踏み台としたエイプキメラの最後の足掻きに不意を突かれぬよう、残心を残しつつもケイスは、次の狙いであるホークウルフへと意識を向ける。
鷲の上半身と獅子の下半身を持つ魔獣グリフォンの亜種であるホークウルフは、リトラセ砂漠の近辺ではポピュラーなモンスターだ。
大型犬ほどの体躯の背には大きな鷲の翼が生え、三対六肢のうち前足の先端は分厚い反しを生やす鷲のかぎ爪。
中足と後ろ足は太い肉食獣の腿に砂上に合わせ進化した長い毛に覆われた幅広い足裏を持つ。
この足を生かしてホークウルフは柔らかい砂の上を高速に駈る。
さらにこの勢いのまま高く跳ぶことで、リトラセ砂漠に吹く強風を捕らえて彼らは宙に舞い上がる。
もっとも特別区に出現する低位のホークウルフの飛翔能力は低く、自由自在に空を飛べる訳ではなく、長距離滑空がやっとといった所。
だがそれでも地上を這うしかない獲物からすれば脅威。
そんな彼らの武器は強靱な顎と口蓋にびっしりと生えた鋭い牙と、前足に生えた鷹の爪。
この武器を持って獲物の頭上から襲いかかるのが彼らの狩りだ。
だから地上にいる獲物相手はめっぽう強いが、逆に頭上と背後にはその狼の体と、巨大な翼が災いし死角が生じやすく、彼らより自由に空を飛べる鳥型モンスター相手には多少分が悪い。
エイプキメラを踏み台にして空中でさらに跳び上がったケイスは、その死角であるホークウルフの頭上を取っていた。
逃げていたはずのケイスが突如本性を現し牙を剥いた事にホークウルフは驚き戸惑っている。
それ故にケイスが見せた予想外の縦の動きに反応できず、ほんの一瞬だがケイスの姿を視界から見失っていた。それこそがホークウルフの敗因。
ここはすでにケイスの間合いだ。
手を伸ばせば届くほどの距離。
獲物であるホークウルフの頭部を逆さに見下ろしながら、拳骨がきしむ音をたてるほどに剣の柄を強く握りしめて剣へと闘気を注入。
瞬く間に剣は重量を増しつつ硬化していく。
新たに変化していく重心を捉えつつ、全身の細やかな動きを駆使して、ケイスはホークウルフを飛び越すはずだった空中軌道を無理矢理に弧を描くようにねじ曲げ落下体勢へと移行する。
その狙いはホークウルフの背中。空をかけるための翼。
視界に捉えた背の付け根めがけてケイスは渾身の力で刀身をたたき込む。
「ギャーオンッ!?」
ホークウルフの苦悶の叫びが砂漠の空に響く。
肉を押しつぶし、背骨を砕く感触を伝えてくる剣を携えてケイスはホークウルフの背中へと降り立った。
翼を叩きつぶされた上、さらに小柄で軽いとはいえケイスの体重+重量を増す羽の剣の重さが加わりホークウルフは大きくバランスを崩して、眼下を走る砂船トラクの甲板へと向かって墜落していく。
しかしまだホークウルフは絶命していない。
野生の獣よりもさらに獰猛な笑みを浮かべながら追撃を開始する。
剣に送る闘気を一時遮断。瞬時に軽くなった剣を素早く持ち上げ振りかぶってから、もう一度闘気を注入し重量化。
狙いを定める。
落下する生物の背の上など不安定な事この上ない。
だが剣を握る以上自分は剣士だ。
ならどこでも剣は振れる。
振れなくてはならない。
当然だ。
ケイスはその暴虐的なまでに頑なにして強固な意思の元に、理屈や常識を超えて剣を繰り出す。
狙い通りの軌道を描いた剣がホークウルフの首筋。その下に隠れた大きな動脈に牙を突き立てようとしたその直前、ケイスは左手に違和感を感じて舌打ちを漏らす。
「ちっ!」
左手に握っていた剣がケイスの制御を離れ、急激に重量を増大させはじめていた。その増加量は先ほどまでの比では無い。
闘気により身体能力強化を行っていても持ちきれない重さへと変化する前に、ケイスは剣速を無理矢理に上げる。
限界を超えた過負荷に左腕の筋肉と骨がきしむ感覚を感じながらもケイスは剣を振り切った。
硬度と切れ味を増した剣は、動脈を浅く凪斬るはずだったケイスの思惑を外れ、わらで出来た案山子の首のように、あっさりとホークウルフの首を切り飛ばしていた。
「むぅ!」
傷口より噴き出した血流が顔を直撃し目に痛みが走る。
嗅覚が生臭い血の臭いに染まる。
ケイスは顔をしかめうめきを漏らし、反射的に瞼を閉じそうになりながらも何とか、意思で押さえる。
目論見は違ったがホークウルフは殺した。
しかし敵はもう一匹いる。
敵の眼前で目をつむるような真似など出来るか。
背中越しに伝わってくる獰猛な殺気を感じながら、握り占めていた柄からケイスはあっさりと手を離して無手となり、背後へと振り向く。
振り返ったその視界は、臭気を伴う唾液を垂らすバジリスクの口蓋に埋め尽くされていた。
口蓋にびっしりと並んだナイフのような歯はケイスの肉体へと容易く突き刺さり肉をかみ切る凶器。
回避可能?
