水狼一行の4人が異変に気づいたのはほぼ同時。
背後で不意に発生した不自然な突風に紛れ、微量ながら魔力を感知した4人は、独自に動き出す。
殿を務めていた神官ギドが、威力、発生時間は弱くとも無詠唱、最速で発生可能な広域シールドを背後に展開し、路地を覆い、攻撃へと備える。
先頭を走っていたサムライエンジュウロウは、壁を蹴り飛び上がりつつ、その場で反転する勢いのままに抜刀体勢に。
二番手を走っていた水狼隊長ロッソが肩に担いでいた棍を石畳に叩きつけ高音を発生。生じた音に単一簡易詠唱を用いて、周辺探索術を発動。
水妖族のレンは両手の十指を振り魔力を放ち、周囲の水分を掌握。雨が降っている今夜は、水に困ることは無い。
ロウガ守備隊に属する者は全て中級探索者。しかも精鋭と呼んで差し支えない者達が揃っている。
水狼最強戦力。上級探索者ナイカを欠いた状態ではあるが、それが彼らの弱点となることは無い。
防御、反撃、索敵、遊撃。己の役職、仲間の動き、それら役割分担を一々口に出して確認しているようでは、中級迷宮では生き残れない。
パーティは1つの群れでは無い。1つの個体となることで、人よりも遙かに凶悪かつ凶暴な迷宮モンスターへと対抗することが出来る。
(14時方向43ケーラ。屋根伝いに跳ぶ奴が1人。肩口に何か担いでやがる。火事場泥棒かも知れねぇ。とりあえず職質すんぞ。怪我させんなよ、後で賠償ってなれば面倒だ)
つい数時間前にルクセライゼン大型劇場艦の護衛に当たっていたかと思えば、今度は迷宮モンスター出現によって騒動が予想される観劇街での市街警備。
高名な劇場には希少な美術品が展示されているから警備が必要という理屈が分かるが、超過任務が過ぎると思いつつも、仕事は真面目にこなすロッソは無傷で捕まえろと指示を出す。
(了解。捕まえる! 水鎖!)
特定の迷宮を踏破することで得られる天恵。
探索者の証したる指輪に付与されたパーティ間でのみ可能となる高圧縮思考による意志疎通天恵による情報共有を元に、ロッソの感知した不審者に向かって、レンが水で組み上げたバインド鎖を飛ばす。
水妖族であるレンにとって、魔力を通した水は己が肉体と変わらない。
水鎖の先端へと視覚を同調させ、自らが宙を飛ぶような感覚を抱きながらも不審者を追う。
後方から迫るバインドに気づいた不審者が振り向きざまに振るった大剣を躱し、そのまま右足首へと絡みつき拘束。
魔力抵抗させる隙も与えずに水を収縮させ、力任せに引き寄せを開始。
変幻自在の水鎖によって、犯人を捕獲、即座に引き寄せ仲間が制圧という、一連の流れは水狼が得意とする捕縛手順。
だが不審者はその手慣れた手順へと抗う。
(確保! エンジュウロウ! こっちに引き寄せるかっ! っえ!?)
