「お前の所属するファンリアキャラバンはカンナビスから西に向かうのだろう」
永宮未完特別区である北リトラセ砂漠を抜け、目的地であるトランド大陸中央部へと至る山岳都市カンナビスへは、順調に進めばあと二週間弱で砂船トライセルは到着する。
ファンリア達のキャラバン達はカンナビスから本拠地であるグラサ共和国のある西方向へと向かう。
「この………てめぇ……」
「だから私の目的地とは真逆だ。砂船では狭いからカンナビスで決闘を行うとして、そこまで訓練期間に当てても二週間足らずしか無い。だから時間を有効に使うぞ」
一方でケイスの最終目的地は、トランド大陸の東の果てにある。
一秒でも時間が惜しいと朝食をほとんど噛まずに飲み込むように手早く終えたケイスは、左手でラクトを”持って”、食堂と同じ階層にある図書室とプレートか掲げられた部屋へと場所を移した。
図書室と言っても町中にあるような、本棚で埋め尽くされた部屋ではない。
本棚は壁の一面に埋め込まれた小規模な物で、その棚に並んでいるのも周辺の地図と近似情報冊子や、乗客が寄贈していった娯楽小説の類いなどがばらばらに並ぶ。
ほかには4人掛けの丸テーブルが3脚置かれており、小遣い程度の小金を賭けてゲームを行う娯楽室や雑談室を兼用した多目的室といった方が本質だろう。
ラクトと怪我の所為で両腕がふさがっているケイスが右足を蹴り上げて扉の取っ手につま先を引っかけて引き戸を開けると、室内からは昨夜の煙草の臭いが漂ってきた。
不快な臭いにケイスは眉を微かにひそめる。
愛煙家なら気にもならず、禁煙家でもあまり五月蠅く言わないレベルの香りだが、ケイスの過敏なほどの嗅覚は、その微かな残り香を敏感に感じ取っていた。
普段なら気分を害して場所を変えるのだが、今はここ以外に適した場所はないので我慢してケイスは部屋に入り一番手近なテーブルへと近づく。
扉を開けたときと同じ要領で、右足を椅子の足に引っかけて引き出してラクトを置いてから、右の椅子も引き出して自分も腰掛ける。
とりあえず説明から始めようかと思った所で、ケイスは先ほどから気になっている事を尋ねるためテーブルの対面へと目を向け、
「そういえばなんでルディもついてきたんだ?」
「ぐぅっ……だっ……いい加減はな……」
同じテーブルへとついたルディアへとケイスは尋ねた。
ラクトの父親であるマークスとなにやら話していた所為でルディアはまだほとんど朝食に手をつけていなかったはずだ。
そんなに小食だったろうかと、首をかしげるケイスをルディアはじろりと睨む。
「あんたに遠回しの言い方をしても通用しないから、はっきり言うけど見張り頼まれたの。何をしでかすか分かんないから……もうやらかしてる気もするけど」
ケイスの疑問に答えながらルディアはケイスの横の座席に置かれたラクトへと同情の視線を浮かべる。
止められないであろうケイスの暴走を見越していたマークスから、ルディアはフォローを頼まれていた。
本来なら父親であるマークスがケイスの暴走の被害者となった息子の身を按じるべきなのだろうが、マークスがこの場にこれないのはちゃんとした理由がある。
それはここ数日ファンリア商隊の者達は総出で倉庫の積み荷を確認しており忙しいからだ。
原因はこれまたつい先日のサンドワームの襲撃。
サンドワームの砂弾によって大穴が開いた倉庫に搬入されていた商品の被害状況や、船中に巻き散らかされた魔力吸収物質による魔具の不調が無いかを調べるため動き回っており、ケイス達に付き合う暇はなかった。
顧客に不良品を掴ませたとあっては商人としての信頼にも関わる重要な問題。
しかしケイスに巻き込まれた息子も心配。
その板挟みに遭ったマークスの代わりにケイスを監視する役目になったのが、ルディアであった。
確かに初日の襲撃以来は薬師としての仕事はセラへ渡す触媒制作以外は、特に病人や怪我人もおらず、確かに暇と言えば暇なのだが、なんであたしがとルディアはつい思ってしまう。
