ルールや武具の確認、決闘を止める事が出来る見届け人の認定。
決闘における事前説明や、規定のチェックを一通り終えたライは、同じ作業を行う為に次は西側の控え室に向かっていた。
しかし床を蹴る足音は苛立つ心を表すかのように甲高く、その顔は先ほどまでの緊張から一変、この上なく憮然としたものになっている。
不機嫌の原因は、できるならば屑籠に放り込んで焼却処分したい、自らの過去の行いやら発言を事細かに知っている幼馴染み兼幼年学校時代の探検部後輩に当たるボイド達だ。
「現役連中が揃って何やってんだ。始まりの宮が終わったばかりなら迷宮に潜れよ」
探索者となる為の迷宮が出現する年二回の『始まりの宮』は、同時に大陸全土の迷宮内にモンスター達が異常増殖し、彼らの活動により内部構造が著しく変化する改変期にもなる。
この時期は安易な初級迷宮以外は、原則立入不能となるので探索者達にとってはオフシーズンとなり、装備一新、武具整備、新技術習得など、迷宮が開放される来期に向けて、準備を勧めるのが常だ。
始まりの宮が終わって、迷宮開放期となれば、新規迷宮発生や新種モンスター、新たな天恵アイテムの出現など、内部構造が変わった為に情報不足で危険度は高いが、探索者達にとっては一攫千金の大きなチャンスが巡ってくる。
積極的に迷宮に挑めと、私怨混じりではあるがライは苦言めいた言葉を口にする。
「情報がある程度揃ってからって方針なんだよ俺らは。それに三日前までラズファンからカンナビスまでの護衛仕事してたっての。それよりライさんも戻ってきてるなら、一言あっても良いだろうが水くせぇな」
だがパーティリーダーとして責任を持つボイドとしては、開放されたばかりの迷宮に挑む典型的なハイリスク、ハイリターンよりは、内部情報を手に入れ対策をして挑む安定性を求める方が性に合う。
ライの台詞をやんわりと受け流して、薄情な兄貴分へ逆に切り込んでいった。
「そうそう。姉貴にでも言ってくれれば、俺らが街にいなくても連絡がつくんだからよ。昔みたいに、すったから貸してくれって気軽によ」
「うっせぇヴィオン。賭博はもうやってねぇよ。慣れるまで仕事っぷりを見せたくねぇから、スオリーも上手く避けてたのになんでお前らがいるんだよ」
「どうせろくでなし神官なんだから、今更取り繕ったって変わらない癖に。それにあたし達はこれも仕事よ。ラクトの稽古相手」
「ぐっ! てめぇセラ! 今は真面目にやってんだよ! 仕事って言うならあっちの控え室で大人しく待ってろ。付いてくんな」
似合わないすまし顔で仕事をする様みてあとで笑い話にでもする気かと、これ以上弱みを握られたくないライは手で追い払う仕草を見せるが、
「へー良いんだ。一応これでも最低限の幼馴染みの情けでライに気を使ってやってるつもりなんだけど。初仕事が大変でなんて不憫なんだろうって」
セラご愁傷様とからかいの成分を有り有りと含んだ目を向けた。
「あ? あの年ぐらいの決闘者なら火神派が立ち会ったのじゃ数は少なくても珍しいってほどじゃないぞ」
先ほどまで面談していたラクトという少年の武装には確かに驚かされた。
カンナビスで手に入る吊し売りのなかでは最高クラスの魔具を多数抱え、サブウェポンとして所持するのは出所不明だが高度な技術が使われている闘気剣。
「情報が入ってきてないから対戦相手の方もまだ判らんが、アレじゃ相手側が結構苦戦するだろうよ」
かといってライの見立てでは、武器の性能に頼っただけの金持ちの道楽息子というわけでは無さそうだ。
まだ慣れていないような雰囲気は感じるが、それなりには”使える”事が出来そうだという予感を抱いていた。
「苦戦……ね。初めて私、あの子に期待してきたわ。ライが苦労するする姿が浮かんで見えてきた。いやぁ不純な動機で神官を志した因果応報って奴ね」
「おい、なんだその嫌な笑いは。ボイドどういう事だ?」
