『大事になるのは、何時ものことと言えば何時ものことだが……あのバカだけは』
ぼやきのあとに聞こえてきたのは重く長いため息。
足元に展開させた魔法陣越しの通信で相手の顔などスオリーには見えないが、頭痛を堪え疲れ切った表情を浮かべている様が鮮やかに浮かんで見える。
おそらく今の自分も他人から見れば同じような表情だろうと、スオリー・セントスは心労できりきり痛む胃痛を我慢しながら思う。
狩った獲物をファンリア商隊の借り受けている倉庫に置いて来るという名目で最重要監視対象であるケイスから、一度離れたスオリーは、報告の為に自らの翼に魔力を通して空に上がっていた。
『しかし定時報告が無いから、何があったかと思えば……よりにもよってコオウの爺さまか。直接接触は無かったんだな?』
「はい。姿を隠してこちらを観察していただけです。ですが私に気づかせたという事は、こちらの正体に気づいている可能性は高いと思われます」
管理協会受付嬢以外にも諜報員としての顔を持つスオリーの正体に、コオウゼルグは気づいたのかも知れない。
ケイスだけでも精神的に超えていけないラインを易々限界突破してくるのに、上級探索者であるコオウゼルグの監視は、常時首元に刃を突きつけられているようなプレッシャーにはたまりかねるものがあった。
『コオウの爺さまはお袋の元仲間。ケイネリアの正体は半分ばれたな……最悪の一歩手前か』
上司の声には苦々しい響きが混じる。
隠し通そうとしている秘密が、薄紙のようにあっさりと破られていく状況は、気が気ではないのだろう。
「こちらから接触して確認と、口止めをお願いしますか?」
母方の血はまだ言い訳はつくが、ケイスの父方の血縁だけは絶対に表沙汰にできない。
南方の大帝国ルクセライゼン現皇帝フィリオネス唯一の庶子という事実は、扱いを1つ間違えればルクセライゼン全土を戦乱の渦に叩き込む爆弾となろう。
『……デリケートな問題だってのは気づいてるだろ。軽々しく他人に話すような御仁じゃねぇ。必要があれば向こうから接触してくるはずだ。そのまま監視と報告だけ頼む』
触らぬ神にたたり無し。
下手に動けばそれが新たなリスクとなりかねない現状で、唯一の救いはコオウゼルグが信頼できる人物ということだけだ。
「あの方への対応は?」
『そっちも現状維持だ……子供相手だから大丈夫だと思いたいが、万が一だ。もしあいつが心臓を使うような状況になったら、それからの行動はお前の判断に任せる。何が何でも秘匿しろ』
従来の闘気変換に用いる丹田以外に、心臓を用いた闘気二重変換はケイスの化け物じみた力を支える切り札。
しかし心臓を使えば、その漏れ出る気配から判るものには判ってしまう。
ケイスが何者かと。
「……探索者としての力も使えと?」
言外の答えを明確に自覚しながらも、あえてスオリーも確認する。
探索者としてのスオリーの得意分野は、長距離秘匿通信や姿を隠す隠形術、記憶操作魔術など、どちらかといえば非合法分野で活躍できる魔術が中心。
これはスオリーの才能がそちら方面にあったという事もあるが、それ以上にスオリーが幼少時から草として見いだされ選抜されたからに他ならない。
カンナビスを中心とした諜報網の要はスオリーであり、他の草とはその重要度が一段上となる。
スオリーが抜ければ、後継者の育っていない現状からでは少なくとも10年は情報収集に不備が生じるだろう。
それは上役もよく承知している。
それでも選択するだけの必要性がある。
『最悪はな。あいつが龍だって事がばれるよりも遥かにマシだ』
大国ルクセライゼンにおいて、もっとも秘匿されるべき秘密。
その正体が露見すれば、ケイスの身を狙い世界的な争いが起こるであろう秘密。