しかもいつもだったら割り当て時間ぎりぎりまで食事をたっぷりと取るケイスが、今日に限っては席に着いたかと思えば、流し込むように食べてすぐに席を立った所為で、ルディアはほとんど朝食をとれていない。
中途半端な食事に胃が余計刺激されて文句を申し立ててくるが、ケイスを放っておくのはもっと胃に悪い。
何せ訓練という名目で何をやらかすか判らない異常者だからだ。
「がっ……こ、この……くそ……」
「心配性だなルディは。生命力を消費した子グマ相手にいきなり実技稽古をつけようなどと思わないから安心しろ」
「あんたの行動見て安心しろって相当無茶だから……ともかくまずラクト君を離しなさい。ったく首筋に触れただけで麻痺させるなんてあんた本当になんなのよ」
「くっ……いいかげんに……」
「ん~そう難しくないぞ。闘気を遣った束縛術だからな。さっきのクマにも使ったやつだ」
、
ラクトがあげていた拘束に対する抗議の声を、他意も悪意ないが自然と無視していたケイスは、無造作に答えてからラクトの首筋へと触れさせていた左手を離した。
「っが!?」
ケイスの左手が離れた瞬間、ケイスの手から逃れようと力を入れていたラクトは楔が外れた振り子のように頭を前に勢いよく振ることになり、堅い木のテーブルへとしたたかに額を打つ羽目になった。
砂船中に響いたかのような大きな音にルディアは哀れすぎたのか言葉をなくすが、ケイスだけは気にもしていない。
痛みで悶絶するラクトの襟首を掴んで無理矢理引っ張り上げて起こした。
「……あっ痛ぁっぁ…………」
「ん。大丈夫か? まぁ、いい時間がないから起きろ。おまえが私に決闘で勝利を得るために教えてやるんだからちゃんと聞け」
ケイスは実に傲岸不遜な言葉使いとは裏腹にやたらと嬉しそうな笑顔で額を押さえるラクトの顔をのぞき込んでくる。
「ふ、ふざけんな! これ以上付き合ってられるか!」
「お前を拘束して無理矢理に聞かせることも出来るのだぞ。だから無駄な抵抗はあきらめて私に教わり決闘をすると言え。言わないなら本意では無いが私を殺したくなるほどに恨むほどの事をするしかなくなるぞ。そうすれば決闘せざる得ないだろ」
「おまっ!?」
ケイスの顔は冗談を言っている表情では無い。
気乗りはしないが仕方ないとため息をつきながら、そのつり気味な目でラクトを見据える。
獲物を前にする肉食獣のような心胆寒からしめる目は、黒さと深さを増して、まるで闇のようだ。
「あ、あんた……ほんとバカよね」
ケイスの脅迫に呆れて絶句したルディアが思わず漏らした言葉にケイスの目が色を取り戻す。
「むぅ。ひどいぞルディ。私が子グマに力を貸してやろうと言っているのに嫌がるんだぞ。失礼じゃないか。人の厚意を無にするのはだめなんだぞ」
「失礼とか厚意って言葉の意味を調べてこいこのバカ。あんたラクト君が好きになったとか言ってるけど、言ってることとやってる事が真逆でしょ」
「どれがだ?」
ケイスには言動やその存在も含めて一般的な常識が通用しないのはここ数日で嫌というほどルディアも判ってはいるが、それでも早々と慣れる物では無い。
「不思議そうな顔すんな。あんたのやることなすこと全部だっての。普通は好きな相手を脅迫なんてしないの。ともかく無理矢理は駄目。ちゃんラクト君に同意を求めなさい」
「……ルディがそう言うなら判った」
疲れ切った表情を浮かべながら言い聞かせるルディアに、不満げながらもケイスは頷き返す。
ルディアはついでラクトへと目を向けた。
「ラクト君も嫌だろうけど話だけでも聞いてみて。無茶だったら止める。この子、動物と同じで大抵ご飯で言うこと聞かせられるから何とかなると思う。そういうわけだから……あんたこれ以上無理矢理なんかしたらセラギさんに言ってご飯抜きにするから」
傲岸不遜であるが変な所で素直なケイスの相手は同じ人間相手ではなく、犬の躾けと同じような物だと思った方が早い。
