「ここらの繋ぎはオプシディアンか。加工も確実性と耐久性のバランスで考えると良い塩梅だな」
杖型魔具に使われた数々の宝石と内部に刻まれた魔法陣を、ウォーギンは次々に解析しながら、右手に握った筆で修理行程に必要なメモを記していく。
魔具鑑定をしながら生き生きした表情を浮かべるウォーギンとは正反対に、怠そうに治療室の片隅に置かれた簡易ベットに身を横たえるリオラは、極めて機嫌の悪いのが判る仏頂面を浮かべている。
ルディア特製の鎮静剤で、リオラは興奮状態が収まり倦怠感や眠気を覚えているのだが、化け物娘の所為で未だヒリヒリ痛み熱い右足首の感覚で意識を手放すことも出来ず、時折細かな部分を口答確認してくるウォーギンの作業に付き合っていた。
管理協会からは、効果再調査のために早急に杖を直して提出しろとお達しがきているが、メインデザイナー兼制作者であるリオラはただいま右足首を骨折中。
日常生活はともかくとしても、長時間の達作業が必要となる工房での作業など論外。
魔具には、制作者それぞれの作業での癖や残留魔力が色濃く出るので、凝った作りであればあるほど改造や修理には時間が掛かる。
『カンナビスリライト』は一点物の特注品。
試作段階から手伝いをしていたリオラ麾下の工房職員達ですら、その修復には一月以上要するだろう。
常識外れの技術力を持った極々一部の変態技術者共でもなければ……
「しかしこいつは安定性に奔りすぎた感じがあるな、もうちっと簡素にいけるか」
ウォーギン・ザナドールは紛れもなくその極々一部である。
いくらカンナビスゴーレムの魔法陣解析知識があるとは言え、技術応用した魔具であるカンナビスリライトの実物を初めて見るはずなのに、あっさりとリオラの加工法や癖から判断して、その技術を丸裸にしていく。
様々な色彩が混じり合った黒曜石を加工したオプシディアンには、多様な不純物が混ざったことで僅かずつでも異なる属性を含む。
単一属性の宝石と比べて、出力や効果にムラが生じやすいのは欠点だが、相性が悪い純属性の石と石の間に用いるには適しているので、複雑な積層型魔法陣に用いるには模範的な回答といえる。
丁寧で基本に忠実な宝石カットによる内部魔法陣加工は、簡易で手軽ではあるが歪みが生じやすい魔力転写式ではなく、手間が掛かるが石内部に直接刻む直写方式を選択している点も好印象だ。
僅か誤差で狂いが生じる積層魔法陣において、確実性を優先した作りを目指している。
ただ安定性を意識しすぎて、行程が複雑になり全体のバランスに歪みが生じ、それを補正するのに一手間二手間が掛かっているのは余分だとウォーギンは切り捨てる。
「ダメ出しはいらないから、とっとと書けば。研究禁止令がでてんのよ。余計なことすんな」
修理どころか、ついでに改良案まで思い浮かべているのは、ウォーギンの単なる趣味だ。
他工房の魔具が新発売されるたびに、自分ならどうするどう作ると、作る時間も費用も無いというのに、この天才魔導技師は常に頭の中で思い描いて、暇つぶしや気晴らしに書面にしたためている。。
リオラが片付けに行かなくなって数ヶ月が経っているのだから、書き上げられた中途半端な設計図が、私室には乱雑に山積みになっていることだろう。
「癖だから仕方ねぇだろ……良い魔具を見るとなおさら気になるしな。良い出来だと思うぞ」
魔具に関してはウォーギンは世辞など言わない技術屋タイプなので、良い魔具というのは本気の言葉だろうがリオラには嬉しくも無い。
「コーティングにはと……レグミラスの角膜かこりゃ。指向制御は師匠の得意技だったが、さすがにまだ甘いか。使いすぎだ。石のカット次第じゃ指向方向以外完全封印しなくても一部だけでいけるか……全体的に盛りすぎて分厚すぎだな。お前私生活はおおざっぱなくせに、魔具作成になると安定志向だよな」
