探索者達に昼夜はない。
永宮未完において、常時出入りが可能な可能な常設宮は全体の三割程度だといわれている。
朝や夜。僅かな時間しか侵入可能にならない迷宮。
春限定や夏限定の特定時期しか入り口が出現しない迷宮。
自然の摂理に合わせ顎を開く迷宮もあれば、もっと細かい条件。探索者各々の様々な要因が重なり、迷宮への侵入を可能とする。
ソロであるか、パーティであるか?
特定の武器や信仰を有しているか?
変わった所では、身体の一部に欠損を生じているか?
目指すべき迷宮。
目指すべきモンスター。
目指すべき天恵アイテムにあわせて、探索者達は活動時間を日々変えて迷宮へと潜る。
そんな探索者達をサポートする管理協会が直営する各種施設は、基本的に24時間常に営業を行っていた。
カンナビス支部医療院も何時運び込まれるか判らない患者に備え、日付が変わる深夜にも構わず、忙しそうにバタバタと職員達が通路を行き来している。
もっとも今夜が格別に忙しいのは、夕方にとある酒場で起きた喧嘩沙汰で運ばれてきた患者達が、先ほど治療に訪れた幼い少女の姿をみて、何故か恐慌状態に陥ったり、両足が折れているのに今すぐ退院するとわめき出す者など、一騒ぎを起こしているからだった。
「こういう感じだできるか? 柄の部分に納められたワイヤーは50ケーラ分に減らして構わん。投擲可能距離以上あっても戦闘用には使いづらいからな」
待合室のベンチに座るケイスは医療院内の騒ぎは気にもとめず、白く塗られた壁に背を預けながら、自分の要望を伝え終えると、ベルトのホルダーに止めていた細身のナイフを一本引き抜く。
左手でナイフの柄に埋め込まれた目釘を外すと、柄頭に設置されたいくつものかぎ爪がついたハーケンリングに指を引っかける。
リクゼン王国の蜘蛛糸を加工したワイヤーユニットを丸ごと引っ張り出してから、隣に座るウォーギンへと手渡す
髪よりも細く透き通った透明な蜘蛛糸は、生体由来のため可燃性である事は難点ではあるが、頑強な作りと視認性の低さから、戦闘用のみならず、罠作りにと幅広く用いられている迷宮産アイテムの1つだ。
ナイフの柄に収納されたワイヤーは200ケーラもあり、ユニットに埋め込まれた小型魔具により自動収納を可能とする機構をもたらされており、非常時の垂直上昇、懸垂降下にも使用可能とするマルチツールとして作成されている。
「まぁこれならちょっと記述を変えてすぐに出来るな。ただユニットを外付けにして回収速度上昇は良いが、ユニットぶっこ抜くとナイフの方がだいぶ軽くなるが、投擲で上手く使えるのか?」
ワイヤーを回収する魔具ユニットを手に取ったウォーギンは作業の段取りを脳裏に描いたのか、ケイスが提示した改良案が可能と判断するが、使い方には疑問を浮かべた。
ケイスの提示した改良案は、ワイヤーユニットをナイフの柄に収納するのではなく、固定用ハーケン側に持ってきた上で、魔法陣改造による回収速度の大幅上昇。
狩猟時に獲物に投げつけ、追跡を容易にしたり、障害物にワイヤーを絡ませ逃走を妨害する目的で、投擲用にナイフの形状や重量バランスの調整がされているが、ケイスの案はバランスを大幅に崩す事になる。
下手すればナイフがまっすぐに飛ばず、回転することになりワイヤーと絡むことになりかねない。
風系の魔術でも扱えるなら、刀身に風を絡ませ、速度や軌道を自由自在に扱えるが、あいにくケイスは風系どころか、魔術を一切使えない魔力変換障害体質者。
「うむ。投げられなくはないが、どうしてもバランスを気にして限定的な速度と角度になるな。だから第二の改良案だ。空になった柄の中に…………………………」
空洞になった柄をみせながら、ケイスは第二の、対魔術戦闘として考えた本命といえる案を披露しウォーギンに要望を伝える。
「……お前また技師泣かせの無茶苦茶な案をだしやがったな」
詳細を聞いたウォーギンはその要求スペックの高さにあきれ顔を浮かべる。
ケイスの求む機能は複合的で複雑な仕様な上に、狭い柄に嵌まるように組み上げろ。
しかも明日の朝に行う決闘に間に合うようにと、無理難題も良い所だ。
「ワイヤーユニットの外付け改良はそこらの見習いでも出来るが、私が望む改良案をウォーギンなら一日で出来るだろう。私は出来無い者に頼んだりはせんぞ。酒場で私を昏睡させた即興魔具はお前の作だろ。そこらにあった物であんな非常識な物を作る奴が何を言う?」