理解するまで根気よく付き合い、叩いて躾けるか、餌付けで言うことを聞かせる。
空腹であればサンドワームでも食べるその食性と、料理長であるセラギやその娘であるミズナへの懐き具合から、ケイスが食事に重点を置いていることに気づいたルディアが見いだしたケイスへの対処法の一つだ。
「うー。御婆様と似たようなこと言うな……ご飯をちゃんと食べないと力が出ないんだぞ」
ケイスは不満げにうなりながら小声でつぶやいているがその声は小さすぎてほかの二人には聞こえない。
だが意気消沈したような様子から、ルディアの対処法が効果があることは一目瞭然だった。
「子グマ。決闘を受けろ。お前に勝たせてやりたい。もし嫌なら諦めるがそれでも闘気の使い方だけでもしっかり学べ。そうでないと後から矯正するのに手こずるぞ。だから私に教えさせろ。頼む」
拗ねたように頬を膨らませていたケイスはラクトに向き直ると、先ほどまでと同じような真剣な表情を浮かべながら、内容は一転した懇願を述べながらテーブルの上に頭を下げた。
生意気で鼻につく言動ばかりで他人に対して感謝するとか謝るとかの言葉とは無縁だと思っていたケイスが、頭を下げた事にラクトは驚く。
ケイスを嫌っているラクトすらもこの態度には認めざる得ない。
本気で自分自身に勝てる戦い方を教える気なのだと。
「ちっ!…………わかった。聞いてやる」
ケイスが父親であるマークスを認めていたと言われても信じる事が出来ない。
罵倒にしか聞こえない暴言がほめ言葉だったなんて思うことが出来ない。
年下の少女であるケイスに喧嘩を売っていいようにあしらわれて、その原因が思い違いだったとは認めることが出来ない。
ケイスに対して覚える強い反感と敵意は一切和らいではいないが、ラクトは不承不承ながらも頷く。
「うん! そうか。ありがとう」
顔を上げたケイスは睨まれていることは一切気にせず、見惚れるような満開の笑みを浮かべ嬉しそうに礼を述べた。
ラクトが受けてくれた事が心底嬉しいようだ。
「でも聞くだけだからな! 俺は許してないし、お前の言ったことなんて端から信じてな」
「よし時間が無い。今日はお前の調子が悪いから実戦訓練は無理だから、私に勝つための基本方針から早速決めるぞ。書く物を借りてくるからちょっと待ってろ」
その後に続くラクトの言葉など一切聞かず、自分の言いたいことを一方的に言い終えて筆記用具を取りにいくと図書室の外へとケイスは飛び出していった
「いんだ…………ぜ、絶対殴る! あいつ絶対泣かす!」
「なんであんたはそこまでマイペースなのよ」
突きつけた指と改めてあげようとした敵対宣言を無視されたラクトは、行き場の無い怒りに指をぷるぷると震わせ、ルディアは一体何を教えるつもりなのかと強い不安を覚えながらも止まらないだろうとあきらめの息を吐き出した。
「うむ。それでは子グマ。なんか不機嫌だなどうした? ……まぁいい。まずはお前と私の違いからはっきりさせよう」
ぶっすとむくれているラクトを不思議そうに一瞥してから、ケイスはテーブルの上に置いた紙二枚に左手で握った鉛筆を走らせ、共通文字で自分たちの名前を書き出す。
共通文字は暗黒時代と呼ばれた時代に言葉も文字も異なる全世界の知的種族が滞りなく共同戦線を張るために、規格統一され広まった文字だ。
商売における利便性や情報伝達の面から全世界で通用する言語の利点は高く、今では公用語は共通言語とし、元から使っていた言語を第二言語とする国がほとんどとなっている。
「お前の場合は、闘気を意図的に増加させて身体強化を使えるのは良いが配分が下手だ。そして体捌きに無駄が多く力を無駄にしている。動作も荒く読みやすく単調だ。おそらく闘法や剣技もちゃんと習ったことは無く、見よう見まねの我流だな。はっきり言ってこの程度の実力で、私に喧嘩を売ってくるとは死にたいのか、この愚者はと最初は驚いた」