大抵の魔眼の影響を撥ねのける強力な魔力遮断能力を持つ巨大な一つ目を持つ羊型モンスターレグミラスの角膜を用いて、宝石からほとばしる魔力の出力先を固定する指向制御術は、リオラの祖父でありウォーギンの師匠でもあった老技師が得意とした技術だ。
祖父が存命中に叩き込まれ、リオラも得意技と自負する……しかしだ。
並の技師からみれば一級品の仕事をリオラがしても、気づかいという物に無縁な天才に掛かればぼろくそだ。
指向制御技術でのセオリーである方向外全封鎖が必要ないと断言し、薄紙1枚にも充たないのに分厚いと言われる。
怪我人を気遣うなんて、ウォーギンに期待するだけ無駄だ。
「っく……」
良い魔具といったその舌の根も乾かないうちに、ウォーギンからは手厳しい批評が出てくる。
文句の1つでも返したい所だが、杖を蹴り曲げさらに怪我までしたのはリオラの自業自得。
だから自分が気絶している間に、工房員達が修復の手伝いをウォーギンに依頼していた事に対して強く出られない。
管理協会に期日までに提出できなければ、まずいことは確かだ。
引き渡しを伸ばして偽造したり、技術を隠そうとしていたりなど疑いでもかけられて、痛くもない腹を探られるのは勘弁だ。
それにウォーギンは口だけの評論家ではない。
実際にセオリーを無視して、反対側が透けるほどの厚さでコーティングをやってのけるなんて朝飯前だというのは、元雇い主であり不肖の妹弟子でもあるリオラが誰よりも知っている。
頭を悩ませ、試行錯誤を重ねた末のリオラ渾身のカンナビスリライトの改良点を、ウォーギンは次々にあぶり出していく様に、段違いの技術力を何時ものごとく思い知らされリオラは悔しげな顔で臍をかむしかない。
「……私は作成は素人ですが、作業で魔具をよく使います。使う側としては安定性があるのはありがたいですよ」
あまりのずたぼろさに哀れみを覚えたのか、ウォーギンの横に座るルディアが、ついフォローしてくるくらいだ。
ルディアの膝の上には治療の際に脱がしたリオラの右足のブーツが乗っている。
腫れ上がっていてそのままでは脱がせなかったのか、ケイスによって見事に斬られたブーツを、残っていた靴ヒモなどを上手くつかい、足首を固めるギプスの上からでも履ける即席のサンダルへと加工していた。
「な、慣れてるから気にしないで……とっと」
ウォーギンの無自覚な辛辣さや空気を読まない発言には、とうの昔に諦めている。
半身を起こしたリオラは、魔具制作以外では生活破綻者で役に立たないウォーギンの代わりに、わざわざ付き添ってくれているルディアに向き合う。
「医療院の人でも無いのに、付き添って気を使わせた上に、ブーツまで加工して貰ってすみません。ルディアさんありがとうございます」
地の口調は厚紙を何枚も重ね合わせたように厳重封印し、リオラは外向けの丁寧な口調で頭を下げる。
やれば出来るのだから普段からすれば良いのにというのが周囲の意見だが、何せリオラはこらえ性がない。
すぐに地が出るのはもはや呪いめいた性分といえるだろう。
「気にしないでください。今夜の人手不足もブーツの破損もあの子の所為ですから。しかも鎮静剤で無理矢理に落ち着かせたのは私ですし」
頭を下げられたルディアは、むしろこっちが謝りたいくらいなので申し訳なく顔の前で手を振った。
昼間の喧嘩で病院送りにされた患者たちが、元凶の怪物を目撃してパニックに陥った所為で看護師達が忙しく人手不足。
上手く靴ヒモを外せば何とか脱がせたはずなのに、せっかちというか万事全てが剣に直結している剣馬鹿は、止める間もなくナイフでブーツを切り裂くは、治療と称して患部を殴りつけるはやりたい放題だ。
よくよく考えればルディアには直接的には関係あるのは鎮静剤の一件だけで、他はケイスが原因。
だがケイスに病院行きを度々進めたのは自分なのだから、それも含めて責任の一端は自分にもあるだろうと、自ら貧乏くじを鷲づかみしている自覚はありつつもルディアは疲れた顔で答えた。