「どうつってもな。質問はまずは実物を見てからにしてくれ。あいつに関しちゃ話して聞かせても嘘くさいし」
意地の悪い笑顔でにんやりと笑うセラと、肩をすくめるボイド。
幼馴染み兄妹が見せる別々の反応にライは激烈に嫌な予感を覚えていた。
「ケイスだ。今日はよろしく頼むぞ神官殿。髪をまとめて貰っている最中だったので不作法は許して頂きたい」
西側の控え室に入ったライは本日の決闘者の片割れである化け物の洗礼を、早速頭から浴びせかけられ、激しいギャップに戸惑っていた。
見た目だけなら10代前半。
姿見の前に置かれた椅子の上に腰掛けたその姿は、未だ幼いながらも、近い将来の類い希なる美貌を感じさせた。
普段ならつり目と言われる目付きは凛々しく、その愛らしく整った顔立ちは、雑踏の中にあっても人目を引く事だろう。
濡れたような艶を持つ長い黒髪を、ルディアの手によって丁寧に結い上げて貰っている所為か、その幼い美貌はますます磨かれ、最高級人形めいた輝きすら放っていた。
首から上を見るなら、今から舞踏会に出る王侯貴族のご令嬢といったところか……だが首から下はケイス本来の姿だ。
傷1つ無い真新しいハーフリング用の小型軽鎧は、金属パーツが極力使われておらず、強度的には少しばかり劣るが頑丈な皮が主素材となっている。
斥候が使うタイプで、防御力よりも敏捷性、静音性を意図した作り。見た目に華美という文字の欠片もない無骨な実戦的な鎧だ。
胸や腰部分には投擲用ナイフホルダーがいくつも設置されており、改造型投擲ナイフがぶら下がっていた。
止めとばかりに、椅子の脇にはケイスの背と同じくらいのバスタードソードが鎮座する。
こちらもあまりすり減っていない柄を見ればまだ下ろしたてのようだが、刀身からは濃厚な血や獣の匂いを漂わせおり、かなりの獲物を斬った事を感じさせる。
顔の見た目だけなら幼き貴族令嬢で、血なまぐさい剣や、無骨な鎧姿とは対極にあるはずの存在。
それなのに。
そのはずなのに。
無邪気な笑顔で威圧感を覚えるほどの闘志をちょろちょろ覗かせているケイスは、その物騒な装備と血なまぐさい香りがしっくりと似合っているようにライには感じられた。
「…………」
ケイスを一目見た瞬間からライは言葉が出てこなかった。
部屋中に散漫した死臭、獣臭に息苦しさを覚えるような威圧感。
まるで戦場のような気配に圧倒されていたといって良いだろう。
「ふむ。神官殿は初めての立ち会いとのことだな。緊張なさるな」
言葉を無くしている様子に、初仕事だというライが緊張していると思ったのだろう。
あまり他者を気にしないケイスにしては極々珍しい事にライに対する気づかいらしき物をみせる。
「初めて立ち会うのが私の決闘とは実に貴方は運が良いぞ。神官殿が存分に誇り語れる戦いとなるだろう」
もっともその言葉は、自分の決闘は素晴らしい物になるから立ち会えたことを誇りに思えという、自信家という言葉が生ぬるく感じるケイスらしいと言えば、この上ないほどにらしい言葉だ。
相手が年上だろうが、神職だろうがいつも通りというか、平常運転というか、やたらと偉そうにケイスは頷いていた。
「せ、精一杯勤めさせて頂きます……ちょっと失礼します。確認をする事がありますので」
あまりに傲岸不遜な言葉と、その外見のギャップの激しさが新しい衝撃となったのか。
ライは何とか気を取り直して言葉を紡いだが、すぐに顔を青ざめさせケイスに一言断ってから、隠そうともしない同情の瞳を浮かべている幼馴染み一団へと足早で近づいた。
「ボイド!? なんだこの怪物は!?」
ライは声を潜めながら、怒鳴るという器用な真似をしながら説明しろと問い詰める。
火神派神官は決闘者の力量を感覚で感じる事が出来る。
上級神官であれば事細かに強さを見抜く事が出来るが、新米神官であるライには、それがどれだけ強く危険かを漠然と感じる程度の感覚しか無い。
