「このガキが!」
右に男1人。最初に殴り飛ばした探索者の仲間。
その手には、武器代わりに木製椅子を掴み、振り上げている。
前方には、先ほど蹴り飛ばした職人が1人。
そちらが繰り出すのは、尖った切っ先を見せる割れた酒瓶。
外見だけならばまだ幼いケイスの顔を見て、一瞬躊躇した先ほどの気づかいは腹をしたたかに蹴り込まれたことで消え失せたようだ。
二人の間で事前のやり取りは無かったので、連携を狙うつもりはなく、頭に血が上っているのか、ケイスの事しか見えていない。
一瞬で状況判断したケイスは、周囲の状況を脳裏に描く。
背後、殴り合っている男が二人。
左、倒れたテーブル。
上、光球を灯す大きな燭台が天上から下がっている。
身を引いて時間差で捌くには位置取りが悪い。
抜くか?
ケイスが無手と思っている男達は、不用意に間合いを詰めて、ケイスにとって必殺の間合いへと既に入っている。
折りたたんで懐にしまい込めた非常識な大剣『羽根の剣』を取り出して振り抜けば、片手が使えない状態でも、この位置関係ならば後方の二人も纏めて胴切りで真っ二つに出来る。
しかし、この場で剣を抜いた者はおらず、落ちている物を武器にしている者ばかりだ。
そのような状況で自分だけ剣を抜くのは礼儀に反する。
ならば…………
思考を終えたケイスは尖った割れ瓶を構える男へ向かって、自ら身体を沈めるように接近ながら、掌を返した左手を前に伸ばす。
「ふっ!」
割れ口の縁をギリギリを掠めながら手を伸ばしたケイスは、職人の右手首を左手で掴みそのまま自らの方へと力任せに引き寄せながら、右側へと身体を回す。
酒瓶を突き出そうとしていた職人は、ケイスの馬鹿力で体勢を崩され、くの字に倒れそうになりながら、椅子を振りかぶった探索者とケイスの間へと引き込まれた。
職人の影に入ってケイスの姿を見失った探索者は、ケイスの姿を見失ったことでとっさに振り下ろそうとした椅子を止めてしまう。
その一瞬の停止をケイスが見逃すはずが無い。
引き込んだ職人の身体を、さらに強く引いて倒れ込ませながら、その首筋に闘気を込めつつ右肘を強かに叩き込む。
「がばっ!?」
嫌な音をたててめり込んだ肘から打ち込まれた強打が職人の意識を一撃で刈り取る。
さらに間髪いれず身体を回し、意識を失い倒れる職人の背中へと自らの背を乗せ踏み台にしたケイスは、椅子を振り上げていた探索者へと向かって襲いかかる。
「なっ!?」
見失ったケイスが死角から勢いよく飛び出て来たためか、探索者の反応が一瞬遅れる。
無防備になった探索者の顎先へと向かって、ケイスは精一杯に足を伸ばし蹴りを繰り出し、
「ごふっ!」
ミシリと顎骨がきしむ音をたてながらケイスの左足が男の顔面に鞭のように叩き込む。
全身を使った体重が乗った蹴りに勢いよく吹き飛ばされた探索者が、脇のテーブルに突っ込み、そこらに落ちていた皿と共に派手な音をたてて床に倒れ込む。
だが2人を倒した所で、ケイスは止まらない。
店内に一瞬視線を飛ばし次の獲物へと目を付け、踏み台にしていた職人の背中に左手を当て逆さまのまま高々と飛び上がり、天井で揺れていた燭台の鎖に右足を絡める。
「せいっ!」
次いで燭台をつなぎ止めていた細い金具を左足で蹴り壊し、力任せに燭台をもぎ取りながら、猫のような絶妙な体捌き体捌きをもって、数人が小競り合いを続けていた店内中央に向かって器用にも蹴りいれた。
「でぇ!?」
「冗談じゃねえぞ!」
燭台がじゃらじゃらと派手な音をたてながら落ちてくるのを見て、殴り合っていた男達が慌てて避け、一瞬遅れて中心地点に燭台が破砕音共に降り注いだ。
もし回避が遅れていれば、二、三人は下敷きになっていただろう。
床板の一部を破壊するほどの勢いで落ちたきた燭台を見て、他の場所で喧嘩を繰り広げていた者達も、店の隅に避難して成り行きを見守っていた客達も思わず静まりかえる中、
「ふむ……そちらははずしたか」
中央に蹴り入れた燭台では誰も巻き込めなかったことを無念そうにいうケイスの不機嫌声が静まりかえった店内にやけに大きく響いた。
ケイスの足元には先ほど背後で殴り合っていた2人が泡を吹いて倒れていた。
どうやら今の一瞬の騒ぎで男達が油断した隙を突いて、殴り倒したようだ。
「お、おまえ! 殺す気か!?」
明らかな殺意を持った攻撃に危うく燭台の下敷きになりそうだった探索者の1人が、このガキは正気かと困惑した目でケイスを見る。
たかだか酒場の喧嘩でここまで洒落にならない攻撃を躊躇無く出来る者など、そうはいないだろう。
「何を言っている。あの程度で死ぬか。それに打ち所が悪くて死んだとしても、文句を言われる筋合いは無いぞ。先ほどお前もそちらの男に殺すと発言していたではないか。椅子や割れ瓶でも十分に人を殺せるぞ。これらを持ち出しておいて、自分達を殺すなは不公平では無いか」
だがケイスはその稀な存在。
相手に合わせて剣を抜いていないだけで、当たり所が悪ければ死ぬような攻撃だろうが躊躇など一切無い。
本人はいたって公平公正にやっているつもりだが、元から持つその肉体能力が反則的であり、さらに言えばその精神は肉体よりも遙かに異常だ。
「……おい。あんたら。こいつやばいぞ」
「あぁ。さっきからのされてる奴の半分くらいはこのガキの仕業だ」
つい今まで殴り合っていた連中だったが、物騒なケイスの発言にひそひそと言葉を交わしあう。
囁き合う中には、最初にケイスと揉めた探索者もいれば、子供相手に大人げないとケイスの加勢に入ったはずの職人達。酒の邪魔をされ腹を立てた酔っ払ったごろつきや、騒ぎが好きなけんかっ早い学生もいる。