感じ取ったのは急激な重量変化。まるで大岩でも捕まえたかのような急激な質量の増大。
いきなりの変化に対してレンは無意識に圧縮速度を早めて引き込む力を強めたが、意識が自覚する前に不審者は即座に次の行動に移っていた。
それはまるで釣り上げている途中に、大魚から急に針が外れたかのような消失感。
雨に混じり生暖かい感触を伴う別の液体がごく少量が4人の頭上から降ると共に、急激に収縮して戻ってくる水鎖がレンの手元に戻ってくる。
水鎖の先端には先ほど拘束した細い足首が繋がっている。だが件の不審者の姿は存在しない。
レンが引き寄せたのは、生々しい傷口をみせる切断したばかりとおぼしき足首から先の部分だけ。
いくら中級探索者といえど、レンもエンジュウロウ、そしてギドも、ここまで躊躇無く、自損しながらバインドを外してくる狂人がいるとは予測はしていない。
3人があっけにとられたのは僅か。だがその隙は致命的だ。
自らの足を切り離し、枷から解き放たれた狂人不審者がレンの頭上に陣取っていると気づくまもなく、重力増加による雷光のごとき振りおろしが決行される。
意識外から来る一撃必殺の振りおろしに、3人は反応が出来無い。
だからロッソが動いた。
棍を何とか刃先に合わせて、崩れ落ちそうになるほどの重い一撃を食い止めつつ、声を上げる。
「待て嬢ちゃん! 俺らだ!」
追撃態勢に移行しかけていた不審者……ケイスはロッソの呼びかけに気づき、剣を止める。
その切っ先はレンの首筋ぎりぎり。
水で出来た彼女の髪の一部を切り裂いていたので、もし止めるのが一瞬でも遅ければ、彼女の首ははね飛ばされていたことだろう。
「ロッソ達か。驚かすな。後レンとりあえず私の足を返せ。今ならまだつなげられる」
レンを殺しかけたというのに悪びれる様子もないケイスは意識を失った女性を担いだまま不満気に頬を膨らませ、腰を抜かしているレンに向かって足を返せと平然と宣っていた。
「これで最後の2人。薬は足りそう?」
ファンリア一座の者達を楽屋に運んでいたウィーは両肩に担いでいた2人を床の上にそっと降ろす。
ケイスが異常性をいつも通り発揮している間、劇場にいたルディア達もただ手をこまねいていたわけではない。
床の至る所に寝かされたファンリア一座の者はほとんどが外傷も無く、命に別状は無い。
だが魔力を使い果たし、その変換元である生物が生きる為の力、生命力さえも低下した昏睡状態に陥っており、このままでは数日は眠り続ける事になるだろう。
「何とか調合して足らす。一時的で良いから自力で動けるようにしてともかく避難しないと。ケイスの指示でホノカさんがフォールセン邸に連絡に行ってくれてるらしいけど、いつ戻ってこれるか不明でしょ」
敵の正体が不明である以上、安心できる避難場所は限られる。
厳重な結界に守られたフォールセン邸ならば確実に安全だが、意識不明状態の者がこれだけいる状況で、コウリュウ対岸の旧市街まで移動するのは現状では不可能だ。
生命力低下には速効性の生命力増幅薬を飲ませるのが一番だが、人数が多いのでルディアの常備していた丸薬では足りない。
碌な機材も無いが、水差しの水に丸薬を溶かし、目分量で量った別の粉薬も足していく。
多少効力は落ちても良いから、ともかくかさを増して、人数分をひねり出すしか無い。
狂乱結界魔術の中心が舞台側だったので、観客席側にいたルディアはまだ消耗は少ないとはいえ、それでも徹夜が続いた後のような重い疲労感を感じ全身がけだるいが、休んでいる暇など無い。
襲撃者の追撃や、ロウガ地下に現れた迷宮モンスターが現れる可能性もある。
まともに動けるのがウィー1人では、立てこもるのさえ無理。
ともかく今はここから離れて、信頼できる誰かに保護してもらうのが最善だろう。
ファンリア一座の者はケイスにやられた3人が軽傷を負ったのみで、魔力消耗から昏睡しているだけなので、魔力さえ戻れば戦闘はともかく、歩けるくらいにはなる……1人を除いて、
「カイラって子の容態は? ケイの替え玉とかいう役者さんも魔力変換障害って話だったけど違ったんでしょ?」
その例外、ウィーが向けた目線の先には、ソファーに寝かされたぴくりとも動かない少女が1人。ケイスと同じく魔力変換障害持ちだというカイラだ。
しかし今のカイラは、ウィーが普段身につけている軽鎧を気配遮断用の外套を変化させて、身に纏わせているのでその顔色さえみることは出来無い。
「途中までは確かに魔力を感じなかった。だが明らかに途中で感触が変わった。しかも魔力が強すぎて、消耗した今の俺たちが危険なほどだ。正直ウィーの外套が無ければ大惨事となりかねなかったな」
魔力とは他を変える手段にして、自己を守る防壁。
魔力を持たないケイスや、カイラには魔術攻撃は例えどれだけ軽い物でも致命的な一撃となりかねない。
剣以外にはさほど物欲や興味がないケイスでさえ、例外的に対魔力装備には力を入れる。
探索者であるファンリア達が昏睡するほどに魔力を消費させられた狂乱結界魔術をまともに受けてしまったカイラの場合は、回復不能なほどに精神汚染されていてもおかしくない。
そうなってしまえば常時他者を襲う狂人として、処理されるか、運が良くても一生隔離状態に置かれることになる。
だから先ほどまでファンドーレが神術を用いて、残存魔力除去を行っていたのだが、その治療の途中で、カイラの中から極めて強力な魔力が生まれ始めていた。
まるで精神攻撃魔術に抗うように。
しかしその力が強すぎた。魔力の低下したルディア達に悪影響が出かねないほどの魔力だ。
隠していたのか、それとも命の危機に対して防衛本能で魔力が目覚めたのか?
