南方大陸の雄。
南方大陸統一帝国ルクセライゼン。
北方大陸トランド全域に広がる迷宮永宮未完のモンスター異常増大と轟炎赤龍王率いる赤龍種による侵攻で北方大陸からあらゆる国家が壊滅し、人種が滅亡の縁まで追い込まれた、いわゆる暗黒時代に、暴虐の限りを尽くす迷宮モンスター達へと対抗する為に、誕生した帝国になる。
南方大陸で群雄割拠していた24の国家をまとめ上げて大陸を制したのは、建国より千年以上の歴史を持つ古い国ルクセライゼン王国。
彼の国の始祖は、遥か昔に南方大陸に十数年以上も続く大干魃をもたらし、草木を枯らし、穀倉地帯に壊滅的な被害を与え、いくつもの国に戦乱と飢餓をばらまく原因となった悪龍深海青龍王ルクセライゼンを打ち倒した探索者であった。
武人であり魔術師としても名高かった建国王が用いた武具は多岐にわたるが、その中でも四宝と呼ばれる剣、杖、鎧、盾は、神々よりの祝福である超常の力と天印を持つ天印宝物として、伝説の武具として語り継がれている。
天印宝物とは、取得者の死亡やその超常の力を発現させれば、塵となり消え去り、やがて長い年月を経て、また迷宮内に出現する神秘の品。
ルクセライゼンにおいて帝位を得るには、帝位継承権を持つ皇族男子が、建国王と同じく自らの身で迷宮へと挑み、不老長寿の力を得た上級探索者となり、神々に認められ伝説に残る建国王の四宝を1つでも得て持ち帰ることが、唯一にして絶対条件となっている。
幾度となく行われた帝位継承の儀において、多くの皇族がその途上で倒れ臥しても、この慣習だけは、改められることは無く、神々の祝福を得た英雄が帝位に着き、衰えない思考と肉体により広大な帝国を治めていた。
現皇帝であるフィリオネス・メギウス・ルクセライゼンもまた、実年齢は70を超えながらも、上級探索者となった全盛時代の肉体と知謀を持つ英雄皇帝の一人。
彼が若き頃に永宮未完で繰り広げた冒険譚は、今でも帝都の酒場において定番人気の英雄叙事詩の1つである。
その半世紀近く続く治世は、大きな混乱も無く安定した統治と、民草を思う政策によりさらなる発展をもたらした名君として民衆からは評価されている。
だが現皇帝に対する皇族と貴族達の評判は決して良い物では無い。
皇帝フィリオネスの名の下に発せられた職種開放令、税法改正等の数々の改革は大衆主義的と批判されていた。
また歴代皇帝と比べて長きに渡る統治はメギウス家による独占だと非難され、その後継者問題もやり玉に挙げられる。
血筋を残すことも重大な役割である皇帝には、現皇帝生母の出身家以外の、併合した旧王家である各地の23氏皇族より血族の娘が一人ずつ輿入れし、後宮を作ることが慣例となっている。
1人の父と23人の母の元で生まれ育った数多くの皇子達が、次代皇帝となるため皇太子を目指し、新たなる英雄叙事詩がいくつも生み出されていく。
現皇帝であるフィリオネスの元にも、帝位を継承したその時から美姫が集い後宮が形成されていた。
しかし輿入れが過ぎ、数年が経っても皇妃で懐妊したものは誰一人居らず、それどころか数年すれば暇を出され実家へと戻らされる者が続出していた。
戻された家からは、また新たに若い娘が輿入れされたが、その娘がまた数年して送り返されるのが幾度も繰り返された。
家の名誉に傷がつくからと秘匿されているが、后によっては一度も閨を共にする事も無く返された者すらいると噂されるほどだ。
子種を持っていない。
同性愛者である。
性的不能である。
数多くの悪意ある噂が流される中で、いつしか1つの噂が真実味を持って語られる。
フィリオネスには探索者時代に恋人がいたが、冒険の途中で死に別れ、今でもその女性のことが忘れられずにいるという噂だ。
ありがちな話ではあるが民衆には受けがよい。
しかし国を統べる統治者としての自覚が欠ける話だと皇族には、その噂はすこぶる評判が悪かった。
さらには、昨今ではその噂に新たな派生が生まれている。