「………なんかあんたも苦労してるみたいね」
天才に苦労をかけられる者同士でシンパシーでもあったのか、リオラは肩肘はるような口調はとことん性に合わず、あまり得意ではない他人向けの表情と口調をあっさりと緩めた。
「この骨折ってどんな具合なの? さっきのガキのせいで折れて痛いのか、殴られて痛いのか判らないんだけど」
足の甲から臑までがっちりと固められた右足をリオラは指さす。
指先が少し動かせるだけで、折れた足首はがっちりと固まっている。
「亀裂骨折だから一月もあれば治るそうです。診療費はシュトレさんの工房の方が、既に支払いを済ませてますからギプスが完全に固まったら帰っても大丈夫といってました」
一時的に不可能になっていた迷宮への侵入が自由になった始まりの宮後で、探索者達の活動が活発化しているこの時期に、骨折程度の患者を入院させるベットの余裕は診療院には無い。
耳を澄ませば、明け方近いというのに入り口の方から看護師を呼ぶ声が時折聞こえてくる。
迷宮に潜っていた探索者達や、他の医院が開いていないので急患たちが駆け込んできているようだ。
「一応これで完成です。急ごしらえのサンダルですけど、ちょっと合わせて貰っていいですか。シュトレさんのギプスに合わせて調整します」
側面を完全に切り開き、空けた穴に革紐を通してつま先だけを突っかけヒモで固定するように改造した元ブーツをルディアはみせる。
素人細工なので多少不格好だが、それでも簡易な履き物としては十分使えるレベルだ
作業前に付いていた土や埃を一応外で払ったが、少しだけ残っていたのか膝に乗せていた外套の上に僅かだが落ちている。
さすがに治療室で落とすわけにも行かないので、外套を丸めて脇に置いたルディアはリオラに足を出してくれと頼む。
「へぇ思ったよりちゃんとした形してるね。ありがと。あとリオラで良いわよ。ほらさっき地みせちゃったから、判ると思うけどあたしって堅苦しいの駄目だから」
雑多な下町育ち故に、口は悪くがさつだが、他人に対する心の垣根が低いリオラは人なつっこい笑みを浮かべながら、ルディアの言う通り素直にベットから右足を降ろした。
その裏表の無い表情は、ルディアの警戒心を緩めるには十分な物だ。
ルディアの故郷であるほぼ一年を通して雪に閉ざされる北方の冬大陸の住人は、信頼できると感じた者しか名で呼ばないという習慣を持つ。
深い雪に閉じ込められ家の中に篭もることが多く、他者との接触が少ないので警戒心が強いからだとか、古い地方宗教の影響だとかいろいろ説はあるが、はっきりしたことは判っていない。
ルディアもあまり意識しているわけではないが、身についた習慣なので、名を呼ぶのが失礼に当たる目上を除いて、自然と呼び分けていた。
もっとも、その基準は非常に緩い物なので、一度会ったくらいの人間を呼ばないだけで、敵意がなくある程度に信頼できれば名で呼んでいる。
リオラの口の悪さには驚いたが、その人柄は信頼できそうだ。
「判りましたリオラさん。簡単には解けないようにきつめに合わせるので、痛かったら言ってください」
リオラの方が少し年上なので敬語は使いつつも、すこし打ち砕けた態度でルディアは快諾し、怪我している足首を動かさないように丁寧な手つきでサンダルを合わせ、ヒモの長さや縛り方を確認していく。
「……この気づかい。そうこれよこれ。これが怪我人に対する接し方よ」
ルディアの細やかな手つきや、少しでも歩きやすいように考えている気づかいに、リオラが感動の息を漏らす。
怪我したばかりなのに、見ず知らずの化け物に力一杯に闘気を流し込まれるは、兄弟子兼元従業員は怪我の心配もせず、魔具の観察に夢中でダメ出しまでしてくる始末だ。
「怪我つっても自業自得だろうが……悪いな。ルディアの姉ちゃん。妹弟子が迷惑かけて」
リオラが感慨に浸かっていると、いつの間にやら観察を終えたのか、通常モードに入ったウォーギンがあきれ顔を浮かべていた。