ラクトの名を書いた紙に続いて上げた欠点を箇条書きでどんどん書いていく。
その評価は辛辣そのもので、ケイスの主観もバカ正直というべきか口さがない。
「……おい。馬鹿にしてるだろ。お前」
「一方で私の方は今は療養に力を入れているので身体強化は最低限だったが、お前の攻撃行動程度なら、先読みし最小動作で躱すだけの俊敏性と、意図を読ませない予備動作を可能とし、剣戟限定でも組み立て方次第で無限の攻めが出来る。そして拳技と剣技もちゃんと流派を習得して、実戦経験にしても十年ほどある。私自身はまだ納得できるレベルで到底無いがそれでも子グマ程度なら簡単にあしらえる」
「だから! ちょっとまてこら」
「……もっと歯に衣を着せなさいよ。ていうか、あんた今13才とか言ってたでしょ」
「うむ。2才の誕生日から戦ってきたからな。だから十年近くで問題ない」
明らかに異常な話だが、ケイス自身は異常だと思っていないのか平然としている。
怒気が思わず抜けたラクトは横のルディアに慌てて耳打ちする。
「ルディア姉ちゃん何!? こいつは何を言ってんだよ?!」
「あたしに聞かないでよ。この子の記憶違いって思っときなさい。真面目に考えると頭が痛くなるから」
2才の頃をちゃんと覚えている者などほとんどいないだろう。
ケイスの記憶違い、もしくは覚えていても戦いという名目の遊びの記憶だとルディアも思いたい。
だが食堂で見せたケイスの化け物じみた記憶力と有する戦闘能力から真実ではないかという思いも抱きながらも、己の精神安定のためにルディアは口だけでも否定する。
「どうした二人とも? ともかくだ現状で子グマと私との力の差は経験も含めて歴然。正直言ってたった二週間で剣で私に勝つのは無理だ。諦めろ」
「…………か、勝たせてやるだの散々偉そうに言っておいてそれか。結論」
真面目に聞こうと思ったのがやはり失敗だったか。
本人の意図はともかくとして、わざと人を怒らせようとしているかのようなケイスの言動に対して、いい加減むかっ腹が限界に来ていたラクトが拳をぷるぷると握りしめる。
こうなったら死んでもいいから絶対殴り飛ばしてやるラクトが椅子を蹴倒して席を立つとケイスが呆れ顔を浮かべた。
「最後まで人の話を聞け。せっかちな奴だな。剣ではと言っただろ。確かに私とお前では覆せない実力差はある。しかし私には明確な弱点が一つある。それを突かれれば、誰が相手でも絶対に敗北するほどの弱点だ。だからお前は私の弱点を攻める戦い方をすればいい。そうすればお前は私に勝てる。本当なら弱点は吹聴する物では無いが特別に教えてやるんだ。だから座って聞け」
「ちっ! んだよその弱点ってのは」
父親のことを抜きにしても、ここまで言われたらケイスに一矢を報わなければ腹の虫が治まらない。
ケイスを殴り飛ばすためにケイスの言うことを聞くのは、この上なくしゃくだが胸のむかつきを我慢して舌打ちをしてラクトは椅子を引き上げて座り直す。
「お前がせっかちだから端的に言おう。私の弱点は魔力変換障害者であること。つまり魔力が無いことだ。ここを突けば戦い方次第で誰でも私に勝てる」
「はあっ? 魔力無いのが弱点って。俺だって魔術なんて使え…………ってルディア姉ちゃんどうしたんだよ?」
だがラクトからすればそれがどうしたという話だ。
ケイスが言うのは魔力が無いから魔術を使えない程度の認識だったが、左隣のルディアがぽかんと口を開けていることに気づく。
「あぁ……そっか。あんたそうだったわね。言われるまできにしてなか……った……って!? あんたそんなんで探索者になるつもりなの!? 死ぬつもり!? 止めなさいって!」
呆然としていたルディアだったが徐々にケイスの言う弱点が本当に致命的な欠点であることに気づき驚愕する。
ケイスは探索者になるためにトランドへ来たと言っていたが、冷静に考えてみれば魔力変換障害なんていう致命的欠点を持つ者が探索者になろうなんて自殺行為もいい所だ。