だがケイスは不思議そうに小首をかしげる。
お前なら出来るはずだ。出来無いわけが無い。
ウォーギンをみるケイスの目は、ウォーギンの技術力を信じ切った純粋無垢な子供の目だ。
「技師泣かせだが技師冥利に尽きるなその信頼は…………似たような魔具を小型化して機構自体は出来るが内容量が少ない、補充無しだと精々1、2回使える程度だがいいか?」
「うむ。構わん。これが資金だ。残ったのは報酬としてお前にくれてやる。ウォーギンなら報酬を多くしようと手を抜くようなことはないから安心して渡せるな」
ウォーギンの回答にケイスは満面の笑みで答え、懐の宝石袋を取りだし、惜しげもなく残っていた宝石を袋ごと渡す。
残っているのは額面で金貨150枚分といえど、ケイスの手持ち全財産なのだから大盤振る舞いも良い所だが、技術者としての矜持を持つウォーギンをケイスが心底信頼している証拠だろう。
「上手く仕上げてやるよ……といいたい所なんだが、さすがに機具と資材が家のじゃ足りねぇな。資材はこれで買いにいくとして問題は機材か。リオラがいない時に潜り込んでちゃっちゃと使わせて貰うか」
改良用資材購入には資金は十分だが、魔具作成に必要な機具となるとさすがに購入する金額には桁が2つ3つ足りない。
元の職場なら揉めた工主がいない時間なら少しは融通が利く。
設計を家で済ませて、作成時だけ元職場の機材を使わせて貰おうかとウォーギンが算段を付けていると、医療院の入り口のほうから声が響いてくる。
「すみません。急患なんですけどおねがいできますか?」
聞き慣れた声にウォーギンが聞こえてきた方に目を向けると、元同僚達の姿が見えた。
受付にいるのは工房のスケジュールをまとめている秘書役の同僚だったアリシア。
まとめ役である最年長技師パーライトの側には、受付前の長いすに寝かされ微動だもせずにぐったりとした工主リオラの姿があった。
「ありゃパルさんとアリシアか……寝かされているのリオラだな。なんかあったか?」
「ん。昼間のご令嬢か? 安心しろ。気を失ってるだけで息はあるようだぞ」
「令嬢って性格じゃねぇよ。あれは。悪いちょっと聞いてくる。リオラが気絶してるなら丁度良い。ついでに工房を借りる算段も済ませてくらぁ」
心配しているのか心配していないのかよく判らない言葉を残しながら、ウォーギンはケイスに断りゆっくりと席を立つと知人達の元へと少しだけ足早に歩いていった。
「薬はこれだけ。食事も量は多いですけど内容は普通です。だからあの子が言う通り闘気による肉体修復能力を上げていたそうです」
「それでも信じられんな。周囲の筋肉を動かして砕けた骨を元の場所に固定して再生を速めたといっていたが……この回復力は常識外だぞ。獣人すらも上待っているな」
机の上に置かれた丸薬や塗り薬をみながら医療院所属の白髪の老医師がケイスの非常識な肉体能力に頭を悩ませる様にルディアは同情を覚える。
つい先日折れ砕けたはずのケイスの右掌。
しかしその診察結果は、多少のヒビはみられるがほぼ治りかけているという、数多くの種族の患者を診てきた、医者ですらその脅威の快復力に頭をひねる結果であった。
折れた骨を元の場所に戻し動かないようにギプスや副え木で固定し、肉体が持つ治癒力にゆだねるのは、基本的な治療法だが、ケイスのそれは粉みじんに砕けた骨の欠片まで、細分狂わず筋肉制御で己の意思で元の場所に戻すという、常識の範囲外のものだ。
普通なら子供の戯言と笑い飛ばすのだろうが、実際に筋肉を使って体中の関節を自在に外したり入れたりする様をみせられたのでは、ケイスのいうことも信じるしかないだろう。
本人曰く、どのような状態でも敵の攻撃を避け、剣を振るう為に身につけた肉体操作技能だというが、さすがに筋肉繊維一本一本単位で自在で動かせるのは変態的過ぎるだろう。
「ですから私の薬は一般的な物とあまり変わりません。すみません。ご期待にそえず」
当のケイスの診察が終わったというのに、ルディアが一人診察室に残ったのは、あまりにアレなケイスに今までの常識を壊されそうな医師が、まだ信じられる答え。ケイスがしきりと褒めていたルディアの薬が特別だという可能性にかけた所為だ。
しかしその儚い望みは、完膚無きまでに打ち砕かれていた。
「……気にせんでくれ。極々稀にだが、探索者にもあのような非常識な肉体を持つ者もいるからな。さすが探索者でもあらず、あのように幼い少女がというのに驚かされたが」