だがその拙い感覚でも、目の前にいる純情無垢で可憐な顔を見せる幼い少女が、牙を研ぎ澄まし臨戦態勢に入っている獰猛な化け物だと声高に伝える。
下手をすれば、ちょっとした弾みでその刃をこちらに向け、命すら取りに来る危険生物だと、激しく警鐘を鳴らしてくるくらいだ。
「やっぱ火神派神官から見るとそう見えるのか。感じたままの奴だって。実力も相当アレだが、危険度はたぶん今カンナビスで一番厄介な奴だ」
ここ数週間でケイスに慣れていた一行にはケイスの危険度など今更な話だが、初見でも外見に惑わされず判る人間には判るんだなとボイドは暢気に答える。
「さっきのガキ止めてこい。こんなの相手にしてたら命いくつあっても足りないぞ!?」
「言わんとする所も判らなくはないけど敵認定されなきゃ一応大丈夫だ。しかも懐が深いっていうか結構大らかだぞ。自分を食おうって襲ってきたモンスターも、ラクトの稽古の相手を勤めたら無事に解放してやってたからな」
「んだそりゃ!?」
意味が判らず説明を求めたはずなのに、ボイドから返ってきたのは、さらにライが意味不明になる答えともいえない答えだった。
「ふむ。火神派神官殿に立ち会ってもらえるとは私も運が良いな。なぁルディ」
頭を掻きむしるライを尻目に、その化け物ケイスは後ろを振り返り、髪を結ってくれているルディアに上機嫌でニコニコした笑顔を見せる。
ケイスのお気に入りのお伽噺や英雄譚には、火神派神官が立ち会った決闘の話も豊富にある。
自分達の決闘に立ち会ってもらえるのはこの上ない名誉であり、しかもライが立会人を初めて勤めるというのならば、自らの責任も重大だと、その気迫は輪を掛けて増大していた。
「後ろ向かない。乱れるでしょ。あんたの注文は細かいんだから大人しくしてなさいよ」
ケイスたっての希望で髪を結っているルディアは、その頭をむんずりと掴んで、前に向けさせた。
普段なら無造作に縛って顔に掛からなければ良いと言うくらい無頓着な癖に、決闘だからとちゃんとしたいと指定された、やたらと細かい編み込みに悪戦苦闘させられていた。
細かな絹糸のような黒檀色の髪を一筋とって絡めまとめ、それを数束作って、さらにまとめて編み込みながら縛って飾りを付けて形作ってと。
「あぁ、ずれた。このまま行くわよ。本職じゃないんだから我慢しなさいよ。これで精一杯なんだから。それにあんたお金あるんだったらプロに頼みなさいよ」
ケイスが指定した髪型は、10年ほど前に流行った今では些か古くなった舞台様式舞台で栄えるように考えられた髪型。
縛り方ひとつとっても手順が複雑で、本来はプロの理容師が数人掛かりでやるような面倒な物だ。
時間もあまりない上に、本職ではないルディアの腕もあって、かなり簡素になって当初の要望からは相当に外れている。
「そうか? 私は十分満足だ。ルディに髪を結ってもらうのは気持ちいいから好きだぞ。それに信用できない奴に髪を触らせるのは嫌だからな。今は気持ちも高ぶっているから、変なことをされたら斬り殺すぞ」
だがケイス的には十分に合格点なのだろう。
髪を見ながらケイスは、殺すという単語に目をつむれば思わず見惚れるような笑顔を全力剛速球でルディアに無造作に投げつける。
同性であり年上、その上にケイスの化け物本性を知っているルディアですらも、少しばかりくらっと来る笑顔は凶器その物。
気を持って行かれそうになって、ルディアは頭を振って気を取り直す。
「あんたね……結局は隠れるんだからいつも通りで良いでしょうが」
ケイスが身につける鎧とセットとなった兜はフルフェイスタイプ。
髪どころか、その顔すら覆い隠すのに、そこまで気合いを入れなくても良いだろう思いつつも、付き合ってしまうのがルディアの生来の人の良さと面倒見の良さといえるだろう。