それは今のウィー達には分からない。
「ケイの替え玉を名乗るためにごまかしてたとか?」
「知らん。あのバカ絡みの案件は考察するだけ無駄だ。どうせぐちゃぐちゃになる。今は助かるならば良しとする」
頭脳労働をするのさえ煩わしいと如実に顔に表れるほどに、ファンドーレも消耗が激しい。
神術は、信仰する神とその信徒の力を借りる術。
神が強大であればあるほど、信徒が多ければ多いほど、己1人の力を使う魔術や闘気術と比較して、同様に生命力を変換して使う神力の消耗は遙かに少なく、強力な術を使えるが、今のファンドーレではその僅かさえきついようだ。
「お疲れ様。とりあえず試飲してみて。問題なければファンリアさん達に飲ませるから」
「俺で実験するな……ぐっ……味はともかく生命力が少しずつ回復する感はあるな」
ルディアの指しだしたかき混ぜ棒の先端を舐めたファンドーレは、苦かったのか顔をゆがめるがへたっていた背中の羽が少しだけピンとなった。
小妖精の体調を見るなら羽をみろ。
薬師の常識だ。
「調整オッケー。ウィー。これスプーン一杯ずつだけど飲ませてあげて。10分くらいだけど生命力増幅力を上げることが出来るから。でも飲ませすぎ注意。副作用で魔力、闘気関係無くしばらく変換能力が不安定になるから。その量でも1日は使わないほうがいい緊急薬」
調合した薬の注意点を伝えてから自分も少しだけ摂取してルディアも、その場でへたり込む。
調合にも魔力を消費する薬なので自分で試飲が出来無いのが厄介だが、手持ちで作れる中でもっとも有効な薬を作れた。
限界ぎりぎりだったルディアはほっと息を吐く。
「りょーかい。外も少し静かになったみたい、ケイも戻ってくると思うから休んでて」
水差しを受け取ったウィーは床に寝かせていた一座の者達の身体を起こして、言われたとおり少量を飲ませていくと、死人のように青白かった顔に血色が戻り、ゆっくりだった鼓動も正常に戻っていく。
意識がないので肺に入らないように気をつけながら飲ませていたウィーだったが、その人数が半分ほどになったところで不意に手を止めて、水差しを床に置いた。
「っ、もしかして足りない? 手持ちも魔力ももう無いんだけど」
「あ、大丈夫大丈夫。ケイと一緒にお客さんも来たっぽい。ほら今地毛の色が出ちゃってるしどうしようかなって。信頼できる人たちみたいだし」
薬が足りなかったかとルディアは一瞬焦るが、ウィーは頬をかき、身を隠すかどうするかとしばし悩んだが、治療を優先することにしたのか水差しを再度手に取った。
「あぁもう信じ……! プライドがたがた……! ……かも短く……!」
怒鳴り声が途切れ途切れに、ルディアにも聞こえてくる。
複数人の足音や、ガチャガチャと聞こえてくる鎧がこすれる音も混じり、何者かが劇場内に入ってきたと気づかせる。
怒声はだんだんと大きくなり、楽屋に近づいてくるが、ウィーが一切警戒しておらず薬を飲ませる作業に戻っているので、どうせ動けないのだからとルディアも背中を壁に預けたまま静観することにする。
「ん。全員無事か」
しばらくして楽屋のドアが開かれケイスが入ってくる。その肩にはどこからさらってきたのかは知らないが、謎の女性を担いでいる。