フィリオネスは死んだ恋人を天印宝物により生き返らせ、その女性が子を産んだと。
しかし死者との間に生まれた子は、はかなく病弱であり、世に出せ無いほど醜く腐り崩れた容姿をしていたと。
その隠された皇女はかつての龍王ルクセライゼンが倒れた地。
帝国聖域たる龍冠において密かに育てられていると。
この新たなる疑惑が生まれると共に、順調に発展を続けていた帝国内で、徐々にではあるが、不穏な事件や些細な争いが生じる。
まるでその呪われた皇女がもたらしたかのような、戦乱の火種が帝国のあちらこちらでくすぶっていた。
「むぅ! なかなか! やるなっ! さすが始母様!」
押さえきれない高揚を感じさせる弾ませた声で笑いながら、ケイスは無数に続く高圧縮された水弾をかいくぐり、弾き、そして切り落とす。
その洗練された剣技と、幼いながらも目を引く無邪気な笑みを浮かべる美貌は、戦乙女と評してもあながち間違いでは無いだろう。
躱しきれない水弾によって傷つき血まみれの姿でさえ無ければ……
血塗れでありながら天真爛漫な笑顔で剣を振り回し続けるその様は恐怖を通り越して、もはや喜劇だ。
「……”あれ”を昨今の人間共は病弱と呼ぶのか?」
かれこれ数十分以上続いている豪雨のような弾丸に切り裂かれ抉られ、体中を気が狂うような無数の痛みが走っているはずなのに、まるで気にもとめず、龍王達へと攻撃を加えようと一進一退を続けるケイスを見て、先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンは懐疑的な声を上げた。
ラフォスの意識が途絶えてから千年以上もの時代が流れていたが、いくら人が強くなろうとも、あの姿を病弱とは呼ばないだろう。
ここはラフォスの魔力で作られ、ケイスを取り込んだ夢、幻の世界。
この世界において起きる、全ての痛みや傷は確かに幻覚ではあるが、当事者にとっては真実と変わらない高度な物。
だというのに、死ぬことはおろか、気絶さえせず、気が狂うような痛みを感じているはずなのに、むしろ嬉しそうに笑っているあたり、正気を疑いたくなる光景だ。
しかも、それが認めがたいが、紛れもなく自らの血脈に連なる末だと思うと、ラフォスは現実においては既に無いはずの頭部に痛さを覚えるほどだ。
「噂とはいつの世も偽りが混ざる物ですよ父上。父上の悪行とてそうでしょ。かつて南方大陸に大干魃をもたらした悪龍ルクセライゼン。しかしその干魃の真実とは、嵐を呼ぶ父上の寿命が尽きかけ魔力が枯渇し初めたゆえの結果。娘としては、真実を語り継ぎたいのですが今世を乱すことになるので口を閉じております。申し訳ありません」
一方でルクセライゼンの娘であり、現深海青龍王でありケイスを生まれた頃より知る帝国始母ウェルカ・ルクセライゼンにとっては、今更な末の娘の戦闘狂な姿にはなんの驚きもない。
父の足元で茶器を広げ優雅にお茶会を楽しみながら、時折水弾の雨を突破しそうなケイスへと追加水球を呼び出して攻撃をしていた。
何せ千年ぶりに会った親子の会話だ。
要点だけを摘んで話してもいくらでも積もる話はある。
だというのに、人間体で来ても久しぶりの所為か戦いたがる、あの戦闘馬鹿な末娘がいては落ち着いて話も出来ない。
とりあえず満足するまで戦わせておけば良いと、ウェルカが適当に相手をしていたが、暴走娘はなかなかに止まりそうに無かった。
「ふん。地の底に縛り付けられ、このような水たまりに押し込められる。我が子にまでその様な苦行を負わせようとしなかった、我の親心を踏みにじった貴様が言えた義理か。まんまとあの迷宮神の思わくに嵌まりおって」
南方大陸全土に大雨をもたらす春嵐。
”本来”であれば不毛の地が広がる南方大陸を、水源豊かな大森林や河川沿いを肥沃地帯として変貌させ恵みをもたらす物だ。
その巨大な嵐を呼びよこすのは絶大なる龍王の魔力。
しかし大陸全域に天の恵みをもたらす代償は、名の通り広大な海を住処とするはずの深海青龍を、大陸中央部山岳地帯地下深くに作られた巨大魔法陣の中に押し込め、寿命と引き替えに無理矢理に魔力を絞り出して蓄積させるものだ。