「無駄ではないぞ。勝ち名乗りを上げるときは兜は取るからな。ならば絶対必要ではないか。ルディに結ってもらった髪型は勝ちどきを上げるときにもっとも栄えるからな。楽しみにしていろ」
ルディアのため息に、将来には直接的にも間接的にも傾国しかねない美少女風化け物は、肌がびりびりするような押さえきれない闘志を漏らしながら、早々と勝利宣言とも取れる答えを返す。
「それにしてもケイスやたら気合い入ってるな。調子も良さそうだな」
普段の妖精や人形めいた愛らしさは3割増しで、猛獣めいた物騒な気配は倍プッシュで天井知らずに高まっている様に、ヴィオンが感心気に声をかける。
「当然だ。私のもてる限りの力を尽くさなければラクトもそうだが、せっかく立ち会っていただく神官殿にも失礼にあたるからな。今朝も少しだけど鍛錬で街の外で狩ってきたから絶好調だ」
「また狩りにいってたのあんた? 決闘当日だってのに」
まだ早朝と言っても間違っていない時間だというのに、既に狩りをしてきたという発言にセラは完全にあきれ顔だ。
食べる物さえあれば無尽蔵な体力を持っているといっても過言ではないケイスとはいえ、さすがに元気が良すぎる。
「うむ。私は剣士だからな。斬れば斬るほど調子が上向くからな。昨日、今朝とずいぶん斬ったから祝勝会用の肉も確保したぞ。今スオリーに倉庫に運んでもらっているからあとで存分に食べてくれ」
「あー……どこ行ったかと思えば、お姉ちゃんそれでいないのね」
この怪物の監視役を引き受けていたはずのスオリーの姿が見えなかった事に、ケイスの発言を半ばスルーしながらセラは得心する。
「姉貴お人好しだからな。ルディア。悪いあとで胃薬、売ってくれ」
「もう多めに渡してますから大丈夫です。胃荒れを防ぐ薬と一緒に」
口を開けば物騒な事しか言わず、しかも実際に実行するケイスを間近で見続ける羽目になったスオリーの胃は限界に近いだろうと、誰もが予期し同情を覚えるが、同時に自分がその役目にならなくて良かったと思うのは致し方ないだろう。
「おい。さっきからおかしな発言しか出てないぞ!?」
一方今からその化け物が主役を張る決闘を取り仕切るライからすれば、聞き洩れてくるケイスの発する発言や気迫は、安心出来るような要素は皆無。
初仕事への不安が募るだけだ。
「平常運転。むしろ今は喋ってるだけだから大人しい方だな。それよりライさん。とっとと仕事を進めた方が良いだろ。武装の確認とか決闘者側の見届け人認定とかいろいろあるだろ」
どうせケイスの所為で、まともに仕事にならないだろうという予測は大当たり。
こうなるだろうと思って、付いてきて良かったと思いつつも、ボイドはライの意識を無理矢理仕事へと向けさせた。
「決闘におけるルールは以上です。わ、私が今確認した以外の武器は持ち込み禁止となります。よろしいですね……・な、何か確認なさいたい事はございますか?」
一通りの確認と使用武具の確認を終え、ケイスに聞いたライだったが、その本心を正直に言えば、『こっちが聞きたい事だらけだ!』といった所だ。
メイン武器は自分の背丈ほどもある長大なバスタードソード。
身体のあちこちに付けられたホルダーに掛かるのは、原型からかけ離れた改造を施しているワイヤー内蔵型投擲ナイフ。
本来の利き手である右手は今現在は折れていて、”もう少し”で治るがまだ拳を握ることも出来ず包帯塗れ。
極めつけは、生まれつきの魔力変換障害で魔術を使えない所か、魔術に対する耐性が皆無という申告。
背丈には不釣り合いなメインウェポンである大剣は言うまでも無く接近戦用。
魔術を使えず、防御も出来無いのに、決闘相手は遠距離用の魔具も揃えている。
一応対魔術戦も考えているようだが、その対応策は話を聞いただけでも、扱いが困難すぎる投擲ナイフときていた。
そんな状況の決闘となれば、常識で考えれば剣が振るえる距離に近づく前に、魔術の網に捉えられてお終いだ。
