迷宮隣接都市であるカンナビスには、探索活動支援を行うミノトス管理協会により、探索者の戦闘能力向上や連携戦闘技術獲得を目的として、いくつかの戦闘鍛錬所が設置されている。
探索者同士やテイミングしたモンスター相手の基本戦闘訓練。
それ以外にも、新開発された魔術、魔具の性能実地試験。
迷宮の一部を模し、罠も設置された大規模な探索訓練カリキュラム。
はたまた協会主催の各種大会会場として。
さらには英雄達の大叙情詩を演じる剣劇舞台にと、多目的な用途に用いられている。
カンナビスに数ある鍛錬所の中でも、支部に隣接するベント街区鍛錬所の規模や設備は大陸でトップクラスの立派な物となっている。
カンナビスゴーレムを生み出す構成素材となったことで、カンナビス周辺の山肌には無数の洞穴が開いている。
その広大な洞穴内部を再利用する形で作られたベント街区鍛錬所内には、複数の闘技場が存在する
もっとも巨大な中央円形闘技場は、半径百ケーラの闘技舞台と、その周囲を囲む形で設置された観客席は数万人を収容可能な広さを誇り、数多くのイベントが行われてきた古い歴史を持つ由緒正しい施設だ。
観客席と闘技舞台の間には、城壁並みの高さの防壁が設置され、さらには防壁表面に対物、対魔術障壁が常時展開可能な術式が彫り込まれており、安全に迫力ある戦闘を間近で見られると市民には好評を得ていた。
そろそろ日付も変わろうかという夜深くになっても、ベント街区鍛錬所中央円形闘技場には、まばゆい光を放つ光球が煌々と灯され、広い舞台をまばゆく浮かび上がらせていた。
闘技場のほぼ中央付近に集まる10人ほどの集団がいた。
大半が同じ作業衣を身につけており、その格好や装備から魔導技師であるのが見受けられる。
残り二人は、鍛錬所を管理するミノトス管理協会の制服を身に纏っている。
魔導技師達は、大陸中央に拠点を置くルゼン魔導工房所属の1つであるルゼンカンナビス支部工房を率いる工主とその工房員達だ。
魔導工房としては、トランド大陸でも最大規模の勢力を誇るルゼン工房ではあるが、その内部は一枚岩では無く、絶大なる権威と利益を求めて大陸各地の支部工房間での主導権を争う激しい派閥抗争が常時起きていた。
特に現総工房主の高齢による引退が取りざたされ、後継者争いが激化している昨今は、功績を求めた一部の工房により、同門でありながら、技師引き抜きや技術窃盗が頻発している始末だ。
ルゼンカンナビス支部工房が、ほんの一部とはいえ伝説のカンナビスゴーレムの術式を解析したという情報は、そんな輩からすれば垂涎物。
情報漏洩、技術盗用を恐れた工主により、全幅に信頼できる支部工房初期メンバーのみにプロジェクトメンバーを絞り、管理協会カンナビス支部長全面協力の下、外部からの観測、解析を遮断できる高位結界が張れる中央闘技場を、実地試験場として解析技術を流用した魔具開発が進められていた。
「いいわ。構築開始して」
工房を率いる若き女工主リオラ・シュトレの緊張を多分に含んだ堅い声が闘技舞台に響く。
リオラは気を落ち着けるためか、その短い栗毛を一度触ってから、魔力流解析機能を付けた魔具であるモノクルへと指を触れ、魔力を通し稼働させる。
「……作成陣構築詠唱開始」
長杖タイプの魔具を構える赤毛の若手魔導技師も緊張感を滲ませながら、闘技場の地面へと杖の先端を突き立て起動呪文を唱え始める。
金属杖には、全体に数十種類の宝石が埋め込まれており、豪華絢爛な輝きを放っているが、それらは宝飾が目的ではない。
宝石は、どれも内部結晶構造に精密な魔法陣が刻み込まれている。
朗々と響き渡る詠唱に合わせ、杖の下部に埋め込まれた宝石の1つであるブッラクオパールが紫色の淡い光を放ちつつ、ゆっくりと縦を軸にして回転を始めた。
宝石から溢れた光が技師前方の地面へと、その内部に納めた魔法陣を複写し組み立てていく。