かつてルクセライゼンは、一族に蔓延した流行病の治癒と引き替えに、迷宮神ミノトスと契約を交わし、小さな泉に閉じ込められ、下等種族達が住まうための大陸作りという恥辱と苦痛に苛まれる役へとついていた。
大雨により不毛の地には草木が生え、餌を求めて動物が移り住み、肥沃な土地へと変貌した大陸に、北大陸から知恵を持つ種族が進出して、文明国家が築かれる。
しかし数千年にも渡る大陸の繁栄が、一頭の龍の恩恵であると知る者は誰も居なかった。
だがその栄華の時代も、ルクセライゼンの衰えと共に終わるはずであった。
魔力がつきて春嵐が起きなくなると、大陸は本来の姿を思い出し、大干魃が大陸中を覆い尽くした。
ただ一カ所。ラフォスが縛り付けられた大陸中央部の険しい人跡未踏の山岳地帯を除いて。
生存本能から僅かな魔力でもラフォスが雨雲を召喚していた為に、未だ肥沃な地と豊富な水量を保つ地には、その謎を解明する為に大陸中の国家から合同調査団が派遣され、ほどなく2つの報告があがる。
凶悪で凶暴な無数のモンスターに護られた巨大な迷宮が発見された。
そしてそれだけのモンスターを従えるだけの、山脈入り口からも探知できるほどの強大な気配を感じさせる主が迷宮深くに存在すると。
人々が迷宮の存在を知ると時を同じくして、人に困難を与え成長を促す迷宮を司る神ミノトスより神託が下る。
曰く、”大干魃を解決する鍵は迷宮の奥底に眠ると”
その神託を受けた神官は宣言をする。
迷宮の主こそが大干魃の原因。
彼の主を討伐すれば、大陸は救われると。
これが後に龍冠と呼ばれる巨大迷宮へ人々が挑む切っ掛けであった。
「おや、父上ご存じありませんでしたか。私は迷宮神の企みでは無く、あくまでも自分の意思に従ったまでです。それに娘とは常に父より自分の男を選ぶものです。我が夫が望むなら、この地も天の獄たり得ます」
真実とは真逆の話に憤り、恩知らずな大陸の者達が滅びようと、恥辱に塗れた父を今際の際だけでも解放しようとしたのがその娘であるウェルカだ。
しかし迷宮神との盟約により、龍種はラフォスの戒めを解き放つことは出来無い。
故にウェルカは迷宮神ミノトスと新たなる契約を交わし、龍の力と姿を捨て去り、脆弱な一人の人間として、人のパーティに潜り込み、技術を磨き、力を蓄え、名うての魔術師となった。
もっとも、その過程で一人の探索者に惚れ込んでしまったのは、ウェルカにも計算外だったが。
最初は父を解放する為の戦いであったはずだが、結局はウェルカはその男や仲間達の為に自らの身を再度捨てて龍へと戻り、名誉ある戦いの末に打ち倒した父の後を継いで、地の底に縛り付けられ嵐を呼ぶ者へと。
すなわち深海青龍王ルクセライゼンの名と役目を受け継いでいた。
端から見れば親子で迷宮神に良いように振り回されているように見えるが、ウェルカとしては結果的には満足している。
ただ死にゆくはずだった父には戦いの末の名誉ある死を迎えさせることができ、愛おしい夫との子孫達が繁栄し、多くの民に慕われる皇帝や英雄となって歴史に名を残すような傑物も幾人も生まれているのだ。
娘として妻としてそして母として、これほど満足する事は無いとウェルカはしたり顔で頷く。
「あの小僧め……もう少し囓りきってやるべきであったな。何が絶対寂しい思いはさせないだ」
もっとも父親としては、娘の幸せそうな顔を見ても不満しか生まれないのはしょうが無いだろう。
本人達が納得し満足そうであっても、娘であるウェルカが今も迷宮奥底に封じ込められているのは変わりない。
身じろぎも出来ず微睡む事さえ許されず、ただ虚無の時を地底の牢獄で過ごす苦痛と屈辱は誰よりもラフォスは知っている。
「その言は守られておりますよ。私の余興にと、彼はその領土中に水路を張り巡らせよと遺言を残しております。おかげでこの地においても私の目に入らぬ物はありませぬ。子達の争いや、帝位を求めて起きる諍いなど、人の世もまた賑やかしく飽きることはありませぬ故」