どうやら原因が原因で、これだけ喚けるならたいした怪我でも無いと判断し、心配する気は皆無になったようだ。
「うるさい。判ってるわよ。だからウォーギンなんかに借りを作るの許したんでしょうが。ちゃんと依頼料は払うからしっかり仕上げてよね」
「師匠の分とリオラの分とこっちには返さなきゃならねぇい借りが多すぎんだから、お前絡みの仕事じゃ金なんていらねぇよ」
「あーもう。その無頓着さをやめろっつってんのよ。しっかり仕事をしたらその分は貰えって言ってんでしょうが。久しぶりに会ったらやつれてたし、あんたの事だからどうせお金もなくてろくに食べてないでしょ」
金銭に関しては相変わらずのウォーギンの適当さ加減にリオラは頭を抱える。
魔具制作に関しては天才ではあるが、他にはとことん面倒がり、塩と水にパンさえあれば食事だと言ってのける生活破綻者には何度言っても無駄かも知れないが、言わずにはいれなかった。
「うるせーな。わーったよ。なら報酬代わりに材料と機具を貸せ。ちゃんと前金を貰った先約の急ぎ仕事あるからよ。その後杖の方を修理するから」
自分の私生活の問題点に関してはリオラに分があるのは、さすがに判っているのでウォーギンは両手を挙げて降参し、ケイスから請け負った仕事を行うためにリオラに条件を切り出した。
「仕事? あんたが? またころっとだまくらかされてるとかじゃないでしょうね」
リオラは猜疑心が篭もった疑わしい目をみせる。
ウォーギンが自分から仕事を請け負ってきた場合は、赤字覚悟だったり、技術的に困難すぎたり、挙げ句の果てには盗品魔具の制限解除だったり、犯罪目的に使う戦闘魔具制作依頼だったりと、碌な物では無い場合がほとんどだ。
魔導技師としてはずば抜けた能力があるが、魔導工房主としての適正で見ればリオラの足元にも及ばず、経営者向きではないそれがウォーギンだ。
「その辺は安心しろ。技術的には少し難しいが無理じゃない。報酬も金貨換算150枚分の大盤振る舞いだ。依頼主は…………あいつどこいった? スオリーの姉ちゃんもいないな」
ケイスを引っ張り出そうとして、室内を見回したウォーギンは、ケイスとスオリーの姿がないことにようやく気づいた。
「あの子ならずいぶん前に出て来ましたよ。戦闘練習をするから街の外に行ってくるそうです。スオリーさんは保……見張りです」
1人にしておくと無軌道で何をしでかすか判らないケイスを心配して、スオリーが保護者役として付き添っていったが、ケイス相手は見張りといった方がしっくり来るのでルディアはわざわざ言い直した。
「ウォーギンさんへの依頼主はあの子ですよ。ともかく馬鹿ですから即金で払ってますし、利用目的も明後日にやる決闘のためです」
考え方は常に脳筋暴力的でおかしいが、その根は素直というか馬鹿正直なケイスに人を騙そうという悪巧みなど出来そうも無いとルディアは断言しつつ、説明していて自分でも頭の痛くなるこれまでの成り行きをリオラへと話し始めた。
足元の柔らかい砂を次々に蹴り、左手に長いバスタードソードを持ったケイスは乱立する石林の中を縦横無尽に走り抜ける。
ケイスの周囲にそびえ立つ岩は、それぞれくちばしや指の形をしていたり、かなり荒い作りだが瞳や瞼があったりと、生物の一部を模している。
これらは全て城ほどに巨大だっというカンナビスゴーレムの残骸だ。
昨日展望台から見下ろしたように小山ほどの大きさの固まりなら、はっきりと顔であったり胴体の一部だと判るが、周囲の破片というには些か大きすぎる岩からは、元がどのような形であったのか推測するのは難しいだろう。
カンナビス陸上港から歩いて30分とほど近く、それでいて航路から少し離れた崖下のわき水がこぼれ落ちて出来た小さな水場近辺を、ケイスは鍛錬所として選んでいた。
貴重な水場には周囲から水を求める野生生物や、それらを餌にする小型魔獣が集まっている。