いくらケイスが驚異的な力を持っているとしても覆しようが無いと考えるルディアに対し、
「心配するな。私とてこの弱点をいつまでも放っておく気はなかったからな。だからラクトとの決闘はある意味では私にとっても僥倖だ。弱点を突く相手に対してどう対処すべきかを考えるいい機会だ。でも心配してくれてありがとうだ。ルディはやはりいい奴だ。うんだから好きだぞ」
ケイスはそれがどうしたとばかりに笑って答える。
「そんな簡単にすむ問題じゃ無いでしょ!?」
「意味がわかんねぇんだけど……魔術が使えない探索者って下の方には多いだろ。初級探索者なんて魔術師以外ほとんど使えないっていうし」
ラクトからすれば何がそこまで問題なのか全く理解できないのだが、ルディアの驚きようからよほどの大問題であることだけは判ったようだ。
「あ! あ、あ……えとごめん。意味が判らないよね。なんて言ったらいいかっていうか」
「ルディ。実際に見せた方が早い。ロープ系の術は使えるか。無触媒、陣無しの簡易詠唱……そうだな。出来たら単唱で頼む。その方が判りやすい。出来るか?」
「出来るけど。でもあんたそれ……あーもういい。荷縛り用のマジックロープでいいわね」
ケイスの意図を察したルディアだったか微かに不審げ目を浮かべたが、すぐに頭を振って浮かんだ疑念を追い払う。
マジックロープの術は読んで字のごとく魔力を紡いでロープ代わりとする初歩術。
それこそ薪拾いやらゴミ捨てなどの時の一時的運搬に使うのに適した術だ。
「うん。それでいい。子グマ。人差し指と中指をぴったりとくっつけて立ててルディの前に差し出せ。こんな感じだ」
「いちいち偉そうだな……こうか」
ケイスの命令口調にいらつきながらもラクトはケイスの作った剣指をまねて右手の指を立ててテーブルの上に差し出す。
「…………いいわよ」
しばし意識を集中させてからルディアがラクトの伸ばした指の第二関節の上に己の人差し指を当てる。
「結束」
簡易詠唱の中でも最も短い、一つ単語のみで形作られる単唱をルディアは唱えながら人差し指で線を描くように関節の部分で指を一周する円を描く。
ルディアの人差し指が通った後には、光で出来た細い線が一瞬だけ生み出される。
ロープと呼べるほどの太さは無く精々細糸。
しかもすぐに霧散していき形をなすことは無い。
「それでは次は私だ。ルディ頼む」
「はいはい。あんたほんとに人あごで使うわね……結束」
次いでルディアは同じようにケイスの左手の指に輪を描く。
すると先ほどラクトにやって見せた時とは違い、ケイスの指の上には一つ繋がりとなった先ほどよりも太い光の輪が生まれその細い指を縛り上げた。
「さて子グマ。この違いの意味は判るか?」
結束された指をあげてラクトに見せながらケイスが問う。
魔術に対して疎いラクトでもさすがにこの明らかな違いは判る。
「俺の時は失敗して、お前の時は成功したって事か?」
「うん。そうだ。生命という存在は基本的に大小の差はあれど魔力を有する存在だ。魔術が使えないから魔力が無いといういうわけでは無い。微量だが普通なら自然と魔力を生み出しているんだ。そしてお前の持つ魔力がルディの魔術に干渉し術を無効化した。最も無効化できる程度に術の精度をルディに下げてもらっていたからだがな」
「私の今の実力じゃマジックロープ程度の初歩術でも無触媒、無陣、単詠唱じゃ失敗して当たり前だってのに。あんたほんとに魔力無いのね……ラクト君にも判るように今やったのを簡単に例えると、釘も道具も使わないで設計図も無しに椅子を組み立てるような物って感じよ」
ルディアの挙げた例は要は材料である木材(魔力)を何の加工もせず釘なども用いず(触媒)設計図(陣)も無しで作りあげるような物。
組み上げる形だけは言っているが(詠唱)、それも大きいとか小さいとかどんな形ではなくただ漠然とした椅子(拘束)と指示しただけの物だ。