深海青龍は水を通じて世界を知る。
初代が残した遺言により、ルクセライゼン帝国はその領土に緻密に張り巡らされた大小様々な運河を築いている。
表向きには春嵐で発生する大洪水に備えた治水事業とされているが、その裏側の意図を知る者は歴代の皇帝とその側近達だけだ。
龍冠の湖から続く源流は、大陸全土を巡り、大海へと至り世界を見渡すための通路となっていた。
「……一族同士での争いと諍いか。いいのか?」
「我ら龍の性とは獰猛なまでの支配欲と独占欲。氏族同士の争いが我らの生き様。戦いこそが我らの望み。帝位を求め争うのは、龍としては誠に正しき生き様かと」
今見せているすまし顔ですっかり忘れていたが、この娘は同族においても名高いほどに、一度戦いとなれば苛烈にして猛り狂う武闘派であったとラフォスは思い出す。
「……なるほど”あれ”は確かにそう考えれば、貴様の幼い頃にうり二つであるな」
人と交じり幾重にも重ねた混血の末に生まれた、末の娘へとラフォスは目を向ける。
先ほどまで水弾の勢いに負けて一歩進んでも体勢を崩してすぐに一歩下がる一進一退をしていたはずのケイスは、今では一歩下がっては三歩進むまでに、この短時間で無尽に続く雨だれへと適応して見せていた。
龍王達を屠ろうとするその目には敵意、悪意の欠片は皆無。
驚くほどに澄み切っていながらも、狩るべき獲物と目を付けた龍王達への純粋なる殺意で彩られている。
相手が自分より遙かに強かろうが構わず食らいついていく凶暴性。
底なしの戦闘意欲。
戦いを重ねれば重ねるほどに、成長を続けていくその無限の伸びしろ。
確かにあれは龍だ。
人の姿をした龍だ。
「お言葉ですが父上。さすがにあの子と一緒にされるのは私としましても不本意です。あの子の異常性を前にしては、我ら龍とて裸足で逃げ出し降参せざる得ませんので」
だが父親の言葉を娘は否定する。
むすっとし、どこかケイスと似たその勝ち気な目をつり上げた。
「何せあの子の場合は……ケイネリアスノー! もしこの攻撃で打ち倒されるようでしたら私は現実で貴方を連れ戻します! 抗ってみなさい!」
ウェルカは手に持っていたカップをテーブルの上に置くと、じりじりと近づいてくるケイスの方へと顔を向け宣言をして、軽く息を吸い込む。
ウェルカの喉から雷鳴のような低く不気味な音が鳴り響き始める。
それは龍の咆哮前兆現象。
探索者達の間では、死神の足音とも忌み嫌われる最悪の攻撃の調べ。
この音が鳴り止むと共に放たれる、極々圧縮されたブレス攻撃は、城塞を一撃で砕き、万の大軍を灰燼へと化す。
ましてや龍王たるウェルカのブレス攻撃は、島を両断し山脈すらも突き崩す天変地異の大破壊をもたらす。
今のケイスに襲いかかる水弾など、児戯以下の戯れにもならない桁違いの攻撃だ。
「!」
全身をびりびりと打つ重低音。
全身が悲鳴を上げる恐怖。
脳が勝手に生み出す明確な死の映像。
全ての生物を萎縮させ恐怖させひれ伏させる魔術効果が付随する音に、ケイスの体が自然と反応してしまう。
龍の力に抗える者など、同等の力を持つ龍か、極々一部の最高峰の上級探索者のみだろう。
ケイスは魔力を持たない身。
抗うことすらも出来ず、その肉体は萎縮し膝をつき、握っていた剣がカランと音をたてて地に落ちる。
倒れ臥した身体に無数の水弾が次々と命中し、まるでボロ切れのように身体が千切れていく。
だがその精神は決して屈しない。
ウェルカは言った。
自分を連れ戻すと。
現実においてウェルカは地の底に縛り付けられていようとも、紛れもない龍王。
使い魔や水を使役してケイスを捕獲し、遠く離れた龍冠まで転送する事も、容易く行える。
今の実力ではケイスでは、その攻撃を防ぐことなど出来無い。
だが今は家に帰る気など毛頭無い。
自らが望み目指す大願を果たす日まで、帰らぬと誓ったのだ。だから今はまだ帰らない。帰れない。
なら打ち勝つのみ!