それが彼ら草がケイスを密かに監視し、ケイスに関する情報操作を行う理由。
遥か太古の祖の血を色濃く蘇らせたケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンは、姿形は人であり、本質は龍である。
「承知致しました」
迷いも困惑も無くスオリーは覚悟を決め返事を返す。
腹が決まった所為か、いつの間にやら胃の痛みは消えていた。
報告を終えたスオリーがその自前の翼を使い、ケイスとラクトの決闘が行われるルーファン商業街区鍛錬所前の噴水広場に降り立った。
報告することが多く思ったより時間は掛かってしまったが、もう始まっていないだろうかと噴水に設置された大時計を見ると、決闘開始予定時刻の8時まではあと5分ほど残されていた。
破天荒にもほどがある癖に、妙なところで真面目というか堅いところがあるケイスのことだ。
決闘時間はきっかり守っているはずだ。
一安心して息を吐いたスオリーは顔見知りが、鍛錬所入り口に座り込んでいることに気づく。
その人物はスオリーも見たことが無い魔具をいくつも懐から出して、鍛錬所の入り口やその奥に見える闘技場の屋根を観測していた。
「ウォーギンさん?」
早朝で人通りがほとんど無いのであまり注目はされていないが、奇行以外の何物でも無い行動をしているのはケイスが縁で数日前に知り合ったばかりの魔導技師のウォーギン・ザナドールだ。
「よう。スオリーの姉ちゃんか。あんたも遅いな」
ウォーギンはスオリーの声に気づき振り返ると、あくび混じりで挨拶をする。
ここ数日は禄に寝ていないのか目の下にはクマが色濃く出ており、無精髭が顎を濃く覆っていた。
ケイスに依頼された改良やら古巣の工房からの依頼と忙しかったのだろう。
両方とも相当困難なはずの仕事だが、既に昨夜のうちには両方とも終わらせて納品しているというのだから、やはりこの技師も天才というカテゴリーに属している人物。
「どうしたんですか。中に入らないんですか?」
しかしここ数日でスオリーが出会った2人の天才は、どちらも奇行が多いとなると、アレと天才は紙一重という言葉を思い出さずにはいられない。
「いやなんかな。入ろうと思ったら、どうも中に結界が張ってあるみたいなんで、気になって、ちょっと調べてみたら火神派人払い結界だ。あの神派の人払い結界が稼働しているのは珍しいんで記録観察していた」
「……よく気づきましたね」
目をこらして気配を探ったスオリーは、ようやく気づけるほどに薄い結界にめざとく気づいたウォーギンに呆れ半分で感心する。
戦いや決闘を尊ぶ火神派において、決闘は衆目の前で行うことを推奨している。
衆人環視の元で正々堂々行われてこそ、名誉ある戦いという教義の一環らしい。
人払いの結界となれば、その教義に真っ向から反する物だが、見世物を嫌う決闘者や、衆目にさらせない凄惨な戦いが予測されるときに用いられる極々珍しい術だ。
「職業柄、結界は見なれてるからな。この結界は相当上級者が張ってるぞ。関係者ならちょっと気にはなるが問題無く闘技場にたどり着ける。だけどふらっと立ち寄ったとか、他の用事がある連中なら、本人の自覚無く追い払えるだろうよ。術式を再現が出来るか判らんが面白そうだ」
知識欲が満たされた代わりに、技術者魂が刺激されたのか、ふらつく足で何とか立ち上がりながらもウォーギンは目をぎらぎらと輝かせる。
スオリーの見立てでは、おそらくこの結界は、火神派最高神フロクラムの上級眷属神官でもあり、ルーファン鍛錬所を取り仕切るロイターの手による物。
ロイターはコオウゼルグと親交があったはず。
ならこの結界はコオウゼルグの指示だろうか?