この上さらにラクトの持つ木材(魔力)が加われば、ルディアの意図した物を作り上げるのがいかに作るのが難しいか判るだろう。
「そうか? ルディは実力あると思うんだが。私が魔力が無い事を考慮しても上出来だ。まだ消えてないし、ちゃんと発動してる。ほら動かせないぞ」
「そりゃどうも」
ケイスは結束された二本の左指を力任せに開こうと腕に力を入れてみせるがびくともしない。
淡い光の輪がまるで鋼鉄のリングのように縛り上げていた。
「じゃあお前……魔術の影響を受けやすいって事なのか」
「うむ。私には魔力が無いので魔力攻撃に対抗する所謂、抗魔力が皆無だ。本来なら発動しない精度でも発動するし、無論ちゃんとした術なら影響も甚大。その上に影響時間も長い。もし先ほどルディが子グマにやった術が発動していたとしても、あの精度ならせいぜい5秒も持てばいい方だが、っと消えたか。丁度いい。だいたい2分といった所だ。このように効果も長く続く」
音も無く光の輪がケイスの指からすっと消えた。
縛られていた指を軽く振って開放感を感じてからケイスは改めて鉛筆を取り、自分の名前を書いた紙の後に弱点をすらすらと書き連ねていく。
「現状私が魔術攻撃を主とする相手に対抗する手段としては、使われる前に術者をつぶすか、術の種別。発動タイミングや効果範囲を読み切り、事前の回避行動を取るかの二つのみだ。しかも私は魔力を持たないために、剣を投げるや礫を飛ばすなどの対物理簡易結界で簡単に防げる遠距離攻撃以外は不可能だ。このためにどうしても術者に接近戦を挑まなければならない。術者が自分を中心とした範囲に妨害魔術を繰り出した場合は効果が切れるか、何とか接近する手を見いだすまで打つ手無しとなる……どうだ明確な弱点だろ」
書き綴ったケイスがなぜか自慢げに胸を張る。
自分の弱みをそこまで力強く語るその態度はどこか間違っていると思いラクトは呆れそうになる。
その一方でルディアの表情が少しこわばっている事に、会話に意識を取られていたケイス達二人は気づかない。
黙り込んだルディアのケイスを見る目には強い疑念が浮かんでいた。
「魔術を覚えろってことか? んなもの簡単に身につくわけ無いだろ。バカだろお前」
弱点を聞かされても魔術の一つも知らないのに意味は無い。
勝つために今から身につけろとでもいうのか。どこまで常識が無いんだこいつは。
未だありありとあるケイスへの反抗心からラクトがけんか腰に返すと、ケイスは眉をつり上げ頬を膨らませた。
「むぅ。馬鹿にするような目で見るな。失礼だぞ。そんな時間が無いのはわかっている。だから今回は戦闘用魔具を使え。転血石内蔵型の中位魔術系を十種類も使えば十二分に私と渡り合えるはずだ。それがお前の闘気制御にもつながる最善の手だ」
陣形、触媒、詠唱は魔術を構成する三主要素と俗に言われる。
魔具はその形状を持って陣形を形作り、素材に触媒となる物質を用い、刻み込んだ文字によって詠唱の代わりとして、持ち主が魔力を供給するだけで、魔術発動を可能とする簡易魔術道具だ。
だが一口に魔具と言っても、用途別にいくつもの種別に分けられる。
遠距離通信用魔具、点火魔具、灯火魔具などといった非戦闘用の生活魔具。
火、水、地、風などの各属性に分かれる攻撃魔術魔具。
幻覚や麻痺などの効果を持つ影響魔術に特化した戦闘補助魔具。
また動力である魔力供給手法によっても大きく3つに分かれる。
一つ目は使用者の有する魔力を使用する自己供給型。
自己供給型は発動が早く用いた素材の触媒としての効果が切れない限りは、本人の魔力が尽きるまで繰り返し使用可能。
また単一魔術使用に特化させれば構造自体が単純になるため、指輪や耳飾りなどの小物サイズでの制作が可能となり、コストパフォーマンスに優れたな品が多い。
欠点らしい欠点と言えば発動する術に見合っただけの魔力が術者に求められる事くらいだろうか。
二つ目は魔力を吸収する素材を用いて制作された蓄積型。