だが目の前の常識外で既知外な化け物が負ける姿の想像もライにはつかない。
昔なら大穴と面白がって賭けたかも知れないが、決闘に立ち会う当事者としては、諸手を挙げて勘弁してくれと降参したいほどに訳の判らない状況だ。
「うむ。決闘作法や決まりは理解した。問題無い何時でも戦えるぞ。早く剣を振りたくてウズウズしているくらいだ」
困惑し引きつった顔のライに、ケイスは無邪気で獰猛な笑顔で返す。
幼いながらも誰もが魅了されるその美貌だが、同時に待ちきれないからお前を試しに斬って良いかという、人斬りめいた発言が出て来てもおかしくない。
「で、ではこれが最後となります。今回の決闘においては勝敗の采配基準となる結界破壊を見て私が下しますが、両者が納得なされない場合は延長戦が行われます。その場合は決闘者は結界無しでの戦いとなります」
「うむ。本来の決闘方式だな。殺すか殺されるかの。私はその方がシンプルで好きだが、ラクトを殺すのはクマに悪いし忍びないからな。長引かせる気は無いぞ」
「シンプル……殺してしまうことで禍根を残すような結果をなるべく防ぐ為にも、決闘を止める事が出来る権利を持つ見届け人を一人選んでいただきます」
知らない人間なら決闘で殺す事に対して罪悪感など無いと言いたげなその目に心臓が早鐘のように高鳴り、緊張感よりも緊迫感に近くなってきた事を感じつつ、ライは早く終わらせようと最後の取り決めを問いかける。
「無論止めた方の負けとなります。ですから、この人物が止めたなら仕方ないと、貴方が納得の出来る方、信頼感で結ばれた方を選んでください。火神派神官である私が神に問うて、神が資格ありと見なした場合は、その方の右手に認定印が浮かびます。もし見届け人を任せられるかたが居られない場合は、私が勤めさせていただきます」
下手に止めようとしたら殺されるのでは無いかという予感をひしひしと感じつつも、ライは説明を終える。
「見届け人か……ラクトは誰にしたのだ?」
「対戦相手であるラクトさんは父親であるクレンさんを選ばれ、神にも資格ありと認められました」
「うむ。そうか。ラクトの奴やはりなんだかんだ言いつつも、クマを信用しているのだな」
ライの答えにケイスは我が事のように喜色満面の笑みを浮かべる。
それでこそ自分の対戦相手としてふさわしいと、至極ご満悦だ。
「では私は見届け人はルディに頼む」
ひとしきり頷いたあとにケイスは悩む素振りを見せずあっさりとルディアを指さして選択する。
自信満々のその顔は、ルディアなら断るはずがないと確信したものだ。
今部屋にいる面子はライを除けば、ボイド、セラ、ヴィオンとそしてルディア。
ケイスと出会ったのは同じ日でそう長い付き合いでもないが、同室で過ごし色々と面倒を見ていたルディアが、ケイスに一番近いといえば近い。
だからケイスの選択にボイド達は納得し、自分で無くて良かったと胸をなで下ろしていた。
「……あんたね。もう少しよく考えなさいよ」
だが指名されたルディアは戸惑いの色を強く込め否定的な言葉を返していた。
「ん? 考えたぞ。ルディが止めたなら私は負けを認めよう。しかし私が負けるはずがないからな。だからルディは安心して見ていれば良い」
再考を促してもケイスが返すのは満面の笑みだ。
「そういう意味じゃなくて……」
どこまでも勝ち気なケイスに対してルディアは僅かに顔を背ける。
その無条件ともいえるケイスの信頼しきった眼差しに、ルディアは感じ無くても良い罪悪勘を感じてしまう。
確かにケイスは自分を信頼してくれている。
それはここ数週間の短い付き合いでもよく判る。
サンドワームの攻撃から命を救ってくれた感謝もあり、利き腕を怪我をして不自由そうなので、ケイスの面倒を見ていたが、ここまでの信頼を寄せてもらう心当たりはルディアには無い。
元々良くも悪くも大胆すぎる性格で人見知りなどしない所為だろうか?