参戦理由も立場も違う20人ほどの男達の中で、酒場の中で誰が一番危険な生物なのか、共通認識が急速に出来上がっていく。
誰が合図したわけでもない。
だがあまりに異質な存在に、集団心理が働いたのか、今まで四方八方に向けられていた敵意や害意が一瞬でケイスに集中し始め、周りを囲むようにじりじりと包囲が自然と出来ていく。
一斉に袋だたきにしてしまおうと囲んでくる大人達を相手に、純粋戦闘狂は周囲を見渡して1つ頷く。
「ふむ。良い選択だ。私を潰すつもりなら、力を合わせろ」
純粋無垢な笑顔でケイスは左手の拳を構える。
敵に囲まれれば囲まれるほど心が弾む。
数が多ければ多いほど、強ければ強いほど、自分はその逆境を撥ねのけるために強くなる。強くなれる。
自分が負けるなど一切考え無いその狂った思考は、心躍る状況にさらに回転を速めていく。
囲まれた状況下では自分が動いて状況を動かすべし。
過去に龍冠を彷徨った際に培った戦闘経験に従い、ケイスは息を浅く吸い全身へと肉体強化の闘気をさらに張り巡らせぐっと身を沈める。
つい先ほどまで食事をしていたから、体力は十二分。
まだまだ全力で動けるし、そこらを見れば料理はいくらでも転がっているから、補給しながらでも戦える。
「うん。お前達は私を侮らないから好ましいぞ。だから全力で相手してやる」
幼いながらも美少女然とした美貌には、不釣り合いにもほどがある獰猛な瞳が浮かぶ。
その瞳の強さにケイスが本気で全員を倒す気だと、この場にいる誰もが思い知らされ、対峙する者全ての警戒が最大限まで高められる。
自分を取り囲む敵意に押さえきれない高揚感を覚えつつ、ケイスは最初にぶちのめすべき獲物を見定める。
一番技量および戦闘力が高いと判断したのは真正面に経つ屈強な獣人の探索者。
ケイスの倍はある背丈に、胴体と同じくらいの二の腕。牙を見せる獰猛な顔つき。
この乱戦の中でも未だかすり傷1つおっていない。
ちらちら確認していた感じでは、獣人の方が直接的な力、速度ではケイスより上をいく。
純粋な力では到底及ばないが、そんなのは何時ものことだ。
己の才と技量でいくらでも覆すだけのこと。
それすら上回られたなら、なおさら喜ばしい。
なら自分が戦いながら成長すれば良い。
相手が強ければ強いほど、ケイスの心は闘志でたぎる。
相手にとって不足無し。
ケイスは獣人へと狙いを定め、
「!」
視界の隅をカウンターの裏から投げ込まれた、何かが掠める。
周囲を囲んでいる者達は、ケイスにのみ集中して気づかない。
だがケイスは違う。
一対多が何時もの事な化け物は、獣じみた動体視力と戦闘特化した知識を持って物体の姿形を捉え解析しはじめる。
空き瓶に刻まれた魔術式と文字、宙を漂う臭い。その発光色。
刻まれた使用式から簡易魔具と判断。
瓶の中身は不明ながら、中の薬剤を一瞬で気化させ、対象範囲内の生物に吸収させる即効性タイプの時限型炸裂気体拡散式魔具。
炸裂時間、範囲指定は判別可能。
一秒後に炸裂。
着弾予測位置はケイスが立つ付近の天井。
効果範囲は着弾点を中心とした半径10ケーラ。
店中央部は軒並み効果範囲に入っている。
自分一人なら回避可能。
しかし周囲を囲んでいる者達は、逃げ遅れる。
解析は一瞬。行動選択は即決。決めたときには即時行動。
「ふっ!」
両足に闘気を集中。爆発。
ここ数週間でリトラセ砂漠で身につけていた、砂に足を取られないための爆発的な加速力に物をいわせて、床板をぶち壊すほどの踏み込みで一気に最大加速で瓶に向かって跳び上がる。
ケイスは酒瓶に向かって跳びつつ、右の袖口からナイフを引き抜き、左手に構えた。
クルクルと回る酒瓶の魔術式に切りつけられる機会は、今の腕、反応速度では一度のみ。
そんな短時間では、とても術式の無効化が出来るほどに削りきるなど出来無い。
店の外に投げようにも、外には騒ぎを聞きつけ集まった野次馬達が大勢いる。
ならば。
電光石火の一撃を繰り出したのと、ほぼ同時に瓶が割れる破砕音が響き、瓶の中から濃い魔術薬が気体としてあふれ出す。
だが拡散するはずだった気体は、ケイスの切りつけた一撃により術式を無効化されその場に留まっていた。
己の解毒能力に全てを賭けてケイスは漂っている気体を、圧倒的な肺活量に物をいわせて全てを一瞬で吸い尽くした。
大勢の男達に囲まれていた少女が挑発的な言葉を発し、いきなり飛び上がったと思ったら、偶然なのかそれとも狙ったのか、どこからか投げ込まれた酒瓶が、運悪くその少女にぶち当たった。
ケイスが何をしようとしたのかわからない者にとっては、それが目の前で起きた事実だ。
しかしその行動の真意が見えていようが、見えていないかは今は大きな問題ではない。
問題はだ………そのまま空中から落ちてきたケイスが何とか着地はしたが、そのまますぐに気を失い熟睡してしまった事だろう。
「くぅ…………すぅ……っふぁ……」
すやすやと寝息を立てながら丸まるケイスは、先ほどまでの暴れぷりが嘘のようにあどけない寝顔で眠っている。
囲み生意気な得体の知れないガキをぶちのめそうとしていた大勢の男達は、どうした物かとケイスを遠巻きに囲んだまま途方に暮れていた。
「…………おい。これどうする」
「どうするったって……さすがにこれを殴るのは」
困惑した職人の問いかけに、ケイスに激怒していたはずの探索者達も答えあぐねる。
そこにいるのは、無防備に眠り何とも保護欲をかき立てる幼い美少女だ。
周囲をピリピリさせた威圧感など皆無。
苛立たせ人を怒らせる発言も無く、平和な寝息がその口からは漏れる。