次々に杖に埋め込まれた宝石が発光して、まるでパイ生地のように魔法陣が幾重にも重ねられて、色鮮やかな色彩を持つ積層型魔法陣が構築されていく。
描き出されたのはゴーレム作成のメイン基板となる作成陣だ。
「転写魔力流異常無し…………次の工程にすすんで」
何度も試作と実地試験を重ねた末に生まれた最終調整バージョンである魔具の動きには問題は無い。
しかしどうしてもリオラが緊張をするのは致し方ないだろう。
何かが起きれば、もしくは判明すれば、数日後に大々的に行われる予定の発表会が延期、最悪は中止ということになりかねないからだ。
最終テストは既に数週間前に終わり、あとは発表を待つだけだったが、リオラの鶴の一声で初期行程から一通り稼働チェックを急遽行うことになっていた。
「制御陣転写開始します」
次いで中段の宝石群へと切り変わり、青色のカイヤナインが稼働を開始し光を放ち、ゴーレムを操るための制御陣を作成陣の上に重ねていく。
魔術師ならば、描かれる魔法陣が既存のゴーレム作成陣とは一線を化す複雑で難解な物であることに驚きを覚えるだろう。
積層型魔法陣は層が一段増えるごとに飛躍的に構築が難しくなっていく。
層と層の僅かなズレや流れる魔力量の誤差で魔法陣は機能を破綻させ、構築途中での消失や誤作動、暴発などを引き起こしかねない。
実用品でありながらその繊細な作りから魔術工芸品とも呼ばれる積層型魔法陣を、数十段も重ねることで、ようやくカンナビスゴーレム解析で得た技術が利用可能となる。
量産性を度外視し技巧の極致を重ね作成されたワンオフ魔具には仮称として『カンナビスリライト』の名が与えられていた。
「魔力伝達異常無し。仕上げて」
積み重ねた魔法陣が放つ艶やかな輝きは、人工とはいえ生命が生み出される力強さをひしひしと感じさせる物だ。
魔法陣同士の接続は設計通りで問題無し。
完全解析不能な部分をそのまま採用している不安はあるが、術式欠損が見受けられた稼働不可能状態。
何度も確かめ大丈夫だという確信を得て、リオラは最終行程を指示する。
「構築完了。実体化開始します」
杖最上部頂点に埋め込まれた一際大きなスフェーンが黄金色の輝きを放ち、光は積層魔法陣全体を包み込み、球状階層型魔法陣を完成させる。
通常のゴーレムならば作られた魔法陣が核となり一体のゴーレムが作成される。
だがカンナビスゴーレム解析により生み出された魔法陣は違う。
球状階層型魔法陣が宙へと浮かび上がり回転を初め光り輝き、周囲の地表へと己の移し身を転写し始める。
光が当たった地面を核として、大人の膝ほどの高さの円柱がせり上がり、粘土をこねくり合わせるように、円柱から頭部や翼が生えて猛禽類をもした鳥型ゴーレムが次々に生み出され始める。
ただの土塊を素材とした簡素な作りの鳥ゴーレム群は、既存の技術でも制作可能で主に偵察用や牽制に使われる下位小型ゴーレムでしかないが、その総数は三十体にも及ぶ。
カンナビスゴーレムの解析によって獲得した魔法陣構築技術とは、1つの魔法陣で同時生産を可能とする機能と、通常ゴーレムなら1体分の消費魔力で、5体のゴーレム作成を可能とする大きな魔力増幅効果だ。
「実体化完了。全ゴーレム指揮下にあります」
赤毛の技師が杖を一降りすると、鳥ゴーレムたちは一斉に羽ばたき飛び立って、上空を旋回する警戒モードへと移行する。
作成、制御、実体化どの行程も問題無く、稼働試験には一切の問題は見受けられない。
「問題ないっすよね……リオラ工主。主任が言っていた不安点って無いですよね」
しかし鳥を見上げる技術者達の一人が疑いの声が滲ませてリオラに問いかけた。
自分達の解析と作成技術的には問題は無い。無いはずだ。
積み重ねた実績から技術者の自負として確信していても、それでも拭いきれない不安感がどうしても付きまとう。
一人の天才が残した懸念を彼らは未だ解消が出来ずにいた。
「当たり前でしょ! ウォーギンが心配症なだけよ! 第一あいつは元主任! 首にしてやったんだから主任って呼ぶな!」