「決闘は見ずに図面を引きに戻りますか?」
指摘されなければスオリーも気づかないほどに薄く高度な結界を見破る天才魔導技師は悪い人物では無いだろうが、ケイスの正体に気づきそうな要注意人物。
ウォーギンが決闘を見ないですめば自分の苦労は1つ減る。
あまり期待はせずにスオリーは提案してみるが、
「図面は帰ってからでも引ける。それよかケイスの奴が俺の改良したあの投擲ナイフをどう扱うかの方が気になる。ラクトの使う方の魔具も実戦で使うところを見る機会なんて魔導技師じゃ早々は無いから、更なる改良への良いデータ取りになるから、優先順位は断然こっちだろ」
「そうなりますよね……では早く行きましょう。始まってしまいますよ」
魔具への飽くなき執着を持つ玄人を心変わりさせる言葉を持たないスオリーはあっさりと諦め、いよいよ余裕の無くなった時計の針を一度見てからウォーギンを急かした。
「ふむ。いよいよか。滾ってきたぞ」
決闘を目前にし闘技舞台へと続く大扉の前に立つケイスは、勇むその言葉とは裏腹にリラックスした表情だ。
それどころか、トライセル専属料理人であるミズハが先ほど差し入れてくれたトカゲ肉串に噛みついているほどだ。
がぶりと噛みついたケイスは、時間が無いので数度咀嚼しただけでゴクンと飲み込む。
己の弱点は、すぐに底を突く持久力。
高い身体能力を維持する為の闘気に用いる生命力が、未だ幼い肉体の為に不足する事には、我が事ながら不満を覚えるが、無い物は致し方ない。
これが戦場やモンスターとの戦いなら、戦いながら食料を貪ったり、相手の血肉を喰らって戦闘能力を維持するから問題は無いが、さすがに決闘となると食事をしたり、相手を喰らうのは、決闘相手に対する礼儀に欠ける。
ともかく直前まで喰らえるだけ喰らって腹を満たして、可能な限り長時間の戦闘力を維持するだけだ。
右腕で抱え込んだ紙袋から、左手を使って新たな肉串を取りだしたケイスはかぶりつく。
ミズハ特製のタレを使ったトカゲ串はケイスの最近のお気に入りだ。
初めに甘目のソースの味が口全体に広がって、そのあとに舌と喉に来るピリッとした辛さが飽きさせず新たな食欲を刺激する。
甘い物好きではあるが、辛い味も嫌いでは無い。
ミズハの料理は好きだし、自分が取った獲物とあれば遠慮もいらない。
何よりこの味が、自分が好きなルディアの故郷の味となれば、ケイスにとっては最良だ。
「ルディも食べるか? 美味しいぞ。ルディの故郷の味を再現したそうだ」
ここで渡した串一本分の生命力不足で負けてしまうことになろうとも、それは己の選択故。
なんだかんだいいつつも決闘の立会人を引き受けてくれたルディアに、最大限の感謝を表す為に、ケイスは己の懐に抱え込んだ紙袋から、特に大きな肉の刺さった串を一本引き抜き横に立つルディアへと差し出す。
戦闘に関する事に対しては、あまり妥協や譲歩をしないケイスが、自らの勝ち目を減らすことになりかねない行いをするのは、極めて珍しい。
それだけルディアに心を許し、信頼している証といえる。
「もう食べた事あるから良いわよ。あんたが食べなさい。ほらタレが垂れてきてるから」
だがケイスの行動が極めて珍しいとは知らないルディアは、ドッロとしたタレが肉から垂れてきているのを指摘するだけで受け取ろうとはしない。
名前で呼ばない理由をケイスが知っていたと聞いたあとでも……いや、後だからこそ、あえて名前で呼ぶことはしなかった。
ルディアの右手には、火神派の印章は浮かんでいない。
あの後一度だけ試してみたが結果は変わらず。
結局ケイスを信頼できないという、自分の深層心理は変わらないという事なのだろう。
それでもケイスは、ルディアが立会人だと強硬に主張し、ついには決闘を取り仕切る神官の心を折り曲げて受け入れさせてしまった。
