まで見届けたまえ我が…………」
ライは修行を終え見習いという文字が取れたばかりの、最下級であるが正式な神官。
決闘の為に展開する戦闘結界は、火神派においては、その初歩の初歩。
ライとて容易く行えるはずだが、今回は失敗するかも知れないと感じていた。
ライの心には決闘に対する不安がある上に、ケイスが自分の我を貫いてルディアを選んだため、神々が認めた見届け人がいないからだ。
ライが仕える眷属神が果たして、この決闘に力を、その加護を与えるだろうか?
神に降臨してもらえなければ神術は発動しない。
初仕事でいきなり失敗など、幸先が悪すぎる。
だがそれでも良いかもしれないと、不埒にも考えてしまう。
それほどにこの戦いの行く末に悪寒を感じていた。
「此度の戦いを捧げる。降臨されたし審判を下すべき神々よ」
祝詞が終わると共に、北の観客席に鎮座していたケイアネリスの木が目映く発光を始めた。
それは神が降りてきた証。
その周囲だけ時間が早く流れすぎたかのように、常葉に覆われた枝の先端につぼみが芽吹き、瞬く間に花弁が純白な花弁を咲かしていく。
………………神が降りてくるかと心配するライの杞憂はある意味で当たり、そしてある意味で外れる。
咲いた林檎花の数は降りた神の柱数と同等。
下級神一柱が降臨すれば、1つのつぼみが芽吹く。
中級神一柱が降臨すれば、一花が咲く。
降臨したのが最上級神であれば、一口食べれば10年は寿命を延ばす至宝とも呼ばれる果実が実を成す。
その法則はどの神派であっても不変であり、世界の常識。
ライが唱えたのは初歩の神術であり、本来降りるべき神は下級神一柱のみ。
それなのに、それなのにだ。
まるで席を争うかのように、あらゆる枝の先々に花が咲き乱れていく。
その勢いは留まることを知らず、緑に覆われていたケイアネリスの木が真っ白に染まる。
上級神クラスはいないようだが、それでも降りてきた中級神の数は100ではきかないだろう。
神々が放つ神々しい気配は、闘技場全体を清めるかのように強く強く響き広がっていき、観客席と闘技舞台を遮るように半透明の結界となっていく。
濃密な神気で象られた結界は、物理的な感触をもたらすほど堅牢で、他者の介入を阻んでいた。
「「「「「「っ!!!!!!!?」」」」」」
観客席に座っていたボイド達も、見届け人席に座るルディ達も、神を下ろした神官であるライも、そして決闘を行うラクトですらも思わず聖木に目を奪われ、言葉を無くすほどの異常事態。
「いざ参る!」
だがその神々しい気配をまるっきり無視して、元凶たる怪物は強く鋭い気合いを発して跳びだしていた。
出し惜しみ無し。最初から最大加速。
丹田に力を入れ変換した闘気を全身に3分、足元に7分集中。
石畳を削るような電光石火の足裁きで、ケイスはただ一直線にラクトに向かって駈ける。
ラクトまでの距離は60ケーラ。
ケイスにとってその距離は5秒有れば十分。
何が起きようが、戦いの前ではケイスの知ったことでは無い。
戦いが始まれば全てを利用し勝つのみ。
見物の神が降りてきた程度のこと珍しくも無く驚くほどのことでは無い。
邪魔さえしなければ好きにしろと、物好きで暇つぶしな連中など目に入れない。
ケイスの目に映るのは倒すべき敵たるラクトのみ。
前傾姿勢で駈けながら、肩に担いだ大剣に意識を向ける。
ケイスの理想は一刀一殺。
絶対たる一降りを持って確実に敵を屠る。
未だその領域は遥か彼方なれど、常に目標はそこに。
四歩目でライの前を通り過ぎて、ようやくラクトがケイスに反応を示す。
油断をしていたのか、それともケイスの速度に驚いたのか、その顔に浮かぶ焦りの色と、距離を取ろうと、ケイスが怪我をしている右手側に動いたのをケイスは見逃さない。
ケイスはスピードを僅かに落として、一足跳びで右に跳んで想定したラクトの視界の左端まで移動する。
次いで着いた右足で即座に、今度は左前方に大きく切り返し、その視線を切る。
素人に毛が生えた程度のラクトの目では即座に追い切れない横の動き。
ケイスの想定通り姿を見失ったのか、ケイスの姿を探そうとラクトが大きく顔を左右に振る。