港からほど近く、迷い込んだ魔物で港湾労働者に被害が出ないように、支部や領主から探索者達に時折討伐依頼が出され、協会傘下の鍛錬所を借りる金すら惜しむ駆け出しの探索者達が、小遣い稼ぎがてらに稽古がによく訪れている場所だそうだ。
「あまい!」
「ぎゃいんん!?」
岩陰からケイスを狙い跳びだしたは良いが、気配を読まれて鼻先を蹴り上げられた小型魔獣のデリアンフォックスが悲鳴を上げながら、岩肌に強かに叩きつけられた。
首でも折れたのかピクピクと痙攣する狐を一瞥したケイスは足を止め、日が昇り初め白みかけた上空へと目を向ける。
動きの止まったケイスに向かって、上空を旋回していた猛禽類の群れが急降下を開始した。
鋭い爪と嘴で断崖絶壁に穴を空けコロニーを作り、集団で狩りをするラプライトイーグルの群れだ。
左手のバスタードソードをケイスは力一杯に空に向かって放り投げるが、さすがに遠すぎる。とても届きそうにない。
ケイスは腰のホルダーから開いた左手でワイヤーナイフを一本引き抜き、手元のダイヤルでワイヤーの長さを調整しつつ、柄頭のハーケンリングを口で噛み引っ張り出すと足元に転がっていた岩にハーケンを蹴り込む。
ついで身体を大きくひねり、電光石火の勢いで今度はナイフを上空に向かって投げつける。
全身のバネを使い勢いを込めたナイフは風切り音と共にワイヤーを伸ばしながら、あっという間に先行するバスタードソードを追い抜き、先頭をかけるラプライトイーグルに迫る。
しかし直線的な軌道な上にいくら速くとも所詮はナイフの速度。
矢の速度には遠く及ばず、僅かに身体をずらし軌道を変えたイーグルがギリギリの所で躱した。
だが躱されたケイスの顔に焦りの色など皆無。
この程度の速度では躱されるのは織り込み済みだ。
ケイスの狙いはイーグルの後ろ。
ゴツゴツとした持つ指の形をした大岩だ
岩壁面の凹凸にナイフが引っかかりぐるりとワイヤーが絡みついた。
ぴんと張られたワイヤーは鳥たちの群れの中心を貫いている。
それはケイスにとって道だ。
自分の手には届かない空を飛ぶ鳥たちを、自分のフィールドへと引きずり下ろすための道。
「うむ。今行くぞ2代目!」
視線の先の投げたバスタードソードに呼びかけ、細すぎる蜘蛛の糸を足場にケイスは一気に空へと蹴り上がる。
それは計算されつくされてはいるが、あまりにも馬鹿馬鹿しい戦闘法。
髪よりも細い糸を駆け上がり、先ほど投げた新しき愛剣に追いついて左手にしっかりと握ったケイスは自ら突っ込んだ鳥の群れに対して、その暴虐で絶対的な狩りを開始した。
「うん。こいつらは美味しいな。卵も大きくて満足だ」
頭と羽と内臓を抜いて、火に直接放り込んだ直火で焼いただけの一応料理ともいえなくもない原始的な焼き肉にかぶりついたケイスは、次いで崖に素手で登って取ってきた卵をたき火に直置きして熱した平たい石の上で焼いた目玉焼きにもかぶりつき、満足げで極上の笑みを浮かべる。
「どうしたスオリー。食べないのか? 遠慮などいらんぞ。薪代の代わりと鍛錬に付き合ってくれる礼だ。好きに食べてくれ」
たき火の反対側に置いた手頃な石に腰掛けて、微妙な表情を浮かべ止まっているスオリーの様子にケイスは気づき寛容な笑顔で勧めるが、スオリーはどこか引きつった笑顔のままでぎこちない様子だ。
先ほどからちらちらと空を見上げているので、ケイスも視線をそちらに向けてみるが、特になにも見えないし、何かが隠れているような気配も感じなかった。
日が大分高くなっているので、時刻は昼すこし前になっただろうか。
スオリーも朝から食べてないのだから、お腹が空いているはずだろうと、勝手に判断する。
「安心しろ。あの鳥に限らずこの辺の私を襲うような動物は狩り尽くしたからな。襲ってくる事は無いぞ」
モンスターを警戒して落ち着いて食事が出来無いのだろうか。
ケイスは力強く断言してみせるが、スオリーの表情はさえないままだ。