自分は相手を信頼できないというのに、その相手が無条件な信頼を寄せられるのは、実に居心地が悪い。
無論一方的な好意を寄せてくるのはケイスの勝手だと判っているし、自分が答える義理だってない。
だが居心地が悪い。
だから普段は大して気にもしておらず、商売上の都合によっては主旨を変えておこなえるはずの名前で呼ぶことも出来無い。
だから立会人は仕方なく引き受けはしたが、これ以上のなれ合いは避けようとあまり構わずにいようとしている。
それなのに。それなのにだ。
この神をも恐れぬ、バカは何も気にはしていない。
ルディアは自分がどうしたいのか判らず悶々としているのに、それなのに当事者であるケイスは一切気にしていない。
決闘前だというのに、普段と変わらずパクパクと旺盛な食欲をみせていた。
「ん。そうか。っとタレも美味しいから勿体ないな」
つっけんどんに断ってもケイスの方は気にもせず、指の方まで落ちてきたタレに顔を近づけて舌を出すとぺろぺろと舐め出し始めた。
べったりとした赤いタレが唇や頬についてしまい、品がある端正な美少女然とした美貌が台無しにもほどがある。
挙げ句の果てには、頬についたタレを右手を覆う包帯で拭おうとするケイスの様に、世話焼きの血がうずいたルディアは諦める。
「ッ……あーもう手を舐めない。顔が汚れるでしょ。それに包帯で拭おうとしない」
その顔に似合わないにもほどがあるあまりにアレすぎるケイスを見かねた、ルディアは外套のポケットからハンカチを取りだす。
砂漠に隣接している所為で砂埃が多いのか、ポケットにしまってあったというのに少しばかり砂や土がついてしまっている。
ハンカチをパッと手で払ってからルディアは、ケイスの指やその頬についたタレをぬぐい取った。
「ん。すまん。気をつける」
拭われるケイスは大人しくされるがままで、ルディアに任せる。
全身凶器で狂気なケイスとしては、自分の素肌、しかも重要器官が揃った顔を他人に触れさせるのは最大警戒するべき事態。
だがルディアなら大丈夫だろうと警戒をとく。
もしこれが別の人物だったならば、とっくにその人物の肉体と頭は別離していただろう。
「ほんと、あんたは……見てくれくらい気にしなさいよ」
外見が極上でも、中身がこれでは無駄という言葉すらも追いつかない。
同性としてどうしても押さえきれない妬み混じりの言葉をはき出すルディアに、ケイスは首をひねり、鎧姿の自分を見下ろす。
戦いに赴く姿としてこれ以上の物は無いだろうと、ケイスは己の常識で考える。
どこまでも噛み合わず、一方に至っては噛み合わせる気すら無い2人だが、端から見れば実に仲が良さ気に見えることだろ。
「そうか? 気にしたからこの格好なのだが」
ケイスが反論をしようと口を開くと同時に、開門の合図となるドラが1つ大きく鳴り、重い鋼鉄製の扉が徐々に開き始めた。
ケイスは持っていた紙袋をルディアに渡すと、すぐ横の壁に立てかけてあったバスタードソードを手に取り、その長大な刀身を肩に担ぐ。
傍目には背丈と同じくらいの身の丈に合わぬ剣を持つ滑稽な道化。
だがその力量を見抜ける者ならば、誰もが思うだろう。
この長大な剣こそが、獰猛で凶暴な獣を完成させる牙であり爪なのだと。
「まぁ、見ておけ。私の姿を。そうすればルディも納得するだろう」
やはり自分の考えや思いは語るだけでは伝わらない。
ならみせるしか無い。
戦いを。
自分がより所とし、己の全身全霊を賭ける戦いを。
戦いならば口で語るより簡単だ。
何時もの通り、何時もの戦いを見せるだけのこと。
高ぶる心を納めながら、対面で開いた扉の向こうに姿を現した対戦相手の姿に焦点を合わしつつ兜の面当てを降ろす。
「では……参るか」
鎧の隙間から僅かに除いた口元に獰猛な笑みを浮かべながら、ケイスは石畳に覆われた闘技舞台へとその一歩を力強く踏み出した。