倒れ臥したケイスの肉体とは別に、その不撓不屈を貫く精神だけは、決して怯まず、屈しない。
その強すぎる激情は精神体となり肉体より浮かび上がり、その認められない未来を屠ろうと剣を振りはじめる。
肉体を捨て去り得た力、速さは先ほどまでの比では無い。
それはケイスが思い描く理想の自分。
自らが望み、自らが到達すべき姿。
あるのは剣士としての本能において、ただ斬るということのみ。
水弾を打ち落とす切っ先は音を突き破り、それでは飽き足らず光さえも超え無尽に早くなる。
前に進もうと縦横無尽に飛び交っていた身体は、残像さえも消え去り、その気配さえも消える。
壁のように分厚く隙間無く敷き詰められ高密度で放たれていた水弾が、なんの痕跡すら残さず瞬く間に消滅していく。
ウェルカの咆哮が鳴り止むと同時にケイスの姿が再度現れる。
それはウェルカの目の前。
ほんの一瞬で絶望的な距離を詰めたケイスの精神体は、いつの間にやら、その両手に長剣を握っている。
はさみのように刃元で交差させたその二振りの剣が、ウェルカの細く白い首筋へと寸分違わず添えられて、
『レディアス二刀流 ガザミ落とし』
軽くステップを踏んだケイスがクルリとその場で回転すると同時に、咆哮を放とうとしたウェルカの首は高々と空へと舞っていた。
「と、このように精神戦でならば、既に私ですら打ち負けるほどのイメージを固めておりますゆえ……まったく我が末娘ながら恐ろしい。そして嘆かわしい」
クルクルと頭上を跳んでいく自らの頭部を見上げながら、ウェルカはポットを手に取り自らのカップに茶をつぎ足すと、やりきれないため息をこぼしてから飲み干す。
ここは夢幻の世界。現実では出来無いことも思えば出来る。
身を2つに分け、その片方が死んでいく様さえ見る事も可能。
ただしその想像が無茶であれば無茶であるほど、それには強固なイメージが必要となる。
決して破綻しない自らが描く最強の姿を純粋無垢に信じ込み、さらには他人すらも信じ込ませるほど強固なイメージを持ち合わせる者など、ほんの一握りだろう。
だがケイスはこの歳でその意思の力で、龍王であるウェルカが自らの死を受け入れるしかないほどの、強さを発揮できる。
「せっかく我らの血を色濃く発現させ、透き通るような青き瞳と高い魔力変換力を持ち合わせて生まれたというのに、この娘はその力を自ら捨てております。はぁ……なんでこんな剣戟一直線に……」
自らのイメージを外側に向けて広げ、固定化させる。
それは魔術の初歩にして奥義。
ケイスの持つ本来の肉体能力である心臓より生み出す膨大な魔力と、その精神力を持ってすれば、現時点でもこの世界で生きる生物の中でも有数の魔術の使い手となるだろう。
人の超常である探索者にもならない幼い少女であるが、この娘の心根は、不変であるはずの世界の理を浸食し侵しさらには己の色に染め上げるほどに強固で暴虐で傍若無人。
龍冠で出会った頃の青目のまま成長を続けていれば、やがては世界を全て敵に回しても勝つほどの存在。
それこそ人の身でありながら龍王と名乗るほどになりかねない……はずだった。
だがその極めて異質にして化け物じみた魔術の才を、ケイスは己の意思で綺麗さっぱり捨て去り、剣一本で生きている。
せめてウェルカのブレスを防ぐために一時的にでも魔力を戻すなら可愛げがあるが、それですら力任せの剣戟で乗り切る。
せっかく教え込んだ魔術知識や龍魔術が全く無意味な状態にウェルカは不満げに言葉をもらした。
「さて……ケイネリアスノー。何時まで倒れたふりをしているのですか? 約定は守ります。私は貴方を連れ戻す気はありません。それといくつか話したいこともあります。こちらに来なさい」
ウェルカは、どこからともなく新しいカップを取り出すと、ゆっくりと茶を入れてテーブルの向かいに置くと、倒れ臥したままのケイスの肉体へと声をかけた。
「……ん。ふりでは無い。少し身体が痺れていただけだ」
ウェルカの問いかけに偉そうに答えながら、プルプルと震える膝でよろめきながら立ち上がる。
「……んっっ……むぅ、さすがに魔術効果込みのブレスは防ぐだけの方法が思いつかん」
剣を杖代わりに何とかテーブルまでたどり着くと、極めて不機嫌そうに顔をしかめながらドカッと椅子に座り込んだ。
手を開いたり握ったりと繰り返して身体のチェックをしてみるが、水弾で負った外傷は消し去ることは容易いが、身体の真まで染みこんだ痺れをイメージで打ち消すことがなかなか出来ず苦労していた。
「むぅそろそろ剣だけで無く防具も考えるべきか……ふむ、子グマとの決闘にあわせて魔術対策も本格的に考えるべきか?
