小雨降る中、闇夜にうっすらと浮かび上がるファルモアの塔の影は、2/3ほどの高さまで縮んではいたが、傾きもせずその外観を保っている。
周囲にほとんど瓦礫が散らばっていないので、まるで塔の土台だけが急に沈み込んだかのように見えることだろう。
壊れた外壁の頂点にすたと降り立ったケイスの立つ天辺からみれば、無事なのは文字通り外見だけだ。
力の掛かる方向を垂直下へと収束操作する剣技、御前平伏によって、瓦礫のほぼ全てが中心部に向かって崩れており、その勢いもあって、全てのフロアが崩れ落ちて、塔の内部では瓦礫の山が出来ていた。
敵対者がまだ塔内部にいたのであれば、瓦礫によって押しつぶせただろうが、今ひとつ確信が持てない。
本来意図した剣であれば、内部を斬り落とし潰すこと自体は変わりないが、塔の上部構造をほぼ崩すこと無く、斬り潰した尖塔の天頂部のみ超高速で駆け抜けさせる予定だった。
しかし力の収束が足りず衝撃が分散し、上層部を崩壊させるブレが生まれてしまった。
力が分散したことで生み出してしまった遅れは一秒にも満たないだろう。
だが自分ならその時間があればどうにかする。
同様に術者がとっさに防御魔術を展開していてもおかしくない。
「お爺様、気になることがあるからこの瓦礫の魔力反応を見てくれ」
敵の反撃を警戒しながら、自分が切り崩した瓦礫を手に取ったケイスは、一見装飾用にも見える壁の模様に、固まりかけていた自らの血を指先につけてなぞる。
ケイス自身は魔力を捨てたが、その身体に流れる血は、この世において最高効率を誇る魔力増幅機能まで失ってはいない。
(今なぞった部分に微弱だが、赤龍の魔力痕跡が一瞬発生した。どういうことだ?)
ラフォスの回答に、ケイスは己の仮説が間違っていない確信を抱く。
「ふむ。敵術士は、どうやら極少量の赤龍魔力を用いて既存の魔具を改変して、魔具が持つ魔力を略奪して、先ほどまでの攻撃を仕掛けてきたようだ。魔力総量が変わらないから変化に気づきにくい。暗殺向けの技術であろうな。ロウガの常設劇場には特殊効果や空調管理用などに多数の魔具が存在すると、ウォーギンから聞いている」
ハグロア一座のように現役探索者達が演者である劇団では、魔力を用いた演出も多く、観客に危険が及ばないように防御結界を常時稼働させているような劇場もあるという。
色々あってロウガの魔導技師ギルドから睨まれて正規仕事にありつきにくいウォーギンもメンテナンスや新規設置など、魔導技師向けの仕事にありつけるくらいだ。
観劇街にある魔導技術関連装置は膨大な数になることだろう。
(それで術発動前に灯りを灯していた光球が消滅したか、しかし魔具からの魔力と行っても高かが知れている。いささか威力や術式範囲が広範囲であったが)
「ふむ。私も気になったのはそこだ。だから上空で見て気づいた。この塔もシンボルタワーで有り、広告塔を兼ねた一種の魔具だ。観劇街の主立った劇場と魔力導線が繋げてあって、上映時間や演目の一部を映し出す投写機構を持っている。おそらくのその導線から、各所の魔具を一斉に操り、観劇街全体を一種の広域魔法陣として使用したようだ。ウィーが基点がぼやけると位置を判別できなかったのも道理だ。魔法陣内部にいたのだから」
上空から見て、ケイスが戦闘を行っていた場所のみならず他にも幾つもの灯りが消えていた部分があった。
実際に起きた炎上や爆発に併せて、灯りが消えた位置の配置からある程度の術式や魔法陣の仕様も推測は出来る。
その全ての中心点は、足下のファルモアの塔。
魔力を嗅ぎ取れるウィーの発言もある。ファルモアの塔を最優先目標としたことに間違いは無い。
「しかも爆発を回避したとき、迷宮モンスターの間を無理矢理抜けて手傷を負った際に、私の血が少量だがモンスター達に付着した。それが轟風道で火柱を割ろうとしたときに、地下に埋め込まれていた魔力導線に触れていた。おそらくあれも即席魔法陣の一部だ。私の血が魔法陣に接触して、火柱の威力が跳ね上がったのであろう。もっともそのおかげ火龍の魔力が強まって分かったから、怪我の功名だ」
もっともその代償で火柱が吹き上がった付近はあまりの高熱で、近隣の建物にまで火事が起きているのだが、狙ってやったわけでも無く単なる偶然だとケイスに悪びれる様子は一切無い。
(また娘の血肉が、被害悪化の原因か……そろそろ本気で防具に気を遣え)
「五月蠅い。ともかく中心たる塔を基盤もろとも破壊したから、無効化できたと思うが、術者は仕留めきれたかは分からぬ」
心の中で思えばラフォスと会話が可能だが、わざと言葉を発していたのも、敵術者にわざと聞かせるためだ。
もし生きているならば手の内を読み取ったケイスを生かしておくはずが無い。反撃を仕掛けてくるはずと予測し警戒を続けるケイスは、会話の最中も気配を探りつづける。
しかし雨音に混じって聞こえるのは、崩落した瓦礫が割れ崩れる音が僅かのみ。
斬り殺したか、それとも逃げられたか?