ただ一人リオラだけが不安を吹き飛ばすように声を張る。
しかしその姿は虚勢だと、支部工房を設立時から支えてきたメンバーだからこそだと誰もが判っていた。
設立メンバーの中でただ一人欠けた魔導技師。ウォーギン・ザナドール。
リオラの腹心であり、ルゼン工房所属全技師の中でもトップクラスの知識、技術を持ちながら、空気を読まない良くも悪くも現場主義の技術屋な性格のせいで、上層部に不評を買い一介の魔導技師として過ごしていた不遇の天才。
未だ発表段階には至っていないと強く主張し工主であるリオラの方針に反対したウォーギンが、ついにはリオラと大喧嘩の上に工房から出て行ったのは数ヶ月前になる。
「売り言葉に買い言葉で首にしたこと、事ある毎に管まいて後悔してるだろうが。言われたこと気にして再試験するくらいなら、ウォーギンに頭下げて戻ってきて貰えっての」
もっともウォーギンが首だと主張しているのは、工主であるリオラのみで、他の工房メンバーとしては未だ身内。
ウォーギンが出ていったあとも、その開発状況や改良点のデータ等は一応密かに流されており、当のリオラも黙認している。
「っていうか、なんで今日主任に会ったのにすぐに戻ってくるのよこのへたれ。主任のレポートさえ有れば問題点なんて丸わかりでしょうが。せっかくあたいらが色々データ回して作って貰ったのに無駄にすんな」
支部工房最年長の初老魔導技師は散々愚痴をこぼされるのには、もう飽き飽きしているのかウンザリした顔を浮かべており、工房の情報を一元的に管理するリオラの秘書役でもある技師育成校時代の同窓女性技士に至っては、近しい関係故の辛辣さを持って罵倒してくるほどだ。
「うっぐっ! ぐ、ぐっ! うっさい! 問題無しなんだからオールオッケでしょうが! あのへたれ恩知らずの生活破綻者が何言ってこようが、ともかくこのままやるつってんの!」
リオラを知る一同が口を揃えてあげる欠点である下町育ち故の喧嘩っぱやさと、口の悪さは本人も自覚はしている。
だが齢二十五を超えた今となっては、今更その口調や性格を治せるはずも無く、むしろおしとやかにしてみせたら爆笑してきた連中が何を言っていると、余計にリオラは苛々を募らせていた。
「大体あいつが悪いのよ! 久しぶりに会ったっていうのに開口一番に仕事の話をしてくるし、何時もみたいに研究に入れこんで禄に食べてないんでしょ! あんだけやつれてたら心配の1つもするのが人情ってもんでしょうが! それなのに、んなこと、どうでもいいだぁ!? 巫山戯んなぁっ! 食べ物買うお金が無いなら家にきなさいつってんのに!」
「いやさすがに……今の状況でご飯だけたかるのは気まずいでしょうが」
「あたしは気にしないわよ! 爺ちゃんが生きてた頃から夕食は家だったんだし!」
パトロン体質というか貢ぎ体質というかリオラの発言に、お前はどうしたいんだと誰もがあきれ顔で息を吐いた。
元々ルゼンカンナビス支部工房は、リオラの祖父である技師が死去後に、後見人を失い工房間の政治的な力関係に無頓着で窮状に陥ったウォーギンを助ける為に、リオラが立ち上がり祖父の工房開設権利を継承し設立した新規工房。
ウォーギンの最大の信奉者であり、その技術に一番惚れ込んでいるのは誰かなど言わずとも判る所だろう。
こんな風に事ある毎に気にしているのだから、意地を張るのはいい加減にしてくれというのが皆の正直な感想だ。
「あんたら何時もにぎやかだな。協会としては竜獣翁まで担ぎ出した研究成果の発表なんだから、すんなり済ませたいのが正直な所。だが事故も怖い。どうするんだね?」
言い争いになりかねないのを見かねたのか、管理協会カンナビス支部支部長キンライズ・クライシスが頬を覆う髭をさすりながら、間に割ってはいた。