頭を下げたルディアをみて、我に返り気を取り直したのか医師が背もたれに背を預けて、息を大きく吸った。
無くした腕を自力で生やしたとか、切断した腕をくっつけて繋げなおしたという事例よりはまだマシだ。
例外中の例外を思い出して医師は何とか、精神の均衡を保ったようだ。
「それにあんたのオリジナル薬も丁寧な作りで、保存性や品質も良いもんだ。あれならギルドには私の方から口利きをするから、少し卸していってくれないかね。ギルドも色々世話になっているスオリーさんの知り合いだとなれば、連中も縄張り云々の五月蠅いことは言わんはずだ」
「こちらとしてもそれは助かります。ちょっと路銀が心許なかったので」
地元医師の口添えがあれば、いくら薬師ギルドに所属するとはいえ、カンナビスギルドからみれば所詮はよそ者であるルディアが作ったレシピの特製オリジナル薬でも、買いたたかれる恐れは少なく、多少割も良くなる。
隣の探索者管理協会カンナビス支部に行って鍛錬所を借りる手続きをしているスオリーは、協会の受付嬢としてここらではちょっとした顔だそうなので、より安心出来るだろう。
願っても無い話にルディアは快諾する。
「それではすぐに紹介状を書いて……はいりたまえ。どうかしたかね?」
引き出しから便箋を取りだした医師が早速薬師ギルド宛ての書状を作ろうとすると、診察室のドアが強くノックされる。
「ん、失礼する。先生すまん。知り合いの知り合いが骨折したらしい、みてやってくれ」
医師からの返答を待ってからドアを開けたケイスの背後には、いきなり現れ場を仕切り率先して動き出した子供の行動力に目を丸くする技師達と、気を失い冷や汗混じりで唸っているリオラを背負っているウォーギンの姿があった。
「ふむ。目を覚ましたか。気分はどうだ?」
頭に霞が掛かるような曖昧な意識のまま瞼をゆっくりと開いたリオラ・シュトレが最初に見たのは、柔らかい魔法の光の元で濡れたような艶やか黒髪に、まだ幼い雰囲気を残しながら美貌の片鱗を鮮やかに開花させている美しい少女の顔だった。
「右足首が折れているから変に動こうとするなよ……ん。反応がないな」
髪と同系色の双眸に意思の強さを感じさせる少女の凛とした声はリオラの耳に届いてはいた。
だが、この世の物とは思えないほどに愛らしくも幻想的な少女に、リオラは思わず見とれてしまい、夢でも見ているのかと呆けてしまっていた。
「まだ麻酔が抜けていないのか? 時間が惜しい。少し痛いが目を覚まさせてやろう。自然治癒力も上がるから大サービスだ」
……それが失敗だった。
「……エッ……」
妖精のような愛くるしい美貌を持つ怪物こと、ケイスははあどけない笑顔のまま、折れたばかりのリオラの右足首に向かって左手で掌底を打って、その暴虐的で威圧的な闘気を患部へ叩き込むという暴挙を一切の躊躇など無く敢行していた。
本人的には、闘気浸透による肉体活性化で治癒能力を上げるという親切心だが、ありがた迷惑この上ない行為だ。
「っあ”!? い、痛い!? っていうか熱っ!? いぁぁぁっぁぁぁ!?」
赤々と熱せられた釘を力任せに打ち込まれた激しい痛みの後に、間髪入れずぐつぐつと煮えたぎるような油を傷口から注ぎ込まれるような灼熱の拷問に、リオラは目覚めたばかりだというのに、何が何だか判らないままに絶叫をあげる羽目になっていた。
患部である足首が腫れ上がってズボンを脱がせないので、治療のためはさみで切り裂いたので仕方なかったとはいえ、下半身下着1枚のあられも無い姿で悶え苦しむリオラの様には、常人ならば哀れみを覚えるだろう。
世の常識を外れ己の道を行く者達。
いわゆる天才達を例外として。
「ウォーギン。目を覚ましたぞ」
悶絶し足を抱えて掛けられていた毛布を弾き飛ばし、ベット上で転げ回るリオラの様子にも、驚きもみせず平然としているケイスは背後を振り返る。
「リオラもかなり荒っぽいっていうか、がさつなんだが、ケイス……お前が相手だと霞むな」
先ほどリオラが己の右足首と引き替えに踏み折り曲げたゴーレム作成魔具『カンナビスリライト』を病室の簡易ベッドの脇に置かれたサイドテーブルに乗せて観察していたウォーギンが、両者を見比べて、リオラ以上に女らしさという言葉からかけ離れた存在にあきれ顔を浮かべていた。