敵愾心を煽るその生意気な目付きは今は見えず、あどけない天使の寝顔を惜しむことも無く披露している。
無論男達はこの眠れる美少女の正体が、先ほどまで敵対していた美少女風怪物だと骨身にしみて判っている。
だがその正体を知りながらも、敵意が霧散し躊躇してしまうほどに、その可愛らしさは際立っている。
これに暴力を振るうのはどうしても躊躇せざる得ないと全員が思わされてしまうほどだ。
「全員眠らせるつもりだったが、ありゃあの嬢ちゃんなんかやりやがったな。あんた見えたか?」
隠れていたカウンターから顔を出し、強制的に喧嘩が収まり静まりかえった店の中央を覗いていたウォーギンが、その横で同じように様子をうかがっていたスオリーに尋ねる。
瓶を投げ入れたのはウォーギンだが、その効果範囲がケイスにのみ効いた極々限定された範囲で有ったことをいぶかしげに思っていた。
あの術式なら周りにいる男達も一緒に眠り込んでいるはずだった。
「一瞬だけ先に魔術式にナイフを当てて削り取って、無理矢理改竄した……ようです。しかも自分だけがその効果を受けるように範囲を縮小させて。おそらく周囲に被害が及ばないようにと、気体化した睡眠薬も自分から吸い込んでいます」
ケイスの信じられない行動、技量に呆然としていたスオリーは、裏の正体を隠すことも忘れ、つい見たままのことを素直に答えてしまっていた。
ケイスは速いといっても所詮は常識レベルの速度。
常識外に立つ中級探索者であるスオリーには十分目で追える体捌きだ。
だがそのスオリーからしても、ケイスの行動は十分以上に驚愕できる物だった。
ケイスが投げ入れられた酒瓶を目で見たのは一瞬。
気づいただけでもたいした物なのに、その次の瞬間には迎撃のために行動を開始していた。
あの一瞬で魔術式を確認し、範囲改竄するためにどうすればいいのかを見極めたのだろう。
ケイスの真の恐ろしさ、能力は、龍由来の肉体能力でも、祖母譲りの卓越した剣技でも、常識外の育ちによりはぐくまれた異常思考でも無い。
それらの技能を最大効率で使うことが可能な戦闘極化した高回転する頭脳。
ケイスに関する報告書にはそう書かれていて、スオリーも知識として知っていたつもりだったが、改めてその意味を体感する。
戦闘中でも投げ入れられた酒瓶に気づく索敵能力。
一瞬で魔術式を見極める豊富な魔術知識。
回転する酒瓶の軌道を計算する空間把握能力。
一瞬で跳び上がり切りつける事が可能な肉体と闘気生成能力。
式を改竄させる箇所を正確無比に狙える剣技。
正体が不明な気体化した魔術薬を、つい今の今まで争っている周囲に被害が及ばないようにと、自ら全て吸い尽くす異常思考。
一秒足らずの間に行われた行動は、数十にも及ぶプロセスを経た上で行われた確信的行動。
だがその思考速度と行動が速すぎ、事情を知らない人間からすれば、偶然にケイスが頭をぶつけ気を失ったようにしか見えていないのだろう。
「そらまずいな。あれ一人で吸い込んだのかよ。濃すぎて下手すりゃ死ぬぞ」
技術者故か、それとも天才故か。
スオリーの説明に、今ひとつケイスのすごさがピンと来ていないのか、ウォーギンはその行動には驚きを見せず、結果に眉を顰める。
範囲内の生物を一瞬で昏睡させる事が出来る強化魔術睡眠薬を高濃縮状態で摂取するなんて、生体活動の著しい低下を招く自殺行為そのものだろう。
「あーでもそれなら身じろぎも出来無いか……強化術式も削ったかありゃ。しかし削るとなるとどこを……」
だがケイスは意識を失っているが寝息を立て身体も動かしている。
技術屋としての知識欲が騒いだのか、ウォーギンは懐から紙を取りだすと術式を書き殴りながら分析をし始めた。
「今やらなくても……」
ウォーギンはすぐに極度の集中状態に入ったのか、スオリーの言葉はもう届いていないようで、ぶつぶつと書き殴って解析をしている。
これは放っておくしか無さそうだと、スオリーはケイスへと視線を戻す。
ケイスを取り囲んでいた者達は、予想外の展開に戸惑って、ケイスが無防備に見えるためか敵意の向けどころを見失っている。
今はまだ良い。
しかし、誰かがそれでも敵意を向ければあの化け物のことだ。
たかが寝ているくらいで無防備になるわけも無い。
向けられた敵意に対して自動的に剣を振る防衛本能持ちだということなので、下手に害意を向ければさらなる騒ぎを引き起こしかねない。
今のうちにケイスを回収して逃げ出したいところだが、迂闊な行動はあの均衡状態を崩しかねない。
どうやって穏便に済まそうかとスオリーが手をこまねいていると、騒動を聞きつけ店外に群がっていた群衆がざわざわとなりながらも入り口前から退き始めた。
どうやら街の警備兵達が派手な騒ぎを聞きつけ、ようやく到着したらしい。
「全員その場を動くな……それにしても今日は一段と派手だな」
群衆を掻き分け店内に入ってきた警備兵長は、倒れ伏した酔客やら、散乱した酒瓶に蹴倒された椅子、破砕したテーブル、そして止めとばかりに床に開いた大穴と燭台を見て呆れている。
客寄せ目的の客同士の殴り合いの喧嘩は、鬱屈した感情の良い発散の場ともなっているので犯罪抑制にもなるからと、荒くれ者が集うこの店の売りとして黙認されている。
しかしそれが売りの店とはいえ、ここまで暴れられると警備兵側としてもさすがに何時ものように、見て見ぬふりをするわけにもいかない。
「それで今回の騒ぎの中心はどいつだ? 騒ぎの責任はきっかり払ってもらおう」
酔っ払い同士の喧嘩とはいえ見過ごすレベルを逸脱している。
それなりの刑罰があると言外に込められた言葉に当事者達は声を揃え、