不可。
迎撃可能?
可。
生命危機に加速化した思考の中でケイスは最良の手を模索し、即座に決断し動く。
無手となった左手へと全身の闘気を注ぎ、その柔軟にして強靱な肉体を最大稼働させて無理矢理な体勢でホークウルフの背を蹴り、自らバジリスクの口蓋へと上半身を飛び込ませることで僅かな間を作り出す。
バジリスクがその口を閉じる前に頭蓋に収まる脳へと向けてケイスは闘気を込めた抜き手の一撃で撃ちはなった。
斜めに一刀両断されて上半身の猿と下半身の蛇に分かれたエイプキメラが臭気を伴う内蔵をまき散らしながら落ちる。
羽を根元から切り潰された上に切断された首から鮮血をまき散らしながらホークウルフが落ちる。
バジリスクと、その口から下半身だけを覗かせた少女が鋼鉄製の甲板に重い衝撃音を伴いながら落ちる。
すぐ目の前を三者三様の有様でモンスターが落ちていった有様に、見張り台に立って動きを追っていたボイドはただ呆れかえり、何が起きていたのかすらも判断が付かないラクトは呆然と甲板に広がる地獄絵図を見ていた。
斬り潰された獣の死体が散乱しているのもあれだが、一番正気を疑いたくなるのはやはりバジリスクだ。
端から見ればケイスが、バジリスクに食われているようにしか見えない光景。
だがどうにも早く助け出さなければと焦る気持ちになれない。
ケイスがどのような状態でも戻ってきても、焦りも驚きも覚えないほどに、ここ数日の狩りで感覚が麻痺していたからだ。
現にケイスはもぞもぞと動くと、痙攣するバジリスクの口蓋からその体を引き抜いて、平然と立ち上がった。
「むぅ。べたべたする」
ホークウルフの返り血とバジリスクのべとついた唾液まみれになったケイスは、不機嫌そうに袖で顔をぬぐって落ちないことにさらに顔をしかめている。
命が助かった事に安堵の息をはくでも、敵を倒した事に高揚を見せるでも無く、それが当たり前だという態度だ。
「子グマ。体を動かしておけよ。こいつの目が覚めたら私が説得するからそれから鍛錬開始だ。気を抜いた顔をしているな。怪我をするぞ」
いくらぬぐっても落ちないので諦めたのかケイスは血まみれのままで見張り台を見上げると、その先天的に偉そうな傲慢な口調で早く降りてこいとラクトを促した。
「あ……お、おう! お前に言われなくても判ってら!」
ケイスの常識外の行動と戦闘力に呆気にとられていたラクトだったが、その人の神経を逆なでする物言いに正気を取り戻して、怒鳴るように返事を返して見張り台から降り始める。
「ラクト。頑張れよ」
化け物じみた……というか正真正銘の化け物であるケイスの戦闘を間近に見ても、いまだ敵愾心を持つのだから、ラクトも気が座っているといえば座っているとボイドは感心気味に激励の声を送った。
「ボイド。剣はどこだ?」
ケイスがホークウルフと共に落ちてきたはずの剣の所在を尋ねる。
しかしその声はなぜか険しい。
まるで親の敵の所在を尋ねるように怒りが込められていた。
一体ケイスが何に腹を立てているのか判らない、というよりも、ケイスの心情を完全に理解するのは無理だとボイドは諦めている。
見た目は可憐な少女そのものだが、その中身は全くの別種。
所謂化け物の類いだとボイドはここ数日で理解したからだ。
妹のセラがケイスを普通じゃないと苦手とし、嫌がる理由も今なら理解できる。
もっともケイス本人に悪意や害意があるかといわれると、それもまた微妙。
なんというか基本的にこの化け物は傲岸不遜で傍若無人でありながら、無邪気でお人好しなのだ。
「そこだ。にしてもすげーなケイス。よくあれだけ動けるな」
ボイドは少し離れた甲板に落ちていた剣を指さしつつ、呆れ交じりに賞賛を送る。
