夕日さすロウガ旧市街フォールセン邸正門前に、ロウガ治安警備隊水狼隊に所属するロッソとナイカの姿があった。
2人がフォールセンを訪れたのは、個人でルクセライゼンに宣戦布告というか喧嘩を売って評議会を混乱の渦に陥れた癖に、療養中と嘯いてフォールセン邸に引きこもるロウガ最悪の問題児ケイスに、ロッソとナイカが呼び出されたからだ。
「ったく人が疲れてるってのに、軽々しく呼びつけてくれるさね」
ぼやくナイカはあくびをかみ殺す。
強大なガーディアンが存在する地下水路最深部を突破して、未知迷宮群を探索し深夜に帰還後、そのまま評議会に提出する報告書作り。昼過ぎにようやく仮眠が取れるとなったら今度はケイスからの呼び出し。
気力、体力と共にまだまだ持つが、寝入りばなを叩き起こされた恨みはまた別だ。
本来は水狼は、水上、河川を専門とする治安警備部隊であるが、どうにも最近は対ケイス専属班という扱いをされている気がしなくもないが、ケイスの真意を問いただす絶好の機会とみた評議会も接触許可をだしている。
固く閉ざされた門扉は、一切の無断侵入を禁じる重々しさを放つ重厚な作りで、施された結界魔法陣が正常稼働している証に、全体が淡く光る。
一方で屋敷をぐるりと囲む塀は高さはあるが、自然石を組み上げただけに見える古くさい様式。表面が凸凹しており足がかりが多く昇りやすい形状をしている。だがそれが見かけだというのは、ロウガでは有名な話。
正門以上に幾重にも張られた結界があらゆる術をはじき、使い魔の侵入を拒み、それでも無理に侵入しようとすれば、命さえ容易く屠る攻勢結界が待ち受けているという鉄壁の要塞という噂だ。
現在主人であるフォールセンは現在大陸中央に出向いており留守としているが、呼び鈴で呼び出した留守居を務める老家令メイソンが現在2人を客人として向かい入れるために、来客用認識腕輪を用意しに戻っている最中だ。
「もしケイス嬢ちゃんを引っ張り出して来いって命令が出たとして、開放状態ならナイカさんここの結界って破れるか?」
門扉横の塀をノックするように、結界が反応しない程度の微弱な魔力を乗せ軽く打ったロッソは、返ってきた反応が噂と違うことに気づき、急激にやる気を削がれる。
どこが鉄壁の要塞だ。そんな生やさしいクラスではない。塀のあちら側とこちら側でほぼ別世界となる、異界製造クラス結界がそこには鎮座していた。
今回は話を聞いてこいで済んでいるが、評議会の混乱具合はいつ強硬手段命令が出てもおかしくないほどに混沌としている。
「無理に決まってるさね。古い知り合いに聞いた話じゃ、元は東方王国時代の邑源一族が拠点としてた出城跡地。この塀もその頃の遺構。火龍群の大魔力で結界は破られたそうだけど、塀自体は火龍のブレスだろうが、尾の一撃だろうが耐えきったそうだよ。しかもわざわざ来客者用腕輪が必要ってことは、結界が最大稼働した戦時状態になってるね。あんたも気をつけな。下手に外したり、許可された区画以外に一歩でも足を踏み入れたら黒焦げにされるよ」
「そりゃまた……ロウガ支部より物騒だな」
さすが大英雄宅と肩をすくませるロッソに出来るのは、強行突破というとち狂った判断を評議会が下さないことを祈るだけだ。
普段ならばフォールセン邸を訪れるのに、個人認識を施した腕輪をそのたびに作るなんて面倒な手続きは必要としない。
ケイスの指示なのか、それとも襲撃を受けたファンリア一座の者達も療養のために滞在しているのでメイソンが警戒レベルを引き上げたのか。
どちらにしろ、その気になれば、ロウガ防衛のためにそれぞれの街区を隔てる防壁に張られた強固な結界さえも破壊可能だろうナイカが、無理だと即答できる代物。まともな手段でどうこうできる類ではない。