「むぅ、ひょっとしてスオリーも羽があるから、羽のあるのは駄目か? 鳥が駄目なら、今焼いている狐以外にも、猪とか変わったのなら芋虫やらいろいろあるからな。どれがいい? どれも美味しそうだぞ。余ったら持って帰ってルディ達にも食べさせてやろう」
ケイス背後に山積みにした稽古相手兼食材を指さし、ケーキを前にした子供のような無邪気で蕩けるような笑顔を浮かべる。
どの獲物もこの水場近くで、ケイスに襲いかかってきて返り討ちになった動物やモンスター達だ。
その数は動物が大小合わせて33頭と鳥が24匹。
これだけの獲物を斬れたのだから、この二日間碌に剣も抜けず少しばかり欲求不満だったが、その気分が解消されケイスは大満足していた。
幼くとも十人中十人が紛れもなく美少女だと評価するであろう、人を魅了するとろけるような甘い笑顔は、純白の磁器を片手にモーニングティを楽しむ優雅な食事であれば、違和感など無いだろう。
しかしその背後に積み上げられたのは、先ほど息絶えたばかりの獲物の山。
目の前のたき火の脇にはどこか恨めしそうな顔を浮かべた狐の頭部が、火の上で焼かれる自らの身体を見つめていた。
精霊のごとき可憐さと戦乙女のような凛々しさを持つ極上の美少女にして、世界中の王侯貴族と比べてもトップクラスにやんごとなき血を引くはずの大帝国の唯一の隠し姫は、この近辺で獰猛さで知られる大ワシのもも肉にかぶりついて、骨ごとかみ砕いて飲み込んでいる。
ケイスの戦闘力やその食事は、同僚達の報告資料から知識として知っている。
昨日も一緒に食事をしたのだから大食漢なのも判っている。
知っている。判ったつもりだったが……ケイス本来の食事を現実で目の当たりにした時の衝撃度は、一味も二味も違った。
この世の生物は、すべからく自らの餌である。
生き様。
行動。
その全てが龍その物な美少女風化け物が主張している幻聴がスオリーには、はっきりと聞こえていた。
ただでさえ上空でケイスの行動を窺っている存在に気づいてしまったプレッシャーで胃が痛いところに、溜まった物では無い。
「いえ、大丈夫です……薬を飲んでから頂きますね」
その生まれと容姿に反するにもほどがある、あまりに野性的すぎるその食事風景にスオリーは、ギャップの激しさから頭痛を覚え、ルディアから譲って貰った薬を懐から取りだしボリボリと囓って飲み込んだ。
無論スオリーとて兄妹知人にも隠し協会には正式に属さないとはいえ、立派な中級探索者。
野営でモンスターを狩り食事にするなんてのも昔は良くやっていたので、ケイスの行動に異議を唱えるつもりも、モンスターを食べることに対する嫌悪感はないが、それでもやはりやり過ぎだと思うしかない。
脂身が少ない肉は多少堅くて臭みや野性味があるが、塩を振っただけでも十分に食べられる代物で、野生動物を売りにするマニアックな飲食店に売れる品物だ。
羽は矢羽根にも使えるのでそれなりに引き取り手がある。
だからここの水場の討伐依頼は、駆け出しの探索者達には難度や収益的にほどよく、それなりに需要もあったのだが、ここまで徹底的にケイスに壊滅させられたのでは、しばらくこの水場に近寄る動物やモンスターは皆無となるだろう。
「……いただきます」
ナイフで切り分けた手羽肉にスオリーはかぶりつく。
この場所をケイスに紹介したスオリーは、顔も知らない駆け出し探索者達に申し訳なさを覚えていた。
「ん。好きに食え。どんどん焼くからな」
スオリーに借りた金でケイスが街で買って担いできた薪はまだまだある。
何日も泊まりがけでするわけでもないのに、やたら大量に買っていたのはどうやら最初からそのつもりだったのだろう。
借りた薪代を肉で返すのは、野生児という言葉も生やさしいと思うのは気のせいではないだろう。
「それとスオリー。食べながらで良いので私の投擲戦闘はどうだったか評価をもらえるか?」
「どうと聞かれても……糸をよく足場に出来ますね」