「「「「「「「そのガキだ!」」」」」」」
と、床ですやすやと眠り込んでいたケイスを一斉に指さした。
彼らの言うことは、欠片1つの間違いも無い真実。
しかし真実が、何時も無条件で信じられるとは限られないのも世の常。
真実があまりに荒唐無稽であれば、その可能性は跳ね上がる。
店を半壊させるほどの大喧嘩の中心が、幸せそうなあどけない寝顔を浮かべ眠っている幼い少女。
ケイスを見てから、兵長は疲れたように息を吐いて、
「…………全員酔ってるな。とりあえず拘束しろ。怪我をして気絶している連中は治療院に運べ」
何を馬鹿なことを言ってるんだと一刀で切り捨て、部下達に指示を出す。
隊長の指示に店内に入ってきた警備兵達は対魔術強化されたロープを使い慣れた手つきで次々に手首を縛り上げていく。
カンナビスは人の出入りが激しい分、治安もそれなりに悪いので、集団での喧嘩程度の騒ぎなど日常茶飯事。
何時ものことといえば何時ものことなのだろう。
だが拘束される男達からすればたまったものでは無い。
被害の半分以上をたたき出したのは、そこで眠り込んでいる深窓の令嬢風化け物なのは紛れもない事実だからだ。
「ち、ちょっとまて! そいつだ。そいつ! 倒れてる奴の大半をぶっ飛ばして、テーブルたたき割って、燭台を蹴り落としたのもそいつ…………だよな」
しかも口に出せば口に出すほど、その証言は胡散臭さを増していく辺り実に質が悪い。
反抗すればより罪が重くなるので素直に縛られながらも反論していた探索者ですら、今のケイスの愛らしい寝姿から、先ほどまでの悪夢のような光景が幻覚だったのでは思ってしまい、徐々に言葉に力がなくなるほどだ。
「経緯は後で詳しく聞いてやる。他にそんな戯れ言を言う奴は? いたら一緒に一晩ぶち込むぞ」
酔っ払いの戯れ言に付き合いきれないとばかりに兵長が首を横に振り、入り口の野次馬へと目線を向けると、面倒事に巻き込まれては叶わないと、群がっていた群衆が蜘蛛の子を散らすように慌てて顔を引っ込めた。
「まったく。店主。損害をまとめてあとで詰め所に持ってきてくれ。相当金が掛かるだろうが、探索者達もいることだしあの人数がいれば問題無く払えるだろう」
当事者達にとっては罰金+損害賠償で相当な出費となるだろうが、探索者なら管理協会に借金という形で支払いも出来る。
店の修理費くらいは出せるだろうと、店主を安心させる意味で兵長は声をかけたのだが、
「はぁ。そっちはいいんですけど……そ、それであれはどうしましょうか」
その店主はそんな事よりもと、おそるおそるとケイスを指さす。
今は眠っているが、あれの中身は化け物。
起きてまた暴れ始められたら手に負えない。一緒に連れて行ってくれとその顔は物語っていた。
だが兵長側から見れば、この店には著しく場違いながらも、あれはただ眠り込んだ美少女にしか見えない。
まさか一緒に連行するわけにも行かない。
「連れ合いがいるだろ。それとも何か。あんたの店はあんな子供でも一人で入店させるとでもいうのか。見たところ酔いつぶれて眠っているようだが、どれだけ飲ませた。場合によっては手入れをいれるぞ」
この辺りの都市なら中央ほど五月蠅くも無いので、未成年だろうが酒を提供しても法律上の問題は無いが、この騒ぎでも起きないほどに泥酔するほどはどうだと、兵長は眉をしかめる。
「と、とんでもない。い、一杯舐めただけで潰れただけですよあちらのお嬢さんは。なぁそうだろスオリーちゃん!」
下手すれば営業許可の取り消しや停止なんて事にもなりかねないと、店主は慌てて首を横に振ってカウンターの向こう側から様子をうかがっていたスオリーを呼び出す。
「ど、どうも~ラルグさんお仕事ご苦労様です。すみませんジュースと間違え飲んで潰れちゃって、水を持ってこようとしたらこんな騒ぎが起きて、助けにいけなくて困ってたんですよ」
事実とは全く異なるが、この流れに乗ってしまおうとやけくそ気味にスオリーは顔を出し、顔なじみの警備兵長へと挨拶し、店主の作り話へと全面にあわせていく。
「ん。なんだ協会のスオリーさんか。あんたの連れならちゃんと面倒を見てやれ」
受付嬢としての表の顔でそれなりに顔をしられているスオリーの登場に、警備兵長ラルグも気を抜いたのか説教じみた言葉を口にしながらも、近所の気の良いおじさんといった顔を見せていた。
「あんたがいるなら丁度良い。あとで今回拘束した探索者の身元保証や資料を送るように手配しておいてくれないか。今日は何か知らないが騒ぎが多くて、正直いえば手が足りていなくてな。そうしてもらえると助かる。スリが刺されたやら、集団幻覚か知らんが崖を登ってきた子供がいるやら、竜獣翁が来られていたとか上も下も大騒ぎになっていてな」
「えぇ。はいすぐにご用意いたします! だから早くお仕事にどうぞ!」
なんで今日に限って騒ぎが多いのか。
その答えの中心点近くにいるスオリーは、その騒ぎの大元であるケイスの存在を隠すためにラルグに対し限りなく迅速な返事を返すしか、術は無かった。
「疲れた……疲れたよ。姉ちゃん……もう限界だよ」
テーブルにがっくと倒れ伏したスオリーは、心身ともに削りきられた己の状態を嘆きながら、ジョッキの酒をちびちびと飲んでいた。
だがそのペースは止まることが無く、かなりの量を飲んでいて顔も紅く、背中の羽根は力なくだれている。
あの後騒ぎを聞きつけたボイド達が訪れ無事?に合流できたスオリーは、眠り込んだケイスをルディアに預けることで面倒を見るという役割からようやく解放されていた。