ましてや周囲は閑静な高級住宅街。周囲の被害を押さえながら使える手段は限られている。
「しかしどっから引っ張ってきてんだよ。そんだけの魔力」
「そいつも地下みたいさね。どれだけ爆弾が……ようやくかい」
「お待たせいたしました。ではお二人ともこちらをお付けください。ケイス様がいらっしゃる資料室までご案内いたします」
正門横の通用門が開き姿を見せた老家令が差し出したのは細めの腕輪だ。
「資料室ね。ケイス嬢ちゃんのことだから鍛錬所でも連れて行かれるかと思ったらまた似合わないところに」
「斬った張ったじゃないだけましかね。精神的に疲れるのも嫌なんだけどね」
身体が鈍るから鍛錬相手に呼び出したとなどのくだらない用事ではなさそうだが、ケイスには似付かわしくない場所に、むしろ不安が増す二人だった。
フォールセン邸はその強固な結界と広い敷地内には広大な地下倉庫もあり、元はロウガ支部としても使われていた建物となる。
新市街に今の支部が建造されたときに、ほぼ全ての支部機能が移設されたが、移動させるほどでもなく、かといって廃棄するわけにも行かない取り扱いに困る保管書類などはそのままにされていた。
その時の流れから今でも、ロウガ支部が孤児院の運営費用を一部立て替える代わりに、一般公開書類限定で支部保管庫に置ききれなくなった各種記録の写しや資料を預かっている。
「ケイ。観劇街の設備点検記録ってどこにある? ウォーギンが最新じゃなくても二年ぐらい前のでもあれば欲しいって」
別室で調べ物をしているウォーギンに頼まれ資料室を訪れたウィーは、周囲のテーブルを手元に寄せて堆く乱雑に積もった本や書類の山に囲まれた中心地に鎮座していたケイスへと尋ねるが、どうにも慣れない違和感をウィーは未だ覚えていた。
数年前のルクセライゼン騎士名鑑という表題の分厚い書籍をぺらぺらと流し読みするケイスの顔をした深窓の令嬢がそこにはいた。
普段は動きやすい格好を好み、戦闘で衣服が破けて素肌を晒そうが、鍛えているから見苦しいところなぞないと羞恥心が壊滅している美少女風化け物は、今日は淡い青色のイブニングドレスを見事に着こなしている。
髪を結い纏め、普段ならば絶対にしない薄い化粧さえしているので、元からずば抜けていた絶世の美少女ぶりにさらに磨きが掛かっている。
右足と左手首には重傷を負い、ドレス姿に致命的には似合わない包帯を巻いているのに、それさえ絵となるほどだ。
怪我を負った姿が、どこか儚げで病弱な印象さえ与えるのだろうか。
ケイスのこの姿をたまたま目撃した屋敷の者達や、屋敷に隣接した孤児院の子供達は、老若男女関係無く、一瞬声を失い、魅了魔術にでも捕らわれたかのようについ目で追いかけてしまうほどだ。
しかしそれはケイスをよく知らない知らない者限定。
この姿を見た仲間も一瞬魅了されかけたが、すぐに我に返り『詐欺だ』で全員一致した。悲しくもケイスという存在に慣れてしまったからだろう。
もっとも当の本人は、周囲の反応など気にもとめていない。
ケイスが周囲を気にしないのはいつもの事と言えば、いつものことだが、今回は少しばかり趣が違った。
普段ならば剣を振りにくいとそのような格好を嫌がるのに文句も言わず、仲間達にあれこれやたらと面倒な指示を出した後は、資料室に籠もり、呼びかけにも最低限に答えるのみで、食事もこの部屋で取っているが、1時間に一食分というハイペースで平らげている。
フォールセン邸に避難してからここ二日間ずっとだ。
睡眠どころか、あれだけ食べても排泄行為さえしていないのだが、断片的に答えた本人の証言をまとめると、治癒能力を上げてついでに内臓機能強化で飲食物を百パーセント消化している巣ごもり状態とのこと。