ヴィオンのように自前の翼があるわけでないのに、ケイスは空中戦を一瞬とはいえ演じて見せるのだからこの感嘆も当然だろう。
相手を踏み台とし高さを維持し、手足の振りと闘気剣による重心変化をもって軌道を無理矢理にねじ曲げる。
非常識でかつ高難度の身体操作能力を持って行う空中近接戦闘は、天才故の技量を持ってして初めて成し遂げられる。
近接戦闘を司る赤の迷宮を重点的に踏破しているボイドであったが、そのセンスは真似できそうにないと素直に脱帽するしかなかった。
「むぅ失敗を褒められても嬉しくない……………」
ケイスはボイドの言葉に眉をしかめ答えて、甲板の隅に落ちていた剣の元へと歩み寄る。
その心は不満の極致で、ひたすらに不機嫌だった。
相手の動きを全て自分の予想範囲内に止めて、状況を支配する。
その速く異常な思考の所為で、他者からは本能任せの行き当たりばったりに剣を振っているように見えるかもしれないが、己を知り敵を知り、効率的な剣捌きによって勝ちをもぎ取る。それがケイスの基礎である。
自己採点するならば今日の戦闘は、途中までは思惑通り進んでいた完璧な出来だったが、最後の最後で意図を外れ低評価となってしまった。
血に汚れる事も、不快なバジリスクの唾液まみれになる事もケイスの計算の中にはない。
このような無様をさらしてしまった原因はただ一つ。
ボイドが指し示した場所に落ちていた羽の剣を拾い上げたケイスは、その釣り気味な目で、剣を強く睨み付ける。
つい先ほどまでの鋼鉄の硬度と大岩のような重量感は消失して、また鳥の羽のような重さと柳の枝のようにしなる不思議な状態へと剣は戻っていた。
剣のこの姿が余計に腹を立たせる。
お前には自分を使える技量が無いと剣から馬鹿にされているように、ケイスは感じ取っていた。
ケイスが借り受けている闘気剣。
通称『羽の剣』には性質変化と重量加減という二つの能力が存在する。
見た目だけならば長さもその厚さも通常のグレートソードクラスで、ケイスの身長とほぼ同じくらいだ。
しかし明らかに金属の光沢と艶がある刀身なのに、使用者による闘気の注入が無い状態では、剣全体で計っても鳥の羽一枚分ほどの軽さしかない。
刀身もまるで飴細工のようにグニャグニャと曲がり使い物にならず切れ味など皆無。
まさに奇っ怪な品。
だが一度闘気を送り込めば、刀身は硬質化し剣全体が重量を増し、重く固い大剣としての鈍器の強さと、剃刀のように鋭い刃が姿を現す。
逆に闘気を遮断すれば剣は瞬く間に重さを無くし、ゴム板のようなグニャグニャと曲がる基本状態を取り戻す。
闘気による硬度・重量変化。
これが羽の剣の持つ最大の特徴であるが、同時に致命的な欠点でもあった。
送り込んだ闘気が一定の量もしくは時間を超えると、剣の質量加減と硬質化の変化量が不規則に変化するのだ。
突如使用者が持ちきれないほどに重量を増したかと思えば、次の瞬間には霞を掴むような軽量へと変化する。
打ち込んだ刃が途中で軟化しぐにゃりと曲がり跳ね返されたかと思えば、そこから再度硬化して使用者に跳ね返ってくる。
己を剣士と定めるケイスすらもその不規則変化の法則を未だ把握できておらず、扱いに苦労していた。
もっとも欠点の原因そのものについては、ケイスはその野性的な勘と、偏りながらも持ちうる武具知識で大まかな見当を付けている。
闘気剣とは生体素材を用いて特殊能力を付与した剣だ。つまり迷宮モンスターの肉体が使われている。しかもこの剣を仕立てた鍛冶師は、名工揃いのドワーフたちの王国『エーグフォラン』の枝もしかすれば本筋かもしれない。
エーグフォランの鍛冶師達は、生み出す武具に己が魂と素材となる者の魂を込める秘技を持ってして、世界に名をとどろかせる名剣、魔剣を無数に生み出してきた。その工法で作られたであろう、この『羽の剣』は魂を持ち生きている。