ここは幻だから精神力だけで押し切れたが、これが現実であれば自分は戦闘不能になっていただろう。
それがケイスを不機嫌にさせる。
現実では今の実力ではとても太刀打ちできないウェルカ相手に、精神戦で勝ったと言ってもケイス的にはそんな物は意味が無い。
やはり勝利とは自らの心身全てを持ってもぎ取る物。
第一なんだかんだ言っても、子孫に甘いこの始母に、精神的に勝つなどそう難しいことでは無い。
何時か現実で斬り倒すまで、自分は勝ったことになら無いと物騒なことを考えながら、今の戦いでわかった改めて浮き出た弱点を解消する手を考える。
「始母様とお爺さま。しばらく黙っていろ。これからの戦術方針を考える」
今の相手の魔術攻撃を判断し、それに合わせて回避や迎撃をする方法では先の行き詰まりが見えている。
昼間の酒場での不覚も魔術式の判別は出来たが、その対応策はその時は他に思いつかなかったとはいえ自らの意識を失う下策。
これが戦場であれば、既に自分の命は無いだろう。
やはりここは防御を固めるべきか?
魔力を持たないと言っても、護符や魔力付与された防備で固めれば、能動的に使用できる自己付与とは違い、防御できる術や使用方法限定されてしまうが、ある程度は対応できる。
しかし魔力付随した防具はそれなりに値が張るらしい。
金銭的なことには壊滅的に無頓着なケイスではあるが、それでもある程度の優先順位の嗜好はある。
もっともその嗜好とは、防具を買うお金があるなら、まずは剣を買うという剣優先な剣術馬鹿嗜好だ。
ましてやケイスの場合、その剣術や馬鹿げだ力故に、生半可な剣ではポキポキと軽く折って壊す上に、あれやこれやと細部にまで拘る偏屈なまでのマニア。
気に入る剣が見つかるまで防具などに割く金は無い。
しかしそれでは不意の魔術攻撃には対応できない。
そうなるとだ……
「ふむ。やはり見知らぬ者や、敵対する魔術師が近づいてきたら、とりあえず斬るという方針がベストか。妙案だな……むぅ……しかし子グマと次に会ったらその場で斬れば良いのか? それでは決闘の礼儀に反するぞ」
何をどう考えたのかは判らないが、ウェルカ達のことは無視していきなり頭を悩ませ始め、辻斬りめいたことをぶつぶつと呟き手を打ってなぞなぞの答えがわかった無邪気な幼児のような笑顔を見せたかと思えば、すぐにまたも頭を悩ませ始める末の娘の嗜好は、長い年月を生きるウェルカにも理解できる物では無かった。
「これを我ら龍と比べられましても。私としてはこうお答えします。我ら龍はそこまで非常識ではありませんと」
「……限度がある。少しは躾けろ」
ケイスの自己中心的過ぎる思考は、無論ラフォスにも理解できる物では無い。
個々の我が強いのは龍の種族的特徴ではあるが、さすがにここまで自分勝手な者は一族でも見たことは無い。
「……むぅ、そうなるとやはりあの剣を使えれば……しかしあれは頑固だ……どうすれば私の力を……」
思考の袋小路に彷徨い込んだのか、ケイスはぶつぶつと呟きながら、椅子から立ち上がるとその場で剣を振るいだした。
剣を振っていると思考がクリアになって考えがまとまるとは本人の弁だが、端から見れば危ない危険人物以外の何物でも無い。
「……ケイネリアスノー。そろそろ良いですか? あの剣についてもうしたいことがあるならご本人と話しなさい」
いらいらが募ってきたのか乱暴に剣を振り回し始めたケイスをさすがに見かね、ウェルカは再度声をかけた。
「ん……むぅ。始母様。どういう意味だ?」
「貴女が扱いに苦慮している剣『羽の剣』と呼ばれるあの剣に宿る精神は我が父の物、もっと正確に言えば、あの剣を構成する素材には龍王ルクセライゼンの骨の一部が用いられています。父上が貴女をここに連れ込んだのも、剣について直接に話そうとしてのことです……そうですよね父上?」
「この馬鹿娘には一言言わなくては気が済まないからな……まさかお前までが来るとは思わなかったがな。ウェルカお前は少し黙っていろ。この娘に話がある」
ウェルカの問いかけにラフォスは忌々しそうに頷きながらも肯定し、ケイスへと目を向けた。
「娘。聞いたとおりだ。お前が今所有する剣はドワーフ共によって打ち鍛えられ姿形は変わろうとも我だ。我を手放せ。お前になど使われる気は無い」
深海青龍は全身の骨格を硬軟軽重変化させ、日の下の海原から、静寂な大海の奥底まで自在に行き来する。
闘気剣『羽の剣』は龍骨を芯素材と持ちいて、その変質特性を強化し他の鋼材にまで影響を及ぼすドワーフによる特殊工法により作られていた。