だが、自分がケイスを心から信頼しているかと問われたら、ルディアには即答できない。
ケイスの常人離れした能力や、常識外の思考をどうしても警戒してしまう事もあるが、何よりもその過去が見えないのが、ケイスに対する拭いきれない不信感を抱かせていた。
誓いを立てているから家名を名乗れないと、明らかに偽名もしくは愛称であろう名『ケイス』を名乗る。
常識外の剣技と人間離れした肉体能力。
子供でも知っている一般常識を知らないのに、なにげに高度な魔術知識や、先ほど編んだ髪型のような限定的な知識を持ち合わせる。
こうまで来ればケイスが抱える生い立ちが普通ではないのなんて、馬鹿でも判る。
自分を一介の薬師と見なすルディアは、ケイスにこれ以上深入りするのは、止めておくべきだ。
カンナビスまでの付き合いだと割り切っている。
もし、このままケイスに関われれば、自分の人生は全く別の物にねじ曲げられる。
そんな確信さえも抱いていた。
無論ケイスには感謝しているし、生来の性格とはいえつい見かねて面倒を見てきた。
だからこのまま距離感を保ちつつ、別れられればベストだと思っていた。
「あんた口で言っても納得しないでしょ。すみません。判定してもらえますか……あたしに資格があるか」
この強情で単純な少女に、自分の複雑な心境を説明しても納得しないだろうか?
それともかなり変わっているくせに、妙な所で純粋というか子供らしい部分もあるから、自分が信頼されていないと聞けば泣いてしまうだろうか?
ケイスの反応がどちらに転ぶか判らない自分は、ケイスの信頼に応えられるほどの、信頼を寄せていない。
この剣に命を賭けているといっても間違いではない少女の決闘を止める権利など自分にあるはずが無いと、ため息混じりにルディアは、ライに向けて手を差し出す。
「か、彼女でよろしいですか?」
「うむ。構わん。私はルディが良いからな」
気怠そうでどこか重いルディアの雰囲気にボイド達はつい口をつぐみ、ライも躊躇した表情で確認をするが、究極的に空気を読む気のないケイスは笑顔で頷く。
「で、では失礼します………………」
ルディアの右手を取ると、その手の甲に人差し指と中指をたて剣指をあてる。
神への祈りを唱え神術を発動させたライが、手の甲をなぞっていくと剣指が通ったあとに、火神派低級眷属神の印が淡い光を放ち浮かび上がっていく。
10秒ほどかけてゆっくりと印を描ききったライが、ルディアの手から剣指を離した。
このまま印の光が定着すれば、ルディアにはケイスの決闘を見届ける資格ありと判定されるが…………光はすぐに霧散して消え去ってしまった。
やっぱりか。
この答えを確信していたルディアは、意味が判っていないのか何故か笑顔のままのケイスに顔を向ける。
ケイスにとっては残酷な一言を告げる為に。
「見ての通りよ。信頼してくれるあんたには悪いけど……私はあんたの大切な物を決定できるほど信頼してないのよ」
怒るだろうか?