蓄積型はカイナスの実やリドの葉など魔力吸収特性を持つ素材を元に作られる魔具だ。
貯められていた魔力が終われば、使用不可能な使い捨てとなるが、比較的安価に作ることが出来るので、点火用魔具や灯火用魔具など生活魔具に多く用いられており、一般市民が魔具と言えばこれらを指すことが多い。
最後の三つ目が、迷宮永宮未完に生息するモンスターだけがもつ特徴である、魔力を含有した血を硬化処理して出来る転血石を内蔵した型だ。
これの利点は、内部にセットされた転血石内の魔力を再変換して用いるので、再変換機能を動かすための自力の魔力をわずかに必要とするが、使用者の実力以上の魔力を使用することが出来る事。
そして蓄積型と違い転血石さえ交換すれば繰り返し使用可能なことだ。
だが転血石を魔力変換するためのタイムラグが必要となり、それ以外にも自己供給型や蓄積型と比べて劣る点がいくつもある。
術の規模、難度によっては高純度転血石を必要とし、場合によっては転血石を一度で使い切ってしまうコストパフォーマンスの悪さ。
使用目的魔術以外にも転血炉の原型となった変換魔具としての機能を組み込む必要があり、それによる魔術同士の干渉を避けるために単一機能の魔具でも首飾り程度の大きさになり、術によっては杖や剣サイズといった大型化することになる。
結果、高純度転血石+大型化した事により重む材料費にともない、蓄積型や自己供給型の数倍から数十倍以上の高価な品となる事も多い。
「戦闘用内蔵型って……バカ高いじゃねぇのか。しかも最低十本ってそんなもんどうやって用意すんだよ」
父親のマークスは普通の武器商人であるため魔具を取り扱っていないが、商人見習いとして仕込まれているので内蔵型戦闘用魔具の市場価格くらい判る。
ケイスは簡単に言っているが最低でも一つ共通金貨で20枚くらいはする品だ。
やっぱりこいつは無理難題を言って馬鹿にしているだけじゃ無いかラクトが向ける疑惑の視線に対しケイスは笑顔で頷く。
「ふむ。そこはクマに用意してもらえばいいだろ。息子が父の名誉のために決闘をするのだぞ。喜んで用意してくれるだろ」
「ねーえよ。っていうかお前。やっぱりからかって遊んでるだけだろっ! どこの世界にガキにそんだけクソ高い物の買ってくれる親がいんだよ!」
「むぅ……そ、そうなのか? むぅ。ちょっと待て考える」
ラクトの指摘にケイスがすぐに眉根を曇らせてなにやら考え始めた。
どうやらラクトの指摘が本気で予想外のようで、いつもあまり細かいことは気にしない大らかというかおおざっぱなその顔にわずかながら困惑を浮かべていた。
予想外のケイスの反応にラクトも追求の言葉に詰まってしまう。
「……ふむ。魔具を使うのがお前が私に勝つための最低条件だから、そこは何とか私がする」
ほんの数秒だけ悩んだそぶりを見せたケイスだったがすぐに決断したのか力強く頷いてみせる。
しかし端から見ているラクトからすればケイスの自信ありげな態度の根拠は何もみいだせない。
こと金銭が絡んでいる問題をちょっと悩んだくらいで解決するなら苦労は無いのだが、ケイスの意識はこの問題は解決したとばかりにすでに次に移っていた。
「内蔵型魔具を使用するためには、起動用に少量だが魔力が必要なのは判るか」
「ほんとになんなんだよお前……それくらいは知ってる」
どうにも考え方や反応がラクトの知っている同年代の少年少女と違いすぎるケイスに対する不信感をぼやきながらラクトは頷く。
「ふむ。そのために意図的に魔力を生み出す感覚をお前には覚えてもらう。そうすることで結果的に闘気の制御にも繋がるからな」
ケイスはそう言うと新しい紙に今度はなにやら絵や文字を描いていく。
「子グマ。お前に闘気を高めるコツを教えたのは獣人か? それもおそらくハーフかクォーターだな」
「なんで判るんだよ……そうだよ」
実家の近くにある斡旋所に出入りしている顔見知りの若い探索者に、ラクトは無理を言って闘気の変換方法や使い方を教えてもらったのだが、その人物は確かに獣人のハーフだった。