あのセオリー無視にもほどがある、戦闘を評価しろは一種の拷問だろう。
張り巡らせたワイヤーを足場に使う技術は存在するが、あれはあくまで入念に準備を行い使う奇策だからだ。
「蜘蛛糸の生体素材だから闘気の反発で高く跳べるからな。上手くコツさえ掴めば思っているより楽だぞ」
簡単、難しいの基準が世間とは隔絶するケイスは無邪気な笑みで軽く言う。
だが投げナイフで張ったワイヤーを即興で足場にするなんて際物は、ケイス以外にスオリーは一人しか知らない。
それは求め夜な夜な大陸各地の街に不規則に出没し、投げナイフとワイヤーを用いて美少女の心臓狩りをしていた『笑狂曲芸師』という通り名で知られた変質的な猟奇趣向を持つ中級探索者でもある連続殺人者だけだ。
「ご自分で考えたんですか……アレは?」
聞けば後悔する予感を抱きつつも、スオリーはあえて踏み込む。
スオリーは全てを知っているが、上空で窺っている存在は知らないだろう。
だからケイスを知って貰う為に。
「ちょっと前にやり合ったものすごく強い奴が使ってた技だ。無表情なくせに口元だけ笑う嫌な奴で、殺されかけたが当然私が勝ったぞ。まだ修練が足りないからあのピエロみたいには出来無いのが悔しいがな」
あっさりと答えるケイスに対して、話を振ったスオリーは早くも後悔していた。
近隣を長年に渡り恐怖のどん底に落としいれた殺人者は、数ヶ月前に狂気という分野では遥かに上回る化け物と偶然の末にかち合い、圧倒的な戦闘力の差にもかかわらず一瞬の油断から殺されている。
真正面から心臓を刺されたはずの化け物が、その直後に平然と動き出し、何故か硬直した曲芸師の首を切り落としたというレポートは、つい先ほどまでのスオリーならば何かの間違いだろうと思っただろう。
しかし今は否定が出来無い。
端的にもほどがあるがケイスの説明は、レポートに書かれていた内容と符合する。
何より先ほどみせた糸を足場とする曲芸じみた闘法や正確無比なナイフ投げの技術は、及ばずとも噂に聞いた件の殺人狂の技術その物。
対峙した相手の技や技術を無限に吸収する。
例えそれが悪名高き殺人者の技であろうとも。
己の為ならば、ケイスには禁忌も躊躇もなく、貪欲に取り込んでいく。
何時か世界ですら飲み込みそうなその貪欲さにスオリーは背筋に薄ら寒さを覚える。
「……なんでそんな強い人と戦ったんですか」
上空にいる人物に聞かせたい言葉のためにスオリーは踏みとどまり、一歩踏み出す。
大分離れているが、あの御仁なら聞こえないはずがない。
スオリーにわざと見つかる程度の陰行を使い、ケイスを窺っているのはその本質を見極める為だろう。
「ん。昔、世話になった人の娘を殺した相手だったそうだ。私はその子は知らんが、その人はいい人だった。父親なのに敵さえとってやれないというので代わりに力がある私が敵討ちをしたまでのことだ。恩には恩で返す当然であろう」
誇るでも無く、怒りを覚えるでも無く、ケイスは平然と語る。
腹を空かせたケイスに差し出されたのは、具材もほとんど入って無い塩味の一杯のスープだったという。
傍目には幼く見えるケイスに、ただ娘を重ね哀れみを抱いてスープを差し出しただけであろう父親は、それが1年以上も経ってから長年の怨みを晴らすことになる決め手であった事を今も知らないそうだ。
全てはケイスが自分勝手に判断し、自分勝手に動いた末に起きた結果。
ケイスにあるのは、正義感などという物ではないのだろう。
自分が思うまま、自分がやりたいことをやって生きている。
気に入れば護り、気に食わなければ殺す。
相手がどれだけ強かろうが関係ない。
暴虐にして傍若無人な龍の気質を持つ人間。
しかしこの龍は決して邪悪な存在ではない。
天高くからケイスの動向を窺う者へと。
赤龍王を倒し暗黒時代を終わらした英雄の一人。
龍殺し『竜獣翁コオウゼルグ』にケイスへの理解を求めるために、スオリーは何とか会話を続けていた。