死したラフォスの肉体を用いたとはいえ、その意思の一部を活性化させるほどの神業的技術は、ラフォスですら驚嘆せざる得なかった。
「むぅ。私を認めていないのはお爺さまだったのか……ならば立ち会え。私の力を認めさせてやる」
ケイスが実に不機嫌そうに頬を膨らませ、懲りずに再度戦いを申し込む。
剣に認められないのは剣士として沽券に関わる問題。
しかも認めないのが身内となれば、何が何でも認めさせてやる。
その為なら殺し合いも辞さないとその瞳ははっきりと語っていた。
「ふん。お前の才は認めてやろう。その身が人の身であろうとも我が龍の末だとな……だがそれとこれは別だ。再度言わせて貰うが、お前のような者に私を使わせる気は毛頭無い」
力任せにもほどがある脳筋思考をする末娘に問題は才能では無いとラフォスは断言する。
どうやらケイスが心底気に食わないらしく、その拒否感は極めて強いようだ。
しかし使えない理由が才では無く、ケイス自身が気に食わないといわれても、ケイスにはここまで嫌われる要因に思い当たる節が無い。
ケイスが生まれる遥か前にラフォスは死んでいるのだから、生前に面識があるわけが無い。
ラフォスを討ち滅ぼした血脈の末が理由というなら、逆に言えば自分はラフォスの末でもある。
そこまで拒絶される要因は無いはずだ。
「うぅぅぅっ! はっきり理由を言え! お爺様に嫌われるような事をした覚えは無いぞ!」
考えても判らず、ケイスは癇癪を起こしラフォスに食ってかかるが、
「……最初に我と出会ったとき、即座に投げ捨ておったな」
「えっ!?」
冷たい目で見るラフォスのあまりに予想外の返しに、さすがのケイスですら思わず絶句する。
思い当たる節がある所では無い。紛れもない事実だ。
「しかも我と比べ選んだのは別の剣であったな……それも魔力も有さず、意思もなく、ただの鉄の塊を」
屈辱に身を震わすラフォスを見てケイスは慌てる。
まさかあの時のことを引き合いに出されるとはさすがに思ってもみなかった。
「ま、まてお爺様!? あのバスタードソードはいい剣だったぞ!?」
「元が良剣であろうともあの時点では折れて半壊したただの鉄くずであろうが……この我をそんな物と比べる事さえ屈辱というのに、迷いもせず即断して我を投げ捨ておったな」
「た、確かに折れていたが、実際にサンドワームにも勝って見せたでは無いか!?」
「あれは貴様の剣術があってのことであろう。我を用いていれば利き手にさらなる重傷を負う事も無かったのではないか」
あの時は切っ先が無いので貫通力を増すために、骨にヒビが入った右手で柄頭を打ち付ける逆手双刺突を使ったが、羽の剣を使っていれば右腕を庇って使える技がいくつかあったのは確かな事実だ。
それでもケイスにはケイスの言い分がある。
「あ、あの時はあいつが私の選んだ剣だったし、あれで最後だと思うとしっかり使ってやろうと。そ、それにお爺様だってあの状態ではふにゃふにゃしてたし軽いから……」
しかしその言葉には何時もの勝ち気で傲岸不遜な勢いは無く、年相応の子供、それも悪戯を親に見つかって必死に言い訳するような弱々しさしか無かった。
「あの薬師の娘が、我の特性を説明している途中で会話を打ち切りおったが闘気剣ということまでは聞いておったそうだな。なのに試そうともせず戦闘終了まで放置していたのはお前であろう。その上つい先日は暴言を吐いて我に噛みついてきおったな……その様な礼儀知らずに、今更我を使う資格があると思うな」
「…………うぅっ! し、始母様!」
ラフォスの指摘に返す言葉が無く、ついに言葉に詰まったケイスは、成り行きをあきれ顔で見守っていたウェルカに半べそで泣き付く。
涙目でウェルカを見上げるケイスは何とかしてくれと全身で訴えている。
先ほどまで剣を振るっていた姿と同一人物とは思えないほどの豹変だ。
「どう聞いても悪いのは貴女でしょう…………まったく相変わらず身内に嫌われるのは弱いのですね」
敵やら知らない者にどう思われようとも気にしないが、家族や親しい者からの正統な理由がある怒りや叱責には滅法弱い末娘に、ウェルカはどうした物かと頭を悩ませる。
これで少しは反省して日頃の言動を正せば良いが、ケイスにそれを期待するのはとうの昔に諦めている。
「父上。そこまで意固地になられずとも使わせてやってくれませんか……父上も気づいておられるのでしょう」