だめ押しでもう一度剣を打ち込むか……いや、だがもう一撃打てば、さすがに塔が崩壊する。塔を壊すのは必要であるからかまわないが、周囲の劇場にまで被害を出すのは本意では無い。
「私は直下に集中するから、お爺様は広域で魔力の気配を探って、っ!?」
相手が撤退した場合を想定して動くべきかと考えあぐねていたケイスは、不意に別の気配を近隣に感じ取る。
それは同族の気配。すなわち青龍の血を引く者。
近づいて来たとかでは無い、探知範囲内に急に現れたと断言できる唐突さだ。
「従姉妹殿では……無いな。お爺様魔力変化は?」
(……転移系をつかったにして静かすぎる)
「むぅ。魔力さえ感じさせない転移魔術の使い手となれば相当な術者か。高位準皇族であれば私の血縁に気づくかも知れぬな」
覚えのある気配であれば個人判断が出来るが、それはメルアーネでは無い。
ケイスが初めて感じる同族の気配。従姉妹以外にも幾人か感じていた知らぬ親族の1人か?
先ほど思い切り心臓に力を込めて青龍闘気を生み出してしまったので、遠方でも感じ取って探りに来たか。
気のせいだとごまかすのも難しい。
関係者各位からすれば隠す気があるのかと説教したくなるが、これでもケイス自身としては自らの出自の隠匿には気を遣っている。
皇帝の隠し子。不義の子。結果だけ見れば、自らの甥の妻でもあった未亡人に手を出したという不名誉。
自分の身が危険だどうだとかは一切気にせず、問題があれば斬れば良いと思っているが、両親の名誉に関わる問題となれば話は別だ。
(待て、もう一つの可能性がある。正確な位置を探れるか?)
敵術者の生死は気に掛かるが、面倒を避けるためにも早急に身を隠す必要があると判断を下したケイスは撤退しようとしたが、どうやらラフォスには思い当たる節があったようで制止が入る。
「ん、少し待ってくれ……むぅ?」
目を閉じたケイスは、感じ取った気配との相対距離からその位置を割り出し、珍しく困惑の色を浮かべる。
気配の主がいる場所。それはルディア達がいる劇場だ。
最初にあそこで轟風道を使ったが、その時は最小限に闘気を抑えていたのでよほど近隣にいなければ気づかれないはずだ。
もしや既にケイスの正体をある程度見抜いて、その弱点となる仲間達を押さえに行ったか?