「むぅ。失礼なことを言うな。私はお前が確認したいことがあると言うから、目を覚ますのを手伝ってやったのだぞ」
「へいへいあいがとよ。リオラ、下半身パンツ一丁で悶えてるところ悪いが、ここの石が欠けてたんだが、お前なにを入れたんだ? お前が曲げちまったんで協会の方から直してから持って来いってなったそうだ」
他人に拷問のような痛みを与えて平然としているケイスもケイスだが、十年来の知人であり恩人の孫娘のパンツ姿に対して、目をそらすでも無く、気まずさを感じるでもなく、平然と話を始めるウォーギンもウォーギンだろう。
折れ曲がったために使用不可能ではあるが、その作りや埋め込まれた宝石の位置関係、宝石に刻みこまれた陣をみれば、頭の中で稼働状態をシミュレーションするくらいならば造作はないと言いきる辺り、この男も紛れない天才なのだろう。
「…………スオリーさん。頭痛薬っていりますか? 手持ちにありますけど」
「瓶でお願いします。あと胃薬も」
一方早速薬を使う機会が訪れたルディアと、支部から戻ってきたスオリーの常識人組は、他者を顧みない天才共の狂演に、それぞれ額と胃を押さえている。
2人の心に浮かぶのは、自分ではなくて良かったという安堵感と、同じ女性としてのリオラへの同情だけだ。
「なに考えてんのよこの唐変木は!? 上司虐め!? 首にされた憂さ晴らし!? っていうかなんでいる!?」
唐辛子を塗りたくられたかのように熱くヒリヒリする痛みに涙目となりながら胸ぐらを掴み、ウォーギンを詰問する。
あまりの痛みに大喧嘩の影響で離れていた気まずさからの距離感なんて霧のごとく消え去っていた。
「あー、たまたま医療院にいたらお前がきたんだっての。パルさんらは後片付けやら手続きがあるって話で、忙しいからって頼まれ俺が付き添った。ケイスの方は止めたんだが、こいつ止まるような性格じゃ無いからな、一応治療行為だそうだ」
「巫山戯んなっ! どこの世界に怪我した所ぶん殴る治療法があるつーのよ!? ゾンビだってもっとまともな治療するわよ!?」
「安心しろ。治癒力を活性化させたから痛いだけだ。痛いが治りはよくなるぞ。子供じゃ無いんのだからそれくらい我慢しろ。あまり暴れるなら怪我が悪化しないように気絶させるぞ」
二人のやり取りを横で眺めるケイスは、自分が元凶である事に気づいていないのか、それとも気にしていないのか説教じみた台詞を吐き出していた。
ゾンビに治療行為という概念があるのか大いに疑問だが、左拳を突き出すケイスのその表情は大真面目で、リオラの意識を断とうと今にもぶん殴りそうだ。
「だぁっ!? なんなのよこのクソガキは!? ウォーギン!あんた! ××××の×××に×××した××の××とかじゃ無いでしょうね!」
人の神経を逆なでさせたら右に出る者はいないケイスの傲岸不遜で物騒な台詞に刺激されたのか、リオラが素を開放しその柄の悪い言葉を全開にする。
その言葉をかなりマイルドに表現すれば、その辺の野良犬と野良オークのハーフをウォーギンが手込めにした上に生まれた娘じゃないのかという趣旨の言葉だ。
「おまえなぁ。んな猟奇的な趣味なんてないつーの。後ケイスは今日知り合ったばかりの奴だ」
リオラの言葉の悪さに呆気にとられている他の者とは違い、慣れたウォーギンは平然と返す。
一方でその横のケイスはリオラの言葉の意味が判らず、その狂人性格とは裏腹な無邪気で幼い天使のような顔で小首をかしげると、
「ルディ。すまん。意味が判らないから解説してくれ。所々判る単語はあるんだが犬っころの××の××とか意味はなんなんだ?」
「……知らなくて良いわよ。下手するとあんたが彼女を殺しそうだし。後、今の言葉金輪際口にしないように。こっちにダメージが来るから」
自分がかなり口汚く侮辱されたと思えばリオラの首を撥ねかねない暴虐本質はともかくとして、外見のみなら汚れを知らない純真無垢なケイスの口から洩れたスラングに、意味が判る自分が薄汚れたような恥ずかしさを覚えたルディアは顔を赤らめつつ注意を促した。
「ん。意味は判らんが、ルディがそう言うならそうしよう」
「この子に任せると荒っぽいことになりかねないから鎮静剤を使いますね」
納得はしていないようだが頷いたケイスが向ける無条件の信頼に、気分的に多少重い後ろめたさを覚えつつも、未だウォーギンに食ってかかり会話の9割がスラングになったリオラの口元にかますための鎮静剤をルディアは手早く用意していた。