つくづく化け物だ。
そんな美少女風化け物は、自分が不在時のロウガで起きた記録や、周辺国家関連の取引記録、経済誌からゴシップも含めたあらゆる新聞記事、フォールセン邸の図書室から持ち込んだ学術書などをひたすら読みふけり、時折家令のメイソンへと指示を出して、自分がしたためた手紙を渡していた。
どこに出したのかと聞いても生返事が返ってくるだけで、不気味なほどにおとなしい。
館の主であるフォールセンの実質的な弟子ではあるが、あくまでも客人だというのに、まるでこの屋敷の女主人であるかのような振る舞いっぷりで、資料室を占拠している。
だが現状が混み合いすぎて楽観できる状況では無いので、今はとりあえずなにやら考えのあるケイスの好きにさせている状況だ。
「……ん」
ウィーの問いかけにしばらく遅れてから反応したケイスは本に目を落としたまま、無造作に積まれたファイルの山の中段に手首に幾重にも包帯を巻いた左手を伸ばすと、すっと引き抜き投げ渡してくる。
暴投気味で高めに飛んできたファイルを軽く跳んでウィーはつかみ取る。
投擲技術でも人外じみた技量を誇るケイスが、いくら投げにくい形状のファイルだとしても、ここまで大きく外すのは異常事態。予想以上に怪我の影響が大きい。
それはそうだ。左手は昨日斬ったばかり。さすがにいくらケイスといえど一日でまともに動かすのは無理のようだ。
しかし、もしかしたらそれさえわざとかも知れないのが、ケイスの恐ろしさだ。
右足の怪我がバインドから逃れるために自ら斬ったというのも、頭のおかしい話だが、左手の方はもっといかれている。
完全切断した右足は、綺麗に斬った上で闘気でくっつけたから問題ないという、治療ともいえない治療に、入院してちゃんとした治療を受けろと心配する仲間や保護者を前に、再度自ら左手を斬ってみせたのだ。
本人曰く『みろこの傷口を。これなら素直にくっつくぞ。だが心配をかけた礼と詫びだ。剣を振りにくいから治るまでおとなしくしているという保証にしてやろう』と、断面をみせて平然と答える始末だ。
行方不明になっていた間に、また頭のおかしい狂人具合が跳ね上がっている気がしてならない。
元々人外だが、迷宮を踏破すれば踏破するほど、その度合いがひどくなっている。
「左手は使っちゃダメだって。レイネ先生に怒られるよ。場所だけ言ってくれれば取るから」
「ん」
了解したのか、それとも反射的に答えただけなのか、今ひとつ分からない答えが返ってくるだけだ。
渡されたファイルをウォーギンへ渡すためにウィーが資料室を後にしようとしていると、ノックの音が響き、
「失礼いたしますケイス様。ナイカ様、ロッソ様がお見えになりました」
「ん、入れ」
メイソンからの呼びかけに答えたケイスは読みかけていた本をパタンと閉じると、乱暴な口調とは裏腹なゆっくりとした優雅な仕草で立ち上がり、入室してきた水狼の二人を向かい入れる。
「うむ。二人ともわざわざ済まない。礼を言うぞ……どうした?」
微笑を浮かべ礼を述べ頭を下げるケイスはまさに令嬢。
固まっている二人の様子に小首をかしげる仕草は、幼いながらも高貴さえ醸し出し深窓の姫君と見間違えられても、おかしくないほどだ。
「「……詐欺だ」さねぇ」
ナイカ達でさえ一瞬見とれてしまったようだが、数秒後には我に返り、異口同音で同じ感想を零す。
傾国の美少女と呼んでも差し支えないほどの美貌だが、そんな物を物ともしない狂気を含んだ狂人だとケイスを知る者達に掛かれば、魅了効果も僅か数秒しか持たない辺りその業の深さが知れるという話だ。