その動作は時間にすれば半秒も無いだろう。
だがケイスの生きる世界では、近接戦闘においては、見失った相手の姿を視認しようなど大きすぎる隙でしか無い。
見えないならば気配で探す。
見失ったならば勘で合わせる。
例え明かり1つ無い暗闇であろうとも、激しい剣戟を打ち合わせられる化け物は、ようやくケイスを再発見したラクトに向け顎を大きく開き、その牙を見せつけた。
ここは既にケイスの距離。
後一足で決まる。
左腕を高く上げ大上段に構え、包帯塗れで握ることの出来無い右腕を、左腕の二の腕に重ね合わせる。
踏み込みと同時に、両腕の力を用いた素早く力強い一撃をラクトの脳天めがけて力任せに振り下ろす。
轟々と音を巻き起こす大剣に対して、ラクトが棍を横殴りに合わせる。
速度はケイスの方が遥かに上だが、ラクトもケイス直伝の闘気転換法を用いて両腕に精一杯の力を加えていたのか、強い衝撃にケイスの剣先が横にぶれる。
逸れて地面に落ちた大剣が石畳に激しくぶつかり火花をまき散らし、次いで跳ね返る。
剣が跳ね上がった瞬間に、ケイスは即座に二撃目を撃ち放つ為に動く。
跳ね上がった剣の刃筋を手首を返し垂直から平行に。
左臑に巻いた足甲を刃筋にピタリと合わせると、そのまま蹴り上げた。
両刃の剣に防具を巻いているとはいえ己の身を合わせ、さらには力一杯に蹴り上げようなど正気の沙汰では無い。
だがケイスは、端から正気など持ち合わせていない生粋の戦闘狂。
自らが持つ剣が、自らが望まない物を斬るはずが無いと知っている。
だから他人が見ればどんな無茶でも、ケイスには出来て当たり前だ。
背筋に寒気が走る鋭い音と靴底の皮が摩擦熱で焦げる臭いが立ち上るほどの勢いで、ラクトの胴めがけて中段回し斬りを蹴り放つ。
予想外の連撃にラクトは防御態勢がとれていない所か、意識すら出来ていないだろう。
しかしケイスの剣がラクトの胴に喰らいつこうとした瞬間、バスタードソードの刀身に魔術文字が浮かび上がり、切っ先から激しい突風が巻き起こった。
突然の強風に煽られ、まるで糸の切れた凧のようにラクトの身体が激しく吹き飛ばされる。
風に巻き込まれたラクトは勢いよく吹き飛び、反対側の壁にぶち当たってようやく止まった。
だがぶつかった音は軽く、ラクトはすぐに立ち上がってきたのでダメージは皆無のようだ。
無理矢理に蹴りを放ち体勢を崩していた上に距離が離れすぎた為、さすがのケイスでも即座の追撃は出来ず、仕切り直しと剣を改めて構え直す。
「矢避けの付与術と重量軽減の指輪か……ふむ。やるな!」
刀身に浮かび上がった魔術文字と、ラクトの右手に光っていた指輪が浮かべる魔法陣から即座に事態を見抜いたケイスは、必殺の一撃を防がれたというのに実に楽しそうに猛々しい笑顔を浮かべる。
武器に突風を纏わせ投擲武器から身を守る付与魔術の一種を魔具でもある棍を噛み合わせた際に、ケイスの剣に施し、さらに即座に己自身に軽量化の指輪を発動。
巻き起こった風にのって距離を取るという計算だったのだろう。
ケイスがどうやって二撃目を繰り出すかは判らずとも、すぐに二撃目が来ると見越した行動。
完璧では無くとも、ケイスの意図を読んだ対策。
「うん。良いぞラクト! いい防ぎ方だ! お前はやはり好ましい!」
通常では自分の常識や考えは人には伝わらない。
理解してもらえない。
それがケイスは寂しい。
しかし戦いの中でなら、自分の考えを僅かでも感じ取れる者がいる。
命を賭けたやり取りになればその傾向はさらに強くなる。
決闘を超えて、殺し合いをしたくなる衝動を抑えながら、ケイスは戦いの場にはふさわしくない言葉を、戦いに狂った修羅の笑顔で笑って見せる。
もっとだ。もっと。
だから戦いが好きだ。大好きだ。
戦闘狂の血に火がついたケイスは、先ほどよりも速く、鋭くラクトに向かって駈けだし始める。
一瞬でも早くラクトの元に。
少しでも近くラクトの元に。
恋愛にも似た強い衝動。
しかしその大元は斬り倒す為にという、血なまぐさい一念。
誰にも理解してもらえない化け物の本性が徐々に顔を覗かせ始めていた。