そのケイスの後ろにはルディア達も顔見知りになっている水狼の一団がなぜかいた。
「いたルディアさん! ケイスを単独行動させないでよ! 髪を切られた上に殺されかけたんですけど!」
命知らずにもケイスを怒鳴りつけるのは水妖族のレンで、なにやら半泣きでやたらとぶち切れている。
長髪だったはずの水髪の一部がやけに短くなっているのが目立つ。
「倒れている者もいるのだからレンは少しは落ち着け。ルディに育毛剤でも作ってもらえば良かろう」
なにやら知らぬが、ケイスは面倒事をルディアに押しつける気満々だ。
「水妖族の髪が薬で伸びるわけないでしょ! 私達の肉体は魔力で出来ていて髪もその一部! どうやったって物理攻撃で斬れる物じゃないのに!」
「あぁそれか。私の羽の剣には先代の深海青龍王の意識が宿っている。水妖族より青龍の方が水の支配力が強いからな。消したというよりも上書きして解除したのであろう……うむ。そう考えると髪で済んだのはまだ良かったか。私の剣を止めたロッソに感謝しろ」
「にゃぁつ! なんて物騒な剣つかってんのよ! っっていうかなに青龍王って初耳なんですけど!?」
天敵にであった小動物のようにレンがパニック状態でケイスから一足飛びに離れ、エンジュウロウの背後に逃げ込む。
当然だ。ケイスの説明が事実ならば、青龍の意識を宿すという羽の剣は、水妖族のみならず、水で出来た肉体を持つ種族やモンスターへの特効武器に他ならない。
ましてや龍王の意識を宿す武器。それこそ伝説級の剣だ。
その事実を公表したケイスは、唖然として言葉を失う周囲の反応を意にも介さず、平然と続ける。
「うむ。そういうわけで、青龍由来の私の武器を狙ってルクセライゼン紋章院が仕掛けてきたようだ。こいつが紋章院の者だ。あと私の替え玉を務めていた剣戟師はルクセライゼンのカティラだったな。2人まとめて斬ろうとおもうが、カティラはどこにいる? あぁ、あと先ほど劇場に仕掛けてきた者と、この件は別件だ。襲撃者の方の正体は不明だが魔術罠は中心点のファルモアの塔もろとも潰したから、今夜は問題あるまい。事が済んだら調べて斬ってくる。それとさっきレンのバインドから逃れるために自分の足を切断して、闘気でくっつけたからお腹がすいた。何か食べ物は無いか。甘い物でも良いぞ」
ルディア達が硬直している間も空気を読まないバカは、何がどうして、そうなったと突っ込む気力さえ失う断片的にもほどがある情報の嵐を叩きつけてくる。
整理が追いつかず頭がぐらぐらしてきたルディアは、水狼隊長のロッソへと目を向け無言で助けを求めようとしたが、そのロッソも実に沈痛な顔で頭を抱えている。
どうやらロッソ達も大半の話が初耳だったようだ。
本音を言えば聞きたくない。明らかに身の丈を超えた面倒事だと本能が拒否したくなる。
だが理性が訴える。このままこのバカを放っておくと、さらに加速度的に状況が悪化する方向に突き進むと。そして自分達が否応無しにも関わる羽目になると。
「あ、あんたは……1人で突っ走っていないで事情を1から10まで説明!」
怯みそうになる己の心を、ケイスへの怒りで、ルディアは何とか奮い立たせた。