ラルグから頼まれた仕事を片付けたあとは、ファンリア商会主催の者達が泊まる宿の酒場を借り切って行われた慰労会へと特別ゲストとして同席し、無事に帰ってきた幼馴染み達へと今日の愚痴をこぼしていた。
「姉貴ほれ飲め飲め。ケイス相手じゃ仕方ねぇっての。あいつ無茶苦茶だからな。飲んで忘れろ」
「まぁせっかくの休みなんだからぱーっと飲んで忘れろって。ただ酒なんだしよ」
心身ともにやられて泥酔している姉の姿を物珍しく見ているヴィオンと、年上の幼馴染みの空になったジョッキにボイドはとぽとぽと酒をつぎ足す。
それぞれ同情がたっぷりと乗った慰めの言葉をかけているが、二人の顔は笑っているのだから面白がっているようだ。
幼馴染み4人組のなかで一番の年長者であるスオリーは、気丈というか常に姉ぶり説教じみた台詞も多いので、良い弱みを握れるという期待と、普段のちょっとした意趣返しもあるのだろう。
「二人とも面白がってるでしょ。大変だったんだよ! セラちゃん。この薄情者達に何とか言ってやって」
男共は当てにならない。
ここは妹として可愛がっているセラを味方を付けようとしたスオリーだったが、その肝心のセラは
「ウォーギンさん。これの改良ってどうすれば良い? もうちょっと速射性と安定性を上げたいんだけど」
「待ったセラ姉ちゃん。さっきからずっと聞いてばかりじゃねぇか。俺もこっちを見て貰いたいんだっての」
「あーそれなら杖内部の回路を……」
何故かそのまま流れで同席し、ただ飯にありついていたウォーギンを取り合ってラクトと共に魔具談義で花を咲かせていた。
セラが扱う魔術杖や、ケイスとの決闘用に昼間に仕入れてきた魔具のほとんどをメインデザインをしたのがウォーギンだったそうで、制作者目線からの改良策や使い方のコツなどで、この上なく盛り上がっているようで、スオリーの言葉など耳に入っていないようだ。
「み、味方がいない。ね、姉ちゃんこんなにお仕事頑張ってるのに、誰も分かち合ってくれない」
涙目になったスオリーはどんよりとした表情で、呻きながらもカップを一気に飲み干す。
ケイスに削られた疲労はその心身に深々と刻み込まれていた。
「いや仕事って、ケイスに関わったのは完全プライベートだろうが。待ち合わせに来ないから嫌な予感したら案の定だしよ」
「そうそう。それにどうせ俺らが関わってたから、姉貴がケイスに巻き込まれるのも時間の問題だっての」
ボイドはもちろん、弟のヴィオンですら、管理協会の受付嬢とは別にスオリーが裏の仕事をしていることは知らない。
カンナビスで知っているのはカンナビス支部長であるボイドの父親を含め僅か数人しかいない
裏方にいるからこそ力を発揮できる仕事なので、例え親しい人間でも伝えないのは重々承知している。
「人の気も知らないで…………」
酔っていても自制して肝心なと事には触れていないが、それでも言わずにはいられなかった。
がっくと力なく倒れ込んだスオリーは恨めしげな目でボイド達を睨んだ。
愚痴をこぼしても面白がられるのでは、話す気は減退。気も晴れやしない。
どうやって気を晴らそうかと悩んでいると、スオリーの横に長身の影が立った。
「お待たせし……どうしましたスオリーさん?」
燃えるような赤髪と女性としては珍しいほど長身の薬師ルディアがいつの間にやら戻ってきていて、テーブルに倒れ込んで酔っ払っているスオリーを心配げに見ていた。
高濃度魔術睡眠薬を摂取したというケイスを上の部屋で寝かせて、診察をしていたのだがどうやら終わったようだ。
「姉貴、ケイスのせいで精神的にやられて、酒で現実逃避中。関わったのが運の尽きだな」
「医者に診せに行くとか言って飛び出したのに喧嘩して店半壊とかするあの子相手じゃ誰でもそうなりますよ。二日酔い防止とか精神が落ち着く薬なら調合できますからいつでも言ってくださいね」
ケイスの突拍子も無い行動に多少は耐性がついていたルディアは、打ちひしがれたスオリーに心底から同情的な視線を投げ掛けた。
同じようにケイスに振り回されているので、おそらく同類相哀れむという類いの感情だろう。
「……この子。良い子だよ。姉ちゃんこんな子が妹に欲しいよ……ねぇルディアちゃん。ウチの弟を貰ってくれない」
しかし掛け値無しのルディアの言葉が今の荒んだスオリーには何よりの癒やしなのか、それとも酔っているのか、かなり力強い手でルディアを捕まえるととんでもない事を言い出した。
「ぶっ! あ、姉貴。弟を売るな!」
「えぇ。だって良い子だよこの子。あんた女癖が悪いんだから、こういうちゃんとした子に姉ちゃんは管理して貰いたいの」
「あ、あのその手の冗談は、出来たらご遠慮願いたいんですけど。後ちゃん付けもキャラでは無いので止めて欲しいです」
二人のやり取りからヴィオンとセラが付き合っていることを察していたルディアがちらりとセラへと視線をやるが、首を横に振って適当に流しておいてと視線でサインを送っている。
「冗談じゃ無いのよ。ヴィオンはねぇ魔術も使えるし、戦闘技能もちゃんとしてるし、色々器用だし、探索者としては才能あって自慢の弟だけど、女性関係だけは別なの。過去に何人を弄んだか。ちゃんと躾けて首輪を付けられる人が良いと思うの。だから本当なら可愛い妹のセラちゃんと一緒のパーティにもしたくないんだけど、戦闘での相性が良いから仕方なく組ませてるのよ」
「昔の話だ昔の。今は真面目にやってんだから吹聴すんな姉貴」
好評価なのか低評価なのかいまいち判らない姉の評価に、ヴィオンが始まったと不満顔だ。
「疑わしい…………ヴィオン。あんたセラちゃんに手を出してないでしょうね。もし出してたらもぎ取るわよ」