新規技術が出来れば、それに伴い多方面の分野が活性化し、管理協会としても、素材集めや実戦機会を求めて探索者への依頼が増えれば、仲介手数料や物資販売等で財源を潤すことが出来る。
だから新規技術開発は協会としても推奨し支援しており、ましてやそれがカンナビス名物ともいえるゴーレムの解析技術となれば、管理協会カンナビス支部としても見過ごす手は無い。
もっとも相手は暗黒時代の遺物で、彼の火龍王の手による物。
実験は慎重に慎重を重ね、管理協会の魔導技術部門最高顧問である上級探索者の来訪要請までして、そのお墨付きを得た代物。
魔導工房最大手のルゼン工房傘下といえど、管理協会との力関係を考えれば、キンライズが強権を発すれば、強制的に接収することも出来るが、やり手として近隣では有名だが、あまり強引な手は好まないキンライズは、あくまでも主導権をリオラ達にゆだねていた。
開発自体は終わっており、今のところ問題点も見つかっていないのだから、なるべくならそのまま発表へと持っていってほしいという所だろう。
「問題ありません! 予定通りでお願いします!」
さすがに大人げない所をみせたと反省したのか、耳まで真っ赤に染めながらもリオラが変更無しと力強く断言した。
あくまでも意地を張ろうと強硬姿勢をみせる工主に、工房員達は些か戸惑い気味だ。
「待てって。やっぱりウォーギンともう一度話し合ってからの方がよくないか。リオラお前さん今回はどうしたんだ」
いくら今回の技術の大元が伝説のカンナビスゴーレムで、今までに無い大功だとしても、あまりに入れこみすぎだ。
確かにルゼン工房は派閥争いが活発化しており、どこも功績を求めて激しい競争を繰り広げているが、その観点で見れば、ルゼンカンナビス工房は弱小勢力派閥の末席。
次期総工主に自らの派閥の長である工主がなる目など皆無。
大きい成果目当てに下手に博打を打つよりも、小さくとも確実性のある収益を取る堅実的なリオラにしては、あまりに異常すぎる。
「リオラ……ひょっとして他からなんか取引を持ちかけられたとか? 主任絡みで」
ただリオラが無茶をするのならば1つ考えられることがある。
それはウォーギンに関することだ。
最近売れ筋の魔具はメイン設計をリオラの名前にしているが、そのほとんどはウォーギンのデザイン。
ウォーギンの名で出そうとしても、敵対する他工房から妨害を受けるための、苦肉の策だが、世に自分達の工房そして自分の名が知られれば知られるほど、功績をかすめ取っているとリオラが気に病んでいるのは工房員なら誰もが知る所だ。
作れば満足であまり気にしないウォーギンを除いて。
「な、なんの事だか! あたしは良い物を世に出したいだけよ!」
「いや、あんた……バレバレだって」
秘書の指摘に思い切り動揺をみせるリオラの言動で全員が納得する。
解析研究成果と応用技術を全て提供する代わりに、功績を求める大手派閥との裏取引でもしたのだろう。
おそらくウォーギンにその実力にあった環境を用意するために。
「しゃーない。パルさん。一応ギリギリまで動作解析しましょう。明日にでもあたいが主任の所に行って詳細聞いてきます」
「判った。だが朝まで待っている時間が惜しい。杖の方は使用後の劣化を調べて今夜中にフルメンテしておくか。撤収準備」
「了解。魔法陣解除始めます」
「んじゃ俺はならし道具を取ってくるわ」
工主の思わくを察し、腹をくくったのか工房員達が長年のチームワークを発揮して、テキパキと動き始めた。
宙を舞っていた鳥ゴーレムも次々に降りて元の土塊に返って、削り取られていた地面を埋めていく。
ゴーレムを模った部分の土は、こんもりと山形を作っていて柔らかく足を取られかねなく危ないので、叩いて整地し直す必要があるが、何度もここで試験を重ねているのでそれも慣れた物だ。
「支部長。そんなわけで最終判断をギリギリまで待って貰って良いでしょうか?」