ただ馬鹿な子ほど可愛いというか、時には妙に素直な時もある末娘は嫌いでは無いウェルカは仲裁を試みる。
元よりウェルカがここに訪れたのは、末娘の力となるように父に頼むため。
ケイスはその生まれより、彼の迷宮神ミノトスの意図が組み込まれている。
迷宮神が何を考えているのかは、ウェルカにも見通せない。
ただ碌でもないことであり、ケイスの身に降り注ぐのは、ウェルカ自身や父であるラフォスが巻き込まれた事よりさらに大きな事象であろうという予感のみだ。
「……だからなおさら気に食わん」
ラフォスもケイスの異常性には当然気づいている。
そうでも無ければケイスが持つ馬鹿げた能力や常識外の思考。
なによりいくら血を引くとはいえ、ケイスがウェルカやラフォスと出会えた事の説明が付かない。
地底奥底の封印されし迷宮に住まうウェルカや、千年以上前に滅んだラフォスの意思とケイスが出会えたことを単なる偶然というのには無理があった。
死してもなおこうして意識を取り戻したのは、迷宮神の企みであろう。
その策略に素直に乗る気はラフォスには無い。
「とにかく我の用件はもう済んだ。娘覚えておけ。我を使おうとしても、最初は普通に使えようが、お前の闘気がある程度たまれば、我はすぐに現世でも覚醒する。即座にお前の制御より離れ、隙あらばお前を屠ろうとするだろう」
これ以上話し合う余地は無いと最後通告を突きつけたラフォスの声に、ケイスは泣き付いていたウェルカの体から慌てて泣き顔を上げ、
「ま、まてお爺様! 私の態度について、あ、謝るから私に……」
その言葉が最後まで続く前に、ケイスの肉体はこの空間から綺麗さっぱりに消え失せた。
羽の剣に宿るラフォスが生み出した世界なのだかから、ケイスの意思を追い出すのはラフォスには造作も無い事だ。
「煩わしい娘だ。終わったことをぐじぐじと」
現実で目を覚ましたケイスは、早速取りだした剣に必死に呼びかけているようだが、現実のラフォスの今の肉体である剣には声を発する器官もないし、精神に呼びかけ会話をする事も出来るが、もう話しはすんだのだからと、相手にする気は皆無だった。
「それだけ気に入ったのでしょう剣としての父上を……しかし少し大人げないのでは。あれでもまだ子供ですよ」
気に入った剣はテコでも諦めないケイスと、一度機嫌を悪くすればなかなか戻らない父。あの末娘にして、この父ありというか。
自分の意志を易々と曲げない頑固さは大分離れた血縁でも、似たもの同士だと思いつつも、ケイスのように放り出されず残っていたウェルカは再度ラフォスに掛け合う。
「子であろうが血脈であろうが、我の誇りを汚した者に使われる気は無い」
「……父上。あの子はその時は意思を持つ剣だとは知らなかったのでしょ。些か拘りすぎでは?」
父の言動に少しばかりの違和感を先ほどからウェルカは抱いていた。
己の尊厳や誇りに拘るのは父の特徴でもあったが、ラフォスが気分を害している根本理由は、先ほど本人が言ったとおりであれば、闘気剣である己より、ただのしかも半壊した剣を選んだことにある。
まるで自分の本分が龍では無く、剣にあるとでも言いたげな様子だ。
「確かに我は深海青龍ラフォス・ルクセライゼンではある。だが同時に闘気剣ラフォスであるという意思が奥底まで根付いている」
「……父上?」
龍とは傲岸不遜にして絶対者。ましてやラフォスはその龍達の長である龍王。
その意思や生き様はそう易々と変わる物では無い。
しかし自分は剣であると認めるラフォスに、ウェルカは驚きを覚える。
「あの娘……ケイネリアスノーと言ったな。あの頑強な意思は確かに我ら龍からみても化け物であろう……だがこの時代には更なる化け物がおるぞ。我を持ってしても自分が剣であると認めざる得ないほどの鍛冶師がな」
死してなお蘇り、剣と成り果てた自分の運命に、忌ま忌ましさを覚えつつも受け入れてしまう。
「……あの小僧に打ち込まれた剣の我としての誇りが娘を認めておらん。諦めろ」
自らの死を認めず打ち砕いてみせるケイスよりも、頑強強固にして、ただただ剣を求め続けるその意思は遥か上の狂気をいく。
あの男の世界には剣しか無く。剣しか見えていない。
剣のためならばためらいも躊躇も無い。
ありとあらゆる者と物が剣を作るために存在していた。
龍であったラフォスを剣であるラフォスへと変質させたのは、ドワーフたちの技を受け継ぐとはいえ、まだ見習いでしかない鍛冶師。
しかもケイスよりも幼い年端のいかないその子供は、ただ手伝いとして相槌を打っただけであった。