ケイスにそんな話をした記憶は無い。
それどころか教えてくれた探索者に迷惑をかけると悪いので当人達以外誰も知らないはずの秘密だ。
「ん。呼吸法だ。闘気を高める際の獣人族特有の息づかいの亜種で判りやすい。ただそれはお前にはあまり向いていないから乱用は控えろ。そのやり方は短時間で一気に生命力を闘気へと変換することが出来るからとっさの時にはいいが、お前の生命力では少し長くやると生命力が簡単に尽きるぞ。つまりは死ぬ。それは人間と比べて強い生命力を持つ獣人やその血を引く者達だからこそ常時発動可能となるやり方だな。よし書けた。これを見ろ」
ラクトの疑問にすらすらと答える間も鉛筆を走らせていたケイスが書き上げた紙をラクトの目の前に置く。
紙には天秤の絵が描いてあり、それぞれの秤に闘気と魔力と書いてある。
「闘気と魔力。そして神術に用いる神力とは同じ生命力から変換して生み出す物だ。このうち闘気と魔力は生命体であるならば自然と生み出す。神力のみは信奉する神との契約である洗礼によって生み出すことが出来るようになる。そして闘気と魔力の変換のしやすさはこの図のように天秤の関係にある。闘気変換になれていれば魔力変換が難しくなり、逆もまたしかりだ。今のお前の状態はこのように闘気に傾いている」
ケイスは左手に持った鉛筆で天秤の針を指し示す。
天秤の針は闘気側に大きく傾いておりアンバランスとなっていた。
「そこに獣人式の闘気変換も加わり必要以上の生命力を一気に変換している。さらに変換した闘気に振り回されて、攻撃速度だけは早いだけでその大半が無駄になっている。私の見立てではお前の今の技量では半分も闘気があれば十分だ。というよりそれ以上はうまく使えない」
ケイスは自分が描いた天秤の絵に大きく×印をつけてその下に、今度は僅かに闘気側に傾いた天秤の新たな絵を描く。
さきほどまでのが9:1とするなら今度の絵は6:4位の割合となっている。
「そしてこれがお前の目指すべきバランスだ。この修正をするのに一番手っ取り早いのは、闘気変換に慣れた体へと魔力変換を覚えさせる事だ。そうすることで相対的に闘気変換能力を鈍らせて、魔具を使用する為の魔力を生み出すコツを覚えさせるというわけだ。さらに私の行うやり方での闘気変換のコツも教えるので今朝のような生命力急速消費状態になりにくい状態とする。ここまでが最低限の下準備だ。これくらいが出来なければ、子グマが天才たる私に勝とうなど到底無理だ」
「……い、いちいちむかつく奴だな」
どうにも癪に障るケイスの言動に一瞬むかつきを覚えたラクトだったが悪態をつくだけで席を立とうとしない。
ケイスはどうにも気にくわないがその説明はそれなりに判りやすい。
興味を引かれているといえばいいのだろうか。ケイスの説明へラクトは知らず知らずに引き込まれていた。
「今のところ変なことは言ってないわね。なんでそんな魔術知識に詳しいのか疑問だけど……でもあんた理屈は判ったけど、結局魔具をどうするのよ。あんた一文無しでしょうが」
ケイスが話す魔術知識は基本的な物でさほど難しくない。
だがそれは、魔術師として体系的にまとめられた学習をしたことを臭わせる理路整然とした物だ。
魔力変換障害者を自称するケイスがどこでこの魔術知識を身につけたのかルディアは疑問を覚えつつも、あえて深入りせず、別のことを尋ねる。
結局勝つ手段があってもその手段を用意出来なければ意味は無い。
「ふむ。そこは簡単だ。私が狩りをするに決まっているだろ。狩りで集めた獲物を次の街で売って資金とする。幸いにもここは特別区とはいえ迷宮内、そこらにいくらでも相手がいるからな。子グマの練習相手にも事欠かないですむし一石二鳥という奴だな」
自分の案が名案だと言いたげな勝ち誇った表情を浮かべるケイスの目は、狩りという自らの言葉に嬉しさを覚えキラキラと輝いていた。