「あぁ、用心してしすぎるという事も無いだろう。もしあれなら竜獣公には再度私の方からお伺いを立てて確認のための滞在を延長して貰うよ。どうも昼間に騒ぎがあってご滞在もばれたようなので、いっその事色々と協力して頂くのもありだな」
秘書の提案にキンライズも賛同の意思をみせ、何かあれば全面協力も惜しまないという趣旨の答えを気軽に返していた。
「ちょっと! まちなさいよ! あんたら工主である私を差し置いて!」
「だからあんたの希望通り発表はする。そのつもりで動くけど最後まで用心するつってんでしょ。なんか文句有る工主様?」
「ぐっ…………ざ、残業代と特別手当はきっかり払うから、ちゃんと仕事しなさいよ! 中和剤準備! 残留魔力除去作業始めるわよ!」
確かに自分が望むとおりではあるし、今更ウォーギンに自分から頭を下げるのは癪。
いらつきながらリオラは撤収作業の指示を出すが、それはもはや負け惜しみにしか聞こえなかった。
「ほんとあんたらは賑や…………すまん。ちょっと待ってくれ。通話が入った」
誰が最高責任者か判らなくなりそうな学生のようなノリで会話しつつも、キビキビとしたプロの動きを見せるルゼンカンナビス支部工房の面々をほほえましい目で見ていたキンライズの顔に緊張が奔った。
「…………はい…………すべてですか? …………お言葉を返すようですが毎回残存魔力の除去作業は……いえ……理由をお教え願えますか? ……判りました………………」
どこからか魔術による遠距離連絡が入ったようだが、先ほどからキンライズは頷きや相槌を返すのがほとんどで、時折言葉を返しているが、すぐに相手に遮られているようだ。
その話し方や態度から相手はよほど目上の者なのだろうとうかがい知れる。
時折漏れ聞こえる言葉やちらちらとリオラ達へと目線を飛ばすのが、どうにも嫌な予感を覚えさせ、いつの間にやらリオラ達の撤収作業の手は止まっていた。
5分ほど経っただろうか、会話を終えたキンライズは襟元を正しリオラ達を見据えると、いきなり頭を深々と下げた。
「諸君すまん。単刀直入に言う。竜獣翁コオウゼルグ様より魔具『カンナビスリライト』の稼働実験及び発表は中止せよとの指示が出た」
「えっ!? ちょっと待ってください! なんでいきなり!? 延期じゃ無くて中止なんですか!?」
よぎっていた最悪の予感が的中したことに魔導技師達は動揺をみせ、リオラは青ざめてキンライズを問い詰める。
つい数日前に問題は無いだろうと判断したのは竜獣翁自身のはずだ。
「理由は機密区分に当たるとのことで私も聞かせてもらえなかった……すぐに鍛錬所管理局に連絡。ベント街区鍛錬所は当面全封鎖。闘技舞台場の土を魔力除去の上で全て廃棄処分しろとのことだ」
キンライズも詳細は聞かされていないようだが、ゴーレムの素材となった闘技舞台の地面を全て入れ替えろという、その徹底した指示から竜獣翁が下した判断が重いと考えたようで、堅い表情で側に控えていた部下に命じた。
「カンナビスリライトも回収廃棄ってことになるのか支部長殿?」
「一時預かりで再度調査とのことだ。そのあとの指示はまだ出ていない」
いきなりの展開に茫然自失としているリオラを見かね、自分が一番の年長者だからと動いた技師の問いかけに返ってきたのは非常に曖昧な答えだ。
返すとも返さないともいっていない。
ただ待てと。
これでは再度研究許可が降りるのか、それとも禁術扱いされ研究禁止されるのかすら判らない。
「私は各方面と急いで調整をしなければならないから失礼する。何かわかり次第すぐに連絡をする。魔具は協会の魔具部門で預かるのですぐに仕様書と一緒に提出してくれ」
一番大きなベント街区鍛錬所が使用不能。その上で巨大な闘技場の土を前面入れ替えした上で魔力除去廃棄処分。
キンライズもやることが多すぎて焦っているのだろう。
挨拶もそこそこにすぐに走り去ってしまった。
いきなりの急転直下に、ルゼンカンナビス支部工房の魔導技師達は皆呆けてしまっている。