弟殺しも辞さないと感じさせる目付きは冗談でもなく本気だと感じさせる。
実の弟よりも妹分への愛情度が著しく高いようで、下手に答えたらこの場で血の雨が降りそうな雰囲気にテーブルについた者達に緊張感が奔る。
「だ、大丈夫だ。俺の”ほう”からは手を出してないから。約束してただろ……なぁボイド!」
姉の殺気に気圧されうっかり口を滑らせかけたヴィオンが、立て直そうと慌ててボイドへと話を振る。
「おま! 俺に振るなよ!」
巻き込まれないようにと黙っていたボイドは、スオリーの視線が自分に向いて血相を変える。
「ボイド君の証言は当てにならない……娼館の支払いで揉めて騒ぎを起こして身元保証が廻ってきた事は忘れてないわよ。姉ちゃん恥ずかしかったんだから。ヴィオンと一緒に遊んでたなんて……ヴィオンを止めてくれるって信頼してたのに裏切られた気分だったんだから」
酔っているはずのスオリーが不意に素の真顔で説教じみた顔を浮かべる。
どうやら信頼していた幼馴染みが弟と一緒に出入りしていたと知った時のことを思い出して一瞬で酔いが覚めたようだ。
ヴィオンの女絡みの話から、毎回の展開にボイドは頭を抱える。
「……頼む。スオリーその話はいい加減に忘れてくれ」
過去につい酔った弾みで羽目を外した際の過ちの所為で、未だにこうやって責められる所為で、未だにもう一歩踏み込めないのだから、昔の自分が目の前にいたらとりあえず殴り飛ばしたいと鬱屈した気持ちで、ボイドは呻くように伝えた。
「え、えと。それよりあの子の容態ですけど、予想通りというか大丈夫です」
なにやら複雑な幼馴染み達の関係に踏み込まない方が吉だと判断したルディアは、わざとらしくも無理矢理に話題を変える。
「お、おう。そうか。やっぱり無事か。さすがケイス。ラクト喜べ。決闘に支障は無いぞ」
「あぁあ! ケイスの舐め腐った態度が出来無いようにしてやるよ」
ルディアの助け船に全力で乗っかることにしたヴィオンに振られたラクトも空気を読んで、半分本気ながらも勢いよく頷く。
あの化け物に勝つ。
実力差がかけ離れているのは判っているが、何故かラクトにはそれが至上命題のように感じていた。
「眠っているだけで他は問題無しでした。前みたいに無意識でしょうけど左手に薬剤を集中して汗と一緒に排出もしてましたから、早めに目を覚ますと思います」
「やっぱり無事って、あれ相当強化されてたんだがよ。しかも自己排出ってあいつ何者だよ」
一方でケイスの決闘騒ぎは部外者のウォーギンは、高濃度濃縮睡眠薬を摂取しても無事で済むケイスの常識外の肉体に懐疑的な顔を浮かべる。
何度調べてもあの一瞬で範囲はともかくとして、他の効能を消すことは出来無いと、ウォーギンの技術屋としての知識と勘は告げている。
あの知識と肉体能力はただ者では無いと誰もが思うことだろう。
「あー……正体不明です」
ウォーギンの問いかけに対して、ルディアは一言で答える。
それがその過去を知るスオリーを除いて、この場にいる誰もが思っていたケイスへの印象なのは間違っていなかった。
「……ふむ?」
目を覚ますと周囲が濃い霧に覆われている。
周りは見えないが水の臭いがして空気がひんやりと冷たい。
出した声の反響する音が響く。
どこかの洞窟のようだが、そんな所に入った覚えが無い。
自分のいる位置が判らずケイスは首をひねるが、すぐに違和感に気づき気を抜いた。
怪我をしているはずの右手の包帯が無く、服さえも無い全裸で自分は立っているからだ。
さらに言えば、このふわふわとしたどうにも気合いの入らない精神状態は、どうやら現実では無く、精神世界のようだと判断する。
このような体験は別に初めてでは無い。
呪術にはまり夢を見させられたこともあるし、高位種である知り合いに見させられた幻も経験している。
だから慌てるでも無く、ケイスはイメージを固める。
ここが精神世界ならば思い通りになら無いはずが無い。
その強固な自我がイメージを形作り、ケイスは動きやすい軽装にマントを纏った今の旅装束へと一瞬で変わる。
「ん。次は剣か。ふむ何にしようか」
どうせイメージできるなら、好きな剣にしたい。
しかし好きな剣は無数にある。
一番良い物をイメージしたいが、未だに最上という形はケイスの中には出来上がっていない。
何せケイスは天才。
どのような剣であろうとも一定以上の力を引き出し、良ければ良いほどケイスはその剣に合わせ力を引き出す。
その底なしの才は未だ限界を知らず、完全に満足する剣となるとこの世に存在しないのでは無いかというほどに際立っていた。
「ふん。混じり者とはいえ我が血を引くだけはあるか。慌ててはいないようだな」
ケイスがイメージする剣についてあれこれ考えていると、急に重々しく強くそして不遜で不愉快そうな声が響いた。
どうやら声の主がこの空間にケイスを引きずり込んだ相手のようだ。
「ん。少し黙っていろ。今剣を考えている。後で相手をしてやるから」
だが今のケイスは相手に興味が無い。
せっかく好きな剣をイメージできるというのに邪魔をするなと、コバエを払うかのように素っ気なく答えた。
「我の言葉を無視するとは、躾がなっていないようだな!」
傍若無人なケイスの態度に怒りを抱いたのか周囲に雷鳴のような怒声が響き、前方から吹き荒れた強烈な風が周囲の霧を吹き飛ばした。
せっかくの楽しい思考を邪魔されたケイスは、その釣り目を不機嫌そうな色に染めると、顔を上げ真正面を向く。
そこには巨大な龍の顔があった。
牙1つをとってもケイスと同等の大きさ。
その口蓋は大きく開けば城門にも匹敵するだろうほどに巨大。