泣くだろうか?
不安を抱きながら告げたルディアの言葉を、
「むぅ。ルディは私を馬鹿にする気か? ルディが私を信頼してくれていないことは、知っているぞ。だがそれがどうしたというのだ?」
常識外の化け物は不機嫌そうに唸ると、あっさりと知っていたと肯定し、何か問題があるのかと首をかしげていた。
「「「「「…………」」」」」
予想外の本当に予想外の答えに誰もが声を無くす。
お前を信頼していないとはっきり告げられたのに、神すら相互信頼が無いと認めたのに、理解していないのだろうかこの馬鹿は?
ケイスを除いた全員の心情は一致するが、当の本人はルディアにやって貰う、いや、やらせる気満々だ。
「印は無くとも私が勝つのだから問題は無かろう。ルディ。見届け人を頼むぞ」
どうするんだよこれ?
全員の目がライに向かうが、ライだって予想外過ぎてどうしようも無い。
しかしこの場合ケイスを説得するのは、自分の役目だと、何とか神官としての矜持で折れそうな心をつなぎ止める。
「ケ、ケイスさん。こちらの方には見届け人としての資格はないのですが」
「決闘者は私だぞ。私が良いといっているのだ。問題は無い」
「いえ、そ、そういう事では無く火神派の神が認めない以上は資格がありませんので」
「神がどうしたというのだ? 私が決めたのだぞ。それが絶対だ」
これが意地を張っているならまだ救いはある。
だがケイスの放つ言葉は威風堂々とした物で、一切の躊躇も迷いも無い。
神の意志なぞ知るかと、ケイスは平然と言い放つ。
「だ、だから認められない以上、決闘は出来無いっていってんだろうが!」
もはや取り繕う仮面を使い果たしたライは思わず声を荒げるが、
「なら神官殿。その神を呼び出してくれ。私の決闘を邪魔するというなら斬ってやろう。うむ。よい準備運動だ」
「ちょっ!? ボイド!? 交代してくれ!?」
「仕方ねぇな……ケイス。お前、ルディアに信頼されてないからって、やけになったってわけじゃ無いんだろ?」
もう白旗を揚げるしか無いライの救援要請は、己の精神衛生上、無視したかったがそうもいかずボイドは何とか後を引き継ぐ。
「当然だ。ルディが私を信頼してくれないのは残念だが、知っていたからな。やけになる必要があるか」
ケイスは堂々と胸を反らしやたら偉そうに頷き次いで剣を天に向かって構える。
「そして私は邪魔する者は全て斬ると決めているからな。特に神々は私の邪魔ばかりしてくれるからな。今は忙しいから見逃しているが、出会ったら斬ってやろうと思っていたのだ。良い機会だ。重ねて頼むが神官殿。申し訳ないが私の決闘を邪魔してくれる神を呼んでくれるか」
底抜けの馬鹿は、神官相手に真正面から喧嘩を叩きつける傲岸不遜な台詞を宣った後に、自分の考えが名案だとばかりに笑ってみせる。
本気だ。この馬鹿は本気だと、誰もが納得できる獰猛で猛々しい戦闘狂な笑顔だ。
「……悪いルディア。パス1だ」
自分の手には余ると、ボイドも早々と無条件敗北を決め込み、この混乱した状況の間違っても原因では無いが、切っ掛けではあるルディアに丸投げした。
「この状況で投げられましても…………あんた。私が信頼していないの気づいていたって、いつからよ?」
「最初からだ。ルディは北方出身であろう。あちらの出身者は信頼していない者の名を呼ばない習慣があるそうだな。ルディは何時も私を呼ぶときはあんたとかあの子とかで、一度もケイスと名を呼んでくれたことは無いではないか。今もそうだろ。気づくなと言う方が無理があるぞ」
ルディアの疑問に、ケイスは常識であろうと当然のように答える。