この剣に宿る魂が、ケイスを使用者として認めていない。それどころか隙あらばケイスを葬り去ろうとしてくる。
有り体に言えば、この『羽の剣』は呪いの剣だ。
しかし呪われた剣であろうとも、剣士たる自分に使いこなせない剣があるなど許せない。
それがケイスの怒りの原因だった。
「私の言うことを聞けといっただろ。私は類い希なる才をもつ剣士だ。その私が使ってやるのだ感謝して言う事を聞け。貴様が元はなんだったかなど私の知るところでは無い。だがお前がそういう態度ならこっちにだって考えはあるぞ」
剣へと語りかけ始めたケイスは傲岸不遜な恨み言をこぼしていたが、言っているだけでは我慢できなくなり、そのまま刀身へ噛みつきがじがじと歯を立てる。
まるで犬が上下関係を決めるかのようなその姿は野生の獣。
黙っていれば花も恥じらう美少女といえるケイスなのだからギャップが激しすぎる。
巫山戯ているとか八つ当たりならまだ良いのだが、ケイスは真剣そのものだ。
剣にすら自分の我を通せると信じてやまない。
「いいふぁ。わたふぃをふぇったいみとめふぁふぇてふぁるふぁらな」
凍えていた体を動かす準備体操を始めていたラクトや、倒れ込んで気絶したままのバジリスクを監視していたボイドも、剣相手に喧嘩を始めだしたケイスにさすがにかける言葉が思いつかないのかあきれ顔を浮かべている。
しばらく剣を噛んでいたケイスだったが、その腹がきゅーっと鳴って空腹を訴えた。
どうやら剣に噛みついて咀嚼行為をしているうちに刺激を受けた体が、空腹を訴えだしたようだ。
一度空腹に気づくと、どうにも我慢が出来ない。
ましてや戦闘を終えたばかりな所に、全身に付着したホークウルフの血がケイスの肉食獣的本能を刺激して肉を求める。
剣から口を離したケイスは立ち上がると、甲板に散らばったままのエイプキメラとホークウルフを一瞥する。
先ほどまで温かい血煙の蒸気を立てていた二匹の死体は、極寒の砂漠に急速に熱を奪われて冷えて固まりだしている。
「ふむ……猿と狼。どっちが美味しいんだろう……なぁボイド! 狼と猿どちらの心臓が生で食べるなら美味いんだ?!」
「いや、食った事ねぇし。っていうか食うなよ、不味いだろ」
「そうか? 私は好きなんだがな」
自分の志向が異常だとは微塵も思っていないケイスは完全に冷え固まる前に切り出して食べ比べして見ようかと考えていたが、新たな気配を感じて背後を振り返る。
「…………あんたねぇ。お腹がすいてるからって、いくら何でもその選択肢はないでしょ」
いつの間にやら甲板へと出てきていたルディアが、ボイドに問いかけた声を聞いて頭痛を覚えたのかこめかみを押さえながら注意する。
「ルディか。しょうが無いだろ。ラクトの鍛錬を見なければならないから甲板から離れるわけには行かないんだ」
「……はいこれ。顔と手ぐらい拭きなさい。あとミズハさんから料理をもらってきたから、食べるならこっち食べなさい」
ルディアはタオルをケイスへと投げ渡すと、料理が盛られたプレートを掲げて見せた。
皿に盛られた肉料理のほどよい香辛料の香りがケイスの鼻腔をくすぐる。
「ん……ん。そっちにする。やっぱりルディは良い奴だ。ありがと。だから好きだぞ」
少し考えてからケイスは料理を持ってきてくれたルディアに対して、好意だけをこめた無邪気な笑顔を浮かべて礼をいう。
「血まみれな顔で好きだって言われると、なんかあたしが好物みたいだから嫌なんだけど」
ケイスが浮かべるあけすけな笑顔に対して、ルディアはここ数日で何百回目になるか判らないため息で答えた。
ちょっと他を書いていたら遅れましたが、こちらもぼちぼちと参ります