青く透き通った瞳は、深水の色をたゆたわせた池のようで、ケイスを睨んでいる。
並の人間なら腰が砕けまともに立っていることも出来無い圧力を前に、
「…………なんだ龍か。ん。しかしその顔は始母様にそっくりだな。始母様の血縁か?」
ケイスはその顔をまじまじと見つめてから、平然と話しかける。
龍の顔にケイスはその身に流れる血の大元である龍王ルクセライゼンの面影を見いだした。
「ふっ。我の正体も知らんのかこの愚者は。それともあやつが臆して伝えておらなんだか。我こそはっ!」
ケイスを見下した目で睨みその名を名乗ろうとした龍だが、その言葉を最後まで言う前にケイスが動いた。
一瞬で剣をイメージしその右手に構え、その両足に闘気を込め一筋の矢となり龍の右目へと向かって飛びかかっていた。
いきなりの不意打ちに完全に虚を突かれた龍が対応する前に、ケイスは戦術を組み立てる。
龍相手にまともにやっても、今の力では逆立ちしたって勝てはしない。
だがそれがどうした。
気に入らない者はぶった切る。それがケイスだ。
「やはりあやつの娘か! 我に牙を剥くとはな!」
龍が吠え、その目に魔法陣が浮かぶ。
同時にケイスの周囲にその魔法陣が幾重にも転写されその進路を覆っていく。
一瞬の光を放ち魔法陣が一斉起動を始めた。
無数の水流が魔法陣から立ち上がり、蔦のようにケイスに絡みつこうと襲いかかる。
その早さ、密度はケイスの今の速度では躱しきれない。
真っ正面から迫る水の茨に飲み込まれたケイスの体に、容赦なく襲いかかる。
強烈な痛みを持って貫いた水茨によって、ケイスの右腕が吹き飛び、身体を貫き内臓を抉り、目を押しつぶす。
全身から血が噴き出し、気が狂うような痛みがケイスの中を駆け巡る。
圧倒的な実力差。
相手にもならない。
それが龍を相手にした者の末路。
現実なら終わった勝負。
だが……気にしない。
ここは夢の中。精神世界。
ケイスは認めない。
その龍の攻撃も、その龍によって失った身体も。
自分は剣を握っている。
相手に勝とうと剣を持って前に進んでいる。
なら自分が勝つ。
それが自然の理であり、自分の絶対。
だから自分は負けない。
だから自分が勝つ。
圧倒的な龍を前に、ケイスはその圧倒的な精神力を持って拮抗し、さらには覆す。
世界すらも喰らい尽くすほどの傍若無人さを持って、その身を推し進める。
吹き飛んだはずの右腕に力がこもり、貫かれたはずの心臓が激しく脈打ち、潰れたその黒い双眸が目標を捉え、粉みじんとなったその口が、
「邑源一刀流! 逆手双刺突巻絡み!」
口上と共に龍の右目に剣を深々と刺し込む。
さらにその剣へと体重をかけ身体を回転させるように力を込めて目の一部を捻りきってから、龍の顔を蹴りつけてケイスは大きく飛び退く。
そのままクルクルと回り地面へとすたっと降りたケイスは、剣を構えたまま再度龍を見上げる。
「なんだ無傷か。少しは痛がれ。今の私の全力だぞ」
強かに打ち込んだ剣戟で目の一部を抉ったはずだが、その透き通った水面のような眼は無傷のままケイスを見ていた。
自分の最大攻撃を無効化されケイスは不機嫌そうに頬を膨らませる。
何のことは無い。
自分と同じように龍が攻撃を無視したのだろうと判断する。
自分の全力など、この龍にとっては蚊に刺されたような物なのだろう。
だから回避もせず、なすがままにしていた。
改めてこの龍との間に埋め尽くしがたいほどの差があるのだと感じ取る。
「だがお前気に入ったぞ。良し。今のように本気でこい。私が殺すまで付き合ってやろう」
それが嬉しい。
気を取り直したケイスは笑顔を浮かべ、新たなる剣を呼び出す。
いろいろ試したい剣もある。
それにここでならもう一つの流派を解放しても良いかもしれない。
強い相手がいて好きな剣がいくらでも呼び出せる。
事情は判らないがケイスにとってここは天国だった。
「貴様……何を考えている。何故あの攻撃で死なぬ。痛みを感じなかったとでも言うのか」
しかしその相手である龍は、平然と剣を構えるケイスに対して困惑していた。
ここは龍が作り出した精神世界であっても、その痛みや怪我は現実とさほど変わらないほど高度な術による物。
確かにケイスは全身をばらばらに切り刻まれ激痛と共に一瞬息絶えていたはずなのに、怯えもひるみも無く平然と剣を構えている。
「うむ。痛かったぞ。しかし避けられなかったのだから痛いのは当然だ。何を言っている」
龍が聞きたいのはそんな事では無い。
何故あの痛みを受け入れ正気でいられると問いただしているのに、ケイスの答えは龍ですらも凌ぐ意味不明な答えだった。
『無駄ですよ父上。その者に常世の常識を説いても。我が末にして、我ら龍すらも凌ぐ怪物ですがゆえに』
呆気にとられている龍を慰めるように、何者かが龍に話しかけてきた。
いつの間にやら龍とケイスの間に一人の女性が立っていた。
年の頃は30過ぎの涼やかな美女は龍と同じく透き通った青色の双眸と同系色でゆらゆらとたゆたう衣を纏い、人外の雰囲気を醸し出している。
「ふむ。どうした来ないのか? つまらんぞ」
しかしケイスには姿が見えていないのか、女性に反応しておらず、反応しない龍に対して頬を膨らませていた。
『貴様か。よくも我の前に顔を出せたな。親不孝な娘が。しかも人の身で現れるとはどういう了見だ』
龍はばつが悪そうに顔をしかめると、ケイスを無視してその美女へと呼びかけた。
だが突き放すように言ったその言葉とは裏腹に、その中には確かな愛情が含まれていた。
『父上の愛情を汚した我をまだ娘と呼んでいただけるとは、ありがとうございます。しかし父上。私は今はルクセライゼン帝国始母にして守り神ウェルカ・ルクセライゼン。この姿でいることをお許しくださいませ』