あまりにも急な展開に現実味が湧かず、ついさっきまでのやる気がどこかに抜けてしまったのだろう。
「……リオラ……ちょっとリオラ」
ぶるぶると全身を震わせるリオラの様子に気づいた秘書が声をかけた瞬間、堰が切れたのかリオラは切れた。
「ふ、ふざけんなぁっ! ぶっ殺す! あの呆け竜人が! 今更全面中止しろだぁ!? 何様のつもりよ! 通信で済ませるなんぞ人情の欠片も無いじゃ無い! ここに来て土下座して自分の判断ミスを謝れ! 貸せ! 杖! 何が再調査だっ! うちのウォーギンの足元にも及ばないクソ技術者野郎共がなにを解析できんだっって!」
普段はそれでも押さえている柄の悪さを発揮したリオラは杖を引ったくると、地面に叩きつけ理不尽に対する憎しみを込めるように、何度も踏みつけはじめる。
「そのクソ足りない! クソ頭かち割って! てめぇみたいなクソ野郎を生み出した腐れ婆の腐れま×こにぶち込んで! クソオーク共の! 玉から絞り出したザーメン井戸にぶち込んで! ちったぁマシな腐れ野郎に生まれ変わらせてあげようか!」
その行動もそうだが、遠慮という物を綺麗さっぱり取っ払い己の怒りを全部乗せた罵倒と、鬼気迫る表情はとても嫁入り前の娘がして良い物では無い。
「うぁ…………ひくわ。相変わらず酷いわこの子。つーか未だに主任のこと、うちのって呼ぶなら素直に謝りゃいいのに」
「爺さんも嫁の貰い手がないって死ぬ寸前まで気にしてたからな。研究馬鹿のウォーギンが最後の砦だって切実に思うほどに」
長年の付き合いがある者達でも毎回どん引きしてしまう、女性が発するには下劣すぎて赤面したくなる豊富な語集は、歓楽街にある下町育ち故というにしても少々……いや大分酷い物だ。
黙っていればそこそこ見られる見た目なのに、未だに男っ気の1つも無いのはこの本性と、端から見れば甲斐甲斐しく世話を焼いていた天才の所為だろう。
「はぁはぁはぁはぁぁっぁ!」
罵倒し続けてようやく息が切れたのか肩で大きく息をすうリオラの足元では、その怒りの様を証明するように鉄製の杖が物の見事にひん曲がっていた。
これではまともに魔法陣を構築できるはずも無く、術式の解析所では無いだろう。
「どうすんのよ。これじゃ提出できないってば」
「今からクソ爺見つけてこの杖を目の前に突き出し行くよ。ウォーギンだったらこの程度の損傷は気にせず鼻歌交じりで解析するわ。それくらい出来ないで天才の品にケチ付けてんなって話よ」
「いやあんた相手竜獣翁コオウゼルグ様だっての。いくら主任でも負ける、ひっ!?」
「あ”ぁ!? 良いから行くわよ! 痛っ!?」
親の敵でも見るような形相で秘書を睨んだリオラはしゃがみ込んで杖を拾おうとしたがバランスを崩してその場で倒れ込んでしまう。
よく見れば杖を踏みつけていたリオラの右足首が不自然な方向に曲がり、しかも目の前でみるみるうちに腫れてきていた。
どうやら杖を踏みつけた力が強すぎたのか、それとも微妙にひねったのか、杖を折り曲げた代償にリオラの右足も折れてしまっていたようだ。
「あーこりゃ……折れてるな。支部の治療院なら深夜でもやってたな。連れてくぞ」
普通なら折れた段階で気づきそうな物だが、怒髪天状態で痛覚が麻痺していたのだろう。
自分の足を見たリオラはようやく痛みに気がついたのか、瞬く間に顔色が悪くなり脂汗をかき始めた。
「ま、待ちなさいってばこの程度」
「これでも痛くないってか?」
「みぎゃぁぁっぁぁぁっ!?」
議論する余地などないとばかりに初老技師がその右足首を軽く突くと、リオラは絞め殺される猫のような悲鳴と共に泡を吹いて倒れる。
「やれやれようやく静かになったか。そっちもて。気絶してる間に運ぶぞ」
「足側持ちますね。腫れて脱がせそうも無いからブーツは履かせたままにしますよ」
ぱんぱんに腫れ上がったリオラの右足のブーツの底には、踏みにじっていた時の怒りの力の強さを証明するかのように闘技場の土がほんの僅かだが付着していた。