だがケイスの出自は帝国最秘匿事項。そうそうと表立つわけも無く、かといってその正体を確かめるために、のこのこと顔を出すわけにも行かない。
珍しくケイスは方針決定に悩んでいたが、ラフォスの予測はケイスの推測と少し違う。
(娘の代理を務めた役者の持つ闘気が、妙に我と親和性が良かった。我の制御を完璧ではないが少しはこなしてみせた。どうにも確信は抱けぬが血族のような感触を覚えた)
ラフォスの宿る羽の剣は硬度や重量を自在に変化させる事が出来る闘気剣。その源は柄元に埋め込まれたラフォスの魂が宿る骨片にある。
骨片に闘気を送り込み活性化させることでその本領を発揮するが、闘気の相性もありその制御は極めて難しく、並の人間の闘気ではすぐに暴走を起こし、制御不能に陥る。
直系の子孫であるケイス以外で、羽の剣を十分に使えたのは、カンナビスで決闘したラクトだけだ。
ラクトにはおそらく特別な才能、それこそ神に与えられた神才めいた物があったのだろうが、そんな人間がそうそういるわけが無い。
青龍の血を引く者で闘気の相性が良かったと考える方がまだ現実的だ。
しかしその推測にも一つ疑問が生じる。
どれだけ血が薄かろうとも、ラフォスやケイスの感知能力なら直接触れれば分かる。
だが断言できないラフォスの歯切れは悪く、ケイスも邂逅したのは一瞬とはいえ直接触れているのに、同族の気配を一切感じていない。
だがその疑問に対する答えにケイスは行き着き眉をひそめる。
「……となると、先ほどの心打ちか。むぅ、さすれば面倒なことになるぞ」
心打ちは闘気を打ち込むことで、相手の心臓を一時的に止めて、仮死状態にする拘束技。
ケイスが今回用いたのは、仮死状態にすることに加え、血流停止による肉体損傷を最低限まで押さえる為に、打ち込んだ闘気で肉体強化を行って保護するという副次的効果も持たせた高等な物だ。
しかしその気遣いが、今回は余計な面倒事を引き起こしたやもしれない。
どの程度であるか不明だが、ケイスの代役を務めた役者は、青龍の、すなわちルクセライゼン皇家の血を引いている可能性は高い。
ケイスの闘気によって、隠されていた血脈が活性化して目覚めた可能性は否定できない。
何せケイスは現ルクセライゼン皇帝の一人娘にして、先祖返りを起こした人にして龍。
いわば直系中の直系。
平時であれば撃ち込んだ闘気の影響が抜けるまで静観するところだが、今の状況はそう言っていられない。
なにせルクセライゼンの血を引く者達がロウガに今は多く集結している。
なればその血を管理する者達もいるのは道理。
そしてその者達は、自らの管理下を外れた、関与しない血の存在を認めない。
彼らから、隠し子の存在を隠すための封印術式もあると、始母から聞いた覚えもある。
紋章院。
ルクセライゼン皇族や貴族の血脈を管理し、国体維持を第一とし皇帝さえも凌駕する強権を振るう建国当時より存在するという組織。
適正な血の維持のためには、時には暗殺さえ辞さない紋章院の企みによって、大叔母、大英雄が1人邑源雪は自死した。
父や祖父母達の仇敵である紋章院には、ケイスも思うところはあるが、それは父達の戦い。
請われればいくらでも尽力するが、今のケイスが斬って良い敵ではない。
何よりケイス自身が、紋章院には決して認められない存在。ばれてはいけない存在。
「紋章院が出て来ると厄介であるな……私が勝手に斬るべきではないし、仕方ない。一度引く」
斬れば終わる迷宮内と違い、複雑な状況が絡み合う迷宮外での息苦しさを感じながら、最優先事項を変更したケイスは塔の外壁を蹴ってこの場を離れた。
ケイスが立ち去ってしばらく後。
塔内に堆く積もった瓦礫の隙間を縫って、灰色の髪の毛がゆっくりとあふれ出していく。
それらは数千数万という膨大な数だ。
やがて髪の毛は崩れた瓦礫の上に集まると、自らを組み上げていき人の形を取りだした。
だがその姿はどこかいびつだ。
全身が灰色に染まったその人影は腕や足の関節は一つ多く、目や鼻のついている位置も微妙に上下にずれている。
髪の毛の一本が瓦礫の隙間から、まがまがしい鮮血色に輝く赤い転血石を引っ張り出してきて、胸元にそれが埋め込まれると、その異形は身震いをして、天頂を見つめた。
憎悪に染まる濁った目が見つめる先は先ほどまでケイスの立っていた場所だ。
「……龍の血族が」
空気が漏れただけのような小さなつぶやきながらも、はっきりと分かる怨嗟で塗り尽くされた人影は、またも無数の髪に分散すると闇の中に消えていった。