美女の名は龍王ルクセライゼン。
龍種が一種深海青竜の長にして、かつてルクセライゼン帝国始皇帝と共に、先代ルクセライゼンを討ち果たした帝国始母と呼ばれる存在。
彼の地であれば伝説と共に畏敬を込めて語られ、その存在が未だ存命であると知る僅かな者達からは生き神と崇められる超常存在。
「それにこちらの姿でないと…………久しぶりですね、ケイネリアスノー」
ウェルカがケイスにも認識できるように姿を現すと、ケイスは心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「おぉやはり始母様か。なんだ龍の姿では無いのか? あっちの龍も始母様の仕業なのだろ。早く始母様も龍の姿になれ。龍二体を相手に戦えるなんて楽しみだ」
しかしケイスにとっては祖母の祖母のそのまた祖母のさらに先のご先祖様であろうとも、国で神としてたたえられるような存在でも、所詮は身内の一人で、龍冠内で出会って以来、戦闘訓練という名で遊んで貰った強い龍というぞんざいな扱い。
さらに自分の今の状況を考えれば、例え始母といえど敵以外の何物でも無い。
なら戦うのみ。
龍一体にすら勝ち目が無いというのに、二体を相手に戦おうという、その精神は正直言って正気の者ではない。
しかしウェルカにとって、ケイスの言動は予想できたことだ。
この戦闘狂にとって絶対種龍は最高の好物なのだから。
「あの娘の戦闘意欲を刺激して話になりませんので。貴方に仕掛けたのも私の身内だと判断しての条件反射ですよ。この娘は、私が龍の姿で現れれば自分を連れ戻しに来たと思い挨拶代わりに斬りかかってまいりますので」
相手が龍だろうが、遠い先祖の始母だろうが関係ない。
自分の行く道を遮るなら打ち砕くという、シンプルかつ直線的な脳筋思考な末娘の前に、本来の姿で来ていれば、このような挨拶をする間もなく斬りかかってきたであろう。
「さぁ早くやろう!」
お気に入りのオモチャを見つけた子供のようにワクワクと目を輝かせたケイスが待ちきれないというように剣を振り回していた。
「……お前どういう教育を施した」
「龍にすら臆すこと無く挑む胆力を育てるなぞ不可能ですよ。彼の迷宮神以外には」
ウェルカは極めて不本意だと、父であり、かつて打ち倒した先代龍王ルクセライゼンへと一応の弁明を申し立てると、改めてケイスへと向きなおり
「ケイネリアスノー。まず紹介したい方がいます。貴女が先ほど斬りかかったのは、我が父であり先代の深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンです。自らの祖には少しは敬意を持って接しなさい。私は貴女と戦うために来たのでは無……」
父である龍王をウェルカは紹介しつつ、ケイスの前に現れた理由を説明しようとするが、
「ふむ。理解した」
ウェルカの話の途中だというのにケイスはぽんと1つ手を打ち、深く頷いた。
頷いたケイスはそのまま顔をうつむけると、何故か小刻みに全身をぞくぞくと震わせている。
「ふん。ようやく我の偉大さに」
「龍王が2匹か!」
伝説の龍王と聞いて今更臆したかと嘲ろうとしたルクセライゼンにたいして、ケイスが突如顔を上げキラキラとした目でルクセライゼンを見上げて再度剣を構えると、
「うん! 名誉だ! よしやろう! 今やろう! すぐやろう! 構えろ。お爺さま! 始母様! もう理由などどうでもいい! 戦うぞ!」
目の前の龍が自分の遙か遠い祖先だとはっきりと自覚した上で、改めて決闘を申し込むという龍王達にも予想外の行動に出た。
興奮ぷりは先ほどの比では無く、歓喜を謳うように華やかな闘気を全身から放つ。
その様は尻尾が切れるほどに振り回しながら雪の庭を駆け回ってはしゃぐ子犬のような嬉しさと楽しさで溢れている。
ケイスのテンションが跳ね上がるのは、今までに無い強敵+それが身内だという嬉しさだ。
相手が身内ならばその出自を隠すために伏せていた自らの名を名乗り、決闘を挑むことに何らの支障は無い。
敬愛する父、母から受け継ぎし名を堂々と名乗れ、しかも相手は龍王が2体。
戦いこそが生き様。人生の糧なケイスにとって、これ以上のシチュエーションは存在しない。
あまりの嬉しさに全ての意識が戦闘へと極限集中していくのをケイスは感じ取る。
「フィリオネス・メギウス・ルクセライゼンが娘たるケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンの力を、お爺さま達の末の娘の力を見せてやろう!」
溌剌として凛々しい覇気と共にケイスは純粋で獰猛な満開の笑みを浮かべていた。
しかし決闘を申し込まれた龍王達は思わず顔を見合わせる。
「ウェルカよ…………この娘ひょっとしてアレなのか」
「えぇ……なんといいますか。アレです」
人の話を聞いていないや、通じていないとかという生やさしいレベルでは無い。
ウェルカ達が現れた理由などとりあえずどうでも良いから、強い存在がいるからまずは戦おうという結論に達するその思考回路が、常識外をひた走るにもほどがある。
一言で言えば『戦闘馬鹿』だ。それも度しがたいレベルの。
「…………我も長い年月を生きたが、我らより傲岸不遜で他者の言葉を聞かず、非常識な思考をする生物など初めて見たな」
娘のため息にいろいろな物を察したラフォス・ルクセライゼンは、改めて自らの血脈の末に生まれた者が、正真正銘の化け物であり、龍さえ超える者であるという娘の言葉に納得していた。