「えっ…………あ、あれ!? 言われてみれば呼んでるとこ見たこと無かった……よ……うな!? 兄貴やヴィオンは!?」
記憶を探ってみたセラが何度思い返しても、ルディアがケイスを名前で呼んだ記憶に無い事に気づき驚きの声を上げ、同じくらいにルディアと付き合いのある二人に確認する。
自分が居ない時には呼んでいたのでは無いかと思ったセラの問いかけに、
「そういや……何時も上手いこと言い回してたな。何かにつけてケイスのインパクトが強すぎて気づかなかったのかもな」
「あー……俺も聞いた覚えないわ。今の話マジか。ルディア?」
二人もしばし考えてから、確かにケイスの言う通りだと気づき驚いている。
「え、えぇ、確かにそうなんですけど……」
確かにケイスが言う通り、ルディアの出身地ではそんな古い習慣があり、ルディアも普段はあまり意識していないが、かなり低いハードルではあるが、ある程度までは名で呼ばないという
無意識で使い分けていた。
しかし地元の人間くらいしか知らないマイナーな習慣をなんで知っているんだと、ルディアは思わず唖然とする。
「うむ。全員納得したな。だがルディが信用してくれていないからといって、見届け人の資格がいないという事は無い。私がルディが良いんだ。だからルディが見届け人だ」
どこまでも自分勝手な台詞を貫くケイスは、改めてルディアが見届け人だと宣言をした。
その力強さはもはや決定事項だと言わんばかりだ。
「あ、あんたねぇ。信頼してないってはっきり言ってるあたしに、なんでそこまで見届け人をやらせたがるのよ。そもそもそこまで信頼される記憶が無いわよ。あんたの面倒を見てたのだって、怪我してたから見過ごせないからなんだし」
もはや理解できないという段階を、とうの昔に通り過ぎて。同じ言語を話しているはずなのに別世界の人間と話しているようだ。
「ん? ルディを好きなのも、信頼する理由も同じだ。私が剣士だからだ」
困惑と戸惑いと諦めの境地に達しかけていたルディアに、ケイスは笑ってみせる。
「いや、だから……それがなんなのよ」
しかし返ってきた答えは、あいも変わらず意味不明だ。
なんで剣士ならルディアを信頼する?
自分が同じ剣士や剣を打つ鍛冶なら理解もできようが、薬師である自分に剣士であるケイスが何を信頼し、好きになるというのだ。
そんなルディアに対してケイスは満面の笑みを向けた。
「なんだ。忘れたのか? サンドワームと戦っている私に、ルディは己の危険も顧みず羽の剣を届けようとしてくれたではないか。剣士である私が戦えるように、勝てるようにと」
何故自分の思いが、常識が、誰にも理解してもらえないか、ケイスには判らない。
だが同意されなくても、理解してもらえずとも、寂しくは感じてもケイスには関係ない。
何時だって一番大切なのは自分の思い。
自分がそう思うからそうなる。
自分が好きだから、相手に嫌われていようとも、その人を好きでいる。
自分が信頼しているから、信頼されていなくても、その人の決定を信頼する。
「あの時はこいつの先代が私の剣だったから使わなかったが、ルディのみならず他の者達も私に剣を届けようとしてくれた事実は変わらないではないか」
自分は剣士である。
ならば剣を届けようとしてくれたルディアの思いは、何よりも自分には尊く心地よい行い。
だから何があろうとも。
名前を呼んでくれなくとも。
信頼していないと告げられようとも。
剣を運んでくれたルディアを信頼する気持ちに些かの曇りも無い。
「だから私はルディを好きだし、信頼するんだ」
自分にとっては単純明快、この上も無いシンプルな理由を、ケイスは高らかに謳ってみせた。